→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   008.sunset

 夕暮れの柔らかい光が街を優しく照らす。
 数日続いた雨を挟み、季節がまた巡って行ったように思う。残暑の蒸し暑さはなりを潜め、涼しい風が秋を運んでいた。
 ビルの谷間に沈もうとする、丸い太陽。目を瞑っていると瞼の上から少しの温もりと一緒にオレンジ色の光を感じる。夜が訪れて月が顔を出すまで、このままこうして街の雑踏の中でじっとしていたかった。
 祝日だからか、通り行く人のざわめきがたくさん耳に届く。
 幸せな気分に浸っていると、脇腹を誰かに突つかれた。うっすらと目を開ける。
「ねーねー、どこか遊びに行かない?」
 すると目の前に、いつの間にか金髪に染めた若い女の子が立っていた。先取りした秋物のファッションで身を固めている。誰に話しているのかと思いながら自分の顔を指差してみると、彼女が笑顔で頷いた。
 突然のことに戸惑う。横の黄昏に助けを求めようとしたら、僕に肩を預けぐっすりと寝ていた。どうやら眠かったら外だろうが関係無く寝られるらしい。
「え、あ、その……人と待ち合わせしてるんで……」
 なるべく相手の顔を見ないようにしながら、ぽつぽつと喋って断る。女の子と話すといつも何だか照れ臭く、苦手。元々人見知りが激しい上に初心(うぶ)だから、知らない人と話すのには結構勇気がいる。
「いいじゃん、後で謝ったらさ。アタシ、楽しいトコロたくさん知ってるよ」
 そう言って女の子は僕の腕を取った。化粧をしているせいで大人びて見えるけれど、僕より年下のような気がする。左目の下にある泣きボクロが印象的で、かなり可愛い。TVとか雑誌で時々見る怪物みたいな黒い顔をした女子高生と違い、元の顔がしっかりしているからか、何となく周囲の男性の視線がこっちに集まっているような気がする。
「あ、でも、大事な用事なんで……」
「えー、そんなコト言わずに行こーよー」
 断ろうとしても、彼女はなかなか離そうとしない。それでも黄昏は熟睡しているのか、僕に寄りかかったまま寝息を立てていた。
「おーごめんごめん、遅れちまったい」
 しばらく押し合いへし合いしていると、ようやくイッコーが向こうからやって来た。背が高くて独特のファッションをしているから一目で分かる。公園の時計は約束の時刻より5分過ぎていた。
「誰?この子」
 イッコーがきょとんとした顔で女の子を指差す。
「知らない子」
「あ、ひどーい!さっき知り合ったばかりなのにー」
「知り合ったって2分程前に声かけられたばかり……」
 頬を膨らませている女の子の横で、僕はげんなりとした。さっきからずっと主導権を握られていてペースが掴めない。
「ねえ、待ってたのってこの人?じゃあさ、そこの寝てる人合わせて4人でどこか遊びに行こーよ、退屈してんの」
 元気の良い女の子は、僕を置いて勝手に話を進めて行く。しどろもどろになり困っていると、イッコーが女の子の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「おーわりぃなじょーちゃん。これからおにーさんたち行くとこがあるんだわ。だから今日のとこはごめんってことで」
「えーっ。なんだ、つまんないの」
 子供扱いされ、唇を尖らせている女の子をよそに、イッコーはポケットからチケットを取り出すと、彼女の手に1枚握らせた。
「その代わりこれやるから、そこで楽しんできな。男ナンパするよりずっと面白いもんが見れるからよ」
「あ、それ……」
 イッコーが渡したのは、今から観に行くライヴのチケットのはずなのに。僕が指摘しようとすると、イッコーは微笑み口の前に人差し指を当てた。
「男もたくさんいるから、終わった後でナンパでも何でも好きにやってくれりゃいいし。そんじゃおれたちちょっと急ぐんで、またな」
 そう言って女の子の髪をくしゃくしゃに撫でてから、眠ったまま起きない黄昏を背中に担ぎ、固まっている僕を顎で促がした。
「あ、そういうわけで、それじゃ」
「ちょ、ちょっと」
 イッコーの後を追い、逃げるようにそそくさと公園を後にする。女の子は何か言おうとしていたけれど、これ以上付き纏われるのも御免。あっと言う間に人混みに隠れ、姿が見えなくなる。
「かわいかったんだけどなあ……」
「バカ、あーゆーんはテキトーに言いわけつけて追い払えばいーんだって」
 後を振り返りながら僕がぽつりと漏らすと、イッコーに怒鳴られてしまった。確かにあそこでイッコーが来てくれなかったら、流されてしまっていたと思う。
「3回も声かけられちゃったよ。生まれてこの方そんなこと一度もなかったのに」
「こいつが隣で寝ていたからじゃねー?」
 イッコーは背中で寝ている黄昏の身体を揺さぶり、起こそうとした。でもまだ寝ている。
「北口公園じゃなくてイッコーの店で待ち合わせすれば良かったなあ」
 待ち合わせしていた間を思い出し、僕はため息をついた。
 水海の駅を出た所に北口公園と呼ばれる石畳の広場がある。これから向かうライヴハウスが駅の北口方面にあるので、僕達二人はイッコーと今日の午後5時にそこで待ち合わせていた。ちなみに黄昏とイッコーの家があるのは東口方面で、一度駅の下をくぐらないとこちら側には出られない。
 ちょうど駅前のCDショップに寄ろうと思っていた所だったので、僕は昼過ぎに黄昏を引っ張り出し、先に自分の用事を済ませた。黄昏は朝方まで起きていたらしく、半分以上寝たまま僕の後ろをついて来ていた。
 イッコーと会う前に先に食事を取ってから待ち合わせ場所に来たのはいいけれど、たった1時間の間に3回も女の子達に逆ナンパされてしまった。イッコーの言うように、黄昏が隣にいたせいだと思う。現に女の子達の視線は黄昏の方ばかり向いていた。
 でも本人は勿論全く興味が無いので、適当にあしらうと目を閉じ、僕の隣で眠っていた。その度に僕が丁重に頭を下げていたから、気苦労で胃が痛い。
「自覚してくれるとありがたいんだけどね、自分のルックス」
「そりゃあ無理だろ、こいつ唄うこと以外興味ねーもん」
 2,3回顔を合わせただけで、イッコーも大体黄昏の性格を掴めたみたい。
 確かに裏表が全く無いから、解り易いと言えば解り安すぎる性格をしている。どうやらかなり黄昏のことを気に入ったらしく、平日の夜に店へ呼び出しては唐揚定食を食べながらいろいろ話をしているそうだ。物臭な黄昏だけど、他人と会う時にはきちんと動く。今までずっと部屋に篭っていた分、人恋しくなっているのかな?
「それより、さっきのチケットあげて良かったの?イッコー入れないじゃない」
 さっきのことが気になり、訊いてみた。
 今日の6時半から、今向かっているライヴハウスでイベントがあるから行ってみようってイッコーに誘われてOKしたのに、1枚あげちゃったから2枚しかチケットが無い。黄昏か僕のどちらかが外で待っている訳にもいかないし、誘ってくれたイッコーを置いて中になんて入れない。
「ん、おれ顔パスできるし」
 僕を一笑に付し、イッコーはさらりと言ってのけた。
「チケットももらいもんだからよ、とりあえず3枚もらってたんだけど正解だったわ」
「……悩んでいた僕が馬鹿でした」
 どうしようか本気で頭を悩ませていたのに、僕の心配もあっけない位杞憂に終わった。問題無しと言うことで納得しておこう。
「お、結構並んでんなー」
 今まで歩いたことのない道をイッコーに連れられて行くと、少し開けた通りに人がたくさん集まっているのが見えた。黒い剥き出しのコンクリートの外観をした店の前で行列が出来ている。あの店が目的地らしい。
「はいはいごめんよー、ちょっとどいてー」
 店から漂う異様なオーラに立ち竦む僕を置き、イッコーは黄昏を担いだまま人混みの中を割って行く。僕も遅れないように慌てて後を追った。
「あ、イッコーだ」
 人混みの中にいる女の子の誰かが声を上げると、並んでいる人達の顔が一斉にイッコーへと向いた。何だ何だ!?
「おー、イッコーじゃん」
「今日は出るのー?」
「早く戻ってきてよーっ」
 目を丸くしている僕をよそに、イッコーは笑顔でみんなに受け答えしていく。
「あー、今日はおれ見学。でも今度、こいつらとバンド組むことになったんだわ。出る時ゃみんなヨロシクな!」
 高らかにイッコーが宣言すると、列のあちこちで歓声が上がった。手を振ってくる人達に白い歯を見せながら、イッコーはそそくさと列を抜けて行く。
「ねー、この人誰ー?」
「きゃー、かわいーっ」
「何てバンドー!?」
「おーい、さっさと来いよー!」
 矢継ぎ早に繰り出される質問の嵐にうろたえていると、イッコーが大声で僕を呼んだ。頭を下げながら、急いで人混みをすり抜けて行く。イッコーが店の入口を足で開けてくれていたので、逃げるように雪崩れ込んだ。
「な、何今の……?」
「ああ、前のおれんバンドのファンだろ。この辺の地域じゃ一,二を争うほど人気のあったバンドだかんなあ」
「ほーっ」
 簡単にイッコーは言ってのけるけれど、それってかなり凄い。水海は付近一円の中で一番大きな都市だし、このライヴハウスだってあれだけ人が並ぶ位だから有名な場所なんだろう。
「で、ここは?」
 冷静になって周囲を見回してみると、少し落ちた照明がホールを包んでいた。テーブルがいくつも並んでいて、店内は映画にでも出てくる酒場みたいな雰囲気を漂わせている。
 まだ日も沈み切っていないのに、結構賑わっていた。ただ、広さからしてこれがライヴハウスなんてことはないだろう。ステージも見当たらないし。
「ここは『Lover 's』のレストラン。ライヴハウスの『水海ラバーズ』は地下にあんのよ。外にいるヤツらはそっちの入口に並んでるってわけ。こっちでも時たまライヴやるけど、いつもはただのいかついレストランだわ。経営してるマスターが一緒でさ、バイク好きなんよ。いろんな部品がその辺にかかってんのもそーゆーこと」
 解り易くイッコーが説明してくれた。
 壁にはたくさんのレコードとバンドの写真だけじゃなく、バイクのスチームやら古びた革ジャン、ジーンズなどが所狭しとかけられている。店の隅には磨かれたハーレーも一台丸々置かれていて、物凄い存在感を醸し出していた。レストランと言うよりも、ブランドショップみたいな内装と言える。
「あれ、おまえライヴハウス来たことある?」
 店内を眺めていると、思い出したようにイッコーが訊いて来た。
「ううん、一度も」
 きっぱりと首を横に振ると、苦い顔をされてしまった。言いたいことは解る。
「……ま、こいつも一緒だろーな。しっかしホントになーんも知らんのな、二人とも」
「褒めなくてもいいよ」
「…………。」
 しばらくジト目を向けられていたけれど、気にしない気にしない。
「ちょっと来いよ、会わせたいおっさんがいるから」
 気を取り直したイッコーがカウンターへ向かう。近くの店員と二言三言交わした後、しばらくしてから髭もじゃの強面のおじさんが奥から姿を現した。思わず怯んでしまう。
「よ、イッコー、元気か?ああー、ガッコ始まったから髪戻したんだな」
「違うって、オレンジが普通で今黒色に染めてんの」
 無茶苦茶なことを言っている。けれどノリがいいのか、おじさんもイッコーと一緒に馬鹿笑いしていた。
 僕はあまり調子が良過ぎる話題にはついていけない。笑うのは勿論好きで、相手と話している時には笑顔が多い方が断然いいんだけど、必要以上に笑われると逆に引いてしまう。よく「ノリが悪い」と言われるのはそのせいだと思う。マイペースと言う点では黄昏と波長が合うのかも知れない。
「マスター、今度おれバンド始めることにしたんだわ」
「おお、やっとか!長かったなー」
 破顔するマスターの豪快な野太い声が店の端まで響き渡る。何ことかと視点が集まってくるのを横目で気にしながら、二人のやり取りを見ていた。
「でさ、こいつらが一緒に組むヤツら。まだやり始めたばっかのトーシロだけどよ、すげえもん持ってるからマスターも注目しといたほうがいいぜ。えっと、こっちが青空っつって、ギターと作詞作曲担当ね。でもってこいつが……おい、いいかげん起きろっ」
 痺れを切らしたイッコーが、身体を丸めて背中で熟睡している黄昏を担ぎ上げ、床にボディスラムを食らわせる。派手な物音が上がり、お客の顔が一斉にこちらを向いた。
「うぎゅ」
 蛙が踏み潰された時のような声を上げ、ようやく黄昏が目を覚ました。
「あいててて……ん、どこだ、ここ……?」
 打ちつけた背中をさすりながら、眠気まなこで周囲を見回す。どうやら本当に眠りこけていたみたいで、落下した黄昏に店内の視線が集中していた。
「紹介するぜ。こいつがうちのヴォーカルの黄昏。変なヤツに見えるけど唄はもう抜群にうめーから」
「ちょっと待て、俺は変じゃない」
「このくそあちー中、他人の背中で爆睡できるヤツは相当変だっつーの」
「同感」
「む……」
 僕達に断定され言葉の詰まる黄昏。不満そうな顔をしながら、腰を上げ体をうんと伸ばし始めた。そしてまた何事も無かったように店内に喧騒が戻る。
「あーわかったわかった、それはそうとだな」
「なに、マスター?」
 イッコーが返事をすると、僕達3人にマスターが厳しい目を向けて来る。
「店ん中で暴れるのだけは止めてくんないかな、やるなら下で暴れてくれ」
「あ、ごめんごめん。次からはじっとしてるからさ、ね?」
 イッコーが白い歯を見せて甘えた声で謝ると、マスターは苦笑いしながら頷いた。
「でも何か……ビジュアル系でもやるつもりか?」
 一つ咳をついてから、マスターがこっちを疑り深い目で見定めて来る。端正な顔立ちの黄昏と童顔の僕の組み合わせなら、そう思われても仕方無い。
「ん、ちゃんとしたロックンロールバンドだって。まだ名前も決まってねーけど。ま、ルックスはいい方が女の客のウケもいいっしょ」
 相当な自信の表れなのか、イッコーは余裕しゃくしゃくに笑っている。期待をかけられ過ぎるとこっちが怯んでしまうから、もうちょっと気楽に構えていて欲しいな。
「お前がベースをやるとして……ドラムはどこにいるんだ?」
「それを今日探しにきたってこと」
 マスターの問いに、イッコーが鼻の下をさすりながら答えた。
 最近知ったけれど、どうやらバンドというのはメンバーが一つのバンドに必ずしも専属になっている訳じゃないらしい。いくつものバンドを掛け持ちしている人もいれば、バンド以外に個人で別に音楽をやっている人もいる。
 特にドラムは数がそれほど多くないらしく、掛け持ちしている人が多いそう。ギターと比べると機材を一通り揃えるのにもかなりの費用がかかるし、エレキギターと違きヘッドフォンを付け演奏なんて出来ないから、練習場所も限られている。だから大抵の場合はスティックとか細かいものだけ用意し、スタジオやライヴハウスで借りるらしい。
 僕達二人もアテが無いしイッコーも手の空いている人間を知らなかったから、実際にライヴに出かけ、そこで目に付いた人を誘ってみようと言うことになった。そして今日ここにやって来た訳です。
 とりあえずやるからには、中途半端な人間は入れたくないというのが僕とイッコーの一致した意見で、ただ上手に叩ける人間よりも感性重視で選ぶことを決めていた。
「んじゃおれ、ちょっとマスターと話があっから先に下行っといてくんねーかな。はい、これチケット。開演までには降りるからさ。あ、それとなるべく後ろの方で見るようにしとけよ。初めてで前に行ったら絶対ぶっ倒れっから」
「う、うん……」
「おいおい、ビビらせてんじゃねえぞイッコー」
 内心脅えている僕を見て、マスターが大笑いした。
 恥ずかしさを堪えながら黄昏を連れて店を出る。どうやらもう開場しているらしく、あれだけ長かった列が半分くらい、店の隣にある地下階段の入口に吸い込まれていた。
 黄昏と一緒に最後尾に並ぶ。こうしてライヴを観に来るのは初めてだから、今から胸がどきどきしている。隣の黄昏を見ると、案の定眠そうな顔であくびをしていた。
 太陽がビルの向こうに隠れ、夜が訪れるのもあと少し。少し肌寒い風を受けながら、僕は地下に下りるまで鮮やかな夕闇の空を見上げていた。


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