→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   016.想いを噛み締めて

「悪かった」
 開口一番、俺はひたすら平謝りした。
「アンコールをボイコットしてお客さんに迷惑かけたのは誰だっけ」
 珍しく、青空が冷たい人間になっている。
「女の子たちの視線が痛かったなぁー」
 イッコーが眉間に皺を寄せて昨日の夜を思い出している。
「病院送りにされたい?」
 千夜の氷のような視線が俺の心に深く突き刺さる。
「だからホントに悪かったって。このとおり」
 俺はテーブルに額をくっつけて謝った。いつもなら謝りもしないでしれっと流すはずなのに、どうして謝ってるのかわからないまま今までにないくらい頭を下げてる。
「まー、これだけ謝ってんだから許してやっか。ライヴは大成功だったんだしよ、一応」
 イッコーは椅子にもたれて嬉しそうに笑うけど、最後の言葉に刺があるような気もしないでもない。
「じゃ、ライヴおつかれさま!」
 キュウがグラスを掲げて、大声で叫ぶ。俺達もキュウにならうと、お互いのグラスを重ね合わせる音が気持ちよく貸し切りの店内に響いた。
 今日はイッコーの家が経営してる店『龍風』が休みなので、客は俺達5人以外誰もいない。中華風の装飾が施された店内に、不釣合いな洋楽パンクが流れてる。
 イッコーはロックよりもパンク寄りの曲ばかり聴く。書く曲が全体的にアッパーなのもその影響だろう。ダンスミュージックから、果てはジャズやブルースまで深く聴いていて、その音楽性は結構多彩だ。バンドの曲の幅が広いのもイッコーが中心になってアレンジを加えてるからで、青空と俺だけじゃどうにもならないから物凄くありがたい。
 いつもなら、ライヴが終わった後に必ずここにやって来て打ち上げする。わざわざ次の日の夜に呼び出されたのも、昨日のライヴで俺が抜け出したまま帰ってこなくて延期するしかなかったからだ。
 昨日溢歌と別れた後の記憶がなかったけど、多分疲れ過ぎてどうやって帰ったか覚えてないだけなんだろう。目を覚ました瞬間はそれまでの全部が夢の出来事に思えて無茶苦茶恐くなったけど、青空が入れてくれてた留守録のおかげで落ち着きを取り戻せた。
 でもせっかく晴れた日の夜なんだから、溢歌に会いに行きたかった。
 ただ、あいつが俺を待ってて残念がる姿っていうのはちょっと想像できなかった。来なかったら来なかったで、あっさりと切り捨てる冷酷な刃を心に隠し持ってる。あいつのいろんな姿を見てるとそんな印象を受けた。
 でも、溢歌とはこれからいつでも会える。そう思うと気が紛れた。だから今日はこっちに集中しよう。明日も晴れれば、会いにいけばいいんだ。
「お客さんがいてこそ僕達のやってる意義があるんだから、ああいう裏切り方は絶対しちゃ駄目だからね」
 テーブルの上に並べられた豪勢な食事(もちろんイッコーが作った)に箸を運びながら、青空が昨日の事をぐちぐち盛り返す。でも、青空の言いたい事はわからなくもない。
 前に千夜がライヴ中にあまりに演奏の調子が悪くて、いきなり途中で放り出して楽屋へ引っ込んだ事があった。それでも青空はざわつく客に対して演奏を止めないで、ドラム抜きで最後まで弾き続けた。その時のギターと言ったらとんでもなくて、横で歌ってる俺よりも存在感があったのを覚えてる。いまだにあの時のプレイを超える演奏を青空は見せてない。
 その日のライヴは青空のおかげで、最後まで何とか無事に乗り切れた。
 そして次の練習の時、普段と変わりなく現れた千夜に青空はいきなり平手を食らわせて怒鳴り散らした。青空とは子供の時からの長い付き合いだけど、あれだけ怒った姿を見るのはあの時と、昔一度あった解散の危機の時しかない。
 そんな出来事があって以来、千夜もどれだけ演奏の調子が悪くても最後まで叩くようになった。ただ、そのおかげでライヴ後の楽屋が重苦しい雰囲気に包まれたり、大爆発の巻き添えを食らうようになったのは俺からしてみれば結構痛い。
「でも、どーしていきなりあんなことやったん?血相変えてたしよ」
 唐揚を頬張りながらイッコーが俺に訊いてくる。まさか知り合いの女の子を客席に見かけたから、なんて正直に言えるわけもなく、俺は適当にはぐらかすために取り繕い、薄笑いを浮かべるしかなかった。
「彼女でもいた?」
 横から飛んできたキュウの台詞に、口をつけていたビールで一瞬むせた。
「んなわけあるか」
「だよねー、たそには愁がいるもんねー」
 黙々と食事を続ける千夜の横で、にこにこ笑いながらキュウが頷いてる。言い返そうかと思ったけど、面倒臭いのでやめた。
「ライヴの途中に私用で抜けないで」  
 日本酒を飲んで一息ついた千夜が、鋭い一言を俺に投げかけて来た。千夜は特に酔ってても態度は変わらないけど、すぐに顔に出るから耳元まで真っ赤になっている。
「次から気をつける」
 そう答えた自分の返事にふと、疑問を持った。
 次もやるのか、俺は?
 昨日のライヴの目的――溢歌に会って、ジャケットを返してもらうのはもう済んだし、これからもあいつと会えるんだから、もう俺がバンドを続ける理由は一つもなかった。
 でも――
 全身の細胞が、神経が、唄いたがっている。
 もっと叫びたいもっと唄いたいって、悲鳴を上げている。
 ずっと眠ってた気持ちが昨日を境に、ずっと昂ぶっている。
 しばらくの間は今までみたいに無気力に捕われても、唄える気がする。
 自分の気持ちに、これ以上嘘ついているのにも飽きた。
「どうしたの?」
 考え事をしてると、横に座ってる青空が首を傾げて俺の顔を覗きこんでいた。ふと視線を動かすと、酔っ払ったイッコーがキュウとじゃれあってる。
「いや、唄うしかないんだなって思ってさ」
 俺はまだグラスに残ってたビールを一気に飲み干した。いい感じに頭がぐらぐらする。
「僕も書くしかないからね」
 一通り食事を終えた青空が、膨れた腹をさすりながらため息をついた。
「おかげさまで一般人みたいなまっとうな生活なんてできないんだけど」
「同感」
「でも一般人が頑張って働いてるおかげで社会が成り立ってるんだよね」
「感謝しなくちゃな」
「どっちが幸せなのかは判らないけど」
「人それぞれだろ」
 落伍者の二人が、流れてく社会を眺めながら言いたい放題言ってる。社会人の責任だとか自覚だとか、そんなものは背負いたくもないし目も向けてない。
 再会した時に俺達二人は、まともな生き方なんて絶対にできないなんて言っては笑い合っていた。その時に一緒にバンドを組んでるなんて、さすがに思いもしなかったけど。
「ど〜したのたそちゃ〜ん」
 呂律の回ってない言葉を吐いて、いきなり後ろからキュウが絡みついてきた。耳元に息を吹きかけてくると、酒の臭いが鼻につく。
「わっ、こら、キュウに飲ませたろ、イッコー!」
「だってその方がおもしろいじゃ〜ん」
 ビール瓶を両手に抱えたイッコーがけらけら笑う。どうやらこっちもすっかり出来上がってるらしい。
「こいつに飲ませたらすぐベロンベロンになるくらいわかってるだろっ!」
「ん〜、アタシはだいじょ〜だいじょぶれふ」
 言葉の語尾がおかしくなり始めたキュウが、ずるずると俺の椅子をずり落ちて行く。
「どうして止めてくれなかったの、千夜っ」
「どれだけ飲むかはその人の自由」
 困った顔を浮かべる青空に、千夜はばっさりと切り捨てる。確かに間違っちゃいない。かくいう当人も度のキツい日本酒を一升瓶空けてるのに、全然平気らしい。
「ま、ミーティングにこいつがいても話が進まなくなるだけだし、いーじゃねーか」
 すっかり酔い潰れてダウンしてるキュウをおぶって、青空が並べてくれた椅子の上に寝かせてやる。意識はあるみたいだったけど眠気と酔いがすっかり回ってるのか、ぼそぼそと宇宙語を呟いてるだけだ。
「それじゃ、始めようか」
 空になった食器を重ねてテーブルの上をすっきりさせてから、4人で円卓を囲んでミーティングを始める。
 ミーティングと言っても、ライヴの感想、次の練習とライヴの日時の決定、それと新曲についての3つぐらいしか話合わないので、1時間もあれば終わる。
「昨日のライヴの出来はどう?」
「真っ先に俺に振られてもな」
 青空に一番手として訊かれたけど、実際2ヶ月以上前からバンドには顔を出してなかったんだから何とも言いようがない。
「ただ……みんな上手くなってた」
 精一杯言えてこんなところだ。だけど3人とも満足そうに頷いてる。
「おれもやってみるまではどーかと思ってたけどよ、リハーサルの時点でもう勝ったと思ったぜ」
 何に勝ったのかよくわからないけど、イッコーは鼻高々と胸を張った。これに関しては千夜も何も言う事はないのか、ただただお猪口に口をつけている。
「で、どう?続けるの?」
 続くイッコーの感想を早々に打ち切って、青空がいきなり本題に入ってくる。3人の視線がこっちに集中して、俺は視線を泳がせた。
「まあ……手応えもよかったんだし、無理にまた止めることもないと思う。今度はどこまで突っ走れるのか正直わからないけど。ただ……」
「ただ?」
「いや、また逃げ出したら青空に首根っこ捕まえてもらって引っ張ってくれればいいんだし」
 適当にはぐらかしたけど、青空は俺に満面の笑顔を見せてくれた。
 溢歌に、一度でいいから俺の唄うところを見て欲しい。そんな事を思った。 
 どうしてあれだけ歌を嫌うのか俺には皆目見当もつかないけど、絶対にあいつの心に届く。そんな予感めいた確信が胸の中にあった。ただ、あの溢歌が素直に聴いてくれるのかどうかはまた話が別だ。
「そういや、まだCD出さないんだ?」
 ずっと前からお流れになっていた問題をふと思い出して、俺はすっかりくつろいでる3人に訊いてみる。
 俺達は二年前から『Days』というバンドを組んで、この付近一円のライヴハウス(特に水海ラバーズ)を中心に活動してきた。その頃から既に周りから一目置かれてた千夜と、メジャーデビュー寸前で解散したバンドにヴォーカルとして在籍してたイッコーが入ったせいか、結成当時から周りに注目されていた。今みたいに客席を埋めるぐらいの人気が出てきたのは、半年前ぐらいからだ。
 ちょうどその頃に一本、6曲入りのテープを作った。タイトルも何もないお粗末なもので音楽仲間ぐらいにしか配らなかったんだけど、どこでどう間違ったのかそこからライヴをやる度に動員数が増えていった。
 今まで何度も、音楽仲間から全然知らない奴にまでCDを作らないかって話をされたけど、3人とも頑なに断ってる。キュウだけは「えー、出そ〜よ〜」ってファン意識丸出しで毎回駄々をこねてるけど、みんなに軽くあしらわれてる。
 もちろん俺は「どっちでもいい」。
「『前向きに検討しておきます。』が今の回答」
 イッコーが政治化の真似で答えて、シシシと歯を立てて笑う。どうやら気持ちは全然変わってないらしい。
「音源にした時点で全員構えてしまって、いいものが録れないのは解り切っている」
 千夜がお猪口を運ぶ手を止めてぴしゃりと言い切った。俺ももっともだと思う。CDを作るための説明を青空が続けてしたけど、興味のない俺にはよく理解できなかった。
「それじゃ、次のライヴは一ヶ月後、対バンの予定が入ってるから。ここしばらくライヴ
づくしでみんな疲れてると思うし、しばらく練習も休みね」
 青空が簡単にまとめに入ると、イッコーからブーイングが起こった。どうやらこいつは根っからのライヴ好きらしい。青空は苦笑しながら、話を続ける。
「黄昏がやる気になってくれた所で悪いけど、ちょっと間隔が開くね。その間にまたやり
たくないなんて言い出さなきゃいいんだけど」
「そうならないためにも青空が見張っててくれ」
 他人事のように言うと、案の定困った顔を見せた。
「練習の日時はまた追って連絡するから。はい、今日のミーティングは終了」
 青空が手を叩くと、並べた椅子の上で身体を丸めてるキュウがもぞもぞと顔を上げた。
「あり……もう終わったの?」
「集まってる時間も遅いしね。ほら、もう」
 青空が指差した店の柱時計の短針は、すっかり12時を回っていた。青空と千夜は家が遠いから、これまでのようにこのままイッコーの家に泊まっていく。俺は家もすぐそこだし、バイクもあるからキュウを送って行ってそのままお開き、というのがパターンだった。愁だけは毎回先に終電で帰ってたけど。
「ああ〜、でも歩けない〜」
 どうやらキュウの奴、完全に酔い潰れてしまったらしい。
「おねーさまも泊まるんでしょ〜?だったらアタシも泊まる〜」
「でも、年頃の女の子が男の人の家に泊まるって言うのは……」
 青空が耳まで赤くしてしどろもどろに答える。
「じゃあ千夜は何なんだ?」
 俺が誘うように訊くと、酒のおかげで頭の回らないイッコーが引っかかって口を滑らせた。
「だって女じゃないもん」
 次の瞬間、千夜の電光石火の左ストレートがイッコーの頬にめりこむのを俺は見逃さなかった。
「シャワー借りるから」
 床の上で海老反りに悶えてるイッコーの返事を聞く前に、千夜はまるで我が家のように店の奥へ引き上げていく。ご愁傷様。
「仕方無いなあ……おばさんに、女性二人は上の部屋で寝かせて貰うって伝えておくね」
 ため息をついてから、青空も店の奥へ入っておばさんを呼んだ。しばらく声だけの対話が続いた後、戻って来た青空がくたばってるキュウを抱きかかえて、木の階段を鳴らしながら二階へ消えて行った。
「おめーら、ここおれん家……」
 イッコーが頬をさすりながら、呆れ顔で呟いた。イッコーの両親が俺達に物凄く好意的だからいいものの、遠慮ってものをみんな知らない。まあ、俺も他人の事は言えないけど。
 一度さすがに腹に据えかねたのか、イッコーが千夜のシャワーを浴びてるところを覗きに行った事があった。その後の光景は思い出したくもない。
「ま、いいけどよ。どーせこのまま朝まで話してて、また迷惑かけるんだし」
 椅子に座り直して、イッコーはまいった顔で頬を掻いた。
 イッコーは打ち上げ後、いつも二人と朝まで話してて全然寝ないらしい。そのせいか翌日は大抵ダウンして、店を手伝えないそうだ。
 本人は自分のやりたい事をやって、あまり親の手伝いをできない事を心苦しく思ってるらしくて、また、それでも応援してくれる親にとても感謝してるってよく言ってる。その辺の感覚が、両親のいない俺にはいまいちよくわからない。
 最初から父親はいなかったし、母親も俺が中学の時に死んだ。小さい頃から両親の友人に預けられて育ってきた俺は、数えるほどしか母親の顔を見ていない。何をやってたのか、どこで暮らしてたのかもわからないまま、ある日突然死に顔を見せられた。
 母親が俺に遺産を全部渡してくれたおかげで、俺は中学卒業と同時に世話になった叔父さん叔母さんに別れを告げて、ここに引っ越してきて公立高校に通った。養子にならないかって誘われたけど、俺はその言葉だけありがたく受け取る事にした。
 これ以上迷惑をかけるのが嫌だったから。
 人は誰かに迷惑をかけながら生きているなんて、よく言う。俺もその通りだと思うし、それはもう身をもって味わってきた。今だって愁や青空、バンドの奴らやそれこそ数え切れないほどの人間に迷惑をかけ続けてる。
 でも、それがとても苦しくて、俺には足枷にしか感じられない。それは今まで自分が誰にも恩を返してない、返す事ができないからなんだと思う。
 俺にできることと言えば、唄う事とくたばってる事だけ。
 もしかすると、唄う事で誰かの助けになってるのかもしれないけど、そんな目に見えない手応えなんて俺には感じ取る事ができない。
 結局、俺はどうして通っていたのかもわからない高校も途中で辞めて、亡くなった母親の脛をかじり続けながら、ずっとあの生活感のない部屋のベッドでくたばっていた。たまに叔母さんが連絡をくれたりするけど、今まで一度も返事を出してない。
 それに比べると、父親母親に囲まれて暮らしてるイッコー達が羨ましく思えた。
「どしたん?おれの顔じろじろ見つめて」
 身体に染みこんだ酒を中和するために水を飲んでたイッコーが、俺の顔を見返す。
「いや、イッコーの作った料理は何でこんなに美味いんだろうなって」
「そりゃおめー、オヤジとオフクロに仕込まれたからに決まってんじゃねーか」
 俺のその場凌ぎの言葉を、得意げに返すイッコー。
「……なるほどな」
 その台詞に、イッコーの両親に対する愛情が詰まってる気がした。
「よかったら、今度飯の作り方教えてやんよ。どーせ愁ちゃんにつくってもらってばっかなんだろ?」
「考えとくよ」
 イッコーの申し出はありがたいけど、俺は基本的にものぐさだから料理なんてほとんど自分で作らない。一瞬愁に作ってあげれば仲直りしてくれるかなって思ったけど、それ以前に愁が家に来てくれるかさえわからない。
「ふぅ、やっと寝ついてくれた」
 しばらくイッコーと話してると、二階から青空が疲れた顔で戻ってきた。気付くと、服の襟がよれよれになっている。
「もう暴れて暴れて……抱き着いてきて離さないんだから。だからキュウちゃんにお酒を飲ませると……」
 勘弁してくれと崩れるように椅子に座る青空。キュウは酒を飲むと普段の絡み癖が更にパワーアップするんだから、想像しただけで思わず俺も顔をしかめてしまう。
「あれ、口紅ついてんぞ」
「うわわわっ」
 イッコーが顔を指差すと、青空は慌てて袖で頬をこすった。最初っから口紅なんてついてないのに。
「じょーだんだじょーだん!」
「なっ……!?」
 呆気に取られてる青空を尻目に、大爆笑するイッコー。からかわれた事に気付いて、青空は拗ねて顔を背けてしまった。
「だからキュウに酒を飲ますのは嫌なのに……」
「なーなー、何回キスされたん?」
「うるさいなーっ」
 絡んでくるイッコーに背中を向けて青空は頬を膨らましてる。さすがに悪いと思ったのかイッコーも謝ると、ようやく機嫌を直してくれた。
「でも、そのまま押し倒してもよかったのによ」
 一段落ついた後のイッコーの言葉に、青空は眉を細める。
「酔ってる女の子と無理矢理やるほど獣じゃないよ」
 泣き叫ぶ女の子を無理矢理犯るのは獣なんだろうか。俺は頭の片隅でそう考えるけど、口には出さない。
「童貞のくせに一丁前なこと言うねぇ」
「だっ……それは、好きな人に捧げたいな、なんて思ったり……」
「普通逆だろー、それ」
 言葉に詰まりながら答える青空を見て、イッコーはげらげら笑っている。
 青空は普段なら年上の貫禄を見せるのに、女の子の話になると途端立場が逆転する。奥手なのかと言えばそんなふうには見えないし、特にモテないわけでもなく、むしろルックス的には中の上で、バンドの中でも女の子達に一番人気がある。俺はどうやら近寄り難いオーラを発しているらしくて、あまり寄って来ない。イッコーはむしろ男に大人気。
「抱くのは最初で最後の人だけってねー、んな子供じみたことを言い張って実行してんのって青空ぐらいだぜ」
「いいじゃないっ!僕の主義なんだからっ」
 イッコーに遊ばれて、青空は水を飲みながら唸っている。
「でも、べつにキュウのことは嫌いじゃねーんだろ?ならいいじゃんか」
「……キュウちゃんは遊んでる感じがする」
『…………』
 青空のこの一言には、俺達二人は何も言葉を返す事ができなかった。
「……別の意味でも怖いもんな……」
 イッコーは視線を泳がせながら水を飲む。ますます場の空気が重くなった。
「した?」
 俺がイッコーに最低限の言葉だけで訊いてみると、無言でぶんぶん首を左右に振ってみせた。
「した?」
 今度はイッコーが俺に訊き返してくる。俺も無言で力一杯首を左右に振った。
「したい?」
 青空が俺達を指差して訊いて来る。俺達が無言で首を振った後に指を差し返すと、青空は顔の前で両手を大袈裟に振ってみせた。
『……はー』
 盛大なため息が店内に漏れた。
「まだ話してたの」
 シャワーを浴びる前と同じ服装で、濡れた頭をタオルで拭きながら千夜が戻ってきた。相変わらず、色気ってものが全くない。キュウはそこが千夜のいいところだって言うけど、俺にはピンと来なかった。
「何かあった?」
 沈んだ空気を感じ取った千夜が俺達に訊いてきたけど、誰一人として返す気力がなかった。首を傾げながら千夜も席に着く。
「じゃあ、俺もそろそろ帰るとするかな」
 特に帰ったところで何もする事ないけど、このまま残って4人で話してるのも疲れるから引き上げる事にした。イッコーがブーイングをしてくるけど、毎度のように無視する。
「あ、そういえばあの後みょーはどうした?」
 帰り仕度をしながら、今まですっかり忘れてた正体不明の存在の消息を青空に訊いてみる。
「ああ、黄昏の連れて来た人?キュウと一緒に帰ったよ」
「そういえば知り合いだって言ってたっけ」
「ねえ黄昏。昨日みょーさんを誘ったのって……」
「携帯」
 青空が何か俺に訊こうとした時に、千夜が横から声をかけてきた。テーブルの上に置いてあった俺の携帯のアンテナが点滅してる。
「一体誰だよ、こんな時間に」
 ほとんど着信のない俺の携帯にかけてくる人間と言えば、ここにいる奴らぐらいしかいない。間違い電話だろうと思って電源を切ろうとした瞬間に、ディスプレイに映った発信相手の名前が目に飛び込んできた。
 俺はひったくるように携帯を掴んで、そそくさと店の隅に移動する。
「おい、一体今頃どうして……」
 俺が怒鳴るよりも早く、携帯の向こうから聞き慣れた声がした。
「あ、よかった、繋がって……。ねえ、たそ。終電に乗り遅れちゃってさ、迎えに来てくれない?」
 22日振りに聞いた、愁の声だった。


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