004.レベル1
「あーっ!?また会ったねーっ!」
ギターケースを担いでスタジオに向かっていると、いきなり後から猛スピードで何かがぶつかって来て歩道にすっ転んだ。
「あいててて……」
一瞬視界が暗転してパニックになっていると、前にスタジオへ案内してくれた女の子が倒れた僕の顔を覗き込んでいた。
「や、こんにちわー!スタジオ行く途中?」
「……呼び止めるなら普通に話しかけて欲しいんですけど」
「あー、ごめんごめん」
彼女は手を差し出し、僕の手を掴んでひょいと起こしてくれた。倒れ方がよかったらしく、幸いギターは無事。借り物だから壊したら叔父さんに申し訳が立たない。
「私も行く所だからさ、一緒に行こ?」
無邪気な笑顔で、黒髪の女の子はまた誘って来る。
「……いいですよ」
その笑顔に負け、スタジオまで連行される羽目となった。せめて、今日会う叔父さんが紹介してくれる人が、この子みたいに変わっていないことを祈る。
「やっほー♪また来たよー」
「ん、いらっしゃい」
スタジオの扉を開けると、叔父さんがPCの前に座り画面とにらめっこしていた。
「あれ、また一緒に来たのかい」
「どうやら来る道が同じらしくって」
「そう。あいつはもう102に入ってるよ。ちょっとこっちの手違いで101は埋まっててさ、差額分は後でちゃんと返すから。悪いね」
「はーい。んじゃ、頑張ってね♪」
女の子は僕に手を振ると、早速102へ入って行った。取り残された僕に、叔父さんが咎めるように言う。
「あの子もう、彼氏付きだからね」
「別にそんな期待なんてしてませんよっ」
個人的にはもう少しおしとやかな方が嬉しい。女の子と付き合ったことなんて一度もないから何とも言えないけれど。
「どう、練習してる?」
咥えていた煙草を灰皿に押しつけ、叔父さんが僕に向き直った。
「うーん、一応コードは押さえられるようになったけど……」
ギターを借りてから2週間、時間だけはたっぷりあるから、受験勉強そっちのけでひたすら弾いていた。おかげで弦を押さえる指が痛いけれど、以前よりかなり皮も分厚くなっている。
腕に関しては――後ほど。
「ふーん。俺なんて最初は全然押さえられなかったけどな。後はだんだん、高いフレットを弾けるようになればある程度、形にはなるんじゃない?」
天然パーマの髪を掻き上げ、叔父さんは満足げに頷いた。
「それはそうと、今日はあいつ来てるよ。会ってく?」
気軽な叔父さんの言葉に、僕は身を強張らせた。見知らぬ人と会う前には、さすがに緊張する。
「……そのために来たから」
本当は叔父さんにギターの腕を見て貰うだけでいいんだけれど、そう答えておいた。叔父さんは頷いて、僕を地下に案内してくれる。階段を降りたすぐそこに001と002のスタジオがあって、001の方はプロも使う広々とした部屋。
「こっちこっち」
そしてこのスタジオの中で一番小さい部屋が、002。
「邪魔するよー」
叔父さんは一言断って、002の扉を開ける。突如部屋の中から大音量のギターが聞こえてきて、耳をつんざいた。
「ん、どーしたんオヤジ?」
中から声を返してきたその人の風貌を見て、僕は一歩引いてしまった。
露出度の高いストリート系の服装に身を包み、あちこちに装飾具を巻き付けている。僕と同じ位の年齢だろうか。背は優に180を超えているようで、細長い顔に先端までオレンジ色に染めた逆立つ髪が特徴的だった。
どこからどう見ても、一般人じゃない。
「ほら、入った入った」
驚いてその場に立ち尽くしていると、先に入った叔父さんに手招きされた。
中に入ると、充満した熱気に思わず顔をしかめた。先ほどまで演奏していたせいか、彼の身体からびっしりと汗が伝っている。エアコンさえつけていない。
「途中だった?」
「んや、まだ録音してなかったからだいじょーぶ」
ギターを肩から吊るしたまま、彼は近くの機材の上に置いてあったペットボトルで水分を補給する。その間、叔父さんが間に入り、互いの紹介をしてくれた。
「えっと、こっちが前に話してた、俺の甥の徳永 青空(とくなが あおぞら)。それでこのいかついニーチャンが、元『staygold』のヴォーカル、日野 一光(ひの かずみつ)」
「みんなイッコーって呼んでるわ」
オレンジ髪の彼が、ペットボトルを置いて僕の顔を見た。少し怖い雰囲気がある。
「今はギター弾いてるけど、弦楽器なら何でもできるんだってさ」
「そん代わり、キーボードとドラムはほんっとからっきし」
白い歯を見せて、イッコーは楽しそうに笑う。外見に似合わず、調子のいい人なのかも知れない。
「それじゃちょっと作業中だから、俺一旦戻るね。青空、後でギター聞かせてくれな」
「じゃあね〜っ」
部屋を出て行く叔父さんを、イッコーは手を振って見送る。扉が閉まると、途端に緊張が走った。
「さて、と。青空だっけ?おれのことはイッコーって呼んでくれていいからさ」
「う、うん」
笑顔の裏側にあるものを想像して、少し引いてしまう。
「なんだったっけ?バンド組みたいわけ?」
「うん……まだメンバーも揃ってないんだけど……ヴォーカルだけは目星がついてて」
「ヴォーカルはなー、おれもやってたけどあんまり好きじゃねーんだよなー」
イッコーが愚痴を漏らしながら、僕に椅子を薦めて来る。お礼を言って腰掛けると、もう一つ椅子を持って来て、タオルを肩に座った。まるでバスケットの選手みたい。
「イッコー……は、バンド組んでるの?」
「今?今は組んでねー。一人で適当に練習して、適当に録音しての毎日かな」
僕の質問に、彼はにべもなく答える。
「もううんざりってこたぁないけど、やっぱいろいろあったかんな。やりたい気持ちはあるけど、前みたくフロントに出て唄うってのはゴメンだからよ。結構あちこちに誘われてっけど、ほとんどがヴォーカルとしてだから断ってんな、全部」
天井に向けた視線の先に過去が映っているんだろうか、イッコーの顔から笑みが消え、少し考え込む顔を見せた。そこを深く突っ込んで訊くつもりは最初からなかったから、手早く用件だけ済ませよう。
「唄に関しては……何の心配もないから。今日は連れて来てないけれど、どんなミュージシャンよりも凄いものを持ってると思う、その子は」
「男?」
「うん、黄昏って言って、幼なじみ。僕が18で、1個下なんだけど」
「なんだ、年上なんだ」
「え」
「だっておれ、まだ高2だもん」
イッコーの言葉に、思わず拍子抜けしてしまった。僕と同学年位だと思っていたけれど、よく見ると顔に若干幼さが残っているようにも見えなくもない。
「そーゆーそっちだって、すげえ子供みたいな顔してんじゃんか」
僕の顔を指差し、イッコーが大きく口を開けて笑う。昔からよく童顔って言われてるから、否定できない。ふて腐れて黙っていると、笑い涙を浮かべながら謝って来た。
「ま、顔がいいに越したことねーし。バンドだったらルックスで客を稼げる点もあるしよ」
「そんなつもりはないんだけどね」
自分の顔に関してとやかく言うつもりは無いけれど、黄昏は顔も小さいし、本人が思っている以上に顔立ちはいい。
「んで、どれだけ弾けるの?」
一番肝となる質問を投げ掛けられ、僕は嘘偽り無く正直に答えた。
「さっぱり」
イッコーが椅子からずり落ちた。
「さっぱりって……ギター歴どれくらい?」
「2週間」
「…………」
隠すことなく、『アホかコイツは』と顔に書いてある。どうせ嘘をついた所でギターを弾けばすぐにばれるだろうし、それなら最初から言っていた方がいいと思ったんだけれど。
「ナシにしよ、この話。」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そっぽを向くイッコーを慌てて引き止める。
「まだ僕はギター始めたばかりだけど、黄昏は本当に凄いんだから」
「どれだけ一人ずば抜けたやつがいたところで、バンドなんだからバランス崩れるっしょ」
彼の言葉ももっともで、何も言い返せない。
「それにさ、おれじゃなくても別のやつでいいんじゃないの?」
「……じゃあ、見せてよ」
「はいはい」
イッコーは僕を軽くあしらい、入口付近に立て掛けていたソフトケースの中からベースを取り出す。ギターよりもサイズが一回り大きい深い焦げ茶色のボディは、見ているだけで威圧感があった。
手際良くベースにシールドを挿し込み、2、3回弦を鳴らしてみる。全身を震わせる重低音が塊となって部屋の中を跳ね回った。
「あんまり素人目にはベースのよさってわかんねーんだけど」
一言断ってから、イッコーは跳ねるようにベースを弾き始めた。最初は足で、そして全身でリズムを取って。ピックも持たずに指で弾いているのにしっかりしたアタックを刻み、
上体を揺らしどれだけ激しく動き回っても、規則正しいリズムは決して崩れない。
聴いてるだけで踊りたくなるようなベースラインに、僕はあっという間に魅了された。心臓の鼓動を、血液の流れをそのまま音の塊にしているようなイッコーの演奏は、僕が求めている以上のもの。
――この人なら、僕達の曲に命を与えてくれる。
180度気が変わり、絶対にバンドに誘おうと、心に誓った。
「んー、こんなもんかな?あんまり最近練習してねーから少し鈍ってっかも」
気付くとイッコーは弾くのを止め、ぶつぶつ呟いている。
「おめーもこれぐらい弾けるんなら、考えてやってもいーぜ」
イッコーは僕に向かって眼を切り、挑発的な言葉を投げかけて来る。口に溜まる唾を飲み込み、僕もアコースティックギターを準備した。
「あれ、エレキは?」
「先にストロークばかり練習してるんだ」
「あ、そ」
完全に呆れられている気もしないでもないけれど、全力を尽くそう。
ギターを膝の上に乗せ、軽く音を鳴らしてみる。
「それ、チューニング狂ってねーか?」
「……どうなんだろ」
イッコーは顔に手を当て、旋毛を巻いている。なるべく気にしないようにして、教本に載っていた曲を弾く。これでも2週間休まずに練習していたから、そこそこ自信はあるつもりでいた。
「あれ?」
だけど、結果は――
「……一旦出直して、ちゃんと頭から通して演奏できるようになってから来いよ」
「そうする……」
散々過ぎて言葉も無い。楽譜を見なかったら曲の構成すら思い出せないし、ギターの音色が狂っているからそれに合わせ声の音程も崩れるし、リズムが不規則な上ギターと声の出だしがずれるし、悪い部分を上げれば切りが無い。
叔父さんに、一から教え直して貰おう。
涙が出そうになるほど惨めな気分になったのは、久し振り。
「そうだ、これ」
すごすごと部屋から退散する時に、僕はイッコーに大きな封筒を渡した。
「なにコレ?」
「僕が昔書いた小説。こんな感じの歌詞でいくんじゃないかっていう指針かな」
「うーん、おれ文字読むの苦手なんだよなー」
「それを言ったら僕だって小説なんてほとんど読まないよ」
「……そんじゃもらっとくわ。タダなら」
イッコーは少し渋っていたけれど、僕の言葉に納得して封筒を受け取ってくれた。
「今度は、ちゃんと楽器を弾けるようになってから来るよ。黄昏も連れて来るし」
「だからおれじゃなくったっていいじゃねーか」
「ううん、どうやら君じゃないと駄目みたい」
「?」
「次は絶対びっくりさせてあげるから、それじゃ、また」
首を傾げているイッコーに手を振り、部屋を出る。
「はあああああああああぁ〜っ」
ドアをきちんと閉めてから、僕は全身で溜め息をつきその場に崩れ込んだ。