→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   027.flying

 これが最後のライヴだと思うと、始まる前の緊張も愛しく思える。
 SEが終わると同時に僕が先頭でステージに上がって行く。客席のあちこちで拍手や歓声と共にざわめきが起こっているけれど、僕達は黙々と楽器の鳴りを確かめた。
 ちょうどステージの中央、そこだけはぽっかりと穴が開いたように誰もいなくて、マイクスタンドが一本置かれている。
 僕が頼んで置いて貰った。ここの席は、最後まで黄昏のものだから。
 客席からも黄昏への声援や質問も飛んで来る。目配せでイッコーに確認すると頷いたので、黄昏がいないことだけは説明しようと思った。最後まで来なくても、『解散』の2文字だけはステージを降りるまで胸の内に留めておこう。
「あー、えっと、黄昏のことなんだけど――」
 自分で喋りながら声のトーンが沈んでいるのが解る。一つ咳払いをし、続けた。
「遅れてるみたいで、まだ来てなくて。だから今日は――」
 とそこで、客席後方が騒がしくなっているのに気付いた。一瞬喧嘩でも起こったのかなと不安になったけれど、口笛や歓声が起こっているので違う。
「悪い!どいてくれーっ」
 聞き慣れた声が客席の中から聞こえ、僕は大声で叫んだ。
「黄昏!」
 嬉しくなって走り出そうとしたらギターのシールドに引っ掛かり、そのまま前につんのめってしまった。
 ステージの上で待っていると人混みが真ん中から二つに別れ、厚着のままの黄昏が姿を現す。僕の真下にやって来て手を伸ばしたので、その腕をしっかりと握り締めステージに上げてやった。そのパフォーマンスに客席から歓声が湧き起こる。狙ってやった訳じゃないけれどね。
「悪い、遅れた」
 息を切らしながら黄昏が笑いかけて来る。言い訳を言わないのが黄昏らしい。
「待ってたんだよ、ずっと」
「走ってきたんだ。楽屋に回ってる暇ないって思ったからそこ突っ切ってきた」
 屈託のない笑顔を僕に見せ、着ているコートをアンプの上に脱ぎ捨てた。いつもの白いYシャツ一枚と黒ズボンの姿になり、大きく呼吸を整える。本当に走って来たんだろう、背中はびっしょりと汗を吸い込んだシャツが肌に張り付いていた。
「遅せーよてめーわよー」
 マイクを通じ、黄昏に大声で言うイッコーが白い歯を覗かせていた。横目で千夜さんを見ると、いつもと変わらぬ冷静な顔でドラムの調子を確かめている。
「間に合ったからいいだろ。もう始まってる?」
「これから始める所。全く、ハラハラさせて……」
 でも、来てくれて本当に良かった。黄昏のことを信じていて本当に良かった。
 おっと、感激に浸っている場合じゃない。
「じゃあ、始めます。一曲目」
「何唄おうか?」
 立ち位置の調整が終わった黄昏が素で僕に訊いてきた。客席から笑いが起こる。
 僕はその問いに、ギターのイントロで答えた。『夜明けの鼓動』。いきなりいつも最後に持って来る定番のチューンだから、予想外の展開に驚き混じりの声が上がる。
 でもそれ以上に予想外だったのは、黄昏のヴォーカル。
 唄うと言うよりは、がなる、割れる、だれる。まるで幼稚園の子供がピアノの時限ではしゃぎながら叫んでいるような、訳の解らない唄い方を展開していた。
 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。普段なら曲に合わせ跳ねたり唄ったりする客席の人達も、唖然とした表情で黄昏を見ていた。
 間奏の部分でも僕のギターやリズムに合わせ擬音や意味不明な言葉を並べ立てる。一向に真っ直ぐ正面を向いているから合図のしようもなく、こちらは曲を壊さないようにきちんと演奏するのでもう必死。
 音程を外したり、声を溜めたり早口でまくしたてたり。そんな黄昏の奇行に明らかに客席は引いていて、帰る客の姿も見えた。でも、黄昏は何も考えずにこんなことをやる人間じゃない。きっと何か意味があるんだ。だから僕も手を抜かず懸命に弾き続けた。
 ヴォーカルの部分が歌い終わり、2分近いインストになだれ混んでも、黄昏はマイクを離さずに構わず唄い続けた。途中まではちゃんとした言葉も、最後には絶叫と化していた。
「ふうっ……」
 曲が終わると、拍手も何も無かった。全身から力がどっと抜ける。イッコーも千夜さんも同じみたいで、この一曲だけですっかり疲れ切ってしまった。
 そんな僕達や客席をよそに、黄昏はマイクに向かいあっさり言ってのけた。
「準備運動終わり」
 ええっ。
 心の中で派手にズッこけたのは僕だけじゃあるまい。でもこの一言のおかげで張り詰めた緊張感が解け、静まっていた客席も随分ほぐれた。
 そう言えば、黄昏がオーディエンスに向かってMCする所を初めて見た。イッコーもその事実に気付いたのか、僕と顔を見合わせヒュウと口笛を吹く。
「次から本番」
 黄昏はぐるりとその場で一回りして僕達を一瞥する。その顔はいつもの無愛想な感じじゃなく、何か憑き物が落ちたような清々しい表情を見せていた。
 もう一度僕の顔を見て、黄昏が目配せしてくる。曲順を知らないから次に何を唄っていいか解らないんだろう。
「えっと、次は……へヴィレス」
 僕がマイクで曲紹介をする。黄昏が小さく頷くその向こうで、イッコーが両腕をぶんぶん回しやる気を見せていた。千夜さんは相変わらず黙々。このまま黄昏がライヴを壊さないことを心の中で祈っていよう。
 2曲目の『へヴィレス(heavy-less)』はイッコーのベースのイントロから始まる。前の曲と違い、曲のイメージに合わせエフェクターで重く調節していて、アンプから飛び出す音の塊が脳髄を揺さぶって来る。後から続く千夜さんの素早いドラミングが重なると、曲の輪郭が姿を現した。ぶれのないベースラインがドラムに絡みついて床を震わせる。
 この曲は前奏が終わると、黄昏の声と僕のギターが爆発するように弾けてAメロになだれ込む。僕はその時を待って深く深呼吸をした。
 心の中でカウントを数え、0と同時にピックを振り下ろす。
 その時、黄昏が吼えた。
「!」
 今までと全然違う!
「深く考えるのはやめにしたんだ/動かなきゃ何も生まれない/何度もそう言ってきただろ でも僕は思い知らされなきゃ解らない/馬鹿な奴なんだって知ってる」
 まさに『吼える』と言う言葉がピッタリ当てはまる。これまでの黄昏は口から声を吐き出していたような感じだったのに、今の唄い声には腹の底から咆哮を上げ、周りの空気を震わせる響きがある。
 一体いつの間にこんな唄い方を身につけたんだろう?この場にいる全員が、黄昏に視線が釘付けになっていた。
 指を動かしながらも、僕の目は自分のギターじゃなく黄昏を見ている。イッコーも黄昏の変化に気付いたのか不敵な笑いを見せ、より一層激しくピックを持つ手を動かす。
 千夜さんも冷静な顔のままだけど、ドラムを叩く音によりアクセントが付き、いつも以上にノリがいい。おかげで僕もリズムを取るのが楽で、実戦ではやったことの無いアドリブもギターソロで少し混ぜたりしてみた。幸い上手く行き、客席の何人かから驚きの声が上がる。そんな僕自身が一番驚いていたのは言うまでもない。
 はっきり言って、ハチャメチャ。
 曲になっているようで曲じゃないみたいな、てんでバラバラに演奏しているように見えて寸での所で一つの曲として成り立っているようなセッション。黄昏に感化され、僕達も好き勝手に自分の演奏を始めている。練習でもこんな真似はしたことがない。
 それでも、客席も徐々に熱気に包まれ始めた。バンドの演奏自体は今までのどのライヴよりもヘタクソで聴かせるものじゃないと思ったけれど、それ以上の何かがステージの上で渦巻いている。みんなもそれを感じているから目を離せなくなっているんだろう。
 『へヴィレス』が終わり、僕は明らかにこれまでと違う手応えを感じていた。何段も飛ばして一気に階段を上ったような感じ。またここから何かが始まるような、バンドを組んだ時みたいなドキドキワクワクした気持ちが僕の胸に甦って来る。まさかこんな気持ちを今日ここで得られるなんて思いもしなかった。
 『ブラックペッパー』『言葉はいらない』『バースデーケーキ』と続けて3曲演る内に尻上がりにみんなの呼吸が合って来て、曲がだんだん一つの塊になっていく。
 途中で失敗したらそこで一気にガタガタになっていたのが、今日はすぐに気持ちを切り替えられて残りの部分で挽回すればいいと思える。その思い切りの良さが一層僕に自信をつけ、イッコーも僕の心配をしないで自分のプレイに集中できる。ベースが強固になれば千夜さんもアドリブを入れ易くなり、ドラムに解放感が出て来た。
 楽しい。
 自分達のライヴの途中でそう思えたのは生まれて初めて。
 ステージの上だとずっと余裕が無く、みんなについて行くだけで精一杯だったのに。
 今日ようやく、自分の色が出せた。僕もギターで叫ぶことが出来るようになった。黄昏の横に立って一緒に唄っているような、そんな気持ちも覚える。
 そしてヴォーカルの黄昏。
「やばい。何か今日、とてつもなく唄うのが気持ちいい」
 まるで生まれ変わったような変貌を遂げ、僕達の前に戻って来た。それは最後の曲の『雪の空』ではっきりと見せてくれた。

 白い雪みたいな曇り空が街を覆って
 今年一番の寒さ 天気予報じゃ夜には降るって
 みんなの心は少しはしゃいで その時を待ってる  

 夜の帳が辺りを包み 誘われるままに家を出た
 夜空からちらつく粉雪 明日はきっと積もるだろう
 路地裏ですれ違う野良犬が寝床を探す
 街灯の下で一人 星のない空を眺めるのさ

 雪が白く静かに街を寝かせて
 どこかで鐘が鳴った気がした 

 この曲はループを多用したナンバー。シーケンスを組んだような淡々とした規則正しい千夜さんのドラミングをバックに、黄昏が間を入れずに流暢に唄う。この曲ではベースもギターも前に出ないように、最小限で効果的に鳴らすようにしている。
 その分黄昏の比重が多くなる訳で、唄うのには負担がかかる。『貝殻』と同じく情緒的な曲なのでライヴの中でも使い所が難しく、30分のライヴでも激しく消耗する黄昏には最後にこの曲を持って来ると肉体的に辛いので今まで練習でしか演奏したことがなかった。
 わざわざ今日これをラストに持って来たのは、『days』の持ち曲でこれだけライヴで演奏していなかったから。最後になるのなら出し惜しみしたくなかった、僕の個人的な想い。
 けれど、黄昏は予想に反し堂々と歌い上げてくれた。

 透き通った空 凍てつく空気 葉の無い木々 
 緩やかな光が雪を溶かし 眠った街を目覚めさせて
 僕を置き去りにして時は進む 誰一人振り返ることなく
 春の息吹を夢見て雪の上でそっと眠る
 昨日作った雪だるま 泣きながら笑ってた

 時が経てばいつしか緑の匂いを風が運ぶ
 毎日違う空の色に 心奪われる暇もなく季節は過ぎる
 あの日の景色を胸に やがて訪れる雪の空を待ち焦がれて
 待ち焦がれて

 波を打ったように静かな会場に、僕のギターが響き渡り、終わった。
 一人、また一人と拍手を打ち、やがて端から端まで喝采が巻き起こる。全てをやり遂げた達成感で胸が一杯の僕の横で、黄昏がその場にだらしなくへたり込み、そばに置いていたスプレーで酸素を補給していた。やはり相当体にきていたんだと思う。
 黄昏は開いている方の手で人差し指を立て僕を見ている。その意味を受け取り、僕は引き上げずに黄昏の回復を待った。演奏が終わるとすぐに袖に引っ込む千夜さんも、座ったままで間を持たせるためのドラムを叩いている。
「まだ時間あるー?いける?いける?OK?よ―――――しッ!!」
 イッコーが近くのスタッフに大声で尋ね、体全体でガッツポーズを見せた。どうやらまだ時間が残っているみたい。でも、一体何をやればいいのかな?
 一人パニックになっていると、酸素補給の終わった黄昏が立ち上がり僕に言った。
「もう一度、『夜明けの鼓動』やろう。今度はちゃんと唄うから」
 顔は笑っていても、相当足にきているのは一目見て解る。でも今の黄昏なら、最後まで自分の役目を果たしてくれそうな気がした。
「えーっ、つーわけでもういっぺん『夜明け』やりまーす。今度はみんな、パーッと騒いでくれよな」
 マイクの前で両手を叩き、イッコーが場を盛り上げてくれる。
「歌詞覚えてる人はたそが変ちくりんに唄わねーよーに代わりに唄ってくれな」
「信用ないんだな、俺って」
 ぼそりと黄昏が呟くと、客席の前方でどっと笑いが起こった。黄昏がMCに加わるだけでこんなにも雰囲気が変わるものなんだ。
 そしてこの日二回目の、『夜明けの鼓動』のイントロ。ライヴ本編でもうすっかりみんな温まっていて、聞いたこともないような大歓声が耳をつんざいた。
 まるでロックスターになったみたい。
 いつも見上げていただけの存在に自分がなれた気がして、天にも昇る気持ちになった。
 胸に湧き上がる気持ちを抑えられなくて、僕は曲の途中で何度も吠えた。その度に客席からレスポンスが返って来て、より一層力を込め弦を弾いた。おかげで間奏の部分でギターの弦が切れてしまい、後は大変だったけれど。
 おかげで、ライヴはかつてないほどの盛り上がりを見せた。僕の最後のストロークが響き渡ると、嬉しさよりも安堵の気持ちで一杯になる。無事にお客さんに僕達のライヴを見せることができたと言うのもあったし、イベントのトリをきちんと果たせた。
 これならまだ、続いていける。
 『days』はまだまだ続いて行くんだ。
 そう確信させてくれる今日の内容に僕は大満足した。
 手を振って客席に応えていると、黄昏が最後にマイクに向かって呟いた。
「じゃ、また」
 その瞬間、僕の胸は一杯になってしまった。
 思わず目が潤みそうになる僕を置き残し、千夜さんと黄昏はそれ以上客席を見ずに早々に舞台裏に引き上げる。そう言った無愛想な所が二人似ていて、面白かった。
 『また』と、次がある言葉を黄昏の口から聞けるなんて。嬉しくて嬉しくて、もう仕方ない。飛び跳ねたくなる気持ちを抑え、僕は最後に挨拶した。
「それじゃまたね、『days』でした」


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