→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   016.水海サディスティック

 地上に出ると、冬の柔らかい光が飛び込んで来て目を覆った。風は強いけれど今日は快晴と言っても良く、雲一つ見えない空はほんのりと白く輝いている。
 今年は例年よりも比較的温かかったせいか、ちっとも雪の降る様子を見せない。今年はもう雪を見ることはなさそうで、ちょっと残念。
 僕達は今、イッコーのオススメの楽器屋に向かっている。水海名物の駅前のそばにある、赤い観覧車が屋上から生えた若者向けのアミューズメントビルから少し離れた裏通りにあるらしい。ここから歩いて約10分ほど。
「でも、本当に黄昏連れて来なくてよかったの?」
 いつもより人通りの多い歩道をすり抜けながら、先を行くイッコーに尋ねた。黄昏は今頃、家でぐっすり眠りについているはず。
「いーんだって。たそと一緒だったらオメー、絶対黄昏の気に入った音の出るギターを買おうとすんだろ?」
「うん」
 すんなり僕が頷くと、イッコーは足を止めがっくりとうなだれた。こっちを振り向いてすぐさま強い調子で言い返して来る。
「そーれがダメなんだわ。楽器ってのは、弾く本人が気に入ったもんを選ばなくちゃいけねーんだって。そこを変に譲っちまうと、自分の気持ちに嘘ついちまうことになるから。自分が欲しいと思った音が出せない楽器なんて、絶対足引っ張るだけだわ。他人に合わせようと思って妥協してさ、そん時はそれでいーと思ってても、後になって後悔するのはもー目に見えてんだから。とゆーのがおれの持論」
「そう言うものなの?」
 今まで自分で楽器を選んだことが無いから何とも言えない。普段使っているのは全て借り物だし、音が出るだけで僕は十分満足していた。
 でもずっと叔父さんやイッコーに借りっ放しな訳にはいかないから、叔父さんのスタジオでバイトをして稼いだお金でまずは一本、ギターを買うことに決めた。
 今日わざわざイッコーについて来て貰ったのも、自分じゃ全然ギターのことは解らないから。チューニングとかスケールとか弦の張り方とか演奏に基本的なことはかなり理解出来て来たものの、ギターそのものについては正直な所解りません。ごめんなさい。
 音色についても今はまだ深く考えていない。僕にとっては失敗せずに最後までしっかりと演奏することの方が重要で、とりあえず今は借り物のエフェクターで気に入った音色を鳴らしているだけ。
 とは言っても大好きなアーティストの音を自分でも奏でてみたいと思う気持ちもあるから、今日こうしてそんな音の出る楽器を探しに行くのだった。
 イッコーは溜め息一つつき、僕と歩幅を合わせ歩き始めた。
「そりゃそーだろ。しっくりこないままずーっとやってたら、最初に欲しがってた音さえいつか忘れちまうと思うぜおれは。そしたらどんなに上手くやったって、いいものなんてできっこねーし。それにさ、正直やってて楽しくねーだろそんなの」
 なるほど。
「つーわけで、今日はたそ抜き。なーに、だいじょーぶだって。自分の感性に一番フィットするもんを探せばいーだけだかんな。ま、財布の中と相談してっつーのもあるけど。でもまー、おめーはまだそんなに音にこだわりなんて持ってねーと思うから、どれが好きか嫌いかで判断すりゃいーんじゃない?で、今日は何買うん?アコギ?」
 尋ねて来るイッコーにとりあえず自分の考えを説明してみる。 
「うーん、まずはエレキ。本当はアコギがいいんだけど、ライヴをやること考えたらそっちの方が融通効くしね。エレキ、エレアコ、アコギって3本あればベストなんだろうけど、一辺に全部買い揃えられるほどお金も溜まってないから。エレアコを使うような曲は今の所作ってないから後回し。今使ってるギターは叔父さんの借り物だから、自分のギターが欲しいとずっと思ってたんだ」
 自分としてはちゃんと考えたつもりだったけれど、イッコーは少し難しい顔を見せた。
「んー、おれはエレアコなんてあってもなくても別に構わねーと思うけどな……。部屋で練習する用だったらあれだけど、青空はスタジオで練習できんだから。それにライヴでアコギ使ったって、手前にマイク置けば十分後ろまで音届くぜ」
「あ、そっか」
 言われて初めて気付いた。てっきりライヴでアコースティックの曲を弾く時は全部エレアコなんだと勘違いしていたみたい。自宅でアコギを弾くとかなりうるさくて近所迷惑だからと考えていたけれど、仕事の始まる前とかに開いたスタジオを使わせて貰ってアコギの練習をしているから無理に買う必要はないかも。
「エフェクターも買っといた方がいっか。そっちも今のは借りもんだよな」
「うん、マルチだけどね。ライヴ用のは持ってないから、そっちの方を何個か買おうと思ってるんだ。イッコーに借りっぱなしなのも悪いし」
 エレキギターはそのまま直接アンプに繋げても十分いい音が出るけれど、エフェクターを通せば音の波形を思い通りに変えられるので、幅が広がる。叔父さんにギターを借りる時に、使い古しのを一緒に貰った。旧式だからそれほどたくさんの音色が出せる訳じゃないけれど、中々いい音が出る。ただ、今は曲数も少ないので主に練習用に、本番ではイッコーに借りた単品のエフェクターを使っている。
「んー、おれは今んとこベースしかやってねーから全然構わねーけど……そのギターに合ったエフェクターってのもあるかんな、そのほうがいいっしょ。でもまずはマルチのいいやつを買って、そっからギターに合うエフェクターを何個か買うのがいーと思うぜ」
 イッコーは気持ちのいい笑顔で助言してくれる。やっぱり詳しい人がそばにいるだけで、余計な間違いをしなくて済むし僕も気が楽になる。
 何だかこっちが弟みたい。
「ま、細かいことは向こうに着いてから考えましょー。でもおれは、たそが一番気に入るギターを選ぶような気がすっけどなおめーが」
「どうして?」
「んー、なんとなく」
 含み笑いを残し、イッコーはほんの少し歩調を速めた。
 お洒落なファッション店の並ぶ高架に沿ってしばらく歩いて行くと、やがて立ち並ぶビルの中に楽器屋の黄色い看板が見えた。
「ここ、ここ。狭いように見えっけど、このビル全部楽器屋なんだぜ」
 イッコーがその小さなビルを1階から5階までなぞるように指差した。店の前にはギターがたくさん並べられていて、いかにも本格的な感じを受ける。どうやら階ごとに取り扱っている楽器が違うようで、1階は弦楽器全般と楽譜等の書物で形成されていた。
「おれが通い出した頃はまだ小さかったんけどな。一年前くらいにリニューアルしてすっかりシャレた店になったんよ。初心者からプロまでいろんなやつが買いにくるぜ。つっても、ピアノとかそーゆーんは置いてなくてバンド野郎専門なんだけど」
 確かに素人さんお断りという感じは無く、足を運びやすい内装になっている。イッコーに続いて店の中に入ると、楽譜コーナーで僕と同年代位のショートの赤髪と長い栗髪の女の子2人が本を手に取って楽しそうに話しているのが見えた。それを横目に吹き抜けの非常口の階段を上がって行く。剥き出しのコンクリートの壁にびっしりと、メンバーの募集やライヴの宣伝のビラが貼られていた。
「確かギターは3階だったよな……と、ここ」
 3階に入ると、辺り一面ギター、ギター、ギター。広い店内が狭く感じるほど、壁にも通路にもびっしりとギターが並べられている。
 小物を買うために別の楽器屋さんに寄ったことはあるけれど、ここまで多くなかった。その光景に圧倒されて立ち尽くしていると、イッコーは先に行き通路の奥に消えた。
 この中からお気に入りの物を探し出すとなると、結構骨が折れそう。とりあえず一通りフロアを回ってみて、どんなギターがあるのか確かめる。それだけでもう十分目の保養。
 ライヴの写真やTVで見たことのある形のギターもあれば、楽器と言うよりも部屋のインテリアかと思えるほど見事なフォルムのギターもあり、値段も果てしなく高いのから手頃な値段の物まで様々。この価格の差が一体どれだけ音の違いを表しているのかはちっとも理解できないけれど、ここに自分の求めているギターが眠っているような気がした。
 一通りフロアを回り終えてイッコーと合流する。今日買うのは僕だけだけど、イッコーも食い入るようにいろんなギターを眺めていた。
「さて、どーする?」
「どうしましょう」
 素で答えると、後頭部を平手で思いっ切りすっ叩かれた。
「だって、これだけ多いと目移りしちゃうよ」
 痛む頭をさすりながら僕が言い返すと、やれやれとイッコーが肩をすくめる。
「少しくらい勉強してこいっつーの」
「曲作りと練習で精一杯なんだよーっ」
 涙目になっている僕を見て、さすがにイッコーは旋毛を巻いた。呆れ果てているのかも。
「しょーがねー、おれが解説してやっからちゃんと聞いとけよ」
「うん」
 先生と生徒の立場になってしまった。教室は楽器屋さん。
「おめー、エレキギターって一種類しかないと思ってんだろ」
「違うの?」
 出だしからがっくりとうなだれるその姿を見ていると、さすがに悪い気がしてきた。
 気を取り直してイッコーは続ける。
「あのな、ギターのフォルムってのはなにもデザインの違いだけじゃねーんよ。その形ごとに、いろいろな種類に分かれてんのな」
「で、種類毎に出る音も違ってくるんだ?」
「うむ、正解。今ので5点」
 漫才もどきを続ける僕達を店員さんや他のお客が遠くから変な目で見ているけれど、気にしないでおこう。
「どんな音を出したいかによってギターの種類ってのは変わってくっからなー。例えば千夜のドラムみたいな……バキっとしたソリッドな印象の音が欲しいと思うんならオススメはテレキャスター。バリバリ骨太、ロックンロールなかんじっつったらいーのかな……?ただ、そんなに音色のバリエーションは選べねーけど。でも、このギターでしか出せねー独特の音色ってのがあるから、結構好きこのんで使ってるやつも多いぜ。ちなみにおれが『staygold』で使っていたんも、このテレキャス」
「へーっ……」
 そう言って、イッコーは手前のスタンドに立て掛けてある一つのギターを指差した。何と言うか、外観が凄くシャープ。まさにロックンローラーが持つようなギターに思えた。
「ま、試しに一通り弾かせてもらったほうが早いか。すいませーん、ちょっとこれ試し弾きさせてくれるーっ?」
 イッコーが大声で呼ぶと、奥で僕達を見ていた男の店員さんがやって来る。選んだギターを手にし、通路の角にある試奏コーナーへ移動した。ちょっとどきどきしてくる。
 てきぱきとシールドを差し込み、まずは店員さんが試し弾き。チューニングとアンプから音が出るのを確認したら、今度はイッコーが椅子に腰掛け、僕の前で弾いてみせた。
 骨太な指が信じられないくらい素早くフレットを上下する。アンプから轟音が唸り声を上げて、同じフロアにいたお客さん達が一斉にイッコーの方を振り返った。
 そのまま30秒ほど即興のリフを響かせる。いつもベースを弾いているから忘れがちになるけれど、イッコーは僕が手の届かないくらいギターが巧い。曲を作る時に僕もギターを手にリフを一緒に考えたりするけれど、目の前で演奏される度にイッコーが弾けばいいのにと思っていつもへこんでしまう。店員さんも目を丸くしてイッコーの演奏を見ていた。
 最後に弦を掌で押さえ残響音をカットして、イッコーは白い歯を見せた。
「こんなかんじ。メロディを聴かせるっつーより、カッティングでガツガツ押してくかんじ?激しい曲に向いてるわな。ほら、やってみ」
 恥をかかせる気ですか僕に。
 内心泣きながら交代して、僕もいつも弾いているリフを刻んでみる。いつもより僕の背中が丸くなっていたのは言うまでもない。
 とりあえず今のギターを保留しておき、僕達は次に目に付く物を探した。
「ねえ、今僕が使っている叔父さんのギターはどのタイプ?」
「……おめー、ほんっとになんにも知らんで弾いてたのな」
「それほどでも」
「別にほめてねーけど……」
 怒りを通り越し呆れ果てているのか、イッコーは溜め息すら出ないみたい。
 さっきのギターの置かれていた場所とは対角線の位置にやって来て、解説の続きに入る。
「おめーの使ってんのはレスポール。銘柄なんて説明したっておめーにゃわからねーと思うから省略すっけど、テレキャスと違って太く、甘い感じの音色が出るのな」
「そう言えば叔父さんがそんなこと言ってたような気もする……」
 どうやら僕の頭は、興味のある物以外に関しては全然使われていないらしい。それはともかく、単音でも綺麗な音が出るなあと言うのがレスポールの最初の印象で、『貝殻』のオープニングのリフもこれならアコギに負けないくらいいい音が出るからと思って考えた。
「ほら、これ。同じ形だろ?」
 イッコーが指差した壁に掛けてあるそのギターは色が茶色だったけれど、確かに同系列。
「60万……?」
 そのままその下についてある値段表に目をやると、思わず仰天してしまった。固まっている僕にイッコーが止めを刺して来る。
「ああ、レスポールって全体的に高いのな。青空が店長に借りてるあれもなんだかんだ言って結構有名ものだぜ。同じくらいかそれ以上するんじゃねーかなあ」
 頭の中で何かが崩れた。
 そ、そんなに高い物を僕は何気に使ってたのか……!
 確か叔父さんは、あんまりいい物じゃないって言っていた。もしかしてずっと気付かないで僕に貸してたんだろうか。
 ――これから、あのギターはもっと大切に使おう。
 ばくばく鳴る心臓の音が耳に届いて来るくらい、僕は焦りまくっていた。
「ま、まあこれはいいや。どんな音が出るのか知ってるから。次、次」
 急かすようにイッコーの背中を押し、次のギターを探した。怖くて弾けない弾けない。
「ねえ、エレキでアコギみたいな綺麗な音色の出る奴ってないかな?」
 しばらくフロアを見歩いて落ち着いてから、小物を眺めているイッコーに質問してみた。
 好きな邦楽ロックバンドの曲で、どちらか判らないほど透き通ったギターを奏でている物がある。今までずっと疑問だったけれど、もしかするとそんなエレキが存在するのかも知れない。僕は元々エレキよりアコギの音色の方が好きだから、そんなギターがあるのなら文句無しに完璧なんだけどなあ。
 そんなことを考えていると、さらりとイッコーは返して来た。
「つーと、グレッチみてーなやつ?」
「グレッチ?」
 聞き慣れない単語が出て来て、僕は首を傾げた。
「今おめーが使ってるレスポールも結構独特な音色を出すけど、グレッチは……ロカビリーとかで使うやつで、レスポールよりもさらに堅くて太い音が出んの。つっても、他のギターと違ってジャカジャカやるってゆーより、オープンコードで聴かせるタイプだからアコギに近けーな。使いようによっちゃアコギよりも印象深い音も出せるし、おれも大好きなんだけど……いろいろ問題もあるんだわこれがまた」
 心の中で大喜びしている僕と反対に、イッコーは少し苦い顔を浮かべる。
「どんな?」
「まず値段。えっとどこだろ……あ、あった。あれ」
 店内をしばらく見回した後、見つけたのかレジ前の壁に掛かってある問題のギターを指差す。そこの値段表に書かれていた数字は――
「あれで安いほう」
「……そりゃ無理だね」
 80万。
 イッコーは他にもいくつか掛けられてあったグレッチを探し、僕の息の根を止める。中には万の単位が3桁なんて言う品物まであった。それだけあれば新品の軽自動車が買えてしまう。とても一端のバイト人間が手を出せる額じゃない。
 僕の夢は儚くも崩れ去った。
 打ちひしがれている僕の背に、イッコーが説明の続きをする。
「あとレスポールと同じで音色がほとんど決まってるっつーこと、ハウリングに超弱えーこと、弦が簡単に切れちまうことっつーのがあるわな」
「何だかそれじゃダメギターに聞こえちゃうんだけど」
 それだったらわざわざグレッチじゃなくったって、アコギで十分のような気がする。白い目を向けているとイッコーは鼻息荒く僕に顔を近づけ、強い口調で言った。
「それでもやっぱグレッチは特別よ。ギタリストだったら誰もが一度は欲しいって思う憧れのギターだかんな。グレッチの音ってのは他のギターじゃぜってー鳴らせねーし。言いかえれば誰が弾いたって同じ音が出るっつーことだけど、使いこなせたらヴォーカル食っちまうくれーに存在感のある音色を奏でられんぜ。まー、うちにはとんでもねー強力がヴォーカリストがいっけどな」
 イッコーが熱を上げて語るくらいだから、悪い部分を差し引いたとしても十分魅力のあるギターなんだろう。僕も凄く興味を惹かれたけれど、現実味のある値段じゃなかった。もし手に入れたとしても今の僕じゃ宝の持ち腐れになるのは間違いない。
 グレッチを持って、黄昏と張り合うくらいの素晴らしいリフを奏でられたら――
 そんな夢物語を想像してしまうけれど、技量の足りない僕は素直に諦めるしかなかった。
「まあ安いやつじゃ12弦のリッケンバッカーとか他にもあっけど、素人が手を出すとまあ痛い目みるわな。それっぽい音の出るやつも安くてあったりすっけど、やっぱそれって結局『それっぽい』だけでしかねーから。まー、財布と音色が釣り合う所で決めんのもいーんじゃねー?ずっと続けてくんだったら、徐々に音色を勉強してくっつーのもあるし」
「むーっ……」
 いきなり高いのに手を出し、使いこなせないまま終わって行くなんてイメージが頭に浮かぶ。今は値段の安いギターを選び、徐々にいい物に変えて行くのが正解なのかも。
 もっと勉強しなくちゃなあ。
 まだまだ足りない自分の力を痛感して、今日も僕は落ち込んだ。
「音楽と共に死ぬ覚悟があるやつが手にするギターよ、グレッチってのは。背中にタトゥー掘るのとおんなじだわ。値段もバカ高けーし、人によっちゃ楽器っつーより美術品みてーなとこもあるかんな。マジに言って、おれはおすすめしねーよ。青空にゃ早すぎるって。もち、おれもだけど」
 イッコーは自嘲気味に笑い、グレッチに背を向けた。名残惜しいけれど、僕も頭を切り替えて実際に持てるギターを探すことにした。現実は、夢物語への第一歩。
 何周もフロアを回っていろいろ探す。全く、ここにいると金銭感覚が狂ってくる。
「そもそも、一体どーゆー音がほしーん?アーティストの名前言ってくれりゃ探すけど」
 最初からそれを言えば良いんだった。ちょっと今日は頭がどうかしてる。
「そうだね……やっぱりディガーのギターかなあ?2ndの音が一番耳に残ってて」
「あーあーあー、あれかー。まー、おれとかわんねーなー。おれは1stだけど」
 大きく首を縦に振って納得するイッコーはどことなく嬉しそう。
 組んでから知ったことだけど、イッコーは『staygold』にいる時にあの『discover』と対バンをしている。最初にそれを聞いた時にはさすがに耳を疑った。
 『discover』は一度だけツアーで来日したことがある。水海の大ホールでライヴを行ったその前日に、水海ラバーズでシークレットライヴを開催していたらしい。その時に前座を務めたのが、何と人気が加熱し始めた頃の『staygold』だったと言う。
 嘘のような本当の話。その証拠に、イッコーはその時にディガーがアンプの上に置いて行ったピックを宝物にしていつもポケットの中に忍ばせている。ラバーズのマスターにも訊いてみるとカウンターの奥に丁重に飾られている、メンバー3人の直筆サインが入っている『discover』の黒いTシャツを指差して答えてくれた。
 彼らに対バンの話を持ちかけて行ったのが他でもないイッコーで、その熱意を感じた向こうのスタッフ達がOKを出してくれたらしい。その日のことを話している時のイッコーは、純真な子供みたいに大きく目を輝かせていた。
 一番多感な時期に出会ったバンドが『discover』で、今でも目標でもあって理想なんだって。僕も曲を作る上で、彼らの音楽を大きく参考にしていた。
 だから、僕とイッコーが出会ったのもあながち偶然じゃない。
 イッコーの音楽からは『discover』の面影は見られないのは『staygold』の影響だと思う。あのバンドはロックと言うよりも健全なパンクに近かったから。描いていた物は全然違うけれど、僕は根っこの部分でイッコーに何かを感じたんだと思うし、イッコーは僕の歌詞に『discover』の匂いを感じ取ったんだと思う。
 それに何より、黄昏のあの唄声が僕達を結び付けた。
「1stと2ndって、どう違うの?」
「テレキャス使ってんのよ、1stは。だからロックでもパンク寄りっつーか……2ndはストラト。ちなみに3枚目はグレッチメインなん」
「へーっ……」
「帰ったらじっくり聴き比べてみ?違いがわかっから」
 『discover』の3枚のアルバムはMDに落としていつも持ち歩いているけれど、あいにく今日はMDの電源が切れてしまっていた。ついてない。
 家に帰るのが楽しみになりながら、イッコーの話に耳を傾けてる。
「ストラトキャスターっつーのはテレキャス、レスポールと並ぶ3大ギターの一つで、世界で一番売れてるギター。ほら、店の前に安いエレキがたくさん並べてあったろ?あれらは大体このストラトっつーのを真似て作ってんよ。それぐらい需要があるっつーこと」
 足元にずらっと並ぶストラトの列を眺めてみる。値段も手頃でいい感じ。
「他のギターと一番違う点は、このつまみ。ピックアップが3つあんじゃん?このおかげで音色のバリエーションがすげー広れーのよ。だからどんな曲にも対応しやすい。つっても汎用性があるから他のギターに劣るっつーんじゃなくて、やっぱこれでしか出ない音ってのも確実にあるから。初心者にも扱いやすいし、これが一番青空に合ってるかもな。まー、手に取って確かめてみれば?決めんのはおめーだし」
 イッコーの話を聞いていると、ストラトにだんだん興味が湧いて来た。
「じゃあさ、ディガーが使っていたギターと同じのってあるの?」
 少し興奮気味に質問してみる。それがあれば、理想の音が出せるかも知れない。
「確か置いてあったと思うけど……ちょっくら訊いてくるわ、そこで待ってな」
 餌を取りに行った主人を待つ飼い犬みたいにしばし待つ。向こうでイッコーが手招きしたので、僕は尻尾をぱたぱた振って駆け出した。
 そのギターは、他のギターに埋もれるように棚の2段目に並べられていた。
 値段は22万5千円。太陽の光を吸い込んだ海面のようにきらめく、宝石を散りばめた感じの装飾が施されている藍色のボディに、僕の目は自然と吸い込まれて行った。
「意外と安いね」
「改造してねーベースのモデルだし、2nd録音した時にゃバンド自体そんなに知名度なかったもんな。ディガーが使ってから人気出たっつーモデルだから。結構使ってるやつも多いけど、ディガーくらい使いこなせているやつなんてホントどこにもいねーよ。当の本人は改造したモデルをぜってーに公表しなかったし、どんなエフェクター使ってたかなんて死ぬまで誰にも言わなかったから」
「どうして?」
「他のやつが自分と同じ音を鳴らすなんて耐えられないからだと。外見も細工してあって、自作なのか特注なのか買ったやつを改造したのか全然わからんの。他のメンバーの2人も知らねーんだって。ディガーのこと書いてる本読めばわかっけど、死ぬ間際に持ってた楽器全部捨てちまったのかただの一本も残ってねーんだわ。もちエフェクターも一緒。あー、どっかに残ってればおれも一回マネしてみてーんだけどなー」
 藍色のギターを眺めながらイッコーが残念そうに呟いた。
 僕は彼の伝記を読んだことがないけれど、そのエピソードを聞いて凄く心を打たれた。
 自分だけの音。誰にも鳴らせない、たった一つの音。
 それでディガーは自分がこの世界にいることを示したかったんだと思う。自分にしか鳴らせない音で、人の心に自分の存在を刻み付けようとしていたんだと思う。
 その気持ちは痛いほど理解できた。僕だって――同じだから。
「イッコーの持ってるのはこれ?」
「じゃなくって、テレキャスのほうな。つっても全くおんなじじゃなくて、バージョン違いのやつだけど。まるっきり一緒にしちまうと、なんだか勝てねー気がしてさ。つってもおれもかなりいじくったから、今じゃ全然音違うんだけんど」
 そう言って照れ臭そうに鼻をさする。らしいと言えばイッコーらしい。
 でも僕は敢えて、このギターを選びたかった。
 このギターで、自分に勝ちたい。
 ディガーと同じこのギターで、どれだけの音が僕に出せるのかを知りたい。
「あの、これ弾かせて貰いますか?」
 腹を括り、店員さんに掛け合ってみる。用意してくれる間、僕は高鳴る気持ちを抑えそのギターを見守っていた。
 確認を終えた店員さんから渡されたストラトキャスターは、ずっしりと重みを感じた。正確には叔父さんのレスポールよりもやや軽い。でもそれ以上の何かが詰まっているかのように、僕の掌に絡み付いていた。
 椅子に座って、早速弦を奏でてみる。ディガーの弾いていた音とは違っていても、それに通ずる音色がアンプから勢い良く飛び出した。
 これだ。
「――決めた。これにする。」
 僕の気持ちを本当に鳴らしてくれるギターはこれしかない。一度鳴らしただけで、そんな確信に近い直感が脳裏を駆け巡った。
「おいおい、そんなにあっさり決めちまっていーのか?」
 あまりに即断すぎるんじゃないかとイッコーが目を丸くして僕の顔を覗き込んで来る。でも、僕にはもうこれしか有り得なかった。
「うん……何だか、このギターに呼ばれてる気がしたから」
「はー」
 さすがのイッコーも呆気に取られているけれど、本当に呼ばれた気がしたんだ。
 これさえあれば、自信を持って黄昏の横に立てる。みんなと一緒に曲を演れる。まるで最強の剣を手に入れたような感覚。このギターと出会うのが僕の運命のような気さえした。
「すいません、これ、ください」
 店員さんの顔を見てきっぱりと言うと、ちょっとしどろもどろしながらも準備しに奥へ引っ込んで行った。待っている間、ずっと待ち焦がれていたおもちゃに触れるように僕は夢中で弦を掻き鳴らす。ピックアップを弄ったり、いろいろな奏法で演奏してみたりして。ギターの音が僕の鼓膜を突き抜け、体の中で血液と混ざり合い流れて行くのが分かった。
 これなら手が届きそう。これなら僕もやって行けそうだ。
 自然とほころんだ顔をイッコーに向けると、僕につられ楽しそうに笑ってみせた。


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