→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   022.Close to me

「!!」
 怖い夢に耐えられなくなり、目を見開いて飛び起きた。
 しばらく呆然となっていると、豆球の明かりでオレンジ色に染まった自分の部屋の様子が目に入って来て、ああやっぱり夢だったんだと頭が認識し始める。僕は一息つくと、もう一度布団に包まった。
 ここの所変な夢ばかり観る。日常で疲れている時はいい夢を、いい毎日を送っている時は怖い夢を観ることが多いと言うけれど、ここの所ずっと嫌な夢ばかり。
 今日は核戦争の夢。自分が燃え盛るビルの谷間で赤い空を見上げ、一人立ち尽くしている所で目が覚めた。寝る前にTVのニュースでもつけていたせいだろうか。
 その時の自分の心境を思い出し、背筋が凍えた。
 誰かの手で僕のいる世界が潰されてしまう感覚。周りに誰かいなかったら、自分の生きている意味が無くなる。まだやることがたくさんあるのに、強制的に僕の人生が終わらされてしまう。絞首刑台に立たされたような絶望感。どう足掻いても滅び行く現実に抵抗できなくて、終わりを告げられるのをただ待つしかない。
 今まで自分の作ったものも、ほんの一瞬で全部無に帰されてしまう。
 心の中に虚無が広がって行くのを感じる。誰かに殺されるなんて嫌だ。自分の終わりくらい自分で決めさせて。そんな心の悲鳴も無に呑み込まれ、泣くこともできない。
 どうしてこんな夢を観るのかは大体見当がついた。
 僕はいつも自分を誰かに伝えたくて、その為に小説だったり音楽だったり――表現をやっている。そうやって形にしないと、自分の考えや気持ちが相手に届かないから。そして現実に形として残ったものは、今日まで僕が生きて来た証になる。
 ただこの世界にいるだけ、それが僕には耐えられない。変わり映えしない日々の中で、生きていてもいなくても何も変わらない僕を思い知らされた。その想いはもう心の中に根付いてしまい決して消えることは無いけれど、それだったらせめて自分が生きた証位、ここに遺しておきたい。
 今僕が音楽を選んでいるのも、歌は時空を超え、鳴り響くものだと信じているから。音源が残らなくてもこの世の中にいる誰か一人でも覚えていてくれれば、口ずさむのを他の誰かが聞き、そしてまた他の誰かが――という風に後世まで届いて行くかも知れない。
 自分の存在を誰かの心深くに焼き付けていたい。そうすれば例えいなくなっても、まだ僕はこの世界に残っている事になるから。でも上っ面だけの表現じゃ相手の心になんて残る訳が無い。だから僕の全てを曲に、演奏にぶつける。勿論苦しいけれど、そうやって自分と向き合うことで何度も自問自答し続け、何とかこの場所に踏み止まれるんだ。
 現実は、それほどに苦しい。
 真実なんて本当にあるのかなと思う。絶対に正しいことなんてこの世の中には何一つありはしないの?自分を支えている考えでさえ、半年経てばあっさりと崩れ去る。
 問題に直面し、悩み抜き、答えを見つけ、またその答えに疑問符がついて――堂々巡り。それを死ぬまで続けることが僕達人間に課せられた使命だとすれば。
 考えるだけで生きる気持ちが萎えてくる。でも――
 螺旋を描くように少しずつ上がっていると思いたい。人間として。そうやって一つ一つステップを踏み、誰といても嫌な気持ち一つにならないような、いいひとになりたい。
 そんなことを毎日のように考えているから、夢にまで形となって現れるのかも。
 まだ眠いけれど寝つけないので、布団から出て台所へ水を飲みに行った。ガラスのコップに水道水を注ぎ、喉を鳴らし一気に飲み干す。それだけで随分心が落ち着いた。
 今日はせっかくスタジオも臨時休業で休みなのに、最悪な寝起き。カーテンを閉め切っているので部屋の中は暗いけれど、外はもう明るくなっているみたい。
「…………」
 じっとしていたら余計なことばかり考えてしまいそうなので、用を済ませてすぐに部屋に戻る。今日も冷え込んでいるから毛布と布団二枚を用意して寝ていたら、その重さのせいか体が少しだるく感じる。
 電気代が勿体無いからエアコンはなるべくつけないようにしていても、それより自分の体調の方が大事。布団を一枚畳んでエアコンを入れ、悪い夢を観ないように願いながらもう一度寝ることにした。通勤電車がベランダの向こうを忙しそうに横切るけれど、少しくらいの騒音や揺れなんてすっかり慣れてしまい、全く気にならない。今度は夢も観ないで、次に起きた時にはすっかり正午を回っていた。
 さて、何しよう?
 昨日の夕方から何も食べていなかったので、とりあえず外食しようと着替えを済ませ靴を履いた。どこへ行くかを決めて外へ出る。相変わらず寒い日は続いていて、厚着しないと確実に風邪を引いてしまいそう。自転車に乗る所で手袋を忘れたのに気付き、慌てて取りに戻った。せっかくなので黒のニット帽も被り、防寒対策万全にする。
 そして40分後、『龍風』に到着。
「へいらっしゃーい」
 扉を開けると元気のいい馴染みの声が飛んで来た。ちょうど混み合う時間の終わりだからか席は半分も埋まっていない。学校が春休みと言うこともあるんだろう。天井下に置かれてあるTVの見える近場の席を選びジャンパーを背もたれにかけていると、オレンジ頭のイッコーが水を二つ持ってやって来た。
 ん?
「あれ、帽子は?」
「ああ、ちょーど手伝い終わったとこ。だから一緒に食おーと思ってよ」
 白い調理服姿のまま僕の真向かいに座る。今日はいつもと嗜好を変え僕はマーボー定食、イッコーはスタミナ定食を頼んだ。
「ったく、ガッコー休みの時くれー手伝わせんなっつーの」
 調理場に聞こえないくらいの声でイッコーが笑顔で愚痴る。文句を言いながらもちゃんと家を手伝う所がイッコーらしくて微笑ましい。
「あれ、たそは?連れてこなかったん?」
「まあね。今日はここに食べに来ただけだから」
「はー」
 イッコーは口を開けて相槌を打つ。勿論僕がわざわざ遠い所までご飯だけ食べに来るなんてない訳で、こちらの心なんて全部お見通しだろう。
「まーおれも今日はもう用事ねーし、食ったらどっかぶらつくか」
「寒いよ外」
「いーんだよ、子供は風の子ってゆーじゃねーか」
 何歳なの君は。
 ストーリーの分からない昼メロを観ながら他愛もない話をしていると、お皿から勢い良く湯気の立った定食をイッコーのおばさんが運んで来た。一目でイッコーを産んだ人だと解るくらい威勢がいい。今日もいつものようにいろいろ話しかけて来るのを、イッコーがうざったく追い払った。絵に描いたような親子で、見ているだけで面白い。
「ったく……とっとと食っちまって、外でよーぜ。うるせーったらありゃしねー」
 まだぶつぶつ言っているイッコーに苦笑しながら、定食に口をつけた。
 二人で食べる時は食事中でも話をするのに、今日はお互いに何も喋らない。たまに料理の味付けとか、キャッチボールの無い会話を2,3交わしただけ。
 何を話せばいいのか判らない訳じゃなく、今話すと必ず真面目な話になってしまうのがどちらも分かっているから喋れない。そのせいかイッコーはあっと言う間に食べ終わった。まだ僕の皿には半分以上残っているんだけど……。
「ふー食った食った」
「いつも思うけど、食べるの早いね」
「まー早食い早弁は基本っしょ。まだ足んねーけど、外で何か食やあいーわ。味わかってるウチの飯で腹一杯になってもなー」
 イッコーは苦笑いして爪楊枝で歯に詰まったものを取る。自分の皿を手早く重ねると調理場へ持って行った。
「青空はゆっくり食ってていーぜ。おれ先に着替えてくるわ」
 僕に一声かけ、すぐさま奥に入って行く。その後でおばさんが自分の食べたものくらい自分で洗えと大声を飛ばしていた。まだお客さんいるのに。みんな驚いてるよ。
 僕がちょうど最後のご飯を口に運ぶ頃、イッコーが戻って来た。
「あれ、それは?」
「手ぶらで出るのも何だしよー、持ってったほうがいーかなーって。まー、クセみたいなもんだわ。担いでねーと落ち着かねーの」
 そう言ってくるりと肩に担いでいるエレキギターのソフトケースを僕に見せた。
「食った?んじゃ行こーぜ。おかん、ちょっと出かけるわー!」
 大声で調理場にいるおばさんに言い、返事も待たずにイッコーは先に店を出た。僕も支度をして伝票を持ってレジへ行くと、おばさんが出て来て50円まけてくれた。人情。
「はー、マジさみーな。まずいつもの楽器屋行こーぜ。弦切らしたから買わねーと」
 肩を振るわせながらイッコーが僕を促す。外は太陽が出ているのにちっとも温かくなくて、それでもイッコーは僕より1,2枚薄着。半ズボンじゃないだけまだまし?
「でもよくそんな薄着で大丈夫だよね」
「いっつも肌出してっからなー。少しくれー暑くても寒くてもへーきへーき。おれからすればみんな寒がりなん。これぐらいの寒さだったら、ジャンパー一枚で中裸でもいけるぜ」
「聞いてるだけで寒くなるから勘弁して下さい」
 寒い日にイッコーと歩く度に同じような会話を繰り返している気がする。
 笑いが収まると僕は素に戻り、来た方向とは逆の道を振り返った。
 この道を少し行けば黄昏のマンションに着く。電車で駅に着いた時もイッコーの店に入る前も、黄昏の所へ行こうかと思った。でも行った所で黄昏は出て来ないだろう。
 歩いて行けるくらい近い場所にいるのに、心はとても遠く離れてしまった気がする。
「おーい、何してんだー」
「あ、ごめーん」
 その声で我に返ると、僕は慌ててイッコーの後を追った。
 水海の商店街を抜け、前に自分のギターを買った楽器屋のビルへ向かう。春休みだからか、今の時間でも若者の姿が多い。そう言う僕達もまだ若い。
「そう言えば、イッコーって学校行く時もギター持って行ってるの?」
 少し気になったので、道の途中で訊いてみた。
「あー、持ってってんぜ。ガッコーでバンド組んだり部活入ったりはしてねーけど、昼休みとか授業中とかにダチのアンプ借りたりして鳴らしてんの」
「いや、せめて授業中くらいは止めようよ」
 すかさずツッコミを返す。
「1年の時だっけなー?おれのギターがガッコーで盗まれる事件があってよ。そん時は授業中とか無視して校舎走り回ったかんなー。結局3年のワルがパクってんのがわかって、五人だっけな?全員病院送りにしたんだわ」
 あっけらかんとした顔でさらりと言うイッコー。僕の内心が冷や汗だらだらなのは言うまでもない。
「弦が何本か切れてただけだったからよかったけどよー。ほら、おれがいつも使ってるディガーのモデルのギター。今持ってきてんのは別のヤツだけど。まー、無事だったからこーやって笑ってられっけど、壊してたりしてたら多分やったやつブッ殺してたと思うぜ」
 物騒なことを言い、ケラケラと笑う。
 今初めて気付いた、イッコーを怒らせると怖いんだってこと。背も高いし体格もいいし、スポーツやらせるといい所まで行きそう。
「商業高校ってワル多いからさー。でもその一件のおかげで誰もおれ達に手―出さなくなったから、安心してガッコーにも持ってけるんだけどな」
 他にもたくさん武勇伝とか持っていそう、この調子だと。
 僕は高校では可も無く不可も無く、悪いことなんて何一つしなかったし特別喋らずに授業を受けていたから、イッコーとは全然違う。
「おいおい、そんなに離れなくったっていーじゃんよー」
 わざと3mくらい間隔を開け歩いていると、イッコーが切ない声でじゃれて来た。
「青空だってケンカしたことくらいあんだろ?」
「まあ……あるけど」
 苦虫を噛み潰したような顔で僕は答えた。あまり思い出したくない記憶だから。
 僕は誰かを直接相手を殴った記憶は一度もない。でも一度だけ、自分から喧嘩を売ったことはある。高校3年の一学期。
 中学の時もそうだったけれど、僕は出席番号の隣の人間と仲が悪かった。何故かと言われてもよく分からない。多分何かと理由をつけ敵を作りたかったんだと思う、向こうが。僕は敵を作らないけれど限られた人としかほとんど話さない人間だったので、そう言う態度が癪に障ったのかも知れない。今となっては理由なんてどうでもいい。
 何がきっかけでそうなったのかは覚えていない。ただ、あの時自分の中に沸き起こった怒りが強烈過ぎたせいで、その前の部分は記憶に残っていないだけ。
 化学の実験の授業中。出席番号が後の人は自然に隣の席になる。
 その時まではどんなに嫌なことがあっても我慢できたのに、あの時だけは自分の心を憎悪と怒りが黒く塗り潰して行った。そして知らない内に僕は手元の自分のカンペンを手に取って、相手目掛けて思い切りぶん投げた。
 勿論その後は取っ組み合いで大騒ぎ。慌ててみんなに取り押さえられその場は収まったけれど、放課後に化学の先生に呼び出され、廊下で理由を聞かれた。
 その時自分が何を話したかは覚えていない。でもいろいろ話している内に、目尻の熱くなる自分に気付いた。あの時だけだろうか、物心ついてから人前で自分の感情を包み隠さずに形にしたのは。
 先生が目の前にいても、廊下を他の生徒がすれ違って行っても、僕は構わず号泣した。零れ落ちる涙を拭おうともしないで、自分の気持ちを全部話した。でも何を喋ったのかもよく覚えていない。それよりその時の感情の色が今もはっきりと心に刻み付けられている。
 誰かを憎む事がこんなにも辛いことだったなんて。
 あの時、他人に向ける怒りがどんなに悲しいものなのかを知った。
 この出来事が学校を休むきっかけにはなっていないと思う。でも自分と言う人間を考えさせられる大きな事件だったのは間違い無い。ちなみにその相手とは卒業式の時に和解した。中学校の時も似たようなことがあったっけ。
 今はもう、相手に対する憎しみとかは無い。時々顔を思い出しては胸がむかむかしたりはしても、もう完全に過去のこと。二度と会うことも無い。
 学校での思い出と言うと嫌なものばかりしかない、小学校も中学も高校も。高校に行かずに悩んでいたせいで林間学校にも出ず、戻って来た時にはクラスに僕の居場所がなかったこと。あの時はすぐ受験が控えていたからまだ良かったけれど。
「イッコーが羨ましいよ」
「ん?どーしたんいきなり?」
「イッコーみたいに学校生活送れていたら、どんなに良かったかなって」
 本当にそう思う。僕は不良になる度胸も無く人と違う生き方をしようと言う勇気も無く、レールに敷かれた道を歩いていた。だから素晴らしいことなんて何も起こるはずも無く、些細だけど嫌なことが霜のように積み重なり、最後は日常に押し潰された。
 何かを始める意志の無かった自分が情けなくて憎くてたまらない。
「もしできるなら、もう一度小学校まで戻ってやり直したいよ」
 あまりに僕が真面目な顔をしていたせいかイッコーが目を丸くして、それから爆笑した。
「わっ、笑わなくても」
「おれだって別にそんな大した学校生活なんて送ってねーぜ。おもしれーこともありゃあヤなことだってモチロンあるって。まー、でも例えばの話おれとおめーが同級生だったら、多分話してねーと思う。むしろいじめてたかも」
 ちょっとちょっと。
「ははは、ジョーダンだって。まーでも、今こーして一緒にバンド組んでんだから、それでいんじゃね?性格とか全然違うやつらがさー、触れ合えるってのも音楽の力だと思うわ」
 ――時々イッコーは、まるで黄昏みたいに何気無く心に響く台詞を喋る。
「あー何かクセーこと言っちまったなー。早く行こーぜ、寒くならねーうちに済ませてー」
 イッコーが肩を縮め人混みの中を走り出す。こみ上げる気持ちに胸を熱くしながら、はぐれないように僕も後を追い駆けた。


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