→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第1巻

   023.Be with you

 楽器屋で買い物を済ませ、とりあえず海のそばにあるこの街最大の公園に向かうことにした。駅から十分歩いて行ける距離にある。途中のファーストフードでお腹の足しになるのを買っておいて、冷めない内に歩きながら食べた。
 通称キャンディーパーク。埋立地である水海の再開発の先駆けとなった公園で、街の外観を美しくしようと言う試みから開発された所なだけあり、その敷地はとても広く散歩したり家族で訪れるには絶好の公園。月一でフリーマーケットも開催されていて、水海に住む人にはすっかり馴染みの場所になっている。
 でも今日は寒いせいか、人影がまばら。休日には芝生でピクニックしている家族連れとかいたりするのに。そんな中でも小中学生が半ズボンでキャッチボールしている姿を見ると、ついつい感心してしまう。
 煉瓦畳みの広い道でストリート系の若者達がローラーボードの練習をしているのを横目に、林を背にしたベンチに腰掛ける。するとズボン越しにひんやりとした冷たさが伝わって来て、飛び跳ねてしまった。
「こんだけ人がいないと気がねなしに練習できるっしょ。聴かせる相手がいねーけど」
 早速イッコーがケースのジッパーを開けギターを取り出すと、先に買った弦の張り替えを始める。机が無くても相変わらず慣れた手付きで五分もかからず終わらせた。1、2曲通しで弾いてみて、弦の緩み具合を確かめる。隣で僕はその姿をじっと眺めていた。
「――、で、あれからたその家には行ったん?」
 弾き終えると、じれったくなったのかイッコーの方から切り出して来た。今日はほとんど黄昏のことについて触れようとしなかったけれど、もういいだろう。
「一度も。今日イッコーの家に行く前に寄ろうかと思ったけどね、多分出て来ないだろうからやめたんだ。もう少し時間が経ってから行くつもり」
「そのための事前相談ってわけかー。しょーがねーなーたそも」
 呆れたように笑い、イッコーが首を鳴らす。ギターを差し出されたけれど、今は弾く気になれないのでやんわりと断ると、イッコーが適当なフレーズを弾き始めた。
 3日前のイベントでのライヴ、結局『days』はドタキャン。その代わりに僕達の出番の時間を最後に回し、イッコーが即席で他の出演していたバンドのメンバーや千夜さんとユニットを組み、有名な曲をカバーしてその場を凌いだらしい。と言うのは後で聞いた話で、僕はその時ラバーズにいなかった。
「くしっ」
 治まっていたと思っていたくしゃみが再発する。ベンチに座っているだけだと体が冷えるから、風邪をぶり返してしまいそう。
 黄昏を連れて行くのに失敗した後、僕は一時間位扉の前で座り込んでいて、それからあてもなく水海の街を徘徊(さまよ)った。みんなに合わす顔がなかったから、ラバーズには寄らずに夕方になるまで外をぶらつき、イベントが終わる時間の頃に水海の隣駅まで歩いた末、電車に乗って帰った。
 わざわざそうしたのは、何かの偶然にライヴのお客さんや他のバンド仲間と出会うのが嫌だったから。刑務所から脱走した囚人の気持ちで人混みを避け、家に戻った。
 その時に風邪を引いてしまい、次の日は仕事を休み丸1日部屋で寝ていた。ギターを一度も触れなかった日なんてギターを握ってから初めてで、その日は音楽のことを何も考えようとせずに布団に包まっていた。頑張れば仕事に行けないこともなかったけれど、それ以上に気が滅入っていたのであえて休んだ。
 前の練習日の終わりに黄昏と話をして以来、だんだんと音楽が嫌いになって来ている自分がいる。自分の才能の無さに嘆くくらいで苦しむんだったら許せるのに、救いを求めた筈の音楽で他人に迷惑をかけたり嫌われたりするのは耐えられない。
 二日経って気持ちもようやく落ち着いたら、一度イッコーと直に話をしたかった。
「日曜はごめんね」
 僕が謝ると、イッコーは笑って手を振った。
「いーっていーって。なんだかんだで即席バンドでも盛り上がったしなー。つーかいっちゃん盛り上がってたけど」
「それはそれで問題だね」
「だなー」
 二人共笑っているけれど内心洒落になっていない。
「ま、あーゆーんは時々やるからいーんだって。でもやっぱやらねーのがベストなん」
「そうだね」
 僕は相槌を打ち、ジャンパーのポケットに入れた携帯カイロを手で転がす。
「戻った方が良かったかな……僕も」
「いや、いーんだって。どーせショックでまともにギター弾けねーだろと思ったん、電話の声の調子じゃ。おめーもそのほうがよかったっしょ?」
 あの後でライヴ中止の電話を入れた時、イッコーは千夜さん達と何とかするからと言い、ひとまずラバーズに戻ろうとした僕を止め、家で休むことを勧めてくれた。その心遣いが嬉しく、僕は少しだけ泣いた。
「前に一度、前のバンドでたそと同じことやったことあるんだわ」
「えっ?」
 前触れも無くイッコーがカミングアウトして、僕は驚いた。目を見開いている僕の横でイッコーはギターを一度ストロークして、単音で弦を爪弾きながら話し出した。
「ツアー途中の合間だったっけな。昨日みたいな小さいイベントじゃなくてもっとでかいライヴハウスでインディーズのパンクバンドを集めたのがあってよ、おれ達のバンドも出ることになってたんだけど。その一週間位前かな、ディガーが自殺したの聞いちまって」
「ああ……」
 そこでもう全て解ってしまい、僕は乾いた声を絞り出すのがやっとだった。
 イッコーが敬愛しているディガー・E・ゴールド。彼が組んだバンド『discover』が日本でシークレットライヴをする時にその前座を進んで申し出たほど、イッコーの血は彼らの歌で出来ている。だから彼がが自殺した時は想像もつかないくらいショックだったに違いない。
「おれ、ヴォーカルだったじゃん。それってディガーのマネしたかっただけなん、ホントは。『staygold』に入ったのもその音楽性がどーとか以前に、前のヴォーカルが抜けてそこん席が空いてたんよ。そん時にリーダーにギターの腕を認められて、それだったらってことで入ったんだよなー。タイミングよかったんだわ」
「……それ、初めて聞いたよ」
「あれ、言ってなかったっけ?」
 きょとんとした顔でイッコーが逆に訊き返してくる。前のバンドが解散したのには理由があると思ったから、訊いてしまうと古傷を抉るようで僕はあえて踏み込まずにいた。
「ま、いーや。でさ、もーショックでショックで。それまでは何にも考えずに唄ってたん。それだけで楽しかったからさ。でもディガーが死んじまって、『どーしておれ唄ってんのかなー?』なんて疑問が浮かんだんだわ。そこで考え過ぎたんだろーなー、ステージ立つ理由もわかんなくなって、気持ち整理できねーままライヴの日を迎えちまって」
 そこで弦を引く指を止め、イッコーは顔を上げてきっぱり言った。
「バッくれた」
「あはははは!」
 その生真面目なイッコーの横顔が可笑しく、笑う所じゃないのについ大笑いしてしまった。イッコーも笑わそうとして言ったに違いない。
「もち後でカンカンに怒られてよー。種明かしするとよ、日曜のライヴで即席オールスターの面子組んだってのも、そん時にリーダーがやったんを真似しただけなん。まー。まさかあん日の教訓を生かす時が来るなんて思っちゃいなかったけどなー。人間こーやって成長するんだなって日曜の打ち上げん時にしみじみ思った」
「はあ」
 いい話なんだけど、何故かまだ笑みが顔に張り付いて離れない。
「解散の理由もそれなんだわ。もうおれ無理って思ったから、ツアーの後に辞めるって言ったら『じゃあ解散』ってなったんだわ。おれのせいだけじゃなくて結構メンバー同士仲悪かったらしくて、それもあって。まー、解散の時もタイミング良かったんだよな結局」
「そうだったんだ……」
 笑ってイッコーは話すけれど、当時は相当苦しんだと思う。
「おめーがしんみりしてどーするよ」
 俯いていると、横からイッコーに笑顔で小突かれた。確かにそうだけど、昔から他人の話を聞くだけでも落ちたり上がったりする性格だから仕方無い。TVのドキュメンタリーとかを必要以上に感情移入して観てしまうタイプで、終わった後はいつも疲れてしまう。
「今はそれより、たそだって。おれん時とは違うだろーけど、ただ疲れたから休んだんじゃねーんだろ?それくらいで休むやつじゃねーことぐれーおれにだってわかるし」
「……うん」
 イッコーがちゃんと解っていてくれて良かった。もしここでただ愚痴を漏らすだけの人だったら、僕は自分のバンドに疑問を持っていたかも知れない。
「詳しい理由は言ってくれないから解らないけれど、かなり悩んでるみたい」
「なら、このままバンドに来ねーってことも十分ありえるっしょ?」
「そうだね」
 だからこそ、何とかしなくちゃいけない。その為に相談に来たんだ。
「んじゃ、これからおめーとおれでたそん家に乗り込むってのは?」
 イッコーが提案してくるけれど、僕はゆっくりと首を横に振った。
「もう少しそっとしておいた方がいいと思うんだ。ライヴも今の所、次どうするかって言うのも決めていないし。前に黄昏、僕の前でちょっと疲れたって言ってた。今までずっと行け行けで来たじゃない?だからちょっと休むのもいいかなって」
「うーん、おれは全然疲れてねーけどなー」
 首を傾げるイッコーに、なだめるように僕は言う。
「僕もそう思ってたんだけどね。でも人それぞれのペースってあるし。自分だって疲れを感じる余裕が無いくらい夢中になってたって言うのもあるし……半年以上『days』を続けて来て、一度ここで間を置いて今の自分達を見つめ直すのもいいかなって思うんだ」
「確かに……一理あるよな」
 言われて初めて気付かされたような顔を見せ、イッコーが何度も頷いている。
「もしかして、イッコー……」
「んっ?」
 話していて気になった疑問を恐る恐るぶつけてみる。
「前のバンドで、ちゃんと他のメンバーのこと考えてたりした?」
 ――沈黙。
 イッコーは体を縮こめ、顔中から冷や汗を滝のように流している。
「やっ、何つーのかな。唄うのが楽しくってさ、他のことに気が回らなかったっつーか。ディガーが死んだ後は自分のことで精一杯だったっつーか。いや、その……」
 僕の顔をチラチラ見ながら必死に弁解する姿は、普段の時と違ってとても子供っぽい。
「……勉強します、ハイ……」
 肩を落として反省しているイッコー。この時初めて、彼が年下に見えた。  
「でも、僕も同じだけどね……。まさかバンドでこうして悩むなんて思ってなかったもの」
「おれもいい音楽ができりゃそれでいーって思ってたもんなー」
 男二人ベンチに並んで座り、溜め息をつく。白い犬を連れて散歩している叔母さんがそんな僕達を不思議そうな目で見ていた。
「そーいや千夜には相談したん?」
「したけど……返す刀で切られた」
 昨日、仕事が終わった後に一度連絡を入れてみたけれど、
『私の役目はドラムを叩く事だけだろう?バンドの内情なんてどうなろうが興味は無い』
なんて非情な台詞を返され、すぐに電話を切られてしまった。
「千夜らしーな、つーか少しくらい心配しろってんだあの冷血女」
「まあまあ」
 悪態をつくイッコーをなだめに入る。
「けどよー。このままたそ辞めちまったらどーすんの青空ちゃん?代わりのヴォーカルなんてどこにもいねーぜ?」
「うーん……」
 確かにその通りで、誰にだって黄昏の代わりはできない。それ以前に僕も黄昏が唄うことを前提に曲作りをしているし、そもそも音楽を始めた理由も黄昏と一緒にやりたいからだから、辞められてしまうと音楽をする意味すら無くなってしまう。
「何とか……説得してみるけど……今週末辺りにでも。でも、強要はできないし、黄昏が
やりたくないって言うんなら考えなくちゃ。ただの一過性のもので、次から笑って戻って来てくれれば一番いいのにね」
「だなー。まーあいつの性格からしてそーじゃねーとは思うけど」
 どうやらイッコーも黄昏の性格をかなり掴んでいるみたい。
「何か他にいいアイデアとか、ある?」
 僕が助け船を求めると、イッコーは腕を組み考え込んだ。
「おれができんのはフォローぐれーだからなー。変なこと言っちまって悪いほうに傾く可能性だってなくはねーし。わりーけど、こーゆーんは一番気心の知れたやつが行くのがベストだと思うぜ。パートナーなんだろ?何もただ一緒にいて楽しくてハイそれまでってゆーんがトモダチじゃねーぜ。悩みとか聞いたりしたりして楽にしてやったり、逆に聞いてもらったりしてってのも大事な役割なんだしよ」
「うん……」
 イッコーの言葉が深く心に突き刺さる。僕も黄昏がいたからこそこうして今があるんだろうし、それは向こうも同じだと思う。感謝しても感謝し切れないほどの恩がある。
 だったら今度は僕が、黄昏を助けてあげなくちゃ。
「だからガンバだぜ!骨は拾ってやるから」
「そんなご無体な……」
 縁起でもないことを言ってくれるイッコー。 
「でもさ、誰にも言えないような悩みを抱えて苦しんでるやつを助けられるのって、いつもそばにいるやつなんよ。それちゃんと覚えときな」
「うん、分かった。ありがとう」
 僕が目を見て礼を言うと、イッコーは顔を真っ赤にして背中を向けた。
「よせやい。そーゆーんは黄昏が戻ってきてからにしてくれ」
 オレンジの頭を掻いて小声でぶつぶつ言っている。外見と違い結構照れ屋さん。
「よし。じゃあ暗くなるまでギター大会としゃれこみましょーかねー」
 イッコーは気持ちを切り替えようと大声で気合を入れ、ベンチに座り直した。ピックを右手に握り締め、激しい曲を弾き語る。
 アンプを通さないエレキギターの音色が、肌寒い春の公園に良く似合っていた。


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