→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第4巻

   088.原点

 溢歌と夕暮れの海を二人で眺めている時に、勇気を絞り出し、今夜の練習に誘ってみた。
「いかないわ」
 冷めた顔で一言。
「嫌いなの、うるさいところは」
 返す刀で切り捨てられた。
「そんなに音楽が嫌いなの?」
「…………。」
 意を持って質問すると黙りこくってしまう。
 意図的に溢歌が音楽や歌の話をしないのは普段の振る舞いから見てとれた。僕達の事を知ったのが『days』の活動と思っているのは間違いなのかな?先に黄昏と岩場で出会い、僕の事を聞いていたのか。それなら辻褄が合わなくもない。
 しかしその場合、溢歌が僕を選ぶ理由が解らない。黄昏や愁ちゃんへの当てつけ?正直、自分で自分の良さが分からないので、何故溢歌が僕に惹かれているのか見当が付かない。
 それでも、僕と一緒にいたい気持ちは本物だろう。だからこそ、今のこの僕の大部分を支えている音楽と言う要素を否定して欲しくなかった。
 ギターを弾く時間は以前より確実に減ってしまった。しかしそれは僕自身が望んでいるもの。溢歌と一緒にいる時間を選んでいるから。
 でもそれは僕自身の一部を否定されているようで、寂しさが拭えない。その中で溢歌を放り出し、一人ギターを弾いているなんて僕にはとても耐えられなかった。
 僕が休みの日の前日に溢歌を家へ誘ってみても、乗ってくれる事は無かった。確かに、溢歌がそばにいる時は僕が練習弾けないので思い遣りの気持ちもあるだろう。
 先週の土日の練習は、昼間に行ったので溢歌と会うのに問題は無かった。ギターもスタジオに置きっ放しのまま帰ったので、夕暮れ時に溢歌と出会えた。スタジオでバイトをしているのが幸と出た。
 余計な思いを溢歌にさせたくなかったから、今日までバンドの練習の事を自ら口にしなかった。でも黙っていた所で溢歌は気付いていただろう。それに文化祭ライブももう間近。駄目元で誘おうと思っていた。
 溢歌と出会ってからもう一月くらい経つはずなのに、一向に進展は見られない。最初の日に互いに近付き過ぎてしまったせいで、未だに距離感が掴めないでいる。雨の日も風の日も毎日会っているのに。
 だから、隠し事や恨めしい思いを胸の内に閉じ込めておくのは止めにしたい。嫌われるのを覚悟の上で、ありのままの自分の姿を見て欲しかった。
「いってらっしゃい」
 母親のように優しく微笑み、溢歌は僕を送り出してくれた。昼間にあの岩場で二人海を眺めている時は、いっそこのまま永遠に時が止まってしまえばいいと思った。
 あの後何度となく、踏ん切りがつかずに溢歌を誘っただろう。最初の時以外は嫌な顔一つ見せずに、未練たらしい僕を何度も慰めてくれた。
 けれど別れの時に見せてくれた笑顔の奥に寂しさがあった事ぐらい、鈍感な僕でも分かる。だからこそ一秒でも早く溢歌の元へ帰れるよう、全力を尽くす事にした。
 日が落ち、スタジオにバンドのメンバーが集まる。今日は千夜が一番遅れて入って来た。受験に向け、時間を無駄にしたくないのだろう。
 黄昏も、愁ちゃんと一緒に早めに来ていた。倒れた時の後遺症を引きずっているのか、歌っていてもどこか虚ろで、気が入っていない感じを受ける。それでも必死に後をついて来ているのが分かるので、逃げ出す意志が無いだけでも幾分肩の荷が降りた。
 それぞれ悩みを抱えている中で、一人イッコーだけやたらと気を吐いている。演奏に関しては、ベースのイッコーがバンドのリーダーと言っていい。他のメンバーの調子が悪い中、バンドサウンドをまとめてくれる人間がいるのはとても有り難い。
 溢歌と出会ってからと言うもの、イッコーやキュウと練習以外で会話する機会が格段に減ってしまった。無理もない、平日で消耗した気力体力を回復させる為に僕が予定の無い休日はほとんど自宅で寝てしまっている。電話で短い話をするくらい。
 そのせいか、少し自分が『days』から遠のいてしまった印象を受ける。勿論続けて行く意志はある。それでも、以前みたくただがむしゃらにバンドに打ち込める気持ちにはどこかなれなかった。
 真っ白な紙の上に落ちた一滴の雫が染みとなり広がって行くように、溢歌の存在が僕の心の中を掻き混ぜる。この気持ちに決着が付く日は来るのかな?
「だめだー、うまくいかねぇー」
 練習を開始し3曲ほど演奏した後、イッコーが参った顔で両手を上げた。先週に引き続き、音がまとまらない。それぞれ問題はあるけれど、最大の原因は黄昏だろう。
 前回のライヴ時と比べ、完調には程遠い。むしろここ2週は、最近見ないくらいの出来の酷さ。声に伸びが無く、魂の抜けた感じになってしまっている。呂律が回らなかったり、高音のキーが出ないと言う点は無くても。
 いつも黄昏は唄う時、まるで自分の全生命力を声に込めるように唄う。でも今は同じように唄おうとし、そのエネルギーが散開しているように見える。エンジンを冷やし、エンストを起こしてしまったバイクみたい。
 それでも、黄昏がいないと曲が成り立たない。明日はもうライブだし、大学側との約束で黄昏抜きでやる訳にもいかない。
「仕方無い。打開策を考えよう」
 このまま正面突破で演奏を続けていても一向に良くなる気配が無いので、一度休憩を入れ、みんなで話し合った。
 千夜も自分の所の文化祭があるので、スケジュール的に厳しい部分もある。これに関しては間に合わない場合、イッコーが練習用に使用しているドラムマシンを導入する事を決め、先週試しに合わせてみた。慣れない部分はあるものの、間を埋める分には問題無い。
 一曲終わる毎に話し合いをし、一つ結論を出した。
「僕達3人が中心でやろう」
 今、前回のライヴのように元の形態に戻すのは無理がある。それなら、夏に行ったトリオ編成に、サポートで黄昏が入る形にすればいい。幸い、コーラスはできるまでになった。
「え、おれが歌うん?全部?」
 全員の視線がイッコーに集中する。
「だって、今の調子でたそをメインに押し出したらマズいでしょ」
「うーん、そりゃまーそーだけんよー」
 キュウの意見を否定できないイッコーが悩んだ顔を見せる。厳しい意見を言われた当の本人は、黙って僕達の話を聞いていた。年老いた犬のように大人しい。自信を無くしているのか、多少厳しい千夜の一言が飛んだ所で吠え返す真似もしなかった。
「じゃ、試しにやってみましょ」
 渋々キュウの言葉に頷き、イッコーがマイクを自分の前に移し替える。これまでにイッコーが黄昏の歌を唄った事は数えるほどしか無い。いつも乗り気がしないから。だから3人で続けている時もずっとイッコーオリジナルの曲ばかり演奏していた。
 イッコーの歌声は思っていた通り、黄昏の曲にも合っていた。自分の曲や以前やっていたバンドだとかなりがなっている歌い方をしているけれど、伸ばした声も出せる。高音域も問題無く、好みによってはこちらの方を支持する人もいるかも知れない。
 声を張り上げながら、難しい顔をして歌っているのが妙に可笑しかった。いつも隣で歌声を聞いているとは言え、実際に自分が歌うと勝手が違うものなんだろう。黄昏も熱心にギターに集中しながら、どこか腑に落ちない表情を見せていた。
 多分それは僕も同じで、黄昏以外の人間に歌われるとどこかしっくりこない部分がある。本来歌と言うものは誰でも唄える素晴らしいものだと思う。でも自分の書いている曲は、演奏するにしてもこの4人でないと駄目と言うか、4人で産み出す絵画みたいなもので少しでも変わってしまうと全く別物の曲になってしまうような感覚がある。
 そんな事で愚痴を言っていたら、千夜が来るまでドラムマシンで乗り切るなんてどだい無理な話ではある。単なる僕のわがままなこだわりでしかない。
「んー、やっぱり思ってた通り、イケてるわねー」
 腕を組み唇を緩ませ頷くキュウみたいな人もいる訳だし。隣の愁ちゃんみたいに黄昏本人が歌っていないからどこか素直に喜べない人もいるけれど。
「これなら即通用するんじゃない?たそもそう思うでしょ?」
「ああ……今回は任せるよ。俺が悪いんだし」
 普段ならすぐ反発するだろう黄昏も、今日は妙にしおらしい。やる気はあるのに歌えない事態は黄昏にとっておそらく初めての経験だろう。歌う事に関し、臆病になっているようにさえ見える。黄昏の心のバランスを崩した責任は僕にあるのか溢歌にあるのか。
 僕の作った曲は今の心境だと歌えないと言う事なのか。
 だとすれば、仲直りしない限り黄昏は元の状態に戻らない。しかしその為には僕一人の力だけではどうにもならず、溢歌の存在が不可欠になる。
 でも、嫌がる溢歌をここへ無理矢理連れてきても――
 次の曲を合わせている時に、愁ちゃんの方ばかり目が行く。もしも黄昏が溢歌にそばにいてくれる事を望んでいるのなら、彼女はどうなるの?僕が身を引き溢歌を自由にした所で、また新たな問題が起こるだけにしか思えない。
 黄昏の事を今この世で一番大切に想っているのは、そこにいる愁ちゃんなんだから。
 そもそも彼女は溢歌の事を知っているのかな?おそらく知らないだろう。どれだけ黄昏が自分の事ばかり考えている正直者であっても、いつもそばにいてくれる愁ちゃんを悲しませる事を言うと思えないから。
 なら直接黄昏に僕が溢歌を諦めるように諭した方がいい?そんな事をすればまた殴られるに決まっているし、二度とバンドに戻って来ない可能性だってある。結局は溢歌任せか。
 無理にこの状況を引っかき回すより、静観しておいた方が得策に思える。時間が解決してくれるなんて到底思えなくても、この微妙なバランスを崩したくない。黄昏の回復をただ待っているだけなのも酷な話で、それなら僕が必死にサポートしよう。
 向こうが僕を必要としている限り、僕も黄昏を支える事を止めない。例え必要に思われなくても、ずっと黄昏の味方でいたい。
 だって僕達二人は無二の親友以上の存在なんだから。
「ドラムマシンも試してみれば」
 千夜の助言で、機械を使い一度演奏した曲を合わせる事にした。今日の練習はなるべく機械的に叩いて貰っているとは言え、実際に千夜抜きでも試してみないと。皆が集まって練習する時間もほとんどしか無いから、やれる事はやっておきたい。
 3人で合わせている間も千夜はブースに残り、僕達の演奏を観てくれていた。本当なら休憩室で参考書でも読んでおきたい気持ちだろう。千夜の心遣いに感謝しつつ、僕達は精一杯に取り組んだ。ドラムマシンなのでイッコーのベースラインも即興でアレンジされ、ダンスナンバーチックになっている。僕も真似て色々アレンジを入れようと試みてみるも、馴れない事が上手く行くはずもなく千夜に呆れられ、駄目出しされた。
「とりあえず、こんなとこでいーか。どーせ一回こっきりだしガチガチに固める必要もないっしょ。たそも自分で歌わねーからって、ギター手ぇ抜くなよー」
「わかってるよ。下手なりに何とかやってみるしかないしな」
 一通り合わせ終わった所でイッコーが黄昏に軽口を叩くと、真顔で返した。いざ実戦に出た時にどう転ぶか、不安の方が勿論大きい訳だけど、黄昏がこの様子なら何とかなるんじゃないかな。後は千夜が当日少しでも早く合流してくれる事を祈ろう。
「あと一回、合わせるチャンスあるしね。千夜は・・・無理か」
 汗の落ちたギターを布で拭く手を止め、そちらの方を伺うと小さく頷いた。学園祭前日の準備があるので無理なんだろう。そもそも今日も大切な時間を割いて貰って出て来ている訳だから、心底感謝している。
「そんな訳で、各自練習しておいてよ。黄昏もイッコーにギターを教えて貰っていて」
「あのな〜、おれに押し付け・・・ま、いーけど。本人はどーなんかね」
 やや苦虫を噛み潰したような表情で、愁ちゃんの隣の椅子で休憩している黄昏を見やる。本人は何やら考え込んだ顔で黙っていて、僕達の話声も耳に届いていないよう。
「あのさ」
 と思った矢先、黄昏が真っ直ぐな目線で僕の顔を射抜いた。
「一曲だけ、歌わせてくれないかな」
 小声で発したその言葉に、室内の空気が一瞬ざわめく。
「一曲だけって・・・」
 目を丸くし、周りのみんなの顔を見る。千夜は呆れて物も言えないのか、目を閉じ口をつぐんでいる。イッコーも面食らった仕草で天を仰ぎ、キュウも困った表情を見せた。
「たそのその気持ちは嬉しいけど・・・ねぇ?」
 どうしたものやらとキュウが僕達に目配せしている。黄昏は歌わせないと決め、今日練習してきた所に水を指す格好になったからか。
「演る曲はもう決めちゃってるもの。イッコーのMCを長めに取れば、一曲分稼げるんだから、わざわざ調子の悪い黄昏が歌うコトないじゃない。こんな舞台で」
 キュウの言葉ももっともで、黄昏がここで歌う事が+になるとは思えない。次のワンマンへのリハビリと言う意味では良くても、僕達のバンドを知らない人達も観に来るような状況で一曲だけ歌わせるのは、不調の黄昏をそのまま実力と受け取られかねない。
「んで、歌いたいって、何の曲?」
「ちょっとイッコー」
「聞くだけだっつーの。そんなつっかかんなって」
 耳の穴をほじりながらイッコーが顎をしゃくる。憮然とした表情でキュウは腕を組み、二人の顔を交互に眺めていた。
「俺が――昔、一人でいる時に作った曲」
 その言葉に、イッコーの瞳孔が大きく開いた。
「これ・・・歌詞。写し書きした」
 黄昏は自分の後ポケットを探ると、四つ折りにしたノートの切れ端を差し出した。イッコーが近寄りそれを受け取ると、早速開いてしばらくにらめっこする。
「どーするの、もう一回他の曲合わせるんじゃないの?」
 キュウが取り出した携帯電話で時刻を再確認し、僕達に呼び掛ける。
「よし、これをやろうよ」
 ためらう事無く僕は即断即決し、イッコーの手から歌詞の書かれた紙を引っ手繰った。
「煮詰めたアレンジなんて出来もしないのに」
 溜め息混じりに、帰宅の準備をしていた千夜が呟く。一通りドラムマシンでの演奏を観ていたので、お役ご免で一足先に引き上げるつもりでいたらしい。
「いいよ、シンプルなものでも。ダメならダメ、やるならやるで、とりあえずはこの曲を演ってみようよ。僕もどんな曲なのか知らないけどさ」
 迷う暇が勿体無いのでやろうと決めたものの、黄昏の書き溜めたノートに書かれていたかどうかは記憶に無い。余りに曲の数が膨大過ぎるから。あったような気もするけれど、僕が黄昏にこの曲を歌って貰った事は無いはず。
 だから一度、どんなメロディか聴いておきたかった。
「じゃあ、歌ってみる。アレンジなんて別にいらない。弾き語りなら、少し練習してきた」
 ぶっきらぼうに言うと、黄昏は腰掛けていた椅子を手に自分の場所まで移動し始めた。
「エレキギター・・・でいいや、時間がないのなら」
 独り言を呟きながら半分落ちた眼で準備を続ける。ギターの音色を合わせているのを眺めていると、いつの間にか僕の隣まで来ていた愁ちゃんが、小声で僕の耳元で囁いた。
「たそ、今日の日のために家で練習してきたの。私も聴くのは初めてだけど」
「んじゃ、始める」
 軽く首を回し、背筋を伸ばし黄昏が歌う姿勢を取る。
「これをやるやらないどっちにしても、他の曲もちゃんと練習するのよ」
 キュウの厳しい言葉に苦笑いを見せ、黄昏は僕達の顔をやや固い表情で見回してから大きく息を吸い込んだ。


 暗い街角で唄をうたう天使 粉雪降り注ぐ星空見上げ
  『この世の全てのひとがしあわせになれますように』
  汚れた路地裏の片隅で 綺麗なこころで今日もうたってた

  I wanna be loved 昨日は愛の唄をうたった
  I just wanna be loved 明日も明後日もその次も
  いつでも愛し愛されたいから

  雪降る道に横たわる仔犬 氷のように冷え切ったその身体
  こころの温もりだけで誰もが生きてけないのは
  神様がほんの悪戯心で 世界を冷たくしてしまったからなのか

  I wanna be loved 遊び半分でもがれた羽の
  I just wanna be loved 古傷が寒さに痛む日には
  ほんの少しだけキスしてほしい

  道端に散らばる使い捨ての愛 欠片を拾い集めた天使が
  作り上げたハートマークを今夜
  あの時計台のてっぺんに飾ろうって 子供みたく無邪気に笑ってた 
 
  I wanna be loved みんなが見えるあの場所で
  I just wanna be loved 鐘が響く寒空の下で
  残酷なゲームの繰り返されるこの街眺め
  I wanna be loved 笑顔を信じて      
  I just wanna be loved 羽のもげた天使は今日もうたう
  その唄声はどこまでも響いて

  I wanna be loved また傷口が増えてく身体
  I just wanna be loved 悲しくなるのは何故なんだろう
  寂しさなんていらないから oh
  I wanna be loved 日々つのってく恨み辛み
  I just wanna be loved 張り裂けそうになるのを堪えて
  光を与えてくれ year
  I wanna be loved 何かを捨てて歩いてく心
  I just wanna be loved そして今日も気付かない振りで
  扉を開いて欲しい ah
  I wanna be loved 幸せが降り注ぎますように
  I just wanna be loved せめて心の中だけでも互いに
  笑顔を信じてたいだけ lalala lalala...

  I wanna be loved oh yeah
  I just wanna be loved um......


 黄昏の歌声は以前までのような伸びのある張り詰めた声では無かった。
 ただ、とても澄んでいて、乾いたギターの音色と絡み合い、僕の胸の中に音も立てず溶け込んで行くのを感じた。僕も周りのみんなも、黄昏が弾き語りしているのを微動だにせず、ただじっと口を閉じたまま見つめていた。
 てらいの無い、素朴なメロディ。AメロもBメロもサビも大差無い、ループしたような構成が気持ちいい。リズムを取るために踏み鳴らしていた床の音が妙にマッチしていた。
 寒い日の晴れ渡った星々のきらめく夜空が、僕の心の目に映った。
 しかしどうして黄昏は、僕が努力してもできない事を軽々しくやってしまうんだろう。本人にはその自覚は無くても、その才能は周囲の人間を惹き付ける。
 黄昏が何か新しいものを見せる度に僕は毎度のように驚き、心が震え、羨望の眼差しを送ると同時に自分と対比し、嫉妬や絶望を覚える。そうした感情が湧き上がるのもいい加減慣れて来た気もしなくもない。
 けれど、音楽に対し情熱を失いつつある今、素直に黄昏の歌声に心を揺り動かされたのは、少し驚くと共に嬉しかった。
 僕が絶望の闇に沈んでしまったとしても、例えそれが黄昏が溢歌を奪っていった故の事だとしても、黄昏の歌声をそばで聞けば僕はまだ踏ん張れる気がした。
 皮肉な話だけど、僕は女々しくてもいいから黄昏と一緒にいたい。そう改めて思えただけで、心に圧し掛かった重石が随分軽くなった気がする。
 目を閉じ、最後のリフレインに耳を傾ける。この後の展開は手に取るように分かる。これからちょっと忙しくなるかなと肩を竦めつつ、『days』はまだまだ続いていけそうだと、小さく安堵の息を吐いた。 


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