y tasogare's 024 →Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   024.天使二人

 7ヶ月前――
「どこをほっつき歩いていた、この馬鹿!」
 楽屋に入ってきた俺に、いきなり千夜の罵声とステンレスの水筒が一緒に飛んできた。右腕でそれをガードすると鈍い痛みが広がって、次の瞬間激痛が走る。
「つ――っ!!」
 俺は腕を押さえてその場でうずくまって、小さく跳ね回った。床には水筒から零れた麦茶が広がり出してる。
「ちょっ……大丈夫!?」
 慌てて青空が俺の元に駆け寄ってくる。俺が顎をしゃくって水筒を戻すように促すと、困った表情のまま青空は水筒の蓋を閉め直して、テーブルの上に置いた。イッコーが床に零れた麦茶を冷めた目で眺めながら、何やらぶつぶつ呟いてる。
「だんだん狂暴になってくるな、このお嬢様は……おー痛い痛い」
 俺は皮肉をこめて呟きながら、水筒の当たった腕をぐるぐる回してみて動くかどうか確かめる。別段骨にヒビが入ってる様子もなかったけど、5日ぐらい打撲で痛むだろう。
 と、次の瞬間小さい何かが俺の顔目がけて飛んできた。慌てて顔をそらすと、それは入ってきた扉にぶつかって床に落ちた。イッコーのベースの黒ピックだ。
「二度とその呼び方を口にするな」
 黒縁の丸眼鏡の向こうから、千夜が氷のような目線で睨んでくる。このピックを投げたのも千夜らしい。
 俺はピックを拾ってパイプ椅子に座ってるイッコーへ投げ渡した。するとそれはイッコーの膝に抱えてあったベースに当たって、床に落ちた。イッコーは風船ガムを膨らませながら落ちたピックに視線を落としてる。
「やる気なさそうだな」
「おめーよりはマシだわ」
 イッコーは俺に笑い返して、指でベースを弾き出した。シールドが繋がってないからアンプから音は出ない。以前なら本番前に音を出して練習してたのに、今はただかったるそうに弦を爪弾いてる。
「何やってたの、今まで?もう本番始まっちゃうよ?」
 青空が心配そうに訊いて来る。俺が今まで何をやってたのかもわかってるくせに、毎回毎回律儀に尋ねる。
 だから俺も毎度のように答えた。
「部屋で寝てた」
 案の定、椅子に座って煙草を吹かしてた千夜が俺に向かって物を投げてくる。今度は吸殻の入った灰皿だった。
「うわわわ」
 俺が素手で叩き落とすと、灰皿の中身が飛び散って横に座ってた青空の服に思いっ切りかかった。床に落ちたアルミの灰皿が音を立てて回る。悲惨な状況になった青空を見て千夜は謝ろうとしたけど、言葉を飲みこんで代わりに俺を必死の形相で睨みつけた。
「大丈夫か、青空?」
「平気平気……でも、これじゃジャケット使えないね」
 煙草の灰で汚れたジャケットの右袖を恨めしそうに見つめながら、青空はため息をついた。しょうがなくそれを脱いで、壁際のハンガーにかける。
「ま、そっちのほーがいーんじゃねー?ライヴ始まったらどーせ熱くなるっしょ」
 シシシとイッコーが楽しそうに笑う。でもその笑い方は、相手の不幸を楽しんでるような感じを含んでいて癪に障った。
「でも、よくこんな状況でやってられるよな、実際」
 イッコーがガムを膨らますと、破裂して顔にかかった。邪魔臭そうにそれを引っ剥がして、足元のゴミ箱に捨てる。
 こいつの言う通り、俺達のバンド内の状況は今までで一番、最悪だった。
 俺が邪魔臭くなって練習をすぐにサボる、バンドに出てこない。青空がスランプで曲を書けなくなって、新曲が全然完成しない。イッコーがバンドの音の方向性に疑問を持ち始めて、自分勝手にベースの音色を変える。そしてこんなバンドの状況にかんしゃく持ちの千夜が煮えを切らして暴れ回ってる。
 いつ解散してもおかしくない状況だった。その話も何度か青空が口にしてたし、千夜は他にいくつもバンドをかけ持ちしてるからこんなバンド早々に見限っても大丈夫だろうし、イッコーも自分の音楽をやりたくなってウズウズしてるようだ。
 元々俺は青空に誘われてこのバンドで唄ってきてるだけで、別にバンドが解散したって何のデメリットもなかった。特に最近は全くやる気がなくなって、家のベッドの上でくたばってる事が多くなった。青空も曲作りにすっかり自信をなくして俺の家にほとんど来なくなったし、もうこれ以上このバンドを存続させてても無意味だろうなって俺は思う。
 もし、俺が今日のライヴで勝手にMCで「今日で解散」って言ったところで、他の三人は驚きもしないだろう。だけどこのバンドは青空を中心に組んだものだから、幕引きも青空に任せたかったのも本音だった。
 よくこんな練習もまともにしてない無茶苦茶な状況で、本番になったら四人の形がまとまるのか不思議でならない。
 このバンドを一年半続けてようやく固定客もついてきて、そこそこ客を集められるようになったけど、ここ最近のライヴには全然進歩が見られてない。最後に行ったのはラバーズのクリスマスライヴでの出演で、そこでは何とか解散の危機は免れたものの、状況は好転する様子も見せなかった。
 客はどう感じてるのかわからないけど、俺達からすれば思いっきり煮詰まってた。おそらく客もそろそろ徐々に感じ始めてくるだろう。そうなったら俺達はもうドボン、だ。
 空中分解するのも、時間の問題だった。
「あーあーあー」
「どしたん?喉でも痛むん?」
 イッコーが喉をさすってる俺に尋ねた。どうやらここ数日冷えこんでいたのに、いつもと変わらずに裸にシーツ一枚で寝てたせいか風邪を引き始めてるらしい。
「まあ、いいだろ。無理ならイッコーに唄ってもらえばいいんだし」
「おれやだぜ」
 俺の申し出をきっぱり断るイッコー。しばらく睨み合ったけど、本気で唄うつもりがないらしい。青空はもう止める気力もなくしてるのか、ため息も出ない顔でぼんやりと今日の曲順の書かれた紙に目を落としていた。
「やる気あるのか貴様達!!」
 突然千夜が席を立って、大声で怒鳴り散らした。火のついた煙草を投げ捨てて、目を丸くしてる俺達に歩み寄ってくる。
「唄うつもりがないなら帰れ、ステージに上がるつもりがないなら消えろ!」
 物凄い剣幕で俺の胸倉を掴んで、そのまま後の掃除用具入れのロッカーまで押して行く。
身長も一回り小さい女性の千夜なのに、俺を掴む手は凄まじい力だ。
 背中にロッカーが当たると、千夜は殺しそうな目つきで真下から睨んでくる。
「貴様達がいなくても、私と青空の二人で十分。かえってその方が上手く行く」
「おいおい、ちょっと待てって。客はどうするんだ?ヴォーカルがいないとわざわざ客に
観に来てもらった意味がなくなるじゃないか」
「やる気の無い人間に唄って貰う必要なんてない。歌が可哀相だとは思わないの!!」
 言いたい事を言われて、さすがの俺も切れた。掴まれた胸倉の手を両手で弾き返して、千夜の身体を突き飛ばす。千夜は女性らしい悲鳴を上げて、床に転がった。
「それならわざわざライヴの日程組む必要なんてないだろう!まともにバンドが回転してない状態で客の前で演奏するなんて考えのほうが甘いんじゃないのか!」
 俺はそれだけ言うと、皺になったYシャツの襟を直して、扉へ大股で歩いて行こうとした。
「どこ行くの、黄昏!?」
「帰る」
「帰るって言ったってもう、ライヴ始まっちゃうよ!」
 俺の腕を掴んで必死に帰すまいとする青空。俺はその手を邪険に払いのけて、扉に手をかける。すると立ち上がった千夜が、
「青空、鍵閉めてそいつを押さえて。今から消すから」
抑揚のない声で呟いて、掃除用具入れのロッカーへ向かった。
「おいおい……」
 冷や汗が俺の背筋を伝う。予想以上の行動に固まってる俺を横目に、千夜は無言でロッカーの扉を開けた。
「きゃん」
『?』
 突然楽屋に黄色い悲鳴が上がった。そして次の瞬間、ロッカーの中から女の子が二人、重なるように転がり出てきた。
「あだだだだぁ〜っ」
「重いよキュウ、重いって」
「なに言ってんの愁、アタシこの前ダイエットしたばっかりなのに」
「今日来る前にケーキたくさん食べてたじゃない、喫茶店で」
「あれは昼食なの、ちゅ・う・しょ・く。」
「朝はなに食べてきたの?」
「ホットケーキ3枚、シロップたっぷり」
「全然ダイエットの意味ないじゃない〜」
 呆気に取られてる俺達を尻目に、二人は床の上で重なり合ったまま言い合いしている。
「……あのう……」
 青空が恐る恐る尋ねると、それでようやく二人は周囲の状況に気付いて会話を止めた。
「あ、あは、あはははははははは」
 上に重なった丸眼鏡をかけたほうの女の子が、慌てて壁まで飛びのいて乾いた笑いを見せた。肩まで伸びた金色に染めた七三分けの髪が目に眩しい。
「ほらやっぱり見つかったじゃない。最後まで隠れてるなんて最初から無理だったってわかってたのにさ」
 深緑のスリムな長ズボンについた埃を払いながら、下になってた女の子が愚痴を言う。小さな顔にボリュームのある栗色の髪が首筋に伸びてて、小動物を思わせるような容貌が胸の辺りをくすぐる。
「だってしょーがないでしょー、まさかバンド内がこんなに険悪だなんて知らなかったんだもん。わかってたらこんな危険冒してまでロッカーの中に隠れないわよっ」
「ロッカーに隠れようって誘ったの、キュウじゃないのさ。あたしファンでもなんでもないのに」
「そりゃーライヴハウスに初めてやってきた可愛い愁ちゃんに隅から隅まで丁寧に教えてあげようというこのアタシの聖母マリア様のような心遣いが……」
「素直に一人で隠れるのが怖かったって言おうよ、キュウ」
 俺達の事なんてお構いなしに話し続ける女の子二人。千夜は頭のてっぺんまで登った血も一気に引いてしまって、毒気を抜かれた感じで二人のやりとりを眺めてる。イッコーも目を丸くしたまま、何が起こったのかさえよくわかってないのか一言も喋れない。俺もさっきまでの剣幕が嘘のように静まり返ってしまって、扉の前で茫然と突っ立っていた。
 楽屋内に流れてた険悪な空気も一気に吹き飛んで、すっかり和やかムードになっている。
「あの……お客さんはここに入って来ちゃ駄目なんだけど……」
 青空が困った顔で二人に近寄って、しどろもどろに説明する。
「あーっ、本物の青空だっ!」
 するとキュウって呼ばれた金髪の女の子が、大喜びで突然青空に抱きついた。不意をつかれたせいで青空は後によろめいて足を滑らせて、二人重なって床に転んだ。
「おい、大丈夫か青……」
 手を貸してやろうと思ってテーブルの陰に消えた青空に、身を乗り出して声をかけようとしたら、目の前で繰り広げられてる光景に言葉が詰まった。
 青空の唇に、女の子の唇がしっかり重なっていた。
「きゃー、唇奪っちゃった♪」
 青空の上で、一人興奮してはしゃぐ女の子。被害に遭った青空の方はと言うと、大きく目を見開いたまま髪の毛を真っ白にして固まってる。
「お……何なんだ貴様達はっ!」
 千夜が顔を真っ赤にして、青空の上に乗っかってる女の子の肩を掴んで引き離す。
「きゃーっ、千夜おねーさまだーっ♪」
 すると今度は、女の子は千夜に勢いよく抱きついて頬をなすりつけてきた。珍しく千夜は頬を真っ赤に染めて、慌てて引き剥がしにかかる。
「真っ白に燃えつきてます」
 イッコーがそばまで寄ってきて、青空の頬を指で突っついてみるけど何の反応もない。その理由は、何となく察しがついた。
「こら、そこの!この子を何とかしろっ」
 押しのけても押しのけても絡みついてくる女の子に痺れを切らして、千夜がもう一人の女の子に助けを求める。愁って言う名前の彼女が女の子の脇に腕を回して引き離すと、ようやく落ち着きを取り戻した。
「キスされた……」
 真っ白になってた青空がぽつりと、絶望的な顔で呟いた。
「初めてだったのに……」
「そりゃーよかった。お幸せにな」
 頭を押さえてうなだれてる青空の横で、イッコーがゲラゲラ笑っている。ご愁傷様。
「ふうっ。本番まで10分も無いのに……」
 千夜がシャギーの髪を掻きむしって、訳のわからない女の子二人を睨みつける。
「まーまー、そんなに怯えさせてどーすんだわ」
 肩を縮めて震えてる彼女達の肩に手を置いて、落ち着かせてやるイッコー。
「おれたちのファンなんだろ?だったら大切にしなきゃなー」
 千夜はしばらく笑顔を見せてるイッコーに視線を移して睨んでたけど、やがて無言で踵を返して本番の準備に取りかかり始めた。
 よく見ると、金髪の女の子には見覚えがある。俺達のライヴで、いつも最前列付近で観てくれてる子だ。もう片方の俯いてばかりの女の子は全く知らなかったけど、さっき話してたように金髪の女の子がライヴへ誘ってきたんだろう。
「なあ、どうしてここに入って来たんだ?」
 とりあえず、訊いてみる事にした。こんなふうに楽屋にファンが押しかけてくる事は初めてなので、簡単にあしらっていいものかどうかよくわからない。青空に訊いてみても良かったけど、今は全く使いものにならなかった。
「えー、『Days』のみんなに会いに来たかったから。もちろん本命は千夜おねーさま♪」
 千夜の背中に熱い視線を送りながら、金髪の子が答えた。千夜はあえて無視して黙々とスティックの状態を確かめている。
「それといろいろ訊きたいコトとか言いたいコトとかあったもん。手紙とかでもよかったけど直接会いたかったしー。アタシこのバンドの追っかけだからね」
「そりゃあ嬉しいけど、もう本番なんだから後で聞くよ」
 言ってから、俺は自分の口をとっさに塞いだ。
「わー、唄ってくれるんだ!?よかったー、黄昏帰らなくて」
 隣の女の子の手を取って、上機嫌に喜ぶ彼女。
 言ってしまったからにはもう遅い。女の子達の後ろでイッコーが俺の顔を見ながら口元を緩めている。
 まんまとハメられたような気もするけど、しょうがない。今日だけは真面目にやるしかないか……。
「わかったよ、唄えばいいんだろ。せっかく俺達に会いに来てくれてるのに、目の前で期待を裏切っちゃダメだからな」
「ホントー!?やったねっ、愁♪」
「う、うん……」
 栗髪の子の手をぶんぶん振りながら、金髪の子は全身で喜びを表現した。
「んじゃおれも、ちょっくら本気を出すとしますか」
 イッコーは今までのだらしない顔に活力をみなぎらせて、ストレッチを始めた。千夜も準備を終えて、まだ立ち直れない青空の頬をばしばしと容赦なく叩く。かなりショックを引きずってるようだったけど、青空も女の子達に力ない笑みを見せてから自分の準備にとりかかった。
「じゃあ、ステージ横で観るか?スタッフに頼んでおくから」
「ううん、チケットもあるし客席から観るー。今からじゃ前のほうには行けないけど、今日はライヴハウスデヴューの愁も連れてきてるし。アタシから誘っておいて初心者置いて楽しむのもなんだから、後で二人でじっくり観てるよー」
「わかった。ライヴ終わったら正面から楽屋に入ってきていいから。ちゃんと話つけておく」
「さーすが黄昏、カッコいいよー」
 金髪の子は俺の腕を取って飛び跳ねる。最近全然千夜以外の女の子と話してなかったから、結構恥ずかしい。
「それじゃみんな、頑張ってねー。さ、行こ、愁」
「う、うん……」
 栗髪の子の手を取って、彼女達は楽屋を出て行く。扉を出る時に栗髪の子が振り返って、俺達に小さく頭を下げていた。その仕草が妙に可愛らしい。
「あ、そーそー」
 一度閉まった扉を開けて、金髪の子が顔だけちょこんと出してきて、言った。
「今日もこれまでみたいな演奏なんてしたら、アタシ怒るからね」
 音を立てて、扉が閉まる。
 俺達は4人で顔を見合わせて、苦笑した。
 俺は着ていた黒ジャケットを脱いで、呟く。
「見せてやるか、あいつらに」


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