→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   009.アスファルトの味

 最悪だった。
 雨水をたっぷり吸い込んだ服の上から、さらにどしゃ降りの雨が俺の身体を容赦なく叩きつける。財布は持ち歩いてなかったから札束がびしょ濡れにならなかっただけでも幸いか。
 高層ビルに囲まれた四角い空を見上げると、そこには真っ黒な夜が広がっていて、俺の顔に雨が降り注ぐ。これだけ濡れれば、今さら雨宿りしたところで何の意味もなかった。
 このままいたら、明日絶対風邪引くな。
 用件も終わった今、さっさと家に帰りたかった。
 近道になるバカでかい公園を抜けて行く。この公園は水海で一番大きい公園で、平日なら老人や子供が、休日なら家族連れやカップルの姿を見かけ、月に数回フリーマーケットが開催されている。確かキャンディーパークとかって変に洒落た名前がついてたっけ。
 ビルと海に囲まれた緑の多い場所、今日はこの近くのファミレスにいつもバンドの面倒を見てくれてるキュウも合わせて集まり、五人で話し合いする――はずだった。
 口の中がズキズキ痛む。唾を路上に吐くと、血の混じった唾液の塊が出てきた。どうやらどこか切ってるらしい。痛みのする右頬にそっと触れてみると、どうやら腫れているようだった。
 もちろん、殴ったのは千夜だ。
 その時の場面を思い出すだけで、胸がざわざわして怒りがこみ上げてくる。
 がんっ!
 俺はライダーブーツで思いっきり、そばにある鉄製のベンチを蹴り上げた。雨音をかき消すほど派手な金属音が上がって、ベンチが倒れる。もし人がいたら、絶対にこっちを振り向いてしまうほどの大きな音だった。
 そのまま放っておいて歩いて行けばいいものを、俺は何故かわざわざ倒れたベンチを立て直して、その上に腰掛けた。ベンチは濡れていたけどこれだけずぶ濡れになっていれば一緒だ。
 背中をもたれかけて、ぼんやりと空を見上げる。顔に降り注ぐ雨水が頬を伝い、襟の内側に染み込む。首周りが少しくすぐったい。
 頭上に広がってた大きな雨雲が通り過ぎて、強かった雨も徐々に弱まってくる。
 空を見上げてる時だけは頭の中が真っ白になっていたけど、視界を地上に戻すと現実感が頭をもたげて、また腹立たしさがこみあげてきた。
 青空と少し早く来て公園の噴水前で雨の中待ち合わせしていると、時間ちょうどにキュウが千夜を連れてやってきた。久しぶりに会ったキュウは俺を見てはしゃいでたけど、千夜は一瞥くれただけで後はまともに顔を合せようともしなかった。どうやら相当恨んでるらしくて、俺も無理にこっちから話かける事はやめにした。もちろん青空は困った顔で苦笑いを浮かべてたけど。
 そのままキュウに連れられて、イッコーが先に席を取っているレストランへ向かった。
 2ヶ月ぶりにバンドのメンバーが全員揃ったってのに、テーブルには軋んだ空気が漂っていた。イッコーだけは相変わらず、一人だけハイテンションで喜んでた。
 一通りメニューを注文し終えてから、青空が俺のバンド復帰の話を切り出した。キュウはすんなり喜んでくれたけど、千夜は黙って水を飲んでいた。こんな仕草を見せる時の千夜は別に悪い気はしていない。いつもなら少しでも嫌な事があるとずかずか言ってくる。
 千夜が爆発しないのを確認して青空はほっと一息つく。
 それがいけなかった。
 このまま俺が来週のライヴに出る意志があるのを話してもいいって青空は思ったんだろう。他の人ならそのまま話を進めていけるけど、千夜は違う。
 露骨に嫌な顔をして、無言で俺を一瞥した。ずっと笑ってたイッコーも、不穏な空気を感じて笑みが顔に張り付いたままになる。
 そして次の瞬間、千夜は席を立って反論するのも嫌になるほどの罵倒、反感、拒絶。店内にいた他の客の視線が俺達の席へ集中する。
 青空が俺をかばおうとするけど、それより早く千夜の次の言葉が飛んできた。当事者の俺が、言葉に詰まってうろたえてる青空をじっと眺めてるのも悪いと思って、胸の気持ちを口に出す。
 しばらく口論が続いて、千夜は自分のグラスに入った水を冷めた顔で俺にぶっかけた。
 この態度に俺も切れて、席を立つとずっと胸の中に抱えてた千夜に対する反感をありったけぶつけた。しばらくそのまま言い合っていたような気もするけど、あまりに頭に血が上ってたせいか、内容は全然覚えてない。ただ、
「こんなバンドとっとと辞めて、別の奴らと組んでりゃいいだろ!」
って俺が叫んだ瞬間、グーが飛んできたのだけは鮮明に覚えてる。
 一瞬何が起こったのか掴めなかったけど、右頬に痛みが伝わっていくのを感じると、俺は一回り小さい千夜の胸倉をテーブル越しに掴んでぶん殴ろうとした。慌ててみんなが止めに入って、俺と千夜を引き剥がす。
 これじゃ話にならないからと、青空は憤った俺を無理矢理外に連れ出した。今日のところは先に帰ってくれって頼まれて、俺も渋々引き下がった。確かに、あのまま取っ組み合いを続けてたら、話を続けるどころか全員揃って店を追い出されてたに違いない。
 後で連絡を入れるからって俺に言って、青空は謝りながら店の中へ戻って行った。
 さっきの出来事を回想するたびに、いちいち苛立つ。頭を冷やそうと思って雨の中に飛びこんだのはいいけど、ちっとも心の炎は消える様子がなかった。
 一体どうして、みんなあんなバンドにこだわるんだ?
 3人共、何を期待して今のバンドを続けてるんだろう?
 イッコーだって、『Days』の中であいつの持ってるものを100%引き出してるかって言ったら、そうは見えない。千夜だって、性格は超ひねくれてるけどドラムの技量はこの地域一帯じゃ文句なしに一番だ。前みたくいくつものバンドをかけ持ちしてればいいのに、今は他じゃちっとも叩こうとしない。
 メンバーを集めた青空が一応バンドのリーダーだけど、自分の表現に無理して音楽を選んでるんじゃないかって思う時がある。元々青空は小説を書いてたから、何とも言えない。
 そして、面倒臭がりで怠慢な俺。
 俺自身、どうしてだらだらとバンドを続けてたのかもよくわからくなってきた。それもあるから、すっぱり辞めるつもりでずっと休んでいたのに。
 端から見ると俺達のバンドって、おままごとみたいに見えるはずだ。なのに、そんなおままごとなバンドが通いがけのライヴハウスで相当人気があるってのも皮肉な話だった。
「くしゅん!」
 身体がずいぶん冷えてしまったのか、くしゃみが出る。
 早く帰ってシャワーでも浴びて、暖かい格好で寝たほうがよさそうだ。
 そう思ってベンチから腰を上げようとした時、道の反対側のベンチに座ってる人影に気付いた。夜で暗かったせいか、今までそこにいるのにちっとも気付かなかった。
 その人影は俺と同い年ぐらいの男で、ずぶ濡れの縞模様のYシャツを着ていた。口あたりまで伸びた前髪が水気を吸って顔に張り付いているのも払おうとしないで、鉄製のベンチにもたれかかっている。
 ふと、俺と目が合った。少し垂れ気味の目をこっちに向けて、突然口の端を歪める。
 何だこいつ?
 俺を似た者同士って勝手に決め付けたんだろうか、それとも俺の滑稽な姿を見て嘲笑ってるのか?
 軽薄そうで、のほほんとした面がやけに気にくわなかった。
 そのままこっちも睨み返してやってもよかったけど、これ以上ずぶ濡れの格好でいて風邪を引きたくない。一秒でも早く家に帰りたくなって、立ち上がった。
 そいつは構わず俺を眺めたまま、自嘲染みた笑みを浮かべている。
「……おい」
 無視して帰ってもよかったのに、俺の身体が勝手にそいつにつっかかった。わざわざ喧嘩を売りに行く必要なんてないのに、千夜との一件でムシャクシャしていたせいもあるんだろう。
「へ、オレ?」
 間の抜けた声を上げて、男は自分の顔を指差した。
「他に誰がいるんだよ」
「幽霊とか茂みの中のアベックとか」
 そいつはベンチの背もたれに手を回して、その自分のくだらない答えに一人で笑う。その態度が、俺を更に不愉快な気分にさせる。
「おまえ、俺見てずっと笑ってたろ?」
 因縁のつけかたがまるっきりそこら辺のチーマーと変わらないのに我ながら呆れる。するとそいつは、嬉しそうに笑って言葉を返してきた。
「鏡見てるみたいでさ。今のオレってこんな感じなんだろーなーって」
 ちょっと待てふざけんな。どこがどう俺とおまえが似てるっていうんだ?
 俺もわずかばかりのプライドしか持ってないけど、ひどく傷つけられた気がする。
「その減らず口、叩けなくしてやろうか?」 
 無性に腹が立って、そいつの胸倉を片手で掴んでベンチから引きずり出した。
 素直に謝れば許してやろうかと思ったけど、そいつはニンマリと笑って、垂れ目の中に鋭い光を宿した。
「鏡だからさ、殴った分全部自分に返ってくるぜ?」
「上等じゃねえか!!」


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