→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   026.『days』

「まだ来てない?」
 僕が尋ねると、イッコーはやれやれと肩を竦めてみせた。
「まー、いつものことっしょ。たそが遅れんのは今日に限ったことじゃねーし……って、前にもあったなこんなシーン」
「そう?」
「ちょうど一月前な」
 そう言えば先月も同じような会話を繰り返していた気がする。
 今日は運命の日、と言うと大袈裟かも知れない。とにかく、僕達の出番の前に黄昏がラバーズに来てくれないと、約束通りバンドを解散せざるを得なくなる。
「まー、おれはあんまり期待してねーけど」
 イッコーは壁に手を付き小さく呟いた。千夜さんは黙々と扉のそばの椅子に座り、手持ちの小説の読書にいそしんでいる。同じ楽屋のバンドはちょうどステージに上がっていて、この小さな楽屋には僕達3人しかいない。チューニング等の準備も終わり、気を紛らせる為に備え付けのラジカセで『discover』のアルバムを流していた。
 黄昏は一向に来る気配が無い。ちゃんと数日前から毎日、ライヴの日時の連絡は入れておいた。僕が電話をかけて来ることを解っていたのか、黄昏もちゃんと携帯の電源を入れてくれていた。と言っても留守電。
 返事は無かったけれど、ちゃんと聞いてくれているはず。後は黄昏が答えを出してくれるのを待つだけ。でも、この展開は十分予想の範疇だったのでそれほど慌てなかった。
 今日のライヴは4バンド。偶然なのか、最初に僕達が対バンした時と同じバンドとブッキングされていた。解散の話が出る前から今日のライヴの予約は既に取ってある。
 僕達の出番は最後。前みたいに黄昏が遅刻したらと言うのもあったし、一番人気のあるバンドの後に回した方が何かあってもすぐ対処できる、と言うことで最後にして貰った。今は2バンド目が演奏している途中。『days』の番までもう1時間を切っていた。
「ちょっと出るわ」
 イッコーは落ち着かない様子で隣の楽屋と行ったり来たりで、また出て行った。僕はもう覚悟を決めていたので、なるべく深く考えずに楽屋の椅子に腰掛けディガーの唄声に耳を傾けていた。それだけで心臓の鼓動が穏やかになっていくのが分かる。
「いやに静かだな」
 手元の本から視線を外し、千夜さんが話して来た。
「慌てても仕方無いし……万事尽くして天命を待つ、と言った感じかな」
「ふん」
 僕の台詞が臭かったのか、千夜さんは鼻でせせら笑うと視線を本に戻した。悲しい。
 千夜さんやイッコーにも、最悪の場合はバンドを解散することを前もってきちんと伝えている。イッコーは釈然としない顔をしていたけれど、僕の意見に反論は無かった。千夜さんには電話で一言、
「そう」
と言われただけで、特別リアクションも返って来なかった。
「ねえ千夜さん」
「何だ」
 話を振ると、僕の顔も見ずに不機嫌そうな返事をする。
「千夜さんが手伝っていたバンドが解散したことって、あるよね?」
「――いくつかな」
「その時どんな気持ちだった?」
「どんな気持ちと言われても、別に何もない。私はただ手伝いでサポートしているだけだから、何が理由で解散しようが知った事じゃない」
 痛い。でも千夜さんらしい。
 僕の視線が気になったのか、千夜さんは溜め息一つつくと読んでいた本を閉じ手元の机に置き、胸元のポケットから煙草を取り出し火をつけた。
「ゴタゴタに巻き込まれるのが嫌」
 そう言って煙草に口をつけ、大きく煙を吐き出す。
「だからなるべく深く関わらないようにしている。私のせいだって言われればすぐ辞める。内輪揉めには興味無い。バンドに対する愛着も無いから、未練も無い」
「何か……さみしいね、それって」
 睨まれるの覚悟で小声で言うと、千夜さんは僕の顔をちらと見ただけで何も言って来なかった。ちょうど後で流れていた曲が終わり、次のバラードに入る。
「少しくらい、未練あって欲しいな」
「私は叩く場所が欲しいから叩いているだけ」
 僕の言葉を遮るように、千夜さんは強い口調で言い放った。
「音がどうとか曲がどうとか……そんなの、二の次」
 一本目の煙草を吸い終わり、置いてあった紙コップのブラックコーヒーに口をつける。冷めた中身を全部飲み干すと、無言で席を立ち楽屋を出て行った。
「……ふう」
 千夜さんと話すのは疲れる。僕は首を鳴らし、椅子の背もたれに体を預けた。半年以上同じバンドのメンバーなのに、考えていることが解らない。
 でも時折話していて、少しだけ内面を覗かせることがある。だけどそれは決まって悲しい顔であったり、寂しい表情だったりした。
「黄昏が来なかったら、千夜さんともお別れかあ」
 天井を見上げながら独り言を呟く。もし解散と言うことになったら、僕はしばらくバンドを組まずに一人で宅録するか、四畳半フォークでもやっているだろう。こうしてライヴハウスに足を運ぶことも少なくなると思うし、二人とまたバンドを組むことはないかも。
 そう思うと無性に寂しくなったので、僕はラジカセのボリュームを上げた。
 自分の大半は『days』でできていたんだと今更ながらに思う。黄昏と一緒に始めてから、僕の人生は『days』と共にあった。そして自分を支えてくれる希望だったんだと強く思う。
 現実と戦うための力強いパートナー。
 黄昏に出会う前と比べると、随分変わった自分自身に気付く。1年前の自分が、遠く後にいるような感じ。振り返ると、僕がつけたたくさんの足跡が道になっている。
 強くなった気はしない。相変わらず臆病だし、すぐに逃げ出したくなるし、他人の嫉妬したり簡単に絶望したりする。この性格は多分死ぬまで治らない。
 でも、前に立ち向かう気持ちを僕は手に入れた。
 泣き寝入りなんて簡単に出来る。どれだけ枕を濡らしたって、生きている限り明日はやって来る。この場所が一番下なんだったら、がむしゃらに足掻いてみよう。そうすれば違う自分になれるかも知れない。新しい何かが見えて来るかも知れない。
 僕はもう、絶望しているだけの自分でいるのはこりごりなんだ。
 戦うことを知った。だから僕は力尽き果てるまで挑んでみようと思う。この気持ちがあれば、多少の辛いことぐらいなら簡単に乗り越えられる気がする。
 その気持ちをくれた『days』に、僕は心の底から感謝した。
 ラジカセのリモコンを手元に持って来て、11曲目を選ぶ。
 『discover』2枚目のアルバム『live believer(リヴ・ビリーバー)』の中で僕が一番好きな曲、『Boy meets despair』。そこで唄われているのは少年が初めて目の当たりにする途方も無い絶望。しかし、この曲の中で少年は何も諦めていない。
 歌詞の中に直接的な希望を示す言葉は何一つ無い。でも、歌の中に出て来る少年は深い絶望の中で、目の前にある筈の未来と希望を信じて真っ直ぐを見つめている。それはディガーの唄声と、バンドが奏でるグルーヴを聴けば解る。
 この曲に耳を傾けていると、自分をこの少年に重ね合わせてしまう。僕は彼みたいに強くも無いけれど、そんな強い人間になりたいとずっと願っている。勿論この曲の少年と言うのは、唄っているディガー自身に違いない。
 けれど彼は自殺してしまった。これだけの曲を作っても、襲いかかる絶望には叶わなかったんだろう。細かい部分までは覚えていないけれど、そんなことを遺書の中に書いていたと、3枚目のアルバムの解説に載っていた。
 僕はその人間としての弱さに凄く惹かれた。ロックリスナーの中で半ば伝説と化している彼は、特別な人間じゃなかった。みんなと同じくらい希望を持ち、絶望を感じながら日々を生きていた。ただ、人より唄がそばにあったんだろう。
 時々僕は唄っている時の黄昏にディガーの影を見る。黄昏は普段から他人の曲なんて聴かないので『discover』のことは知らない。僕は生前のディガーを知らないけれど、唄を聞いていると似たような感覚を覚える。
 二人はきっと音楽に選ばれた人間なんだろう。それに引き換え僕は才能も無いし、すぐ絶望に打ちひしがれる。けれど今回のことで、黄昏も僕と同じ人間なんだなって解った。強い心と弱い気持ちを一緒に抱えている人間なんだって。
 でも黄昏はきっと僕より強い。他人には想像できないほどの希望と絶望を乗り越えて来たんだから。
 こんな時、もし僕と黄昏の立場が逆だったら一体どういう気持ちでいるんだろう?
 ――多分きっと、何も迷わずに上手く行った時のことしか考えないんだろうな。
 その強さが羨ましい。でも僕も、悪い方向ばかり見てしまう癖があるけれど、今日だけは強い気持ちで前を向いていたかった。
 だから僕は最後まで諦めない。『days』のライヴが終わるまで黄昏を待ってみようと思う。それまでは代わりに僕がステージで歌ってやる。僕だってただ黄昏の横でギターを弾いていた訳じゃない。黄昏のいないリハーサルでは僕が唄ってたし……到底及ばないけれど、曲に対する愛情は誰よりも持っている。
 一人意気込んでいたら、イッコーが楽屋に戻って来た。
「あれ、千夜は?」
「さあ、トイレじゃない?じゃなかったら外に出てるのかも」
「まー、いっか。いねーほうが気―つかわなくて楽だし」
 同感だけど僕は怖くて言えません。同じバンドの仲間なのに酷い言い草です。
 イッコーは自分の機材を抱え、また部屋を出て行く。
「おれ、先にステージ裏行ってるわ。時間が来たら来てくれな」
 じっとしていられないんだろう。僕もその気持ちは解るから、笑顔で頷いた。
 楽屋が静かになった、と思ったらまたすぐ扉が開き、イッコーが顔を覗かせる。
「青空」
「何?」
 きょとんとする僕に、白い歯を見せ大きく笑ってみせる。
「たそが来なかったら、おれが代わりに歌うわ。おめーに任せんのは不安だしよ」
 ――その言葉を聞き、僕の肩が軽くなった気がした。
 イッコーは解っていたんだ、本当は不安でたまらない僕の心を。その気持ちを汲み取ってくれて、涙が出そうになった。
「ありがと」
「いいって。おれだってこのまま解散すんのはヤだかんな、最後の最後まで待ってみよーと思うわ。もし来なくても、いい想い出になるし。人前で唄うのは今もあんま好きじゃねーけど、おめーの曲だったらおれ、平気で歌えっから」
 少し照れ臭そうにはにかみながらイッコーは言った。
「んじゃ。遅れんなよ」
 そう言い残して扉が閉まる。僕はテーブルに突っ伏し、抱えた腕の中で声を殺した。今日までの苦労が全て報われた気がしたんだ。
 『days』を組んで本当に良かった。
 部屋の中に流れるディガーの曲が僕を祝福してくれているみたいで、胸が温かくなる。
 そのまましばらくその体勢でいると、扉が開いて千夜さんが戻って来た。テーブルに寝添べっている僕を細目で見ながら自分の席に付く。
 僕は目尻を一度拭い、顎をテーブルに乗せたまま、スティックの調子を確かめる千夜さんの姿をぼんやりと眺め続けた。その視線に気付いたのか、千夜さんが鋭い目を僕に向けて来る。そのまま眺めていると僕を無視し手首のしなりを確かめ始める。それでもこちらが一向に視線を外さないからか、少し苛ついた顔で睨み返して来た。
「にやついた顔で見ないで、気色悪い」
「いや、千夜さんって可愛いなって思って」
 語尾を荒げる千夜さんに思っていたことをそのまま返すと、耳まで真っ赤になった。と思ったのも一瞬で、次の瞬間には怒った顔で僕の顔目掛けスティックをぶん投げた。
 思いっ切り僕の鼻の頭に命中して、顔を抱え椅子の上でのた打ち回る。
「変な事を言うな、馬鹿!!」
「あだだだ……」
 本気で痛がっている僕に怒鳴りつけ、千夜さんは肩を怒らせ床に転がったスティックを引っ手繰ると席に戻った。僕が楽屋に備え付けの鏡で自分の顔を確認すると、鼻の上に真っ赤なスティックの跡が右斜めについていた。慣れないことは言うものじゃない。
 僕達の出番の時間が来るまで、それから千夜さんは一言も口を利いてくれなかった。
「時間でーす」
 スタッフの男の人が僕達を呼びに来る。イッコーは先にステージに行っていることを告げ、忘れ物が無いように最後の確認をした。黄昏はまだ来ていない。
 時間が迫るにつれ、やっぱり内心焦り始めて来た。何度も電話を入れようと思ったけれど、グッと堪えて黄昏が来るのを待ち続ける。
 もうここまで来たら、どうとでもなれ。
「千夜さん」
 楽屋を出て、先を行く千夜さんを後から呼び止めた。今度は何だ、と顔で言っている。怒られても構わないから、僕は口を開いた。
「前はごめんね。ほら、バンドの話を持ちかけた時のこと……もう一度謝りたいってずっと思ってたんだ。悪いことしたなって」
 突然の話に千夜さんは目を丸くして、僕の顔を見た。ほんのりと頬が紅い。
 これで解散になるとしたら、今言っておかなくちゃと思った。あの出来事はずっと僕の心の中でしこりみたいに残っていたから。
 千夜さんは僕の目をしばらく無言で見て、ぷいと背中を向けた。
「過ぎた事だ。思い出させるな」
「ごっ、ごめん」
「冗談よ。今は何とも思っていないから」
 謝る僕に、刺々しさの無い柔らかい口調で投げかけて来る。意外で思わず驚いた。
「それより目の前の心配をすればどう?」
「そ、そうだね」
 と思うと、またいつもの冷たい言葉。千夜さんは僕を置き、早足で廊下を歩いて行った。
 結局千夜さんのことはよく解らないままだけど、謝れただけでもよしとしよう。
「どーしたんその顔?」
「いやちょっと寝惚けてて」
 舞台下の階段前で待機しているイッコーに指差され、はにかんで誤魔化した。
 ステージ横に到着すると他のバンドの人達がわらわらと集まっていて、僕達のステージを近くで観ようと待っていた。客席はまだざわついていて、覗いてみるとざっと200人はいる。でも今のがメインアクトだから僕達の番になるとさすがに減るだろう。
 スタッフの機材の入れ替えをするのを待っているのも何なので、僕も手伝うことにした。場内には間を持たせるために僕が用意したSEテープ、『discover』のセレクションが流れている。普段は別のテープを使っているけれど、今日だけは頼んでこれにして貰った。イッコーはおこがまし過ぎてなるべく使いたくないらしい。
 準備が終わると一旦袖に引っ込む。もう一度ライヴハウスの人に確認してみても、黄昏は来ていなかった。イッコーに目線を送ると、仕方無いと言った顔で肩を竦めた。ステージでの立ち位置はそのままで行くことと、曲順を最後に確認する。
「んじゃ行くか。悔いの残んねーよーにしようぜ」
「うん」
 イッコーとハイタッチして、そのままガッチリ握手。僕よりも握力があるから痛かったけれど、その感覚も今日は心地良かった。


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