→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   027.どっちもどっち

 風が吹く。
 無数の木の葉が波打つ漣のように豪快な音を立てる。唯一海の波と違うのは、ぶつかって砕ける波打ち際がない事。
 木の葉がお互いに擦れるその音が砕けたら、一体どんな音を奏でるんだろう?
 訳のわからない事をしばらく考えてると、横で反対向きに寝転がってるみょーが口を開いた。
「オレも一度だけ、キスしたことある」
 衝撃の告白とでも言うんだろうか、みょーの口からそれを聞かされた瞬間はさすがに心臓が一際大きく高鳴った。
 本人も和美さんも、愁の初恋の相手の名前は口に出してなかったけど、それが誰なのかわからないほど俺もバカじゃない。それでも、胸にぽっかりと大きな穴が開くのは避けられなかった。
 みょーにその事を言おうとしたけど、やっぱり止めた。殴られるからじゃない。ただ、そうしないといけないんじゃないかって思っただけだ。
「告白されたんだぜ、実の妹に。笑っちゃうだろ?『ずっとずっと、好きだったよ』ってさ。なに言ってんだコイツって思った。ばっかじゃねーのってさ」
 みょーがそう笑って吐き捨てた瞬間、俺は飛び跳ねるように起きて、みょーの上に飛びのって有無を言わさず顔を本気でブン殴った。でも、みょーは張りついた笑みを顔に浮かべたまま、俺の頭上に広がる緑を眺めている。何度かそのまま殴ると横を向いて口に溜まった血を唾液と共に吐き捨てて、ようやくみょーは俺の顔を見た。
「……殴られなくたってわかってるって、アイツがどんな想いでオレを見てたのかぐらい」
 頭に昇ってた俺の血が一気に引いていく。俺はよろよろとみょーの上から離れて、また草むらの上に仰向けに倒れこんだ。  
「わかってたよ、わかってた――でも、知らんプリを続けてただけだ、オレ。びびって、必死に耳塞いでた。だって、アイツは妹なんだから、どう足掻いても、可愛い妹にしか見えないんだからよお」
 言葉を荒げるみょーの心が泣いているように聞こえて、俺はこいつの気の済むまで聞き役に徹してやろうって決めた。
「……別にさ、実の肉親だからどうとか、そんなのは全然関係ないの。ただ、ずっとしょうがねえオレにかまってきて、世話を焼いてるつもりでいてさ、実はオレがいないと何にもできないアイツを見てると、ホントに妹見てるようにしか思えなくって。ま、妹なんだけど」
 俺に殴られた顔をさすって愚痴をこぼしながら、みょーはゆっくりと続ける。
「だからいいかげんこのままずるずる行っててもなーって思っててさ。だからオレが大学にでも入ったら、アイツがあっさり諦めてくれるような彼女でも探そうって思ってた。まさかそこでいきなり和美に逢うなんて思ってもみなかったけど」
 和美さんの名前が出て、思わず俺は顔を上げそうになった。
「いいだろ、アイツ?オレが言うのもなんだけどさ」
「もったいないくらいに良過ぎる」
 間髪入れずに俺が言うと、みょーは大笑いした。
「オレだってもったいないって思うって、正直。でも、こんなオレに尽くしてくれるんだからマジ嬉しいよ。たそだってさ、アイツがかまってくれて悪い気はしないだろ?」
「しない、しないけど……」
 それとこれとは全く別物だろう。
 和美さんには母親のように抱き締めてくれる器量はあるけど、愁はそうしようとして、逆にかまってもらうようなタイプの女の子だ。
 みょーは兄妹だから今の俺達みたいな深い関係まで行ってないはずだし、そこまで苦しい思いをしてないからそんなに楽天的に言ってられるんだろう。
「でさ、アイツに和美を紹介して。これで一件落着かなって思ってたら、次の日にキスしてくれって。オレ――オレ、迷ったけど、なにも言わずにキスしてやった。その時だけは、ホントの恋人にキスするみたいにさ。ありがとう、ごめんなって想いこめてさ」
 その時だけ、みょーの気持ちが痛いほど感じられた。
 他人を傷つける時の痛み。それも、暴力のようにただ傷つけるだけじゃなくて、逃げ道がなくて避けられないからどうしようもなく。足枷を解いて前に進むために必要だから、互いを傷つけ合う。
 してしまった本人も、されてしまった相手も二度と消えないほど深い深い傷を負って。本当ならこのままずっといたいのに。傷つけたくなんてないのに。
 でも、時が流れてる以上、その時は絶対に訪れてしまうんだ。
 だから、その傷が後々大切だったって思えるような、そんな未来が来るって信じて。
 涙が出るのはその時だけなんだから――
「それから、アイツがオレに好意の視線を向けることもなくなってさ。オレが連れてくる和美ともすげえ仲良くなって、ああ、よかったなって安心してたんだけど……」
 そこでみょーは話を途切らせて、言いにくそうに口を押さえてもごもご呟く。
「殴んなよ」
「何が」
「オレが次言うこと聞いて、殴ってくんなよ」
「……わかった」
 俺に一旦断ってから、みょーはとんでもない事を口にした。
「3ヶ月後、和美とやってるところを見られた」
 問答無用でみょーの身体に散々蹴りをくれてやった。
「殴んなって言ったじゃんか!」
「だから蹴ってやった」
 ふくらはぎを押さえてもんどり打っているみょーを見下ろして、俺は吐き捨てた。
 その時の愁の内心を俺がいくら考えてみても、きっと本人の想像を絶する気持ちを察することはできないんだろう。俺は本気でこの男を海に沈めたくなった。
「まあ聞けって……続きがまだあるんだからさ」
 憤ってる俺をなだめてくるみょー。これ以上こいつが変な事言ったら完膚なきまで叩きのめす事を心に誓い、俺は我慢して話を聞く事にした。
「それであいつ、ショックでキュウの家でずっと寝泊りするようになってさ……一週間ぐらい全然家に帰って来ないの。で、和美と困ってたんだけど、ちょうど三日後に愁の誕生日でさ。そこで和美にアイツにあるものをプレゼントしてやってって頼んだの」
「あるもの?」
「こればっかりは言えない、約束だから」
 俺はそれ以上詮索しないで、もう一度地面の上で大の字になった。
「で、そしたら家に戻ってきてくれて。それからは前よりも仲良くなってさ、もうこれで家庭円満言う事なしって思ってたんだけど。――ついこないだまで」
 そこでようやくみょーは背中を起こして、俺の顔を見て頭を抱えた。
「何の未練もなくオレと話してくるから、もうてっきり割り切れたんだなーって思ってたら、オマエだもんなあ……」
「俺じゃ悪いのか」 
 そこまで絶望的な顔をされると俺だって黙っちゃいられない。
「逆だよ、逆」
 身体を起こした俺に、みょーはため息をついて言った。
「なんでオレと全然変わらねーたそなんだってことだよ」
「そんなの……あいつが好きだったの、おまえだったんだからしょうがないじゃないか」
「あ、そっか……」
 俺に言われて初めて気付いたのか、みょーは大きく口を開けてから立ち直れないほどがっくりうなだれた。黙ってようと思ったけど、気付けよ、それくらい。
「別にいいけどさ、オレみたいになるなよ。オレみたいに断る理由なんておまえにないし。アイツを泣かせる真似なんてしてみろ、本気でぶん殴るからな、兄として」
 みょーは指をバキバキ鳴らしながら、俺を睨んでくる。俺の事情は知ったこっちゃないって事か?俺にだって選ぶ権利はあるってのに。
 もちろんそんな事を口にしたらリアルファイトになるのは目に見えてるから、その場で反論はしなかった。それ以前に、これから俺達がどうなっていくのか、明日だってわからないっていうのに。
 厄介な奴がいたもんだ、全く。
「そろそろ戻ろっか、寒くなってきたし」
 みょーが立ち上がって、俺に手を差し伸べてくる。長い間話しこんでいたせいか、太陽は昼から夕方の顔に表情を変えつつある。木々を吹き抜ける風が頬に当たると冷たい。
「じゃあ、後少しここにいてから、俺達は帰る。みょー達は?」
「ん、もうちょっと部室にいるわ。部活のヤツらと話がちょっとあるし」
 手を掴んで起こしてもらって、二人で秋空の下、大学の校庭を歩く。授業の終わった学生達の姿が多くて、公園のように見えるこの場所が大学だって事を思い出させる。
「あ、そういえば俺も訊きたい事があった」
 ずっと思い出してなかったから、絵を見せられた時に訊くのをすっかり忘れてた。
「なに?」
「あの絵、あそこにないかな?俺達のテープのパッケージに使ったあの絵」
 たくさんの色違いの鎖が絡みついた大きな石の絵。
 実は今日の前にも俺は一度、こいつの絵を見てるんだった。
 いろいろ思い返してみるけど、今日見せられたどんな絵よりも、茜色の絵よりも、あの絵が一番俺の心に深く刻まれてるような気がしてならない。
「ああ、あれ?どーだろ、せーちゃんにあげたっけな……?」
「せーちゃん?」
「ほら、オマエのバンドのリーダー。キュウ達がせーちゃんって言ってたろ」
 みょーは何気に答える。
「何で?」
「何でって……そりゃ、頼まれて描いたんだし、気に入ってもらったからあげただけ」
 真剣に問い詰める俺にさらりと受け答えして、みょーは先を歩く。喪失感と青空に対する悔しさが胸の内に広がっていくのを感じて、はっとなった。
 そこまで、俺が何かを『欲しい』って思った事はなかったから。
 誰に対しても何一つ欲しいものなんてなかったくせに、みょーが描いた鎖の絵だけはどうしても俺の手元に置いておきたかった。
 理由はよくわからない。ただ、あれがそばにあれば俺はもっと上手に生きていける気がする。だからこそ、俺は青空の家に忍び込んででもあの絵が欲しくてたまらなかった。
「でも、あの絵だったら家にいくらでもあるぜ」
「へ?」
 先を行くみょーの何気ない呟きに、俺は素頓狂な声を上げた。
「だって、ガキの頃からずっと描いてるもん、鎖の絡まった石の絵」
 俺の方を振り向いて、みょーは歯を見せて笑った。その姿が天使のように見えたのは、きっと俺の錯覚だろう。
「オレにもよくわかんねーんだけど、時々不意に描きたくなる時があってさ。鎖の色変えてみたり、数増やしたり少なくしてみたり、石をいろんなとこに置いてみたりとかさ」
 みょーの家は天国なんじゃないかって、冗談抜きで思えた。
「だからせーちゃんに頼まれた時も、なに描いていいのかわかんなかったから、とりあえずそれ描いて渡したの。したらすげえ喜んでくれてさー」
 当時のことを嬉々として話すみょー。どうやらこいつは、他人に自分の絵が誉められた時が何よりも一番嬉しいみたいだ。
「俺にも描いてくれないか、それ?」
 あまりに真剣な顔をしてたんだろう。俺の顔を見てみょーは笑うのを止めたけど、ひらひらと手を振って背を向けた。
「あいにく頼まれても、気が乗らないと描けないの、あれ。あの時はちょーど煮詰まってた時期で、せーちゃんの頼みと上手く重なっただけ」
 俺は無理に頼みこもうかって思ったけど、小さい頃から描いてる絵だって事は、きっとみょーにとって自分自身のようなものなんだろう。
「じゃあ、今度そっちに行った時に何枚かかっぱらって行く」
「来んな」
「そう言わずにお兄さん」
「だからお兄さんって呼ぶなあ!」
 みょーは顔を真っ赤にして、俺にヘッドロックをかけてくる。愛い奴だ。
「来てもいい、来てもいいけどオレのいない時に来い」
「じゃあ和美さんがいる時に行く」
「それもダメだあっ!」
 ヘッドロックをかけたまま、俺の身体を振り回すみょー。周りにいた通行人の学生達が、何事かと俺達のほうを見てる。
 しばらくそのままじゃれ合った後、俺達は野次馬から遠退いて自動販売機で一息ついた。
「……和美には手を出すなよ、あれはオレのもんだ」
 紙コップのファンタオレンジを飲み終わったみょーが一息ついて言った。思わず吹き出しそうになるけど、必死に我慢して口の中のホットコーヒーを飲みこむ。喉と胸が焼けるように熱かったけど、無理矢理冷めた表情を取り繕った。
「出さない出さない」
「なんかさー、オマエ見てると危ない。アイツより和美になんかしそうで」
 鋭い。いや、鋭くない鋭くない。
 別に和美さんを横取りしようなんて最初っから思っちゃいない。ただ、和美さんの横にいたら少しは落ち着きを取り戻せるかなって思っただけだ。
 あの人からは、横にいるだけで包まれてるような温かい感じがする。泣いていても、胸に抱きかかえて慰めてくれるような。
 母親の温もりを求める赤ん坊のようなものだと思う、俺があの人に抱えてる感情は。
「大丈夫だって。和美さんだって、おまえにぞっこんなんだろ?」
「んー、まー、そーだけど……オレに似てるからなあ、オマエ……」
 みょーの心配ももっともだと思った。和美さんがあんな事、俺に言ったなんて口に出したらそれこそ凶器持ってきて殺される。
『もし私が先にあなたと出会っていたら、きっと好きになってたんだろうって思うわ』
 あれってやっぱり、嘘じゃないんだろう。
「和美さんに手出したら、おまえだけじゃなくて愁にも殺されるよ」
「そんじゃいいけど……」
 苦笑してる俺の顔を見ながら、みょーは頭を掻いて渋々納得した。
「じゃあ、さっさと戻るか。ここでずっと油売ってたらそれこそ今殺されちまう」
 どうも腑に落ちないのか首を傾げているみょーを連れて戻ったら、間髪入れず部室に女の子二人の雷が落ちたのは言うまでもない。


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