→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第1巻

   028.どうして?

 こってりと愁と和美さんに搾られた後、俺達は30分ぐらいそこで適当な話題で話をして、愁と一緒に二人と別れを告げた。みょーはぶつくさ言ってたけど、和美さん達はまだ用事が残ってたので一緒に帰れなかった、残念。
 ホントならまだ話しててもよかったんだけど、俺には用事がある。みょーに貰った茜色の絵を家まで持って帰ってもらうように頼んで、駅前に止めていたバイクを走らせる。愁は顔を膨らませてたけど、今度バナナサンデーをおごる事で一件落着した。
 秋の海は、何だか物悲しい。
 海水浴のシーズンも終わって釣人しか訪れなくなるせいもあるんだろうけど、秋の夕日に照らされた大海原は、短くなる昼を惜しむように泣きそうな光を反射する。
 俺はあまり秋の海が好きじゃない。どちらかと言えば、太陽の悲鳴が完全に聞こえなくなった冬のほうがまだマシだ。俺にはどうしても水平線の向こうに沈む秋の夕日が、足掻いてるようにしか見えなくてやりきれない。
 それはとても生物らしい姿なんだろうけど、また夏が来るのはわかってるんだけど、それを眺めてる俺の胸は掻きむしられるばかりだ。
 晩秋に近づくにつれて、俺はもっともっとのたうち回るだろう。たとえ海を見に来てなくても、空気の冷たさ、赤くなった木の葉が舞い散る姿を見れば、季節の移り変わりは感じられる。
 とはいえ冬は嫌いじゃない。とうに命が眠ってしまった世界には、春しか訪れないんだから。だから俺も眠り続けて、春が来るのを永い間待つ。
 それに冬には、かえって人々の心に灯火が燈っているような気がするから。
 俺はクリスマスが好きだ。無宗教な奴がどうして違う国の神様の生誕を祝うのかなんて阿呆臭いツッコミは入れない。
 だって、何でもいいから一つの事で他の人と一緒に笑い合えるってのは、とっても素晴らしい事だと思わないか?
 俺はTVを見ない。それで自分の時間が削られてる気がしたし、余計なものまで知ってしまう事があるから。
 4年前のクリスマスの冬、俺が住んでいた街で起こった交通事故をTVのニュースで報じていた。新聞にも片隅に取り上げられるくらいのほんの小さな記事で、次の日には何事もなかったように新聞の同じページには全く関係無いクリスマス関連で賑わってるどこかの地下街の様子が書かれていた。
 その交通事故にあったのは隣の町内に住んでいたサラリーマンで、母親と娘が一人いた。
 父親は帰宅途中にトラックに跳ねられて、意識不明の重体で、事故の翌日、死亡した。跳ねられた身体のその横には、ぐしゃぐしゃになったプレゼントがあったらしい。
 クリスマスの日にだ。
 なんで?
 どうしてこの人が死ななくちゃいけないんだよ。一人娘が父親の帰りを待ってたんじゃないのか?家族3人でこれからケーキでも食べようって。そして娘が眠った頃に枕元にプレゼントをそっと置いて。そして朝になったらサンタさんが来たって3人で大喜びして。
 ふざけんな!
 その時ようやく俺は、この世界が不条理なんだって気付いた。
 理不尽じゃないけど、不条理だ。
 俺は一晩中、顔も見た事もない人間に対して涙を流した。
 そんな事はあっちゃいけない。あっちゃいけないって思う。
 でも現実はあっさりと俺達を裏切る。
 だからこそ、笑い合っていたい。
 いつ、そんな不条理な別れを迎える事になったとしたって、あっはっはって、涙を浮かべながら笑い飛ばせるように、強く、強く。
 春が来る。春が来るってそう思いながら。
 暗い部屋の中で、明日も見えないまま何かに取り憑かれたように唄い続けてた俺に、春をもたらしてくれたのは青空だった。
 俺の家に突然やって来て、しばらく会ってなかったのも全然気にしないで部屋に上がった。追い返そうかと思ったけど、あそこでそうしてれば俺は今、生きてるのかな?
 お互いの過去も詮索しないで他愛もない話を続けてると、青空は床に転がってた俺のノートに興味を示した。別に見せられても恥ずかしくも何ともなかったので、渡してやった。貸してもよかったのに、青空の奴は俺とうわの空のように話を続けながら、一心不乱にノートをめくり続けていた。大した事が書かれてるものでもないのに。
 青空に言われるままにノートに書き留めてあった数曲を唄った。他人の前で唄うなんて初めてだったから恥ずかしかったけど、凄く気に入ってくれたみたいだったのでこっちも嬉しかった。
 今まで書き溜めていたノートが本棚から数冊なくなってるのに気付いたのは、数日後だった。青空が来るたびになくなってたノートが戻って来ては、また違うノートが消えていた。だけど俺はそれを咎める事もしないで黙ってたし、楽譜の読み方も教えてやった。
 それから3ヶ月経った日だ。青空からバンドの誘いがあったのは――
 少し混んだ夕方の道路を走って、考え事をしながら右手に広がる金色にきらめく夕方の海を眺めていた。
 今、岩場に行ったって溢歌がいるわけがない。あいつがいるのは夜だって言ってた。
 じゃあ何で俺はこんな早い時間に行こうとしてるのか?
 逃げられたくない。そう思ったから。
 ここ5日間、ずっとずっと溢歌に会ってない。言いたいことは山ほどあったし、一秒でも早くあいつの顔が見たいって思ってた。
 帰りの電車の中でずっとそわそわしていた俺を見て、もしかすると愁は気付いてたのかもしれない。俺が溢歌に会いに行く事に。
 ごめんな、愁。
 でも、こうしなきゃ――こうしなきゃ、自分の気持ちが確かめられないんだ。
 溢歌に対する気持ちが、恋なのか、それとも……
 俺自身にも正直言ってわからない。だからこそ、今日はっきりさせる。絶対に今日会って、俺があいつの事をどう思ってるのか、そして、あいつが俺の事をどう思ってるのか。それを訊こうって思った。
 そうする事で、今よりももっともっと自分の気持ちがぐしゃぐしゃになって、訳がわからなくなるのかもしれない。でも、これは俺だけの問題じゃないんだ。そう考える事で、逃げたくなる気持ちを必死に抑える。
 あの岩場が近づくにつれて、緊張で胸の鼓動は高まっていった。
 前と同じように、港の近くの堤防にバイクを止めて、喫茶店横の自動販売機でいつものミルクティーを買う。すっかり飲み慣れてしまったせいか、飲み終えた後の口の中に残る感覚も大して気にならなくなっていた。
 どうやっても静まらない胸の高鳴りを必死に受け入れようと、深呼吸する。どうして自分の胸がそんなに高鳴ってるのか、俺自身よくわからなかった。
 一歩一歩防波堤の階段を降りて、港に出る。そこから見える海はやっぱり、俺には物悲しく見えてしょうがない。
 岩場に足を向けて、コンクリートの床を踏みしめて歩く。岩場に座って待っていれば、夜になれば溢歌が来るだろう。生理じゃないなら、の話だけど。その時だけは、すんなりと諦めて帰れる気がした。それでも無論、そんな事ないって言い切れる。
 港から岩場に出ると、先端に人がいた。
 誰だ?溢歌か?
 目を凝らしてよく見ると、二人いるように見える。ここからだと人影にしか見えないから、俺はもう少し近づいて、段差を昇ってみた。
 ――その瞬間、俺の時間が停止した。
 溢歌がいた。
 男と抱き合って。
 そっと、唇を重ねた。
 その男の後姿に、見覚えがあった。
 見間違えるはずがない。
 あれは。
 青空。
 それはほんの一瞬だったのかもしれないし、永遠とも思える長い時間だったのかもしれない。悲しげな秋の夕日に照らされて抱き合う二人の姿は映画のワンシーンのようで、ため息が出てしまうほどに美しかった。
 俺はただ茫然と、ただ茫然とその光景を立ちすくんで見てる事しかできなかった。
 やがて二人は唇を離すと、より激しい抱擁を見せた。
 溢歌が俺の姿に気付いたのか、視線を止めて青空の肩から顔だけ覗かせる。
 そして、笑った。
 俺の顔を見て。
 俺に向かって。
 魔性の微笑みを浮かべてみせた。
 少女のように無邪気で、娼婦のように淫靡に。
 ――次の瞬間、俺は脱兎のごとくその場から逃げ出した。
 どうして、どうして、どうして?
 もつれそうになる足を必死に踏み出しながら、胸が破裂しそうになるのを懸命に堪えて港に駆けこむ。激しく心臓が脈打って、口の中に血のようなわだかまりがこみ上げてくる。
 気分が悪くなって、俺はその場で吐いた。気分が楽になったかと思うと、口内に気持ちの悪い味が広がって、更に吐く。
 胃の中が空っぽになるまで吐き続けてようやく、楽になれた。
 後を振り返ろうかと思った。でも、今の光景を認めてしまうのが怖くて、俺はよろよろと堤防に止めてあるバイクに向かって歩き出した。
 いや、怖かったからじゃない。
 溢歌のあの微笑をもう一度見る気にはなれなかったから。
 月の下で見せてくれた笑顔とは正反対の、冷酷で、妖艶で、子供っぽい笑み。
 瞼に焼きついてしまって、離れない。
 夢に出てきそうだ。いや、夢の中だけならどれだけ楽か。
 青空がどうしてあの場所にいたのかはわからない。以前から青空はこの町のスタジオで練習する時に、たまにあそこへ夕暮れの海を見に行っていた。元々あの場所は、青空に教えてもらったんだから。もしかすると今日だって、たまたま訪れていただけなのかも。
「だからって、だからって――溢歌と一緒にいるか?」
 俺はうわ言のように呟いた。あいつだって、夜にしか海を見に来ないって言ってたじゃないか。俺に嘘ついてたなんて思えないし、どうして夕方にいるんだよ?
 わからない事だらけだった。考えても考えても思考は悪い方悪い方へ行くばかりで、頭から振り払おうとしても溢歌の微笑みが目の前に浮かんできて離れない。
 俺はどうしたらいい?どうしたら……
 答えの出ないまま、延々と繰り返される自問自答。
 気付くと、俺は自分のマンションの前に立っていた。どうやら考え事をしている間に、バイクに乗って帰ってきてしまったらしい。すっかり辺りは夜になっていて、玄関先でいつもの黒猫が俺を出迎えていた。みゃあと一声鳴いてから、隣の廃ビルへ帰っていく。
 あのまま今日練習する予定のスタジオに一足早く立ち寄ってもよかったけど、いつの間にか俺は家に帰ってきてしまったんだからしょうがない。
 きっと愁の奴も、練習に顔を出しに行ってるだろう。でも俺は、もうバイクを走らせる気分にはなれなかった。
 エレベーターに乗って、最上階へ上がる。中の壁の鏡に映った自分の顔が酷くやつれて見えたのは、気のせいだろうか?
 家の鍵は案の定閉まっていて、中に入ると部屋は真っ暗だった。
 転がるように洗面所に向かって、顔を洗う。顔だけでもすっきりすると、心の重石も若干取れていく気がする。
 自分の部屋の電気をつけると、壁際に茜色の絵が立てかけられていた。蛍光灯の光を浴びて、さんさんと輝いてる。少しの間、その絵に見惚れてその場に立ち尽くしていた。
 キッチンに戻って電気をつけると、テーブルの上に愁の書置きが置いてあった。やっぱり愁はキュウと一緒に練習に向かってるみたいだ。
 二つの部屋の電気を消して、俺はベッドの上に身を預ける。すると全身の力が抜けて、すぐにでも眠れそうだった。
 それが今日じゃないなら。
 今も、溢歌の微笑みが目にこびりついてる。
 何なんだあいつ?俺を弄んでるのか?俺に言った言葉は全部嘘だったのか?男なら誰でもいいのか?じゃあ何でよりによって青空なんだよ!
 あいつも溢歌と会ったのは今日が初めてなのか?俺が初めて溢歌と会う大分前に出会ってたんじゃないか?溢歌の事が好きなのか?溢歌の事をどこまで知ってる?あのキスはその場の流れか?それとも……!
 考えれば考えるほど、頭が爆発しそうになる。こんな時は歌でも唄って気を紛らすのがいいのはわかってたから、今からでも練習に向かおうって気になる。
 でも、その気持ちも一瞬にしてしぼんだ。
 何故なら、青空がいるから。今青空に会ったら、俺は容赦なく殴るに違いなかった。
 いくら一時の激情とはいえ、大切なトモダチに手を出したくない。
 そう考えると、俺のする事は一つしかなかった。
 もう一度部屋の電気をつけて、本棚からノートを1冊引っ張り出してきて、めくる。
 そこには、過去の俺が刻まれてる。苦しい時も、哀しい時も、やりきれなくなった時も、世の中を嘆いた時も。
 最後にペンを走らせていたページを開く。そこには、過去の俺が存在していた。
 もう、一年以上このノートを開いてない。青空が俺をバンドに誘ってくれてからは、必要がなくなってだんだんと書かなくなっていった。だからこのノートは、俺の獄中日記だ。外で自由に唄う事を願った、絶望と希望の唄が無数に描かれている。
 そのノートに続きを書いていく事は、俺がまたあの暗い場所へ戻る事を意味していた。せっかく外の世界へ飛び立てた小鳥が、楽に餌を食べられる檻の中に戻ってくる。
 でも、俺はそれでもよかった。この心の渇きが癒せるなら。俺の唄で、溢歌との喜びも悲しみも全て吹き飛ばしてしまえるのなら。
 俺はすうと息を吸って、心の中のメロディーを口ずさもうとした。
 した。
 したんだ。
 なのに、出てこない。
 メロディが、出てこない。
 声が出ない。
 俺は焦った。まさか、ここしばらく外でずっと唄ってたせいで、八畳一間での唄い方すら忘れちまったのか?
 そんなはずはない。いつだってメロディは俺のそばにいたし、喜怒哀楽を感じるたびに、
胸の中で心の琴線を爪弾いていた。
 唄えるはずだ、唄えるはず。
 そうやって何度も口ずさんでみるけど、ちっとも声が出ない。
 やけになってがむしゃらに唄ってみたけど、メロディにもならない酷い有様だった。
 それじゃせめて歌詞だけでも書き止めようって思って、ノートとにらめっこする。
 それこそ否定のことばしか出てこない。希望を求めるあまり絶望を記すんじゃなく、八方塞りな逃げ場のない、死に向かうだけの諦め。
『ようやく来る気になったか?』
 今まで笑い飛ばしていた暗闇の誘い声を聞いた気がして、俺は全力でペンとノートを声の聞こえた壁に投げつけた。
 何で、どうして?
 ぐるぐると俺の頭が回って、やがて一つの結論に辿りついた。
 そうか。
 唄う理由を失くしてしまったんだ、俺は。
 俺は溢歌に向かって唄ってたんだ。
 でも、その溢歌は俺にあの微笑みを向けた。
 じゃあ、青空のために唄ってた昔の気持ちは?
 そんなもの、ついさっき消え失せた。
 唄えるはずないじゃないか、あんなの見せつけられたら……
 今まで俺が外で唄えてたのは誰かのために唄えるって思ってたからなんだって、たった今気付いた。そして、前みたいに自分のためだけに唄えない事にも。
 何もない場所には戻りたくないんだ。
 唄う事だけで生きてるなんて感じていたくない。
 愁が俺を必要としてくれてるんだ。イッコーや、千夜が、キュウが俺を必要としてくれてるんだ。青空だって、溢歌だって俺を必要としてくれているに違いない。違いないんだ。
 でも、俺の心の中に一番大きく浮かんできたのは、みょーの顔だった。
 どうしてあいつなのか、全くわからない。でも、俺と一緒にはしゃぐあいつの姿が目の前に浮かんでいくにつれて、何故あいつなのかすんなり納得できた。
 自分の声帯に喉輪を当てて、メロディを振り絞る。それでも口から出てくるのは皺枯れた苦しそうな俺の声でしかなかった。
 唄え、唄え、唄え!唄うんだ――!!
 念じれば念じるほど、自分の中からメロディが失われていくのがわかる。喉が痛くなってキッチンに水道水を飲みに行って、洗面所で気分転換に顔を洗おうとすると酷い自分の顔が鏡に映っていた。
『あなたとなら、どこまでも混ざり合える気がしたから』
「……ふざけんなよ」
 鏡の向こうに映った溢歌の幻影に、俺は憎しみをこめて睨み返した。
 顔を洗った後洗面所に唾を吐き捨てて、俺はベッドに戻って何度も何度も唄おうとした。
電気を消してる部屋に携帯の着信でディスプレイが光ったのが目に入ったけど、俺は無視してがむしゃらにバンドの歌を唄い続けた。
 中にあるのは自分の気持ちじゃないってわかっていながら。
 いい加減俺は切れて、絶叫した。唄わなくったって、気持ちを声に乗せて張り叫んでいれば幾分楽になる。そして俺はまるで原人のごとく叫びまくった。
 精魂尽き果てると、ベッドの上に死人のように倒れこむ。心身共に疲れ果ててるのに、全然眠りにつけない。生殺しのような感覚に、俺は苦笑した。
 そのまま暗闇の中でどれだけ時間を過ごしたのかわからない。何事も考えるのが億劫になって暗闇に紛れて意識を殺していると、玄関のインターフォンが鳴り響いた。
 俺はすがる思いで、重い身体を起こしてベッドから転げ落ちる。玄関の明かりがついて、帰ってきた愁の声が聞こえた。
「どうしたのたそ?みんな待ってたのに」
 電気のついたキッチンを抜けて真っ暗な俺の部屋に入ってきた愁の胸目がけて、俺は飛びこんだ。そのまま二人もつれるように後ろに倒れる。
「いた……いたいよ、たそ。どうしたのさ一体……」
 振り解こうとする愁が俺の顔を見ると、言葉が途切れた。俺はなりふり構わず、愁の小さな胸の中で泣きじゃくった。
「唄えないんだ、もう……!!」

→to be Rolling Stone.


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