→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第2巻

   036.心の鐘をピストルで

 枕を並べて、溢歌と愁が寄り添うように眠ってる。その姿は、まるで姉妹のように見えた。疲れ切ってるのか、どっちも小さな寝息をかいてる。
 夕食を一緒に摂った後、俺達3人は居間で話したりカードゲームをして遊んだ。そんなふうに他人と遊ぶなんて中学の時以来だったし、とても楽しかった。一人でいるのも好きだけど、たまにはこういうのもいいと思う。
 愁は今日は二階の自分の部屋じゃなく、この和室で寝る事にした。遊び疲れて二階に上がるのが面倒だって言ってたけど、多分部屋に飾ってある俺のポスターを溢歌に見せないでおこうって思ってるんだろう。
 せっかく俺がいるんだから3人一緒に一つの部屋で寝ようって愁が提案したけど、俺は丁重に断った。みょー達にそんなところ見られたらそれこそ成敗ものだ。愁は寝る寸前まで駄々をこねていたので、しょうがなく二人が寝るまで俺も付き添ってやった。
 溢歌も可愛い寝顔を見せて眠ってる。愁が帰ってきてからはそれまでの言い合いを感じさせる事なく、普段と変わりなく振舞っていた。
 ここで生活する事で、溢歌は落ち着いてきてるんだろうか?もしかすると俺が横にいる限り溢歌が気を落ち着かせる事はないのかもしれない。そんな考えが一瞬脳裏をよぎったけど、すぐさま否定した。
 それなら溢歌は今までと変わりない日常に戻ってしまう事になる。他人と繋がらない日常。そんなものをあいつが望んでるなんて俺は信じたくない。
 どこまでも何もかも見限ってたとしても、心の奥底でほんの1%でも、俺と同じ気持ちを持ってるって信じたい。
 俺は寝ている二人の頭を撫でてやって、部屋を出て襖をゆっくりと閉めた。誰もいない静かなキッチンへ向かって、椅子に座って少しくつろぐ。みょー達が帰ってきたらすれ違いに帰ろうと思う。壁時計を見てみると、時刻はとうに12時を回っていた。
 冷蔵庫から来た時に入れてた缶ジュースを一本取り出して、開ける。酒がないのが少し物足りなかったけど、バイクで帰るからちょうどいいんだろう。
 椅子の上で四肢を投げ出して、糸の切れたマリオネットのようにぼんやりする。一日を振り返ると、今日も中身が濃かった。愁と仲直りした日から、一日も休みを取らないで過ごしてる気がしてならない。家で寝ていたいけど、明日はバンドの練習がある。愁と約束したから行かなきゃいけない。ただ、溢歌にはこの事を黙ってる。明日溢歌を見ててもらうためにも、和美さんが帰ってくるまで俺はここで待ち続けた。
 壁時計が、コツコツと秒針を刻む。俺はどこか夢見心地でその音を聞いている。
 こつこつ、こつこつ。
 意識がだんだんぐにゃりとしてくる。
 現実と虚構が目の前でごちゃまぜになっていく。
 視界が歪んで、自分の中に存在してるものが外に滲み出て景色と混ざる。キッチンに置かれてるテーブルや冷蔵庫から草木が生えて、天井は薄暗くなってプラネタリウムのように満天の星が輝く。スプーンやらフォークなどの小物は命を吹きこまれて、所構わずはしゃぎ回る。ガラスのコップが体を鳴らして、キンコンカンコン音を鳴らす。その数がまとまると、バンドの演奏のようにも聞こえる。
 どうやらすでに、夢の中に入ってしまったらしい。
 椅子に座る俺の左右で、二匹の生物が俺を見下ろしている。
「忙しい日々は嫌いかい?」
 右のピーターラビットみたいな白ウサギが言った。
「嫌な事を忘れさせてくれるから好きだ、でも自分の立ち位置を見失うから恐い」
 俺の口が勝手に動いて、本当の気持ちを喋る。違和感は全く感じなくて、逆に俺の本心を聞いてくれる相手がそこにいて安心する。
「ごろごろ転がってるのがいいかい?」
 左の長靴を履いた猫みたいな二本足の黒猫が言った。
「変わらない自分に満足するのはもう飽きた。そのままでいるのはとても楽でいいけど」
 また俺の口が勝手に動く。その黒猫の顔はいつもマンションの入口で見かけるあの猫だ。そう考えると白ウサギの顔にも見覚えがあるような気がしたけど、それが何だったかは思い出せなかった。
「唄うのは好きかい?」
 白ウサギが訊いて来る。俺は答える。
「好きだとかそんな気持ちはない。ただ、唄えば自分がここにいられるって思ってたんだ」
「メロディを失くして楽になれたかい?」
 黒猫が訊いて来る。俺は答える。
「楽にはなれた。わざわざ唄う必要がなくなったから。その代わり、足場が崩れそう」
 二匹は顔を見合わせて、頷いた。俺の右耳から食器の演奏が聞こえてきて、左耳からすり抜けていく。天井の星は名前も知らない星座を形作り、ころころ姿を変えていく。
「愁は好き?」
「あいつを見てると、優しく撫でたくなる。俺の事をずっと見てくれてて、俺を悲しませないように一生懸命に尽くしてくれる」
 俺は白ウサギの問いにすらすらと答える。
「溢歌は好き?」
「あいつを見てると、そっと手を繋ぎたくなる。誰一人信じてなくて、他人の気持ちに耳も傾けようとしないで生きてる自分を助けてもらおうとすがりついてくる」
 俺は黒猫の問いにすらすら答える。
「愁は君のどこを満たしてくれる?」
「どうしようもなく寂しい心を満たしてくれる。あいつをいつまでも信じていたい」
「溢歌は君のどこを埋めてくれる?」 
「欠けてしまったメロディの空洞を埋めてくれる。あいつに信じられる存在になりたい」
 繰り返される問いかけに次々に答えていく。
「バンドの仲間はどう思う?」
 質問してくる白ウサギに俺は少し戸惑いながら本音を打ち明ける。
「イッコーは……大切な仲間。学校に通ってた頃の遊び友達の間柄よりもいい関係だと思ってる。向こうはどう思ってるかなんて事は知らないけど。千夜は一緒にいるだけで腹が立つ。でも、お互いに相手のいい部分を認め合ってると思う。キュウは天使。だらしなくておちゃらけてる天使だけど。でも、意外としっかりしてて頼りになる」
「青空はどう思う?」
 質問してくる黒猫に俺は困惑しながら本音を打ち明ける。
「青空は……俺のたった一人のトモダチ。今は……わからない。あいつが俺と溢歌の関係を知ってるのかはわからない。でも、殴ってしまったからきっと嫌われてる。ひどく身勝手な言い分だけど、俺はそれでもいつの日か、あいつとまた一緒に笑い合いたい。今は憎くて憎くてしょうがないけど」
 俺はため息をついて、天井の星を見上げた。あの星々からしてみれば、俺達の人生もほんのちっぽけなものなんだって昔の漫画にあった気がする。でもそうやってどこまでも客観的に見ようとしたって、俺の人生は俺の人生でしかない。逃避するのもバカらしい。
「そろそろ寝かせてくれないかな、眠いんだ」
 俺が目を閉じて呟くと、食器の演奏が止まって、俺の周りで騒いでた小物達も食器棚に帰って行く。静かな部屋の中に聞こえるのは壁時計の音だけ。
「最後の質問だよ」
 白ウサギと黒猫の声がハーモニーを奏でる。どこかで聴いた事のあるその声で俺が目を開けると、テーブルの上に俺が腰かけていた。
 俺と同じ姿形をした、もう一人の俺が。
 そして口元を歪めて、俺に問いかける。
「おまえは結局、何がしたいんだ?」
 俺?
 俺が?
 何を?
 したい?
 疑問は周囲に反響して俺の脳髄を揺さぶる。視界がぐりゃりと歪んでいく。どこかで誰かの嘲笑が聞こえる。意識が混濁していく。眠りにつくのか、それとも――
「たそさん?」
 突然女性の声がして、俺は我に返った。さっきまでの夢の世界が急速に現実に吸いこまれていって、気がつくと目の前に和美さんの顔があった。
「ごめんなさい、起こしてしまいました?」
 和美さんはすまなそうな顔をして俺から離れる。身を起こすと、俺の身体に毛布がかけられてあった。どうやらあのまま眠りそうになってたらしい。
「いえ、寝るつもりはなかったんですけど、疲れてて」
 薄目の瞼をこすって、大きなあくびをする。椅子にもたれていたせいで背中が痛い。
「それなら泊まっていけばどうですか?明日の朝に帰れば」
 和美さんは普段着のままでコーヒーを淹れながら訊いて来る。俺にも勧めてきたので、眠気覚ましにありがたく頂く事にした。
「前みたいにみょーと取っ組み合うのは嫌だから、コーヒー飲み終わったら帰ります。和美さんは今帰ってきたところですか?」
 キッチンの壁時計を眺めると、時刻は最後に見た時から30分程度経っている。
「ええ、終電ぎりぎりまで学園祭の準備をやってたんです、部活の人達と一緒に。あきらだけ絵の続きで学校に残ってますけど」
「みょーの奴と一緒に帰ってきたんじゃないんですか?」
 思わず声が裏返りそうになるのを堪えて、尋ねてみる。和美さんは淹れたばかりのコーヒーを渡してくれて、隣の席に座った。
「絵を描いてるの、部室でずうっと。あんな風に夢中になり始めたら、私の事なんてすっかりどうでもよくなるんだから」
 和美さんは少し頬を膨らませて、コーヒーを口につける。
「でも、その時のあきらが一番カッコいいんですけどね」
 そして遠くを見つめて、白い息をほっと吐いた。その横顔がとても魅力的で、キャンパスに描いたらきっといい絵になるんだろうなって思った。
「普段は私のそばについているんですけど、それこそ子供みたいにずうっと。だから面倒を見て、頭を撫でてあげて、抱き締めてあげる。そして次に絵を描けるようになってくれる時を待つんです。やっと絵にとりかかり始められるようになったら、まるで別人のようになって……それでようやく肩の荷が下りるんです」
 椅子に座ったまま和美さんは大きく伸びをして、俺の顔を見て苦笑する。
「ちょっと寂しいですけどね、ふふ」
 その和美さんの顔を見て、改めて聖母みたいなひとだなって思えた。
「愁も、そんなこと考えてるのかな」
 砂糖の入れたコーヒーをスプーンでかきまぜて、ぽつりと呟いてみる。愁も和美さんと同じ気持ちで、ステージに立つ俺を見てるんだろうか?
「自分に向けて唄ってほしいんですよ、あの娘はきっと」
 和美さんはテーブルに両腕で頬杖をついて、視線を天井に向けた。
「たそさんに注いだだけの気持ちを、それ以上の気持ちを返して欲しいって。そうする事で自分が生きている事を確認してるんだと思います。そこが子供じみてて、愁ちゃんらしいところなんですけどね」
 愁の事を羨ましそうに話す和美さん。まるで全てを持ってるような和美さんでさえ他人に対して羨望の眼差しを向けるところに、俺は人間の複雑さを感じた。
「たくさんの人を好きになって、たくさんの人に愛してもらう。それが愁ちゃんの生き方。
素晴らしい生き方だと思うわ。とてもとても人間らしい素直な生き方。だからたそさんも、もっともっと愁ちゃんを好きになってあげて下さい。そうする事であの娘も幸せになれますし、たそさんも満たされると思いますから」
「それは、和美さんにとっても都合がいいからですか?」
 眠いからなのか、口が滑って余計な質問をしてしまった。横目を向けていた和美さんが二人の寝てる和室の方向を眺めてから、俺に向き直る。
「自分の利益も考えないで他人に付き纏う人間はいません」
 諦めにも似た言葉を口にして、和美さんはコーヒーカップの口紅の残った部分を指で何度もなぞる。
「恋だとか愛だとか、純粋に相手を想う気持ちだけで他人のそばにいるなんて事は、それこそ何も知らない子供の頃か、全てを受け入れてしまった老後でしかできないんじゃないかしら。私だってあきらのそばにいるのも、恋愛感情だけじゃなく打算があるもの。愁ちゃんだってきっとそう、気を悪くされると思うので先に謝っておきますけど――例えばたそさんのルックスだとか、バンドのヴォーカルだとかで他人に自慢できたり、人気のあるたそさんを一人占めしている他人に対する優越感だとか――そういった気持ちは絶対胸の内に抱えています。もちろんたそさん、あなただって」
「俺は――」
 和美さんに反論しようとしたけど、俺は言い淀んだ。俺は今、ただ純粋に愁が好きだからそばにいるつもりだ。他人よりも顔がいい部分だとか、そういうところに関してはきっと無意識のうちにしまいこんでるだけなんだろう。もし愁が不恰好な外見だったとしたら、俺はとっくの昔に蹴り出してたかもしれない。
 だとしても、心の中にはやましい気持ちなんて何一つ見当たらない。愁の事が好き、その気持ちだけで俺はあいつと一緒にいる。
 でも、溢歌は違った。あいつがそばにいないと俺は壊れてしまう。恋愛感情よりも、そばにいてくれないと困る部分が俺の中に確かにある。
 あいつと愁に対する気持ちは全く違うものだ。
 そうやって、俺の周囲の人間に対していろいろ考えてみると、本当に相手を想う気持ちだけでそばにいたいと思う人間は愁一人しかいないのかもしれない。
「こうやってたそさんにお願いしてるのは、私にとって都合がいいからです。愁ちゃんに感じてる罪悪感が少しでも軽くなればって思って頼んでるんです」
 開き直りなのかただ正直なだけなのかはわからないけど、和美さんは俺の目を見て話してくる。その真剣な眼差しに嘘はない。
 俺はコーヒーで喉を潤して、和美さんから目をそらした。
「愁は何も和美さんを恨んでなんかいませんよ、だから思い過ごしの罪悪感に囚われてるのはもうやめにしませんか?」
 別に愁に訊いたわけじゃない。でも、みょーに聞いたプレゼントの話、そしてあいつが俺を誰よりも好きでいてくれる事が、愁の和美さんに対する気持ちを表してるんじゃないかって俺は思う。
「前を向いてたほうがいいと思います、俺が言える立場じゃないけど。俺だって愁や他のみんなが支えてくれるから今も生きてるようなもんだし、今だってトモダチを殴っちゃってどうすればいいか悩んでたりするけど、殴ってしまった事を後悔するよりも仲直りできる方法ばかり考えてるし。次に会った時にどう転ぶかなんてわかりませんけど。だから和美さんも、そんな気持ちは切り離してみょーの隣にいてあげればいいと思いますよ」
 俺は少しぬるくなったコーヒーを全部飲み干して、カップを置いた。俺が席を立とうとすると、和美さんが頭につけていたカチューシャを乱暴に取り外して、垂れ落ちてきた前髪を両手で掻きわける。腰まで伸びた艶のある黒髪が明かりに反射してきらめく。やっぱり美人だなって改めて感嘆してしまった。
「どうして一番言って欲しかった言葉をそんなに簡単に当てるの?」
 和美さんは声にもならないくらい小さくそう呟いて、俺の空になったコーヒーカップを流し台へ持って行く。俺は何も言葉にできないまま、その後姿を眺めていた。
 そんな事言われても、俺が知るわけない。
「あ、そうだ。和美さんに頼みたい事があるんですけど」
 この場の空気に堪えられなくなって、俺から違う話を切り出した。和美さんは冷蔵庫を開けて、皿に乗せたパイナップルの輪切りを持って席に戻ってくる。俺も勧められたので、一切れ頂く事にした。コーヒーの味が残った口の中にパイナップルの果汁が広がって、心地いい刺激がある。
「えっと、溢歌の事なんですけど、明日預かってくれませんか?バンドの練習があるんです、夜中に。もしかすると夕方――」
 そこまで言ってまた明日、溢歌が青空と会う映像が俺の頭に浮かんだ。
「夕方、いなくなるかもしれませんけど。俺が愁を送ってくるまでの間でいいです、夜中。あいつにはそんなに遅くなる前に帰るように言っておきますから」
 我ながら独りよがりな頼み事をしてるのをひしひしと感じる。だけど和美さんは嫌な顔一つしないで頷いてくれた。
「愁ちゃんから話は聞いてますから、構いませんよ。昼間には授業も終わってますし、今はあきらが絵に没頭してるから私もひとりぼっちで。明日は早めに準備を切り上げて、ここに来ますから」
「すいません」
 俺が頭を下げると、和美さんは気にしないでと手を振って微笑んでくれた。本当に和美さんがいてくれてよかったって思う。
「私から、水海に二人へ買い物に行ったって言っておきます。明日のデートで着る服を探しに行ったって」
 悪戯っぽく和美さんが言う。思わず顔を赤くして咳きこんでしまった。
「まあ、それなら大丈夫だと思います。明後日にも練習があるんで」
 食べるつもりはなかったけど、俺はもう一切れパイナップルを口の中に放り込んだ。
「溢歌ちゃんが家に来てくれてから、愁ちゃんが前よりも明るくなったと思うんです」
 和美さんが頬張っていたパイナップルを飲みこむと、俺にそう打ち明けてきた。
「どういう経緯でたそさんが彼女を預かってくれって言ったのかは私にはわかりませんけど、感謝してます」
 本当は少し事情が違うけど、愁は和美さんにそう伝えてるらしい。だから俺も口裏を合わせる事にした。
「お礼を言うのは俺のほうです。ワガママ言ったのは俺ですから。でも、俺だってまさかあそこまで仲良くれるなんて思ってもみませんでした。あいつらを見てると姉妹みたいで、こっちまで嬉しくなってきちゃって」
 本当に予想外だったけど、溢歌と愁が楽しそうに話をする姿を見てると、あれだけ会わせたほうがいいのか迷ってた自分がバカみたいに思えてくる。
「私にかまってくれる時間が少なくなったのはちょっぴり寂しいですけど」
 そう言って苦笑する和美さんも、まんざらではなさそうだった。
「とりあえず溢歌が帰るまで、よろしく頼みます」
「このまま私みたいにここに住み着いちゃうのもいいと思うんですけどね」
 和美さんが本当とも受け取れるような冗談を言って、俺達は顔を見合わせて笑った。隣にみょーがいたら絶対に殴られてるだろうな、俺。
「そうそうたそさん。私も訊きたい事があったんです」
 皿に残った最後のパイナップルを食べ終わって、和美さんが髪の毛を手櫛で梳きながら俺に新しい話題を振ってきた。何を訊かれるのかと思うと心臓が早く脈打つ。
「バンドの事なんですけど、」
 甘い期待を持ったりしてみたけど、
「たそさんのバンド、うちの大学でライヴやるんですか?」
「は?」
それはあっさりと打ち砕かれてしまった。
 ちょっと待て何だそれ、俺は何も聞いちゃいないぞ?
 間の抜けた顔をしてる俺を見て、和美さんは首を傾げつつ訊き直す。
「あれ、来月の頭にある私達の大学の学園祭で、インディーズのバンドが集まったイベントをやるって看板に告知されてたんですけど、その中に『Days』の名前が入ってたんです。まさかと思ったんですけど……」
「冗談でしょ、それ。俺何も訊いてませんよ。イッコー達も何も話してなかったし、一月もないのにそんな急にブッキングされるはずもないです。客引きに名前使ってるだけなんじゃないですか?」
 意外な顔を見せてる和美さんは、納得できずに顎に手を当てて考えこんでる。
「でも、あきらはリーダーと話つけてるんじゃない?って……」
 俺も和美さんと一緒に考えこんでしまった。一体何がどうなってるんだ?
 今からちょっとイッコーに電話して訊いてみようと思ったけど、どのみち明日になればわかるんだからこの話題は保留しておく事に決めた。
「まあ、もし出る事になれば観に来て下さい、和美さんも。楽屋裏でイッコーに会わせられるようにスタッフと話つけておきますから」
「え?あ……あ、そうですね、お願いします」
 突然イッコーの名前が出てきたからか、和美さんはしどろもどろしてしまった。実はイッコーがよく言ってる想い人って、和美さんなんじゃないか?
 まさかそんなわけないだろうと思って、俺はすぐに一笑に伏した。不思議そうに俺の顔を見る和美さん。
「じゃあ、そろそろ帰ります。やっぱり女性ばっかりのところに俺一人だけっていうのも何だか居心地悪いですから」
「私は別にしないんですけど、あの二人も」
 いや、俺は思いっきり気にするんですけど。
「話してて眠気も取れましたし、このまま帰ります。朝まで居たら和美さんと二人で話していたのを怒鳴られそうだし、あいつらに」
「それもそうですね」
 和美さんも納得して、微笑みを浮かべる。この笑顔を目の前でずっと見てたら、くらっと来てしまいそうなので二人のためにも早く帰ったほうがいい。
 俺は席を立って、別の椅子にかけてあったジャケットを羽織る。そのまま和美さんに見送ってもらって、俺は愁の家を出るとすぐさま帰路についた。
 俺が玄関から出る前に、和美さんに一つ訊かれた事がある。
「溢歌ちゃんのこと、どう思ってますか?」
 偽りもしないで、俺ははっきりと答えた。
「好きですよ、愁と同じくらい。」
 そう言った時の和美さんの複雑な顔が、目に焼きついている。


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