037.呼吸(いき)をしよう
イッコーは缶コーヒーを飲み干して、白いため息を一つついた。
「苦労してんなあ、おめーも」
「イッコーに同情されるとは思わなかった」
俺が本音を吐くと、横に座ってるイッコーがベンチ横のゴミ箱に缶を投げ捨てて、歯を見せて笑った。
「おれだっていろいろあるかんね」
そう言ってベンチにもたれて、イッコーは星の少ない夜空を見上げる。この街もいくら自然が多いからと言って、晴れた日にもそれほど星が見えるわけじゃない。一等星の星座と二等星、それと名前のない地球に近い恒星ぐらいしか見えない。多分すぐ隣に水海という大都市があるせいだと思う。
俺と愁は少し早めに練習スタジオに到着して、他のメンバーが来るのを待った。10分もしないうちに千夜がスタジオ入りして一触即発の空気になって、容赦のないキツい一言を浴びせられた。
「いつまで飼い慣らすつもり?青空は」
これには俺も切れそうになったけど、愁が身体を張って止めてくれたおかげで大事に至らずに済んだ。以前だったら怖がって間に割って入る事さえできなかったのに。
愁には迷惑かけてばっかりだ。いつかこの借りを返さなくちゃな。
キュウとイッコーはそれから一時間後にやってきた。スタジオを借りる開始時間の30分前で、千夜と俺以外はほとんどこの時間にやってくる。千夜が一番乗りなのはいつもの事で、俺が遅刻するのもいつもの事だ。
練習を開始する前の時間を取って、イッコーが俺を外に誘った。スタジオから少し離れたバス停のベンチに二人座って、自動販売機で買った熱いコーヒーを飲む。
俺は案の定、イッコーにどうして青空を殴ったのか訊かれたので、適当に「ムカついたから」って答えた。そのままスタジオに戻ろうとしたけど、イッコーの一言で俺は要所要所かいつまんでどういう経緯があったのかを正直に話してやった。
「なあ、おれがどれだけおめーのこと心配してるんかわっかんねーんだ?ダチなのに」
面と向かって俺をトモダチと呼んでくれたのは、青空に次いで二人目だった。イッコーはてっきり俺の事をただのバンド仲間なだけだと思ってるんだとばかり考えていた。
そう、俺はいつでもこいつを見限れる準備をしてたんだ。
俺に対して大した気持ちもないだろうから、いつ俺がバンドを抜けたところでこいつは悲しまないだろう――今思えばそれは、ただの浅はかな考えだった。
そんなはずがない。休んでた時期も入れるともう二年以上、俺はイッコーとバンドをやり続けてる。
キュウ達と初めて出会ったその日、イッコーは『俺の唄う横でベースを弾いていたい』って言ってくれた。だったら、俺が休んでる時に3人だけでライヴを演るのも大変だったはずだ。でも俺が戻ってくるまでずっと、イッコーはマイクを取って代わりに唄ってくれた。もし、誰か別のヴォーカルを入れようって青空のほうから提案してたとしたら、きっとこいつは猛反対したに違いない。
イッコーは、俺がもう一度戻ってくるって信じてくれてたんだ。
自分はどうして、こんなにワガママで自分勝手な人間だったんだろう。他人に迷惑をかけるのが当たり前だって思ってても、それでどれほど相手の心が傷つくかだなんてちっとも考えちゃいなかった。いつも自分の考えばかり優先して、他人の気持ちは二の次にして。
こうやって他人の気持ちを気付かせてくれたのは、愁のおかげだと思う。ずっと俺の事ばかり考えててくれたから、こっちも愁の気持ちを考えてやれるようになった。
とはいえ、まだまだ俺もワガママで独りよがりな人間なのは変わりない。だから緩やかに緩やかに前に歩いていくためにも、俺はイッコーの気持ちに応えた。
「実は、おまえに話しても絶対口が軽いだろうからやめとこうって愁と言ってたんだ」
俺が面と向かってイッコーに本当の事を言うと、大爆笑された。
「あのなー、いくらおれがへらへらしてるからって、ダチの真剣な悩みを他人に言い触らすほど人間腐っちゃいねーよ」
「だな」
こいつを見かけだけで判断していた俺が悪かった。全く頭が上がらない。
「でも、そーなるとバンドの活動も問題だなー」
イッコーはベンチの背もたれに両腕を回して、何か考えてる。俺は手の中で熱くなってる缶コーヒーを口につけて、次の言葉を待った。
「その子……溢歌ちゃんが青空におめーのことを口にしてんのかはわかんねーけど、先週のあの調子じゃ結構引きずるよーな気もするし、あいつめっちゃめちゃ繊細だから」
「殴ったのは……悪かったよ」
俺が謝ると、イッコーは俺の背中を強く叩いてきた。ちょうどコーヒーを飲もうとしてたところだったから、思わずむせて吹き出してしまう。
「おっと、わりーわりー。でもそんなに気にすんな、今度殴りかかったたらおれがぶん殴ってやるから、おめーを」
「向こうが殴ってきたら?」
「構わず殴られろ。それで五分五分、問題ナッシング」
まあ、そうなるのが一番穏便に後腐れないんだけど、そう上手く行くわけがない。暴力嫌いだからな、青空の奴。
「ま、とりあえずここんとこは4人でプレイする感覚を重点的に高めていきましょ。音楽に私情を挟むんはガキのやることだしよ」
イッコーはそう言うけど、実際俺達結構ガキだし。不安だ。
不安要素はまだある。イッコーには話してないけど、俺が唄えるのかどうか。
俺が前と同じように、自分の気持ちの篭もった歌を唄えるのか?
イッコーの期待に応えられるような歌を唄えるのか?
背中を冷や汗が伝う。俺はここへ来たのも最後のつもりだって覚悟してたはずなのに、いざ本番を目の前にするとどうしていいのかわからなくなる。
『おまえは結局、何がしたいんだ?』
昨日、夢の中で出てきたもう一人の俺の言葉が脳裏に浮かぶ。
唄えるのか、俺は?
唄わなくったっていいんじゃないのか、溢歌がそばにいる限り。
希望と逃避の葛藤が胸の中で渦巻いて、だんだん地に足がつかない感覚になってくる。
「んじゃ、行きますか。今日もいいうた聴かせてくれな」
俺はこいつを裏切れるのか?
一足先に帰るイッコーについて行って、スタジオに戻る。手の中の空缶をゴミ箱目がけて投げると、中の缶に跳ね返って道に転がった。
「まだ来てないよー、せーちゃーん」
部屋の前で待ってたキュウが困った顔で俺に助けを求めてくる。時刻はスタジオを予約した2分前で、千夜は一足先に中に入って準備を整えてる。
「どうしてだろ、前まで遅れることなんて一度もなかったのにね」
愁も首を傾げてるけど、俺は知らない振りをして中に入った。
どうしてだろう、ここの空気を吸うのも何年振りみたいに思える。それだけ中身の濃い日々を送り続けてたって事なのか、それとも歌が遠くなってしまったからなのか。
スタンドの前に立って、軽く声を出してみる。おっかなびっくりだったけれど、前と同じように声を出せた。そのまま軽く発声練習をする。これだけだと、俺はまだ唄えるんじゃないかって気がしてくる。でも、心の中のメロディは消えたままだ。
千夜もイッコーもそれぞれ音を出してみる。千夜のドラムはいつになく激しい。出来不出来に結構ムラがあるけど、それは素直に精神状態に直結してるって考えていい。上機嫌の時はリズムに乗りまくったビートを叩き出すし、不機嫌の時には調子が悪い。怒ってる時は攻撃的になるし、鬱が入ってる時はセンチメンタルになる。顔はいつも突っぱねてるけど、音にそのまま感情が入るからわかりやすい性格をしてる、千夜の奴は。
イッコーはいつものように調子がいい。というか、いつも調子がいい。本人の中では完璧と最悪が段違いだって言ってるけど、他人が聴いたところじゃどこがどう違うのかよくわからなかったりする。おそらくプレイの良し悪しじゃなくて、精神面が重要なんだろう。
俺は唄うのを後回しにして、発声練習ばかり続ける。ギターがあればそれに逃げられたんだけど、あいにく俺のは青空に預けてあるからあいつが来ない事には話にならない。
そう思ってるとスタジオの扉が開いて、キュウ達の後に続いて青空が姿を現した。
「ごめん、遅れちゃった」
伏目がちに謝ってくる青空。千夜が俺の時みたいに怒鳴るかと思ったけど、一瞥くれるだけで何も言わなかった。やっぱり常習犯と優等生は違うのか。不公平だ。
俺はまた殴りにいくのかなって思ってたけど、不思議と心は落ち着いていた。いや、青空の姿が目に入った瞬間に頭に血が昇ったのは確かだけど、イッコーや溢歌の気持ちを考えると、身体は動こうとしなかった。前の時は何も知らなかったから殴ったんだろう。今は青空に対する憎しみもあったけど、それ以上に自分が唄えるのかどうかばかり考えて頭の中が一杯になってるから、構ってる余裕がないのも確かだった。
青空はなるべく俺と目を合わせないようにして、準備を続ける。その姿は普段と変わりないように見えるけど、どこか浮ついてるような、いつもと違う感じを受ける。
「俺のギターは?」
いつもなら青空が俺に真っ先に渡してくるギターが、あいつの手元にない。
「忘れちゃったんだって。取りに帰ってると時間がもったいないから、今日は黄昏の曲中心とゆーコトでいきましょー」
キュウがてきぱきと指示を出してくる。どうやら久々に4人揃ってスタジオに入ってるのが嬉しいらしい。鼻歌を鳴らしながらブランド物の手提げ鞄の中からプリントを取り出して配ろうとすると、イッコーが声をかけてきた。
「えっとなキュウ、受付まで行っておれの名前でギター借りて来てくんねえ?多分タダで貸してくれるし。別に種類はエレキなら何でもいいわ」
「ん、おっけーい。んじゃこれ、みんなに配ってて愁」
愁にプリントを渡して、キュウはさっさとおつかいに出る。そのプリントを眺めると愁は目を丸くして、慌てて俺達に配ってきた。
「えーっと、なになに……げ!」
イッコーもプリントを見ると仰天する。俺は見なくても大体内容に察しがついた。
「桜花美術大学、学祭ライヴ……」
ドラムセットに囲まれた千夜が、プリントにでかでかと書かれた文字を読み上げる。
「桜花美大って、あたしの兄貴の学校だよ!?」
愁が俺達の顔を見回す。イッコーはしばらくその大学の名前を繰り返し呟いてると、突如大声を上げた。愁が驚いて壁際に少し飛び跳ねる。
「どうしたの?」
「あ、はは、いやなんでもねーんだ、千夜」
千夜の冷ややかな目に、イッコーは乾いた笑いを浮かべる。その大声が何を意味するかはわかってたけどあえて口にはしなかった。和美さんとみょーと愁の関係を今言うより、学園祭当日まで持ち越すほうが絶対に面白いから。俺は愁に目配せして、それを言わないように合図を送った。愁も笑みの零れる口を押さえて俺に目配せを返す。
仕込み完了。
「いきなりブッキングされても困る」
複雑に顔をしかめる千夜。いつもならライヴが入れば入るほど嬉しがるのに(顔には出さないけど)、何か都合でも悪いんだろうか?
「ごめん、僕が言うのをすっかり忘れてたんだ。てっきり冗談だと思ってたから」
冗談?
青空の言葉の意味がよくわからなくて全員頭をひねってると、どたばたと足音を立ててキュウが戻ってきた。
「借りてきたよー」
キュウが俺に渡してきたギターは、銀のフライングV。Vの字型のボディが天井の照明に反射して輝く。抱えてみるとそれほど弾きにくい事はないけど、いかんせんちっとも似合わない。イッコーなんてこっちを指差して大爆笑してる。
「イッコーの名前出したら一発だったよ。常連さんだもんね」
「まー、前のバンドの時からここ使ってるもんなあ。メタル系なんだけど、ここの親父」
キュウに言われて感慨そうに呟くイッコー。もしかしてこいつ、このギターをキュウが持ってくるのを最初からわかってたんじゃないのか?まんまとハメられた気がする。
「んでもって、みんなプリント読んでくれた?」
「読んだことは読んだけど、こっちの都合も考えないでいきなり入れられても困る」
ぴしゃりと千夜がキュウに一喝する。怯えた仕草をして、目を潤ませた。
「うう、おねーさまなら喜んでくれると思ったのにい〜」
千夜は額を押さえてつむじを巻いている。この娘にいくら本気で怒鳴ったところで冗談で返されてしまうから、やりにくいんだろう。悪気も全くないしな。
大きくため息をついてから、千夜はだるそうに首を鳴らした。
「この日、私の学校で文化祭があるの。時間的にも厳しいから、出れないと思う」
「コスプレ喫茶のウエイトレスでもやるん?」
間髪入れずにイッコーの顔面にドラムスティックが二本突き刺さった。床に転がってのたうち回るイッコーを無視して、千夜は新しいスティックを用意する。
「うーん、困ったねせーちゃん」
キュウは椅子に座る青空の顔を難しそうな表情で見る。青空は一つ咳をついて、俺達に今回の件について説明を始めた。
「みんなには――特に千夜には悪い事したかな。日曜だし、誰も都合が悪くないと思って承諾しちゃったから。というか、この学園祭のライヴの話、実は半年以上前からあったんだ。とは言っても、あの頃は冗談っぽく話してただけだけど。ほら、前にテープ作ったよね、バンドの6曲入りの、あれ。あのジャケットの絵を愁ちゃんのお兄さんに描いて貰ったのはみんな知ってると思うけど、その時に彼に言ったんだ。『良かったらお兄さんの大学の学園祭ででもライヴやってみたいね』って。もちろんその時はほんの冗談のつもりで言ったんだけど、お兄さん――明星さんが実行委員会の人と仲がいいから、話の合間にそれを伝えちゃったんだって。冗談のつもりだったんだろうけど、僕らの知らない間に勝手にトントン拍子に話が進んでいっちゃって。それで今週、いきなり僕のところにこのプリントと電話が来たわけ。もう向こうはこっちが出るもんだと思って話を進めてたから、こっちも断ろうにも断れなかった部分もあって」
まさか今回のライヴにみょーが絡んでるとは思わなかった。他のみんなもどうしていいのかわからない表情を見せている。
「あんのバカ兄貴〜」
愁は恨めしそうに呟いて爪を噛んでいる。まあでも、あいつが悪いわけじゃない。
「僕は別によかったんだけど、キュウちゃんに相談してみることにしたら」
「素直に受けるなんてヤだから、一つ条件出しちゃった」
青空の言葉を次いで、キュウが人差し指を立てる。
「条件?」
「そーですおねーさま。その内容はあらとても簡単、『4人揃ってライヴができる見通しが立たない場合は、1週間前までならキャンセルできる』だったはずなんだけど……」
キュウは千夜に駆け寄って、腕を絡めて泣きそうな顔でしがみつく。
「おねーさまー、その場合はキャンセル料を取るんだって〜、ひ〜ん」
「はあ?」
まだ赤くなっている鼻をさすりつつ、イッコーが素っ頓狂な声を上げた。
「おいおいなんなんだそれ。向こうが勝手に決めておいて、キャンセルしたら金取るだあ?ふざけんのもたいがいにしてくれよ」
「企画してるのも学生だからね、こっちの都合なんて考えてくれないみたいなんだ」
怒鳴り散らすイッコーに、青空はため息をついて肩をすくめる。
「別に払う必要も無いけど、見ての通りもうチラシには僕達の名前入ってるしね。ここで
キャンセルすると変な噂立てられて客足に影響しそうな気がしなくもないし」
「あー、やりそーだよなー。だから大学のやつらっていけすかねーんだわ」
唇を尖らせて、オレンジ頭をがりがりと掻くイッコー。高卒者のやっかみなのか?
「でも、出ればお金ももらえるんでしょ?たそが戻ってきてるし、千夜さんさえなんとかなればだいじょうぶだよ。あたしだって観たいし」
愁はそう言うけど、俺は自分自身が大丈夫なのかどうかが一番心配だ。唄えないままステージに立つなんて、それこそただの見せしめでしかない。
「あのな愁ちゃん、ここは演りましたからハイ終わりじゃ済まねーの。こっちにだってプライドはあるんだから、簡単に引き下がって相手の要求を飲むなんて真似はムリムリ」
「でも、演りたいんだろう?」
「そりゃそうだけど、それとこれとは話が別なん」
俺は意味深なニュアンスを含めてイッコーに言ってみたけど、頭に血が昇ってるせいか全く気付いてくれない。
「ここで断ったところでバンドの名前に傷がつくだけだし、かと言って犬になるのは真っ平ゴメンだぜ。だから大学側がおれたちを呼んで後悔したようなライヴをやってやる」
「それしかないだろうね」
青空も遠くを見つめて、イッコーに同意する。どうなる事かと思ったけど、それなら俺がまともに唄えなくったっていいのかもしれない。イッコーだけが唄うとか、全曲インストにするとか、反抗の仕方はいくらでもある。そう考えると少しは気が楽になった。
「でも……再来週のライヴは出ないで、そちらに回す事にするよ」
「え〜っ、何でよ!?」
つけ足すように青空が言うと、イッコーは素っ頓狂な声を上げた。
「……今の状態だと、ね……」
青空は俺のほうも見ないで、苦虫を噛みつぶしたような声で答える。しかし俺と青空の仲がギクシャクしたくらいで、取り止めになるとは思えない。対バンの連中の名前も文化祭のプリントに書かれていたのも理由にあると、青空は続けて説明した。。
俺としては少しでも日数が開いてくれた方が、気が楽になるので特に何も言わなかった。
「……とにかく今は、気持ちを切り替えよう。千夜には本当、悪いけれど……」
「おねーさまー」
「わかったわかった、だからひっついてくるなっ」
千夜も諦めて、下からうるうる目で覗きこんで来るキュウの顔を押しのける。大喜びするキュウを横目に、千夜は頭を掻きむしってため息をついた。
「文化祭はなるべく早めに抜け出すようにする。ただ、このプログラム通りの時間だと少し遅れるかもしれないから、それまで3人で適当に演っておいて」
どうやら千夜も大学側の横暴さには腹を立ててるらしい。これだと、ライヴの日が楽しみになりそうだ。中学時代に置き忘れてきた悪ガキの血が騒ぎ出す。
「んじゃ、この辺にしてそろそろ始めますか。まともに揃って演んのも久しぶりだわ」
イッコーが肩を回してアンプのそばに立つ。青空も俺とすれ違ってギターのアンプまで歩いていく。俺はずっと青空の顔を直視してたけど、向こうは一度も視線を向けようとしなかった。
「そんじゃま、おれの曲から一通りやっていきましょーか。それでウォーミングアップが終わったら、たその曲を演歌歌手のメドレーみたく」
「ヒットパレードか」
イッコーにツッコんで、俺はマイクの前に立った。この冗談のおかげで多少は緊張感がほぐれる。俺がメインで唄わないって言っても、コーラスの部分はちゃんとある。その時にどんな気持ちで俺は声を出せるのか、それが不安で不安でたまらなかった。
そんな俺の内心をよそに、千夜はスティックでカウントを取って最初の曲に雪崩れこむ。
その心地いいグルーグに身を委ねて、俺の出番を待った。
――あれ?
こんなに俺とバンドの奏でる音は遠かったか?
3人の楽器を演奏する音に囲まれてるはずなのに、まるで蚊帳の外で聴いてるような錯覚に陥る。自分がギターを鳴らしたところで、音は混ざってるけど俺自身の魂はどこか遠くにいるような気がした。
血がちっとも騒がない。
すごく冷めた心境で、ここに立ってるのがバカらしく思えるような気分になる。
他のメンバーの顔を見る。どうしてそんなに真剣になれるんだろう?
二人の女の子の顔を見る。どうしてそんなに楽しそうなんだろう?
そしてコーラスの部分がやってくる。
――何だか、カラオケで唄ってるみたいだ。
音程を上手く取れれば後はいらない、そんな感じ。ごっそりと魂が抜け落ちてる。
そこで初めて気付いた。
俺の中で流れていたメロディは、このバンドの曲だったんだなって。
いつの間にか俺のメロディは、このバンドのメロディに取って代わられてたんだなって。
通りで、唄えないわけだ。
その事に気付いてしまったから、もう、唄えない。
俺がどう足掻いたところで、唄えるわけがないんだ。
一番大切なものは、もうこのバンドじゃなくなってしまったんだから。
「んー、いまいち」
イッコーの曲が全曲終了したところで、真っ先にイッコーが吐き捨てた。他のメンバーも難しい顔をしている。この部屋にいる誰もが原因はわかってるけど、口にしない。
「ま、本番でピークに持ってけりゃいいんよ。焦ることなし、全然、全然」
イッコーは笑ってキュウの自家製ドリンクを飲んでいる。みんなを励ますために言ってるのかはわからないけど、どこまでもお気楽なイッコーの笑顔は見てるだけで落ち着く。
俺達が軽く休憩してる間も、千夜は一人でドラムを叩いている。いろいろなドラムパターンを試したりするその姿を見てると、一番バンドに熱心なのがこいつのような気がする。イッコーはイッコーで楽しんでるけど、100%このバンドに心血注いでるかと言えば、そうには見えない。本人も音に関しては昔のバンドのようなサウンドが一番肌に合っているらしく、かなり妥協や試行錯誤してるって言ってた。そして青空も、今は一体何を考えてバンドを続けてるのか、全く話してくれないしわからない。
4人それぞれの思惑が奇妙に絡み合って、『Days』は機能している。みょーが描いてくれたジャケットの絵のように。
一体どこまで俺達は転がっていけるんだろう?
いつの日かその石が砕け散る、そんなイメージが頭に浮かんだ。
この予感も、いつか当たる日がやってくるんだろうか?
「ハイ、休憩終わりっ。次はたその曲ねー」
「たそ、がんばってね」
その疑問も、キュウと愁の声ですぐにかき消えた。それぞれ自分の位置に戻って、毎度のように千夜のカウントから演奏が始まる。
唄う。うたう。ウタウ。
気持ちいいのか気持ち悪いのか、俺にもわからなくなってくる。
喉から振り絞って吐き出される声。心の空洞から湧き出てくる声。
燃料タンクがからっぽになった車は、走る事ができない。
エンジンが悲鳴を上げている。ガソリンがないって叫んでる。そして、もっともっとくれって叫んでる。
叫んでる。
メロディを俺にくれって。
息ができない。苦しい。
酸素が足りない。心臓が壊れたポンプのように脈打つ。
苦しい。
俺は。
唄いたい。
苦しい。
唄いたいんだ。
苦しい。