→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   005.一線を超えれない勇気と無謀

「死ぬかと思った……」
 落ちたのはほんの50センチ程度で、足下に大きな亀裂が走ってたおかげで岩場を登るのは楽だった。でもそれ以上に、死神が下から手招いてる気がして恐ろしかった。
 登り切ると身を投げ出すようにその場に寝転がって、仰向けになって大きく深呼吸する。心臓がおかしくなってしまったのかと思うほど激しく脈打ってるのがわかる。冷静さを取り戻すには、もう少し時間が必要だった。
「すりむいた……」
 少し離れた位置から少女の涙声が聞こえた。このまましばらく新鮮な空気を肺一杯吸いこんでいたかったけど、しょうがなく身体を起こす。
「あ痛っ!」
 地面に手を突いた瞬間、両肩に電流が走った。響く両肩をぎゅっと抱きかかえると、ちぎれるような痛みが俺を襲う。
 肉離れほどじゃないけど、全然動かしてなかった筋肉をいきなり使ったせいで筋が伸びたのかもしれない。肩甲骨の裏に食い込むように指を入れてみると、その痛みに再び転げそうになった。肩だけじゃなく、手もかなり擦りむいたようだった。
 これでバイクに乗って帰るのか思うと、かなり気が滅入ってくる。
「いきてる……?」
 力ない声が耳に届いて、少女の方向へ振り向く。また辺りが暗くなったせいで表情はわからないけど、どうやら元気そうだった。思いっきりぶん投げたもんだったから、身体を打ちつけて骨でも折ってたら大変だ。とはいえ、あれ以外に助ける選択肢はなかったのには違いない。
「あつつっ……おい、立てるか……?」
「うん、へいき……腕と足すりむいたけど」
「こっちは厳しい」
 肉体的な痛みを経験するのはかなり久しぶりだったせいか、完全に立つ気力が失せてしまってる。せめてバイクのグローブはめたまま来るんだったって思っても、後の祭り。
「あ、ダメだ、怒る気力も起きない……」
 それでも何とか立ち上がってみようとするけど、足がびっくりしてるのかすぐへたりこんでしまう。そこで唐突にさっきの自分の行動に驚いて、一気に得体の知れない恐怖がこみ上げてきた。
 よくよく考えてみれば、あと10センチ手が離れてれば激しい岩礁へ真っ逆さまに落ちるところだったんだ。その最中には助ける事しか頭になかったけど、冷静に考えてみると改めて無茶をしたもんだ。
 それに、まさか自分が人助けするだなんて思ってもみなかった。いつもなら他人を見捨てるなんて当たり前だって心の中で繰り返してるのに、いざ実際に現場に出くわすと本性が出てくるらしい。
 どうやら、俺もまだまだ捨てたもんじゃないみたいだ。
 不意に笑いがこみ上げて来て、姿勢を崩して辺り一面に響くような大声で馬鹿笑いする。膝を突いて呆然としてる彼女の視線に気付いて、ようやく笑いが収まってきた。
「……人の目の前で飛び降りるな、夢見悪い」
 一息ついてから、ようやく悪態をつく。もっと罵声を浴びせてやりたかったけど、驚きの連続で頭が真っ白になっていた。
「……ごめんなさい」
 元々小さな声が更に小さくなる。顔はよく見えないけど、どうやら反省してるみたいだった。
「まさか本当に飛び降りるなんてな」
 その度胸には感嘆の息を上げたくなる。俺でさえ変な気持ちになる前にさっさと退散しようって思ったのに。
「でも、何で飛び降りようなんて――」
 そこまで言ってしまってから慌てて口をつぐんだ。頭が真っ白になってたせいで気が回らなかった。
「…………」
 少しの沈黙。
 愁を犯した時にも傷つかなかった俺のかけらばかりの良心が小さく痛むのがわかった。
「飛び降りてみたかっただけ」
 でも、返ってきた台詞は全くの予想外だった。ふて腐れた顔できっぱり言った彼女を見てると、俺の口から盛大なため息が漏れる。そんな自分の仕草が妙にオヤジ臭くておかしかった。
「おまえな……飛び降りたらどうなるかわかって言ってるのか?」
「当たり前じゃない」
 何を怒ってるのかよくわからないけど、妙に突っかかってくる奴だな、こいつ。
 こうなったらこっちも徹底応戦する事に決めた。
「そんな興味半分で飛び降りようなんて思ってたのか?」
「キミだってそうじゃないの?」
 思わずどきりとした。
 頭の芯が一気に熱くなる。何とか言葉を繋げようとするけど、ちっとも台詞が浮かんでこない。
「キミは飛び降りなかった、私は飛び降りた。それだけの違いじゃないの、ねえ?」
「おい、ちょっと待……」
「二者択一よ。こっちを選んでみたらどうなるかってやってみただけ。できなかった人の前で」
「ちょ……」
「目の前に広がる事実に飛び込んでみただけなんだから。死ぬって言う」
 矢継ぎ早に言葉を浴びせられて、何も反論できない。
 するとこいつは、俺のできなかった事をただ目の前で見せつけたかっただけなのか?
 あまりに馬鹿げてる。
 それだけのために死ぬつもりだったのか、こいつは?
 頭の中で様々な考えが浮かんでは消えていく。そして口を開けて呆然と眺めてる俺のそばまで近づいて、顔を寄せて挑発するように笑った。
「羨ましかった?」
 ぱんっ!
「ふざけんのも大概にしろっ、バカ!」
 気付くと俺は激昂して、少女の頬を擦りむいた右手で力一杯引っ叩いていた。
「あ……」
 擦りむいた傷と強い平手のせいで痺れるような痛みが伝わってきて、爆発した感情が急速にしぼんでいく。血が昇ってたせいで、自分が立ち上がったのにも気付かなかった。
「……悪かった、ゴメン」
 慣れない台詞を口にして、俺はその場に座り直して少女に背を向けた。何か言いたげな顔を見せてたけど、結局そのまま口をつぐんでしまった。
 大海原は変わりなく、岩壁に波を打ちつけている。このまま背を向けてたら、こいつも俺に無茶苦茶な罵声を浴びせて勝手に帰っていくだろう。
 そう思って海を眺めてたけど、背後の気配は一向に消える様子がなかった。
 我慢比べに負けて振り返ると、あいつが暗がりの中でじっと目を光らせてこっちを睨んでいた。黒のワンピースと一緒に闇に溶けこんでるせいか、黒猫のような印象を受ける。
「とにかく、二度とこんな真似するなよ」
 痛みの引いてきた身体を起こして、背伸びをしてみる。かなり間接が痛むけど、ゆっくり走ればバイクでも十分帰れるだろう。
 三角座りで俺を睨んでる少女に一瞥くれて、俺はその場を立ち去ろうとした。
「待って」
「何だよ」
 これ以上こいつが突っかかって来たら、軽くあしらってさっさと帰るつもりでいた。
「上履きないの」
「……履いて来たんだろ?」
「海に落っことしちゃった」
 …………。


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