→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第2巻

   037.ダブルクロスカウンター

 千夜さんの黒眼鏡が宙を飛び、音を立てフローリングの床に転がった。
 でも、殴った方の黄昏も床に尻餅をついていた。動きを止めたままの千夜さんを激しく睨んでいる。
 黄昏の右と千夜さんの左がお互いの顔を捉えたのはほぼ同時。
 クロスカウンターのような形で、殴られた二人の頬は赤くなっていた。
 僕とイッコーが止める間も無い、一瞬の出来事。唖然としている僕の横で、イッコーが二人を見て軽く口笛を鳴らした。まるでドラマの1シーンを見るような感じで、綺麗に相手の顔面に拳が入ったから。
「黄昏、駄目だってば!」
 立ち尽くしていると黄昏が千夜さんに飛び掛ろうとしたので、僕は慌てて後ろから覆い被さるように体を掴んだ。肩から掛けている自分のギターが邪魔になるけれど下ろしている暇なんて無い。黄昏は僕より頭半分背が低いし力も無いので取り押さえられる。イッコーに頼むとすぐやって来て、抑えるのに協力してくれた。
「離せっ、こらっ」
 血の気の収まらない黄昏を無視し、千夜さんは自分の眼鏡を拾いに行った。淡々黙々と壊れていないかどうか確認している。そして大丈夫だったのか眼鏡をかけると、こちらも見ずにドラムの場所へ普通に戻って行った。
「……黄昏?」
 落ち着きを取り戻したので手を離すと、大股でスタジオから出て行く。慌てて後を追い駆け扉の前で捕まえると、肩に置いた僕の手を振り払い吐き捨てるように言った。
「帰る。付き合ってられるか」
 扉を開け外に出て、休憩室にかけてあったグレーのコートを白いYシャツの上に羽織るとスタジオを振り返りもせず階段を上がって行く。僕も二人を残し1階に上がると、黄昏はすでに外へ出ていた。何事かとパソコンで仕事中の叔父さんが僕の顔を見ているけれど、構っている暇は無いので急いで後を追う。
「待ってよ黄昏」
 駅への夕焼け道を歩くその背中に追いつくと、黄昏は鋭い目で僕に振り返った。
「やりたくもない相手と練習なんてできるか」
 怒った口調でそれだけ言うと、僕を置いて先を行く。引き止めても良かったけれど、黄昏を連れて戻った所でまともに練習になる訳が無いと思ったので、僕は背を向けスタジオに戻った。振り返ると未練が残るので、一目散に。
 前までならここで黄昏の後について一緒に帰るはずなんだろうけれど、この前二人で言い合ったことが頭に残っているのか、黄昏を一人置いてしまった。悪いとは思っても、大切な練習時間を無駄にする訳にはいかない。
 僕の中で『days』を想う気持ちは日に日に大きくなっているから。
 黄昏がいなくても、音は合わせられる。僕は絶対的なキャリアが少ないので、やはりどうしても一つでも多く経験を積んでおきたい。今はとても重要な時期だと思うので、これ以上いざこざでバンドの仲を悪くさせるのも嫌だからこうしたけれど、正しいのかな?
 それはもう、次のライヴで答えを出すしか他にない。
 意気込みスタジオの地下に戻ると、休憩室で千夜さんが髪を後ろで結わえた女性スタッフに手当てをして貰っていた。彼女が慣れた手付きなのは、結構スタジオ内で喧嘩があったりするから。多分後で、僕も叔父さんに怒られるんだろうなあ。
「大丈夫?」
「何ともない。でも、グーで殴られたのは初めて」
 千夜さんに声をかけると淡々と返された。確かに、女の人を拳で殴る人は初めて見た。多分『男も女も関係ないから』って黄昏は言うだろう。
 先に部屋に戻ると、ベースを弾いていたイッコーがピックを止め僕の方を見た。
「たそは?」
「帰っちゃった。でも仕方無いよ。引き止めるよりはその方が安全だと思うし」
「まったく」
 僕の意見にイッコーも大きく頷いている。
「でも千夜と喧嘩するやつはしょっちゅう見てっけど、本気で殴り返すのは見んの初めて」
 感心したように言い、椅子の上に置いていたミネラルウォーターに口をつけた。それだけ黄昏に度胸があると言うか、容赦が無いと言うか。
「せっかく来てくれたのに……上手く行くと思ったんだけど」
 前みたいに解散するしないまで行くことなく話もまとまり、今日の練習には約束通りちゃんと来てくれたのに、千夜さんと鉢合わせになるや否や向こうが激怒していきなり一触即発の雰囲気になるし、その場は何とか収まって練習を始めても事ある毎に二人で言い合いになるし、終いには口を出して来る千夜さんに黄昏が、
「それならおまえが唄ってみせろ!!」
と怒鳴りつけた。すると千夜さんがスティックを置き、無言で目の前まで歩いて行くと、同じタイミングで両方が手を出したと言う訳。
 しかし今月のライヴ2本と今日の練習で、随分損をした。このままだと本当にバンドの成長が止まってしまう可能性も出て来る。まだ1年と少しだから周りと比べてみれば大差無いかも知れないけれど、そんなの気にせず天井知らずで行きたい。
 特に今日は久々に書けた新曲を合わせる予定だったのに、こんなことになるなんて。
「これでホントにたそが抜けるってこたーねーだろーなー」
 ドキリとするようなことをイッコーが言って来る。
 元々二人は犬猿の仲だったし、その仲の悪さが逆に緊張感になって演奏にいい影響を与えていたけれど、ここまで悪くなるとバンド崩壊の危機になって来る。
「ない、と思うけど……後で電話かけてみるよ。次の休みにもう練習入れちゃってるから、直接会って説得している時間がないもの」
 後で家に会いに行った所で門前払いを食らうのは目に見えている。
「あー、まーおれがガッコー終わった後に行ってもいーけどな。おめーにばかし任せんのもわりーと思うし。しんどいだろ?」
「まあね……じゃあ、お願いするよ」
 白い歯を見せ笑って胸を叩くイッコーが頼もしく見える。この1年以上の間でイッコーと僕達二人の仲も大分親密になったので、任せてみるのもいい。
 でもバンド内も1年前とは随分変わり、黄昏と千夜さんが秤にかけられなくなるほど二人共『days』に欠かせない人間になってしまった。特に千夜さんには曲作りもアレンジもサポートして貰うようになったので。
 正式加入したことはイッコーにも話しているものの、共同で曲創りしているのは秘密にしている。単なる対抗心からだけど、イッコーを驚かせるような曲を持って行きたい。
 黄昏は横槍を入れて来るようになった千夜さんに噛み付いてばかりで、単に気が変わったんだとしか思っていないみたい。本人がうざったく感じているのは変わりない。
「あ、お帰り」
 左の頬骨辺りにガーゼを貼った千夜さんがスタジオの中に戻って来た。けれど僕達には一瞥もくれずに無言でドラムの前に座り、腕の振りを確かめる。
「どうしよう?テープで黄昏のヴォーカルと合わせようか?」
「必要無い。楽器の音合わせだけで十分」
 僕が二人に訊くと、間髪入れず千夜さんが言い切った。確かにそれでもいいけれど。
「ねえイッコー、代わりに唄ってくれる?」
「えーっ、やだぜ、おれ」
 普通に頼んだつもりだったのに、イッコーはあからさまに嫌な顔をして断った。
 最近はずっと黄昏が練習に出ていたので忘れていた。そう言えばイッコーはなるべく唄いたくないと前々から言っていたっけ。
「でもどうして、そんなに唄いたくないの?前から言ってるけれど」
 ついうっかり、前々から抱いていた疑問を口に出してしまった。自分から言わないのは=(イコール)訊かれたくないことのはずなのに、どうして僕の口はこんなに軽い?
 言ってしまってから後悔する、毎回その繰り返し。ちっとも成長していない。
 俯いて反省している僕に、イッコーは大きく溜め息をついた。
「深い理由はねーけどな。自分の声が気にいらねーっつーかさ。ま、よくある話。それに、おめーの歌詞はおれん肌に合わないんよ」
 衝撃の告白に、どん底まで叩き落された気分になった。
 同じバンドのメンバーにそんなこと言われたら、もうどうしようもない。
 深く落ち込んでいる僕のそばに寄って来て、イッコーは背中を強く叩いてきた。
「違げー、違げーって。そーゆー意味じゃねーんだ、すげーいいと思うんだけど……何つったらいーん、あれだ、つまり恥ずいんよ。おれみてーなキャラが唄う歌詞じゃねーっつーかさ……そもそもたそが唄うのを前提に書いてんだろ、おめー?」
「……うん」
 素直に頷いた。今まで話していなくても、メンバーだから解るんだろう。
 僕はずっと、歌詞に自分の気持ちや心情風景を書き綴って来た。でも僕と黄昏は持っているものがとても近いので、被るものをなるべく選んでいるつもり。その方が黄昏も唄い易いと思うし、歌に気持ちが乗ると思っているから。
 僕の歌詞で、黄昏が楽になってくれれば。
 そんな想いを抱えながら書いているのは今も昔も変わり無い。イッコーが伝わり難いと思った部分を横から口出しして来ることはあるけれど、そう言う理由なら全然許せる。
 てっきり見限られているのかと思ってしまったから、凄く安心した。
「それなら、僕がイッコー向けの歌詞を書いたら唄ってくれる?」
「無理無理、人間違うんだしよ、やるなら自分で書いたほーが100倍マシだっての」
 冗談半分で言ったらあっさり返されてしまった。
「たそが唄わねーと意味ねーと思うし、マジな話。それにたそのヴォーカルだけ入ってるテープも前ん録ったけど、面白くないのな。やっぱ生声じゃねーとこっちも気分のらねー」
 イッコーの言うことも良く解る。だから曲数は随分揃っていても、僕達はまだ一度もきっちりとレコーディングしたことはない。
「やっぱり僕が唄うしかないか……あんまり期待しないでね」
「最初から期待していない」
 千夜さんの突っ込みが飛んで来て、先を越されたイッコーが目を丸くしていた。
 2時間の練習で最初の30分は台無しにしてしまったけれど、気を取り直し次回の、この前延期になったライヴで演奏する予定の曲を頭から合わせてみることにした。
 しかし黄昏のいない穴は大きく、今一つのまま2曲を終えた。
「千夜さん、大丈夫?」
 インターバルの間に訊いてみる。今日入って来た時の出だしは良かったのに、殴られた影響なのかノリが今一つになってしまっていた。千夜さんは正確なドラムを叩く反面、気分や感情で出来不出来の差がかなり激しいので、そばで聴いているだけですぐ解る。
「問題無い。それよりイッコー、音が変」
 頭を横に振り、千夜さんは駄目出しをした。言われたイッコーは自分を指差していたけれど、僕達の視線に気付くと今は黒色に染めている頭を大きく掻いた。
 音が違うのには僕も気付いていた。さほど問題じゃないと思っていたのに。
「そっか?いいと思ったんだけどな……しゃーない、変えてみっか」
 つまらなさそうに呟くと、エフェクターの音色を調節してみる。
「それも変」
 試しにフレーズを弾いてみるイッコーに、千夜さんがまたも冷たく言い放つ。
「うっせーなあ、やってみなきゃわかんねーだろ」
 少し怒った口調で返し、次の曲のイントロを弾き始めた。ちょっと変に聴こえたけれど、僕も弾きながら唄うので構っている余裕はない。
 頭から最後まで通しで演奏してみるものの――駄目。
「言った通り」
 そっぽを向き呟く千夜さんを、悔しそうな顔でイッコーが見ている。僕も普段からベースの音でリズムを取っているので、音が変わるとどうもしっくりと来ない。
「まあまあ、気を落とさずに次の曲行こうよ」
 僕がなだめると、地団駄を止め音を調節し直した。でも今度もいつもと違う音。ドラムの向こうから強烈なプレッシャーが襲って来るのを構わず、僕はカウントを取った。
 今度は音もなかなか合っている。この調子なら何とかなると思ったら、今度はかなりチョッパー(ピックを跳ねさせる奏法)を多用し始めた。でも僕が持っているその曲の雰囲気にそぐわず、持ち味を殺しているように思えた。
 一番と二番でアクセントのつける場所を変えてみたりしたものの、結局上手く行かないまま終了。今のは本人も判っているのか、流れる汗も吹かずにしかめ面をしていた。
「考え過ぎ」
「かーっ!!入ってきたばっかのおめーにだけは言われたくねー!!」
 さすがに二度目はトサカに来たのか、イッコーは唾を飛ばし怒鳴り散らした。正式加入してからこうして毎曲終わるといろいろ指摘してくれるようになった反面、その分口喧嘩も多くなった。正しいことを言っているから余計に腹が立つんだと思う。
 僕は駄目過ぎるせいか、ほとんど指摘してくれないのが悲しい。
「いろいろ試すのはいいけれど、度をわきまえれば?」
「ぐぬ……!!」
 怒鳴り返してくれれば楽だったのに淡々と返され、イッコーは怒りを内に閉じ込める他無かった。でもこうして容赦無く次々言って来るのなら、他のメンバーが怒り出し千夜さんをバンドから外したくなるのも正直解る。理想が高いのはいいけれど、周りの人間にそれを押し付けると嫌われるのは仕方無い。
「まあまあ、イッコーだって曲を良くしようと思ってやっているんだから、穏便に、ね?」
 僕が間に割ってなだめようとすると、千夜さんが腰を上げ怒鳴りつけて来た。
「貴様がそんな考えだから駄目なんだと何故判らない。バンドの舵を取っているのならもっと真剣にやれ。でないと本当にいいものは出来ない」
 言いたいことを言ってまた椅子に座る。場の雰囲気を和ませようとしたつもりが逆に僕が落ち込んでしまった。
 馴れ合いでやっているつもりはなくても、なるべくなら仲良く行こうと思っているのは当たっている。僕自身怒るのは嫌いだし相手にも嫌な思いをさせたくないのもあるけれど、音楽に関してはずっと余裕が無く、周りに構っている暇が無かった。
 しかし今は僕も成長したのか、他人の演奏の良し悪しも判断出来るようになって来た。でもそれを口にするのはどうかとためらわれるし、その甘さが結果的にバンドの停滞に繋がったのかも知れない。いや、間違い無くそうだろう。
 僕ももう少し、貪欲になっていいと自分で思う。
「イッコーも何も躍起になることないよ。時間はたっぷりあるんだから」
「わーったよ」
 渋々手を上げ返事をしてくれる。千夜さんは何か言いたげだったけれど、小さく溜め息をつき指を鳴らした。
「このまま続けていても埒が開かない。青空、新曲を合わせるから」
 千夜さんに主導権を取られ、僕は頷くしか出来なかった。イッコーも自分を納得させベースを構え直す。ドラムのカウントと共に、一斉に音を出した。
 『ciggerate(シガーレット)』は初めて千夜さんと共同で形にした曲。何度も没を食らいながら、この一月近くで何とか一曲形にし、ようやく全員にOKを貰った。
 新曲を合わせる時はまず最初に僕が骨格だけのギターの伴奏をテープに録音しておいて、それを3人に渡す。そして思い思いに自分のパートをつけて貰い、スタジオに入って全員で頭から合わせる。それまでに大体千夜さん以外の3人で黄昏の家に集まったりして思考錯誤しているので、そこで半分以上完成していると言っていい。
 スタジオで鳴らしてみて、後は細部をバンドで成り立たせるように修正。千夜さんのドラムパートはいつも隙が無いので文句もほとんど出ずに通る。イッコーのベースを修正すると多少変更するくらい。
 でもここの所のごたごたで、この曲は前もってほとんど黄昏やイッコーと合わせられなかった。そのために僕と千夜さんの二人で作った感触が強い。
 歌詞もまだ半分近くしか完成していないので、即興で適当な言葉を並べ立ててみたり言葉にすらならない擬音で唄ってみたりする。でも黄昏の意見も入っていないので原曲のままで、半信半疑のまま音を合わせている。そのせいか手応えは最悪に近く、終わると同時にガックリ肩を落としてしまった。
「駄目だあ……」
 原曲は良くても、まともに演奏出来ていない。黄昏がいない時に合わせるのにはさすがに無理があると痛感した。
「今日は音を決めるだけでいい」
 千夜さんも同じ気持ちなのか、呆れた口調で感想を言う。エフェクターの音色もばらばらで完成系には程遠かったので、せめて曲のバックだけでも固めることにしよう。
「ふーむ……」
 気付くと、顎に親指を当てイッコーが何か考え込んでいる。
「なあ、青空」
「なっ何?やっぱり没にする?」
 面と向かって呼ばれ自信無く訊き返すと、イッコーは肩を竦めた。
「違げーって。おめーずいぶん変わった曲書いたなーって。テープ貰った時からうすうす思ってたけど、こーして曲合わせしてみっとやっぱ手応えが違うなって思ったんだわ」
 鋭い。
 横目で千夜さんの方を見てみると、黙々とフレーズの反復練習をしていた。
「だ、駄目?」 
「いいか悪りーかはたその声が入ってみねーとわかんねーとこあるけどな。いーんじゃねー?こーゆー曲があっても全然いけると思うわ、おれは」
 イッコーのその言葉が聴け、腰から砕けるほどほっとした。千夜さんがスタジオで練習する日に合わせ曲を録り溜めしては没を貰い、こうして集まる日にも男二人の隙を見てはテープを渡し、後で電話で駄目出しを頂く日々の成果があったと言うもの。
「頑張ったからね……」
 曲の感触は違うと行っても、メロディは全て自分で考えた。千夜さんは展開とコード進行に口を出している。そのせいか、僕が書く『カシス・ソーダ』みたいなものとは一味違った鋭角的なナンバーが出来上がった。と言ってもテンポはそれほど早くもない。
 心底安堵した顔を見せる僕に、イッコーが笑ってみせた。
「おめーが曲書けなくなってきてんのわかってたから、よけーにな。考えたってのがわかるぜ。なー、千夜もいーと思うだろ?」
 わわわ、千夜さんに振らないで。
 僕達の共作なのには気付いていないと思うけれど、感想を言われるのが怖い。
 早打つ心臓で待っていると、溜め息の後にしれっと千夜さんが言った。
「まだまだ甘過ぎると思うけれど」
「かー、相っ変わらず厳しーなーおめーも」
 完全に駄目って言われるよりはマシな評価を貰え、一安心。それ以上に千夜さんが両手を上げ大喜びする姿なんて想像もつかない。
「んじゃ、頭から一つずつ合わせて言ってみますかー」
 先程まで怒っていたのが嘘みたいに気持ちのいい笑顔でイッコーが言って来る。この素早い気持ちの切り替えようがイッコーの一番の良さだと思う。
 しかし――。
「本気でやる気あるのか貴様?」
「でーっ、うるせー!!んじゃあてめーが合わせろよ!!」
 各小節を合わせる度に千夜さんの駄目出しに一々イッコーが激怒し、話にならない。
 この曲に合うベースの音色を模索し、違う違うと言われ続けている。助け船を出そうにも僕自身この曲の完成形が見えないので、どうしようもない。自分一人で作ったのだったらおぼろげな輪郭は見えるのに。
 千夜さんは席を立つと、怒っているイッコーの所に行くと思ったらこちらにやって来た。そして僕の目の前に立ち、いきなりギターのつまみを調整し出す。
「ちっ、千夜さん?」
「音出して」
 うろたえながら、言われるままにギターを鳴らしてみる。アンプから音が出ている間に千夜さんは3つのつまみを軽く微調整して、次にエフェクターの音色を調整し始めた。同じく音を出すように言われるので、何度も曲中のフレーズを鳴らしてみた。
「オーバードライブはない?」
「え、えっと」
 どうしてドラムの千夜さんがギターのことに詳しいのかは分からないけれど、言われるままに用意する。僕が良く利用するのはコンプレッサー(音を圧縮させる。アルペジオに向いている)とディストーション(音を歪ませる。エレキギターと言ってまず連想するのはこの音)で、オーバードライブ(軽い歪み)はイッコーの借り物。
 自分の創る曲にはあまり合わない気がしたので、使う機会が少なかった。
「これ。覚えておいて」
 しばらく音一つの音色を決め、僕にエフェクターを見せる。普段僕が使っている音とは全然違い、何だか不思議な感じがする。
 僕の音決めが終わると千夜さんはイッコーのそばへ歩いて行く。口をへの字にして言われるままに従っているけれど、心の中だとドラマーに何が判ると思っているに違いない。
「ホントーにこれでいーんかー?」
「やってみれば判る」
 イッコーの音も普段は骨太でバキバキしていて、それと違い千夜さんが調節した後の音は幾分重く舐めるような感じ。曲名に合わせ煙草のタールみたいなじめっとした感じを出したいのかな?でもそれだとギターの音色がそぐわない。
「それと、いつもよりメロディをつけて弾いて。後は好きにやっていい」
「って言われてもなー」
 二人で顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。自信があるのかどうか解らないけれど、とにかく千夜さんの言う通りにしよう。
 ドラムのカウントから、3人で音を合わせる。
 おっ?
 何だか、意外とはまっている。イッコーも同じ感覚なのか、僕に目配せで知らせて来る。演奏の調子も良く、今日一番の出来で終わらせられた。
 『days』の曲なのに、そうじゃないみたいな雰囲気がある。
「後は今日先に帰った奴が来てから、細かく調整すればいい。本当ならギターもベースのフレーズも全部私が考えたいけれど」
 疲れた顔で千夜さんは首を回し、スティックを手に立ち上がった。
「おいおい、どこ行くん?これからっしょ」
「殴られたせいか、叩く気になれない。悪いけれど先に帰るから」
「おいちょっと、何勝手な……!」
 ケースにスティックをしまおうとする千夜さんに怒鳴ろうとするイッコーを、僕が後からTシャツの裾を引っ張り止める。
「今の演奏に賭けてたんだよ、千夜さん。わかるでしょ?」
「お、おう……」
 イッコーにだけ聞こえるように小声で言うと、本人も判っているのか大人しく引き下がってくれた。この曲の輪郭をはっきりと見せるために、千夜さんは集中して叩いたんだ。
「次の練習はここじゃないから。また連絡入れるよ」
 僕の言葉も無視して、千夜さんはさっさとスタジオを出て行ってしまった。男二人取り残されて、イッコーは盛大に溜め息をつき僕の顔を見る。
「青空」
「何?」
「千夜の言うとーり、おめーやっぱり甘過ぎ」


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