001.ネオンの光と秋の風
私の初体験は、だいすきな人に無理矢理犯された。
「…………。」
言葉を口に出そうとしてみるけど、唇はぱくぱくとしか動かない。
まるで全身の力が抜けちゃったみたいにぐったりしてる、あたしのからだ。
目に映ってるのは隣の台所から少し光が入りこんできてる、電気のついてない部屋の風景。まるで世界中にあたしたった一人になったみたいな感じがする。
衣服の下に見える素肌からひんやりとした部屋の空気を感じる。されている間、あれだけ体が火照ってたのが嘘みたい。
この体勢のまま、一体どれくらい経ったのかな?
からだを少しのけぞらせて、小棚の上に置かれているデジタル時計の蛍光板を見てみる。
P.M.9:58。
確かここに来たのが7時前。だからあれから3時間くらい経っている。
終わってからしばらく経ってるから……2時間くらいずっと犯されてたんだ。
と、そこでふと、あたしの目尻から一筋の涙がこぼれた。
――ずっと、考えないようにしてたんだけどな。
あたしは服の袖で自分の涙をぐいっとぬぐって、ゆっくりと上体を起こした。される前とされた後、目に映る部屋の景色が全然違った印象を受けるのはどうしてなんだろ。
着てた服はすっかりはだけて、邪魔なものも全部はぎ取られてベッドの下に無造作に放り捨てられていた。
とりあえず、ブラを元に戻してカーディガンを着直す。見るとカーディガンの胸元のボタンは全部弾け飛んでいて、そこら辺に散らばっていた。
まさかこんなところでいつも持ち歩いているミニ洋裁セットが役に立つなんて思いもしなかった。応急処置でいいから後で直しておこう。
靴下は履いたまま、下着は丸まった状態で棚のそばに転がっていた。
そこであたしは自分の体をまじまじと見つめる。裸より恥ずかしい格好でいることに今になって気付いて、あたしはカーディガンでがばっと体を覆い隠した。
「そっか……あたし、されたんだもんね。」
ぽつりと独り言を呟いて、あたしは恐る恐る自分の股の下に手を伸ばした。
痛い。
じんじんすると言うか、擦れたせいでひりひりすると言うか、今までに経験したことのない痛み。外側は乾いているけれど、赤い血が股下にいくつかついていた。
と、いうことは。
「あ〜……」
白のスカートの裏地にもあたしの処女血が飛んでいたのを見て、あたしは情けない声を漏らした。お気に入りというのもあるけれど、白地じゃ目立ってしまうからこのまま履いて帰れない。
洗濯して、乾かすしかないのかな。
考えれば考えるほど気が滅入ってくるから、先に下着を履くことにした。
「…………。」
と、足に通したところで動きが止まる。
このまま履いていいのかな?
考えてみれば生まれて初めての体験だったから、その後どうすればいいのかわからない。後始末のやり方はわかってるけど、いざ本番になると頭がこんがらがってしまう。もう一度自分の体をのぞきこんで見ると、たその出したものがあちこちにへばりついて、汚い。皮膚についてるものはほとんど乾いていたけれど、股ぐらの部分だけはそのまま。
お腹の下をさすってみる。この中に、たそがたくさん自分のを出した。
不思議な感じ。これが女になるっていうことなのかな?
今日は安全日だけど、このまま放っておいたら、やっぱり妊娠しちゃうのかな。
あまりに突拍子のない考えに、あたしの思考回路はついていかなかった。
「……ちょっとだけ」
あたしはベッドの上にしゃがみこんで、誰もいないのに辺りをキョロキョロ見回してから、恐る恐る自分の中に指を差しこんでみた。
「っあ……ぁ」
自分でもびっくりするくらいいやらしい声が吐息混じりに出る。そうしてすくってみた白く濁る液体は、べっとりと人差し指と中指にこびりついていた。
たそのだけじゃない、あたしのも混じってる。
それをまじまじと見つめているだけで、自分の鼓動が耳に届くほど高鳴ってくる。
恥ずかしさやらたくさんの感情が入り乱れて、だんだん気がおかしくなっていく。
舐めた。
「……う」
あたしは慌てて洗面所に駆けこんで、蛇口の水で嫌な感じが取れるまで口をゆすいだ。
大きく息を吐いて、そばの壁にもたれる。あんなものを最初、舐めようとしてたなんて思うとさすがにまいった。最中は興奮してたから気にならなかったんだと思う。
「シャワー……浴びたほうがいいよね」
そう考えた瞬間、し終わった後にたそが浴びていたシャワーの音がここまで聞こえていたのを思い出して、ズキリと胸が痛んだ。
でも好き嫌い言ってる場合じゃない、明日は学校あるから終電までに帰らないとみんなにも心配かける。これが昨日だったら、たそが帰ってくるまでずっといるんだけどな。
あたしは何かにとりつかれたようにふらりと立ち上がって、そのままの格好で部屋に戻ると、スカートと下着を持って台所横の洗濯機まで歩いていった。
洗濯機の蓋を無造作に開けて中に放りこもうとしたけど、ここについた時に回していたたその服がたくさん残っていた。面倒だけどわざわざ洗濯物カゴに全部それを移して、自分の物だけ入れて洗濯機を回す。帰る前に、これみんな干しておいた方がいいよね。
「……あたしって、バカ。」
あんなにひどいことされたのに、普通にそういうことを考えてしまう自分に気付いてちょっと嫌になった。
せっかくなので、つけていたブラと靴下もまとめて入れた。はしたない格好してる。
お風呂沸かしたかったけど、シャワーにしておく。たそのことを考えて沸かしてもいいかななんて思ったけど、あたしはそこまでたその面倒見る必要なんてない。
でも、体は勝手に動いてしまった。
自分のいい子さ加減を肌で感じて、うんざりしてしまう。
「はーっ……。あたしってばどうしてこんなにお人よしなんだろ」
早くシャワー浴びて、嫌な気持ちを全部流そう。
風呂場のコックをひねると、勢いよく熱いシャワーが吹き出た。いつもなら少しぬるめのシャワーを浴びるけど、今日は少し熱いくらいがちょうどよかった。
壁にかけたシャワーの下に立っていると、頭から肩に、全身にお湯が滴り落ちていく。そのまましばらく自分の足元を見つめていると、抑えこんでいた感情がだんだんと胸の中でふくらみだした。
顔を両手で覆って、その場にしゃがみこむ。
「……たっ、たそのバカぁ……」
自分の震える涙声が、余計にあたしを悲しくさせる。
それからしばらく、涙が枯れるまでずっと大声で泣きじゃくった。
心の中で、たそに抱かれることを期待してた。
じゃなかったらあんな真似しようなんて思わない。
いくらそそのかされてやってみたと言っても、最初から抱かれようと思ってた。
たそと出会ってからもう半年以上経つ。
そっと、自分の唇に指をあててみる。この唇は、今もあの感触を覚えている。
あたしが初めてこの家に上がった時、たそとキスをした。無理矢理押しかけて、こっちから。シチュエーションはあんまりよくなかったけど。
でもあれも夏の前の日。あれから三ヶ月くらい経つ。あれから何度もこうしてたその家に遊びに来て、まるで母親みたいに身の周りの世話をやってる。それも頼まれてるわけじゃなくて、押しかけ女房同然で。
たそだってもちろんあたしが気があるのはわかってるはずなのに、今日まで何にもしてこなかった。何一つ。
基本的に、たそは自分から動こうとしない。ホントに流行とか社会とかに興味がなくて、家にずーっと引きこもり状態でいて、まるで死んでいるみたいにベッドの上に朝から晩まで寝転がってる。部屋の中にも必要最小限のものしか置いてなくて、TVも雑誌もない。
普段の生活はもうとんでもなくぐーたらでどーしよーもない。多分、世の中のほとんどのことに対して興味がないんだ。
そして、あたしにも。
家にやってくるあたしをいつもうざったい目で見ているし、時々怒鳴ってあたしを追い払う。いろいろやってあげてるのに、と思う時もあるけど、頼まれてやってるわけじゃなく、自分が好きでやってるわけだから文句の一つも言えなかった。
なのに今日は今まで溜まっていたのが爆発したみたいに、あたしを襲ってきた。
ちっとも仲が進展しない状況にいらいらしていた3ヶ月。早く恋人になりたいと思って、暇があればたその家に足を運んでた。
こんなに心から他人を好きになったのははじめてだから。
生まれて初めてのライヴハウスで、ステージの上でたその歌う姿を見た瞬間から、あたしの世界は大きく変わった。運命とも思えるくらいの一目惚れ。
大好きな人に抱かれたい。
そんな気持ちがあたしを動かした。だから振り向いて欲しくて、してみた。
はじめてのSEX。体で繋がることを望んでいたはずなのに、こうなってしまった。
あたしはあんな一方的で乱暴に犯されるのを期待してたわけじゃないのに。
トレンディドラマとか恋愛映画、少女漫画みたいな初体験を夢見てた。
「まいったなー……」
でもそんな淡い想像も、はかなくも崩れ去った。
「やりすぎだよ、たそ」
組み敷かれている時の場面を思い返してみるだけで、背筋がぞくっとする。ただ、その時のたその顔は真っ黒だ。
されている間、あたしは最後の最後までたその顔を一度も見なかった。唇を奪われている時も、ぎゅっと目をつむってた。
こんなことを現実にされてるなんて信じたくなかったから。
トラウマになりそうで恐かったし、もし目を合わせた時に優しい顔をされたら、あたしはもう何も信じれなくなりそうだったから。
野犬に襲われたと思って、あきらめよう。
頭に思い浮かんだのはそんな笑い事みたいな言葉。
結局抵抗したのは最初だけで、あとはもうたその気の済むまで身を任せた。望んでたものとは違うけれど、これでたそが満足するならいいかなって思って。
自分が気持ちよかったのかはよくわからない。意識はずっと逃げていたから。
たそはあたしの体を貪ることに夢中だった。あんなに必死になっているたそは、歌っている時以外見たことない。
それだけあたしの体が魅力的だったのかな、なんてバカなことを考えてみる。少しうれしいけど、ここまでやることないじゃない、と思う。
痛いよ。
「恋ってこんなに痛いものだったのかな……?」
身も心も痛い。SEXってもっと気持ちのいいものだと思ってたのに。
考えれば考えるほど、混乱していく自分がわかる。
「くしゅっ!」
ずっと洗い場で考え事をしていたせいか、突然くしゃみが出た。気付くと、湯船の水もすっかり満タン近くまで溜まってる。せっかくだからこのまま沸かして体をほぐしたかったけど、のんびりしてると終電なくなっちゃうからさっさと体だけ洗って出ることにした。
たそが帰ってきた時のことを考えてお風呂を沸かして風呂場を出て、たその部屋まで戻る。洗濯機が回り終えるまでにカーディガンの外れたボタンをつけしなくちゃ。
落ちこんでいても始まらないから、余計なことは考えないようにして、たそのベッド横に腰掛けて修繕し始めた。着る物がないから、SEXの時に床に落ちていた白い毛布で体を包む。たその匂いが染み付いていて、何だか優しく抱きしめてくれているみたいだった。
ベッドを覆う白いシーツにはたっぷりと二人の汗が染みこんでいて、何だかじめっとした感じが漂ってくる。あたしの服が終わったら、洗濯機に放りこんどこうっと。
「これで……よし、っと」
全部のボタンを直したところで、ちょうど洗濯終了のブザーが鳴った。てきぱきとシーツを引っぺがして、自分の洗濯物を取り出して勢いよく放りこむ。下着とスカートはドライヤーで5分くらい乾かしていたら十分着れるくらいになった。
着替え終わって時計を見ると11時過ぎ。ここから駅まで歩いて20分もかからないから余裕で終電に間に合う。たその洗濯物をベランダに干したけど、意外にあっけなく5分ちょっとで終わった。ひとまずこれで、今日やることは全部終了。
台所のテーブルの上で紙切れにペンを走らせながら、ちらっと玄関の方に目をやった。
「帰ってこないね……」
どこに行ったのかわからないけど、たそは全然帰ってくる気配もない。きっと自分のバイクで夜の街を飛ばしてるんだろう。あたしにかけた最後の言葉、苦虫を噛みつぶしたみたいだったから。
『鍵、置いてけな』
あの言葉はたその精一杯のやさしさなんだろう。あたしにもう2度とこんな目に遭わせたくないから言ったに決まってる。でもあたしに、そんなつもりは一つもなかった。
会いたいような、会いたくないような。二つの気持ちが心の中でせめぎ合ってる。
次会う時、どんな顔をすればいいのかな。
次会う時、たそはちゃんとあたしを見てくれるのかな。
考えるだけで恐い。
そして、今のあたしにその答えを知る勇気はなかった。
たその部屋をきちんと片付けてから、部屋の電気を全部消して家を出る。最後に、たその匂いを胸一杯に吸い込んで。玄関のドアに鍵をかける音が、妙に胸の奥に響いた。
「……泣かないぞっ。泣かないったら」
じわっとこみ上げてくる気持ちを懸命にこらえて、あたしは軽く自分の頬を叩いた。
駅までの道のりを、昨日までと変わらない気持ちで歩くように努める。たそのことは考えないように、学校のこととか明日のTVドラマのこととか楽しいことばかり考えて。それでも、生乾きのスカートの感触が浮かれようとする気持ちを繋ぎ止めた。
電車の窓から見える街のネオンの明かりがやけに光輝いて見えるのはどうしてなのかな?寄り道しないで電車に乗って、一直線に家に帰る。初秋の夜風はあたしには優しかったけど、気が晴れることはなかった。
「ただいまーっ」
帰ってくると、みんな早めに寝ているのか、家の明かりはすっかり落ちていた。起こすと悪いから、冷蔵庫に入れているオレンジの缶ジュースを一本持って、二階の自分の部屋に戻る。扉を開けて、電気もつけないでそのままの格好でベッドの上に倒れこんだ。
「…………。」
ぷつっと緊張の糸が切れて、目尻が熱くなっていくのがわかる。
たそ。
たそ。
たそ。
「バカぁ……っ」
あたしはその日、一晩中ベッドの中で泣き続けた。少し落ち着いた頃には、冷たかったオレンジジュースもすっかりぬるくなっていた。