045.ザ・ロック
「お、戻ってきた」
俺達二人が部室に戻ってくると、壁際に寄せてある机を囲んでみんなが談笑していた。学校の椅子に逆さに座ってたイッコーが、こっちに気付いて手を上げる。
「あれ、溢歌チャンは?」
部屋の隅でポットのお湯をカップに注いでたみょーが、俺達を見て首を傾げた。
「いっちゃんは、えと……」
「友達の家に泊まるって言って、先に帰った。詳しい事は後で話すから」
口篭もってる愁に代わって、俺が簡潔に説明する。みょーは「ふーん」って頷いただけで、とりわけ興味のなさそうな顔でみんなが集まってる場所へ戻った。
「二人も飲む?もうかなり寒くなってるでしょう、外」
イッコー達の背中の陰に隠れてる和美さんが席を立って、俺達に勧めてくる。コーヒーを淹れてもらうように頼んで、俺達も空いてる椅子を適当に引っ張り出してきて座った。みょーの奴は一人湯気の立つカップを手にして輪の中に入っている。全く気を遣わない奴だ。他人から見れば、俺も同じふうに見えるのかもしれないけど。
前に来た時、部室の中はかなりとっ散らかってて学生のアパートのような感じだったのに、あれだけあった荷物がどこへ消えたのかって思うくらい整然としてる。どこかの博物館みたいに部屋の中をカーテンで区切ってあって、まるで展覧会を見てるようだ。
軽くみょーの絵を目で追って探してみたけど、どれがそうなのかよくわからない。確か溢歌は入って右の突き当たりにいたはずだったけど、気が動転してたからよく覚えてない。
「そんなに焦らなくても今すぐじっくり見れますよ」
いつの間にか和美さんが横に立ってて、俺達に淹れ立てののホットコーヒーを渡してくれた。口をつけると、砂糖が入ってない。いつも俺がストレートで飲むのを覚えてくれてたみたいだ。そんな和美さんの優しい心遣いが、やけに心地よかった。
「で、何してんだ?さっきから」
俺が輪の中に声をかけると、ひょっこりとその中から見覚えのある女の子が顔を出した。
「おーヨーソレミーヨ黄昏ちゃーん」
奇っ怪な挨拶をして、にへらとだらしない笑みを浮かべるその子は山崎さんだった。
「ヨ!今日のライヴもサイコーだったねー。まーったくあそこまで真っ正面からロックできるねーホントに。見てるこっちがこっ恥ずかしいよあーわーきゃー」
「少しは遠慮して喋れオマエは」
山崎さんの後頭部にみょーの唐竹割りが突き刺さる。それでも山崎さんはへこたれることなく喋り続けようとするんだから物凄いパワフルだ。
「別にバンドかジャンルとかそんなの全然気にしてないけどな」
一旦山崎さんを黙らせるために、ぽつりと言葉を漏らした。何気ないセリフだけど、俺の正直な本音だ。音楽やってるわりには自分達以外のは大して知らないし、一体何がどうロックなのかさっぱりわかったもんじゃない。
俺は俺のためにやってるんだ。
そこに嘘がないから、周りから見ればロックだと思えるんだろう。
「そーそー、使ってる楽器は他と一緒かもしんねーけど、やってることは全然違うぜ?自分でもどんな音楽やってんのかよくわかんねー時があるしよ」
イッコーが俺の発言に続いて、鼻高々に自慢する。確かに他のバンドと同じ4人編成で誰かが変わった楽器を持ってるわけでもないのに、俺達の出すグルーヴはありそうでないようなものだと思う。その核になってるのが千夜の精密かつ凄まじいドラミングなのは言うまでもないし、曲の構成に関しては音作りをそれぞれ一個人に委ねてる分(俺のギターの音色だけはイッコーが考えてる。元々キュウに薦められて弾いてるわけで、楽器の事についてはいまだによくわからない)、イッコーがそれこそじっくりこだわってる。
「今の状態で満足しているようじゃ先が思いやられる」
横からすかさず千夜のツッコミが入る。けれどイッコーは気を害した様子もなく、煙草を吸おうとする千夜の背中を笑いながらばしばし叩いた。
「いいっていいって。確かに今のままじゃ満足できねーのはわかってんだけど、あと一皮か二皮むけりゃーもう、マグマンガーGにスパイラルグライダーがついたみたいなもんだ」
「わかんないって」
キュウがむせてる千夜の横で頭を捻ってる。俺もよくわからないけど、つまり巨大ロボットみたいに新しいパーツがくっついて無敵になるって事だろう。
「へーじゃあそれができたらアルバム作る?作る?」
興味津々に、山崎さんがイッコーに丸眼鏡をかけた顔を近づけて問いただした。
「つーかそーならなけりゃアルバムなんて作んねー」
俺達に挑発するように、そして自分自身を鼓舞するかのようにイッコーはきっぱり言いのけた。それだけ、こいつが『Days』に賭けてるものの大きさが窺い知れる。
その想いに、俺は答えられるんだろうか?いや、俺自身のためにも怯んでるわけにはいかない。今まで散々逃げてきたし、今だって追いこまれて逃げ道すら見当たらない。
前に進むしか、術は残されてないんだ。
そこに辿りつくまでにどれだけ喜びと悲しみを経験するんだろう?先を見渡すだけで、眩暈と得体の知れない恐怖感がこみ上げてくる。
だから俺は、今を精一杯生きていく事しかできない。その積み重ねの先に何かが待ってるんだろうから、それを信じて。
「で、さっきからなに見てんの?」
愁が席を立って、輪の中に顔を入れる。俺も気になって覗きこんでみると、机の上には黒いハンディカムが置かれていた。
「さっきのライヴだよーん」
何の事を言ってるのかわからなかったけど、ハンディカムで再生されてる映像を見るとすぐに理解できた。
客席から撮影してたんだろうか、俺達のステージが鮮明に記録されてる。
「物珍しい人もいるもんだ」
感心したらいいのか呆れたらいいのか、俺は気の抜けた声を漏らすしかできなかった。
「今日だけじゃなくて、ここ3ヶ月くらいのライヴ映像なら全部あるある」
「ってわけでアタシが借りたから。ダビングしていいって言ってくれたから、後でたそにもテープ回すね」
得意げに鼻をさする山崎さんの横で、キュウが俺に向かって借りたばかりの8mmテープを手元で振ってみせる。
「でも俺の家、ビデオデッキなんてないけど」
『うそっ!?』
俺が言うと、山崎さんとキュウが同じ反応を見せた。タイプは全然違うけど、似てるって言えば似てる気もする、この二人。
キュウが愁に振り返ると、こくこくと頷いてた。
「それじゃ愁の部屋で見せてもらいなさいな。何ならそのまま押し倒していいから♪」
「オメーオレがいるのわかって言ってんだろ〜」
みょーがキュウの後で、呪いの篭った視線を背中に送ってる。
「それはそーとして、こんな便利なものを今までつかってなかっただなんて神楽 憩、一生の不覚その15だわ」
一体どれだけ不覚を取ってるんだ、今まで。
「いっつもただ話し合うだけでミーティング終わってたけど、ビデオでライヴを撮ればお互いにいい部分悪い部分簡単に指摘できるじゃない。だからたそも来週のライヴ後に渡せるようにしておくから、ちゃんと見ておいてね。アンタが雲隠れしてた時に3人で演ったのも入ってるんだから」
「ひたすら騒がずビデオばっかり撮ってましたっ!」
俺に真面目な口調で話すキュウの横で、山崎さんが背筋を伸ばして敬礼する。この人の奇行にいちいち驚いてるのも疲れるから、軽く流すようにしておく。きっとみょーだってそれが山崎さんと上手くつき合っていく秘訣だって言うに違いない。
「でも、これがなかなかしっかり撮れている」
千夜が煙草を灰皿に置いて、感心したように言った。他人をほとんど褒める事なんてしない千夜が言うんだから間違いはないんだろう。
周りの奴と頬を寄せ合うように、ハンディカムの小さな画面を覗きこんでみる。
撮ってる機材もこれみたいで、ただステージ上を映すために客席の中から腕を上げて撮影したのかと思ってたら、全く違った。客のわずかな谷間からきちんとカメラを覗きこんで映したい部分を取ってる、そんな感じを受ける。
曲の展開がそれぞれ変わるところで、さっと肝となるメンバーのアップに変わる。間奏でドラムが盛り上がるところは千夜、ギターのリフが味を出すところは青空、サビの部分でシャウトするイッコーの顔がアップで映し出されたりする。何台ものカメラを使って様々な場所から撮ってるわけじゃないからズームイン、アウトも手動だし、客の波に呑まれて全く見えなくなったり、視点が変わらないところもある。とは言えそれを差し引いたところで、カメラワークに知識のない俺でも十分凄い見せ方をしてる事がわかった。
それと面白いのが、カメラワークの切り替えが何と言うか、偏ってる。じっくり一人一人の顔を喰らいつくように撮ってる場面もあれば、後に引いて、ステージ全部を映し出していたりする。好きな曲だったら撮るのにも力が入ったりするんだろうか?
「バカでっかいカメラなんて疲れるだけだし汗だくになるしそりゃもー大変たいへん。だからアチキはこのハンディカメラ、MAX75ジョニーを使うのだだだっ」
「なんでもいいからいい加減物に名前つけんのやめとけ山崎」
みょーが冷めた目で突っこむ。
「他にもたくさん撮ってるんだ?」
愁に話を振られて、山崎さんはみょーを知らん振りして答えた。
「そりゃもーわんさかよわんさか。インディーズからちょー有名バンドまで至れりつくせり。例え入口でカメラを取られよーが、アチキはそれでもめげずに隠し持って行くっ!!」
「禁止行為だっつーのそれ」
力説する山崎さんにイッコーはすかさずツッコミを入れるけど、耳に届いてない。
「こいつな、いろんなミュージシャンのライヴに足を運んで自分だけのライヴビデオを作るのが趣味なんだとさ。大学なんかより映像の専門学校行きゃあよかったのに」
「ふっふっふ、大学生なら十分にモラトリアム気分が満喫できるのだよ諸君。美大卒ってだけで食いっぱぐれることなんてないし、だからこーやって好きなものばっか撮ってられるわけなのだどーだすごいだろうまいったか」
「……なーんでこいつが受付やってんだ、別の奴と変わりゃいいのに……」
胸を張る山崎さんに構うのさえバカらしくなってきたのか、みょーはそっぽを向いてしまった。和美さんが拗ねたみょーを慰める光景も、すっかり見慣れた。
と、そこでキュウが両手を叩いて心地いい音を立てる。
「それならさー、次のライヴも撮ってくれる?何ならラバーズの撮影機材貸してもらって撮っていいし」
「こらこら勝手に約束するな。マスターに怒られるのは俺なんだからな」
俺は慌ててキュウを咎める。確かにいい提案だけど、そればかりは勘弁してくれ。
「んー、いいよーん。どーせ撮るつもりだったしねん。でも機材はいーや、ジョニーさえあれば全然いけるし。それにカメラって言ったってプロの撮影は結局チームワークだからねーん。アチキは一人でしこしこやるほうが向いてるっちゅーかなんちゅーか」
「んじゃよろしくっ!!」
キュウは山崎さんの手を取って、握手した手をぶんぶんと上下に振った。
「おっけーおっけー。ちゃんと撮ってやるかんねー」
「……まあ、ライヴの邪魔にならなかったらいいか」
この脳天気さに付いて行くだけで大変だから、楽屋に入ってOKだなんて言えなかった。いつもハイテンションなイッコーでさえどうやら同じ気持ちみたいで、苦笑いしてる。世の中には上には上がいるもんだ。
「それよりさ、たそ。オメー、なにしに来たの?」
みょーにジト目で言われてそこで、ようやく自分の用事を思い出した。
「おまえの絵を見に来たんだった」
「台風の目だからなあ、山崎。こいつがいるとオレの存在が薄くなるから嫌なんだ……」
ぶつぶつ文句を垂れながら、みょーが椅子から腰を上げる。
「そんじゃ、おれたちもそろそろ帰るわ。すっげーいいもん見れたし」
すると机にもたれてたイッコーもぴょんと立ち上がって、大きくあくびをした。窓の外を見てみると、もう真っ暗になってる。
「用件は終わったから私も帰る。じっくりと明星さんの描いた絵でも見ていけばいい」
千夜も火のついた煙草を咥えたまま、黒のジャケットを羽織って仕度を始める。
「あ、アタシもアタシもー。予想外の物も手に入ったし、アツアツカップルのためにそろそろ退散するとしましょーかねえ」
俺達に絡むのが相当楽しいんだろう、キュウは。恥ずかしがってる愁に叩かれながら、千夜の椅子の隣に置いてあった黒と白の縞模様の紙袋を胸に抱えた。
「おねーさまの制服たーっ♪」
「返せっ!」
「ああっ、おねーさまひどい〜」
顔を真っ赤にして、千夜はすかさずキュウの腕から紙袋をひっぺがす。今日は千夜にとっても忘れられない一日になりそうだ。
「んじゃ、一緒に帰ろーぜ。どーせ電車一緒なんだろ?」
イッコーがソフトケースに入れたベースを背負って、二人を誘う。千夜が頷くと、キュウも千夜の腕にしがみついてOKした。この3人の組み合わせっていうのも珍しい。
「あ、そうだ和姉。携帯の番号教えて」
「くおらっ」
何気なく言ったイッコーに向かって、顔を大きくしてみょーが怒鳴る。
「まあまあ。従姉弟なんだからそんなに目くじら立てなくても、ね?ちょっと待ってて」
みょーは何か言いたげな顔でイッコーを睨んでる。かく言うイッコーもメンチを切り返して、二人の間に火花が音を立てて飛び散っていた。それに気付く事なく、和美さんは二人に背を向けて机の上のメモにペンを走らせる。
この人、実は相当のやり手なんじゃないだろうか?
「あ、そうだわ。波止場さんにも渡しておくわね。そっちの番号は?」
和美さんは電話番号の書いた紙をそれぞれ二人に渡す。
「帰ったら電話入れます。着信履歴の出る携帯なら大丈夫でしょう」
「おれも〜」
上機嫌のイッコーを横目にみょーはとことん拗ねてる。イッコーが得意げな顔を見せると、歯軋りして悔しがった。
他人の恋愛沙汰は見てるだけで面白い。本人にとっては笑い事じゃないだろうけど。
「今回の打ち上げはどーする?」
「今日はこのまま帰りたいから、次のライヴと一緒にやって欲しい」
イッコーが訊いて来ると、千夜が後ろから提案した。
「んじゃ、来週の練習は?」
「ザンネン、来週には入れてないの。再来週もね。今のバンドの出来じゃ間隔取った方がいいでしょ?おねーさまを受験勉強に専念させたいし、ライヴ前の音合わせだけでいーんじゃない?そこでたその調子も看るってコトで」
説得力のあるキュウの話に、渋々イッコーは頷いた。ずっと毎週練習を続けて来たから間隔が開くのはもどかしいんだろう。でも俺もここはインターバルを取ってくれる方が嬉しい。千夜も勉強の時間が減るのを心配していたのか、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「しゃーねーな……んじゃ、次のと一緒にやっちまおーぜ。言っとくけど、次のライヴは今回みたいにゴマカシなんて効かねーかんな。しっかり唄えるようになっとけな、たそ」
「言われなくったってわかってるって……」
俺は苦虫を噛み潰した顔でしか答えられなかった。今回のは反抗心とパーティー気分のおかげで上手く乗り切ったようなもんだ。次からはこうはいかない。それこそブーイングを浴びせられても構わないくらいの覚悟で唄わないと成功しないに決まってる。
「じゃあ、先に帰ります。雪森先輩、また後で」
「存分にいちゃいちゃしてね、愁〜」
「キュウはいつも一言多いのっ!」
頬を膨らませる愁を見てけらけら笑いながら、キュウは千夜達と外へ出て行く。
「ついでにこいつも連れてってくれ」
みょーは山崎さんの首根っこをつまんで、千夜達の前まで持って行った。冷や汗を垂らして固まってる三人にくるりと背を向けて、猫顔でみょーに訊く。
「アチキ、お邪魔?」
「むっちゃくちゃ邪魔」
「ふーんだ、おなか空いたからごはん食べに行くもんねーっ。ほんじゃまかみなさま、来週までごきげんよーさよーならー。ちゃーちゃちゃちゃちゃーちゃーらー♪」
クイズ番組の最後みたいな締め括りをして、愛機のハンディカムを持った山崎さんはイントロを口ずさみながら退場していった。台風が過ぎ去って、全員ほっと胸を撫で下ろす。
「あ、そーそーたそ」
「何」
イッコーが外に出る前に、足を止めて俺に向き直った。
「あれだって、次のライヴの前にさ、どこかの音楽雑誌がインタヴューしたいってさ」
「インタヴューって……俺、いっつも断ってるじゃないか。全部青空に任せてるんだろ?」
俺がいない時でも精力的に活動してたせいか、4ヶ月前ぐらいから、少しづつインディーズ音楽雑誌のインタヴューが増えてきたらしい。
よくさぼっていた俺が受けるのも何だし、わざわざ唄ってる事を言葉にして説明する必要はないって感じてたから、インタヴューに一度しか同席していなかった。
イッコーは素直にセールストークだと受け止めてて、せっかくのチャンスを逃すような真似はしない。青空も昔から他人に自分の話をするのが好きだったから、インタヴューはだいたい二人に任せてある。千夜が受けないのはどうしてなのかわからない。
「おめーにだとよ。お兄さんご指名」
「はあ?」
含み笑いで指差されて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。どうして俺になのか首を傾げてると、イッコーは意地悪そうに答える。
「いっつもおれと青空しか答えないから、次はおめーだって。さすがに俺達ばっか答えて読んでるやつらに固まったイメージ植えつけるんも何だから、たまには受けとけってことで、おれがもう了解してやったかんな」
「ちょ、ちょっと待てよ……あー、もうしょうがないか……」
今更断るわけにもいかないだろう。どんな事を訊かれるのかわかったもんじゃないけど、いざとなったら適当に相槌打つだけで十分だ。
「愚痴なら後でいくらでも聞いてやるかんな。ま、気楽に構えとけって。んじゃな!」
イッコーの奴、他人事だと思ってやがる。
三人の後姿が消えた後、俺はため息をついてどっかと腰を下ろした。
「よーやく静かになった……」
「ライヴより疲れてるみたいだもんね、たそ」
俺の後ろでみょーも息を吐いて、肩の力を抜いた。和美さんと愁は揃って苦笑いを浮かべてる。俺はすっかりぬるくなったコーヒーを一気に飲み干すと、もう一度席を立った。
「で、どれがおまえの絵なんだ?」
軽く見回してみると、それらしいのは見当たらなかった。それぞれ個性的な面を見せてて目につく作品ばかり置いてあるけど、どれもみょーの作品とは違うような気がした。
部屋の真ん中に壁を立ててあって、室内をぐるりと一周するように外壁と内壁に作品が飾られてる。俺は床の矢印通り、右回りに入口から順に目で追って行った。
普通に額に飾られてるのもあれば、奇怪としか言い用のないオブジェも展示されてる。黒のカーテンに映写機を投影してるものもあった。おそらく山崎さんの作品だろう。無音映画なのか、モノクロの無人の街角が映ってる。
きっとこの部活のメンバーって、変わった奴らばかりなんだろう。
「これは……?」
二つ目の角を曲がろうとした時、内壁に飾られた絵に目を引くものがあった。
「ほえ〜っ」
俺の後ろを付いてきてた愁が、驚きと感心が入り混じった気の抜けた声を上げる。
「これ……どこからどう見たって」
「オットコマエのオレ様にしか見えないじゃんか」
いつの間にか俺の横で腕を組んでいたみょーが、鼻を鳴らした。
「見間違いだな、次行こう」
「そだね」
「待たんかいっ!」
先に行こうとする俺達をみょーが捕まえてくる。後からやって来た和美さんが、口に手を当てておかしそうに笑った。
「これ、私が描いたんです。即興で塗ったものですから、サイズも小さいし」
そう言って和美さんは絵を指差した。謙遜して言ってるんだろうけど、油の絵の具で塗られたそれは中に描かれた人間が今にも動きそうなほど質感に溢れていた。
おそらくみょーが筆を取ってる時に横で描いたんだろう。夕暮れの教室で一心にキャンパスに筆を走らせるみょーの姿がそこにあった。
座って絵を描いてるだけなのに、息遣いまで感じられそうな躍動感がある。繊細で温かみのある筆遣いといい、どうしてほとんど絵を描かないのかが不思議に思えるくらいだ。
でもそんな技巧云々なんか飛び越えて、強く感じるものがあった。
「俺には絵を見る目もないしわからない部分も多いけど……クサい言い方だけど、愛に溢れてるって感じがする」
「お、いーコト言うねえ♪」
みょーがいきなり俺の頭を掴んで、髪の毛をくしゃくしゃにしてきた。やり返してやろうとするけど、俺より背が高いからひょいと避けられてしまう。
「でも、私が横でこれを描いてるのを、あきらはちっとも気がつかなかったんですよ」
和美さんが絵を眺めながら、口元をほころばせる。それだけ自分の絵に集中してたんだろうし、だからこそ和美さんはこの絵を描きたくなったんだろう。
「だって、マジで気が付かなかったんだからしゃーねーじゃんか」
ぶつぶつ言いながら、みょーが俺の頭から手を離す。せっかくライヴで乱れた髪を整えてたのに、全部台なしになってしまった。
「まー、久しぶりに和美が描いてくれたから、いっかな」
「そういえば、和美さんの絵って見るの、これが始めてだ」
俺がぽつりと漏らすと、伏目がちに気まずい顔を見せた。
「その……気軽に描けないんです、癖で。楽な気持ちで描き始めても、出来上がったら隙のない絵ばかりになってしまって……。目立たない位置にかけてあるのも、私の名前が絵画方面で知られてるから……名前も書かないでぽつりと飾っているんですけど。もし見つかったら親にも叱られてしまうから――」
すまなそうに小声で話す和美さん。
「前にコンクールばっかり出してるって言ってましたけど、そんなに凄いんですか?」
「悪くて入賞、良くて大賞。国内の美術界じゃニューホープだとか言われてるんだとさ」
俺の問いに、みょーが代わりにつまらなさそうに答えた。前もそうだったけど、この話題になるとすぐに機嫌を損ねる。和美さんは悲しい顔をするけど、反論しようとしない。そんなに有名だなんてちっとも知らなかった。
これ以上深く詮索するのも耐えられないから、俺は絵から目を離して次の角を曲がった。
「愁、みょーの絵ってどこにあるんだ?」
「うーんと、入って右側の外壁一面使って、真ん中にぽつんと」
ちょうど俺達が集まってた位置からは隠れてしまう場所だ。最初から訊いておけばよかったって思いながら言われた通り次の角を曲がると、外壁にその絵は飾ってあった。
心臓が極端に高鳴るわけでもない。目新しさは何も感じない。
だけど、絵を見た瞬間に自分の頭の細胞が隅々まで目を覚ましたような感覚があった。
熱い風が吹き抜けて行った時のような感覚。
じわりと胸が芯から熱を帯びてくる。
――昔一度、同じ感覚を味わった事がある。
かつて、俺が八畳一間の暗闇に絶えられなくて部屋から逃げ出した時。孤独と、自分の存在意味のなさに全てを放棄して、賑わう水海の街中を数日間さまよい歩いた。ワンカップツアーとか言って、自動販売機を巡り巡って酔いどれ歩いたり、誰もいない深夜の映画館で英語の台詞を子守唄に夜を明かしたりした。
昼も夜もわからなくなってきて朦朧としながら歩いてると、通りかかったライヴハウスに人だかりができてるのを見かけた。心の中でそいつらに舌打ちしながら通り過ぎようとしたけど、これだけ人を集められる奴のステージを見てみようとふと思って、誰が出るかもわからないまま列に並んだ。別に時間はいくらでもあったし、少しでもダメな部分があったら散々に毒を吐いて少しでも気を紛らしてやろうと考えてた。並んでる他の奴らが変な目でみすぼらしい恰好をした俺を見てたけど、その時は何とも思わなかった。
名前も知らない洋楽バンドのライヴだった。英語で何を言ってるのかもさっぱりわからなかったけど、踊ったり聴き惚れたり涙したり――けなしてやろうなんて気持ちはどこかに吹っ飛んでた。ステージの上の三人、特にヴォーカルの男に釘付けになって、その唄声を全身で受け止めた。
どこまでも高く高く昇っていけそうな高揚感。想い出の中にしまわれてた感情が逆流してくる。
視界がぼやけて、愁に気付かれないように目を拭った。そして思い出した。
高らかにの何の飾りもしないで、「生」そのものを唄う彼の姿を。
俺がバンドを続けてるのも、あの感動を自分でステージの上で味わいたいと思う気持ちがあるからだろう。まさかそれを、みょーの絵を見て得られるとは思ってもみなかった。
「今まで描いてきたものの集大成って感じかな」
後にいたみょーが、自分の絵を眺めながらしみじみと言った。
鎖の絡まった岩の絵。
俺達のテープのジャケットに使われてたのと題材は一緒だ。
違うのは、8つの鎖の絡まった上に、一つだけそれらとは全く違ったタイプの鎖が土星の輪っかのように岩を取り囲んでた事。
今にも絡みそうでいて、逆にずっと離れたままでいるような鎖。みょーは一体、この鎖にどんな意味を持たせたんだろう?
そして、8つの鎖は全部白一色だった。その代わりに岩に無数の色が塗りたくってる。鎖から色が抜け落ちたんだろうか、それともこの8つの鎖に何かを当てはめろって事なのか。考えようによってはいくらでも解釈はできる。
じっとこらして絵を見ると、透き通るような白がキャンパスの背景に塗られていた。前の絵は光に照らされた置物みたいな岩だったのに、今度のは光源も影もない。
この岩が浮いてるのか、転がってるのか、止まってるのか。それは自分で決めろ。
そんな強いメッセージが、絵全体から放たれてる。
「俺のために描いてくれたのか?」
そう訊いてしまいたくなるほど、この絵は俺に投げかけられてる気がした。
「みんなに言われるんだよな、それ」
みょーは頬を掻きながら俺の傲慢な問いに一生懸命答えてくれる。
「うーん、だからほら、絵って自分の描きたいもんばっかり表現してるわけじゃない?オレもそーやってずっと今まで描いてきたけど……オマエのライヴ観てさ、『ああ、他人のために描いたコトなかったなあ』って。『誰にでもプレゼントできるような、こっちから投げかけたものを見てくれる人がいろんな風に受け止めてくれるよーなもんを描きてーな』ってさ。上手く言えねーけど、だから……そう、音楽みたいな絵を描きたかったってコト?」
「だから、この作品のタイトルは……」
俺は絵の下に書かれた名札を指差す。
「そ。『→Rock'n Roll→』。いい名前じゃん?」
してやったりって顔で、みょーはにんまりと笑みを浮かべた。
「ダジャレか……」
全身が脱力感に覆われて、その場に崩れそうになる。
「タイトルもちゃんと考えてて、左右の矢印がさ、転がるってことを表してんの。あと6と9でロックだから、色のベースは6色、鎖が9本」
子供みたいに嬉しそうにネタ晴らしするみょー。正直凄いって驚いてたのに、聞いてみるとあまりにもくだらなさ過ぎてこっちもつられて笑ってしまう。
それでも偶然なのか神様の悪戯なのかはわからないけど、俺にとってこの絵は他人事じゃなかった。9つの鎖に俺達を、色の塗られた岩を日常に当てはめてみれば、それこそ俺の人生そのものになる。
イッコー達は、この絵を見て何を感じたのかな?
そして溢歌は、一体何を受け取って涙を流したんだろう?
様々な疑問を頭に巡らせながら、俺はいつまでも食い入るようにその絵を見ていた。