→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   005.我が道を往け(going my road)

「がーっ!!」
 手に持った枕を壁に投げつける。それでも僕の苛立ちは収まらなかった。気の抜けたように布団の上に倒れ込み、手足をばたつかせてのたうち回る。
「……上手く行かない……」
 僕が奇声を発するのは聞き慣れているのか、両親は何も言って来ない。好都合だけど、少し寂しくもある。
 世間はすっかり真夏になっていて、夜の闇に温い風を感じる。どこかで花火大会が行われているのか、花の咲く音がここまで聞こえて来る。
 イッコーに断られてから、僕は毎日のように叔父さんのスタジオへ足を運んでいた。あそこは第二火曜が休みの日以外昼も夜も関係無く開いているので、なるべく空いている時間帯を選んでギターの練習をしている。この家は住宅だから、ギターを弾くと近所から苦情が来てしまう。河川敷なんかで弾いてもよかったけれど、今の季節だと蚊が多いし、暑い。それに何より、見知らぬ人が通る場所でギターを弾くこと自体まだ恥ずかしかった。
 だからスタジオが埋まっていて練習できない時間帯は、歌詞を書くことにしていた。
 黄昏と組むつもりでいても、全部の曲を書かせるつもりはない。僕を表現できる恰好の機会なんだから、なるべく自分でメロディを創り、言葉を生み出すつもりでいる。
 それでもまだ、黄昏は誘っていない。全ての準備が整うまで、秘密にしていようと思ったから。彼の家でノートに歌詞の断片を書いていても、新しい小説のネタだと誤魔化している。とは言え薄々気付いているかも知れない。
 週1、2の間隔で黄昏の元を訪れては、唄や歌詞を聴いて表現を盗もうとした。僕がしかめ面をして聴いてるものだから、変な物でも食べたのか訊かれたりしたけれど。
 黄昏の唄に触れる度、彼の技量と才能に感服せずにはいられなかった。
 単音の短いメロディでも、心の奥底から掬い上げた音色はとてもセンチメンタルで、胸を締め付ける。張り詰めた唄声と合わさると、更に儚さは増す。
 儚さ。
 ずっと持ち合わせているものなのか、黄昏の詞世界は儚さが付き纏う。生きていること、生きる為の光を唄いながらも、その瞬間だけが全てであるような。唄っている間だけ、命の灯を激しく燃やしているように見える。
 真似して唄ってみても、所詮振りにしかならなく、横にいた黄昏に笑われた。
 歌詞に関してもそうで、どれだけ黄昏の背を追いかけた所で、語彙(ごい)は増えても偽物であることには変わり無い。終いには何を表現したかったのか、僕が黄昏になろうとしているのか混乱した挙げ句、自爆した。
 布団の上に身を投げ出し、抜け殻になったように寝転ぶ。夏の夜の空気はどこか浮き足立っている感じがして、あまり眠くならない。去年の今頃はずっとこの部屋に閉じ篭り小説を書いていたから、季節感なんてさっぱり解らなかった。
 『mine』を書き上げてから、もう大分経つ。
 あの小説の最後で、僕は現実に立ち向かうことを宣言した。自分や他人、そして世界を嘆いてばかりいるのはもう止めにして、弱くてもいいから2本の足で生きて行こうと。
 永遠に続くと思われた自分との対話の先にあったのは、生きる希望。深い闇の向こうで手に入れた大切なもの。僕が持つ唯一の武器は、今はこれだけ。
 だからそれを歌詞にしようと思った。
 だけど出てくる言葉は陳腐なものばかり。
 心を震わせる他人の表現に歯軋りしながら、物真似ばかりでその場凌ぎで満足しては、振り返った後にどん底に落ちるほど嘆く、その繰り返し。
 一体自分が何を考えていて、何を叫びたいのかさえ解らなくなる。
 その日は眠くない身体を鎮め、無理矢理寝た。
 翌日は正午過ぎに目が覚めた。けたたましい蝉の声が耳をこじ開けて来る。天然の目覚ましにうんざりしながらも、軋んだ身体を起こし背伸びした。なかなか寝つけないのに目を閉じて眠ろうとしていたせいか、どんな夢を見ていたのかさえ覚えていない。酷く心が疲れて、何もかもかったるく思える。
 とりあえずコンポのリモコンを探し、今の気分に合ったCDを選ぶ。実物も見たことのないアーティストが、同じ唄を同じリズムで演奏する。何百回と聴いたその歌詞も、僕の中だと今じゃ力を失くし消費されるだけのものでしかない。
 何だか、とても寂しい気分になった。
 この寂しさは、小説を書き始める前、部屋に閉じ篭り自問自答を繰り返していた時からずっと付き纏っている。普段は影を潜めているけれど、何かの拍子に盛り返しては僕を憂鬱な気分にさせる。
 いつまで経っても、どこまで行っても、人間は孤独と言うことを心に抱えているから。
 薄々気付いていたけれど、小説を書きながらだんだんと解って行った。登場人物達がすれ違い、やがて手を取り合ったとしても、やっぱり互いの気持ちにはずれがある。
 二つの円の重なる場所でしか、笑い合えない。
 100%解り合えることなんて、無い。
 大人に言わせて貰えば今更何を甘いこと言ってるんだと馬鹿にされそうだけど、それでも心を満たしたい気持ちは胸の中にずっとある。叶うことなんてあるはずもないのに。
 だけど、確かに満たされる瞬間もある。だからこそ僕はまだ人を信じられるんだろうし、この世界で生きていたいんだと思う。
 恋。
 僕はまだ、胸が焦がれるほどの恋をしたことが無い。
 小学校の頃にクラスの可愛い女の子にときめいたことはあっても、こっちから話そうなんて一つも思わなかったし、向こうも僕の心に気付くはずも無く、学年が上がりクラスが変わると自然に想いも薄れて行った。別にそれで後悔したことも一度も無い。多分、アイドルを見るように想いは叶わないのは当然、とでも思っていたんだろう。
 中学や高校の時に2、3回告白されたことはあった。けれど女の子と付き合う気なんて無かったし、相手を泣かせることになったとしても僕への想いは一時のもので、やがて薄れて行くものだと思っていたから。「僕なんかが」という考えもあったと思う。
 他人に依存されたくない、そんな気持ちも常日頃抱えている。昔から親に構って貰うのは好きじゃなかったし、自分の想いを巷に溢れるものに委ねることもしなかった。
 僕は孤立を選んだ。そうすることで、人間は孤独な生物だと言うことを常に確認していたかったのかも知れない。
 だけど、この物悲しい気分も嫌いじゃなかった。
 僕の居場所はここなんだ。
 始まりの場所はここで、どこまで行っても最後にはここに戻って来る。
「黄昏は、どうなんだろ」
 ぼそりと呟いてみた。もしかして、哀しみの比率は誰しも均等なのかも。ただそれで、ほんの些細なことで死ぬほど思い詰める人もいれば、周りからどれだけ不幸に見られても、自分の境遇を不幸とも捉えずに生きている人もいる。
 じゃあ、幸せはどうなんだろう?
 僕はあまり、『幸せ』という言葉がピンと来ない。今を幸せと言えるのかと聞かれれば言えないと思うし、生きていること自体が幸せのような気もする。このまま生きて幸せになれる時が来るようにも思えないし、内心それを望んでいるとも思えない。
 『満たされること=幸せ』とするなら、僕はいつまでも幸せでいたいけれど。
 そう考えれば、僕は言葉を紡ぐことでかりそめの幸せを得ようとしているんだろう。
 僕は僕でいたい。
「僕なんていてもいなくても、変わらないんじゃないか」
 そう心底思ったからこそ、この世界でたった一人の存在になりたい。
 だから僕は自分だけの言葉が欲しい。自分自身を表現するための言葉を。
 黄昏に憧れる理由の一つは、そこ。彼は全てを遠ざけ、自分で創り上げたシェルターの中で唄い続けた。聞けば、学校を辞めてから二年近く、毎日毎日ノートに向かい合って曲を創り続けていたらしい。
 自分を救う為だけの曲を。
「楽しいのか、辛いのか、嬉いのか、苦しいのか。そんなの、頭がごちゃ混ぜになりすぎて全然わからない。ただ、唄ってる間だけ、心の底から『生きている』って思えるんだ」
 そう言う黄昏のメロディは、喜怒哀楽をそのまま形にしたような旋律に聞こえる。内に向かっているのは混沌としていて、涙を流している時は切なげに、外に向かう時はそれこそ全てを破壊しそうなほど激しい。黄昏が楽器を弾ければ、それこそその筋では超一流になれるだろう。
 音楽を始めて2ヶ月も経っていない僕が、濃縮された2年間を過ごした黄昏に敵うはずも無い。僕は耳障りが良く、起伏の少ないメロディしか出て来ないけれど、黄昏は聴き手を無理矢理捻じ伏せるようなメロディを容易く生み出す。
 僕は音楽理論なんて全く解らないから、コード進行さえ上手く行かない。黄昏も同じだろうけれど、彼の場合は「ひたすら自己流」で独自の理論を作り上げている所があるから真似した所で粗だらけになるのは一聴しただけで解る。
「はーっ……」
 溜め息をつくと、もう一度布団に寝転がった。
 僕が曲を創らなくても、黄昏に全て任せた方が絶対にいいものができる。彼の唄う横で誰かが伴奏をつけるだけで全然構わない気もする。
 そんなのとっくに解っているのに、頑なにこだわり続けている自分がいる。そこを譲ってしまうと、僕がいる必要なんて無くなってしまう。
「あーっ!」
 何だか、どうでもよくなってきた。これ以上考えるのはよそう。
「あ」
 そう言えば今日は、『Rock'n Arts』の発売日だった。ふと思い出して、身体を起こし外に出る仕度を始める。
 僕が唯一買い集めている音楽雑誌で、普通にヒットチャートの上位を賑わせている、音楽と言うよりカラオケをやっているミュージシャンと呼ぶのも馬鹿らしい人達ばかり載せている底の浅い雑誌じゃなく、本当にいいものを選りすぐって特集している一見偏った雑誌。毎月中ではインタヴュアーとアーティストが面と向き合って対話して、かなり深い話が飛び出したりしている。僕はこの雑誌がとても好きで、『mine』でも載っていた記事の中からいくつかネタを流用していた。
 人並みに音楽は聴くけれど、僕はそれほどコアなリスナーなわけじゃない。この雑誌をずっと買っているのも、その辺の漫画や小説よりも何倍も面白くてタメになるから。
 着替えを済ませて外に出ると、一層熱気に包まれた。今日も快晴で、てっぺんまで上り詰めた太陽が容赦無く街を照らしている。住宅の前に立ち並ぶ雑木林から、耳が割れるほどの蝉の声が鳴り響いていた。
 それを無視して、Gパンの後ポケットに入れたMDのスイッチを入れ、マイクロフォンを耳に差す。音漏れする位の大音量でお気に入りの曲を流しながら、近くの本屋に徒歩で向かった。
 本屋の中は冷房がかかっていて、外とは比べものにならないほど涼しい。まだ開店時間から間もないせいか、他の客はあまり見かけられなかった。
 脇見をせずに音楽コーナーへ向かうと、見慣れたロゴが目に飛び込んで来た。お目当ての本を取る前に他の雑誌を眺め、好きなアーティストが載っていないかチェックする。
大して目につくものはなかったので、最新号の『Rock'n Arts』を手に取ってレジへ持って行った。財布がまた軽くなる。
 満足気に外に出ると、中との温度差に眩暈がした。路面は目を覆いたくなるほどに輝いていて、ふとサングラスが欲しくなる。
 そのまま家に帰ろうと思ったけれど、駅前のレンタルビデオ屋に足を向けた。自転車で来なかったから少し時間はかかるけれど、たまにはこう言うのもいい。
 低い街並の向こうに、大きな入道雲が見えた。今年は台風が来るのかな?去年は一度も直撃しなくて、暑い日がずっと続いていた。
 店に入ると、利き過ぎた冷房に背筋が震えた。暑い所と涼しい所を行き来するだけで、風邪を引いてしまいそう。
 最新のアルバムをチェックしてみるけれど、お目当てのものはまだ入荷していないみたい。僕はCDをほとんどレンタルで済ませ、MDに落としている。その方が安上がりだから、より多くの音楽に触れられる。お気に入りのはちゃんと買うけれど。
 今日は手ぶらのまま帰ろうかと思ったけれど、ふと思い出したことがあって洋楽コーナーへ。よく知らない名前が棚にずらりと並んでいる。その中から、一つの名前を探した。
 あった。
 『discover』。
 『Rock'n Arts』を読んでいるとよく見かける名前で、昔活動していた外国のバンド。数多くのアーティストがリスペクト(尊敬)していて、ヴォーカリスト&ギターのディガー・E・ゴールドは邦洋問わず伝説と化している。
 自殺したらしい。
 理由まではよく知らないけれど、どうやら表現の果てに自ら命を絶ったらしい。何がそこまで彼を駆り立てたのかに少し興味があり、いつか借りようと思いつつ今日まで引き伸ばしにしていた。
 貸し出されているのか一枚しか並んでいいないので、とりあえずそれを借りることにした。『Rock'n Roll』と書かれたそのCDのジャケットには一筆描きの転がる岩の絵が載せられていて、何故かやけに目を惹かれた。
 そのまま一直線に家に帰ると、どうやら母親が昼休みに帰っていたらしく、台所のテーブルに弁当の袋と書置きが置かれていた。メモに目を通してから冷蔵庫から麦茶を取り出し、そばにあったコップも一緒に部屋へ持って行く。弁当は後回しにした。
 本とCD,どっちを先にするか少し悩んだ末、コンポのスイッチを入れた。敷きっぱなしの布団に早速寝転がり、借りてきたばかりのCDを取り出す。何気にコンポに入れ、曲が再生される短い時間、ブックレットを開きながら待っていた。
 そして次の瞬間流れて来たのは、全てを叩き割るようなギターの轟音。
「っ」
 唐突に曲の世界に引きずり込まれた気がして、背筋が凍えるほど怖くなった。そのまま止めようとリモコンに手をかけたけれど、CDが終わる60分間、指が動くことはなかった。
 感情のうねりを叩き付けた演奏、音の裏で叫び続ける生への意志、そして子供の啜り泣く声のようなヴォーカル。魂を燃やし放たれる唄声は、黄昏を彷彿させた。
 でも、根幹に流れているものは同じだろうけれど、ブックレットに載っていた歌詞は完全に、ディガーの詞世界そのもの。
 たった一人だけの世界。
 誰の真似でもない、自分の心境をありのままに綴った言葉。自分に嘘を付かずに、自分の存在を叫び続けた言葉。
「――何だ、これでいいんだ」
 今更になって、気付いた。
 僕はどこまで行っても僕なんだから。
 だったら、そのまま、ありのままを出せばいい。
 言葉が足りなくたって、どこかで似たようなものがあったって、気にすることなんてない。
 悲しみの場所から、始めてみよう。


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