→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   014.君がいないなんて強く唄えるもんか

 MCらしいMCもしないまま、曲だけを立て続けに演奏する。言葉でいちいち説明するより、直接音で確かめてくれたほうが直接的だし、手っ取り早い。何も他のバンドに合わせる事もない。言いたい事がある時だけ口に出せばいい。
「何か、今日はハコがやけにでかい」
「目の横が腫れてるから視界が歪んでるんじゃねーの?」
 曲のインターバルで喋ったのは、俺の感想にイッコーがツッコんだ時だけ。怪我を茶化して、俺の顔に投げかけられてた客の視線を逸らしてくれたこいつに少し感謝。
 案の定と言うか何と言うか、ずっとさぼってた俺の身体が今の激しいライヴについていけるはずもなく、何度もエアスプレーで酸素を取り入れる。俺が辛い時には、客席の波を途切れさせないように上手く曲順を変更して、イッコーが唄う曲を持ってきた。全体的にイッコーの曲はアッパーなものが多いので、ライヴを引っ張ってくれるのは非常にありがたい。
 イッコーの声質はそのいかつい外見とは裏腹に、俺よりも繊細で音域が広い。ただ、本人は自分の唄声をあまり気に入ってないらしく、わざとがなって凄みを出そうとしてる。喉を痛めるから、無理は控えてるけども。
 ライヴが後半に差しかかったところで、3度目のインターバルに入る。喉を通るミネラルウォーターが、全身に染み渡っていく。
「何きょろきょろしてるの?」
 カーテン横で俺と同じく水分補給してる青空が、俺の顔を見て訊いて来た。
「誰か探してるの?さっきからずっと客席の方ばかり見てるけど」
「久々だから、隅々までみんなの顔を目に焼き付けようと思ってるだけ」
「黄昏らしいね」
 俺の言葉に納得して、青空はペットボトルを飲み干しステージに戻った。
 青空には減らず口を叩いたけど、ライヴが始まった時から俺はずっとあの少女の姿を客席に探していた。
『今度返しに行くから』
 あの言葉が本当だとするなら、あいつは俺の事をライヴで知ったに違いない。それなら、ジャケットを返しに来るのは俺がライヴハウスで唄う日――そう睨んで、俺は今日のステージに立った。
 もしかしたらと思って開演前にあの岩場へ行ってみたけど、結局会えなかった。会えたところで、俺はそのままライヴをすっぽかしてあの子とずっと話をするに決まってる。それはそれでこいつらと絶交モノだから、ある意味幸いとも言えるけど。
 やっぱり来ないのか?
 考えを巡らせるほど、俺の胸中に黒いもやもやが立ち込め出す。それを振り払うように、ステージに戻って次の曲を唄う。
 唄ってる時は、思ったように息が続かないのも手伝ってかすぐに真っ白になれた。
 観客の歓声と熱気が会場の中に充満して、意識が徐々に薄れていく。ランナーズハイじゃないけど、ピックを持つ手が勝手に動いて、肉体と精神が一体化した感覚が全身を襲う。口が暴走して勝手に唄い出すのだけを必死に堪えて、歌詞をなぞって唄うんじゃなく、青空の詞を受け止めて俺が感じた想いを唄うように努める。
 『宝石』『地下街の砕けたガラス戸』『yourself』と最後に新曲3つを並べて演る。新曲で戸惑う客の反応を無視して全力で唄った。反論が出てこないほど納得させればそれでいい。幸い、みんなは曲をしっかりと受け止めてくれてるようだったので、満足できた。もちろん、アンコールの事なんて全く考えてない。
 ラストの曲、締めの呼吸がぴったり合って、次の瞬間大歓声が湧き起こった。イッコーはそれに応えて、マイクの前で両拳を振り上げて咆えている。盛り上がってる観客に一瞥をくれて、千夜はスティックを持って早々に楽屋へと引き上げて行った。
「楽しかったよ」
 青空はギターのピックを客席に投げて、手を振る。俺も徐々に、真っ白になってた意識がはっきりとしてきて、目の前の光景が現実味を帯びていくのを感じた。と、それと同時に絶望的な気持ちが頭をもたげる。
「来なかった……」
 時折客席を照らし出す照明の中に、あの子の姿は見当たらなかった。
 元々、俺が勝手に来るもんだと決め付けてステージに立ったんだから、後悔はない。だけど未練は付きまとう。
 ペットボトルに残った水を飲み干てし、名残惜しそうに明るさの少し戻った客席を端から眺め回す。横でイッコーがまだ、客を煽っていた。
 ――その時、自分の心臓が一際大きく高鳴るのを俺は確かに聴いた。
「……どうしたの、黄昏?」
「ちょっとみんな悪いっ!」
 楽屋に戻ろうとしていた青空の声が飛んでくるよりも早く、俺はマイク越しに大声で叫んでから客席に向かってダイブした。凄まじい悲鳴と歓声が上がって、俺は客の上に覆い被さる。
「どいてくれっ!!」
 熱狂した客達にもみくちゃにされながらも絶叫すると、俺の足を誰かが持ち上げて密集する客の上を転がそうとしてくれた。
 俺は気の利いた奴に感謝しながら、引き潮に流されたビーチボールのように一気に最後列まで転がっていく。上手く着地して、俺にかまって来る客の手を振り解きながら全力で出口へ向かった。
「ねえ、アンコールは!?」
 受付に座っていた井上さん(ライヴをカメラ越しに観ていた)が、突然会場から飛び出してきた俺にびっくりして叫ぶ。
「任せます!」
 それだけ言って俺は入口の階段を二段飛ばしで上がる。後ろで、井上さん(後でマスターに怒られる事必至)の困惑した声が聞こえた。
 外に出ると、ライヴハウスの熱気とはうって変わって肌寒い冷気が肌に差し込んでくる。
「黒いライダージャケットを着た女の子が出てこなかった!?」
 入口前にたむろしてるバンドマンの一人の肩を掴んで、訊く。あまりに血相が変わってたんだろう、俺の顔に驚いて少し後ずさりしながらも、それらしい女の子が歩いていった方向を指差してくれた。
 すかさず礼を言って、もつれそうになりながら全速力で追い駆ける。でも、ライヴで全精力を使い果たしてしまったせいか、身体が思ったように動かない。すぐに息切れして、よろけるように近くの建物の壁にへばりつく。
 こんな事なら、普段から体動かしてればよかった。
 自分の怠慢さを呪いながら、少し息が整うたびに駆け出してあの子の姿を探しては、その場にしゃがみこんで今にも破裂しそうな心臓を押さえる。
 そうやってどれだけの時間探したのかわからないけど、ライヴハウス周辺の通りを全部回り切る頃には呼吸も大分整ってきた。
 でも、見つからない。
 何で、どうして!?
 来てくれたんじゃなかったのか?
 見間違いなはずはない。客席から一瞬見ただけだけど、出口の辺りにいた見覚えのある顔は三日月の下で見た少女だった。背が低いから他の客に隠れてよくわからなかったけど、俺のジャケットを着てた気もする。
 いつから観てたんだ?最初から?いや違う。どこにいたって、ほんの少しでも顔が見えてればすぐにでも見つけられてた。じゃあ来たばっかりだったのか?ならどうして俺に会わないで帰るんだ!?ジャケット返しに来たんじゃないのかよ!?あの時「またね」って言ってたじゃないか!あれは嘘だったのかよ!?
 俺はもう一度、おまえの顔が見たいのに!!
「畜生……っ」
 そばにあった自動販売機に八つ当たりして、崩れるようにもたれかかる。するとあまり見かけない形のその自動販売機のメニューに、あの夜に港近くの喫茶店の横で飲んだのと同じ銘柄のミルクティーを見つけた。
「あ、そうか……」
 興奮していた頭が一気に冷めていく。
 ポケットから小銭を取り出してそのミルクティーを買う。受取口に出てきた缶をひったくって無我夢中でピンを開けて、乾いた喉に一気に流し込む。思わずむせて少しこぼれたけど、構わず缶を空けてから自動販売機の横に身を投げ出すように転がった。
 落ち着くまでそこで座ってると、華やかな店が建ち並ぶこの通りをたくさんの人達が様々な思いで通り過ぎていく。星屑を彩ったショーウインドウを覗き込む親子連れの姿が見える。店の入口ではしゃぎ合うカップルが手を繋いでいる。若いグループが楽しそうに話しながら俺の前を通り過ぎていく。
 そんな街の姿を見てると、よく晴れ渡った夜空に月が出ているのに気付いた。
「今日はよく見れるかもな」
 独り言を呟いて、空き缶を横のカゴに投げ捨てる。体力が回復してから重い腰を上げると酷い立ち眩みがした。久々のライヴだったから、気張り過ぎたかもしれない。
 今頃、俺がいなくなったステージもアンコールが終わってるところだろう。後で千夜にこっ酷く叱られるのは目に見えている。全く、みんなには迷惑をかけっぱなしだ。
 でも、そんな事よりも俺の心はすっかり彼方へと飛んでいた。
 あの少女が待っている場所に。


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