→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   013.かなたへ

 店の前まで戻ってくると、出発前まではあれだけいた人溜りも落ち着いていた。
 重い足を引きずって、ラバーズの扉を開ける。
「どこほっつき歩いてたんだ、たそ!?もう始まっちまうぜ」
「ごめん、マスター」
 目を丸くして怒鳴るマスターに一言謝って、店の階段を足早に降りた。
 楽屋の扉を開けると、一人だけぽつんとみょーが椅子に座っている。
「ついさっき、みんな出ていったばっかりだぜ」
「怒ってた?」
「そりゃーもうそりゃーもう!あのねーちゃんは怒らせちゃいけないってのがこのバンドの暗黙の了解なんだなって、痛いほどよくわかったのが今日の収穫」
「悪い、今度おごるから」
「さんくすー」
 みょーと話しながら、替えの服に着替える。今まで着ていた上着はずっと走ってたおかげで、すっかり汗まみれになってしまった。ハンガーにかけてれば、帰りまでに少しは乾くだろう。
「よし、じゃあ行こうか」
 洗面所で顔を洗ってメットでくしゃくしゃになった髪を整えてから、みょーを誘う。戻ってきた俺の姿を見たみょーが、軽く口笛を吹いた。
「やっぱビジュアル系だって、アンタ」
「俺はあんなに軟弱じゃない」
「あ、偏見ー」
「どうせ俺は偏見の固まりだよ」
 話していてふと、今日で会うのが二度目の人間にどうしてこれだけ打ち解けてるのか疑問に思ったけど、紐解いてる暇はなかった。
「で、用件は済んだ?」
 会場に通じる階段を下りながら、みょーが背中に声をかけてくる。
「全然」
 もしかしてと思ってあの岩場へとバイクを走らせてみたけど、あの少女の姿を見つける事はできなかった。
 ただ、よく晴れた夕焼けが、海を照らして宝石のように光り輝いてる姿が目に焼き付いてる。青空があの場所から見た風景を歌にした曲が、心の中を流れた。
 青空は今も、一人であの場所に足を運んでるんだろうか?そんな事、訊くまでもない。
 俺は青空の曲を唄うだけ。その中に含まれてる青空の気持ちがどうであれ、俺がそれに合わせる必要なんて一つもないし、青空もそれを望んでない。自分の書いた詞を俺に託して、言霊にしてくれるのを待っている。
 何となく、青空がバンドにこだわる理由が少しだけ見えた気がした。
「元気出せよっ」
 みょーがいきなり俺の背中を手加減ナシに叩いてくる。思わずむせ返って、涙目になってしまった。
「人の心を見透かすな」
「そりゃあアンタの考えてるコトぐらい簡単に分かるって、すぐ表情に出るんだから」
 みょーは俺の肩を叩きながら笑った。ちっとも嬉しくない。
 頬を膨らませながら、今度はステージ裏に続く短い階段を上がる。
 客のざわめきが聞こえて来ると、懐かしさが強くこみ上げてきた。この場所にまた戻って来たんだと実感する。
「遅い!」
 ステージ裏に到着すると開口一番、千夜の怒声が飛んできた。今日も性格同様にぴしっと決めた黒のスーツがよく似合ってる。
「悪かった」
 俺は素直に頭を下げた。今回は全部、俺が悪い。
「……まあいい。次やったら消すから」
 すんなり謝ったのに面食らったのか、千夜が珍しくすんなり引き下がった。『消す』って言葉にひしひしと殺意を感じるのは別にして。
 照明のないステージに千夜が出ると、そのシルエットで客席から歓声が上がる。
「おーこわ」
 みょーが横で怯える素振りを見せる。気付いてないからよかったものの、目の前でそれをやったら地獄行きは決定だ。
 ステージの最終確認をスタッフ達と話し終えた青空が、こっちに気付いた。
「どこ行ってたの?」
「宝石の見える場所」
「?」
 何を言ってるのかさっぱりわからない青空を置いて曲順を確認してると、千夜に続いてステージに立ったイッコーから声が飛んできた。
「なーんか落ち着くわ、この立ち位置」
「それでもおまえの唄う曲が半分あるんだからな」
「へいへーい」
 手を上げて、イッコーが答える。そんな俺達のやりとりを見てる客席の最前列がにわかに盛り上がった。
「ひゃーっ、こんなにすげえバンドだったんだ、『Days』って」
 カーテンの隙間から客席を覗いてるみょーが口をあんぐり開けて呟いた。確かに、ステージと目と鼻の先に広がる客席を隙間なく人が埋め尽くしてる光景を初めて見るなら誰だって驚くだろう。どうやら俺がいない間にも、更に人気は上がってるらしい。それに関して特に感慨があるわけでもないけど。
「感謝しろよ、特等席で見られるんだからさ」
「オレ出てっちゃだめ?」
「絶対ダメ」
 目をキラキラ輝かせてくるみょーをキツく咎めると、ちょうど場内に流れてるSEが終わって照明が落ちる。と同時にあちこちから大きな歓声が上がった。
 うっすらと目を閉じて、歓声に身を委ねる。
 懐かしい、でも違う歓声。
 生の鼓動が数え切れないほど聞こえる。
 人々の熱気が伝わって来て、見えない恐怖に心が押し潰されそうになる。
 ぱっと目を開ける。
 闇に浮かぶたくさんの人影を捉えると、膨らんだ恐怖が一瞬にしてしぼむ。
 この人達は、俺達に何を求めてるんだろう?
 ステージから見える人の数が多くなればなるほど、その疑問はより深みを増していく。
 俺達はこの人達に何を与えればいいんだろう?
 その疑問は、ライヴを重ねるにつれて徐々に消えていった。
 すうっとステージ横から出て行く。俺の姿に気付いて、歓声が一際大きく上がった。
 周囲が騒がしくなるにつれ、頭の中から雑音が消えていく。
 走馬灯のように、俺達がバンドを組んだ時から今までの時間が目の前を通り過ぎていく。
 俺は、どうしてここにいる?
 唄いたいから。
 俺は、どうして逃げ出した?
 吸っても吸っても、呼吸ができなくなってしまったから。
 喉の奥のわだかまりが、俺の声を塞いでしまったから。
 でも、今なら唄える気がする。
 誰に唄う?
 そんなの決まってる。
 全員で目を合わせて頷くと、すぐさま千夜のスティックによるカウントが始まる。
 アンプからイッコーのベースが爆音で流れ出すと同時に、ステージを照明が照らす。引き絞った矢が放たれたように盛り上がる客席の一人一人の顔が瞳に映る。最前列付近には、毎度おなじみキュウの笑顔が見えた。
 すぐさま青空のエレキギターが鼓動を開始して、音がうねる。波がいくつも重なって、会場の中を渦巻き始める。
 俺のギターと千夜のドラミングが重なると、音の大渦は一気に俺達を呑みこんだ。
 どこまでも、遠く、唄える気がした。


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