→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   012.ニックネームは他人がつける

「どう?」
 演奏を終えて、息を整えてからステージ前のキュウに尋ねた。心ここにあらずと言った感じで、口を開けて俺達を見上げている。
「あ、あはは……ねえ、休んでる間、どこかで唄ってた?」
 俺の視線にようやく我に返ったキュウが、乾いた笑いを浮かべて意味のない質問を返した。
「いや、この五日間徹夜漬けしただけ」
「だよねー……」
 呆れてるのか驚いてるのかよくわからないけど、キュウは顎に手を当てて頷いている。
「おかげで少し喉が痛い」
 ブランクを挟んだせいもあるのか、普通に喋ってると声が掠れる。
 それでも、休む前よりも唄ってて気持ち良かった。プレッシャーももちろんあったけど、それ以上に夢中になって、自分一人で突っ走ってしまいそうになるのを何度も堪えた。3人の演奏力が大幅に上がってるのも唄い易くなった理由の一つだった。ここ二ヶ月近く、週一でライヴという強行軍を乗り越えたのも大きいんだろう。3人に出す音の重圧に囲まれて唄うのは今までになく心地良く、一体感が増してる感じがした。
「やーっぱおめーがいないと始まらんわ、このバンド」
 参りましたとイッコーがお手上げのポーズを取った。たった3曲だけのリハーサルなのにびっしょりと汗を吸い込んだTシャツが肌に張り付いてる。
「思ってた以上だったね」
 青空もギターを抱えたまま頬を上気させて、俺に微笑む。俺も力強く親指を立てて、それに応えた。
「千夜?」
 イッコーの声にドラムの方を見ると、千夜がスティックを抱えて一人でさっさとステージ裏に戻ろうとしていた。疲れを見せないように肩で静かに呼吸しながら、俺達3人に矢のような視線を投げかける。
 3人共言葉に詰まってその場に立ち尽くしてると、
「何とか様になったみたい」
千夜が汗で額に張り付いたシャギーの髪をかきあげて、ぼそっと呟いた。
「先に戻ってるから」 
 颯爽と踵を返して、一足先に引き上がって行く。その後ろ姿を見送った俺達は顔を見合わせて、苦笑した。
「んじゃ、改めてよろしく、ヴォーカルさん」
 ベースを置いたイッコーが俺に握手を求めてくる。
「完全復帰するなんて言ってない」
 漫画みたいに手を差し出す事もなく俺はそっぽを向いて、悪ぶってみせた。
「じゃあ、その時までお預けってことで」
 開いた手をひらひらさせて、イッコーは笑う。まだ、このリハーサルだけで俺がバンドを続けるなんて決め付けるのは早すぎる。じっくりじっくり自分の気持ちを確かめていけばいい。
 それからでも、全然遅くないだろう?
 イッコーも俺の目を見ると理解してくれたようで、上機嫌に鼻歌を歌いながら片付けに入った。和気あいあいと青空も楽屋に戻る準備を始める。
 ステージの上から、非常口近くで仁王立ちのまま涙を流しているマスターの姿が見えた。毎度毎度大げさだ、あの人は。
「く〜っ!『Days』の追っかけやっててよかった〜っ!」
 身体の前で両拳を握り締めて、キュウが震えている。
「ねえねえ、たそって天才?」
 ステージ前に駆け寄って来て、足を投げ出して座っている俺に尋ねて来た。
「詞書いてるのは青空で、演奏してるのは3人だって。俺はまともに弾けもしないギター持って唄ってるだけ」
「まーたまた、謙遜しちゃってこのー」
 正直に答えただけの俺に、にやけた顔で横肘を入れてくるキュウ。
 実際、俺も五日前までは勘もすっかり鈍ってて、息が続かなかったり高音が出なかったり舌が回らなかったりして散々だった。青空が泊り込みで手伝ってくれなかったら、万全の状態まで持ってこれなかっただろう。
「黄昏さーん、知り合いって言う方が来てますけどーっ」
 ステージに残ってキュウと二人で休憩してると、入口の方から、受付の井上さん(茶色に染めたシャギーがよく似合う)が可愛い声で俺を呼んだ。
「知り合い?」
 そう言われて、思い当たる節があって俺の胸が一気に高鳴った。
 でも、次の瞬間、その期待はあっさり裏切られる。
「あ、ちょ、勝手に入らないでくださいっ」
 困った顔で注意する井上さん(20代前半、彼氏ナシ)を押しのけて、入口から一人の男が入って来た。
「よおーっ!」
 思わず顔に手を当てて幻滅してしまった。俺と同じく顔にたくさんのバンソウコウとガーゼを貼ったあいつが俺を見つけて、手を振ってくる。
「すいません、知り合いです……」
 井上さん(細い身体にフィットしたオレンジのTシャツがよく似合う)に謝って、押し帰そうとするスタッフの手を止める。そいつはみんなに愛嬌を振り撒いて、右足を少し引きずるように歩きながら、俺達のそばまでやってきた。
「あれ、みょーちん?」
 キュウが男の顔を見て、思わす声を上げた。何だ、みょーちんって?
「キュウのほうこそどーしてここにいんの?」
 どうやら、二人共知り合いらしい。憩の事を『キュウ』って呼ぶのはみんな一緒みたいだ。休憩の憩、だから頭を取ってキュウ。
「アタシ、『Days』の追っかけ兼マネージャーだもん」
 胸を張って答えるキュウ。威張る事じゃないと思う。
「『Days』ってなに?」
「俺のバンド」
「いかした名前だねー」
 みょーちん(キュウ命名)は鼻を鳴らすと、右足を投げ出して俺の隣に腰掛けた。
「まだ痛むのか?」
「誰かさんのせいで」
 足をさすりながら、ジト目で口を尖らせるみょーちん。
「こっちも顔の腫れがちっとも引かない、誰かさんのせいで」
「鏡にぶつかったんじゃなかったの?」
 こっちもジト目を返していると、キュウが横から尋ねてきた。俺は無言でこいつを指差す。
「なっ……オマエのほうからイチャモンつけてきたんだろー!?」
「忘れた」
「ふざけんなーっ」
 しれっと答える俺の首を軽く締めて、みょーちんが揺さぶってくる。こっちもジト目を向けたまま、舌を出してやった。
「ねーねー、たそってみょーちんと知りあいだったんだ?」
 取っ組み合ってる俺達の間にキュウが割って入って来る。
「なに、その『たそ』っての?」
「たそのニックネーム。本名が赤根 黄昏っていうから」
 キュウがみょーちんに説明してやる。俺はあまりこのあだ名は好きじゃない。
「ぷ」
「なっ……『みょーちん』だって十分変な名前だろ、おまえっ!」
 吹き出したこいつの首を締めて、身体を思いっきり揺さぶり返す。
「それはね、本名が藍染 明星(あいぞめ あきら)で、明星って書いて『あきら』って読むから。だからみょーちん」
 またもキュウがわかりやすい説明をしてくれる。初めてこいつと会った日の夜はずっと下の名前で呼び合ってたから、あだ名の由来がさっぱりわからなかった。
「ん?」
 ふと、引っかかりを感じた。
 どこかで聞いた事のある苗字のような気がする。思い出せそうで思い出せない。
「じゃあ、次からオマエの事は『たそ』って呼ぶ。決定、絶対」
 俺が記憶の糸を手繰り寄せてる横で、みょーちんが勝手に決め付ける。
「じゃあ、こっちもおまえがそう呼ぶかぎり『みょー』って呼んでやる」
「いいよ、オレ、その呼ばれ方好きだもん」
 すごく不公平な気がしてきた。
「そう言えば、アイツ元気?最近学校以外で顔見ないんだけどさ」
 俺がぶつぶつ不満を漏らしてる横で、キュウがみょーに尋ねる。
「確か今日は和美(なごみ)と買い物に行ってるはずだぜ。キュウも一緒に行ってるもんだと思ってたけど」
「あんのヤロ〜」
 キュウが目に炎を宿らせて、あらぬ方向を睨んでいる。内容が全くわからなかったけど、俺には関係ない話だ。
「じゃ、そろそろ戻るか」
 これ以上ここで話を続けると作業の邪魔になるだけなので、俺は重い腰を上げた。
「オレはどーすりゃいいの?」
「あ、そうか。チケットないんだったな……」
 今回の俺達のライヴチケットはとっくに全部さばけてしまったから、みょーは客席に入れない。キュウによるとこの2ヶ月の間で、集客数が更に増えたらしい。
「しょうがないか……楽屋に来なよ。ステージ横で見てていいように頼んでおくから」
「やりぃ♪」
 指を鳴らしてはしゃぐみょー。どうしてそんなに無邪気に喜べるんだろう、こいつは?
 実のところ、俺達のライヴじゃ曲によってはモッシュも起こるから、怪我人を客席に入れておくのは危ない。席はあっても邪魔なだけなのでオールスタンディングにしているけど、一度もライヴを観た経験がないって言ってたこいつを客席に放りこむのはますます危なかった。
「あ、そっか、たそとみょーちんって同い年なんだー」
「オレは大学生だけどな」
「高校中退した挙句今日まで何にもやってない」
「へ?よくそれで一人暮らしできんなー」
「親の遺してくれた金があるから。保証人は子供の頃から世話してくれてた叔母さん」
「親の脛かじりつづけてるみょーちんと一緒なんだー、へー」
「こいつと一緒にするな」
「オレだって出世払いできちんと返すつもりでいるんだから、たそと一緒にすんなよ」
「どっちもどっちじゃん」
 他愛もない話を交わしながら、楽屋に戻る。先に戻っていた3人とも、それぞれ好きなように開演の時間までの暇つぶしをしている。
「あれ、お客さん?」
 椅子に座ってイッコーと話していた青空が、きょとんとした顔で尋ねてくる。俺が初めて楽屋に知り合いを連れてきたからだろう。
「どもども。へーっ、楽屋って意外と広いんだねー」
「このライヴハウスは広いほう。場所によっちゃスシ詰めなんてのもあるんだぜ」
 イッコーの説明にいちいち感心しているみょー。元々イッコーは誰に対してもオープンなところがあるから、気軽に話しかけられる事が多い。
「ん、せーちゃんどーしたの?」
「え、いや、何でも」
 みょーの顔を見てぼんやりしていた青空に、キュウが尋ねた。慌てて手を振って、オレンジジュースを口に含む。知っている顔なんだろうか?
 キュウは青空を『あおぞら』って呼びにくいから、青を音読みして『せーちゃん』って呼んでる。愁も同じだ。下の名前の方が絶対に印象が強いから、苗字で呼ぶ人間なんて一人もいない。
 俺達も椅子について、イッコー達の談話に耳を傾けた。
 青空はちょっと人見知りが激しいところがあって、少し引きつった笑いを見せている。一人で部屋の隅っこで文章だらけの小難しい本を読んでいる女子高生よりはマシか。
「あ、そうだ。開演まで後何分ある?」
 しばらく一人を除いてみんなで談笑してると、一番重要な事をすっかり忘れてた事に気付いた。
「あと一時間ぐらいってとこかな……」
 青空が自分の腕時計を確認する。
「ごめん、ちょっと俺出かけてくる」
「え、今から?」
「大丈夫、開演までには戻ってくるから」
 慌てふためく青空を横目に、俺はメットを持ってすぐ出られる仕度をする。
「そんなこと言ったっておめー、今外に出たら客のやつらにもみくちゃになるぜ」
「顔にバンソウコウ貼ってるから大丈夫だろ」
 イッコーの忠告を簡単にあしらって、店に通じる扉に手をかける。
「あのー、オレは?」
 置き去りにされるみょーが、自分を指差して困った顔を浮かべた。
「キュウの指示に従ってくれ。じゃ」
 だんっ!
 突然大きな音が楽屋に響いて、沈黙が訪れた。俺も開けた扉のノブに手をかけたまま、身を固めてしまう。
 音の方向を見ると、テーブルに拳を叩きつけた千夜が椅子に座ったまま、こっちを今にも殺しそうな目つきで睨んでいた。
「……じゃ、そういう事で」
 悼まれない空気が流れてる部屋の扉を閉めて、雷が飛んでくる前に一目散に逃げ出した。
「あれ、どこ行く気だ?」
 階段を上がったところで酒瓶を抱えたマスターが声をかけてくる。
「海見てくる」
 それだけ言い残して、足早に店を出た。すると店の前はたくさんの人でごった返してて、扉から出てきた俺に気付いて何人かが声を上げる。いくら顔にバンソウコウを貼っていても、ばれるものはばれるらしい。
「今日久々に出るから、よろしくっ」
 また言わなくていい言葉をわざわざ口に出してしまう俺。道を埋め尽くした人の顔が一斉にこっちを向いて、歓喜の声が次々に上がった。
「ごめん、ちょっと急いでるから通してっ!」
 客に捕まえられる前に人混みをすり抜けて、逃げ出す。狭い人混みで身体がぶつかるたびに、みょーに殴られた傷が痛んだ。
 何とか脱出に成功して、店の駐車場目指してダッシュする。メットを被ってバイクに跨るのに10秒もかからない。今の時間帯で往復するなら、うまく車の波をすり抜けていけばぎりぎり開演までに戻って来れる換算になる。
 エンジンを吹かすと、全力であの場所を目指した。
 海の宝石が見えるあの岩場へ。


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