→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   015.そのスピードで

「うわっ」
 強い北風が冬の街を吹き抜けて行った。道行く人達も僕と同じように顔をしかめる。街路樹が一斉に音を立て、枝に心なしか残っている木の葉を今の風がさらって行った。
 暦は12月、冷え込むにつれ外の景色もだんだんと物悲しく感じるようになっていく。
 人々のそんな想いを吹き飛ばすかのように、水海の街はクリスマス一色に包まれていた。
 街のショーウインドウはクリスマスツリーや飾り付けで彩られ、商店街はジングルベルを流し続け、すれ違う人達もどことなしか浮かれているように見える。
 今日は23日。そう言えばもうそろそろ学校も冬休みに入り、街中も昼間から若者で溢れて賑やかになるんだろう。そう言う僕も若者の一人なんだけど。
 そう言えば去年の今頃の僕は、ちょうど小説を書き終えもぬけの殻になっていた。思考回路が止まったまま、ずっと机に向かい受験勉強していたのを覚えている。
 ろくでもない思い出を頭から吹き飛ばすように、僕は携帯MDのボリュームを上げた。 
 好きな曲を聴きながら、喧騒な街中をヘッドフォンのボリュームを上げて歩くのが大好き。音漏れなんか気にしないで、耳障りにならない程度に音を大きくする。
 こうすることで、いつもならあれだけ嫌がっていた筈の街の空気も色鮮やかに変わる。
 醜く汚いものにしか見えなかった世界が愛に満ちた世界に変貌する。情熱が漲る。希望に溢れる、生きていて良かったと思える。
 音楽は、日常で疲れ果てた僕の心を満たしてくれる。
 ただ、癒されるためだけに音楽を聴いている訳じゃない。自分が前に進むための力になるように、その日の気分に合わせたMDをスロットに挿し込む。
 今の僕にとって音楽は薬みたいなもの。絶望に打ちひしがれた時に更に絶望を感じることもできるし、希望を胸に歩いている時に背中を後押ししてくれる存在にもなる。自分でギターを弾いている時は、その音に包まれ何も考えられなくなる。最高の特効薬。
 外を歩いている時に自分達の曲は聴かない。まともな音源は一つも無いけれど、練習で通しで録ったものはある。でもそうしたら自分の心に足枷をはめてしまうようで伸び伸びとできない。外へ出かけている時位、ノルマを持たずに気楽に歩いていたい。
 音楽を聴きながら街を歩いていると不意に泣きたくなる時がある。
 どうしようもなく世界が素晴らしく見える時がある。
 もしかするとその時に見える色が世界の本当の色で、普段は気付いてないだけなんじゃないかって。生きている内に目のガラスが曇ってしまい、いろんな素晴らしいものを見落としてるんじゃないかって。
 それに気付かせてくれる、音楽は。
 『音』に『楽しい』と書いて音楽。でも僕は、そんな気持ちで音楽をやってもないし聴いてもいない。「音楽は楽しければいい」なんて簡単に言ってる人を、僕は信用できない。
 曲が出来た時にはとても胸がすっとして気分が楽になるけれど、それまで悩みまくっている時は楽しいのかどうかなんて自分じゃ判断がつかない。多分その時は負の感情しかない気がする。技量の無さとか、出てきたものとイメージの違いに対する絶望とか嘆きとか。
 聴いている立場に立っても、泣いたり感動したりすることはあってもそれを楽しいと言えるかどうかは悩む。
 『音楽に救われた』なんて一日10回位思っちゃう僕だけど、楽しいと感じたことはあまりない。それよりは「最高!」だと思う。
 何が一番で、自分が一番だとかそう言うのはどうでもよく、ただただ『最高』。いろんな曲を聴き比べて優越をつけるだなんてくだらな過ぎる真似はしない。音楽に身を委ねているその瞬間が最高なら、それでいいんじゃない?
 そんな最高の瞬間を自分で生み出したくて、曲を創る。
 そう感じる時には必ず、「生きてて良かった」って心底思えるから。
 こうして街中を歩きながら音楽を聴くのも、そんな瞬間をたくさん味わいたいから。
 それが絶望だろうが、希望だろうが。
 そのどちらも、生きている自分に直結している。望みが無いと人は生きて行けないから。
 日常の景色が変わる瞬間をもっと見てみたい。
 音楽の放つ光に曝されていたい。
 そうやって初めて、僕は前に歩ける気がするんだ。
「間に合うかな……?」
 歩きながらジャンパーの内ポケットから携帯を取り出し、時刻を確認する。駅前南口の大時計の下で13時に待ち合わせだから、逆算して5分位のタイムロス。途中、銀行のATMでお金を引き出していたらちょっと遅れた。
 いつもなら電車で水海に来るから駅を出て大時計まですぐなんだけど、昨日の夜はバイトが終わった後に黄昏の家に直行して昼前までいたから、東通り商店街を抜け駅前まで徒歩。さすがに年末だからか、いつもの二倍は通行人の数が増えていた。
 百貨店前の赤信号で待っていると、突然MDの音が止まった。リモコンを摘んで再生ボタンを押してみるけれど、曲が流れない。覗き込んでみるとどうやら電池切れらしかった。
 黄昏の家で充電しておけばよかったなんて思いながら、ヘッドフォンを鞄にしまう。待ち合わせ場所はすぐそこだからまあいいか、と無理矢理自分に納得させているとちょうど信号が青に変わったので、先陣を切るように横断歩道に飛び出した。
「おーい、こっちこっち」
 大時計の見える所までやって来ると、その下でこっちに向かい手を振っている黒の逆立ち髪を見つけた。イッコーは背が高いから、待ち合わせの時非常に見つけ易い。
 いつもより大勢の人でごった返している石畳の広場をくぐり抜けてそばまで行くと、イッコーの隣で話していた青年3人組が会釈をし、去って行った。
「じゃーなー、また来年なー」
 イッコーが手を振ると彼らも大きく手を振り返す。どうやら知り合いみたい。
「今の人達は?」
「学校のダチ。たまたまばったり会ったからちょっと話してたん」
「ふーん」
 そう言えば、イッコーは学生なんだっけ。学校に友達がいても勿論当然なんだけど、ちょっと意外に思えてしまった。楽器を持っている時のイメージが強いせいか。
 僕も去年までは高校生だったけれど、その時の友達なんて卒業してから一度も会っていない。家から大分離れた高校だったせいもあって、近場に住んでいる友達は一人もいなかったのもある。けれどそれ以前に、学年が変わる一年ごとに友達も総とっ替えみたいな感じで、対人関係も希薄な所があったから。
 あの頃の友達は今頃何をしているんだろう。みんな充実した毎日を送っているんだろうか?それともかつての僕と同じようにただ日常に流されているだけなんだろうか?
「どーすっか?先に済ませちまう?それとも飯食う?」
 そんなことをぼんやりと考えていると、イッコーが僕に訊いてきた。
「そーだね……今朝から何も食べてないから、どこかでご飯食べよっか」
「んじゃ、カツ丼でも食う?ちょっち離れてっけど、美味いとこ知ってんだ」
「いいよ、今日は特に急いでないから。僕の用件は楽器屋だけだし」
「そーなん?おれも今日は店の手伝いしなくていーから特別用事ねーし、じゃあ店寄った後でもそのへん散策してみっか。いろいろ見たいもんあるし」
「そうだね」
 あっさり決め、僕達はカツ丼屋に向かう為地下街の入口を降りて行った。
 水海には駅構内を中心として、結構大規模な地下街がある。3つの百貨店ともそれぞれ地下で繋がっていて、地下鉄も通っているから道行く人の数は地上とそれほど変わらない。西はビジネス街、東は東通り商店街の手前まで伸びていて、長さは相当のもの。
 僕達は企業のテナントがたくさん入っている駅西側のビル方面へと歩いて行く。賑やかかな東方面に比べるとこちらは多少静かだけれど、ビジネスマン相手の飯屋さんがたくさんあってなかなか侮れない。2、3年前にこちら側にも新しい地下街が出来てそちらと連結していることもあり、中継地のここに結構穴場の店があるという(イッコー調べ)。
 ふと頭に浮かんだ単純な疑問をぶつけてみた。
「イッコーって、外で中華料理のお店に入ったりするの?」
「するよそりゃー」
 何言ってんだとばかりに笑って返して来る。
「第一ウチのおんなじもんばっか食っててもしょーがねーだろ?だから時々うまそーな店に寄ったりするぜ。こー見えてもおれ料理できっから、よかったら味盗んできたりして」
「へーっ」
 意外だったけれど、よくよく考えてみれば当たり前か。でも、僕達が『龍風』に寄る時は大体イッコーはフロアに出て注文を取っているので、料理の腕は定かではない。今度一回食べさせて貰おう。結構美味しいかも知れない。
「んでも、ウチよりうめー店なんてそーそーねーけどな」
 少しにやけながらイッコーは自慢気に鼻を鳴らした。僕も店の味は保証済み。
 地下に降り10分くらい歩くと、小さなカツ丼屋に到着した。チェーン店なのか結構外観がさっぱりしている。聞いたことのない店の名前なのが少し引っ掛かったけれど。
「ここここ。チーズ乗ってんのがうまいんだわ。トマトのもいけるぜ」
 店の外にもメニューが写真付きで飾られてあり、意外な組み合わせのトッピングが多かったけれどなかなか美味しそうな感じがした。値段も手頃で良心的。
 自動ドアをくぐり抜け中に入ると、カウンターに立つ女性の店員さんからはきはきとした声が飛んで来て気分が良かった。僕達は壁際に並ぶ向かい合わせの2人用のテーブルを選んで座る。ちょうどお昼時だけど、思ったよりもお客さんの数は少なかった。ここのちょうど真上にはビジネスビルが建っているから、平日の方が混むのかも知れない。
 女性の店員さんが注文を取りに来たので、僕はチーズの定食、イッコーはチーズトマトの大盛を頼んだ。細目だけれど印象が良く、つい見惚れているとイッコーに笑われた。
 他愛の無い話をしながら待っていると、少しして料理がやってきた。ちょっと変わっていて、ここのカツ丼はカツとご飯が別皿になっている。壁に掛かっている注意書きを見ると、好きなように食べて、と言うことらしい。
 何となく、イッコーがこの店を気にいる理由が分かる気がした。
「いただきまっす」
 僕が箸をつけようとすると、イッコーが食事の前にちゃんと手を合わせた。料理屋に生まれているからか、意外とこう言う所は律儀だったりする。そのまま見ていると、そこからスイッチが切り替わったように猛烈な勢いで食らい始めた。この辺は外見通り。
 ちゃんと僕もおじぎをしてから食べ始める。味付けがやや濃く、つゆの味がカツにいい具合にマッチしている。カツは鉄鍋に乗っているから熱が逃げないでほくほく。
「あ」
「どしたん?」
 しばらく夢中になって食べていると、聞こうと思っていたけれど忘れていたことを思い出した。箸を止めて、水で口の中の物を全部流し込む。
「そういえばイッコーって、もうすぐ卒業じゃなかったっけ」
「違う違う、来年高3。まー、見かけより年食ってるってよく言われっけどよー」
 あんまり嬉しくない顔でイッコーは丼をがっつく。
 忘れていたけれど、僕より2歳下なんだった。接し方の態度から、どう見ても同い年にしか見えない。その分こちらも気兼ね無しに話せていいんだけど。
「どうするの?やっぱり受験する?」
「あーおれ?おれはしねーよ。ハナっから眼中にねーし」
 全く興味が無いのか、僕の質問をさらりと流した。普通、誰でも進学に関して悩むものだと思っていたからちょっと意外。
 イッコーは手に持つ丼を置き、口の周りを拭った。
「高校だって行く行かないで結構もめたかんなー。ほら、ちょーど前のバンドやってた時期だからよ。そん時おれ、もう音楽一本で行こう!って決めてたから。全然勉強してなかったし。確か受験の前あたりに『staygold』に誘われて入ったんだ。だからもーオヤジたちと毎晩大ゲンカよ。家出ようってマジ考えたかんね、あん時」
 にべもなく笑ってイッコーは言うけれど、実際はかなり大事だったんだと思う。
 けれどそんなにも前から、音楽で食べて行こうなんて思っていたのにはびっくりした。確かに、それくらいの意志が無いと人気バンドのヴォーカルなんて務まらないのかも。
「でもほら、やっぱ食わせてもらってるわけだしさ、オヤジたちは一応高校までは行けっていうから、高校通うんと交換条件にバンドやってもいいってなったわけさ。オヤジ、リーダーんとこにまで殴りこみにいってたかんなー。いやー、今思えば悪いことしたわ」
 逆立てた頭を撫でながら、イッコーは恥ずかしそうに昔を振り返っていた。
 僕には小中高なんていい思い出が一つも無かったから、目の前のイッコーが羨ましい。起伏の無い人生を送って来た僕の何倍も、密度の濃い日々を過ごして来たんじゃないだろうか。
「もち、勉強してねーから近くの頭悪い公立なんだけど。でも結構おもしろいやつがたくさんそろってて、行って正解だったなーって思うけどね。『staygold』は去年の10月――一年ほど前か、解散しちまったけど。でも今じゃすっかりオヤジたちと仲いーし、もう両親さまさま、マジ感謝ってかんじよ」
 いい笑顔でそう締め括ると、イッコーは再び丼と格闘し始めた。
 僕がイッコーと同じ位芯のある強さを持っていたなら、きっとたくさんいろんなことを経験出来ていたと思う。こんなにも自分と他人を照らし合わせ、劣等感を感じることなんて無かったかも知れない。そうしたらもっと楽しい日々を送れていたかも――
 いや、どれだけ嘆いたってここまで来てしまったものは仕方無い。うだうだとやり直せない過去を振り返るより、前を向いて行こう。何もかも引きずったまま、しっかり前を見据え足を踏み締めて行く。絶望はいくらだってできるけれど、それだけじゃ何も生まれないのは痛いほど解っているんだ。
 だからいつの日か、歩んで来た過去も誇りに思えるように、日々を歩いて行こう。
 そんな想いを込め、僕はバンドに『days』(日々)と名付けたんだから。 
 感傷的な気分で食べるご飯はどことなく美味しい。冷めつつある味噌汁を口に含むと、じんわりと味が広がっていった。
「おねーさーん、おかわりー!!普通のやつ、大盛りでねー」
 ゆっくりとご飯を噛み締めていると、あっと言う間にイッコーが食べ終わり二杯目を注文した。椅子からずり落ちる僕を見て得意気に微笑み返す。
 見た目の体格通りよく食べるなあ。お金は大丈夫なのかな?
「それ食っていい?」
「駄目」
 僕の冷奴に目をつけたイッコーのお願いをぴしゃりと断る。二杯目がやって来るまで箸を何度も伸ばして来るイッコーから、僕は懸命に自分の食事を死守する。
 そんな僕達のやりとりを見ていた店員さんが、新しいトレイを手に目を丸くしていた。
「ま、どこ行ったって、それが自分の選んだ道ならいーんじゃねー?」
 新しい割り箸を備え付けの箱から取り出しながら、恥ずかしさを紛らわすようにイッコーは言った。そして早速ご飯を口に掻き込む。見ているこっちがお腹一杯になりそう。
 でも、本当にイッコーの言う通りかも知れないな。
 まだ、僕の心の中には迷いがある。
 このまま進んで行っていいのか、それとも受験勉強をして大学を目指すのか。
 両親はまだ僕に選択肢を残してくれている。心の内はかなり固まっていると言っても、そのことがいつも頭のどこかに引っ掛かって仕方無かった。
 ただ僕がどの道を進もうと、後悔だけは絶対にしたくない。自分の力で道を選んで行くことで過去の自分も報われると思うし、僕の生きた証をこの現実に刻み付けていけるはず。
 真っ直ぐなイッコーの心に触れたおかげで、少し勇気づけられた。
「イッコーは、ずっと音楽続けて行くつもりなんだ?」
 食事を続けながら僕が何気なく尋ねてみると、イッコーはぴたと箸を掴む手を止めた。
「つもりなんだっておめー、おれたち同じバンドじゃねーか」
 よくよく考えれば、バンドの仲間にする質問じゃない。内心舌を出し反省していると、イッコーはずいと身を乗り出し僕に顔を近づけて来た。
「それともなにか?最初っからその気がなくておれを誘ったんか?」
「違う違う、そう言うつもりで言ったんじゃないんだけど」
 誤解されちゃたまらないから慌てて弁解する。
「実際の所、どこまで行けるかなんて全然見えないし。逆にそれが不安でもあるんだ」
 音楽をやろうと思い始めた時から不安はずっと付き纏っている。黄昏がそばにいるだけで十分心は和らぐけれど、僕自身がどれだけやれるのかなんて全く見えない。
 現実に打ちのめされる日がいつやって来るのかと考えると、心拍数が早まる。
 限界を思い知らされる時が僕の終わり。
 崖っぷちに常に立たされているような切迫感が、いつも胸の中にあった。
「んー。でもそんなん神さまにしかわかんねーしなー。深く考えすぎなんじゃねー?」
「だと思うんだけどね……」
 そんな年中悩んでいる僕をよそに、イッコーはあっけらかんと言った。
 本当は、考えるだけ無駄なんだと思う。でも僕はイッコーみたいにずっと音楽と触れ合っていた訳じゃない。もっとたくさんの経験ができれば、僕もゆったり構えられるのかな。
「とりあえずおれは、おめーらが自分からやめようって言わねー限りついていくことに決めてっから」
「ぶふ」
 イッコーの突然の発言に、口の中のご飯を吹き出しそうになった。
 涙目になりながら懸命に堪えているとイッコーが水を差し出してくれたので、ひったくるようにグラスを取って喉に流し込む。何とか助かった。肩で息をする僕を見て、イッコーはゲラゲラ大笑いしていた。
 嬉しいけれど、そこまで思っているとは予想外でした。
「まー正直たそと千夜の仲の悪さだけはどーにかしてほしーけどな。あれさえなきゃほんっと言うことねーから。うまくまとめてくれな、青空ちゃん」
「む、無茶言わないでよ」
 僕に振られたって、あの2人はどうしようもない。
 『days』がライヴを初めて行った日から一月半過ぎ。練習のインターバルはそのままに、今日まで4回、水海一円のライヴハウスで行われた週末のイベントに出させて貰っていた。イッコーの提案で、スタートしたばかりの今は顔見せみたいな感じでいろんなバンドと対バンしている。今年の『days』の活動は先週で終わっていて、来年の頭から本腰を入れて活動して行こうと言うことで意見が一致した。
 お客の反応とかはイベントによって入りも違うから何とも言えないけれど、僕は徐々に落ち着いて演奏できるようになっていた。それでも他の3人と大きく差があるのは当然で、ライヴが終わった後に落ち込むのはいつも。
 それは横に置いておくとして、黄昏と千夜さんにはずっと頭を悩ませている。
 曲を合わせている時は集中しているから問題無いけれど(むしろいい感じ)、ライヴ前とライヴ後には必ずと言っていいほど喧嘩している。
 黄昏はなるべく無視するように心掛けているらしい。でも、千夜さんの厳しい一言がきっかけでついつい噛みついてしまう。千夜さんもそんなつもりは無いと言うけれど、自覚していない上に一向に直そうという気配が無いから、黄昏を怒らせる結果になってばかり。
 仕方無いから、出来るだけ二人が鉢合わせにならないような状況を僕達が作り上ようとするものの、何とも言い難い。このままだと演奏に飛び火してしまう可能性もある。
「僕だって頭抱えてるんだから、もーっ……」
 正直な話、自分のこと以上に頭を悩ませていた。
「や、別にくっつけろって言ってるわけじゃねーんよ」
「……全然絵が思い浮かばない……」
「おれも」
 無理矢理頭を捻り、2人が肩を並べ歩いている光景を思い浮かべてみても、知恵熱しか出て来なかった。
「でもなー、マジメな話、千夜のドラムはおれたちのバンドに必要だってことがわかってきたしさ、あまりに仲悪すぎて辞められたら問題じゃねえ?もともとあいつ他のバンドと掛け持ちしてやってんだし、このままずーっとやるとも思えねーしなー」
「うーん……」
 イッコーの言うことももっともで、千夜さんが抜けてしまったらその先が見えない。掛け持ちで叩いて貰っているけれど、僕達の中では正式メンバーと言っていい。
 あっと言う間に丼の中身を平らげたイッコーの話に耳を傾けながら、箸を運ぶ。
「千夜のやつ、謎が多過ぎてわかんねーことだらけなんよ。前にも言ったと思うけど、ライヴハウスで見るようになったのは一年?二年かな?そんくらい前で、今みたいな黒づくめじゃないけど、いっつも正装して叩いてたんは知ってる。その時から今でもずっと組んでるバンドのやつらに聞いてみたんだけど、最初はすげーいいやつだったらしーぜ。ちょうど今年の春かな?受験が終わって高校生になってからがらっと雰囲気が変わって、今みたくなっちまって。そっからはもー青空の知ってる通りよ」
 周囲の環境が変わると、自分も変えたくなるその気持ちは何となく解る。僕だって中学に入ってからガキ大将じゃなくなったから。
「それになにより、あいつが一体何考えて叩いてんのかっつーものわっかんねーんだよなー。バンドで飯食ってこーなんて考えてるふうには全然見えねーし」
 僕もそれは薄々感じていた。普通、あそこまで貪欲ならプロを目指すんだと思うけれど、本人にはその気が無いんじゃないのかな。それよりもっと別な意識を持って音楽に取り組んでいることは一緒にやっていて何となく理解できた。
「そもそも千夜さんって、どんな音楽をやりたいとかってないんじゃないのかな?」
「うん?」
 首を傾げるイッコーに、僕の考えを言ってみた。
「目的を持って叩いてるみたいに感じないんだよね。他にいないくらいストイックに音楽を追求してるのは分かるんだけど……どんなドラムを叩きたい、とかそう言うのじゃなくて、ただひたすら巧くなりたい、みたいな。ん、それも違うかな……?」
 ニュアンスが違う感じがしたから言葉を選び直し、改めて考えを口にする。
「凄い刹那的というか……ドラムを叩いてるその瞬間瞬間に命を賭けてるような感じ。そう言う意味じゃ黄昏と似ていると思うんだけれど」
「まー、言わんとしてることはわかる」
 どうやらイッコーも僕と同じことを感じていたみたい。
 だからこそ、千夜さんのドラムは僕の心を直接叩いているみたいに胸に響く。ただそこに、喜びや笑い声は聞こえて来ない。僕だけかも知れないけれど、彼女のドラムにはどん詰まりなイメージがあった。
 精神的に抜け出せない。
 黄昏が切羽詰まっているとするなら、千夜さんは悲鳴を上げているような感じ。そんなマイナスのイメージが強い中でも曲が暗くならないのは、イッコーのおかげとも言えた。
「んー。そりゃそうと、ずっと千夜をキープしておけるかって考えるのはやめといたほうがいいかもな。おれはあいつと一緒にやってて――すごく張り合いがいがあるし、すんげー楽しーけどよ、このままうまくやってけんのかって言ったら、自信ねーぜ。ま、最初っから仲良しバンドでやってくつもりなんてねーんだけどなー」
 イッコーが放り投げるように、ぶっきらぼうに言った。
「でも、こうやって僕と一緒にご飯食べてるじゃない」
「そりゃまー、ダチみたいなもんだからねー」
 ――さらっと言ったイッコーの一言が、心の鐘を打ち鳴らした。
 胸の中でじんわりと、温かいものが広がって行く。
 面と向かって友達なんて言葉を言われたのは一体何年振りだろう?
 正直、嬉しい。
 僕が音楽を始めたのには、一人じゃないからと言う理由もあった。
 小説を書いている時はとても心が充実していたけれど、ずっと孤独で寂しかった。自分をひたすら掘り下げて行く作業には、助けてくれる相手がいない。
 苦痛を和らげてくれる人が隣にいて欲しかった。
 喜びを分かち合える人がそばにいて欲しかった。
 でも、バンドだと仲間がいる。ライヴを観に来てくれるお客さんがいる。
 僕は心の中で、音楽仲間というのを飛び越えたトモダチを欲しがっていたんだと思う。だから黄昏と一緒にやろうって決めたんだ。
 僕はただ、ふれあいが欲しかったんだ。
「もしなんかの拍子にバンド解散したって、あんたとは楽しくつきあえそーな気がすっし」
 縁起のいい話じゃないけれど、僕も同感。イッコーと話しているととても楽しい。
「たそなんて見てるだけでおもしれーかんなー。探してもいねーぜ、あんなやつ」
「まあね」
 笑顔で喋るイッコーの顔をまともに見れない僕は、嬉しさを悟られないように落ち着いた素振りで相槌を打った。
 自分の存在意義を探すためだけじゃない。自分の生きた証をこの世に刻み付けるためだけじゃない。他人とのふれあいを感じたい。そんな気持ちを、今になって気付かされた。 
 今日はやけにご飯が美味しい。すっかり冷めていたけれど、こんなに美味しいご飯を食べたのは初めてのように思えた。
「そういやずっと聞きてーと思ってたことが一つあるんだけど」
 僕がようやく全部食べ終わると、人差し指を立てイッコーが神妙な顔で訊いてきた。
「何?」
「たそがもし、ステージで唄うのやめたら青空どーする?」
 あまりに突然の質問で、思考回路が止まった。
「……考えたこと、ないや」
 口から出た言葉は嘘じゃない。
 黄昏が自分から唄うことをやめて部屋に閉じ篭るなんてありえない。2年間も唄を聞いてくれる相手もいないで、あれだけたくさんの歌を唄い続けて来た、その苦しみは黄昏本人が一番良く知っているはずだから。ようやくあそこから抜け出せたのに自分からまた戻ってしまうなんてこと、冗談でも一度も考えたことがなかった。
 それ以上に、僕は黄昏を信じているから。
 黄昏と一緒に見上げた夜空の月をはっきりと覚えているから。
「そんな日は来ないと信じてるけどね、僕は」
 湧き上がって来た不安を振り払おうと、自分に言い聞かせるように強く言った。だけど胸のもやもやは急速に広がり出し始め、様々な想像が浮かんでは消える。
 もし、黄昏が暗闇の部屋に戻ってしまったらどうしよう?イッコーはついて行くって言ってくれたけれど、傍にいなくなったらどうしよう?千夜さんがバンドを抜けてしまったら一体どうなるんだろう?僕が拠り所にしている自分の感性が廃れてしまったなら?
「じゃ、そろそろ出っか。ごっそさーん!!」
 店内に響き渡るイッコーの声のおかげで、ようやく我に返った。体からじっとりと嫌な汗が流れている。心を落ち着かせようと残っていたグラスの水を一気に飲み干すと、すうっと体が軽くなる。僕もごちそうさまを言い、レジで勘定を済ませた。
「っあー、食った食った」
 外に出ると途端に眠気が襲って来る。うんと背伸びをして眠気を覚ましていると、横でイッコーも満足気に膨れたお腹をさすりながら大きくあくびをした。
 僕もつられて長いあくびをしたら、さっきの不安も一緒に吹き飛んで行った。


トップページへ  前のページへ  次のページへ  第1巻