→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   013.ア・ハードデイズ・ナイト・ビフォー

 見上げると、昨日とはうって変わって空一面を雲が覆い隠していた。
「なーに今からガチガチに緊張してんの。ステージはまだ先だぜ?」
 大きく息を吐いている僕を見て、横でイッコーが緊張感の欠片も無い顔で笑った。
 そんなことを言われても、してしまうものは仕方無い。
 生まれて初めてのライヴ。無心になろうと思えば思うほど、様々な考えが頭に浮かんで来て重圧に押し潰されそうになる。
 イッコーは今日の日の為に、逆立てた黒い髪をオレンジに戻し望んでいた。いつもの服を着て普通の身なりをしている僕とは対象的に、大きく背番号の入った服を着てまるでバスケットマンみたいないでたちをしている。
 僕達の目の前に、周りの街並と不釣合いな黒一面のコンクリートのレストランがあった。
 ここが今日、僕達のバンドが初めて人前で演奏する場所、ライヴハウス『Lover 's』。
 そこに見える店の階段を下れば、未知の世界が僕を待っている。肩に背負うギターケースがやけに重みを感じた。
「おいおい、怖い顔しすぎ。もーちょっと気楽にいこーぜ」
 どうやら店を睨みつけているように見えたらしい。イッコーは笑って僕の背中をバンバンと叩いた。本当にイッコーにはプレッシャーと言うものがないのかな?
「まだ時間あるからさ、ちょっと店ん中でまったりしてようぜ。たそもじきに来るだろ」
 誘われるまま、地上にあるレストランの入口に向かう。そこでふと、店のコンクリートの壁にびっしりと様々な落書きが書き込まれているのに気付いた。
「あの落書き、何?」
「ここに来るバンドの奴らが色ペンで好き勝手に描いてんの。マスターの趣味だと」
 気になって尋ねるとイッコーが答えてくれた。少し気になりつつ扉を閉める。
 店内は外観からは想像もつかない、落ち着いた雰囲気のレストランだと改めて思う。下のライヴハウスに足を運ばなくても、ここに通い詰めしてもいい気分にさせる。
「ちょっとマスターに挨拶してくるわ。テキトーにその辺座っとって」
 言われるまま、壁際の丸テーブルを選んで座る。カウンターでマスターとイッコーが話しているのを眺めているとシックな感じの制服を来たウェイトレスが来たので、とりあえず二人分のアイスティーを注文しておいた。ものの1分もしない内に飲み物がやってくる。
 ストローでアイスティーを口に含むと、眠気が一気に襲って来た。そのまま席に深く腰掛け、背もたれに体を預ける。このまま夢の中に落ちればいいのに、なんて心の片隅で思いながら、店内に流れる英詞のブルースに耳を傾けた。
 結局一睡もできなかった。黄昏の家に厄介になると気がたるんでしまうと思ったので、ライヴ前日の昨日は早めに家に帰り、最後のチェックをしていた。
 けれどかえって不安で仕方無く、布団に入っても全然寝つけずに朝になってしまった。昨日から3連休を取っているからバイトに出る必要も無く逆に手を余してしまったので、始発に飛び乗り叔父さんのスタジオで集合時間の前までずっと一人で練習していた。黄昏にも電話したけれど寝ているのか全然出なかったから、無理に呼ぶ真似はしなかった。
「お、頼んどいてくれたの、サンキュー。あとで金払うわ」
 マスターと話の終わったイッコーが戻って来た。いつもと変わらず普段通りの態度。
「ん?ああ、チケットのことなら問題ねーよ。赤字にゃなってねーから心配すんな」
 僕の視線に気付き、イッコーは白い歯を見せて答えた。
 実際はライヴハウスを借りるのにもお金がいるそうで、普段は他のバンドと分配して取ることが多いらしい。ワンマンなんてやれるのは人気とお金のあるバンドだけで、ほとんどは対バン(数組のバンドが集まって一つのライヴをやること)が中心。その方が他のバンドを観に来るお客さんも集められるので、赤字にもなりにくく集客数も大きく変わる、らしい。ちなみにこのライヴハウスは大きさの割りに比較的良心的な値段で、別名対バンのメッカとも呼ばれているそうな。
 今は別にお金のことなんてどうでもいいんだけど。
「ねえ、イッコー」
「ん〜?」
「イッコーが最初にライヴやった時って、どうだった?」
「どーだったって言われてもなあ……」
 真剣な目で僕が訊くと、イッコーは喉を掻きながらレストランの天井に視線を移した。
「客は多かったんじゃねー?おれ、初めてのバンドが『staygold』だったからよ、何とも言えねーけど。今日やるんとおんなじくらいの人数だったかな、客」
「今日でどれくらい?」
「150くらいかなー」
「ぶっ」
 予想以上の答えに、飲んでいたレモンティーを吹き出してしまった。鼻に入って、凄く苦しい。悶えている僕を見て、イッコーはげらげら笑っている。
「ちょうど人気が出始めた時に前のヴォーカルの代わりで入ってよ、まだガキだったから白い目で見られてたことも多かったけど……おれ自身そんなにプレッシャーにはならなかったなー。猪突猛進!てなかんじでずーっとやってたから。初めてで何も知らないんが、かえってよかったんかもな。まーそのせいで暴走しまくって、最初のステージは何やってたんかよく覚えてねーんだけど」
 少し照れくさそうにはにかみながら僕に話す。らしいと言えばイッコーらしい。  
「まーでも、今日の客も結構期待してんじゃない?自分でゆーのもなんだけど、人気バンドだった『staygold』のヴォーカルやってたおれが新しく始めるバンドってことで、待ってたやつも多いと思うんだよな。それに千夜が叩くし。あいつなんだかんだで結構人気あるから、見てくれとかも含めて」
「プレッシャーかけないでよ……」
「あ、わりーわりー」
 沈む僕の顔を見て、悪びれも無くイッコーが謝る。彼の言葉を聞いてるとますます胃が痛くなってきた。
「でもおれはすっげー楽しみだけどな。客のやつらの驚く顔が見れそーでさ」
 心配する僕とは正反対に、イッコーはふんぞり返り鼻高々に言った。
「なんせおめーら二人がいるからな。おれが歌うと思ってるやつも結構いるし、そう言った意味でもいろいろ楽しめそーよ」
「だといいけど」
「だーいじょーぶ、心配すんな。いくらおめーがヘマやったって帰るやつはいねーよ、トップバッターなんだから」
「余計気が重いよ……」
 イッコーと話していると気が滅入ってきてしまった。テーブルに突っ伏し木の冷たさを頬で感じていると、僕の携帯電話の着信音が店内に鳴り響いた。
「もしもし」
 気だるく体を起こし、ジャンパーの内ポケットから携帯を取り出す。
「青空?今から出るんだけど」
 少し眠そうな黄昏の声。どうやら今まで寝ていたみたい。
 簡単に連絡が取れるように、黄昏の家にある電話線の引っこ抜かれていた受話器を僕が繋ぎ直しておいた。勿論本人は不満そうな顔を見せていた。
「あ、ちょっと待って。今もうライヴハウスに来てるんだけど、一人で来れる?」
「無理」
 あまりに率直な答えが返って来て、額からテーブルに突っ伏す。苦笑いしていると、僕の手からイッコーがひょいと携帯を取り上げた。
「あ、もしもし黄昏?おれ、イッコー。北口公園で待ってて、おれもすぐ行くから。じゃ」
 用件を端的に伝え、僕に携帯を放り返す。
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。千夜もそろそろ来ると思うから、おれんベース持って先に下降りて中入っとって。受付で名前言や入れるからよ」
 そう言い残し、一気にレモンティーを飲み干すとイッコーは店を出て行ってしまった。
 一人になると余計憂鬱になる。
 とりあえずここにいてもどうしようもないから、僕もグラスの残りを飲み終え勘定を払う。ちょうどレジでお金を払っている時に、マスターがそばにやって来た。
「おう、おまえ。期待してっからな。いいのは顔だけって事はナシにしてくれよ」
「はあ……」
 ヘマをしたら後でぶん殴られそう。
 引きつった笑いを浮かべながら店を出て地下へ降りようと階段に向かうと、その手前で自然に僕の足が止まった。地の底に続くような錯覚の覚えるその入り口をじっと見つめる。
 ここを降りたら、いよいよ始まるんだ。
 そう思うと緊張と不安が一気に押し寄せて来て、足がすくんでしまう。
 一人で行く勇気は……ないな。
 僕は踵を返し、レストランの壁にもたれイッコー達を待つことにした。冷えた秋の風が頬に当たる。店に入る前と空の色がすっかり違っていた。
 群青色に包まれた夕闇の街を行き交う人達。どこか足早に見えるのは、葉の落ち始めた街路樹のせいだろうか。どこか静かで物悲しい感じのする水海の街並とは裏腹に、僕の胸は様々な想いで昂ぶっていた。
 中で待っている方が良かったかも、なんて思いながら気持ちを落ち着かせるためにレストランの壁に描かれた落書きに何気に目を通していると、不意に横から声をかけられた。
「何してる?」
「あ……千夜さん」
 いつも通り黒のスーツで身を固めた千夜さんが、スティックケースを持って立っている。
「行くぞ」
 それだけ言って、千夜さんは一人で先に階段を下りて行った。一旦入り口で唾を呑み込んで意を決し、僕も後に続いて行く。響く足音がやけに耳障りに聞こえた。
 階下に出るとすぐ受付があり、千夜さんはカウンターの人と軽く挨拶を交わしてから入場用のシートにペンを走らせた。僕もぎこちない笑みを受付の人に返し、自分の名前を記入する。千夜さんは『chiyo』と綺麗な書体で書いてあった。
 出演者用のパスを貰って首から下げると、少し鼻高々な気分になる。
 縦長いがらんどうのフロアはライヴの時よりも多少大きく感じる。スタッフの数もまばらで、まだ準備中と言った所。今はとても静かだけど、後2時間もしないうちにここもヒートアップするんだと思うと何だか不思議な感じがした。
 この規模ならどれくらい入るんだろう?最大で千人位入る気がする。
 ステージは若干小さめで、TVでよく観るものと比べるとそれほど動き回るスペースは無さそう。言い換えればその分、お客さんの目がステージに集中すると言うことにもなる。
 こんな所でやるのかと思うと、正直怖くなってきた。
「何突っ立っている?早く来い」
 その場に立ち尽くしていると、フロア横の非常口から千夜さんが僕を呼んだ。言われるままに後をついて通路を歩いて行くと、千夜さんは扉の一つで足を止めて中へ入った。どうやらここが楽屋らしい。
 僕達が足を踏み入れると空気の色が変わった。中の人達が一斉にこちらを見て、少しざわつく。首を傾げたけれど、一通り先に来ている他のバンドの人達に挨拶して行った。
 今日は4バンド出演するのに、楽屋はかなり狭かった。まさか全員ここですし詰めなんじゃ、なんて思っていると、
「他の二つは隣の楽屋」
千夜さんが教えてくれた。どうやら割り振って楽屋別けをしているみたい。
 先に楽屋にいた人達は、楽器の音合わせをしたり雑誌を読んだりテーブルを囲んで雑談したりと、思い思いにくつろいでいる。
 千夜さんは一旦眉をひそめてから無言で空いている奥の席に座り、僕も近場を選ぶ。気のせいか、さっきより千夜さんの周りに張り詰めた空気が漂っている。そのせいか誰も近寄って来ようとしない。そう言えば誰一人として彼女と挨拶を交わしていなかった。
 イッコーの言葉通り、やっぱり嫌われているんだろうか。
 バイト先でも千夜さんの噂は時折耳にしても、仲の良い人はあまりいないみたい。真剣に音楽に取り組んでいる人に対しては物凄く誠実に対応するけれど、そうでない人にはいつでも牙を向く所があると言う。とは言え僕にもひたすら無愛想……。
 千夜さんはてきぱきとスティックの確認を終え、黒の鞄からカバーのついた文庫本を取り出した。背を反らして横目で覗いてみると、ページに文字がびっしり詰まっている。僕の視線に千夜さんは気付いたけれど、無視して本の世界に入り込んだ。
 僕の半径2m以内だけ、やけに空気が重い。心配そうにこちらを見ている人もいる。
 さすがに居たたまれなくなり、千夜さんに話しかけてみた。
「何だか……緊張するね」
「私はしない」
 さくっと返される。胸が痛い。
「たくさんの人の前で演奏するのって、今日が初めてだから……」
「のぼせ上がると痛い目を見る」
 さくさくっと胸に刺さる。
「本読むの、好きなんだ?」
「話しかけられるよりな」
 さくさくさく。
 打ちひしがれている僕を見て、周りの人が笑いを堪えていた。かなり悲しい。
「前のバンドが終わりましたので、次のバンドお願いしまーす」
 へこんでいると、男性スタッフがリハーサルのために楽屋にいた他の人達を呼びに来た。リハーサルの順番は大抵ライヴの順番の逆でやるらしい。僕等の番はライヴだと最初だから、一番最後。この人達が終わってから、僕達の番。
 みんなが支度をして楽屋から出て行くのを見送ると、千夜さんと二人だけになった。狭い楽屋で男だらけの中に女性一人でいるのは気持ち良いものじゃないからか、肩の力を抜き安心したような溜め息を吐く。
「…で、何が言いたい?」
 開いた本に視線を落としたまま、千夜さんの方から無愛想な顔で話しかけて来た。予想外だったので、どぎまぎしながら何とか言葉を返す。
「千夜さんは初めてのステージ、覚えてる?」
「つまらない事を訊くな」
 吐き捨てるように呟き、千夜さんは鞄の中からペットボトルのミネラルウォーターを取り出し口につけた。その仕草が妙に色っぽく、視線が釘付けになる。
「何にだって最初はある。どうせあっと言う間に昔になるのだからわざわざ胸を高鳴らせる必要も無いだろう」
 千夜さんはまるで人生を悟りきったような言葉を口にして、ペットボトルの蓋を閉めた。気にしないけれど年下に説教されているようで、ほんの少し胸に引っ掛かる。
 僕の顔をちらりと見て、千夜さんは小さく溜め息をついた。
「――知っている奴は知っている。それほど昔の事じゃないから」
 あまり話したくないのか歯切れが悪い。少し後悔しながら、僕は黙って耳を傾けた。
「周りについて行くだけで精一杯だった。今でも全く上手くなっている気はしないけれど……あの頃よりは叩けるようになっていると思う」
 自分の掌をじっと見つめ、千夜さんはふと悲しげな表情を見せた。
「まだ足りないけど、まだ――」
 そばにいる僕にしか聞こえないくらいの小声で呟いて考え込んでいると、そんな自分に気付いたのか突然我に返り、僕を睨み付けた。
「何も心配しなくても、貴様の事だからすぐ自分の技量の無さに悩むだろう」
 当て付けるように言い放つと、千夜さんは鞄から煙草を取り出して火をつけた。もちろん未成年だけど、とやかく言うつもりはない。目の前にあった灰皿を渡してあげると、僕から引っ手繰るように取って行った。
「んー、でも、正直な所自信がないから……」
 胸の内を告白すると、千夜さんが眉を細めた。言い訳がましく聞こえたのかも知れない。
 誤解されると困るから、慌てて言葉を繋ぐ。
「いや、そうじゃなくて……。そりゃいきなり完璧に出来るなんて無理なのは自分でも解ってるけど……僕達の作った曲が受け入れられるかっていう自信がなくって」
「なら貴様は恥をかかせるために私を誘ったのか?」
 ますます誤解されたのか、千夜さんが眉を吊り上げ僕に詰め寄って来る。
「いや違う、曲には自信があるんだけど、それが届くのかどうかが心配で……」
「届けるのは貴様自身だろう。その自信が無いのなら最初からステージに立とうなんて思うな。それだったらつまらない曲でも全力で歌っている奴等の方が遥かにまし」
「うっ……」
「そんな気持ちでやられたらこっちだって気が滅入る」
 反論の余地、なし。
 胸を抉られひたすら落ち込む僕を置いて、千夜さんはそっぽを向き煙草を吸った。
「…………。」
 言い返す言葉も何も思い浮かばなかった。
 そうだ、今から僕がやろうとしていることは音楽なんだ。
 頭の中にあるものを文章にする小説とは違う。紙に叩きつけたらそれで終わりじゃない。曲があって、それを演奏して、初めて相手に届くものなんだ。
 言ってみれば言葉と同じ。こちら側に伝える気持ちが無かったら、届くものも届かない。
 そんな当たり前のことを、今の今まで全然気付かずにいた。
 どれだけいい曲を作ったって、どれだけ黄昏がいい歌を唄ったって、バンドのパーツである僕一人が怯えていたらライヴは成立しない。
 黄昏が、イッコーが、千夜さんがいるからと言って、何を安心していたんだ僕は?
 己の心の弱さを今になって痛感させられ、言い様の無いくらい僕は沈んだ。
「ちわーっす。おー、みんなひっさしぶりー」
 しばらくテーブルに突っ伏していると、扉の向こうからイッコーの声が耳に飛び込んできた。黄昏を連れて来たんだろう。入口の方で何やら他の人達とわいわい喋っている。
 でも今の僕は、笑顔で二人を迎える気力なんてちっとも無かった。
「おーい青空、たそ連れてきたぜー。ってあれ、何へこんでんだ?」
 扉を開けてそばに寄って来て、すっかりしおれている僕の顔をイッコーが覗き込む。言葉を返す気力さえ無くうなだれている僕の横で、千夜さんは黙々と煙草を吸い続けていた。
「はは〜ん、千夜、おめーまた何か言ったろ。青空はまだ始めたばっかなんだからもう少し優しくしてあげないとだめよ〜ん」
 おちゃらけた感じのイッコーに逆撫でしたのか、千夜さんは機嫌悪そうな顔をした。
「そんなの関係無い。今まで勘違いしていた自分自身に腹が立つ」
 彼女の言葉一つ一つが、僕を打ちのめして行く。すっかり僕の心は意気消沈していた。
「まーまー怒るなって。最初のライヴなんだから楽しくやろーぜ」
 イッコーが気楽な声でなだめると、千夜さんは突然席を揺らし大声で叫んだ。
「その甘い考えがむかつくんだ私はーっ!!」
 使っていた灰皿を鷲掴みにして、勢い良くイッコーに向かいぶん投げる。
「おっと」
 来るのが解っていたのか、イッコーは難無く避けた。しかしほっとしたのも束の間、軽い金属音が部屋に響き渡った。
 イッコーが振り返ると、煙草の灰を頭に被った黄昏がしかめっ面で仁王立ちしていた。
「いきなり人に灰皿投げつけておいて言う台詞かそれが……?」
 額に直撃したのか、当たった場所が赤くなっている。それ以上に、怒りで耳の先まで真っ赤になっていた。
 血管の切れる音が、ここまで聞こえた気がした。
「ふざけんなっ!!おまえが余計な事口走ったから青空がへこんだんだろっ」
「ああいくらでも言ってやるわ。この根性無し」
「おまえ、今何て言った!?取り消せ、今の」
「聞こえなかったか?貴様達は甘っちょろい考えしか持たない役立たずの根性無しの集団だって言ったんだ!」
「てめえっ……!!」
 怒りが頂点に達し、黄昏は千夜さんに殴りかかって行った。それを慌ててイッコーが横から割って入り、体格の良さを生かし押さえ止める。
「おいこら放せっ!こいつの張り付いた面今からボッコボコにしてやる」
「大丈夫大丈夫、僕は何とも思ってないから」
「触るなっ!!どけえっ!!」
 僕も慌てて黄昏を取り押さえるけれど、ちっとも怒りが収まりそうにない。いくら犬猿の仲だからと言って、今日の日まで言い争うことはないのに。
 でもそれも僕のせいだと思うと、何だか涙が出て来た。
 顔色の変わった僕に気付いたのか、黄昏の動きが止まる。ちょうどそこで、騒ぎを聞きつけたのか先程のスタッフが部屋に飛び込んで来た。
「おい、何してる!!」
 空気がしんと静まり返る。黄昏の乱れた呼吸が、やけに耳についた。
「あー何にもないっすよ。ちょっとごたごたしてただけで。だいじょうぶっすホント」
 真っ先にイッコーが笑って手を振り、誤魔化そうとする。スタッフはこちらと千夜さんを少し睨んでいたけれど、口で厳しく注意しただけで去って行った。
 それでも、部屋の空気は変わらない。黄昏が澄まし顔の千夜さんを激しく睨んでいると、千夜さんの方から無言で部屋を出て行った。
「気にしないで。何ともないから」
 まだ怒った顔をしている黄昏を軽くなだめてから、僕も急いで後を追う。
 こちらの足音に気付き、廊下を歩いていた千夜さんが振り返った。
「…………」
 追い駆けたはいいけれど、頭に何も言葉が浮かんで来ない。言葉が出ないままじっと向かい合っていると、千夜さんが厳しい顔で僕に言った。
「ステージの上で、私をガッカリさせないで」
 振り返った気丈な彼女の背中が、何故か僕には寂しく見えた。


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