116.ナイトメア・アフター・クリスマス
ギターと鞄を抱え、キュウのマンションを出る。外は朝方なので随分冷え込んでいて、暖房に慣れ切っていた身体には堪える。冬至を回ったばかりなので、朝日が昇るまでには随分と時間がかかるだろう。今から水海に向かえば、丁度始発時間の頃合になる。
この時間、道路にいるのは新聞配達の原付くらいで、早朝と言うより深夜が続いているように思える。細い通路を抜け繁華街に出ると、人の姿もほどんど見当たらず静かなもの。ラバーズでまだみんないるのかなと、ふと思う。
顔でも出そうかと思いつつ、止めた。さすがに今の時間、誰がいるのか判らない。イッコーもおそらく自宅に戻っていると思う。
イッコーの家の事を考えていると黄昏のマンションが突如脳裏を過ぎり、胸の中のもやもやとした物が急速に膨らむ。シャッターの開いた水海駅の中を潜り、東口方面へ。黄昏の住むマンションへと自然に足は向いていた。
いざ実際にマンションの下へやって来ても、最上階を見上げるだけで入る気にはなれない。溢歌を送った後、戻って来ているのか。確認しておきたくてどうか自転車置き場を探すと、いつもの位置にカバーのかけられた黄昏のバイクが置かれてあった。
見つけた時には思わず心臓が飛び出そうになる。しかし自宅を訪ねる真似はしようと思っても怖くてできない。送り届けてと言ったので、まさか溢歌が黄昏の家に来ているとは考え難いけれど十分可能性はある。マンションの下にいると胸を掻き毟りたくなるような複雑な想いに駆られるので、逃げ出すようにその場を離れた。
水海駅に引き返すか、それともイッコーの家を訪ねてみるか。考えていると、この位置からだとおやっさんのスタジオがそれほど離れていない事に気付いた。
僕の家の路線とは別方向だけど、水海から二駅分なんで歩いて行ける距離にある。このまま帰るより、この時間に一度顔でも出してみようか。クリスマスライヴ前に話していたおやっさんの言葉を思い出す。もう朝早いので深夜営業も終わっているかもしれないけれど、試しに足を運んでみるのもいいかも知れない。
愚痴を聞いて貰う訳にはいかなくても、休ませて貰う事もできるだろう。とにかく、落ち着きたい癖に孤独になると余計な考えが次々に浮かび滅入って来る。黄昏のマンションまでやって来たおかげで、キュウの家で落ち着いていた心が錯乱し始めた。これならわざわざ朝帰りする必要が無かったような。
しかしここまで出て来てしまった以上、引き返す訳にもいかない。おやっさんの店がまだ空いているといいなと思いつつ、一向に明るくなる気配の無い真っ黒な空の下を歩いた。これで千夜でもいたら、嬉しいけれどさすがにそれは無い。打ち上げで他愛も無い話をしていたとは言え、僕と違い終電には間に合う時間に別れたもの。
だけどここしばらく千夜と二人で短期間に集中して『N.O』に入っていた為、これから二ヶ月程は一緒にセッションする事ができないと思うと、寂しい気持ちになる。
次に再会する時に、キュウのように溢歌の事を打ち明けた方がいいのかな。そう考えるも、『days』の音楽に関係無い話に聞き耳を持ってくれるとも思えなかった。いくら隠し事が必要無いとは言え、わざわざ僕や黄昏間の問題を伝える必要も無い。
僕に好意を持ってくれているキュウとは違い、千夜とは良き間柄のバンドメンバーでいたい。向こうもそれを望んでいるだろう。とそこまで考え、すっかりうちのバンドに馴染んだ千夜の姿に笑みが零れた。
千夜とのバンド内での結び付きが、そのまま『days』の成熟度合に当て嵌まると思う。
『N.O』に向かう間、『days』の事ばかり考えるようにしていた。溢歌の事を考えるのを止めるとバンドの事しか目が行かなくなる自分に、別れる前に言っていた溢歌の言葉が酷く胸に染み込む。こんな感じでいるから溢歌は自分を見てくれないと嘆き、距離を置いてしまう結果になってしまったんだろう。
つくづく僕はどうしようも無い人間に思えた。しかしこのスタンスをそう簡単に変えられそうに無い。再び溢歌と一緒でいられるようになる為には、こちら一人の力だけではどうにもならない気がした。溢歌の心の変遷を時間をかけ、待つしか無い。
道の途中で、前から歩いて来る二人組の男性が見えた。こんな朝早くから、水海から少し離れた地域でパンクスな格好をした人が歩いているのは珍しい。
「アイツらは先にコンビニ行ってんの?」
「ったくクソさみーよ、何でわざわざ外にいなきゃいけねーんだよ」
「全員中いたらいきなり誰か来た時に対処できねーだろが、あんなとこ非常口ねーしよ」
と、すれ違う時にふと、相手の顔に見覚えがあるのに気付いた。
今の二人は……?
振り返り顔を確認しようとするも、周囲が暗いせいではっきりとした輪郭までは判らなかった。しかし、あの特徴ある外見と雰囲気は忘れるはずが無い。
片方は、先月のライヴで千夜にちょっかいを出した相手の一人に違いない。直接手を出した相手で無くても、はっきり覚えている。見知らぬもう一方もおそらく仲間だろう。
幸いこちらには気付いていなかったらしく、会話に夢中で通り過ぎて行った。まさかこんな時間にこんな場所で遭遇するとは思っていなかっただけに、後になってから全身に緊張感が走り、深い溜め息を吐く。
もし多人数でもっと明るい時間に遭遇していたら、大変な事になっていたかも。僕は黄昏みたいに気に入らない相手でも自分の身の危険を顧みないで喧嘩を売る真似なんてできないので、逃げる他無い。とは言え学生でもないので、運動もする機会が無い。
しかし彼らは水海より、もっと離れた街の一角でたむろしているんじゃないだろうか。僕自身あまり周辺の街に遊びに行かないので分からないけれど、彼らの出るライヴハウスはここから結構離れていると他のバンドの人に聞いた事がある。
昨夜はクリスマスなので、水海に繰り出し夜通しで遊んでいたのか。何にせよ、この近辺で遭遇する機会は完全に0では無いと胸に刻んでおくことにした。
それにしても……。
妙に心に引っかかり、何度も誰もいない来た道を振り返る。まさか彼らがこんな場所にあるおやっさんのスタジオを借りてるなんて事は無いだろう。それなら行きつけの千夜と何度も顔を合わせる羽目になっているはずだもの。
しかし何なんだろう、この嫌な胸騒ぎは。
自然と僕の歩く速度は上がっていた。漆黒の夜空も、ほんの少し藍色を落とし始める。遠くでカラスの鳴き声が聞こえた。
ようやく『N.O』に到着する。高架下の階段を下りた地下にあるので、店が開いているのか開いていないのか外から確認できない。シャッターが降りている訳でもない普段と変わらない外観なので営業しているだろう。来た甲斐があり、胸を撫で降ろす。
「こんばんわー」
今の時間に不釣り合いな声をかけ、店内へ入ると妙な感覚に襲われた。
「何だ……?」
店内の空気が微妙にいつもと違う。この時間帯だからと言うより、妙に静か。店内に有線ラジオがかかっているとは言え、受付に人の気配がしない。
「おやっさん?」
周囲を確認しても姿を見かけない。受付すぐ奥の休憩室のテーブルには、無数の空き缶や食べ物が散らかっている。人のいた形跡はあるのに誰もいないのは、単に二つのスタジオ内に籠もっているからか。扉の申し訳程度に付いているガラス戸では外から確認できる仕様になっていないので、こちらから伺い知る事はできない。
妙に不安な気持ちに駆られ、中にいるのかなと奥の扉へ向かおうとした瞬間、受付の奥から何やらガタゴトと物音がし、背筋が震え上がった。
受付の奥に木製の扉がある。普段は開いていておやっさんの休憩室となっている狭い部屋なのに、何故か今日は閉じられている。物音はその中からしていて、耳をそば立てると呻き声のような音が聞こえて来る。
逃げ出したくなる気持ちを堪え、荷物を降ろしドアノブに手をかけ恐る恐る開くと、次の瞬間現れた光景に目を疑った。
「おやっさん!」
顔を真っ赤に腫らしたおやっさんが、猿轡を噛ませられ、後ろ手と両足を布とテープで縛られた状態で畳の上に転がっている。動転してしばらく足がすくみ動けないでいると、おやっさんの呻き声で我に返り、慌てて猿轡を外した。
おやっさんは盛大に息をし、安堵の表情を見せ僕の顔を見つめる。
「おお……青空。良かった……」
「どうしたんですか、一体何が……!?」
「いいから早く、左側の扉の中に……あの子を助けてやってくれ。ぐずぐずしてるとあいつらが戻って来てしまう」
あの子?あいつら?
とにかく誰かが、おやっさんと同じような目をスタジオの中で遭わせているのが解った。今は見張りがいない、ちょうど良いタイミングなんだろう。
しかし、単独で危険の中に飛び込むには勇気がいる。身をすくむ思いを堪え、ひとまずおやっさんを自由にする事に決めた。
「その前に、これを解かないと」
「受付の左側の引き出しに、ポケットナイフがある」
急いでそばの受付に戻り、言われた通りに探すと簡単にポケットナイフが見つかった。おやっさんに寝返りを打って貰い、テープときつく縛った布をまとめて切る。解放されたおやっさんは、痛がる身体を抑え大きく息を吐いた。殴られたのは顔だけじゃないらしい。細かい話は後回しにし、中の子も早く助けないと。
「ふぅ。私が警察に呼んでおくから、青空は中を……あいつらが千夜を捕まえて――」
千夜!?
中にいるのが千夜と知り、全身の血が逆流しそうになる。と同時に、おやっさん達を痛い目に遭わせている連中と今の状況がすんなり頭の中で繋がった。
今すぐ飛び込みたい気持ちを堪えおやっさんに僕の携帯電話を渡し、外に逃げて警察に連絡するように伝える。幸いおやっさんは動ける身体のようで、強い決意で僕に頷いた後、店を飛び出して行った。戻って来たあの連中と鉢合わせにならなければいいけれど、そろそろ街も目覚め始める頃だしきっと大丈夫だろう。
これが見知らぬ人間の状況なら、僕はうろたえてばかりでこの場から逃げ出していたかも知れない。しかし中にいるのが千夜なら見捨てる訳にもいかない。僕がやられても、助けを呼んだおやっさんがすぐに駆けつけてくれる。
軽く息をつき、強い気持ちで扉を睨む。助走を取り、勢いをつけ中に飛び込んだ。
「……千夜っ!?」
いきなり開いた扉に、中の人間が一斉に振り返る。先程道端ですれ違ったパンクスの連中と同じ雰囲気を持つ、ガラの悪そうな連中が4人。奥隅に一人、中央に3人――いや4人集まっていた。据えた匂いが部屋内に充満していて、思わず顔を顰める。
素早く室内を見回し、千夜の姿を探すが見当たらない。困惑していると、入口に背を向けた中腰の男と、その股下から生え出ている別の男の両足近くに、見知った黒のズボンが視界に入った。
僕のちょうど正面に位置する男が一歩後ずさると、うつぶせで男達に挟まれ、着ている衣服を半分脱がされた黒髪の横跳ねした女性が、目の前に立つ男に頭を掴まれ、股間に押しつけられているのが見えた。僕に気を取られた事で男が手を離し、スローモーションで女性がこちらを振り返る。
そこには、顔中と無造作な黒髪に白い精液を放たれ、トレードマークの丸眼鏡のずり落ちた、息も絶え絶えな千夜の絶望の表情があった。
「……ぁ……」
乱暴を受け生気の無い目をした千夜が、僕の姿を視界に捉え、声にもならない嗚咽を漏らす。それを見て、僕の全身の毛が怒りで逆立った。
「この……千夜を離せっ!!」
ズボンを降ろし、自由の利かない目の前の男に真っ先に飛びかかる。床に倒し上から乗り掛かり、全力で2,3発顔に握り締めた拳を打ち込む。男の悲鳴が聞こえ、殴った自分の石拳に走った痛みも、全身を包む怒りで全く気にならない。
そのまま千夜に群がる男達の一人にしがみつき、振り払う。下になっている男から千夜の体を引き剥がすと、そのまますぐそばの正面の男に頭から飛び掛かる。
当たった勢いで後ろのドラムセットへ押し倒そうとする所に、背中に強い衝撃が走り、僕の体は床に崩れ落ちた。一番奥にいた男が丸椅子を振り下ろしたらしい。
「ぐぅ……!」
今の一撃が相当効いてしまったようで、息ができない。床にうずくまる僕に、体当たりをかました目の前の相手が顔面に蹴りを入れて来た。防御しようと体を丸めると後頭部を蹴られ、亀になり動けない状態の僕に他の連中がストンピングや蹴りを入れて来る。こうなるともう、反撃のしようが無い。
囲まれた男達の隙間から、足腰の上がらない千夜の放心した涙顔が見えた。
「あお、ぞら……」
僕に構わず逃げてと、視線を送る。ようやく理性を取り戻した千夜が這うように部屋から出ようと動こうとした所に、別の男が千夜の髪を乱暴に掴み、床に引き倒した。同時に僕への攻撃も止み、体格のいい男が僕をうつ伏せに転がすと、体の上に乗り両腕の関節を極め、動けなくする。絶望した顔の千夜は地面に倒れたまま動かない。
そばに近づこうと身を捩った所に、乱暴に足の裏を頭に押しつけられた。痛みで首を捻ると、頬を踏み付けて来る。
「おいおい何だよ、見張りはどーした?アイツら、この時間じゃ誰もこねーからって油断してどっか行ってやがったな。アレだけちゃんと見張ってろって言ったのによ」
見上げた視線の先、足を押し付ける男の顔に、見覚えがあった。
「お前達……!あの時の……」
スキンヘッドのパンクスの男は、一月前の僕達のライヴ前に千夜へ喧嘩を売った相手。ここにいる他の連中の中にも、何人か覚えている顔がある。ただ、リーダー格らしきジゴと呼ばれていた屈強な男の姿は見当たらない。今いないだけなのか?
「おやおや、まさかこいつと同じバンドの奴が助けに来るなんてよ」
「白馬の王子サマ気取りか〜?」
「残念だったな、あんたんとこの紅一点は俺らがおいしくいただいちゃったよ〜ん」
周囲の男達が僕の怒りを増長させるように囃し立てる。床に倒れ、小刻みに体を震わせる千夜の姿を見て、どんな酷い暴行を受けたか容易に想像がついた。
「この……千夜に何をっ!?」
自分でも信じられないほど怒りに満ちた心で、男達に食ってかかる。形勢逆転不能なこの状況で躍起になっている僕を見て、それぞれいやらしい笑いを浮かべていた。
「何をって、見りゃわかんだろ?レイプだよレイプ、ほのぼの集団レイプ。ったく、口封じしなきゃいけねーヤツがまた一人増えちまった、めんどくせーな」
「ずっとドラム叩いてっからか、前も後ろもキツキツだったぜ?犯ってる最中音楽流してもケツ振るリズムは悪かったけどな、ま、ムリヤリだとしゃ〜ね〜か」
「せっかくこれからこの女に一から教え込まそうと思ってたのによ、ジャマしてくんなよ。何ならおめーも一緒に犯るかぁ?今なら全然抵抗しねーぜ」
悔しかった。自分がどれだけ、千夜の事を大切な仲間と思っていたのかに改めて気付く。いやらしい挑発にこれまで感じた事の無い、信じられないほどの怒りに心が満ちて来る。
「ふざけるなっ……ここから出て行け!」
極められた腕を外そうと懸命に叫びながら全力で振り解こうとすると、スキンヘッドの男が僕の脇腹に強烈な蹴りを一撃お見舞いした。
「あ、ぐぁ……!」
重い痛みに呼吸が止まる。再び上から強い力で押さえつけられ、僕には為す術も無かった。おやっさんは他の連中に見つからずにいるだろうか。
「威勢がいいのは頼もしーが、腕っぷしはてんでダメだな」
「そんなギターばっか弾いてる腕で俺達に勝てると思ってんのかぁ!?あぁん!?ああ、指で女を悦ばすテクなら一人前か」
くだらない冗談に馬鹿笑いが巻き起こる。僕にせめてイッコーみたいな力があれば、この状況も一人で何とかできたのかも知れないと思うと、ますます悔しくなる。せめて、僕はどうなってもいいので千夜だけは何とか解放してやりたかった。
「しっかし久々の上玉だったよな。前からずっとレイプしてーと思ってたけどよー。結局何人で輪姦したっけ?」
「ん〜、ひぃ、ふぅ、みぃ……他のグループ二つ呼んだから、20人超えるんじゃね?今回ですっかり穴兄弟増えちまったなオイ」
「うは、並の乱交AV以上かよ」
「この……!」
他人に対し心の底から殺意を感じたのは、生まれて初めての事かも知れない。こいつら、他人の事を何と思っているんだ。現実にこんな酷い事を女性にできる人間がいるなんて想像もつかなかった。横たわる千夜の身体には無数の精液が浴びせられ、シャツや下着は乱暴に破かれ、半裸の状態で徹底的に犯されていたのが解る。情欲をそそる今の千夜の姿を見ても、湧いて来るのは怒りと憎しみしか無かった。
「しっかし処女じゃねーとはジゴから聞いてたけど、あの話マジモンだったな」
「もーちょい淫乱かと思ってたんだけどな、さすがにエロ漫画みてーにはいかねーや」
「最初すっげー抵抗してたもんなぁ。ケツに突っ込んだら悲鳴上げてウソみてーにおとなしくなったけどよ。嬲られ慣れしてんじゃね?」
「ハハ、言えてる」
好き勝手に千夜の事を嘲笑する人間に、更に沸点が高まる。
「離せよ、このっ……!!」
目の前に男達の顔があれば、唾を吐きかけてやりたかった。ささいな抵抗すらできない自分が腹立たしい。動けない僕の前にスキンヘッドの男は腰を下ろし、楽しそうに僕の憎悪に満ちた顔を眺めていた。
「おーおー威勢がいいねぇ。そろそろこの女をお持ち帰りしてコイツのマンションで二次会としゃれこもうと思ってたのによ。何ならオメーも来るかぁ?」
「俺たちに逆らわずにいるなら、オメーもこの女の好きなトコロにぶちこんであげてもいーぜ?これから裏ビデオ撮っからよ」
「つってももう写真も動画も撮ってっけどな。高く売れるぜ?」
「これからネットに流したらこの女、ヤリマン確定で街歩けなくなるかもな」
「そしたら俺達が飼ってやりゃいーさ。おめーんトコのバンドにも、この女のエロ姿目当てで客もたくさんやってくるかもよ?」
「Win―Winじゃん。俺たちもお前も。あ、この女だけは違うか」
下衆な笑いを一斉に周囲に響かせる。他人の人生を虫ケラにしか思っていないような人間を、本気で殺してやりたいと思った。漫画の中にいるスーパーマンの存在に、心の底からなりたいと願った。しかし今の僕にはどうする事もできない。
「おいおいどーしたんだよ、この状況はよ」
「縛っといたおっさんいねーぞ、やばくね?」
足音がして、室内に戻って来た他の連中が焦った口調で話し合う。こいつらが見張りか。どうやらおやっさんは無事見つからずに済んだみたいで安心する。
「ナニのんきに喋ってんだ、オメーらがちゃんと見張ってねーからネズミが一匹紛れこんだんだろ。しゃーねーな、そろそろズラかっか」
「オイ、こいつらどーすんだよ。いつものマンションまで連れてくのか?」
「しゃーねーだろ。もともとそのつもりだったから問題ねぇ。逃げたおっさんも早いトコとっつかまえねーと……」
男達がこれからどうするか真剣に話し合っている。僕が来なければこのまま千夜が奴等に別の場所へ移されていたかと思うと、心底身が震えた。来るのが遅すぎたにせよ、それまでに間に合って良かった。
「おまえさん達、もう警察を呼んだからな!おとなしく観念しろよ!」
気が緩んでいると突然、部屋の外から戻って来たおやっさんの大声が店内に響き渡った。上手く行ったようで、思わず泣きそうになる。男達は逃げる支度を手早く始め、僕の上に圧し掛かっていた男もそれどころじゃないと飛び退いた。反撃する気持ちより、助かった事に安心し手足の力が入らない。
「チッ、だから口酸っぱく見張りしてろって言ったんだ」
「俺らのせいかよ」
「ああそーさ、面倒なコトになりやがった。オイオマエら、逃げるぞ!」
「ちょ、逃げるって……おおい!」
「覚えてろよ、このガキっ!!」
おやっさんを押し退け、パンクスの連中は口々に捨て台詞を残しながら部屋を飛び出て言った。店内が静かになり、助かった事を実感する。動けないでいる僕のそばへおやっさんがやって来て、身体を起こすのを手伝ってくれた。酷く蹴られた全身が痛むけれど、こんなもの千夜の痛みに比べれば何て事は無い。
「青空が飛び込む前にワシが電話かけておいたのがうまく行ったようじゃの」
「ありがとうございます。ホント、おやっさん解かずに部屋の中に入っていたらどうなった事か……」
喋りながらミイラ取りがミイラになる場面を想像し、背筋が寒くなった。しかし、一秒でも早く千夜を助けられなかった事を悔やむ。知らなかったとは言え、キュウの家で呑気に眠ってしまっていた自分を激しく罵りたい気分になっていた。
「千夜は、大丈夫か?救急車もちゃんと呼んでおいた。随分長い時間乱暴されていたようだが……」
「千夜っ!!」
おやっさんの言葉で我に返り、急いで千夜の元へ駆け寄る。倒れている千夜の顔のそばで何度も名前を呼ぶと、うっすらと目を開け、放心した顔を僕に向けた。ゆっくり上体を起こすの手伝ってやり、酷く乱暴を受けた箇所は無いか確認する。
「大丈夫!?怪我は……」
勿論大丈夫なはずも無い。しかし、僕やおやっさんみたいに乱暴に殴る蹴るの暴行を受け、肌に痣を作っている様子は無かった。その分、徹底的に性的暴行を受けてしまっているのは容易に解る。
セットしていた黒髪は振り乱され、眼鏡もずり落ち、口元を男の精液がだらしなく伝っている。黒のアンダーシャツは乱暴に破かれ、グレーのアンダーウェアはめくられ、上も下も大切な所が剥き出しになっていた。ジャケットと片方だけ脱がされたズボンが、奴等が『days』の千夜を嬲ってやりたかった事を証明していて、歯軋りする。
いくらいやらしい姿とは言え、こんな状況で興奮する筈も無かった。それより、どれだけ辛い目に遭っていたのかを想像してしまうだけで、もらい泣きしそうになる。
「……あおぞら……わたし……」
へたり込んだ千夜が僕に視線を向け、反応する。生気の無い黒の両瞳に僕の姿は暗闇で映っていないようで、痛々しかった。
「千夜っ」
どうしようも無い気分になり、目の前の千夜を強く抱き締める。据えた匂いだとか、汚らしい格好だとか、全然関係無かった。ただひたすら、謝りたかった。
「もういい、もう大丈夫だから、千夜……ごめんね、遅くなって。僕がもっと早く来ていれば、こんな事には……!」
過ぎてしまった事は仕方無い。僕達の誰を恨んでもどうにもならない。しかし、もっと早く何とかできなかったのか。失望と疑念と後悔と激しい呵責に苦しむ。
抱き締めているあの僕より勇ましい千夜の身体が、とても小さく、細く感じる。この身体で無数の男達に乱暴を受けていたと思うと、目の前が涙で滲んで来る。
守ってやりたかった。それができなかった自分がとても悔しい。
強い想いで抱き締めていると、千夜もようやく意識を取り戻したのか、僕の背中に両手を回して来た。そして自分がされていた状況を理解し、嗚咽を漏らし始める。
「……っ。ひ……ぐっ。ぁぁああぁ――!」
室内を千夜の激しい絶叫と涙声で埋め尽くすには、時間がかからなかった。僕の胸の中で泣き叫ぶ千夜の痛みが直接突き刺さって来る。できるだけ僕は千夜の痛みを受け止めてやろうと強く抱き締め、何度も頭を撫でてやった。
「千夜……千夜……」
繰り返し繰り返し、ごめんねと心の中で呟きながら。
→to be Rolling Stone.