→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   001.JAM

暗い部屋で一人、固い壁に背中をもたれかけて、ただぼんやりと深夜の街並が流れる放送終了後のTVを眺めていた。
TVの中じゃ無数のオレンジ色の光が、高速道路の上に蛍のように集まってる。
外界から隔離されたこの暗闇で、唯一ディスプレイの光がこの俺の存在を浮かび上がらせていた。
眠いのかも、疲れてるのかもわからない、でも眠れない。そんな虚脱感がいつからか全身を包んでる。
数時間前からなのか、それとも思い出せないほど遠い昔からなのか。そんな事さえ考えるのもうざったく感じられる。
ふと視線を落とすと、ベッドの白い毛布の上に放り出してる自分の足が見えた。
周りから見れば、きっと今の俺は糸の切れたマリオネットみたいに映るんだろうな。
そんな他愛もない事を白く霞がかった頭で考えては、また視線をTVに戻して、流れては消えていく車のライトを目で追う。
 TVに映る景色は、自分の住んでいる現実とはまた別世界のものなんじゃないか?そんなくだらない考えも、あながち嘘じゃないように思える。
さすがにずっとこの体勢のままでいると、壁に押しつけてる背中が痛み始める。その痛みをどこか他人の視点で受け止め、やれやれと横に倒れてふかふかの枕に頭を埋めた。
気持ちいいはずの枕が肌に当たる感覚が、今日はやけにうざったく感じられる。
眠れない。
最後に寝たのって何時だ?
時計の一つもないこの部屋じゃ、全く時間の間隔が掴めない。
それ以前に、今の自分が夢の中にいるのか起きているのかさえ区別できなかった。でも、そんなけだるさを心の片隅で愛しいなんて思ってたりするのもまた事実だった。
一度寝返りを打って、体の下になったシーツをひっぺ返してくるまる。
閉め切ったカーテンの隙間から見える窓の外は、完全な闇だった。鈴虫の鳴き声さえ聞こえてこない。TVの音は消したままで、冷蔵庫の寂しげな音もここまで届かない。
 沈黙が途切れるのは、自分がベッドの上で身体を動かした時の衣擦れぐらいだった。
そういや、まともに太陽の光を最後に見たのって一週間ぐらい前だったような気もする。6日前だったか、はっきり覚えてない。
部屋の窓もカーテンも閉め切って、明かりもつけないで延々閉じ篭もって暮らしてれば、時間の感覚なんてまともじゃなくなってくる。
その間、動くのは用を足す時と風呂に入る時、それと乾いた喉を水道水で潤すぐらい。
 今もTVはつけっぱなしで、かといってくだらない番組に自分の時間を裂くのも馬鹿らしくて全く観てない。とはいっても、自分の時間に何かをするわけでもなく、ただ延々、ただ延々とベッドの上で寝転がっているだけだった。
面倒臭いから何もする気が起きないわけじゃない。今の俺が、これ以外何をやっても無駄なんだって思ったから、こうやってくたばっているわけだ。
もちろん、他人から見れば堕落以外の何物でもない。
 そう非難されても全くもってその通りで、このまま世界の終わりを知らせる赤い月を待ち焦がれてる事もなく、頭の機能をできるだけ停止させて、肌に絡みついてくるたった一人の時間を感じてるだけ。
きっと社会の中で生きてる人たちは、少なくとも俺より充実した時間を過ごしてるんだろう。例えそれが、どんなに怒りや悲しみに満ちていたとしても。
「…………。」
 唸ろうと思って喉の奥から声を絞り出すけど、何も出てこない。いつの頃からか喉につっかえたわだかまりが、日が経つにつれて大きくなってきている。
 昔、声の出ない夢を見た事があった。
 いくら叫んでも、いくら喚いても自分の言葉は相手に伝わらない。でも、形のない俺に自分の気持ちを伝える手段は他に何もなかった。
 そして気付けばいつの間にか風に吹かれて、俺は無へと還っていく。ただ、その時に悲しみも何も感じなくて、胸に開いた穴がどこまでも広がっていくような奇妙な感覚が、やけに心地よかったのを覚えている。
 それに引き換え、現実はどこまでも窮屈だ。
肌にまとわりつくシーツの感触がいい加減嫌になってきて、俺は勢いよく上体を起こすとそれをベッドの下に投げ捨てた。そして両手両足を思いっきり伸ばして、素っ裸で大の字になって寝転ぶ。
部屋のひんやりとした空気が全身を染めていく。この前と違って少し肌寒い。
 しばらくして、窓の外で雨音の演奏が始まって、静かだったこの部屋が途端にざわつき始めた。通り雨なのか、雨足が強い。
ベランダに強烈な雨が一斉に叩きつけられて、跳ね返った水滴が窓に張りつく。雨に打たれて風に揺れる外の木々が、不規則なハーモニーを奏でる。
 さっきの沈黙が嘘みたいに、自然の大合唱が部屋を包みこんだ。 ちらっと横目でTVを見ると、雨は降ってない。
 やっぱり別世界だ、なんて心の中で苦笑してみたりする。
腕を伸ばしてすぐ横の本棚の上に置かれているリモコンを取って、TVの電源を消す。そのまま映像が消える――と思ったら、画面はそのままだ。
リモコンが利かない。
何度かしっかりとTVに向けてボタンを押してみるけど、電池切れなのか全く映像が消える気配がない。何だか、機械に馬鹿にされてる気分だった。
しょうがないからゆっくりと起き上がって、TVの電源に手を伸ばす。
映像が消えた瞬間、配線をちぎったような音と共に真の暗闇が訪れた。心の隅にまとわりついていた鬱陶しさがすっと消えて、ほんの少しだけ気分が楽になる。
その場で一度大きく背伸びをしてから、ベッドの上にうつ伏せで身を投げ出した。周りから光が何一つ消えてしまうと、雨音が更に勢いを増して聞こえてくる。
いきなり立ち上がったせいか、頭に血が巡って目が回った。
 このまま夢のない眠りにつければいいのに。そんな願いを胸に抱えながらじっとしてると、今度は一段と空気が冷えこんだ感覚が全身を襲い始めた。外の雨のせいだ。
風邪を引くと後々辛くなるのは目に見えてるから、渋々シーツを拾い直して体の上にかけた。 さっきまでの不快感はすっかりなくなって、じわじわと全身を眠気が襲ってくる。
 虚ろな気分に身を委ねて、いつものように自分の存在をかき消していく。
 いつ、また眠気が一気に覚めて眠れなくなるかわからないから、徐々に徐々に、深い闇の底へ潜っていく。
 暗闇が濃くなっていくような感じがする。
 不意に、外の雨が止んでる事に気付いた。
 それまでどれだけの時間意識を失ってたのかわからないけど、カーテンの隙間からフローリングの床を紺色の光が照らしてるのが視界に見えた。
 そこで突然目が冴えて、飛び起きる。
 数秒前までのけだるい気分は全部吹き飛んでいた。毛布をまとって、閉めきったカーテンを一気に開け放つ。
 心地いい音と共に、外の景色が目の前に現れた。
 紺色に包まれた街。
 窓を開けて、ベランダに出る。
 雨が止んだ後の朝は肌を突き刺す空気も、アスファルトの匂いも普段と全然違う。
 まるで街自体が生命に満たされてるような感覚。
 子宮の中で眠る胎児が、羊水に浸ってるみたいな――そんな感覚。
 雫の残る木々の緑も、いつになく生き生きとしてるようだ。
 動いてる人間もほとんどいない、まるで自分だけがこの街に存在してるような、そんなどきどきわくわくした気分が湧き上がってくる。
 世界の本当の姿はこれなんじゃないか?けたたましく、何もかもが乾いて見える午後の風景が現実だなんて思いたくもない。
 空を見上げると、刻一刻とその姿を変えていくのがわかる。
 東の空から、水彩のオレンジ色をぶちまけた光が雲を割って差しこんでくる。その光に照らされた建物が、長い眠りから甦ったように見える。
 そして紺色の空は徐々に橙に塗り変えられて、街の向こうから顔を出した朝日が世界を祝福する。立ち並ぶビルの向こうに広がる雄大な海が朝日を反射してきらめいてるのが、ここからでも見える。
 この光景を見るたびに全身の毛が逆立つような感動に心が震えて、涙を零しそうになる。
 でも、そんな素晴らしい世界も10分後には、魔法が解けて色褪せた日常へと姿を変えてしまうんだ。
 そんな世界の移りゆく姿なんて見たくもないから、一番綺麗な朝日を目に焼きつけて、部屋の中へ戻ってカーテンを閉じる。
 朝を迎えてしまうとどうしても、部屋の中は自然の光のせいで真っ暗にならない。吸血鬼じゃないけど、たまに太陽の出ない日なんてあってもいいじゃないかって本気で思う。
 あと1、2時間もすれば、街は完全に動き出すだろう。でも、俺には関係ない。
 十分に朝焼けを堪能したせいか、急激に眠気が襲いかかってきた。
 ベッドに転がるように倒れこんで、瞼の上に毛布を被せる。こうするのはあんまり好きじゃないけど、これだけでも十分闇の中にいる感覚は味わえる。
 そんな事を考えてるうちに、今日もまた黒い夢の中へ落ちていった。


トップページへ  前のページへ  次のページへ  第1巻