033.青春狂走曲
「え、と……次のライヴは再来週で――10月は二回やります。一つは今日と同じ面子で、その次は久し振りのイベントです。暇で時間のある人は来てくださいね」
「忙しくて時間のねー人も来てなー」
僕のMCにイッコーが継ぎ足すように言うと、場内は笑いに包まれた。真っ赤な顔で僕はMC用のマイクから離れる。視線が集中するのはどうも苦手。
今日のライヴは可も無く不可も無く。前半は良かったけれど後半の『バースデーケーキ』の間奏で調子に乗って強めにピックを握っていたらソロのフレーズで3弦を切ってしまい、雪崩れみたいに下降線を描いた。よく使う弦だから余計に。
どうも僕はアクシデントに弱い。ギターも一本しか持って来ていないしステージ中に弦を張り直す訳にもいかないので、リフを弾く時は同じ音階の出る別の弦のフレットを押さえて対処するしかない。
でも普段から指の動かし方を手に染み込ませているので、原理は解っていても咄嗟に上手く行くはずがなく、騙し騙し弾くしかなかった。けれど『days』にギターは一本なので、とても目立つ。と言っても演奏の中心はイッコーの聴かせる波打つベースなので、負担は少なかった。後で怒られるのは目に見えているけれどね。
次の曲で今日は最後。千夜さんが間を持たせるように後ろでドラムを叩くのを見ながら、僕も頭と手が一致するようにフレーズの弾き方を修正する。
「あー」
突然黄昏がマイクの前で喉を確かめるように声を上げ、場内の視線を引き付けた。僕も千夜さんも手を止め、場内が波が引いたように静かになる。
「俺、働いた事もバイトした事もないからよくわからないけど……金を稼ぐってとても大変な事だと思う。汗水流して嫌な思いを我慢して貯めた大切な金で俺達のチケットを買ってくれて、わざわざこうして足を運んでくれて――感謝してる」
あまりに唐突で予想外の内容のMCだったために、僕も含め周り全員呆然となる。けれどどこかから一人の拍手の音が聞こえると、あちこちからまばらだけど場内に小さな拍手が続いた。何だか少し胸が温かくなる。
「それだけ。じゃ、青空」
「う、うん……」
黄昏に振られたので、余韻に浸る間も無く僕はイントロのコードストロークを始めた。それだけで客席からは歓声が起こる。
いつも通りラストは『夜明けの鼓動』。ほぼ欠かさずライヴの最後で演奏しているので、曲の知名度も人気も高くここ1年ですっかり僕達『days』の代名詞となっていた。
単純なメロディとコード進行だけど、その分ライヴで演る度に好きに演奏できる。自由度が高いし、客席も確実に盛り上がるのでこの曲を弾く時が僕もステージで一番楽しい瞬間と言えた。
最後は余韻たっぷりにテンポを落とし、僕のストロークで終了。拍手と歓声の中ステージを眺め回すと、千夜さんは自分のパートが終わった所で早々に引き上げたのか姿が無かった。すぐに後を追い駆けたい気持ちを抑え、笑顔で客席に手を振り返す。
イッコーが大声を張り上げると同じようにレスポンスが返って来る。少しずつ間隔を短くし客席と繰り返し続け、イッコーが声に合わせ体全体でジェスチャーすると、「お〜〜〜」の大合唱が巻き起こる。昼間のバラエティ番組の司会者みたいに体を上下させると声も合わせて大きくなったり小さくなったり。
「おー!!」
最後に突き抜けるようにガッツポーズを繰り出すと、一斉にみんなも合わせ力強く叫んだ。そしてやんややんやの大歓声。イッコーは相変わらず客席の心を掴むのが上手い。
一人だけ冷めた顔で突っ立っていた黄昏を連れ、僕達は先に袖に引っ込んだ。イッコーも先に帰る僕等に気付くと慌てて退場する。
スタッフに労いの声をかけられていると、ステージ裏の短い階段を降りた所でイッコーが僕の肩に手を回して来た。後ろからいきなりで驚いてしまう。
「青空、へりくだり過ぎ。ステージん上いる時はもっと自信持ってねーとな」
「ご、ごめん……」
怒られてしまった。でもイッコーの言う通りだから反論できない。聴いて貰う努力は必要だと思うけれど、何も頭まで下げることはないのに。そもそも自分に自信があるからこそステージに立っている訳なんだから。
こんな風にステージから降りる度にライヴでの注意点をイッコーが指摘して来る。自分でも気付いている点を指摘されると少しうざったく感じるけれど、確実に糧になっている。
「んじゃー帰るかー。まーたマスターになんか言われんのやだし」
うんと大きくイッコーが背伸びし、楽屋を上がって行く。今日は4アーティストとの対バン、久し振りに最後だったのでかなり緊張した。でも終わった後の解放感と充実感は何物にも代え難いものがある。と言っても課題や反省も山のように残る。
「あれ、もういないんか?はえーなー」
楽屋に戻ると千夜さんの姿は無く、僕達の前に演奏していた二人がくつろいでいた。
「やー、おつかれー。横で観てたよー、よかったよかったよー」
と言っても楓さんなんだけど、その片割れって。
梅雨明け頃、僕のバイト先に楓さんが入っていた時に話をしていたら、興味を持たれトントン拍子に今日のライヴが組まれてしまった。なので他の出演者もフォークユニットやファンクバンドで、ロックバンドとばかり対バンしている僕達にとっては異色なライヴ。
客層も違っていたので不安だったけれど、僕達を観に来てくれた人も随分いたので思っていたよりも盛り上がってくれた。
「ああ、あの子―?荷物持ったらすぐ帰っちゃったけど。ね?」
楓さんがテーブルの反対でくつろいでいる癖のかかった黒髪の男の人に尋ねると、僕達に頷いた。この人は楓さんの相棒で、かつ幼馴染みで、恋人らしい。あまり僕は話した事は無いけれど、どこか独特な雰囲気を持っている。
「ったくあいつ、自分の出番終わるとすぐ帰んよなー」
イッコーがぶつぶつ言っているけれど、仕方無い。特に今回は例の件の後だから、余計に僕と顔を合わせたくないんだと思う。
今日のライヴの前に2回程練習を挟んだけれど、どちらも千夜さんはパッと来てパッと帰ってしまった。ほとんどその間は無口だったので、黄昏が怪訝に思い本人に訊いてみたほど。その時は毎度のように取っ組み合い手前まで行ったっけ。
「さてと。これから打ち上げがあるんだけど、キミたちも来る?」
背伸びをして席を立った楓さんが満面の笑顔で誘って来る。
「いや、いーっすわ。男3人でぱーっと飲み明かしたい気分なんで」
「そーなんだ、残念だなあ。ま、メンツもいつもと違うからしょーがないねー」
イッコーの発言に仰天している僕に気付かずに、楓さんは納得したのか一人ウンウンと頷いた。でも普段から僕達も対バンした相手との合同打ち上げは出ない方なので(僕と黄昏が苦手だから多数決で自然と)、有難かった。感謝の気持ちだけでも受け取っておきます。
「今日の感想とかはまたスタジオで会った時に聞かせてよ。んじゃ、私たち先に行くねー」
僕達に挨拶してから、二人は楽屋を出て行った。男の人の方が扉の前で僕とすれ違う時ににこやかに微笑みかけて来る。何だか鏡を見ているようで、不思議な感じがした。
「さてと、おれたちも楽器戻ってきたらさっさと退散しますかー。って、たそは?」
「あれ?」
楽屋の中を見回してみると姿が無い。一緒に入って来たと思ったのに。
一度外に出て廊下を眺め回してもいないので、中に戻って待機した。しばらくしてスタッフ二人が僕達の楽器を持って来てくれると同時に、黄昏もようやく戻って来た。
「どこに行ってたの?」
「トイレ行ったらマスターに会って、後でもらったジュース飲んでくつろいでた」
淡々と答えられ、僕は苦笑いしか出来なかった。黄昏はマスターに相当気に入られているから、いろいろ話をされたんだろう。
楽器の手入れを終え、椅子とテーブルの上を全部片付けてから楽屋を出る。
「律儀だよねー青空ちゃんは」
イッコーが茶化して来るけれど、自分達が使ったものはきちんと片付けておこうと思っているだけ。自宅だと辺り構わず散らかしたりする。でも定期的に掃除はするので、人並には綺麗な部屋だと思う。余計な物を一切置いていない黄昏の部屋には負けるかな?
「おつかれさま」
受付で退出の記入をしてパスを返すと、井上さんが笑顔で労ってくれた。マスターはいい人を雇ったと思う、本当に。
「見とれてんじゃねーぞこのー」
肘でイッコーに肋骨をぐりぐりされるけれど、力が強いので洒落になっていない。悲鳴を上げる僕を見て井上さんは面白おかしく笑っていた。
出口の階段を上がると、外はもうすっかり暗くなっていた。ラバーズのレストランから出て来た男性客に労いの言葉をかけられ、イッコーが親指を立てて返事をする。どうやら顔見知りらしい。黄昏は僕の後ろで大きなあくびをし、眠そうに目を擦っていた。
「あのさ」
「あん?」
「出待ちっていないんだね」
人の行き交うラバーズ前の通りを眺めながらイッコーに言ってみた。
「まーな。そう簡単には」
あっさりと返されてしまった。期待していた訳じゃないけれど、何だか悲しい。
「『staygold』の時に一回ブチ切れしたことあってな」
イッコーが僕の横に並び、街並を眺め小声で言った。
「そん時以来あんまおれん周りにゃそーゆーん来ねーなー。ま、昔のおれを知らない客はたまーに話しかけてくっけど。第一ここって地上にレストランあるっしょ?だから出待ちで固まってたらジャマんなるからすぐスタッフが追い払うよーになってんだわ」
「なるほど」
解り易い説明ありがとうございます。
「おれ、出待ちって嫌いなんだよなー。好きなミュージシャンのやつと仲良くなりますーん♪ってオーラがプンプンしてんだろ?特に女」
何か嫌な思い出でもあるのか、珍しくイッコーが苦い顔を見せている。
「それにたそもすげー近寄りにくい雰囲気あるっしょ。今日の最後いっこ前のMCみたく時たま無防備になる時あっけどよ」
「何か言ったか?」
「うんや、なんにも」
半分瞼を閉じていた黄昏が話に入って来たけれど、イッコーははぐらかし舌を出した。
「まーいーんじゃねー?一応言っとくけど、おねーちゃんと突き合いたいんならファン食うってのが手っ取り早いぜ」
「いや、そう言うのは……」
別に女の人と仲良くなりたくて音楽やっている訳でもないので僕はいいです。それに今のイッコーの台詞、途中どこか意味合いが違っている気がする。
昔から下ネタは苦手なので振られると困ってしまう。イッコーは男子校で相当鍛えられているのか、不意に投げつけて来ては黄昏に無視され僕を赤くさせ千夜さんに殴られる。
千夜さんがバンドにいるおかげか、目の前で喧嘩が起こってもすぐさま対処できるようになって来てしまった。小学校の時はガキ大将だったけれど、小心者な自分の裏返しでしかなかったから。それに先頭切って喧嘩するタイプじゃ無く、まとめ役の方だったから。
「ま、今日はパーっと行きますか。明日創立記念日でガッコ休みなん」
だからか。
「ねえ、本当に飲み明かすつもり?」
僕も基本的にライヴの翌日はシフトをずらして貰い変則的に休みを取るようにしているので問題は無いけれど、イッコーに付き合うと大丈夫じゃなくなる。
「もち。前は途中で二人とも寝ちまったかんな。リベンジっつーことで」
言っている意味がよく解りません。
夏、ライヴが終わった後に一度黄昏の家で3人で打ち上げをしたことがあり、その時は大量にお酒を買い込み全員ベロンベロンになるまで飲み明かした。
黄昏の家は防音と言うこともあり真夜中でもどんちゃん騒ぎで、イッコーが無理矢理僕達に飲ませるものだから途中で意識が途絶えてしまった。翌日3人共この世の地獄とも思える二日酔いになったのは言うまでもない。僕は次の日までお酒が抜けなかった。
「イッコーの家でいいじゃないか。すっかり腹減ったから腹一杯料理食いたいし」
黄昏が言うように、ラバーズでライヴをした後はいつもならイッコーの家に直行してご飯を頂きながらミーティングっぽいことを行い、終わると一旦お開きする。勿論その場に千夜さんはいない。その後僕は大体そのまま黄昏の家に泊まる。
しかし僕等の願いを、イッコーは首を大きく左右に振り打ち砕いた。
「どーせタダ飯食らいだろ。毎回おごってやってんだから今日ぐれーおれの言うこと聞け」
「勘弁してくれ……」
「なーに言ってんだ、せっかく酒に強くしてやろーってのに。ありがたく思えい」
げんなりした顔で呟く黄昏の丸まった背中を、イッコーが強く叩きながら笑い飛ばす。
「ちっともありがたくない……」
黄昏のSOSもイッコーの笑い声に掻き消され、僕達は顔を見合わせ項垂れた。
楽器は黄昏の家でも弾くので、イッコーは家に荷物を置きに戻らずに僕達と一緒に移動する。方角は一緒。
夜の水海はネオンや街灯が多いせいか、危険な匂いはほとんどしない。風俗の固まる場所と繁華街が区分けされているので呼び込みも少なく、気分良く歩ける。大きな警察署も近場にあるおかげで、地下街はかなり安全なのでこの時間でも道行く女性の姿は多い。
帰り道のお酒が置いてあるコンビニに寄り、大量にチューハイや発泡酒を購入する。未成年でも外見のいかついイッコーがレジに行けば全然大丈夫なので、その点はとても楽。ご飯は黄昏の家に昨日買ったばかりの食材があるからそれで適当に料理することに決めた。
「相変わらずこえ〜な〜、このビル」
マンションの前まで来るとイッコーは隣の暗闇にそびえ立つ廃ビルを見上げ呟いた。でも猫の棲家になっているから、蔦の巻き付いた外観ほど怖い場所ではない。
入口のガラス扉を開けようと先を行く黄昏を呼び止め、玄関横のポストの中を確かめさせる。黄昏は一人だと全然見ないので、こうして僕が一緒にいる時は必ず調べるようにさせていた。本人は重要な封筒なんて来ないと言い張っている。
数日前に確認したばかりだからか、入っていたのはピンクチラシのみ。黄昏の視線が痛い。溜め息をついてから、近くの黒いゴミ箱にそれらを容赦無く捨てた。
「あーそーか、ここしばらく来てなかったよなー」
エレベータの中でイッコーは移り行く階のライト表示を見上げながら呟く。
僕と黄昏がイッコーの店に食べに行くことも多いけれど、イッコーが黄昏の家に遊びに来ることもある。新曲を組み上げて行く時にイッコーにも手伝って貰うので、その時は自然と黄昏の家が溜まり場になっていた。でも最近は中々新曲が生まれないので、イッコーも訪れていなかったみたい。
「そう言えばイッコー、ベースの音変えた?」
曲のことを考えていると先程のライヴで気になった所を思い出したので、尋ねてみた。
「おー、ちゃんと聞いてんじゃねーか。変えたぜ。いつもより甘くしてみた」
返事と同時に最上階に到着して、扉が開いた。黄昏を先頭にして後をついて行く。
「ライヴの客層も考えてな。ま、どれが最良ってのはねーから毎回毎回試してみるしかねーけどなー。つっても青空はまだあんまりいじくらねーほーがいーぜ。音色変えただけで結構ボロボロになるかんなー最初の頃は」
「もうそんなに下手じゃないよ、僕」
1年も根詰めてやっていれば、技量はかなり身に付いているはず。
「あー、まだまだ甘めーなーおめーは」
しかし僕の考えを読み取ったのか、イッコーはだるそうに肩を竦めてみせた。
「ちょっとばかし上手くなって天狗になってる時が一番ダメなんよ。本人はいいっつっても横から見るとまだまだ足んなかったりするんだわこれがまた」
う、まさしくその通りかも。
初めてのステージに比べると自分では随分上達していると思いたくても、周りと比べるとまだまだ甘さが目立つのかも知れない。ライヴで何度か音源を録ったことがあるけれど、怖くてそのテープは封印してある。ギターを始めた当初に一度自分の演奏を録音して聴いてみた時に、想像していたものとは天地の差でどん底に叩き落された苦い記憶があるから。
「おめーまだどっしり構えてられねーだろ、ライヴで」
「うん」
「そんじゃダメだわ。客席の隅から隅まで見える余裕がねーとよ」
「でも俺、唄ってる時客の顔見てないぞ」
家の扉に鍵を挿し込みながら黄昏が口を挟んで来た。
「……ま、たその場合はそんだけ集中してるってことだろ。いーんじゃねー?」
少し引きつった顔でイッコーが同意を求めて来たので、僕も同じ顔で頷いた。
堂々と客席に向かい、声を張り上げ黄昏は唄っている。、その目に映っているのは一人一人の顔じゃ無く、『唄を聴いてくれる相手』と言う一塊なんだろう。それだけ歌を唄うことだけにエネルギーを使っているのは横にいる僕等が一番良く解っている。
でも、以前に比べ内向的に唄うことが少なくなっているのは良い傾向に思えた。
「お邪魔しまーす」
「じゃまするぜー」
「寝る邪魔だけはするな」
黄昏の後に続き玄関で靴を脱ぎ、上がらせて貰う。電気のついた家の中は相変わらず殺風景で、余計な物は何一つ散らばっていなかった。
「俺シャワー浴びるから、何か食い物作っててくれ」
一言残して黄昏は早速脱衣所へ向かう。勝手だけどお世話になる身だし黄昏も料理は得意でもないので、僕達も楽器を黄昏の部屋に置くと早速準備に取りかかった。
「エロ本ってねーのかなー」
イッコーがベッドの下を覗いたりして部屋の中を捜索し始める。
「ないよー。そう言うのにはお金使いたくないんだって。自分のお金じゃないから」
「はー、変なとこにこだわるよなあいつ」
感心しているのか呆れているのか大きな息を吐き、台所に戻って来た。
僕がカルボナーラの準備をてきぱきと済ませると、イッコーが調理台に立つ。
「唐揚と野菜のあんかけでいーよなー?」
「うん、お願い」
中華料理屋の息子はこれだから頼りになる。
ご飯は冷やして保存したのがあるので電子レンジでサッと温める。その間に僕は黄昏の部屋に入って借りていたノートを本棚に戻し、昨日から置きっ放しにしている自分の着替えの入った鞄をそばに持って来た。ふとこの前の千夜さんの普段着姿が目の前をよぎる。
五分もしない内に黄昏がバスタオルを腰に巻き戻って来る。長風呂は嫌いみたい。次に僕も着替えを用意して脱衣所に向かった。カルボナーラの仕上げはイッコーに任せる。
風呂桶にお湯を貯めゆっくりお湯に浸かりたいけれど、僕も手早く済ませた。
「んな風呂場で着替えなくても素っ裸で歩きゃーいーじゃねーか」
新しい着替えに身を包み戻って来た僕にイッコーが笑い飛ばして来る。そんな勇気は僕にはありません。
料理が全部出来上がると黄昏の部屋に全部持って行く。台所に食事用のテーブルはあるけれど、床に座ってざっくばらんに話しながら食べる方が男らしくていい。
「うまいうまい」
黄昏は一人味を堪能している。食事に夢中で話しても話しても無視されるイッコーが不憫なので、僕は聞き役に徹しながら中まで火の通った唐揚を口に頬張った。
食事が終わるとお酒を飲みながら今日のライヴの良い点悪い点を意見し合う。でも黄昏はお腹が膨れすっかり眠くなったのか、夢見うつつでベッドの上に寝転がっていた。
「寝るんじゃねえ〜」
「疲れてるんだ、寝させてくれ〜」
イッコーにずるずる引きずられて床に下ろされる。渋々黄昏は毛布を引っ張って来て話に参加した。打ち上げの時はいつもこんな調子。
お酒が入って来ると、だんだんバンドや音楽の話も少なくなり雑談に突入していく。ピークになると即興で楽器を掻き毟ったり暴れたりして訳が分からなくなる。
僕が3本目のチューハイを開けていると、イッコーがとんでもないことを訊いてきた。
「青空おめー、千夜のことどー思ってるん?」
「ぶ」
缶を口につけたまま固まってしまう。吹き出しそうになるのを堪え一気に喉に流し込むと、アルコールが回り頭がぐらんぐらんした。
「なっなっなんでいきなり!?それも僕に」
「だってたそに訊いても答え見え見えじゃねーか。なあ」
「大嫌い」
黄昏はお酒を飲む手を止めきっぱりと言い放った。そしてまた飲み始める。
「そんなことを言われても、バンドの一員としか思ってないし……」
話しながら自分でもそうだと思う。けれどそれ以外の感情が生まれているようないないような、変な感覚がこの前千夜さんと駅で話した時からずっと胸の奥に付き纏っていた。
でも千夜さんが女の人だからそう思うだけだろう。と勝手に決め付けている。
しかし二人は怪しいと思っているのか、僕の顔をジト目で見ている。
誤解を解く為にも、恥ずかしいけれど打ち明けることにした。
「だっ第一まだ、僕女の人と付き合ったこと、ないし……」
――しばし、痛いほどの沈黙が走った。そして爆笑が巻き起こる。嗚呼。
昔は女の子と一緒に遊んだことはあっても、思春期に入って性を意識し出すようになってからは全く遠ざかってしまった。好奇心よりも恥ずかしさの方が先に出ていたから。
「こっ、告白されたことはあるよ、2,3回。断ったり、うやむやの内に消えちゃったりしたけどね」
「まーたまたそんなー、ウソつかなくてもいーって」
恥ずかしさをを誤魔化すように言ってみても、軽くあしらわれ信用して貰えない。
でも口から出任せではなく本当に、小学校の時に一度、中学にも一度告白されたことはある。それぞれ恥ずかしさに耐えられなかったり、知らない人だった為に断った。
高3の時にも一度、どう見ても僕に気のある子もいたものの、自分の存在に疑問を感じ家に閉じ篭ってしまった時期を挟んだ為か、恋愛まで発展する内に卒業してしまった。
そんな訳で、女の人とは手を繋いで歩いたこともキスをしたこともない。
「青空」
僕の両肩に手を置き、いつになく真剣な顔でイッコーがこちらを見て来る。
「おめー、童貞だろ?」
「は?」
あまりのことで思考回路が停止してしまった。
「だから女とセックスしたことないだろって言ってんの」
物凄い剣幕で詰め寄られ、壁まで後ずさりしてしまう。
どうやら逃げられそうにもないので、僕は観念して正直に言った。
「うん、ない……けど……」
大爆笑。
「ちょちょちょっと、どーしてそこまで笑われなけりゃいけないのっ」
さすがに部屋を揺るがすほど笑われると、悔しい。
「いやいやいやいや、ずーっとおめーオクテな気がしてたんだわ」
耳まで真っ赤になっている僕の肩に手を置き、イッコーが愉快そうに言った。完全に子供扱いされていて、腹立たしい。
「黄昏も一緒になって笑ってるけど、どーなの!」
僕ばかり攻撃されるのは理不尽な気がしたので大声で振ってみる。
「俺?俺は――ある」
すると冷めた顔ではっきりと答えた。頭の上に重石が落ちて来る。
「イッコーは?」
「もち」
自身満々で即答。
何だか一人のけ者にされている気分(泣)。
こうなったらヤケ酒で一気呑みする。
「だーいじょーぶだって!!千夜だってどーせ処女に決まってんだから!」
ばふーっ!!
「うわ、青空、何するんだっ!!」
「げほごほがほごほげほ」
思いっ切りジントニックが肺に入った。吹き出した物がフローリングの床に飛び散り、慌ててイッコーがぞうきんを持って来る。まさに踏んだり蹴ったり。
「い、今の、どう言う意味……?」
呼吸が大分落ち着いてから、イッコーに改めて訊いてみる。
そんなこと考えたこともなかった。確かに千夜さんは男っ気ゼロ、と言うか本人が男みたいなものだから言っていることも間違い無い気がする。
「ん?そのままのとーりじゃねーか。これで2対2、バンドで半々だろ?あ、さては、もしかしておめー……」
何かに気付いた顔をして、イッコーがにたり顔で僕を眺めて来た。
嫌な予感が全身を駆け巡る。
「千夜としたいって思ってんじゃねーだろーなー!!」
「うああ――――っ!!!!!違う違う違う違う――っ!!」
ビシッと指を差され慌てて僕は絶叫で全否定した。それでもイッコーは僕を無視し楽しそうにお酒を片手に踊っている。
「青空……おまえ、変わり者好き?」
「あああ、だから違うってば黄昏―っ」
床で寝添べっている黄昏に言うけれど、全く意に介さない。懸命に誤解を解こうと話している自分が何だか泣けて来た。
「まあ、俺は何も言わない。頑張れ。そして俺に突っかかって来ないように調教してくれ」
「ちょ、調教って……!」
黄昏の口から信じられない言葉が飛び出して来て、固まってしまう。頭の中に千夜さんの淫らに何かをされている姿が浮かび、全身が沸騰してしまった。
「あー、青空また、やらしーこと考えてんだろー!ホント好き者だなーおめーも」
「だーかーら――!!違うってばー!!」
もう図星だろうが何だろうがとにかく喚き散らす僕。
「イッコー、二人がくっついた時にはお祝いしよう」
「いやそれより先に童貞喪失記念でまず一回」
「尻の穴が先だった場合は?」
「もちスペサルパーテー。青空が処女喪失でも可」
「そこっ!!何二人でひそひそ話してるのっ!」
部屋の一角で何かとんでもない話が進行している。
「青空っ!!」
「はっ、はい」
イッコーに大声で名前を呼ばれ、思わず背筋を伸ばしてしまった。
「言っとくけど、女は魔物だぞー。それは千夜とて例外ではない」
「だからそこでどーして千夜さんの話が出て来るのっ」
「聞け!!」
「はいっ」
本気で怒られたのでしゅんとなる。どうやらかなりお酒が回っているみたい。
「甘い言葉に誘われてついて行ったらなー、そこには地獄が待ってんだ」
「そんな事絶対言わないぞ千夜は」
黄昏が後から突っ込みを入れて来る。どうやらこちらもできあがっているみたい。
「ま、いーから聞け。そこに直れ。これからじっくりとイッコー様のあ、血みどろの恋愛話をしてあげよーじゃーございませんかー」
「タイトルだけだと聞きたくない話だな」
「うん」
「ええーい千夜を落とすためだろーが!ちゃんと聞きやがれー!!」
「だから千夜さんは関係ないって言ってるでしょー!」
僕の叫びを無視してイッコーは恋愛話の導入部を語り始めた。もう完全に酔っ払っていて手がつけられない。仕方無いので僕達二人床に正座し、ベッドの上で身振り手振りを加え流暢に語るイッコーの話を長々と聞く。
そんなこんなで狂乱の夜は更けて行くのであった。