→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   017.日常に紛れたあれふれた他愛のない特別な一日

「ほらほら、急がないと始まっちゃうよ」
「そんなに急かさなくったってイッコーの出番はまだだろ」
「頭から観たいんだ、僕」
「じゃあ先行けよ。後から行くから」
「駄目。黄昏絶対寝るから」
「……わかった、わかったって。だからそんな目を向けるなっ」
 僕が疑り深い目でじっと睨んでいると、黄昏は参った顔をしてようやく折れた。シーツを引っぺがすと少し機嫌悪そうな顔を僕に向けていたけれど、何も言わずに起き上がりベッドを降りた。冬だとさすがに寒いから、面倒臭がりの黄昏も今は寝巻き姿。
 カーテンを開けたベランダの向こうは、青い空にまだ太陽が残っている。夕方と言う時間よりちょっと早い。昨日は雲がほとんど見当たらなかったけれど、今日は普通の晴模様。
 柔らかい座布団に座って黄昏の支度を待つ。待たされるのは慣れっこになっていた。
「もう少し、朝型になろうと努力くらいしてみない?」
 着替えを始める黄昏の背中に言ってみると、頬を膨らませ言い返して来る。
「練習のない日くらい、夜まで寝てたっていいじゃないか」
「放っておいたらいくらだって黄昏寝続けるじゃない」
「昼寝するのが好きなんだよ。あと朝寝と夜寝も」
「そんな赤ん坊みたいなこと言ってるといつか化石になっちゃうよ」
「シーラカンスになりたい」
 訳の解らない受け答えをする黄昏。相変わらず減らず口が多い。でもそのやり取りが楽しいのが分かっていて、僕も言葉を投げかける。
 バンドを始めてから黄昏の生活サイクルも随分変わって来た。正しく言えば、僕が変えている。食生活も変えるように言い、いつも同じ物を食べてばかりいないようにしていたり、溜まっているゴミを出させたり、床に埃が積もる前に掃除をさせたり、簡単で栄養のある料理を教えてあげたりした。
 最初の頃は嫌々やっていたけれど、黄昏も徐々に能動的になって来た。と言ってもずっと見ていないとすぐにさぼろうとするので、その時は注意する。僕の言うことをすんなりと黄昏は聞くので、それほど手間をかけさせない。
 再会した時から半年近く経った今は、生気が抜けたように悪かった顔色も良くなり、すっかり張りとツヤが戻った。本人もそれを実感しているようで、常に付き纏っていた気だるさが抜け、体が軽くなったと言っている。機械も人間も同じで、きちんとメンテナンスをしてないとだんだん錆び付いていくもの。
「青空」
 一通り着替えを済ませた黄昏が僕の名前を呼び、もう一つの座布団を用意してベッドの横で正座した。僕は肩を竦め、ベッドの上に乗ると黄昏の頭に櫛を入れ始める。
 黄昏は自分じゃ髪の毛のことなんてそれほど気にしていないみたいで、多少乱れていてもお構い無く外に出てしまう所があるから、用事で出かける時はこうして出発前に僕が黄昏の髪を整える役割になっていた。以前僕が髪を切ってあげたことにすっかり気を良くしたのか、櫛と髪止めゴムを手に僕にせがんでくる。どうやら頭を触られるのが好きになったみたい。
 僕も黄昏の髪をまとめているのは楽しい。髪の毛が細く柔らかいし、脂性でもないから触ると気持ち良い。何となく女の子がお人形の手入れを楽しむ気持ちが分かる気がした。でも前にやり過ぎて女の子みたいにツインテールにしたら、物凄く怒られた。反省。
「はい、できたよ」
 後ろの長い髪の毛を頭の旋毛部分でまとめ、前の部分を整髪料で花のように軽く全方向に流す。癖はあるけれど頑固じゃないから、とても手入れし易い。洗面所に向かい鏡を覗き込むと、黄昏が細い目を向けて僕に一言。
「おまえ、遊んでないか……?」
 僕は笑いを堪えながら首を横に振った。言ってみればポニーテールと大差無い髪型で、男物の服さえ着なければ遠目からだと女性に見える。化粧をさせてみると面白いかも。
 いろいろ想像を巡らせにやけていると、黄昏が間近で僕を下から見上げてきた。しばらくそのまま無言で僕の目をじっと見ていたけれど、何も言わずに目を離した。
「行くぞ」
 さっきとはうって変わっててきぱきと家の電気を消し、上着を羽織ると靴を履きに玄関に出る。少し怒った黄昏のそんな姿も見ていて楽しかった。
 黄昏の家を出て早速ラバーズへ向かう。通り道の商店街はクリスマスと言うこともあってか、人でごった返していた。催し物でサンタの格好をした商店街の人が道行く人に色付きのロウソクを配っていたり、パン屋やケーキ屋の前に露店を出しクリスマスケーキを販売していたりと、お祭りムード一色に包まれている。
「人多過ぎ」
 黄昏はうんざりした顔を見せ、僕の後ろをついて来ている。もみくちゃにされるのが大嫌いなせいで、あれだけ良かった顔色が早くも悪くなっていた。
 バンドを組むようになってから僕も黄昏も、少しずつライヴハウスに足を運ぶ機会が多くなって来たとは言え、黄昏はいつも決まって客席最後方からステージを観ている。おしくらまんじゅうで汗まみれになるのが嫌らしい。僕が前に行こうと誘ってみてもいつも頑なに拒むから相当嫌なんだろう。
「ふー」
 商店街を抜けるだけで普段の倍近く時間がかかった。振り返ってみると、黄昏がいない。どうやら人混みに完全に呑み込まれてしまったみたい。
 しばらく待っていると、大きく息を切らした黄昏がよろめきながら人混みから出てきた。
「なあ、帰っていいか?」
 ちょっと可哀想に思えてきた。
「駄目。……でも、この調子だと東通り商店街も人多そうだから、大通りの方へ行こう。裏道でもいいけど迷っている時間も勿体無いし」
 このまま人波に何度も流されていると怒って本当に帰ってしまう気がしたので、東通り商店街と平行するここから少し離れた駅前に続く大通りに出ることにした。そっちも人が多そうだけれど、このまま商店街を突き抜けて行くよりはマシだろう。
 黄昏の手を引っ張ると、渋々僕の後ろを歩き始めた。
 ふと、道行く途中で浮かんだ疑問を黄昏に訊いてみる。
「ねえ、黄昏は去年クリスマスはどうしてたの?」
「覚えてない。知らない間に年が明けてたし」
「…………」
 そこまで酷いとは思わなかった。
「じゃあ、帰りにでもケーキでも買う?一人暮らししてから、ちゃんとクリスマス迎えてないんでしょ?」 
「クリスマス嫌い」
 黄昏は子供みたいに口を尖らせそっぽを向いた。
「第一、祝い事の日が嫌いだ。特別な一日と思ってるやつが多いけど、本当はいつもの一日と何にも変わらないのに」
 苦い顔で恨みつらみを吐き捨てる。黄昏の言うことも確かに一理あるけれど、それじゃちょっと悲し過ぎると僕は思った。
「そうやって特別な日を作る事で、日常を豊かにしてるんだよ、みんなね」
 弁解するみたいに口をついて出た言葉だけど、きっとそうだろう。
 みんな社会や学校で日常に追われているから、誕生日や祝日なんかの特別な日に家族や友達、恋人と想い出を作っていくんだと思う。僕もやっぱり同じ気持ちで、特別な日は好きな誰かと一緒に過ごしていたい。
「そういうものなのかな……?」
 僕の言葉に黄昏は少し考え込む表情を見せ、通りがかった洋服店の前に飾られているクリスマスツリーを眺めていた。
 昔から黄昏のそばには両親がいなかったから、その気持ちも何となく解る。授業参観だっておばさんが来るし、誕生日が来たって両親は食卓にいない。親族とは仲が悪く断絶していることも耳にしていたし、正月やお盆はいつもおじさんの従兄弟の家に行っていたらしい。そんな環境だと、特別な日が来る度に孤独や疎外感を感じるに決まっている。
 本人はどう思っているか知らないけれど、僕はそれが不幸に思えた。
 何だかんだ言って僕は両親がいるし、親族の周りにも僕が生まれてから今の所誰も不幸が起こっていないからかなり幸せなんだろう。
 中学の時に黄昏の母親は事故で亡くなっている。ただ、長い間全然会っていなかったらしく小さい頃の母親の記憶はぼんやりとしか覚えていないらしい。あいにく僕も、黄昏の部屋に立てかけられている写真でしか顔を知らない。
 もしかしたら生涯孤独だと思っていたからこそ、早い内から一人暮らしを始め誰の手も届かない場所に自分を置いたのかも知れない、黄昏は。
 周りに誰もいなければ、特別な日だって何も変わらない日常の一部になる。僕が黄昏と出会った頃は本当に曖昧にしか日付を覚えていなかったし、季節を始め曜日や時間、外の天気さえも知りたくない様子に見えた。
 きっと、現実から逃げ出したかったんだと思う。
 どこまで言っても変わらない日々から抜け出したくて、あえて自分から閉じ篭ったんだろう。僕も似たような気持ちを抱え、ずっと窮屈に過ごしていたことがあるから。
 あんな何もかもから閉ざされた場所にずっといたら、普通の日も特別な日もあったものじゃない。そんな変化の無い日々を通り過ぎた今だからこそ、黄昏にも早く特別な日を過ごせる相手ができればいいのにと思った。僕が隣にいるだけでも十分楽しいだろうけれど、もっと素敵な日々を送れる相手がこの世界には他にもいるはずだから。
「いつか分かるよ、黄昏にも。さ、行こ」
 歩幅を縮め視線を落としている黄昏の肩に手を置き笑ってみせると、向こうも軽く頭を振って微笑み返してくれた。僕が黄昏のジャケットの裾を引っ張り走り出すと、戸惑いながらも僕の背中を追い掛け始めた。
 でも黄昏にとっては、バンドを組んでからの毎日が特別な日なのかも知れないね。
「凄い人だなあ……」
 駅前に出ると人、人、人で歩道も車道もごった返している。地下街はもっと混雑していそうだから、駅の下を突っ切って北口に出た。黄昏も何とかついて来ている。もしはぐれたって、目的地はもう分かっているから大丈夫だとは思う。
「イッコーに連絡は……無理だね」
 携帯電話を懐から取り出そうとしたけれど、よくよく考えてみればイッコーは電波の届かない場所にいるはずなので事前に連絡の取りようがない。千夜さんにも連絡を取っておこうかと思ったけれど、特別な用事も無いのに電話をかけたら怒鳴られるのは目に見えていたからやめておいた。
 千夜さんはバンドの仲間に対してはほぼ向こうから電話をかけて来る。バンドを8つも掛け持ちしていれば予定の日程が変更するのも多々あるので、その時に応じ僕の携帯にも電話がかかって来る。勿論、強い口調で用件だけ話してすぐに切られる。
 まだ『days』を組んでから二ヶ月ちょっと。千夜さんは僕達とちっとも馴染んでくれない。と言うよりも、明らかに仲良くなるのを嫌がっている。
 でもそれは僕達に限った訳じゃなく他のバンドも同じで、今みたいに髪の毛を横跳ねして黒の服で身を固める以前に組んでいたバンドの仲間ともだんだん距離が離れているらしい。僕もライヴをやるようになり他のバンドと接する機会が増えて来たから、自然とそう言う話は耳に入ってくる。
 正直な所、心配。
 今年最後のライヴの後に電話をかけその辺を訊いてみたら、思い切り怒鳴られ切られてしまった。おそらく今年千夜さんと会う機会は今日で最後だから、ちゃんと謝っていい気分で来年を迎えたい。
「行きすぎ行きすぎ」
 考えごとをしながら歩いていると、黄昏に服の裾を引っ張られた。気づくと50m程進み過ぎていたみたいで、慌てて黄昏を連れ道を引き返した。
「ん、もう始まってる?」
 ラバーズの前に来てみたけれど、行列ができていない。今日みたいな大きなイベントの開場前には絶対に列ができるはずだから、もしかするとと思い携帯の時計を覗き込んでみたら――
「ねえ黄昏、家の時計きちんと回ってる?」
「何か電池切れてきたのかだんだん遅れてってる」
 信用した僕が馬鹿でした。
 空を見上げてみれば、日が落ち始めようとしている。冬の昼間は短いからよくよく考えてみればすぐに分かることなんだけど、急いでいたせいで全然気付かなかった。
「どうする?マスターに顔出してから行く?」
 黄昏は相変わらずのんびりした顔で頭を抱える僕に尋ねて来た。その神経が羨ましい。
「うーん、正直苦手なんだけど……」
 最近バイトが休みで練習も入っていない日には、イッコーを誘ってラバーズに足を運んでいた。多くのバンドに生で触れることで自分達のライヴにも活かせないかと思ったから。
 イッコーもここ数ヶ月は練習三昧だけど、バンドを組む前はよく好きなアーティストのライヴに通っていたらしい。大きなフェスティバルにもテント持参で出掛けたこともあるそうで、音楽にかける熱意は横に並ぶ者がいないと思えるほど。
 僕はお客として来ているのにイッコーがマスターの前に引っ張って行くものだから、すっかり顔を覚えられてしまった。いい人なんだろうけれど、そのごつい体格と豪快な笑い方に反する真面目な部分が時折顔を覗かせる。それを見ていると、何だか心の中を見抜かれているようで落ち着かなくなってくる。
「俺も苦手」
 黄昏も少しうんざりした顔を見せた。相当気に入られたみたいで、最初のライヴの後に楽屋で休んでいる所を襲撃されたのを始め、ラバーズに顔を出す度に首根っこ引っ掴まれていろいろ相手をされている。
「今日のイベントは長いみたいだから、途中で休憩を入れる時にでも店に上がればいいんじゃないかな?黄昏もここからだと家に一人で帰れるでしょ?だから中に入ったら自由行動で好きにしていいよ、僕も好きにするから。はぐれても大丈夫」
「いつまでも子供扱いするなっ」
 心配して言ったら逆に怒らせてしまった。でも頬を膨らませているその顔はどう見ても幼い。大分経つのに、黄昏の事が弟みたいに感じるのはちっとも変わっていない。
「早く入ろう。ここで話していても寒い」
 ジャケットのポケットに手を突っ込んだ黄昏が肩を震わせている。ここ数日冷たい北風が街を吹き抜けていて、空は晴れ模様で外はほんのり暖かいから余計に身に染みる。寒さから逃げ出すように、僕達はラバーズの階段を降りて行った。


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