→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   012.夢であるように

「あー、いたいた」
 思った通り、黄昏はそこにいた。
 目の前に広がる大海原、足元を見渡せば波の打ちつける岩礁。潮騒が一番よく聞こえるこの切り立った岩場の先端で、黄昏は大の字で寝転がり夕焼けの空を見上げていた。
 視界を遮るように上に立つと、ようやく僕の存在に気付いた。
「何だ、青空か」
 黄昏が物凄く残念そうな顔をして、呟く。
「何を期待してたの」
「何かこう……秋の妖精がひょこっと目の前に現れてくれないかな、とか」
「何訳のわかんないこと言ってるの」
「何だっていいじゃないか、別に」
「何だかなー、もう」
「何々うるさいな。で、何?」
「何でも。多分ここにいると思ったから、顔を出してみただけ。はい」
 寝転がったままの黄昏の上にコンビニの袋を置くと、少しかったるそうな表情で、そのままの態勢で袋を受け取り、中身を探り出した。
「飲めない」
 取り出したホットの缶コーヒーを開けたまでは良かったけれど、次の態勢に動けずにいる。知恵を絞り出し何とか寝た姿勢のままで飲もうとする黄昏に、一声かけてやった。
「体起こそうよ」
「それもそうか」
 ギャグでやっているのかよく解らない。
 叔父さんのスタジオから海に向かい10分程徒歩で下って行くと、湾岸沿いの小さな港に出る。この町は海に面しているせいか、普段から潮の香りがする。都市が近いこともあるのでそれほど綺麗な海とは言えないけれど、街のどこにいても視界を遮るものが何一つ無い大海原を望める街並は見る者の心を満たしてくれる。
 スタジオで働き始めこの街に来ることが多くなり、僕は仕事の休憩時間中に度々ここに足を運んでいた。港外れの岩場を歩いて来るのはなかなか骨が折れるけれど、岩場の先端から見える景色は映画や小説なんかじゃない、生の感動を僕に与えてくれる。ここでご飯を食べたり、ぼんやりと海と空を眺めていると、様々な歌詞が湧き上がって来る。
 悩みやしがらみから解き放ってくれる。そんなほんの一時がとても好き。
 目に映るもの全てに身を任せ、空と海と一つになる。そっと目を閉じ耳を澄ませば、自然の交奏曲が僕を包んでいるのを感じられ、疲れた心が癒されて行く。
 黄昏にもこの場所を教えてあげたらかなり気に入ってくれたみたいで、叔父さんのスタジオを使う時、昼でバンドの練習が終われば日が落ちるまでここにいることもあるらしい。
 そんな日は僕の休憩時間中に黄昏とイッコーの二人がスタジオにやって来るから、こっちはずっとてんてこ舞いだったりするんだけど。
「今日は雲が少ないね」
 僕も黄昏の横に腰を下ろし、渡されたコンビニ袋から缶のコーンスープとコーンマヨネーズパンを取り出した。黄昏も残りのツナオニオンを早速頬張る。
「寒いのによくいられるね、ここに」
「厚着してるから」
 僕が感心していると、黄昏は口の中のパンをコーヒーで流し込んでから、自分の着ている赤いジャケットを摘みひらひらしてみせた。
「……綺麗なんだ、単純に。見ているだけで心が落ち着く。空も、海も」
 穏やかな顔で、言葉に合わせ腕を伸ばし空と海を指差す。空はすっかり夕焼け色で、緩やかな光を吸い込み揺らめく海面を同じ色彩に染めている。港の反対側に群生する木々達もすっかり紅い顔をしていた。
「秋真っ盛りだね」
「今見とかないと、来年まで待たなきゃいけないから」
 その自分の言葉に何か気付いた顔をして、黄昏はふっと表情を緩めた。
「不思議な感じだな。今からもう来年の事考えてる」
 僕もつられて微笑む。少し前までの自分からしてみれば、想像もつかないことだから。
 二人共、ずっと明日があるなんて思っていなかった。黄昏は一人暗い部屋の中で闇を見続け、僕は部屋の中に閉じ籠もり流れ往く時間をただひたすら見続けていた。
 夢を見なかった。
 絶望する前に、望みさえ持っていなかった。
 どこまで続くか判らない時の輪の中をくるくると回り続けていた。
 何かを探し続けて。
 そしてその切れ端をようやくこの手に掴めた。
 今、ここにいる自分を。
「ねえ、黄昏」
「んー?」
 お腹に物を入れたせいで眠くなったのか横になり、少しだるそうに返事をしてくる。愛くるしい眠気まなこの顔に苦笑し、僕も一緒になって地面に背を預けた。
 今なら、何でも話せそうな気がした。
「黄昏は、もし、僕が、家を訪ねてこなかったら、今頃どうしてたと思う?」
 訊いてみると、黄昏は上体を起こし、腕を組み考え込んだ。そのまましばらく悩んでいたら、答えが出るどころか知恵熱で頭から湯気が吹き出ている。
「……じゃあ、これから僕達、どうなると思う?」
 質問を改めてみた。すると、
「さあ……?なるように、なるんじゃない」
考えるのを放棄したのか、黄昏はまるで他人事のようにぶっきらぼうに答えた。
「うまくいくか、なんて俺たちの決める事じゃないだろ。やってれば、自然と結果も付いてくるんじゃないか?俺には興味ないけど」
 足元の小石を拾い、海に投げつける。放物線を描いた石は下の岩礁に音も無く消えた。
「そう言って、実はびくびくしてるんじゃない?海なんか見ちゃってさ」
「それはおまえだろ?」
 僕が悪戯っぽく訊くと、間髪入れずに返された。
「…お見通しかあ」
 あっさりと見透かされてしまい、こっちが恥ずかしくなる。
 あのまま僕と黄昏が会わずにいたら、どちらも今までと同じ、時間に流され続けていたと思う。一月先も見えない日常を悶え苦しみながら転がっていたと思う。
 僕達は、あのサイクルから抜け出しこの道を選んだ。けれどこれで本当に自分が変わっていくのか、不安で仕方無い。
 もう一度、あの苦しみを味わいたくはない。
 今も逃げているんだと思う。「自分はいてもいなくてもいい」という言葉から。
 生きている意味が欲しい。
 そんなものが無くったって人生が続いて行くこと位薄々感づいているけれど、それなら僕は生きている必要なんてない。
 かと言って、「僕はここにいるんだ!」と大声で叫びたいなんて思わない。
 思春期に入ってから、僕はこの「現実」というものを憎むようになった。
 自分の思い通りに上手くいかない世界。自分自身さえ上手に動かせない世界。
 僕にはこの世界が、まるで生き地獄のように思えた。
 その気持ちは今も変わらない。だからこそ僕は音楽に、黄昏という蜘蛛の糸にしがみついて必死に生きる意味を、自分自身を探している。
 一度でいいから、頭の中に描いた未来の理想系の自分と、この僕が重なり合う瞬間を体験したい。そうしたら、きっと僕の目に映るもの全てが変わり始めると思うから。
 その時に初めて、僕と言う自分を肯定できるはずなんだ。
「いよいよ明日か……」
「そうだね」
 黄昏がじっと紅い夕日を見つめながら、小さく呟いた。瑪瑙(メノウ)のような瞳の中で、吸い込まれた光が踊っている。潮風にたなびく黒髪とその横顔を眺めていると、まるで映画の1シーンを見ているような錯覚にさえ陥ってしまう。
 いや、僕はもう映画の中にいるんだと思う。ロックンロールという物語の中に。
「まさか本当に千夜さんが入ってくれるなんて思ってもみなかったけどね」
 僕は腰を上げ、お腹が膨れてやって来た眠気を飛ばすためにうんと背伸びをした。両手を広げて全身を風で受け止めていると、とても気持ちいい。
 初めてのセッションの後、千夜さんが僕達の誘いにOKしてくれたのには本当に驚いた。
『次はいつ?』
 スタジオを借りていた一時間弱、あまり会話も無いまま4人で音合わせしていた。千夜さんは必要最小限以外口を利いてくれなくて内心ずっと不安だったけれど、帰り際に突然向こうから声をかけて来た。
『別に貴様達なんて興味無い。自分のプラスになると思ったからやろうと決めただけ』
 有頂天になっている僕とイッコーを余所目に、千夜さんは釘を刺してきたけれど。
『掛け持ちのバンドが一つ減って間が開いていた所だから』
 黄昏だけが不満そうな顔をしていたけれど、文句は一つも声に出さなかった。
 言えなかったんだと思う。
 その場にいた4人誰もが、演奏中、目が輝いていたから。
『金なんて必要無い。けれど他のバンドとの都合でそれほど入れないから。後で連絡する』
 それだけ言い残し、その時の千夜さんはさっさとスタジオを後にしてしまった。
 あれから一月。
 週2でおよそ2時間程、4人で集まって練習を行うようになった。
 黄昏、僕、イッコー、そして千夜さん。
 4人で音楽を奏でる時間がとても待ち遠しく、充実していた。
 今日も練習が終わった所。火照る体を鎮めるように、僕達はここで潮風に身を任せる。
「終わったら真っ先に出て行っちゃうんだもん、黄昏」
「千夜と一緒の空気を吸うのが嫌なんだよ」
 ほとんど子供と変わらない屁理屈を黄昏はこねてみせる。そのおかげもあり、練習後に10分程度、僕が千夜さんにバンドについて語る機会ができるんだけど。
 僕にしか面と向かい話していないけれど、千夜さんは高校に通っている。だから平日の昼はスタジオに入れない。かと言って4人が揃うまで待っているその時間も惜しいので、残りの僕達は夜だけでなく昼間にも、朝にもスタジオに入る。
 千夜さんと組む前からドラムマシーン相手にセッションっぽいことはやっていた。相手の楽器の音に合わせ演奏するのには徐々に慣れて行ったけれど、それでも一杯一杯なのは誰の目にも明らかだから、曲をたくさん作るよりひたすら練習に明け暮れるしかない。
 とにかく僕と黄昏の二人は、バンドに対する経験の絶対量が足りなさ過ぎる。だから料金の安い朝や昼に集中してスタジオに入り、バンドの基礎を固めることにしていた。低血圧な黄昏は朝起きるのが辛いから、わざわざ家まで足を運んでぼーっとしている所を僕が引っ張って行く。そのために合鍵はきちんと用意しています。
 スタジオに入る時はもちろんイッコーも来る。でも、授業を休んでまでやって来るのはいかがなものでしょう?とりあえず卒業できればOKって本人は言っているけれど……。
 とにかく、家にこもってごろごろしていた数ヶ月前とは忙しさも密度も今はもう全然違う。おかげさまで規則正しい生活が身に付き、以前よりも健康になって体が軽い。最初の頃は痛かった指の腹も今じゃ厚くなり、しっかりとギターの弦を押さえられる。
「……でもまだ、正直言って自信無いよ、僕」
「だろうな」
 暗い顔をしている僕の顔を見上げ、黄昏は声を噛み殺し笑った。
『青空ー、来週火曜ライヴ入るからよろしくなー』
 イッコーに何の前触れも無く言われたのは三日前。
 何でも前から、イッコーの前のバンド時代(『staygold』)に知り合ったバンド仲間と、次新しくバンドに入った時は彼らのライヴに出ると言う約束をしていたらしい。それで僕達のことを話したら、トントン拍子にイベント出演が決まってしまったのだ。
『いきなり決められても、曲がないんだけど……』
『だいじょーぶ、どーせ他の代わりのチョイ役なんだ、トップバッターで三曲やるだけ』
「絶対やる気マンマンだったんだよ、イッコー……」
 自分は場数慣れしているからと言って、考えを押し付けられるこっちはたまったものじゃない。けれど千夜さんは何食わぬ顔で一言、
『分かった』
としか言わなかった。
 チケットのことはイッコーが全部任せておけって言ってくれたから僕は練習に打ち込めたものの、どれだけお客さんが入るのかも解らない。少な過ぎるのは嫌だけど、多過ぎるのも緊張してしまう。どうしても人目を気にしてしまうのは性格だから、もう仕方無い。
 まだバンドのグルーヴさえままならないって言うのに、いきなりステージに立ち、上手に演奏するなんて無茶過ぎる気がする。それに加え僕なんか人前に立つのなんて中学の発表会以来だし、上がり性だから絶対失敗するのは目に見えている。
 ライヴのことを考えるだけで、気が気で仕方無かった。
「どのみち早かれ遅かれやるんだから、それなら早いほうがいいって」
 そんな僕を気遣っているのか、黄昏が笑って言った。
「そりゃあ黄昏はずっと歌って来てるから自信があるんだろうけど……」
 思わず愚痴がこぼれてしまい、慌てて口を塞いだ。でも黄昏は気にする様子も無く、
「しくじったとしても自分の力を全部出せたんなら、それでいいだろう?俺だって失敗することはあるだろうけど、別に怖くないし」
「それ以前に人前に出ることなんて全然気にしないタイプでしょ、黄昏」
「うん」
きっぱりと言われてしまうと、どうしようもない。
「あんまり考えないほうがいいって。大丈夫、曲も固まってるし、後は飛ぶだけ」
「どこに」
 両手を広げ、座ったまま飛行機の真似をする黄昏。僕はただ笑うしかない。
「――俺はおまえの曲、いいと思ってるよ」
 笑いが収まってから、黄昏はその場に寝転びながら僕に言った。
「おまえが書いてくれた歌詞の気持ち、ちゃんと俺が歌うから。安心しろって」
 その何気無い一言が、すうっと胸に染みて行った。
「――大丈夫だよね」
「多分。」
 僕が念を押すように訊くと、黄昏はぶっきらぼうに答えた。
「どうしてそこでかわすのさっ」
「大丈夫、大丈夫だって。おいこら、引っ張るなっ」
 膨れっ面で黄昏の足を掴まえ崖際に引きずろうとすると、黄昏は慌てた顔で抵抗した。
 ――もう、大丈夫。
 笑い声が岩場に響き渡る。僕達二人の姿を、沈みゆく夕日が真っ赤に照らしていた。


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