→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第2巻

   046.夜が明ける

 何も言わずにピックを振り下ろし、ギターを一つ奏でてみる。そのストロークで奏でられる音色が肌を震わせ、体内に染み込んで行くのを感じる。
 自分のギターに救われた気持ちになる、そんなことは良くある。激しい曲は胸の内に溜まった怒りを吐き出す術になるし、静かな曲は僕の心を静めてくれたり穏やかにしてくれたりする。創って来た曲一つ一つが、違った作用を僕に与えてくれる。
 これは良種のドラッグだと思った時もあるけれど、そんな簡単な言葉で片付けられるものでもないような気がして来た。自分でこうしてギターを手に生み出す場所に立っているからか、もう切り離せないほどのもの、つまり血液となってしまっている。
 別に創作のジャンルが何であれ、僕にとってはさほど大差無い。『mine』を書いていた時と表現の手法は大きく変わっていても、取り組む時の気持ちの持ち様は同じ。
 ただ音楽は目に見えないものである分、より自分と密接している感覚はある。
 『ブラックペッパー』のリフを鳴らす。サビとそれ以外の部分、二種類ある二小節の短いリフを繰り返し刻むと心臓も同じリズムで脈打つ。
 音がアンプから飛び出し、鼓膜を直撃する。そして次の瞬間にはぱっと姿を消してしまう。とても刹那的で、儚いもの。でもそれは口から発する言葉と同じく、刻んだ音はそのまま自分に返って来る。
 ノートに楽譜を残した所で、僕自身が曲そのものである事実には変わりが無い。
 徳永青空と言う存在自体が、自分で生み出した音楽の詰まった一枚のレコード。そのレコードは時と共に巨大化して行くかも知れないし、風化するかも知れない。
 生きている。
 曲を現実のものとして形にする。それは常に『生(なま)』で、『生(せい)』に直結する。
 自分が生きていることを頭で体で鼓膜で心で感じられる。それが何よりの特効薬で、僕を安心させる。それほど僕の中では、音楽が命に根ざしてしまった。
 だからこそ嘘はつけない。そうすれば自分で自分を殺してしまうことになるから。
 考えると、他人に曲を届けると言う行為自体がとても不思議なもの。自分が生きていることを証明するため?そばで聴いて貰うことで、自分の存在を確認するため?
 黄昏はそうした気持ちで僕の横で声を振り絞っているんだと思う。なら僕は?
 限界を知りたく『なくて』始めた音楽。そこに辿り着いた時点で僕は人生の終わりだと昔からずっと思っていたから、その二文字からどんな手を使ってでも逃げ去りたかった。
 自分の存在に意味を作ろうとしたんだ。
 社会に組み込まれるだけのパーツの一つにはなりたくない。僕は何か大変な使命を持って生まれて来た、なんて言うと語弊があるけれど、そう信じ込みたかったのは本当。
 でもそんなものはどれだけ待っていた所で答えが出て来るはずもない。この手で生み出さないといけないと気付いたのは、音楽を始めしばらく経ってからのこと。
 『幸せの黒猫』。この曲は僕の中でとても大きな意味合いを持つ曲になってしまった。
 柊祈砂と言う名前の、一人の女の子。それはこのフロアにいると変わり無い僕達のファンの一人でも、僕にとっては一生を変えるほど大きな存在。
 この曲で、一匹の不幸を振り撒く黒猫の物語を描いた。生まれた時から背負ってしまった悲しい運命を、猫は一人の孤独な女性と出会い振り払う。
 僕が黒猫だとすれば、その女性が音楽。
 人は何かをきっかけにこれまでの自分から変わることが出来る。でも、そのきっかけを活かすも殺すもその人次第。
 曲中では、二人の生活を妬んだカラスの仕業で女性が車に轢かれそうになる。しかし彼女を庇おうと決死の思いで飛び出した黒猫の姿を見た神様が、相手を想うその心に打たれ二人を助けた。そしてその猫は、彼女にとって幸せの黒猫になった。
 生きる意味を勝ち得た黒猫の気持ちで、僕はギターを鳴らし続けた。勝利宣言?そんな生易しい心で弾けるほど、余裕のあるものでもない。いつまたすぐ、存在理由が消えてしまうか分からないのに。
 この曲にはそんな自分の想いを込めているけれど、二人を黄昏と僕に置き換えても成り立つし、客席にいる人達一人一人もそれぞれ違った受け取り方をしていると思う。
 思っていることと違う風に曲が伝わってしまう。そこに脅えてばかりいた昔と違い、今はもう半ば吹っ切れてしまった。
 形にして相手の手に渡ってしまった時点で、もうそれは僕のものでは無い。自分の血液と化してしまっている曲がこの手離れるその感覚を、音楽をやっていると強く感じる。
 誤解は必ず生まれる。でもそれを許してしまったら、僕が生きて来た意味を残せない。
 小説を書いていた時には恐れるものなんて何も無かった。自分の想いや魂をありのままに文章にぶつけても、表現力の無さから来る未熟さを感じることはあっても、体内と向かい合うディスプレイの間に捻じ曲げられたものは何一つ出て来なかった。それだけ僕が誤解や曲解を許さなかった、と言うのもある。
 書いたものを他人が読んで違う受け止め方をされる分には一向に構わない。書いたものは僕の分身でも、それ自体は既に肉体を得ているので何をされても変わらないから。
 でも曲は違う。形の無いものだから、誤解されると姿自体変わってしまう。レコーディングして音源化すればそんな怖れも感じないと思っていても、相手の目の前で奏でることは会話と同じく、一つのコミュニケーション。
 けど、誤解でもいいんだって。
 その人にとってかけがえの無いものになれば、それでいいんだって。
 柊さんが僕に教えてくれた大切なこと。
 同じ気持ちでそばにいる人と向き合う。
 音楽は人と人の気持ちを繋いでくれる、素晴らしいものなんだ。
 万感の想いを込め、僕はギターを掻き毟った。ここにいる人達だけでなく、遠くにいる大切なひとへこの音が届きますようにと祈りながら。
 首に青筋を立て『チェイン・レッド・ドーベル』を熱唱する黄昏。そして激しい演奏に合わせ体でリズムを取る観客。床が見えないほど密集したフロアの上をダイヴする若者。僕達のステージでダイヴが起こる光景なんてあまり記憶に無い。
 ステージの上で目を見開き叫ぶ黄昏とフロアで踊る観客達は同じ空気を感じている。
 でも昔は床の段差よろしく、絶対的なずれがあった。黄昏は人前であろうと常に自分に向けて曲を唄っていたから。そうすることで自分が生きていることを誰かに見て欲しかったからこそ、僕の誘いに乗り一緒にバンドを組み、唄い続けたんだ。
 けれど今は違う。曲に篭めた僕の気持ちを必死に唄声に変え、客席に投げ掛けている。他人に自分の気持ちを伝えようと喉元から懸命に声を絞り出している。
 春にバンドに復帰してから、黄昏の唄い方が随分変わった。少しずつだけど外に向かい始め、閉鎖的なステージ上の姿も開かれて来た。でもその一方で客席に目を向けるようになり、高らかに曲を謳い上げる姿が減ってしまったので昔の方が好きだった人も離れ、客席の数字はなだらかにしか上がらなかった。
 曲の世界を100%表現しようとする姿勢は変わらない。ただ目の前に唄を聴いてくれる人がいると言うことを以前より遥かに自覚している。客席にいる人達の顔が昔と違い瞳に映っている。かと言って相手に媚びるような唄い方は決してしない。
 伝えたい事があるんだ。そう黄昏は僕に言ってくれた。だから唄うって言ってくれた。その言葉通りに逃げ出くなる気持ちを消し、前へ向かっている。
 しかし中々これまでの癖が抜け切らない所もあったし、バンド自体も悲鳴を上げて来たのもあってか、全く新しく生まれ変わった黄昏の唄う姿はずっと見せられなかった。ライヴをさぼったこともあり、それからは唄う気力が欠けてしまったようにも見えた。
 でも今日のステージはエネルギーに満ち溢れている。これまで演奏して来た曲がみんなの中で育ち、客席から投げ返されている。ライヴをいつも観に来てくれるお客さんの顔があちこちに見え、僕達の曲を全身で受け止め、表現してくれている。
 それは例え誤解であろうが、時に大きな作用を引き起こす。その瞬間を僕はこのステージの上で何度も見て来たし、それによって知らなかった世界を体験して来た。勿論全てが上手く行くはずは無いけれど、その度に自分が『生きている』と感じられる。
 日常以上に感情の起伏を感じられる場所、そこがライヴハウスのステージ。
 そして今まさに、僕達はその瞬間の最中にいた。
 目に見えているのが嬉しいのか、これまでの不完全燃焼が嘘みたいに黄昏も熱くなっていた。紆余曲折しながらも地道にライヴを続けて来た成果が、今まさに形となって現れた。
 黄昏はおそらく相手の為に唄っていない。自分が満足すればそれでいいと今でも思っていると思う。それでもお互いの間にコミュニケーションが成立し、喜び合っている。それを目の前で見ていると、しがらみに捉えられた自分を笑い飛ばしてしまいたくなる。
 僕が僕であるために曲を創り、演奏する。それで僕の生まれて来た意味があるんだ。
 そして誰かと一緒の時間を共有できたなら、こんなに嬉しいことはない。
 生きている実感を得る、それこそが僕の存在理由に他ならなかった。
 『ciggerate』を叩く時、千夜さんはいつも以上に気合を入れて叩く。他のバンドでも作曲はせず、ドラムを叩くようになってから本人が関わった初めての曲らしい。
 この1年で随分嫌われてしまった。最初に話を持ち掛けた時から印象は悪かったみたいで、事ある毎に僕が電話で相談したせいか終いにはグーで殴られてしまった。
 何も千夜さんが好みの女性だから、と言う訳でもない。それよりは本当にいい音楽をやる為には相手のことをきちんと知っておかなければならない、そう考えているせいだろう。おかげさまで踏み込んで欲しくない所まで知ってしまい、かなりひんしゅくを買った。
 ただ僕自身も少しずつ能動的になってきた実感はある。何も分からない手探りの状態で音楽を始めた頃の自分は、そばにいる凄い人間をただ見上げ自分を卑下することに傾倒していて、僕自身を嘲ることで存在を確かめていたような気がする。
 それが氷解し始めたのは、ひたすら努力したから。いい曲を創ろう、いいギターを弾こう、みんなを追い越せなくたって、せめて肩を並べる位には。
 心の底からそう願いながら泣きたくなる気持ちを堪え、弦を掻き鳴らした日々。
 時折不意に泣きたくなることが当初はよくあった。
 だからって諦める訳にはいかない。何故って?だって、これが初めて自分で選んだ道なんだ。ここで投げ捨ててしまったら、自分自身を本当に愛せなくなってしまう。
 僕は僕が嫌い。間違いなく、この世で一番憎んでいる人間。これまで出会って来た嫌な人間の中には必ず僕の一部がいた。いつも鏡を見るような気分で彼らを見ていたし、相手も同じ気持ちだったと思う。
 でも、やっぱり自分自身を愛したい。久し振りに再会した黄昏の中に、僕は膝を抱え脅える僕の姿を見た。いろいろ理由はあるけれど、心の奥底に自分の姿を見たからこそ、僕は黄昏と新しい人生を始めようと願ったんだ。
 彼を救うことで、僕も救われる。何の疑問も持たずにそう信じてこれまでやって来た。黄昏を救っているつもりで、本当に助けようとしているのは僕なんだって、気付いていた。
 いい、悪い?そんなのどうでもいい。僕は僕の意志のままに行動するだけだ。
 自分の移し鏡である黄昏は僕にとってかけがえのないひと。友情とかそんなものは軽く飛び越え、僕の人生には欠かせない大切なかけらとなっている。
 けれどもう、そんな意識を持っている自分を一々確認したくない。
 こうして僕の大好きな人達と同じ方向へ曲を奏でる。それがどれだけ幸せなことか、僕にとってかけがいのないものなのかを知ってしまったから。
 静かに『雪の空』のオープニングを告げる音を鳴らす。遠くで響く教会の鐘のように。クリスマスの夜にふさわしい曲を創ろうと、僕はこの曲を書いた。
 と言っても僕一人の想像で出来た訳じゃない。黄昏の持って来てくれたノートの最後に書き留めてあった一つの曲からインスピレーションを受けて産み出した。その曲の次のページからは全て白紙で、何も書かれていない。
 バンドを組み始めてからしばらくは曲を書き続けていた黄昏も、春頃に復帰した頃から途絶えてしまった。それ以降ノートの続きは空白のまま。
 部屋に閉じ篭もり唄い続けて来た自分自身に決着をつけたかったからこそ、その曲を書いたと思う。自分一人に向けて唄う歌は、もう止めにしようって。直接聞いた訳じゃないけれど、そう願いながら胸に抱えている想いを歌詞としてしたためたに違いない。
 でもこの曲を人前で唄うことを黄昏は絶対にしないだろうから、込められた想いを汲み取って形を変え、バンドの曲にしてみた。黄昏は何も言ってくれないけれど、僕の気持ちは届いていると思う。だからこそどの曲よりも、僕の胸に染み渡る。
 全ての負の感情を鎮めるようなギターの音を鳴らす。そうすることで自分の罪さえ浄化されていく気分になった。でも僕が抱えているものはまだまだ重い。
 怒りとは真逆の気持ちで弾き、これまで傷つけて来たもの全てに謝罪する。今は特に、心の底から怒鳴りつけてしまった3人に対して。
 でも怒りと言う感情は、人間が生きて行く上で絶対に必要なものだとあの日以来考えるようになった。我を通さずに表層で付き合うことは相手にとっても失礼だと思うし、状況は何も進展しない。
 嫌われたくないことが生きる目的ならそれでもいいだろう。でも僕にはそれ以上に大切なことがたくさんある。
 痛みや怒りですぐひ弱になる自分を甘やかしてばかりじゃ、本当に強くなんてなれない。
傷つくのを覚悟で生きて行かないと、欲しいものさえ得られなくなってしまう。
 間違いは動いた後に発生する。ぬるい状況に浸かってばかりで他人に嫌われることを怖れ続けているよりは、いっそのこと築いてきたもの全てを駄目にしてしまってもいい。そこからまた、見えるものもあるだろうから。
 僕は腹を括った。悲しむ暇があるのなら、それすら引きずって歩こうって。
 動けなくなるまで、ひたすら生を感じていたい。
 生きていることを全身で感じていたいんだ。
 『夜明けの鼓動』にその想いを一滴も残さずぶつけるようにギターを鳴らす。弦が切れたって構いやしない。僕とギターの境目が無くなるくらい、魂を鳴らすんだ。
 この曲だけはどんなことがあろうと弄くるつもりはない。僕がこの道を歩み始めた時、手にしていた大切なパートナーだから。創った当初と随分印象が変わっているのは、曲そのものが成長して来たから。僕やバンドと一緒に肉体性を得て、強さを持った。
 今まで歩んで来た道、壊す訳にはいかない。
 この曲を演る時だけはイッコーも無理に音を変えようとしない。曲の持った使命を解っているのか、僕と同じで自分の出来ること全てをベースラインに注ぎ込む。その迷いの無さが、何よりイッコーを信じられる。
 言葉の上で、日常の付き合いでどうだろうと、ここに立てば全てが解る。
 その人の人間性がステージの上では包み隠さずに出る。千夜さんのドラムの音から心の内側を垣間見たり、イッコーのベースから意志の強さを確認したり、黄昏の唄声から生きる希望を感じ取ったり。ありのままのその人を知ることが出来る。
 みんなは僕のことをどう感じているのかな?そう思いながらギターの弦を弾く。
 頼り無い所はまだまだあると思う。でも僕は今ようやく、走り始めた気がするんだ。誰に言われる訳でもなく、夢に背中を押されることもなく、本当に自分の意志で。
 叶いもしない妄想のレールを逸れ、自分の手足で懸命に。
 自分の生きて来た道を肯定しようと形として遺す日々は終わった。
 今の僕は、ここにいる自分を肯定するために生きて、ギターを弾くよ。
「おーい、青空―」
 マイクからイッコーに呼びかけられ、僕達のステージが終わったことに気付いた。どうやら無意識の領域で曲を演奏していたらしい。
 熱の持った体、全身が気だるい。客席を見るとみんなが笑顔を見せてくれていたので、掴んでいたピックを持つ指の力を抜き、僕は大きく右手を上げるとフロアに投げた。
「『days』でした。みんな、楽しんで行ってね」
 今日のクリスマスライヴ、この後もまだまだメインのバンドは続く。僕達も役割はきちんと果たせたようなので、ほっとした。まだ風邪が治まらなくて高熱を押してステージに立っていたから、何がどうなっているのかあまりよく分からない。
 ――ああ、でも柊さんにこのステージを見せたかったな。
 心の底で残念がると同時に、いつの日かもう一度目の前で演奏出来る日を願った。
 疲れで客席に手を振り返す余裕も無く、早々にステージ裏に引き上げる。すると入口の隣に一足早く戻っていた千夜さんが腕を組んで立っていて、僕の顔を見て言った。
「どうやら解散する必要は無さそう」
 それだけ告げると足早にステージ裏の階段を降りて行く。そこでようやく僕は解散を賭けステージに立っていたのを思い出し、つい笑った。
 体調が最悪でギターを弾くのに精一杯で、今の今まですっかり忘れていたから。


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