→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   014.a hard-days night

「うっし行くぜ!てめーら気合入れてけよ!!」
 イッコーが立ち上がり一人意気込む。その横で僕は考えごとをしていて、反対側に座る黄昏はピリピリしていて、向かい側に座る千夜さんは黙々と煙草を吹かしていた。どうやら千夜さんは機嫌が悪くなると、煙草を吸い出す習慣があるみたい。
 楽屋の壁に掛かった時計を見ると、間も無く開演時刻。他のバンドの人達も準備に取りかかっていて、今日のライヴを主催しているメンバー達は挨拶の為、先にステージに上がっている。
 今日のライヴは4バンドが対バンする形で、僕達の出番は最初。他の3バンドはこの地域を地道に活動しているロックやパンクバンドで、そこそこキャリアも人気もある。その中に初めての僕達が入る訳で、出足からかなり恵まれていると言えた。
「おいおい、もーちょっと気合入れていこーぜー」
「言われなくたって解っている」
 少し困った顔のイッコーに千夜さんはピシャリと言い切り、煙草を吸い終えた。自分のスティックを手に持つと、軽くストレッチを始める。僕もチューニングし終えたギターを爪弾き、指の感触を確かめてみた。
 千夜さんが戻ってきた後も、楽屋の空気は険悪そのもの。彼女が戻って来る前に簡単に弁明しておいたとは言え、それでも黄昏は泥棒から家を守る飼い犬みたいに千夜さんを睨み続け、またいつ飛びかかるかと僕達二人をハラハラさせていた。
 ただ、僕の中じゃもう気持ちの整理はついている。ここに来た時よりもかえって楽になった。自分が何をすればいいのかはっきりと見えたから。
「黄昏は大丈夫?」
「ん?ああ」
 僕が訊くと黄昏は気の引き締まった顔を見せた。ついさっきまで苛立っていたのに、今はそれすら忘れたかのように真剣な表情をしている。
 思った通り、黄昏は歌に私情を持ち込まない。リハーサルの時も、ステージの上じゃ千夜さんと喧嘩していたことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうくらい真剣に唄っていた。
 千夜さんも軽めに叩いていたけれど、音楽で絶対に引かない人だから、どれだけ黄昏と険悪になった所で本番になると自分の仕事はきっちりやり遂げてくれるに違いない。
 練習の時でもいつだって、黄昏の歌と千夜さんのドラムは噛み付き合っていた。片方がもう片方を飲み込もうとする位激しく自己主張しているのに、ただ不思議とそれがうるさく聞こえない。二人の底辺に流れているものがきっと同じなんだろう。
 今みたいに喧嘩しているくらいの方が、かえって演奏でもいい作用を生み出すと思う。
 ただ、演奏前と後のこっちの気苦労は絶えないですが。
「イッコーこそ入れ込み過ぎてトチらないようにね」
 不安な目をしているイッコーの肩を叩いてあげると、逆にヘッドロックを食らわされた。
「さっきまで落ち込んでたやつが言うんじゃねーっての」
「いたたたた」
 イッコーも久し振りにライヴが出来るとあってか、相当嬉しいみたい。白い歯を見せ大きく笑う彼を見ているだけで、こっちもかなりリラックス出来た。
「おっしゃあ、行くぜえ!!」
 自分のベースを鷲掴みにして、鼻息荒くイッコーが叫ぶ。体育会系じゃないので円陣を組んで掛け声を出し合う真似はしないけれど、みんなそれぞれボルテージを上げている。
 イッコーの後に続き全員楽屋を出て、ステージへ続く階段を降りて行く。主催のメンバー達が通路の横に立ち、僕達に声援を送ってくれた。俄然やる気が増してくる。
 ステージ裏に到着すると、客席のざわめきが耳に入ってきた。
「うわ……」
「ひょーっ、たーくさん入ったなー」
 唖然としている僕の横で、イッコーが浮かれ顔で口笛を吹いた。
 ステージから広がる客席を見ると、人の山が出来上がっている。とは言っても寿司詰めになるほど満員な訳じゃないけれど、どう見ても200人以上はいる。
 ちらっと黄昏の顔色を伺ってみると、普段と変わらない眠そうな顔で一言「ふーん」としか言わなかった。驚きもプレッシャーもないんだろうか。
 実際、黄昏にとっては客の数なんてどうだっていいんだろう。自分の歌を聴いてくれる人間が目の前にいれば、それだけで満足なんだと思う。
「普通、最初のライヴでこんなには入んねーよ。一年以上やっても10人程度しか来ないバンドだってあるんだから、それと比べたらおれたちかなり恵まれてんぜ」
 元気付けるためなのかプレッシャーをかけようとしているのか、イッコーが大声で笑い飛ばす。でも正直予想以上だったのか、顔が引きつっているようにも見えた。
 客席から見えない位置に隠れ、会場を見回している僕達をよそに、千夜さんは一人でさっさとステージに上がって行ってしまった。歓声と声援が沸き起こる。
「じゃ、気合入ったら来いよ」
 イッコーは僕と黄昏の肩を同時に叩くと、ベースを担ぎ先に出て行った。待ちわびていたファン達が一斉にイッコーの名前を呼ぶ。それに応えるようにイッコーは両手でガッツポーズして雄叫びを上げた。まるでプロレスみたい。ステージ前にあるアンプに足をかけてボディビルダーのポージングを取るイッコーを無視して、千夜さんはドラムの前に座り黙々と音の鳴りを確かめていた。呆れているんだと思う。
「それじゃあ行くか」
 軽く首を鳴らし一息ついてから、黄昏が僕の顔を見て微笑んだ。これからやって来る時間に、喜びと期待で目を輝かせている。
「それは僕の台詞だよ」
「言ったもん勝ち」
 少し悔しがる僕に、黄昏は得意気に笑ってみせた。
「楽しい?」
「もちろん」
 僕の問い掛けに、黄昏は自信に満ち溢れた顔で答えた。手を前に掲げると、黄昏が手の平を打ち合わせる。軽快な音と共に、心地良い痛みが腕を伝わって来る。
「僕が先に行くよ」
 意気込む黄昏の肩に手を置き、僕が前に出た。きょとんとしている黄昏に、にっこり笑って決めてみせる。
「やっぱりヴォーカルは最後に出た方がかっこいいじゃない?」
 その言葉に黄昏は少し吹き出したけれど、僕の背中を笑顔で強く押してくれた。
 僕がこのステージに立つのは、僕の意志。
 自分で決めて、ここにやって来た。
 黄昏と言う強い相棒がいるからこそ僕は足を踏み出せるけれど、ここまで連れて来て貰った訳じゃない。僕が黄昏を連れて来たんだ。
 だからこそ、僕が先にステージに上がらないといけない。
 じゃなきゃ、ここにいる自分自身を証明出来なくなってしまうから。
 ギターのネックを強く握り締め、僕は噛み締めるように一歩一歩足を踏み出す。歓声が耳に届かないほど、心臓の鼓動が高鳴っていた。
 自分の立ち位置について客席を見てみると、余計に広く感じる。客席から伝わるエネルギーにあてられてぼーっと立っていると、最後に黄昏がステージ中央にやって来た。ふてぶてしい顔で会場を眺めているその姿を横で見ているだけで、こちらも安心できた。
「みんな元気かー!?帰ってきたぜーっ」
 イッコーが大声で拳を上げると、野太い歓声が揃ったように返って来た。どうやら昔のバンドのファンみたいで、Tシャツ姿のパンクス系も結構いる。
 もちろん他のバンドのファンが多数を占めるんだろうけれど、千夜さんも人気があるらしく女の人の声援も時折飛んでいる。客席を見渡すと、結構客層にばらつきがあるみたい。
 そんな二人の有名人と一緒にステージに立っている、謎の男二人組。
 当然、お客は誰一人として僕達のことを知らない。イッコーがベースを手に左側の立ち位置にいるせいもあってか、多少ざわついている。準備をしているだけで、みんながいぶかしい目でこちらを見ているのがはっきりと分かった。
 その中で黄昏は一人、潮風に身を預けるように目を閉じ、その場に立ち尽くしていた。
 今、黄昏は何を想ってステージに立っているんだろう?
 穏やかな黄昏の横顔を見ているだけで、その胸の内が僕にも理解出来た気がした。
 波が引くように会場が静まる。黄昏の放つオーラにみんな息を飲んでいるみたいに。改めて、彼はここに立つべき人間だと思った。
 後は、僕自身。
 こんなに大勢の人前で演奏するのは初めてだけど、いつも通りやれば問題無い。
 プレッシャーに弱いはずの僕なのに、今日は不思議とゆったり構えていられた。
 頭の中から弱音が消えて行く。両手に抱えるギターの重みが僕を勇気付けてくれる。
 ネックを押さえる自分の手を開いてみると、指の先はすっかり皮膚が厚くなっていた。
 他のみんなより絶対的な経験が足りない分、僕は懸命に練習してきたつもり。毎日休まずに、ずっとギターを弾き続けて来た。叔父さんやイッコーのように親身になって教えてくれる人がそばにいてくれたおかげで、短期間で随分と技量が身に付いた。
 僕の汗が染み込んでいるはずのネックを握る。ギターがまるで、長年渡り合ってきた戦友みたいに思えた。
 千夜さんが僕とイッコーに視線を送って来るのを、小さく頷き返す。
 しんと静まり返ったライヴハウスに、千夜さんのカウントが鳴り渡った。
 ワン、ツー、スリー、フォー。
 僕のピックを持つ指が、弦を優しく爪弾く。エフェクターを通したエレキギターの透き通った音色が、会場の空気を揺らし出す。
 短い前奏が終わると、他の3人が同時に絡んで来る。黄昏はぱっと目を開け、静かに、そして力強く唄い始めた。


 いつの日か僕が消えてしまって 何も残らないとしたら
 この世界に生まれ落ちた理由(わけ)は なくなってしまうから
 この手紙を詰めた瓶を 海に流しておくよ

 ああ 僕が消えてしまう前に この気持ちを
 君に託したいと思っているから


 なんて気持ちいいんだろう。
 こんなに広い場所でギターを弾くのが。僕達の演奏に乗った、黄昏の唄声を聴くのが。そして、自分の世界をこうして誰かに届けられることが。
 陶酔したように、僕の頭は音楽で一杯になっていた。
 いつもの僕ならその人の数に圧倒されていただろうけれど、今の僕はお客一人一人の顔をしっかりと見ていられた。
 千夜さんのあの一言があったから、逆に不安は吹き飛んでいた。
 重圧感に脅えることや楽しむこと以前に、ちゃんとこの曲を届けられるように。
 その想いだけが、僕を突き動かしていた。


 いつの日か戻ってこれるように 貝殻に願いを込めて
 さざなみの打ち寄せる浜辺に そっと埋めておくから
 もし君が拾ってくれたなら 大事に持っていてほしい

 ああ 君が忘れてしまう前に この想いを
 ちゃんと伝えたいと思っているから
 失ってしまう前に

 僕はいつかいなくなってしまうけれど 何も怖いものなんてない
 優しい風が数多の想いを 運んでくれるはずだから

 ああ たとえいなくなったとしても あの願いが
 いつか叶うとずっと信じているから

 ああ 僕が消えてしまう前に この気持ちを
 君に託したい
 ああ 君が消えてしまう前に この想いを


 喉の締め付けられるような黄昏の叫びが虚空に吸い込まれ、会場に静寂が戻った。
 僕もはっと我に返る。黄昏の顔を見ると、うっすらと上気を帯びていてほんのりと赤くなっていた。汗を吸った白いYシャツも素肌に張りついている。
 黄昏は僕の方を向くと、小さく口を動かした。聞こえなかったけれど、どんな具合か尋ねて来たんだろう。その問いに僕は笑顔で返してあげた。千夜さんは普段と変わらず表情を作らないけれど、イッコーもいい笑顔を見せている。
 だけど満足したのは僕達だけだったのか、客席からは拍手の一つも起きなかった。
 途端に不安に襲われうろたえている僕の顔を見て、黄昏が「落ち着いて」とジェスチャーで言う。それでも何か言葉にしなくちゃと手前のマイクスタンドに近づこうとすると、いきなり千夜さんが次の曲のカウントを取り出した。
 慌ててエフェクターを踏み直し、音色を変える。最初はハウリングから始まるから、急いでアンプの前にエレキを近づける。曲の紹介もする暇もない。
 エレキのハウリングに乗せて千夜さんの激しいドラミングが空気を切り裂き、次の曲が始まった。
 『ブラックペッパー』と名付けたアップナンバーの曲は、みんなで作った。曲の原型を持って行ったのは僕だけど、何度も手直ししてイッコーの手がかなり加わっている。
 僕が曲を持って行くとどうしても、流暢なメロディとテンポの緩い曲になり易い。
「アップナンバーを作るんなら、セッションしながら作っていくほうが効果的よ」
というイッコーの言葉に従い、ドラムマシーンとかを使いながら練習中に今の形まで持って行った。後で千夜さんにこの曲のデモテープを渡したら、想像以上のドラミングをつけてくれたので文句の付けようのない出来になった。
 ただ、いざ実践となるとやっぱり僕は他のメンバーに遅れを取った。
 イッコーと千夜さんの二人が奏でるグルーヴは、初めて組むとは思えない位に呼吸がぴったり合っていた。千夜さんのドラミングは全く崩れること無く、その中に緩急をつけ一音一音に魂を込めるように叩く。それと対照的に、イッコーのベースはテンポの速いパンク仕込みで、太い幹を思わせる重い音が大きくうねりメロディを奏でる。まるで一つの生き物のように。二人の音が激しくぶつかり合い、いい方向に化学反応を起こしている。
 そしてそこに黄昏の振り絞った声が重なり、力強いグルーヴを生み出していた。
 自分のことなんてどうでもよくなってしまうほど、黄昏の唄声に聴き惚れてしまう。それは他の二人も同じなのか、とても楽しそうにプレイしている。
「ブラックペッパー/チキンソテー/シーザーズサラダ 乱痴気パーティー/shall we dance/夜はこれから……」
 黄昏が引っ張ってくれるおかげで、こっちも実力以上のプレイが出来る。とは言ってもひいき目に見ても他の3人との力の差は歴然で、ついていくので一杯一杯。途中で何度も間違えながらも、その度に頭を切り替え次のフレーズに望む。
 この3人と一緒にプレイできることが、とても幸せに思えて仕方無かった。
 まだ正式にバンドを組んで一月程しか経っていないのに、演奏はかなり形になっているように思える。それは何より、黄昏の存在が大きかった。
 唄っている時の黄昏の表情は鬼気迫るものがある。お客の顔を見ているようで、多分黄昏の瞳には映っていない。きっとそこにいる名前も知らない誰かに、自分の中にあるもの全てを伝えようとしているだけ。
 自分がここにいることを知って欲しいと、相手の指を掴んで離さないように。
 どうしてそんなに全力を振り絞り歌に魂を込めるのか、僕には理解出来る。初めて見る人も、黄昏の唄声に何かが篭っていることに気付いてくれていると思う。
 必死に演奏していると、あっと言う間に2曲目が終わった。
 緊張の糸がほぐれて一息ついていると、間髪入れずに千夜さんは素早く次の曲のカウントを始める。半ば泣きそうになりながら、ピックを持つ手を握り直した。
 ラストの曲は『夜明けの鼓動』。僕が初めて作ったあの曲をバンド用に新しくアレンジしたもので、イッコーに最初に聴かせた時とは全く違うものになっている。
 コードストローク中心で、テンポもかなり速い。さっきの曲はやや語り口調気味だったけれど、この曲は本来メロディを聴かせるように作ってある。だから同じアップナンバーでも、かなり印象が異なっていた。
 この曲は作った僕よりも、黄昏やイッコーの思い入れが強い。僕としてはバンドでやることを前提にして作った訳じゃなく、知恵熱が出るほど頭を絞ってやっと出てきたメロディをつぎはぎして聴かせられる形にしたものなので、まさかステージで演奏するとは思ってもみなかった。
 正直、嬉しい。
 曲も成長して行くものなんだと僕に教えてくれた。この感動は小説には、ない。
 ますます、音楽が好きになってしまいそう。
「言わなくたって/わかってるから 夜が明ける日を/また待ち焦がれる 空が藍く染まる時を/今日も待ちわびながら 世界を救う歌を/どこまでも唄い続けている」
 黄昏が最後のフレーズを唄い終わると、僕達3人の演奏がより一層激しさを増す。ステージ中央で轟音に包まれながら、曲が終わるまで黄昏は食い入るように客席を見ていた。
 みんなとアイコンタクトを取り、最後を締める。僕はアドリブなんてできないので若干他の二人とずれていたけれど、何とかまとめることができた。
「ふぅーっ……」
 たったの3曲しかやっていないのに、足から崩れ落ちそうな位に疲れた。黄昏も全身で息を切らしていて、全身汗びっしょりになっている。
 場内が静まり返っている中、僕はライヴをやり遂げた余韻に浸っていた。
 と、そんな僕をよそに千夜さんが席を立ち、早々とステージ横に一人切り上げて行く。それを見て黄昏もマイクスタンドを元の位置に戻し、何も言わずに軽く客席に手を上げてステージを後にする。残ったのは僕とイッコーだけ。
 何か言わなきゃ、何か言わなきゃ。
 すっかり我に返ってこの状況に焦っていると、今になってようやく何も喋っていないことに気付いた。慌てて近くのマイクに向かって喋る。
「あ、えっと……デ、『days』(デイズ)でした」
 最後の最後にバンドの紹介をするのも何だかな、なんて思いながら、僕はギターのシールドを引っこ抜き、イッコーを置いて逃げるようにステージを下りた。
「勘弁してよもう……」
 袖に隠れて溜め息をついていると、突然、客席の方から拍手が起こった。小さな拍手は瞬く間に会場を包み込み、みんなの声援が飛び交う。中にはアンコールの声もあった。
 呆然と立っていると、満面の笑顔でイッコーがはしゃぎながら引き上げて来た。
「アンコールっつったって、曲ねーっつーの、なあ!?」
 ――こうして長かったようで短かった、僕達の初ライヴが終わった。


トップページへ  前のページへ  次のページへ  第1巻