→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第2巻

   030.ブラック・レザー・ロングブーツ

「次のミーディングに私も参加して構わない?」
 千夜さんに何の前触れもなくそう切り出されたのは、まだ夏の陽射しの強く残った9月の頭、夕方のバンドの練習が終わった後、熱気残るスタジオの中、片付けの最中。
 戸惑う僕の顔を真剣な眼差しで見つめて来る。
「――え、それって……」
「私もこのバンドに正式加入していいかと聞いているんだ」
『…………。』
 僕はイッコーと、張り付いた顔で絶句したまま顔を見合わせた。
「あははははは!!」
 すると次の瞬間イッコーが大爆笑し始めた。千夜さんがムッとした顔をする。
「冗談は顔だけにしてくれよ、おれたちをだまそーたってそーはいかねーぞ」
 丸椅子に座ったまま近くのマイクスタンドに寄り掛かり、ひーひーと苦しそうにお腹を抱え笑っているイッコー。でも僕には、千夜さんの言葉が冗談に聞こえなかった。
「ずーっと一匹狼だったおめーがいきなり鞍替えするはずねーって、そんなサカリのついたメス犬じゃねーんだから」
「あ、あのイッコーさん……?」
「あ、もしかしてつきあってた男にフラれたん?や、でも千夜なんかと付き合う変人なんていねーか、口悪いしケンカっぱやいし、女っけゼロだかんな」
「……おーい……」
「あ、外見も性格も男女だから、女ならいるかもしんねーけど」
 千夜さんの無言の鉄拳が、イッコーの左頬に閃光を上げ炸裂するのを僕は確かに見た。
「帰る」
 煙を吹き床に沈むイッコーを尻目に、殴った右手を軽く振り動かすと千夜さんはスティックケースを掴み出て行く。自業自得だよ、イッコー。
「青空、来週の練習は火曜日?」
「う、うん」
 ドアノブに手を掛けた千夜さんが振り返り訊いて来たので、戸惑いつつ頷いた。
「その時にいろいろ教えて。後、この事は黄昏には『絶対に』言わないで」
 そう言い残し、スタジオの扉が派手な音を立て閉まる。部屋に静寂が戻り、僕は突然のことにこんがらがる頭を鎮めるように肺に溜まっていた空気を大きく吐き出した。
「大丈夫?」
 椅子から盛大に転げ落ちたイッコーのそばに近寄ってみると、気を失っていた。
 ――と、そんなことがあって五日経過した火曜日の今日、僕達4人は別のスタジオで練習を行っていた。僕のバイトが休みで、千夜さんが別のバンドとの練習でここに先に入っていたのと、いつもは叔父さんのスタジオを使っているからたまには気分転換で。
 いつも使用している備え付けの機材と違うせいか音の鳴りが違うので戸惑うけれど、音うんぬん以前にバンドのアンサンブルを高める方が先決なので大して問題じゃない。特に千夜さんは専用のドラムを持っていないので、全てレンタルで借りる為にライヴ場所によって音がどうしても変わってしまう。それに慣れるためにも違う場所で練習するのは良い。
「……だめだ」
 今日の黄昏の調子は今一つ。一曲唄い終わると首を横に振り、そばの椅子に腰掛けた。
 それでも、始めた当初はただがむしゃらに唄うことしか考えていなくて唄えればそれでOKと言う感じだったのに比べ、今は自分の唄の良し悪しを少しずつではあるけれど自分の耳で判別するようになっている。
 そもそも黄昏は常に僕達の奏でる音を聴いているようで聴いていない感じに見える。
 僕達三人と合っているかどうかよりも、自分の感情や気持ちがきちんと歌声に乗っているのかの方を重要視している。それは僕が隣で歌声を聴いていても良く判り、ノリの良し悪しの幅は明らかに違う。つくづく黄昏は『心』で唄う人間なんだと思い知らされる。
 こうして黄昏の横でギターを弾いていられるのが、僕はとても幸せに思えた。
「青空、さっきからおんなじフレーズ弾きすぎ」
 練習も終盤に差し掛かった頃、イッコーに横から指摘されてしまう。
「そうかな?」
 アドリブを入れるにしても決まったフレーズを弾くにしても、自分だとちゃんと意識して被らないようにしているつもりだけど。
「や、別に一曲の中じゃいーんよ。ただ曲を並べるとな、全部どっかしらでおんなじフレーズが出てくんだわ」
「えっ?」
 慌てて黄昏に目配せすると、スポーツドリンクで喉を潤している手を止めて首を傾げる。千夜さんの方を見ると、目を閉じ小さく頷いていた。
「こーゆーん」
 オロオロしている僕にイッコーが自分のベースで、指摘したフレーズを弾いてみせる。楽器が違うので音程は違っていても、確かに僕が好んで使っているもの。
 ギターは押さえるフレットをずらすだけで音程が変えられる。指の押さえ方が同じでも、フレットが違えば別のフレーズに聞こえるので気付かず多用していたみたい。
「始まりの音は違うけどなー。楽譜書いて弾いてるわけじゃねーから自分じゃ気づかねーんだと思うけど。ま、もともと青空は手クセだらけだけどその辺もー少し自覚してたほーがいーわ。適度だと気持ちいーんだけど、やりすぎると聴くほーが飽きっから」
「うん……気をつけとく」
 しょんぼりしている僕の背中をイッコーが元気付けようと叩いてくれても、面と向かって言われるとさすがにガックリ来る。ギターもイッコーがいろいろ教えてくれるけれど、自分一人で弾いている時間の方が圧倒的に多いので手癖が多くなるのは仕方無い。
「ま、手クセなくて教本どーりにやってるやつよりぜってーいいって!千夜のドラム見てよーく勉強しときな」
「いきなり振らないで」
 ドラムの向こうから間髪入れずに千夜さんが反抗して来る。
「千夜、ちょっと今の曲の一番だけ叩いてくれ、イントロ抜きでいーから」
「…………」
 何か言いたげな視線をイッコーに向けたものの、千夜さんは黙って言われた通りに叩き始めた。僕も手を休めドラムプレイに注目する。
 メトロノームなんて無くったって千夜さんのドラムは正確そのもので、全く崩れることは無い。第一僕達の曲も基本的なリズムやニュアンスを伝えるだけで、後は全部任せてある。僕やイッコーがドラムに疎いのもあるけれど、それ以上に千夜さんが勝手にアレンジをつけてくれる方がいい結果が出る気がしているから。
 他のバンドだとアドリブで叩くことはあまりしないらしく、最初はやや戸惑っていたもののすぐに慣れた。以来僕らも基本的に全て任せるようにしている。
「今のでわかったっしょ、青空?」
 千夜さんが叩き終えるとイッコーが僕を見て来る。
「何となく……」
「手クセと教本どーりのドラムがうまい具合に混ざり合って、千夜しか叩けねードラミングになってる。評価されっのもわかるだろ?楽器は違げーけど、姿勢はお手本にしといたほーがいーぜ。ま、ギター初めて1年ちょいの青空がいきなりあんだけやれってのも無理だけどな。千夜はちょっと人と違っておかしーから気にすんな」
 言っていることはとても良く解るけれど、余計な言葉を最後に付け過ぎです。
「また殴られたいのか」
「どーしてほめてんのに殴られなきゃなんねーんだ」
 案の定また二人で言い合っている。イッコーの左頬にはまだガーゼが貼ってあるのに。黄昏は興味が無いのか、マイクの前に地べたに腰を下ろしてくだけた姿勢で休んでいた。
「とっとにかく、もうそろそろ時間だから最後に一曲やって終わりにしようよ」
 僕が間に割って入ると、二人共渋々定位置に戻った。黄昏の手を取って立たせ、この日ラストの『幸せの黒猫』をみんなで合わせる。前にライヴでやった時に大失敗した曲だったので、再来週のライヴでリベンジを果たしたい。
 幸い今回は上手く行き、いい気分で練習が終われた。
「じゃあ俺、帰る。青空とイッコーは?」
「おれたちもーちょっとゆっくりしてから帰っから。風邪引くなよ、最近さみーから」
「駅の方向解るよね?大通りを左に真っ直ぐ行けば着くから。明後日僕も家に行くよ」
「わかった」
 僕達と2,3会話を交わし黄昏は先にスタジオを出て行った。ヴォーカルだから持ち歩く物が何一つ無いので、終了定時に風のようにいなくなる。犬猿の仲の千夜さんに一度も挨拶しないで出て行ったけれど、ここ最近は二人の間で喧嘩も無いのでほっとしている。
「さて、と。ミーティングとやらでもしましょーかー」
 ベースの手入れを終えたイッコーが出る準備をする。引っ掛かるような物言いに千夜さんは唇を真一文字にしていたけれど、何も言わずに先に部屋を出た。僕達も後に続き、受付に挨拶をして外へ出る。料金は前もって払っているので問題無い。
 時刻は夜9時を回っていて、多少肌寒く感じる。と言ってもまだまだ夏の暑さは残っていて、半袖でも全然問題無い。それでも千夜さんは年中肌のほとんど見せない黒の上下で身を固めていた。練習でも本番でもそれは変わらないけれど、暑くないのかな?
「とにかく駅前にでも出て何か食ってくかー。千夜もそれでいーよな?」
 イッコーの提案に千夜さんは頷き、手に持っていた煙草に火を付けた。メンソールなのか芳しい匂いがする。イッコーと僕が先陣を切り、千夜さんが後からついて来る。
「でも千夜さん、大丈夫?多分10時を回るよ。家の人とか心配しない?」
「余計なお世話」
 気になり尋ねてみると、鋭い言葉が返って来た。ヘコむ僕の横でイッコーが笑いを堪えている。
「他のバンドも叩いていたら帰りはいつも遅くなる」
「ガングロのジョシコーセーと一緒じゃねー?男の代わりにドラムで朝帰り、ってな」
 自分の下品な発言で笑っていると、千夜さんは無言でイッコーの頭に煙草を投げた。
「うあっちい!!」
 火の付いた煙草が黒に染めた後頭部に当たり、大きく飛び跳ねる。
「こんのやろ……!!」
 怒り心頭で振り返るイッコーに、千夜さんは冷めた目で一言。
「セクハラ」
「あはは、今のはイッコーが悪いよ」
「あーくそ、少し燃えちまったじゃねーか……」
 これは仕方無い。イッコーは僕達を睨んでから小声で悪態をついていたけれど、自分が悪いのが分かっているのか突っ掛かる真似はしなかった。お気に入りのパンクスTシャツに煙草押し付けられなかっただけ有難く思おう。
 駅前に着くまでの10分間、僕達二人と千夜さんの間に会話は一言も無かった。
 千夜さんと最初にバンドの話を持ちかけた時のサンドイッチのチェーン店があったけれど、また何か一悶着ありそうな気がしたからファミレスに決めた。
 奥の喫煙席を選び、僕とイッコーが並んでソファに、反対側の椅子に千夜さんが座る。空腹でたまらないイッコーはエビフライセット、僕は小腹程度にお腹の膨れるポテトフライ、千夜さんはホットコーヒーだけ頼んだ。煙草にアイスは合わないのかも知れない。
「練習の後はいつもこんな調子?」
 イッコーが自分のドリンクバーを取りに行っている間に、千夜さんが話しかけて来た。
「うん、大抵イッコーがお腹空かしてるからそのままどこかでご飯食べながら話したりとか。と言っても毎回する訳じゃないけどね。千夜さんも他のバンドでするでしょう?」
「しない」
「へ?」
 予想外の答えをされ、間の抜けた声を上げてしまう。
「掛け持ちしていたらそんな余裕は無い。私が出るのは練習とライヴだけ。それもライヴも平日ならリハーサルは出られない事が多い。学校があるから」
 千夜さんの話の最中にイッコーがジョッキ一杯のオレンジジュースを持って戻って来る。
「学校なんてサボりゃーいーん。少しくれー行かなくても内申書に響かねーって」
 いや響きますよイッコーさん。
「まーおれは別に大学行かねーし。千夜もそれだけ叩けりゃ必要ねーっしょ勉強なんて」
 軽口で言ったつもりなんだろうけれど、千夜さんは憮然とした表情を見せた。知らない素振りでイッコーが横を向き口笛を吹いていると、湯気の立つコーヒーが運ばれて来る。
「ま、いーけど……ミーティングなんつっても、次の練習で何やるかとか、チケットの売上分けたりとかぐれーだぜ。ライヴの日時だって決める前に千夜がスケジュール合うかどーか前もって確認するだろ?だから大したことやってねーわ。まー結構青空がたそ連れておれん家に来たり、おれが青空とたそん家行ったりしてっからなー」
 説明を終えてイッコーは一気にジョッキの中身を飲み干すと、もう一度ドリンクバーを注ぎに行った。僕はなるべく食費を抑えたいので水で我慢。
「……ふん」
 呆れ返ったのか千夜さんは溜め息を一つつき、コーヒーに手を伸ばした。
 ドラムを叩いているのに少しもごつごつしていない綺麗でしなやかな指でカップの取っ手を掴み、口元に持って行く。薄い口紅の乗った唇で黒い液体を少しずつすするその仕草はとてもセクシャルで、ふとやましい妄想が脳裏を駆け抜けて行く。
 千夜さんに気付かれない内に視線を反らし、僕は一言言ってトイレへ向かった。
「はー」
 用を足しながらぼんやりと考える。
 最近千夜さんに性的魅力を感じることが多くなった。
 と言っても千夜さんが変わった訳でなく、僕が千夜さんを意識して見るようになり始めた。前々からその兆候はあったように思うけれど、最近は気が付いたら目が勝手に向いてしまうようで、その度に慌てて「駄目駄目」と自分に言い聞かせ目を反らす。
 潤いの無い生活を送っているからかな?でも叔父さんのスタジオにもラバーズにも女性スタッフはいるし、ライヴだって女性客は普通に見かけるし、一声かけられることはある。
 それでも千夜さんが気になって仕方無いのは、同じバンドだからなのでしょう。
 これが恋と言う所までは行っていないような気もするし、黄昏やイッコーに相談したら大爆笑されること間違い無しなので、なるべく表に出さないように留めておきたい。放っておけば次第に収まるだろう、多分。
 洗面所の鏡に映る自分の顔はどこか締まりの無いように見え、両頬を一叩きした。
『…………。』
 僕が戻って来ると、イッコーが腕を組みしかめっ面をしていた。千夜さんも煙草を吸い続けている所を見ると、どうやら一言も口を交わしていないみたい。
 何を話していいのかどちらも分からない、と言うのもあるんだろう。
「青空」
 席に座ると千夜さんが口を開いた。と同時に僕のポテトフライが運ばれて来たので、二人に断ってから口に入れる。千夜さんにも勧めてみたけれど、首を横に振り断られた。
「『days』は一体、何を目的に活動しているバンド?」
 3つほど食べ終わった所で千夜さんが訊いて来る。僕はイッコーと顔を見合わせ、揃って首を傾げた。
「何って……何だろ」
「おれもわかんねー」
 いざ面と向かって訊かれても、答えなんて出て来ない。目標はいくらでもあるけれど、目的と言うような大それたものは別段持っていないと言うのが正直な所。
 答えの出せない僕達を見て千夜さんは一つ咳払いし、改めて話を続ける。
「練習は必ず週2回。ライヴも3週間から月に一度。曲は全てオリジナルで、かなりの短期間で新曲を持って来る。趣味でやっているバンドを掛け持っているから解るけれど、精力的で趣味の範囲を超えている」
「なにがいーたいん?」
 冷静に分析して来る千夜さんに、イッコーが体を仰け反らせ訊き返す。
「二人をそこまでさせているものは、一体何?」
 真剣な面持ちで質問され、僕達二人はまた顔を見合わせた。
「何って言われても……いろいろあるし」
「音楽が好きだから、じゃねーんかなあ、としか言えねーなあこりゃ」
 はっきりした答えが出て来ない僕達に、千夜さんが苛立つような仕草を見せる。
「第一、おめーはどーなんよ、おめーは」
「私……?」
 イッコーに話を振られ、狐につままれたような顔を見せる千夜さん。
「私は別に……叩きたいから、叩いているだけ」
 奥の見えない答えを返され、僕達も言葉を無くしてしまった。
「正式加入って言ったってなあ……なにすりゃいーのやら」
 しばらく無言で黙っていた後、イッコーが参った顔で天を仰いで呟いた。
「別におめーにチケット『売れ』って言わねーし。売上の取り分は交通費の足しになるだけでいーんだろ?そもそも千夜、チケット売ったことねーんじゃねーの?」
「無い」
 はっきり答えられ、僕達は揃って椅子からずり落ちた。
「いや……ある。けれど、大体ライヴハウスに頼めば、すぐに全部さばける……」
 それを聞いて腰が浮いてしまいそうなほど、更にずり落ちる。
 水海一円じゃ千夜さんの腕は十二分に知れ渡っているから、どんなバンドだろうと彼女のドラム捌きが見たくて買う人がいるんだろう。その中に勿論僕達もいると思う。
「あーあー楽でいーよなー、おれたちゃちゃんと毎回ビラ配ってんのに」
 イッコーは愚痴を漏らすけれど、『staygold』の時からやっていたそうで楽しんでやっているみたい。チケットはライヴハウスで販売して貰っているので、手売りは必要な分だけ。
「でも、イッコーや千夜さんがいてくれるおかげで最初から人気が出たし、チケットで出た儲けもスタジオやライヴハウス借りるのに使えるしね。お金の面で困ったことはないよ」
 千夜さんが説明したように精力的に活動できるのも、お金があるから。イッコーが人気と実力のあるバンドと仲の良いおかげで、ラバーズみたいな人の大勢来る場所でライヴも出来るし、お金も入る。これが10人位の場所から始めていたらお客の少なさと財政難でめげていたかも知れない。そう言った意味では僕等はかなり幸運と言えた。
「んじゃ、曲作りに千夜も参加すんのか?どーなんだろーな、おれは別に今のままでもいーと思うんだけどな……」
 イッコーが難しい顔をする。でもその気持ちも良く解った。
 黄昏がバンドに復帰してからのライヴは全体的に及第点をつけられる出来で、『days』も1年続けてきてようやくバンドの姿形もまとまって来たし、ライヴハウスに通うお客さんにも名前が少しずつ浸透しているみたい。
 でもまだ余裕は無いので、もう少しこのままで力を付けて行きたい思いはある。
「そうは言うけれど」
 千夜さんは灰皿に煙草を置き、僕達二人に真剣な眼差しを向けて来た。
「私には甘えているようにしか見えない」
 ――その言葉が、僕の胸の奥深くに音を立て突き刺さる。
「最近新曲を合わせても、没ばかり」
 煙草を一度咥え煙を吸ってから、厳しい口調で千夜さんが断つ。
「一度大きな休みを挟んでから、前みたいな勢いがなくなった」
 呆れ返った口調で吐き捨て、僕達から目線を外した。
 そう――あえて蓋をしていたけれど、ずばり当たっている。
 上手く行っているように見えても、本当の所は歯車が噛み合っていないように思える。一度一月程大きな休養を入れ自分達を見回せるようになったせいか、再開してからは何をやるにしても変に身構えてしまうことが多くなった。
 『前はこれで上手く行ったから、今度もこれで行こう』と言う風に。
 休む前までは僕には何も経験が無かったから、ただ闇雲に突っ走るしか無かった。でも一度休んだことで道程が出来てしまい、一々それと照らし合わせ物事を考えてしまうようになってしまったんだ。
 僕はそれが悪いとは思っていない。ただ、今はまだこれまでのがむしゃらな気持ちを取り戻せていないだけ。もう少し時間がかかるかも知れないけれど、今の状況もこれから先のことを考えると僕達には必要な時期だと思う。
「正直な所、つまらない」
 けれど千夜さんはそう思っていないのか、痛い言葉を吐いた。
「おいおいおい、いちゃもんつけるためにわざわざ来たんか?」
 言いたい放題言われ我慢できなくなったのか、イッコーがテーブルに身を乗り出す。顎で僕にも反論するように促したけれど、苦虫を噛み潰した顔しか出来なかった。
「そもそも千夜、おめーいったいどーゆー風の吹き回しなん?」
 きちんと説明した方がいいかもと考えていると、孤を描くように歯で咥えたストローを回しながらイッコーが当たり始めた。
「今までちゃんとバンドで活動したことってほとんどねーんだろ?サポートばっかで」
「無い……でも、それが悪い?」
 喧嘩腰に喋られ、千夜さんも強い口調になる。周りにお客さんがいないのだけが幸い。
「悪かねーけど、それで入ってきてバンドの中引っかき回されると問題だわ。それにたそには言わねーってそりゃあ無理がありすぎんぜ。ま、言わねーところでたそはちっとも気にしねーだろーけど」
 確かにイッコーの言う通り、黄昏は唄えればそれで良しな人間だから大丈夫だろうけれど、千夜さんが正式に加わることで必ずしもプラスになる保証は残念ながら、無い。
 行く行くは、とは思うも、もう少し時間を置きたい気持ちもある。
「おめーら二人仲悪いってのはわかってっけど、それで妥協してってなー、仲良しバンドじゃねーんだからよー。おめー、ドラム叩きたくておれたちとやってんだろ?でも別にそんだけなら他にいくらでもバンドあんじゃねーか」
 痛い所を突かれたのか、千夜さんはどもって反論の言葉が出て来ない。畳み掛けるようにイッコーは続けた。
「正式加入するってことはバンド一丸で音を追及するってことだぜ?なのにおれたち3人だけで動いたってしょーがねーじゃねーか。それだったら今のままサポートで叩いてくれてるほーがよっぽどマシだって。ま、ドラム叩きたいだけでやってるっつーんならこっちからお断りだわな」
「ちょ、ちょっとイッコー」
 いくら何でもそれは言い過ぎじゃない。言っていることは正しいと思うけれど、もっと言い方があるのに。
「なんだよ青空、おめーだってそー思うだろ?本気でやりてーのかどーかまでおれが知ったこっちゃねーけど、甘過ぎんだよ千夜は。どんだけおれたちが『days』に賭けてやってんのかちっともわかってねー」
 止めようとする僕の手を振り払い、イッコーが荒々しく言う。千夜さんは何も言い返さずに煙草を灰皿に押し付け、感情が爆発するのを堪えているように見えた。
「楽でいーよなまったく。嫌んなりゃ抜ければいーだけなんだからよ。好きでいろんなとこでドラム叩いてんだろーけど、ずっとサポートばっかやってるほーが千夜にはお似合いだわ。怒りっぽいし、手も口も早いし、覚悟足りなさ過ぎるし」
 一気に喋って喉が乾いたのかジョッキの中身を全部飲み干し、ソファの背もたれに体を預ける。険悪な空気に呑まれ、僕はなだめる言葉の一つも浮かんで来なかった。
「ま、他のバンド当たってみれば?なあなあでもやりたいもんくらいできるっしょ」
 イッコーがそう言った瞬間、今まで黙っていた千夜さんが音を立てて立ち上がり、残っていたコーヒーカップの中身を無表情でイッコーの顔に浴びせ掛けた。
 あまりに突然のことで呆然となる。
「……貴様達を買い被り過ぎた私が馬鹿だった」
 俯いて怒りを押し殺した声を震わせると、千夜さんは自分の手荷物を引っ手繰り大股で店を出て行った。店内のお客が数人、何事かと僕達の方を眺めている。
「……なんかおれここんとこ、災難」
 冷めたコーヒーをかけられたイッコーが固まったまま冷めた顔で呟くと、ちょうど申し合わせたようにエビフライセットが運ばれて来た。


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