049.僕等を連れ去る風/月の見えない夜
「ちょっと外、出ようよ。今日は暖かいし、快晴だから気持ちがいいよ」
僕の誘いに、黄昏は文句一つ言わずあっさり了承した。
そんな訳で今日は二人で、僕の家から東に歩いて10分程の場所に流れている一級河川の堤防をあてもなく歩いている。ギターも鞄も持たず、手ぶらでふらふらと気の向くままに。平日と言うことで河川敷にも人影は少ない。
特別この河川敷には思い入れも無いけれど、歩いているだけで懐かしい気持ちを感じるのは母親の田舎の前に流れている川と同じ草の匂いがするせいだろうか。
僕達が今歩いているのは舗装された堤防のアスファルト。小学生の頃、河川敷で町内会のソフトボールの練習でここを訪れていた頃は未舗装の砂利道だったはずなのに、時と共に黒いタールの道に少しずつ塗り変えられてしまった。
「降りる?」
堤防の下を指差すと黄昏も頷いてくれたので、あえて階段の無い草むらの坂を選び、斜めに降りて行った。草むらを抜けると靴の周りが草の切れ端で汚れてしまうけれど、その嫌らしさも何故か心地良い。後を降りて来た黄昏は途中バランスを崩したものの、下り坂の勢いに乗り一気に最後まで駆け降りた。その時踏ん張った足の痛みもまた愛しいんだ。
「黄昏ってあまりここに来たこと、ないよね?」
「ない。昔から出不精だったし」
物臭なのは今も昔も変わらないみたい。
子供の頃によく一緒に遊んだと言っても、黄昏の全てを知っていた訳でもない。今こうして付き合うことで新しく知った一面もあるし、時の流れで消えてしまった面もある。
再会してから1年半以上経つと、外見も言葉遣いも変わる。浮世離れした雰囲気も随分薄れて、俗世間に浸かり乱暴な言葉を使うようになったのを見ていると、ずっと田舎に住んでいた人が都会に染まって行くのもこう言う感じなのかなと思ってしまう。かと言って黄昏の特殊性はそのままで、今も昔と変わらず独特の雰囲気を持っている。
「これだけ暖かかったら、あの岩場もそれほど寒くないと思うけどな」
「そんなことないよ。多分行ったら黄昏『寒い!!』って言って絶対帰るよ」
僕の言葉に黄昏は苦笑いを浮かべ、コートのポケットに深く手を突っ込んだ。手袋をしているんだから必要無いのに、黄昏は時々こうした変な一面を覗かせる。
「冬になると海沿いは本当に寒くなるからね。この前もスタジオの叔父さんの弟さんがやってる――ほら、コテージみたいな喫茶店あるじゃない?あそこに仕事帰りに行ってみたら時化(しけ)が凄くて、凍死するかと思ったもの」
「大げさだな。まあ、イッコーなら大丈夫だと思うけど」
「無理、絶対無理だってば。だって、車の窓ガラスにびっしり氷が貼られてるんだよ?」
「う〜、想像しただけで寒くなる」
黄昏は苦い顔で体を縮こめた。その仕草がとてもいじらしいけれど、出会った頃のような守ってやりたくなるような幼さは完全に消えてしまっている。
化粧すれば女の子に見えなくも無いほどだった顔立ちも、随分スマートに、男らしくなった。今なら童顔の僕の方が一緒に並ぶと年下に見えるかも知れない。しかし身長はさして変わらずに僕より頭半分ほど低い。
「ああ、でも気持ちいいな。わざわざここまで出て来てよかった」
「だって黄昏、相変わらず家に篭もり切りなんでしょ?僕が隣にいない時も、たまには外に出ようよ。近所を散歩するだけでも気分転換にはなるよ」
「やだ。まだ寒過ぎる。今日みたいに暖かけりゃいいけど」
「でも今年の冬はそんなに寒くないじゃない。前のライヴの時は雪降ったんだっけ」
「寒かったから出来が悪かったんだろうな。うん、きっとそうだ」
「何一人で納得してるの」
実際そんなことはないだろうけれど、そう自分を納得させたい気持ちも解る。
「芝生歩く?砂利道歩く?」
「芝生」
僕の問いに黄昏は川側の芝生を指差したので、そちらへと移動する。そこに何かあるのかと言うと、何も無い。まだここは人の手が入っている所で、1キロ位歩くと子供の背丈程の高さのある草木が乱立していて歩けるものでもない。その奥に入るとホームレスの家とか見えたりして、草むらの中にも死体が転がっていそうで何か恐い。
「でも、もっと上手く行くと思ってたのにな」
黄昏は小さく呟くと、芝生の中に見つけた小石を掴み、川の水面目がけ放り投げた。
「どこでどう間違ったんだろ、俺達」
「どうだろうね。でも僕は間違ってるとは思わないけど」
僕もその場で足を動かし石を探ると、少し大きめの形の偏った石を蹴躓いたのでそれを拾って黄昏を真似てみる。でも明らかに飛距離が足りなく、手前の草むらに落ちた。
「そういや千夜の件、片ついたのか?」
「うん。結局千夜さんが全額弁償するって。かなりの額になるからバンドの運営費で少しは捻出しようと思ったけれど、断られちゃった。全部自分の責任だからって」
千夜さんが泣いたことは黄昏には言っていない。次の練習からは普段の気丈な姿を見せていて、自分からあの一件のことを話すことは一度も無かった。
あれ以来新曲の打ち合わせはしていない。今余計な負担をかける訳にはいかないから。
「でも何だかんだ言っても俺の責任だろうな……多分」
口には出すけれど、首を捻っているので心の底からはそう感じていないだろう。自分に関わるもの以外の事柄に関しては途端に関心が薄れてしまう所があるから、黄昏は。
自惚れていることは決してない。でも、自分に関わるものに優先順位を無意識の内に付け、一定以下のものに対しては他人事と思ってしまう節がある。だからこそ唄うことだけに専念し、曲創りには自分から口出しすることはほとんどない。
黄昏のここ最近の態度にも悪気がある訳じゃなく、自然に出たものだと思う。
「だからこそ余計にタチが悪いのかもね」
「ん?」
「何でもないよ、こっちのこと」
僕は別に嫌な気分にはならないけれど、それは気心が知れているから。黄昏のことを心から理解していない人だと多分すぐ気を悪くする態度だらけなんだろう。
「悪意がある時はすぐ判るもんね、顔とか言動とかで」
「悪かったな」
「黄昏ってすぐ顔に出るタイプだもの」
「ほっとけ。これでも気にしてるんだ」
からかうように僕が言うと、頬を膨らませそっぽを向いた。
「へー、黄昏でも気にすることとか、あるんだ」
「あのな。おまえ、俺のこと奇人変人か何かだと思ってるだろう」
「え、違うの?」
「……もういい」
怒る気力も失くしたのか、黄昏は肩を落とし僕の後ろを歩き始めた。どうやら黄昏にも他のみんなと同じように物事を考えたり感じたりする所があるみたい。一緒にいると人と違う所ばかり目に付くから、そう考えてしまうのは仕方無かった。
下流に向かって歩きながら、芝生を踏み締め足の裏で感触を楽しむ。気持ちのいい音が一歩を踏み出す度に聞こえて来て、リズムを取ってしまいたくなる。
「ライヴはこの先も入れてるのか?」
「入れてるよ、今月と来月に一本ずつ。そこで結果が出なかったら、一度バンドを休止させてインターバルでも取ろうかとも考えてる」
「結果って言ったって、何か明確な数字でもあるのか?」
「ないけど。クリスマスライヴを除いて、不甲斐無いステージばかり続いているからね。ほら、今僕スランプで全然曲を書けなくなってるから、毎回変わり映えしないし」
自分でその事実を認めるのは辛くても、現実はしっかり受け入れようと思う。
「バンドも悪化の一途を辿り、時間の問題です」
「残念ですが、完治する見こみはありません」
「今夜が峠になるでしょう――じゃないけど、確かに末期に近いかもね」
自嘲的なやり取りが続く。でもこうして冗談でも言わないと本当に駄目になりそう。
「でも練習で曲の練り直しは進んでるんだろ?俺がいなくても」
その問いに僕は足を止め、振り返ると肩を竦めてみせた。
「いろいろやってるけどね……何をどうすれば良くなるのか、さっぱり解らないや」
「おいおい、しっかりしろよ」
僕の方が病気や怪我以外で黄昏に心配されるのは意外と今までに無かった気がする。
「考え過ぎでナーバスになってるのかな。自分の感性もこんがらがってきちゃった。何を創ったらいいもので、何が駄目なのか――境界が判らないね」
「そんなもん、グッと来るか来ないかで判断すりゃいいだろ」
――どうしてまた、こうもあっさり僕の悩みを解決してくれる言葉を吐くのかな、君は。
「そう――だよね。それだけだよね」
「それだけに決まってるだろ。他に何があるんだ?」
何度も頷く僕に黄昏が笑いながら訊き返して来る。勿論その答えはあるはずが無かった。
「でもさ、黄昏って自分を疑うってこと、ないの?」
言い分はもっともと思うけれど、まずは自分自身を信じていないと始まらない。特に創作する時に関しては、自分の感性が一番大切だと常日頃から思っている身なので。
黄昏はどう思っているのかを知りたくて答えを待っていると、意外な言葉が出た。
「その言葉の意味するところがよくわからんな」
「は?」
「何で疑う必要があるんだ?自分が間違ってることやったなって思う時はあるけど」
どうやら、黄昏の思考回路にはそのキーワードが最初から存在していないみたい。
「はあ……やっぱり凄いね、黄昏は」
「何が凄いのかよくわからないけど、褒め言葉として受け取っておく」
この人と話していると、自分がとてつもなく凡人に感じてしまう時がよくある。僕は肩を落としながら、少し風の強くなった芝生の道を再び歩き始めた。
お腹はそれほど空いていない。昨日は僕が今の家に引っ越してから何回目かの黄昏の招待をした。いつもは僕が黄昏の家に行ってばかりだけど、あそこにいると何故か深い話ばかり繰り広げてしまうので、場所を変え気楽に話したかった。
そう何度も何度も同じトーンで真面目な話ばかりしていると精神的に保たない。だからこうして草と風と水の匂いを感じながら穏やかな気持ちで黄昏と語り合いたいと思った。
「ん?」
雲一つ見えない真冬の空を見上げながら歩いていると、何かが右足のつま先に当たった。
「どうした?急に立ち止まって」
「何だろ、これ?」
知らず知らず蹴飛ばした物に近づき、拾い上げてみる。模様も無い、質素な木製の小箱。
「開けてみればいいだろ」
「でも――何か出そうじゃない?お化けとか、毒ガスとか」
真面目に言ったのに、仰け反るくらい大笑いされてしまった。
「ほら、貸してみろ。俺が開けるから」
恐る恐る刺激を与えないように差し出すと、乱暴に黄昏が引っ手繰った。
「ば、爆発したらどうするのっ」
「するか。――ん、何だこれ?オルゴール?」
脅えている僕を無視して箱を開けると、中に細かなピンのついた円筒と、それを弾くたくさんの櫛歯のついたオルゴールが入っていた。
「何だかちゃんとしたものみたいだな」
「僕も小学校の時に作ったぐらいだからよく分からないけど……」
一般に知られているこの形がシリンダーオルゴールと言う名称なのは覚えていても、それ意外詳しいことは知らない。
蓋の裏側には何かが貼られていたのか、シールが剥がされたような跡が残っている。
「でも子供が図工の時間に作ったのを捨てたみたいじゃなさそうだね」
「どうせ安物だろ。漆も塗られてないし」
大きさには両手に納まる程度で、普段見かけるサイズよりは幅がある。
「鳴らないの?」
「みたいだ」
調べてみると左側にゼンマイを巻く穴があるけれど、取っ手が無いので鳴らすのも無理っぽい。どうやら誰かが鳴らなくなったものを河川敷に捨てたみたい。
「わわわわ、待って待って!捨てないでよ」
興味が無くなったのか、黄昏が川目がけ大きく振り被る。慌てて止めると不服そうな顔を僕に向けた。
「何で?鳴らないんだからゴミだろ、これ」
「修理すれば直るかも知れないじゃない」
落ちていた物にこだわる僕をおかしな奴と思っているのか、細目で見て来る。
「でもこんな安っぽい奴、直しても多分懐メロくらいだぞ、鳴るのって」
もう一度振り被ったので、今度は慌てて腕を押さえ止めた。黄昏は怒った顔で僕の手を振り払おうとしたけれど、無言で視線を送り続けていたらようやく観念したのか、呆れた顔を見せるとその手を下ろした。
「……わかったよ。俺のコートのポケット大きいから、持っててやる」
「ありがとう」
まるで自分の息子を救ってくれたみたいに感謝の言葉を述べる僕を、黄昏は仕方の無い奴だと思っているだろう。でもこのオルゴールは僕に何か大切なものを伝えようとしてくれているのかもと考えると、どうしても見捨てる訳にはいかなかった。
「何かさ、運命的じゃない?河川敷の芝生で見つけたオルゴールって」
「そうか?ただのゴミだと思うけどな、それ」
どうしてまた人のメルヘンを潰すようなことを言うのか。その後しばらく反論しても、結局最後まで僕のロマンを黄昏は全然理解してくれなかった。悔しい。
大きな荷物を持ったまま延々と下流を目指すと帰りも同じ距離を歩かないといけないので、しばらく歩いた河川敷公園の石でできた象のそばで一服することにした。昨日は夜更かししたせいで気を抜くと凄まじく眠くなる。
「そういやおまえ、結局受験はしないんだ?」
象にもたれ芝生に腰を下ろしていた黄昏が不意に尋ねて来た。覆い被さり石の冷たさを肌で感じていた僕が顔を上げると、堤防に帰り道を行く制服姿の男子学生の姿が見えた。
彼等の姿を見て、思う所があったのだろう。
「訊くの遅いよ。センターも終わってるし、黄昏と同じドロップアウト組かな」
「おい、一緒に……するよなあ、やっぱり」
くすぐるように言う僕に、黄昏は言い返すことも出来ず渋々納得する他なかった。
未練は無いけれど、大学生活がどんなものかを体験したかった思いはある。小さい頃から両親も大学までのレールを用意していたし、その期待に僕も応えようとしていた。
「黄昏もさ、高校1年で辞めちゃったじゃない。行っていたかった気持ちはある?」
象の上に跨るように座り直して訊いてみると、笑ってから僕を見上げた。
「ない――と言えば嘘になるか。俺だって、他の奴らと同じように生活できればどれだけ楽かって思った事はいくらでもある」
一人で孤独な人生を送って来た分、違う人間に生まれていたかった――そう思う気持ちもきっと人一倍あるのかも知れない。
「時々、今でもうらやましくなる」
小さく呟くと、黄昏はまた堤防の上に視線を戻した。僕からの位置だとその顔は見えなくて、どんな表情で彼等を見ていたのかは分からなかった。
僕達は日が落ちるまでのんびりと河川敷で時間を過ごし、夕日が対岸の向こうに沈むのを見届けてから町中に引き上げた。真っ暗になると途端に気温も下がったように感じる。
ひとまずどこかでご飯を食べようと、ホットの缶コーヒー片手に二人で地図も解らない町を歩く。昼間なら見える景色も新鮮に感じても、暗いと何が何だかさっぱり。
大通り沿いに僕の家まで戻るのはつまらないので、あえて脇道を選んで進む。今日のこれからの予定はお腹を満腹にして家に戻り僕のギターを回収してから、電車で黄昏の家に向かって明日の練習に望む。また行きたくないって駄々をこねなければいいけれど。
「ねえ、黄昏最近ちゃんと家で唄ってる?」
「俺は別に義務で唄ってるんじゃないぞ。しょうがなく唄ってるんだ」
ここの所気になっていた疑問をぶつけると、訊き方がまずかったのか怒られてしまった。どうやら知らず知らずの内に、僕の方も唄うことを押し付けていたみたい。
心の中で謝っていると、黄昏は空き缶を通りがけのゴミ箱に投げ捨てこちらを向いた。
「でも――最近、身が入らなくなってきたかな。気付くとベッドの上で何もしないまま時間が過ぎてる事が少しずつ多くなったような気は――する」
薄々気付いていたけれど、黄昏は徐々に唄う必要性を感じなくなって来ている。
「いい事なのかどうかは俺にはよくわからない。だんだん暗闇の恐怖が薄れてきたというのかな?もう目を向けるのも面倒臭くなってきたっていうか……無理にそんなこと、しなくてもよくなってきたみたいな――」
もし黄昏の見ている暗闇が自分の恐怖を映した鏡なのだとしたら、不安に感じなくなると言うことは暗闇が小さくなったことに他ならない。
「黄昏にとってはいいことかも知れないけど、バンドにとっては問題だね」
「だろ」
冗談っぽく僕が言うと、黄昏も笑って頷いた。
本当ならここで素直に喜ぶべきだと思う、トモダチなら。でもそれを受け入れてしまうと、これから黄昏は何を支えに唄っていけばいいんだろう?
違う、唄う必要さえもなくなる。前の僕みたいにもぬけの殻になってしまう。
でも僕はそれを止める手段も、袋小路に陥ってしまった後の救いの手も持っていない。ただ黄昏の袖を引っ張り、必死にそちらへ行かないように声をかけ続けるだけ。
何と役に立たないトモダチなのか、僕は。
情けなくて涙が出そうな僕に、黄昏は慰めの言葉をかけてくれる。
「けど別に、ステージに上がるのが嫌いになった訳じゃないんだ。唄うとやっぱり自分が生きている実感が湧くし――楽しい。そうだ!」
「どっ、どうしたのいきなり」
突然叫んで足を止めると、目を見開き早口で言った。
「面白くないから、さぼるんだ、俺。前みたいにおまえ達の演奏をバックに気持ちよく唄えなくなってきてるから、つまらないというか……うまく戦えない気がする」
「それで疑心暗鬼になって、僕達も黄昏の唄声に乗せて気持ち良く演奏できないからどこか抜け切らなくて――悪循環にはまるんだろうね」
「卵が先か、鶏が先か、だな。まったく」
付け足した僕の言葉に頷くと、黄昏は道路の脇に唾を吐いた。少し不快に思うけれど、吐きたくなる気持ちも分かるので咎める真似はしない。
喧嘩ばかりしているせいでお互いを昔みたいに信頼出来なくなっているから、それがバンドの音に現れてしまっているんだ。何がきっかけと言う訳ではないけれど、知らない間に歯車が噛み合わなくなり、車輪が動かなくなってしまった。
みんなどこかで気付いていた。でも、治し方が分からないので悪化するのを放っておくしかなかった。僕一人懸命に動いていたけれど、それも徒労に終わった。
「だからクリスマスライヴも、みんなが集中していたからこそ出来が良かったんだね」
僕との横で黄昏も、何度も大きく頷いた。
『解散』の二文字がはぐれかけた僕等を繋いだ、なんてとても皮肉な話だと思う。
「ようやく全部納得行ったよ。それなら上手く行かない訳だよ」
「俺も今になってやっと仕組みが理解できた」
原因が解ったのは嬉しくても、もしかするともう手遅れなのかも知れない。そんな嫌な想像は、頭の片隅にしまい込んだ。
「前のライヴも最悪だったもんな……」
「音合わせの時まで練習があるの、黄昏に教えなかったからね」
「俺もそれで正解だったと思う。あの後すぐ顔合わせてまた喧嘩になって暴れられてもな」
「でもだからってその後も練習休みがちになるのはどうかと思うよ」
咎めるような僕の言葉にしばらく押し黙ると、黄昏は背筋を大きく一伸びし、星の出始めた夜空を見上げながら言った。
「結局さ、今の今まで続けてきたけど、何も答えが見つからなかったんだよな」
言い訳がましく聞こえるけれど、僕は黙ったまま次の言葉を待った。
「怖いのにはもうすっかり慣れたけど……あんなに考えこんでいた昔の自分が馬鹿らしくなるようなさ。悩む事もやめれば、膿が溜まることもないんだよな。この1年で俺が見つけたものって言ったら、自分がどうしようもない人間だって事だけだ」
「…………」
何も言えなくなってしまった。考えられないし、言葉も見つからない。
ただ、どうしようもなく悲しかった。
「青空とバンドを初めてよかったと思う。その気持ちに今も嘘はないけど――」
「このまま続けてもいいのかどうかってこと?」
僕の目を見ると、黄昏はそれ以上何も言わずに先を歩いた。多分こちらの気持ちを汲み取ってのことだと思う。でも、僕ももう腹を括れていた。
しばらく黙ったまま歩いていると途中で和風のトンカツ屋を見つけると、外に掲げられた料金が安かったので重い話はそこで一旦中断し、店の中に入った。
専門でチェーン店でもないので値段の割りにはボリュームも味も良く、僕達はお腹一杯ほくほく顔で店を出た。どこをどう歩いて来たのか解らないのでここの場所は知らないけれど、それほど家から遠くないと思うので今度自転車を走らせ探してみよう。
「ね〜むい〜」
眠そうな顔でふらふら歩く黄昏を誘導しながら、1時間近くかけ自宅に戻る。途中で迷子になり、見慣れた大通りに出るのに時間がかかってしまった。
ギターと必要な道具一式を回収し、駅へ向かう。黄昏は家で一眠りしたいと言っていたけれど、寝かせると絶対に終電までに起きないと思ったので無理矢理引っ張って行った。黄昏の家なら防音なので夜中でもギターの練習が出来るから。
「やっぱり僕以外の誰かに看て貰った方がいいね。ファンの女の子とかさ」
「えー。めんどくさい。ていうか女嫌い」
「それ以前に人付き合いするのも嫌いでしょ、黄昏って」
「うんめんどくさいから」
途中まで中身の無い会話ばかり続けていて、少し混んだ駅のホームで電車を待っているとようやく頭が回るようになったのか、ようやく黄昏が話の続きを訊いて来た。
「どうするんだ?本当に解散するのか?」
「さあ――どうしようね?」
「俺に訊くなよ」
半分真剣に訊いてみたのに、冗談混じりに言ったせいか真に受けてくれなかった。
「最近、集まる度に解散、解散って言うから、もうそのことが重要なことに思えなくなってきちゃったよ。4人で音を鳴らせないことって、とても寂しいことのはずなのに」
肩に担いだギターが重くなって来たので一旦地面に下ろし、自分の足に立て掛ける。電車のやって来る合図のチャイムが鳴ったのは、反対側のホームみたい。
「どうなんだ?青空はホントに今のバンドの関係が、治ると思うか?」
急行通過のアナウンスが聞こえるので、黄色の盲人用の凸凹より後ろに下がった。
「分からないよ。ううん、多分分かってるんだろうけど、認めたくないだけなんじゃないかな。だって僕、『days』が大好きだから」
目の前を目まぐるしい勢いで電車が横切って行く。その二分後に僕達の乗る電車が来た。
「黄昏と、みんなと始めた最初のバンドだから解散させたくないんだよ。それだけだよ」
横にいる黄昏に微笑み、扉の開いた車内に乗り込んだ。
「随分変わったよな、青空も」
「何が?」
帰宅途中の人達で賑わう電車の中は、暖房が効いていてとても暖かい。
「出会った頃とさ。特にここ最近は凄くガツガツするようになった」
「そう?」
「多分今のおまえなら、解散しても力強く生きていけるよ」
僕は頬を人差し指で掻くと、苦笑いを浮かべてみせた。
「……あまり嬉しくないかな、その言葉」
「かもな」
いろんな人の様々な想いを乗せ、電車は静かに音を立てながら走る。
10分もしない内に水海の一つ手前の駅に到着する。黄昏の家に寄るだけならこちらの方が若干近い。いつもは他の用事があるので水海で降りるようにしている。
駅から出ると、街にはすっかり夜の帳が降りていた。ネオンの眩しい周辺の繁華街を抜けて、近道を行こうと脇道に入る。
しかしこちらから家に向かうのは久し振りなので、道に迷ってしまった。黄昏に訊いても眠いせいか分からないと言うので、遠くに見える水海の高層ビルを目印に適当に歩く。
しばらくさまよっていると、見覚えのある場所に出た。
「ここって確か、青空が俺を初めてバンドに誘ってくれた場所だよな」
黄昏が夜空を見上げながら、T字路の真ん中までくるくると回ってみせる。去年も似たような気持ちを抱えたまま、曇り空の下、雪を踏み締めこの場所に立ったのを思い出す。相変わらず人通りが無く、すぐそばに大都市があるとは思えないほど静か。
ここが僕達のスタート地点だけど、随分遠くまで来てしまったせいか実感が湧かない。
「季節が違うだけで、どうしてこんなに見える景色が違うんだろうな」
辺りを見回し黄昏がしみじみと呟いた。思い出している景色はきっと僕と同じだろう。
肩を並べて夜空を見上げてみる。
雲は無く、いくつか星座が瞬いていたけれど、月の姿はどこにも見えなかった。
「新月か。もう一回見たかったな、あの丸くて輝いてた月」
黄昏の口元から白い吐息が言葉と共に零れ、すぐに消える。
僕も夜空の向こうに黄金の月を探してみたけれど、その姿は心の目にも映らなかった。