→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   002.ナイフ

 どうして僕は生きている?
 そう考えたのは、特別理由があるわけじゃなかった。思春期に入り、ある時ふと思っただけ。そんな単純な疑問が自分の心を覆い尽くすまで膨らんで行くのには大して時間はかからなかったように思う。
 今まで18年間生きてきて何か重要な出来事があったかと言うと、一つも無かった。両親も祖父母も元気で、少ない身内や親戚が亡くなったことも一度も無い。母方の祖父だけはこの世には既にいないけれど、自分が生まれる前の話だから何も感じない。だから葬式なんて黄昏の母親が亡くなった時にしか出たことも無いし、所詮他人事で自分にとって大きな問題でも無かった。
 直接死を感じさせる出来事なんて、身に降りかかったことが無い。ただ身の周り、例えば学校とか近所――その中で同年代の若者達が自殺したり、ナイフを手に他人を刺す事件はいくつかあった。
 みんな、この混乱した時代の中で自分を見つけようとしている。それらの事件は一つの結果で、援助交際をしながら今を満喫しようと身を飾る女子高生や、チームを組んで街に出て悪さをする中高生も、自分の周りにはたくさんいた。
 その中で、僕は何にも属さなかった。属そうとしなかったのか、今でもよく分からない。
 ここ2、3年で、ナイフを持つのが同級生の間で一種のファッションとして流行した。指定の制服じゃなく変形したものを着るのと同じように、当然のこととして受け入れられていた。休み時間や放課後に互いに見せびらかしては、自分を誇示していた。それで人を刺そうと思っているわけじゃない。ただ、持っていることで『自分にはこれがある』と思い、心の拠り所にしている。何かがあっても、ナイフさえ持っていれば自分を守れる。
 だけど、結局は何の解決にもならないことをみんな気付いていない。だから僕はあえてその中で、たった一人だけナイフを持たなかった。
 そんなものに、僕は殺されはしない。
 そう思ったけれど、それほど自分が重要な人間であるのか、自分自身判らなかった。
 結局の所、僕はナイフを持たないことで『自分』を特別な人間と思い込もうとしていた。周りと考えていることはさほど変わりやしない。
 だけど、そんな自分を認めたくなかった。この世の中に生まれて来た以上、必ず僕が生まれてきた意味がある。
 それを捜そうと、僕は文章を書き始めた。
 どうしてそこで、外の世界に転ばなかったのか。それは単純に、他人と同じになりたくなかったから。世界中にたった一人しかいない人間になりたかったから。それで、自分がこの現実に生きている意味があるように思えたから。
 昔から国語の成績だけは良かった。自分が文系の人間だと言うことは分かっていたから、言葉で自分を表現するのが一番やり易かった。始めた理由なんて、それだけ。
 今もそうだけれど、自分の心を現実の世界に言葉を使って刻み込む度に、強く感じることがある。
「僕の存在を確かめられるものはこれだけしかないんだ」
 いつか僕が朽ち果て灰になった時、自分が生きていた存在を示すものは書き留めた言葉しかない。僕の存在は他人の心の中にはあるけれど、『僕が生きていた』という証は、自分自身の力で得るしかない。
 そう思って、どれだけの文章を綴っただろう。最初は詩のようなものをメモ帳に書いては、やり場の無い想いをひたすらぶつけていた。お気に入りのミュージシャンの歌詞を流用したり、好きな小説から言葉を引っ張り出して来たりして。
 とは言え、始めたばかりの僕に技量なんてあるわけも無い。必死にない知恵を搾り出して完成した物も、読み返してみると頭を抱えて嘆きたくなるほど酷い出来映えばかり。今思えば馬鹿らしいけれど、本気で才能が無いと思った。もちろんミュージシャンや小説家達には積み重ねて来たキャリアの上に作品があるわけで、何の経験も無い若造が同レベルの物を創れるなんて到底無理な話とは言え、才能の無さに本気で泣きたくなった。
 そこで僕は一旦、文章を書くのを止めた。一番自信を持っていたものが、どれだけ頑張ってもまるでゴミのようにしか見えない。書いては後悔し、書いては後悔した。何とか転げ落ちないように必死にしがみついていたけれど、とうとう限界を超えた。
 それから2ヶ月程、学校にも行かず、ずっと自分の部屋に篭り切り、天井を眺めていた。風呂と食事の時以外、外に出ないでひたすら考えていた。
 どうして生きてるの?
 生きてる意味があるの?
 何がしたいの?
 何ができるの?
 そんな短い言葉を頭の中でどれだけ繰り返したか解らない。布団の中で、答えが出るまで自問自答を繰り返す。そして出てくる結論はいつも、
「僕なんていてもいなくても、何も変わらないんじゃないか」
だった。
 諦め。
 これ以上生きていたって、何の意味もない。
 なら、いつ死んだって構わないじゃない。
 僕が死んだ所で親は悲しむだろうけど、どうせすぐに自分のことなんて忘れるに違いない。
 そう思い、ある日部屋から抜け出すと、真夜中の廃倉庫からロープを盗んで家に持って帰った。押入れの中に隠し、いつでも死ねる準備を整えていた。
 だけど、いざ実行しようと動いたことはなかった。部屋にあったTVゲームばかりプレイしていた気がする。自分に何もできないことが分かってから、現実逃避にひたすら走り出した。目が痛くなって頭が朦朧とするまで延々と画面とにらめっこして、夢も見ない位泥のように眠る。そうやって自分自身から気を反らし、何とか自分を保っていた。
 でも、最後には意味の無い逃避さえ面倒になり、再び自分を見つめ始めた。
 目を閉じ自分の心の中に潜ってみると、暗闇が広がっている。先の見えない風景。見慣れた景色はいつの間にか壁になってしまっていた。
 どこにも行けずに、僕は泣くこともできなかった。現実に閉じ込められ、光すら当たらない殺風景を延々と見つめ続けて。
 その中から抜け出し、今ここでこうしているのにも、大したきっかけがあるわけじゃない。ただ、時の流れが絶望の淵から僕を少しずつ掬い上げてくれた。
 再び自分を表現することに向き合った時、一本の長編小説を書き始めることにした。自爆する前に、一度書こうとしたネタがあった。書き始めの途中で投げ出し、ゴミ箱に捨てていたものが。
 失うものなんて最初から無かったから、もう一度それをゴミ箱から拾い直し、一から書き直し始めた。何も込められていない気を紛らわすだけのものから、かけがえのないこの世にたった一つの、自分の為だけへの私小説へと。
 朝も夜も関係無く、親から借りたパソコンに向き合い、何かに取り憑かれたようにずっと文章を打っていた。その時が生まれて初めて、僕が自分の意思で動き始めた瞬間だったように思う。
 もちろん中断していた時と技量はさほど変わらないので、書き上げる最後まで自分の抱えているもの全てを表現出来ない悔しさに身悶えながら、自分自身に向き合っていた。
 どこかに応募して、小説家になろうだなんて甘い夢を持って長編を書き上げたわけじゃない。今まで理由も無く生きて来た自分自身に決着をつけたかった。その先に何が待っているのかは分からなかったけれど、この作品を世に遺すことで生まれて初めて、自分が生きている意味が生まれて来ると思った。
 タイトルは『mine』。自分自身、と言う意味。
 まさしくその通りの作品になったと思う。何も無い自分をひたすら見つめ、自分の身に振りかかった些細だけれども心に残っている出来事を中心に物語を紡いで行った。
 最後の文章を打ち終わった後には、さして感慨も生まれなかった。もっと涙を流し大喜びするものかと思っていたけれど、そこで人生が終わる訳じゃなく、まだまだ続いて行くことが頭の片隅で分かっていたから落ち着いていたんだろう。
 本当は、自分の命の灯火を消すつもりで書いていたのに。
 『これを書き上げたら死んでもいいや』みたいな気持ちで文を綴っていた。現にその時持っていた想いや迷い、希望や絶望をありのまま注ぎ込んだつもりでいたけれど、終わってからまた新しい問題が生まれていることに気付いた。
 新しい場所に立った自分の前に広がっているのは、果てしない地平線。
 でも本当は、そんな新しい景色を見たくてずっと書いていたのかもしれない。
 とは言え、書き終えた先のことは全く頭になかった。書き上げた長編はマスターベーションでしかなかったし、他人に公開して自分を理解して貰いたいとかも思わなかった。
 たった一人、黄昏を除いて。
 思春期の想いの詰ったノートを二日酔いの頭で開きながら、昨日のことを思い出す。
 あの日以来、休日には必ず黄昏の家に足を運ぶようになった。前日の夜から押しかけ大抵寝ている黄昏を叩き起こすと、他愛もない会話をしたり、黄昏の唄声を訊いたり、何もしないでごろごろと二人転がっていたりして、充実した時間を過ごす。その場で唄を作ったり、即興で考えてみた言葉にメロディを乗せたりして遊んだ。かつて学校で仲の良い友人達と話していた時よりも、黄昏といる方が何十倍も楽しかった。
 一昨日、中華料理店で二人で唐揚定食を食べた後、もう一度黄昏の家に戻り、雑談から真剣な話題までいろいろ話し合った。
 その時に、初めて自分の小説を他人に見せた。素面(しらふ)で渡すには恥ずかしかったから、お酒を調達して来て酌み交わしながら。ただ、ほとんど飲んだことがないからどこでセーブすればいいのか分からずに、その日は二人共酔い潰れた。
 次の日の昼に二日酔いの頭で目が覚めると、黄昏が壁にもたれながら僕の原稿に目を通していた。感想を聞くのが怖くなり、そのままもう1度眠りにつこうかと思ったけれど、視界がぐらついて気分が悪いので仕方無く身体を起こした。
 起きた僕に気付いた黄昏は原稿から目を離し、僕に向け満面の笑顔でこう言った。
「俺、これ凄く好きだよ。」
 この言葉を聞く為に、僕は生まれて来たのかも知れない。
 そう思えるくらい無性に嬉しくなり、黄昏の目の前で僕は泣いた。辺り構わず泣きじゃくったら、途端に気分が悪くなりその場で吐いてしまい、黄昏を困らせちゃったけれど。
 一旦気分が優れるまで横になっていたらすぐに夜が来てしまい、これ以上話す気力も無かったので謝ってから黄昏の家を後にした。そして自分の家に帰って来て、布団の上に倒れ込んだ後は記憶がない。今日になっても気分が悪いから、部屋で寝転んでこうして黄昏のノートを読みながら考えごとをしている。黄昏もかなり顔色を悪くしていたから、大丈夫なのかな?
 ノートに刻まれた言葉を噛み砕き、ページを開く度に新しい世界に触れる。
『関りのない悲劇に悲しいふりをするうそつきを嫌うぼくも そのひとりで』
『誰の心も照らす朝日に ほんの少し希望を重ねてみるよ』
『幼い夢を抱きしめて落ち葉のように土にかえる日を いつまでも……』
 一つ一つの言葉に込められた想いが、真っ直ぐに僕の心に届く。ぼやけた意識も手伝ってか、ややこしいことを考えずに、素直に自分の思いを重ねられる。
 ここ半年間、僕は何もする気が起きなかった。『mine』に心血を注ぎ切ってから、心の中に何も言葉が湧いて来なくなった。時折手癖でノートにペンを走らせてみても、すぐに破り捨てていた。
 もうこれ以上、僕が生きている必要はないのかも知れない。
 そう考えながら、怠惰な変わり映えのない日々を今まで過ごしてきた。首を括ってみても良かったけれど、死ぬ気はとうの昔に失せていた。味を占めもう一度新しい小説を書くこともなく、適当にゲームでもやりながら無駄に時間を費やしていた。
 新しい景色が見えたところで、何をすればいいのか分からない。
 ひたすら迷いながらそれでも心のどこかで、心を震わせる言葉を待ち望んでいた。
 まさかそれが幼なじみの中から出てくるとは、夢にも思わなかったけれど。
 布団から身体を起こし軽く上体を捻ると、心地いい音を立て背骨が鳴った。
 寝巻き姿のまま台所へ向かう。両親とも仕事で出かけていて、家には僕以外誰もいない。平日の昼間の室内に流れる空気は学校を休んだ罪悪感も手伝ってか、どこか落ち着かない。冷蔵庫を開けて牛乳を取り出し、蛇口の横に並んでいるガラスのコップに注ぐ。
「あの日の言葉を胸に秘め/涙を堪えて唄ってる/深い痛み抱えながら/負けじと唄ってる……♪」
 奇妙に感じる部屋の静寂を割るように、黄昏の唄を口ずさむ。もちろん黄昏のように上手に唄えないし音程も外れているけれど、頭の中では黄昏の唄がまるで耳元で聞こえるように流れている。彼の紡ぐメロディは音楽番組で流れるどの曲よりも耳障りが良く聴き応えがあり、何より感情的だ。心をそのまま音に変換したような旋律。そのメロディに乗ると、どんなありふれた言葉でさえ力を持ち、僕の耳に届く。
 決してボキャブラリーが多い訳じゃないけれど、黄昏の言葉は僕が使う言葉よりもしっかりしているように思う。それに、とても叙情的で、美しい。
 はっきり言って、黄昏は僕が追いつかないほどの才能を持っている。だからこそ、その黄昏に、認めて尊敬している黄昏に、自分の小説を褒めてくれたのは心から嬉しかった。
 いや、才能がどうとか関係無い。この小説は自分自身なんだから。全てを振り絞り、曝け出した自分自身を受け入れてくれる人がいる、それだけで、僕が小説を書いた意味も、生まれて来た意味もあったんだから。
 一気に飲み干した冷たい牛乳が肺を伝い、その冷たさに目が冴える。それでも身体の疲れまでは吹き飛ばないみたいで、もう1度部屋に戻ると布団の中に潜り込んだ。
 家は5階建ての市営住宅の4階にあり、大して広くもない。一人っ子だから大して不自由はなかった分、昔は黄昏を弟みたいに可愛がっていた。ちなみに黄昏の叔母さんの家は2階にある。家が近いから親友になった、そう言うこと。
 黄昏の部屋と違い、情報で溢れ返っている部屋。パソコンやらTVやら本やら音楽やら、極々普通の高校生の部屋。いろんなものに囲まれて成長してきた。周囲にあるものに触れていると余計なことを考えずに済むし、楽しい。
「だけど、黄昏は……」
 黄昏は、周りを徹底的に排除して、まるで天体望遠鏡で宇宙を見つめるように、ひたすら自分の中を、心を見つめ続けていた。そうして、あの唄声を手に入れたんだろう。
 自分の部屋を見回し、ほんの少しだけ絶望的な気分になった。
「……僕は一体、何をしたいのかな?」
 独り言を自分に向けて呟いてみるけど、答えは返って来ない。
 これからどうやって生きればいい?
 また違う意味が欲しい?
 何を手に入れたい?
「……生きて行く、力が欲しい……」
 ――そう口にした瞬間、全てが解った。
 どうしてまだ生きているのか。
 どうして黄昏と自分を比べようとするのか。
 どうして心を震わせる言葉を捜すのか。
 そして僕が、何をすべきかを。
「……黄昏と、一緒にやろう」
 こうして鎖は、絡まり始めた。


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