→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   006.悲しみをぶっとばせ

 時間はどれだけ遅く進んでも、過ぎ去ってしまえば全ては過去になり、一瞬のことだったように思える。
 あれだけ泣いていた蝉の声もいつの間にか聞こえなくなり、代わりに夜になると鈴虫が侘しい鳴き声を奏でる。夜を迎えるのもほんの少しだけ早くなったような気がして、肌を焦がす太陽光線も日に日に柔らかくなって行く。
 夏が終わり、次の季節を迎えようとしていた。
 週末になると、いつものように黄昏の家に出かける。時間や曜日なんて全く気にしない黄昏が言うには、僕がカレンダー代わりになっているらしい。
 背にはギター。黄昏に見せるのは初めてで、ちょっと緊張する。
 この3ヶ月、叔父さんのスタジオに通い詰めては懸命に練習した。解り易い実践指導のおかげで、今は弾き語りぐらいなら頭から通して出来るようになった。曲も自分で作るようになって、酷いものだけどようやく2,3曲形になった。
 だから今日、黄昏を誘ってみる。
 万に一つ、断られないことを祈りながら、僕は黄昏の家のインターフォンを押した。
 二分程待ってから、少し髪の毛の短くなった黄昏が顔を出す。いい加減鬱陶しそうだったので僕が切ってあげたけれど、髪の毛を触られるのが苦手なようで慌てて逃げていた。見ているこっちが鬱陶しくなったりするものだから、今度また改めて整髪しよう。
 案の上寝ていたのか、黄昏は眠気まなこで僕の顔を見ている。
「……おは%$&#」
 挨拶の最後の方はごにょごにょして聞き取れなかった。
「おはよう。相変わらず変わり無い生活してるみたいだね」
「……ほっとけ」
 小さく呟いてから、黄昏は僕を中に案内してくれる。一言断ってから、玄関で靴を脱いだ。殺風景なこの家も、今じゃすっかり見慣れている。
 黄昏が洗面所に顔を洗いに行く間、僕はそのまま黄昏の部屋にお邪魔した。隠す物も何も無い広々とした部屋。床には数冊、黄昏の大学ノートが散らばっていた。
 しばらくして、黄昏が小さめの缶ビールを2本持って戻って来た。片方を僕に薦めるけれど、断ると一本を本棚の上に置き、ベッドの上に転がる。上半身が裸で下にシーツを巻きつけただけの恰好だから、僕が女の子なら赤面しているだろう。
「あんまり寝てない」
 瞼を落とした顔で黄昏はだるそうに呟くと、ビールの缶を開け一気に口に流し込んだ。普段はほとんど飲まないらしく、僕が来た時だけは特別だそうだ。
 いつものように、僕はまず最初に黄昏のノートを返す。鞄から取り出し、本棚に入れる。そこには赤字の大学ノートが100冊以上。そのどれもが隙間なく字で埋められていて、開いた瞬間は凝縮された黄昏の想いに眩暈がしてしまう。まだ半分も読んでいないし、全部を読み終えるのにどれくらい時間がかかるのか想像もつかない。
 黄昏に自分で創り上げた楽譜の読み方を教えて貰ったから、ギターでそのメロディも引いてみたりした。ギターの音色に乗るとまた違った感じに聞こえ、新しい発見がある。僕が曲を創る時も、黄昏本人も覚えていないような掘り出し物のメロディを拝借する時もある。その点では、僕の音楽の師匠は黄昏と言うことになるかも知れない。
 彼の曲を全部合わせると、何曲ぐらいになるだろう?メロディの断片や途中で投げ出した物も含めると、それこそ数え切れない。ちなみに黄昏は楽譜に、ドラムらしきリズムやベース、間奏や聞いたこともない楽器の名前(どうやら自分の想像で創った架空の楽器らしい)を書き込んでいる。吐き出す手段は声しか無くても、頭の中ではメロディと一緒に全ての音が鳴り響いているみたい。本人の知らない内にアレンジも完璧に出来上がっているらしく、コード進行の質問をした時には「何それ?」と素で返されてしまった。
「どう、曲出来てる?」
「あまり。15曲ぐらい」
 黄昏はあっさり言うけれど、僕は2週間たっぷり時間をかけ、一曲完成させるのが精一杯。それもアレンジなんて無い。黄昏の場合は起きている時間の大半を曲創りに専念している上に二年近く続けているから、僕なんかとは比べ物にならないほど早い。それでも、自分の気に食わないメロディは即座に切り捨て厳選しているらしいから、頭の中では無数のメロディが止まること無く流れ続けているんだと思う。ただ、本人にとっては曲を創ると言うより、吐き出していると言った方が近いらしい。僕が小説を書く時と似ているかも。
「借りていい?」
 黄昏に了承を得て、礼を言ってから最新のノートを拝借する。黄昏は僕が来ている間は頭のスイッチを切っているのか、ほとんど書こうとしない。僕が寝ている間に曲をひたすら書き留めて行く位で、目が覚めた時には3ページ程に渡って長い曲が書かれていたこともあった。唄って僕を起こさないように気遣ってくれているみたい。
 五線譜で書かれているわけじゃないから、一曲でそれほどノートの分量を取っている訳じゃない。要は黄昏が読み返した時に頭の中に再生されればいい訳で、本人の物臭な所も手伝ってか、メロディと主要の音以外ほとんど書かれていない。少し勿体無い気もするけれど、黄昏は唄う為に曲を創っているらしいから。
 だから、不安もあった。
 僕が創った曲を、黄昏は唄えないんじゃないかって。
 黄昏は自分の気持ちをそのまま唄にしている。巷に溢れている曲に目も向けずに自分で曲を創り続けたのも、自分以外のものじゃ心を満たしてくれなかったから。零れ落ちる気持ちを放って置くことができずに、ノートに想いを走らせた。
 今になって疑問が頭をもたげる。僕はただ、一緒にやりたかっただけなのに。
 横目で黄昏を見る。早速酔いが回ったのか、眠たそうな表情で壁に背をもたれかけていた。黄昏の性格からして、僕の持って来たギターについて訊いてみることはしないだろう。自分以外のことに関しては、度が過ぎるほど無頓着だから。
 時間はたっぷりあるから、急ぐ必要もない。僕は前に家から持って来た分厚い無地の座布団をフローリングの床に並べ、その上に寝添べりながらベランダの外を眺めた。星が出るにはまだ時間が早いのか、まだうっすらと空が群青色っぽい。
「お腹空いた?」
「ああ」
「外行く?」
「そうしよ」
 夕飯を食べずにこっちに来たから、腹の虫が鳴って仕方無い。決まれば善は急げで、黄昏はあっと言う間に着替えを済ませた。黒のスラックスに白地のYシャツと言うラフな恰好で、制服っぽいそれを着ていると高校生に見える。
 行く所は、いつもの中華料理屋。今の時間帯だと結構混んでいるかも知れないけれど、二人座れるくらいの余裕はあると思う。
 黄昏はうつらうつらと、僕の後ろをふらつきながら歩いて来る。眠くても、空腹の方が勝つらしい。こうして二人で歩いていると、子供の頃を思い出す。
 僕らの通っていた小学校は校区の中でいろいろ地域別に区分けされていて、主に住宅街に名称がつけられていた。僕らの住んでいた地域は『第四』。何が第四なのか今でもよく解らないけれど、その地域内の子供が集まって班を作り、集会所に集まって一緒にまとまって学校へ行っていた。5年間ずっと、学校へ行く日の朝は必ず、黄昏は僕の後をついて来ていた。
「ねむい……」
 こんな風に目を擦りながら。
 狭い路地裏を抜け、商店街に入る。週末の夜と言うこともあってか、たくさんの人達が行き来している。黄昏のマンション付近は人が少ないのに、商店街に来ると途端に人込みの中に放り出される。水海の駅からそれほど離れていないせいだろう。
 『龍風』(ロンフー)と書かれた立て看板のある店の前まで行くと、香ばしい匂いが中から漂って来た。お腹が反応して、ぐうと鳴る。振り返ると、黄昏が物欲しそうな目で店の前に並んでいるメニューを眺めていた。
 弟を連れているような気がして苦笑しながら、店の中に入った。中から威勢のいい店員の声が飛んで来る。どうやら大盛況のようで、目を皿のようにして見回し、ようやく空いている席を見つけた。
「あー、また来たんか」
 黄昏と座って待っていると、中華帽を被ったイッコーが水を持って来た。
「いつもの」
「はいよ、唐定二つー!」
 手短に注文すると、イッコーは張りのある声で注文を読み上げる。調理場から他の店員が注文を繰り返し口に出して、イッコーはさっさと奥に引っ込んで行った。忙しいから話している余裕すらない。
 イッコーがこの店の息子と聞いた時は、さすがに驚いた。
 バンドの誘いを断られてしばらくした後、黄昏の家から帰る時にこの店に食べに来たら調理服を身にまとったイッコーがいた。実は知らない間に僕達は出会っていたらしい。いつも調理帽を被っているから、シンボルマークの逆立ったオレンジの髪が隠れていて気付かなかった。
 その時にバンドやギターのことを話さないように口止めしておいたから、黄昏は投げかけられるイッコーの視線をいつも不思議に思っている。僕がいつの間にイッコーと知り合ったのか首を傾げていたけれど、その辺は適当にはぐらかしておいた。
 店のTVを眺めながら、二人共何も喋らずに待つ。間が持たなくなり無理矢理話題を持って来るなんてことは、僕らの間じゃしない。話したくなったら話し、話題が無くなった時はその沈黙を楽しんでいる。黄昏には悪いけれど、まるで夫婦みたい。例え僕が女の子だったとしても、この関係は全く変わらないように思えた。
「はい、お待ちどー」
 イッコーが出来立ての唐揚定食を持って来て、テーブルに並べる。少し話がしたかったけれど、引き止めて彼が怒られるのも何なので止めておいた。
 僕らは食べるのが早い。お腹が空いていたこともあり、あっと言う間に全部平らげ、店を出た。振り返ると、イッコーが忙しそうにお客さんの注文を取っているのが見えた。
 腹が膨れたら余計眠くなったのか、黄昏がふらつきながら歩く。角を曲がってしばらく歩いてから振り返ると姿が無く、慌てて引き返したら、電柱にもたれて目を閉じていた。
「寝るなら家で寝ようね」
 黄昏をずるずると引っ張り、狭い道を進んで行く。建物に囲まれた場所を抜けT字路に出ると、夜の帳が貼られた空が開けていた。
「あ、満月」
 黄昏がその中に、丸々とした真っ黄色の月を見つける。
「ああ、もう十五夜なんだね」
 それほど大きくないけれど、見る者を惹き付ける真円。クレーターまでくっきり見えた。
「……だんご食いたい」
「さっき食べたばかりじゃない」
 月を見上げ呟く黄昏に苦笑しながら、僕も同じものを見ている。
 その魔力に、何も考えられなくなる。綺麗だとか、華やいだ言葉も出てこない。僕の意識は自分の身体から月の表面へ飛んでいた。
「ねえ、黄昏」
「何」
 月から視線を外すと、黄昏が少し眠たげな顔でこちらを見ている。
「一緒に行かない?」
「どこへ?」
 僕は一呼吸置いてから、誘ってみた。
「黄昏はどこへ行きたい?」
 少し間を置いてから、アスファルトに視線を落とし、答えを返す。
「俺は……あそこから抜け出せるのなら、どこでも」
「じゃあ、てっぺん目指そう。誰の手にも届かないような、てっぺん。」
 僕は夜空に浮かぶ満月を指差した。
 言葉に無数の意味を込めて。
 濁りのない瞳の奥で黄昏がどう思ったのか解らない。僕の顔を眉一つ動かさず、じっと見ている。だから僕も、次の言葉が出てくるまで待ち続けた。
「ぷっ」
 すると突然黄昏が吹き出し、お腹を抱え大爆笑を始めた。多分、いつになく真剣で強張った表情でもしていたんだろう。そんな自分の顔を想像するだけで僕も可笑しくなり、一緒に大笑いした。黄昏は腹を抱えて身をよじらせ、今まで見たことがないほど大笑いしている。だから僕も負けないくらい爆笑してやる。
 心に付き纏っている嫌なものを全て笑い飛ばしてやった。
「あーつかれた」
 2分近く暗闇の路地に僕達の笑い声が響き渡った後、さすがに笑い疲れ、近くの電柱に寄りかかった。黄昏も緩み過ぎた顔で何とか倒れないように踏ん張るのが精一杯みたい。
「曲創ってきたんだ。聴いてくれる?」
 今までずっと胸の内に閉まっていた言葉が、さらりと口をついて出た。
「……ああ」
 黄昏もとてもいい顔で、頷いてくれた。


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