048.どんなときも
ステージの上で重厚なグルーヴがとぐろを巻いているのを、僕は下でもみくちゃにされながら見ていた。外は雪が降っていると言うのにフロアの中は人がぎっしり入っていて、スシ詰めの中でみんなアンコールの爆裂ナンバーに熱狂している。押しくらまんじゅうにされ汗だくになっていても、体を揺さぶる楽器の音が僕を弾けた気持ちにさせる。
みんなこの瞬間を胸に刻み込もうと、気持ち良さそうな顔で弾けている。ラストでステージの黒づくめの4人が音を引っ張ると、盛大な歓声が拳と共に上がった。最後は一斉に締め、メンバーが拍手と歓声を背に引き上げて行くのを眺めると、僕は急いで狭い人混みの間を掻き分け、受付前に戻った。
今日のアクトは千夜さんが去年、『イースタンサマーロックフェスティバル』に出ていたロックンロールバンド。あのフェスに出たおかげか、夏以降に急激に動員数が増え今ではライヴを行う度にフロアをスシ詰めにしている。今は主にこの地域周辺で活躍していて、ミニアルバムを出した後はいくつかの都市をツアーすると言う話さえある。
狭い地域で地道な活動を続けている僕達にとっては羨ましい限りでしかない。僕がわざわざ久し振りに誰かのライヴを観に来たのは、半年前から一皮剥け大きく成長した彼等を観たいのもあったけれど、それ以上にドラマーが千夜さんだからと言うのが大きかった。
結局このバンドはドラムのヘルプを入れず、9月過ぎに正式に千夜さんが加入した。『days』の時期とも大差無い。そして今千夜さんが掛け持ちしているバンドの中では一番の出世頭となっている。他にも2つ3つ叩いていて、本人に訊かないとできちんとした数は判らない。
喜ばしいことと思う以上に、僕は不安になっていた。このバンドが全国区で活躍するほど人気が出るようになれば、千夜さんはおそらく活動を一本に絞るだろう。そうすれば僕達はお払い箱になる。
『days』のバンド内の状況も最悪に近い形なので、それも時間の問題な気がした。
今日は千夜さんを引き止めに来た――訳じゃない。そこに関し僕が口を出すのは間違いだと思うので、僕は僕のやらなければならないことをやるだけ。
受付横のロッカールームで引き上げるお客にもまれながら荷物を回収し、受付の前で客引きが終わるのを待つ。今日のライヴは(前座はあったけれど)ワンマンなので僕もパスは貰えない。バンド仲間の対バンとかだと顔パスで入れるのに。イッコーみたいにスタッフと変わらず歩き回れるほど、僕もマスターと気心が知れている訳でもない。
「あれ、青空君いたんだ?」
汗が引いて体が冷えて行くのをロングジャケットの下で感じながら待ち呆けていると、受付の中で作業していた井上さんが僕を見つけ声をかけて来た。
「息抜きで、ちょっと。ここしばらくバンド活動に根詰めてたんで」
「はあ〜。それで千夜ちゃん追いかけてきたって訳」
「そ、そう言われると語弊がありますけど、そんな所です」
「全然息抜きじゃないじゃない、それ」
確かに。
「でも彼女も結構かけもちしてるけど、わざわざここまで来て会うのって君ぐらいよ」
「そ、そうですか?」
井上さんは受付の向こうで自分の仕事をこなしながら話をして来る。
「いれこむのはいいけど、絶対大変そうよ」
「ち、千夜――はそんなじゃないですってば」
慌ててカウンターに顔を乗り出して否定すると、薄い唇で含み笑いをされた。
呼び捨てでいいと言われていても、相変わらず『さん』付けと呼んでしまう。気を抜くとすぐ出てしまい、本人の前だと思い切り睨まれる。
ただ最近呼び捨てにし始めたせいか周りの目が変わり始め、ちょっと困っている。
「呼んで来る?」
「いえ、いいです。待ってればここ絶対通るんで」
「ふーん。恋もバンドもほどほどにね」
僕に優しい声で忠告すると、井上さんは自分の作業に没頭し始めた。違うのに……。
ラバーズのライヴハウスには出入口が二つあり、一つは上のレストランと繋がる階段、そしてもう一つは一般客の利用する外へ続く階段。普通の出演者が使用するのは後者の方で、前者の方はマスターに認められた人にしか使わせないようになっている。
ただ人気と実力があればいいと言う訳ではなく、その判断基準はかなり曖昧。でも認められないバンドはプロでも普通にお客さんと同じ入口から搬送作業をすることになる。一応搬送用の昇降機も裏口にあるとは言え、スタッフしか使うことは許されていない。
さっきのバンドもまだOKを貰っていないので、帰る時には絶対に受付を通りパスを返さなければなけない。だからここで待っていれば、千夜さんに会える寸法。
ちなみに2つ楽屋がある内の大きな方も、許可が降りないと使えない。ラバーズは昼間に出演オーディションとかはしない。そう言った面もあるので、水海一帯では敷居の高いライヴハウスとも言えた。キャパシティでお客も千人近く入る。
今のバンドと『days』を比べると、同じステージでもフロアの埋まりが全然違う。赤字が出ない程度に僕達もお客は集められているものの、昨年後半はさほど変動も無かった。
扉向こうのフロアから流れていたエンディングのSEも終わり、お客の姿がすっかりいなくなる。僕もスタッフの人とはすっかり顔馴染みなので、ここで待っていても追い出される心配は無かった。熱気の冷めたフロアは見ているだけでどこか寂しく感じる。
柊さんもここで僕を待っていた時は同じような気持ちでいたんだろうか?
そんなことを考えながらぼんやりと疲れの出た体でしばらく待っていると、千夜さんが一足先に楽屋から降りて来た。僕達以外のバンドであろうと用事が終わればすぐ帰る。
向こうが僕の顔を見つけ、あからさまに嫌な顔を浮かべた。嫌われるのは慣れていても、相変わらず胸が痛む。
「……何しに来た」
僕の前で立ち止まると、先に不機嫌そうに訊いて来る。無視した所で付き纏われると観念しているんだろう。もしかすると黄昏よりも嫌われているかも知れない、僕。
「新曲のテープ。まだ形はまとまってないけど、いくつかまとめたものを持って来たんだ」
自分で納得行く出来なものは数えるほどしか無くても、曲を創る努力は怠っていない。既成の曲を練り直す方を今は重視しているとは言え、ギターを持っている時に何かフレーズや構成が浮かんで来ればすぐ録っておくようにしてある。
でもそれは僕が単に往生際が悪いのと、千夜さんにこちらの努力を形にして示す為にやっているだけでしかなかった。実際に使えるのかどうかは自分でも疑問に思う。
「…………、ちょっと来い」
千夜さんはテープを引っ手繰ると僕のジャケットの袖を引っ張る。そのまま人気の無いフロア内の入口横に連れて行かれ、突然のことに期待と不安が胸を交錯する。
「な、何?」
壁際に追い詰められた僕の顔を、下から顎を引き見上げて来る。
「単刀直入に訊く」
一言置いてから、千夜さんは真剣な目で言った。
「貴様はどうして音楽をやっている?」
「え……?」
唐突過ぎる質問に僕の頭は真っ白になった。
目をぱちくりさせ千夜さんの顔を見ていると、恐い顔で詰め寄って来る。
「どうしてやってるんだと訊いている」
「そ、それは……」
普通でない剣幕に押され気味になりながら、何とか僕も言葉を返す。
「い、いきなりどうしてそんな?」
「質問に答えて」
憤っているせいか少し女言葉が混じっている。怒らせると厄介なので、素直に答えよう。
「それは――」
「おー、青空?お前来てたのか?」
口を開こうとしたその時、横のフロア入口からお馴染みのいかつい声が飛んで来た。
「あ、マスター」
「なんだ、来てんだったら先に顔出しときゃーパスやったのに」
「きょ、今日は客として来たんで……」
きちんとお金を払ってチケットを購入したんだから、それをされると他のお客に悪い。謙遜していると、マスターが威勢の良い声で笑った。
「何言ってんだ、おめーらにゃ期待してんだからよ。これからもっと頑張ってもらわねえとこっちも儲からねえしな」
そう言ってまた笑う。いつ会っても元気な人。
でも、年末のクリスマスライヴでの出番を成功させてから、マスターの僕達を見る目がより一層変わった。元々イッコーが入ったバンドと言うことで贔屓目に見られていた部分もあり、あの日以来より入れ込んでいる。特に黄昏のことをより気にいったみたいで、イッコーや僕が連れて来るととても喜ぶ。
「先週はあんま調子よくなかったって聞いたが、今月のライヴはうまくやってくれよ。客の入りも多分これまでで一番になるだろうからな」
「は、はあ……」
期待されるとプレッシャーが圧し掛かって来る。特に今は余計に。
2月頭に別のライヴハウスで今年初のステージに立ったものの、クリスマスライヴの出来には程遠く、客席もいまいち盛り上がらないまま終わってしまった。あの日のステージを観たり僕達の噂を聞きつけた人達でいつも以上にお客が入っていたのもあってか、気負ってしまった部分もある。
でもそれよりも、千夜さんが暴れた後にも3つ程練習時間を入れたのに、終わるまでは黄昏に休養期間と嘘をつき、隠し通していたせいもあると思う。ほとぼりが冷めるまで二人を引き合わせるのは良く無いと判断したから。
キャンセルする訳にもいかずステージに立ったら、予想通り上手く行かなかった。
まだ1度目の失敗だから許せても、次回のラバーズでのライヴも駄目だとせっかく付いた新しいお客さんも離れてしまう。だから絶対に成功させないと。
でも今の調子で行くと、出来の良いステージを見せられるとは到底思えなかった。
「――期待しててよ。次は頑張るから」
「ああ、じゃねえとお前達を見こんだ俺の目が節穴って事になっちまう。したらスタッフ達にもメンツが立たねえしな。そりゃそうと……強引だな、千夜」
「?」
「こんな人の行き来するとこでデートの約束取りつけてるたぁ隅に置けねぇ奴だ」
「なっ!何馬鹿な事を言ってる!!」
したり顔で見て来るマスターに、千夜さんは顔を真っ赤にあらんばかりの声で怒鳴り返した。片付けを続けていた周りのスタッフの顔が一斉にこちらに向く。
「何だ、違うのか?」
「違う、大事な話をしている!!勘違いしないで!!」
「わ、悪かった……そんなに怒んな」
「大体こんな金魚の糞みたいにまとわりついて来る男、誰が!!」
……非道い言われ様です。
「しているのはバンドの話!!変な目で私を見るな!!」
「わかったわかった。だから静まれ、な?」
あのマスターが尻込みしてしまうほど千夜さんの剣幕は凄い。周りのスタッフはまた千夜さんが騒いでいると思い、自分達の仕事に戻った。何かあるとすぐ千夜さんが怒鳴るのは日常茶飯事の光景になってしまっている。喧嘩しない限り、騒ぎを起こしてもスタッフもあまり止めようとしなくなっていた。
一通り鬱憤をぶつけられたマスターは、今にも泣き出しそうな顔になっている。
「そ、それよりホラ、そんだけ言ったらこいつがヘコんでるだろうが」
「あ……」
僕はその場で膝を抱えて座り込み、立ち直れないほどダメージを受けていた。ここまで他人に嫌われたのは人生で初めてかも知れない。基本的に僕はどんな人にも好かれていたい性質なので、思い切り否定されると言うことは死活問題になりかねなかった。
「わ……悪い。言い過ぎた」
さすがに済まないと思ったのか、千夜さんが俯き沈む僕に謝って来る。でもここ数日はしばらく尾を引きそう。
「〜〜〜〜〜、来い!!」
うじうじしている姿に苛立ったのか、僕の腕を取って立ち上がらせるとフロアの外へ引っ張って行く。よろめきながら引きずられて行く僕を、マスターが哀れみの目で見ていた。
外に出ると入る前に降っていた雪は止んでいて、空気が冷え切っている。往来の多い道路は地面が見えていても、街並はここ連日の雪にすっかり覆われて白くなっていた。
「どっ、どこ行くの?」
「貴様に訊きたい事がある。いいから来い」
脅えた目で訊くと千夜さんは僕の顔も見ずに、煙草を口に咥えると肩を怒らせ先を行く。コートも着ずに黒皮のジャケットだけで寒くないのかなとも思う。
脇道入った所の、駐車場横にある自動販売機の前まで連れて行かれる。千夜さんは缶コーヒーを買うと、その場でプルを開けて飲み始めた。どうやらここで立ち話をするみたい。
僕も体を冷やしたくないので、ホットのエスプレッソを買い手の中で転がした。
「お店に入らないの?どこか」
「貴様と長話するつもりは毛頭無い」
返す刀で斬られてしまった。
「もう一度訊く。どうして音楽をやってる?」
「どうしてって……」
素直に答えて良いものかどうか迷ったけれど、ここにいると寒いし、いつに無く千夜さんが真剣な顔を見せているので打ち明けることにした。
「満足出来ないから、かな」
「自分の技量にか?」
「それもあるけど……自分の人生に満足出来てないんだよ、僕は。だからやってる」
「…………」
僕の答えを受け、千夜さんは黙ったまま何も言わなかった。
「自分自身を否定したくないんだ。最初は駄目な人間の僕でも何か一つできることがあるかな、って思って始めたけど、今はここにいる自分を認めたいためにやってる。どちらにしろ、何もしなかったらホントに駄目駄目だから。やっても駄目駄目だけど」
笑って言ったのに唇を真一文字にしたまま反応が無い。ちょっと悲しい。
「やってる意味とかそう言うのは、続ける内にだんだん考えなくなって来たかな?始めた時の気持ちも時間と共に薄れて行ってる気もするし。昔は一々ギターを持つ度にそんなことを考えてたけど、今はもう――惰性でやってる訳じゃなくて、何て言ったらいいのかな……生活の一部と言うか、血肉になりつつあるんだよね」
2年前には今の自分の姿を全く想像出来なかった。何も特技も取り柄も無い人間だったはずの僕が、ギターを手に曲を創りステージに立つなんて考えられもしなかったし、到底無理な話だろうと思っていた。
「黄昏とか……イッコーや千夜さんは、才能あるじゃない?でも僕は何もできない人間で生きて来た時間が圧倒的に長いから、最後まで何一つ物にならないまま終わるんだってずっと思い込んでいて。そんな自分を認めたくない気持ちもあったかな。努力で才能の無さをカバー出来るとは思ってないけれど、弱いままの自分にはもううんざりなんだ」
黄昏とこうした深い話ばかり交わしているせいか、他の人と話す時でも包み隠さず自分を曝け出すことが多くなった。そう言う意味では僕も変わりつつあるんだろう。普通の人には引かれると思うけれど、嫌われた時は嫌われたで仕方無いかな。
「後は――、音楽をやる楽しさを知ったからだと思うよ」
でもそれを教えてくれたのは目の前の千夜さんや、僕も周りにいる人みんな。僕一人だけならすぐにギターを放り出していたに違いない。
「今のバンドの状況でもか?」
千夜さんが疑り深い表情で訊き返して来る。少し考えた後、僕は頷いた。
「大変な時期とは思うけど……先に楽しいことが待ってるって信じてるから、やれてるんだよきっと。それと――今日まで自分が感じて来た楽しさって言うのを否定してしまう気がするんだよね、ここで諦めたら。ちょっと悲観することだらけだけど」
そして、僕に楽しさを教えてくれた人を信じていたいから。だから僕は嫌われていても千夜さんに新曲のテープを持って行くし、やる気の無くなりつつある黄昏を引っ張って来る。イッコーと喧嘩しながらも音を模索する。柊さんの為にも『days』を続けていたい。
根っからの正直者なんだろう、僕は。自分を疑っても、人は疑わない。
相手に裏切られたことがないから?多分あるとは思うけれど、それが記憶に一切無い。
――どうやら自分も、あまり普通の人じゃないみたい。
「私は……楽しいと思った事は一度も無い」
「えっ?」
千夜さんは手元の缶に視線を落としたまま、呟いた。
「いいドラムを叩けて、周りがいい演奏をしてくれれば他に何もいらないと思ってる……」
「……それが悪いこととは、僕は思わないけど」
弁解するように言うと、目を丸くし僕の顔を見て来る。
「実際その考え方で凄いドラムを叩いてるじゃない?だから間違いじゃないとは思うよ。ただ、やっぱり周りの人間からしてみれば、寂しいなあとは思うけどね」
「……そう」
僕の気持ちを受け取ってくれたのか、千夜さんは言葉少なにコーヒーに口をつけた。
「上を目指したい気持ちは無論僕にもあるけど、それが一番じゃなくなって来たかな。最初はギターもロクに弾けなかったからレベルアップしなきゃってずっと思いながらやって来たけど、今はみんなとバンドを続けて行きたい気持ちの方があるよ」
このままの状況が続けば解散は目に見えている。それを阻止する方が今の僕には大切で、その為に躍起にみんなの仲を取り合ったり、練習したり曲創りをしている。
ただの後先の違いだけど、どちらの意識を強くするかで心の持ち様も大きく変わる。
「千夜さんって何でも完璧にやろうとするじゃない?他人にもそれを求めるし。もうちょっと楽に構えてもいいと思うけどね。だからいつもピリピリして周りの人に怒鳴るんだと思うし。何もきちんとしなきゃいけない理由なんてないんでしょう?」
「貴様に私の何が解る!!」
優しく訊いただけなのに、千夜さんは血相を変え怒鳴って来た。
周りの建物や駐車場に声が反響する。脇道のここは向こうの繁華街と違い、静かで人通りも明かりも少ない。幸い僕達の周りには誰も通行人がいなかった。
「何って……解る訳ないじゃない。ちっとも自分のこと話してくれないんだから」
「っ……!」
反論すると千夜さんが言葉を詰まらせる。何も僕も言われっ放しのままのままじゃない。
「悪いこと言ったのなら謝るけど……そんな一方的に怒られた所でこちらは何のことなのかさっぱり解らないじゃない。理由があるんだったらきちんと説明してよ」
僕は踏ん張り、相手の目をしっかりと見据えながら話す。年末にみんなの前で爆発してから、会話の中で自分のペースと言うものを掴めるようになって来た。
「それは……!」
喰ってかかろうとする勢いで千夜さんは何か言おうとしたけれど、続きを呑み込むと落ち込んだように肩を落とした。
「説明……できない」
目を伏せ、眉毛をハの字に俯いたまま小声で答える。先程怒鳴った時の剣幕はすっかり消え失せ、その体格以上に小さく見えた。
「ごめん……なさい」
――小声で謝るその姿に、僕の胸が大きく高鳴った。
千夜さんがとても、17歳の女の子に見えたから。
そしてふと、柊さんの顔が頭に浮かんだ。そう言えば同い年なんだ、二人は。
「あ、えっと……、ごめん、僕も言い過ぎたよ」
まさか謝られるなんて想像もつかなかったので、調子が狂う。てっきりいつものように反論ばかりして来るものだと身構え、こちらもいろいろ喋る準備は整えていたのに。
「お願いだから、それだけは……許して、くれ」
俯いたまま、最後に男言葉を付け足し懇願して来る。これまでにも何度か千夜さんの悲しげな表情を垣間見たことはあっても、今の落ち込み具合はその比じゃない。
どうやら本当に触れてはいけない部分に突っ込んでしまったらしい。
「ごめん……僕も訊かないから」
そう言うと、千夜さんは小さく頷いた。街灯のせいか、顔色が悪いようにも見える。
何だか物凄く居た堪れない気持ちになってしまい、僕は冷え切った夜空を眺めた。手の缶コーヒーの暖かさをより感じる。
「でもどうしたの突然?何かあったの?」
千夜さんが立ち尽くしたまま何も言って来ないので、こちらから尋ねてみる。
「今までそんなこと一度も訊かなかったじゃない。バンドとか曲のこととかばかりで、相手のプライベートな部分とか一度も訊いて来なかったのに」
ライヴ中の千夜さんに別段変わった所は無かった。むしろ僕達のバンドで叩く時よりも上手く行っていて、今日のは文句の付けようの無いドラミングを繰り広げていた。だから余計に不思議に思う。
「あ……この前のことは、誰にも言ってないよ。だから安心していいから」
「…………」
先月千夜さんがスタジオで暴れた時に見せた涙が原因かと思って話してみたけれど、反応が無く困った。いつもならここで袖を掴まんばかりの勢いで詰め寄って来るはずなのに、次の言葉を探るように目線を細かく動かしている。
あの件のことは僕もなるべくなら追及せずにいたい。
「……どうしてそんなに一生懸命になるのかと、思った」
沈んだ気持ちを振り払うように髪を掻き上げ、千夜さんは僕の目を見て言った。
「解散するのは目に見えているのに、どうしてそこまでするのか――解らなかった」
僕は何も言い返さずに、その言葉を受け止めた。言い返せなかった。
希望はあるけれど、未来が無い。
まだ僕は一縷の望みを託し自分のすべきことをやっているけれど、他の3人はとうに諦めているのかも知れない。僕一人が踏ん張った所で、どうにもならないと思う。
でも誰かの口からその言葉を聞くまでは、バンドを解散させるつもりはなかった。
3人が何も言わずに付き合ってくれるのは、望みを捨てていないからと信じたかった。
「でも――今の話で解った気がする」
缶コーヒーを口につけ、小さく白い息を吐き出す。
「たくさんバンドを掛け持って来たから――これまで、駄目になるのをいくつも見て来た。てっきりこのバンドも同じ末路を辿るものとばかり思っていた」
まだ尾を引いているけれど、言葉の調子も元に戻っている。
「でも、貴様は――」
「往生際が悪いんだ、きっとね」
僕は笑って言うと、手の中のエスプレッソを一気に飲み干した。
「だからしつこく付き纏って嫌われるんだと思うけど、こればかりは仕方無いかな」
現実よりも夢ばかり見ていたいロマンチスト。そんな言葉が頭に浮かんだ。
「あ」
今まで止んでいた雪がまた降り出した。粉雪が風に吹かれ舞っていて、街灯に照らし出される姿がとても綺麗。このままだと明日の朝まで降り続きそう。
「……本当に、貴様達が嫌いだ。3人共人間的に。どうしようもないくらい」
雪の降り出した夜空を眺めていると、千夜さんがはっきりと言って来た。解ってはいるけれど、面と向かって言い切られると心が痛む。
「でも私は、貴様の……青空が持っている感性は、嫌いじゃない」
え……?
今、何て――
「曲は嫌いじゃない、歌詞も。黄昏の唄声も、イッコーのベースも、嫌いじゃない」
不意打ちを食らったように固まっている僕をよそに、次々と千夜さんは言葉を続ける。
「『days』の音楽は――嫌いじゃない。嫌いじゃない」
自分に言い聞かせるように、その言葉を繰り返した。
ああ、だから千夜さんは一緒に音を奏でてくれるんだ――
今初めて閉ざしていた心に触れた気がして、胸が暖かくなった。
代わりに僕が言ってやる。
「――そう言う時は、好きって言おうよ。」
どこまでも優しい気持ちを言葉に乗せ、照れ臭さを噛み締めながら。
その想いを形にするのは、『好き』と言う単語が一番合っている。
「僕はみんなの奏でる音が好きだよ。いろいろ好きなミュージシャンっているけど、一緒にやっている3人のが一番好きかな。だからその3人と一緒に音を鳴らせる自分って言うのが、凄く果報者に思えるんだ」
その言葉に嘘偽りは無い。
好きなものを好きと言える気持ちを抱きしめているからこそ、口に出せるんだ。
「だからこんな所で終わらせたく無い。まだ始めたばかりだもの、1年じゃ満足し切れないよ。もっともっと先が見たいし、みんなで音を合わせていたい。本当に駄目なら潔く諦められるけれど……1%でも可能性の残っている内は、自分のやれることを全部やっておきたいんだ。さっき渡したテープも、その一つだよ」
テープに託したその気持ちが、中に入れた音と共に千夜さんに伝わって欲しい。
「でも、一人だけ頑張ってもね。やっぱりバンドだから」
空き缶をそばのクズ箱に捨てると、僕はその黒い瞳を見ながら力強く言った。
「一緒に頑張ろうよ――千夜。」
押し付けがましくても、臆すること無くはっきりと。ここで控え目になったら、今まで伝えて来た僕の気持ちが全部無駄になる。でも、さすがに呼び捨ては恥ずかしい。
千夜さんは僕の目を見つめ返ししばらく真顔で黙っていたけれど、耐えられなくなったのか頬を少し赤らめ目を反らした。
「――馴れ馴れしくするな」
缶コーヒーを飲み干すと、照れ臭い気持ちを空缶と一緒にクズ箱へ強く投げ入れる。僕を睨むと、不機嫌そうに煙草を懐から取り出した。
「貴様はちょっとばかり私が弱みを見せればすぐ突け込んで来る」
「そ、そんなつもりはないんだけど……」
でもその気は知らず知らずあるかも知れない。反省して立ち尽くしていると、千夜さんは煙草に火をつけ一息吸ってから僕の横を通り過ぎて行く。
「話はそれだけ。じゃあ」
「え、あ、待ってよ。これから帰るんでしょ?」
駅までは同じ道程なんだからそこまで話をしたい。慌ててその背中に声をかけると、足を止めてこちらを振り返る。
「青空」
「えっ?」
僕の名前を呼び、冷たい視線で吐き捨てるように言った。
「図に乗らないで」