052.ギタリズム・フォーエバー
ピンポーン。
「青空、遅い。行くぞ」
「え、あ、うん……」
扉の前に立ち尽くす僕を置き、黄昏は分厚い格好で一人先にマンションの廊下を行く。
「待ってよ黄昏、待ってったら」
慌てて後を追い駆ける。黄昏の家で小休止しようと思っていたのに、チャイムを押したらいきなり出かける気満々でいたから面食らってしまった。
ここまでやる気のある黄昏、初めて見た。
「いつもならこんな寒い日、昼間でも毛布にくるまって寝てるのにね」
「うるさいな」
下るエレベーターの中で茶化すと、邪険に返されてしまう。
「いいけどね、黄昏がやる気出してくれるのなら」
僕の言葉に何か言い返そうとするものの、何も言わずに扉の開いたエレベーターから出た。一々行動と思考か判り易過ぎて面白い、黄昏は。
外に出ると強く冷たい風が横から凪いで来る。今日は晴れていても雲が多く、強風に流されその形を刻一刻と変えていた。禿げた街路樹はまだ蕾をつけていない。どうやら春が来るのはもう少し先みたい。
「3月なのにね、もう」
「そういやしばらくあの岩場に行ってなかったな」
黄昏が岩場のある方角を遠く眺め、呟く。ここ半年いろいろあり、僕もバイトの帰りにもすっかり寄らなくなっていた。黄昏と一緒に海を見ていた想い出が強過ぎて、一人で行けば必ず泣いてしまうと思ったから。
「もう少し暖かくなったら見に行こうよ。今日の練習は千夜さんに教えて貰ったスタジオだけど。何ならあの子達連れて行けばいいんじゃない?」
「何でそんな事する必要があるんだ?」
「――え、いや、その方があの子達も喜ぶかなって……」
あまりに素で返されたので返答に戸惑う。もしかすると自分の心境の変化にすら気付いていないのかも。小さく舌を出し反省すると、黄昏は鼻息を鳴らし大股で先を急いだ。
「あ、ごめん、待ってってばー」
月も変わったせいもあるのか、一緒にいても随分気苦労が減った。イッコーとも千夜さんとも、以前みたいな関係に少しずつ戻れているような気がする。
前回のライヴが終わってから今日の練習までしばらく間が開いた。この時期は年度末の為に学校に行っている人は忙しい。僕と黄昏は全く関係無いけれど(黄昏に至っては年中休みと同じ)、特に千夜さん、そしてライヴの時に知り合ったキュウちゃんと愁ちゃんはテスト前で大変と思ったので、いい意味で張り詰めた気持ちを緩める為にもインターバルを置いた。
おやっさんが経営しているスタジオは黄昏の家からそれほど離れていない。一駅以上の距離はあるけれど、わざわざ電車に乗らなくても徒歩で十分行ける。
「〜〜、遠い〜〜」
普段外にあまり出歩かない黄昏を運動させる意味でもこの方がいいみたい。
「お〜〜〜い、せーちゃーん!たそーっ!!」
大通りの地下鉄の入口を横切って行くと、不意に背中から黄色い声をかけられた。
「あ、いいタイミングだね」
振り返ると、キュウちゃんが入口の階段の上った所で大きくこちらに手を振っていた。急いでこちらに駆け寄って来る。
まずい。
身の危険を感じた僕は、咄嗟に身構えて起こりうる出来事に備えた。
「やっほー♪」
キュウちゃんが満面の笑顔で抱きついて来たのを、間一髪の所でかわす。
「あ、わわわわわわ、わ」
よけられるとは思ってなかったのかそのままの勢いで前につんのめり、倒れそうになるのを懸命に堪えていた。
「何踊ってるんだ」
「踊ってないわよっ!!」
沈着な黄昏の突っ込みに足を踏ん張り怒鳴り返すキュウちゃん。
「どーしてよけるのよ、せーちゃん!?」
「え、いや、それで前に一度痛い目に遭ってるから……」
ファーストキスのことが思い出され、少しばかり気が滅入る。あと、青空だからせーちゃんとキュウちゃんに呼ばれるのが、少し恥ずかしい。
「そんなっ!口付けを交わしたあの時が痛いだなんて……」
「あ、そ、そうじゃなくて、倒れでもしたら危ないじゃない……」
目を両手で伏せ嘆くキュウちゃんに慌てて弁解しても、一向に顔を上げてくれない。慌てふためいている僕を黄昏は突っ立ったまま冷めた目で見ていた。その視線が痛い。
「と、ともかく。それより、キュウちゃん一人?」
居たたまれなくなり、ひとまず話題を変えてみる。スタジオ前で待ち合わせの予定で、二人呼んでおいたはずなのに。
「あーあの子?今日は急用が入ってムリだって」
するとぴたりと泣くのを止め、あっけらかんとした顔を見せた。やっぱり嘘泣きですか。
溜め息と共にどっと疲れが出る。女の子を相手にするのって大変だとつくづく思う。
「ああ……そうなんだ。残念だけど仕方無いよね、黄昏」
黄昏の表情が曇ったのを、僕とキュウちゃんはしっかりと見逃さなかった。
「何何?せっかく天然美少女のアタシが来てやってるのに文句あるワケ!?」
「自分で美少女言うな。違う意味で天然かもしれないけど」
「むきーっ!」
普通の冗談は通用しません、黄昏には。
「キュウ、どこー?待ってってばー」
二人の取っ組み合いを笑顔で眺めていると、階段の下から愁ちゃんが姿を現した。
『あ……』
僕と黄昏、愁ちゃんを見て言葉を失い、顔を見合わせる。
「あ、こんにちはーっ。あれ、どうしたの?二人とも狐につままれた顔してるけど」
「きっと家内製手工業で産み出されたアンタのカワイさに見とれてるのよ」
「なにそれ」
「ちょ、ちょっと待て。おまえ、今来てないって言ったじゃないか」
いつもの調子でやり取りしている二人を見て、黄昏がキュウちゃんに突っ掛かる。
「やーねー、二人の反応を見たかっただけに決まってんじゃない。それでこの子のコトどう想ってるかってワカるからねー♪」
「おまえっ……!」
「わーストップストップ!女の子相手にそれは駄目―っ」
頭に来たのかキュウちゃんの首を締め上げる黄昏を慌てて止める。目の前で繰り広げられている光景に当の本人である愁ちゃんは、冷や汗混じりの困った顔で首を傾げていた。
「ふざけんなまったく……」
「あー本気で殺されるかと思ったわ……」
「ウソなんかつくからだよ。お手洗い行って遅れてただけなのにさ」
黄昏が肩を怒らせ先陣を切り、スタジオへの道を歩く。喉に手を当て大袈裟に振る舞うキュウちゃんとそれを咎める愁ちゃん。僕はやれやれとその間に挟まれ、3人を見ていた。
愁ちゃんのことをどう思っているのかは分からないけれど、横から見るととてもお似合い。ちなみに僕は二人よりも柊さんの方が好みかも。
「お」
スタジオのある高架が近づいて来ると、右手前のコンビニから袋を持ったイッコーがちょうど出て来た。僕達がそばに行く間に、袋から缶を取り出し早速飲み始める。
「やーっぱ女の子が二人もいると映えるわー。いっつも女っ気ねーとこでやってっから」
「それ、千夜さんが聞いたら怒るよ」
コーラを片手にしみじみと二人を眺めるイッコー。目の保養でもしているんだろう。
「美人女子高生二人が横で見守ってあげるんだから頑張んなさいよー」
「はいはい、黙ってくれりゃ美女でもなんでもいーわ」
軽くあしらうイッコーにキュウちゃんが駄々っ子の如く叩き返す。既に僕達の間で立ち位置が決まってしまっているみたい。合掌。
『N.O』の狭い階段を順に降りて中に入ると、毎度のように受付にはおやっさん。
「今日はやけに豪勢だな」
「そ、そんな所です……」
新聞越しに視線をこちらに向けるだけだから、威圧されているようで何だか恐い。
「ずいぶん狭いトコねー。もっと広いモノとばかり思ってたわ」
何気ない感想をキュウちゃんが漏らすと、おやっさんにガンを飛ばされた。慌てて背の高いイッコーの後ろに隠れる。
「一重にスタジオって言ってもいろいろあるからね。ここは千夜さんのお墨付きなんだ」
フォローするように僕が言うと、黙々と新聞に視線を戻した。場の空気が和らぎ胸を撫で下ろす。キュウちゃんが余計なことを言わない内に、僕達は右横の個室に移動した。
「あれ、千夜さん練習してないの?」
中に入ると、ドラムセットの前に座った千夜さんが手元に視線を落としていた。こちらに気付き顔を上げると、返事もせずに右横に置いてあったスティックを構える。
「おねーさまこんにちわっ♪ねーねー何見てたの?」
千夜さんの姿を見つけ浮かれるキュウちゃんが両手を広げ、そばまで駆けて行く。
「歌詞読んでたの?」
隣に腰掛けると横から覗き込み、千夜さんに顔を近づける。
「音だけ聴いていても上手く叩けないから」
「はー。そーゆーモノなんだー」
そっけなく返す千夜さんの横で腕を組み、うんうんと頷いていた。
とりあえず僕達も早速荷物を置き、準備に取りかかる。もう片方の部屋と大きさは同じで、6人も入るとその狭さを余計に感じる。
「何だか……賑やかだね」
それと、バンドの4人で入る時とは丸っきり空気の色が違っていた。ライヴの楽屋で話していた時と同じでいい方向に緊張感がほぐれ、どっしりと構えられる。
「浮かれ気分で足だけは引っ張るな」
「へいへい」
ドラムの鳴りを確かめ終わった千夜さんが横から口を入れて来る。この人だけはいつでも変わらないみたい。僕もギターを構え直し、リラックスするように一つ深呼吸した。
コートを脱いで軽い服装になった女の子二人がどこにいればいいのか迷っている。
「とりあえず……部屋の端に座っててよ。それと結構音出るから、気をつけてね」
「そんなに、出るんですか?」
僕の言葉に愁ちゃんが不安そうな顔をする。ライヴハウスに来たのも前回が初めてと言っていたから、どれほどのものかおそらく想像がついていない。
「ま、いっちょやってみっか試しに」
イッコーが得意気に親指で鼻を擦ると、足を開き深く構えたベースを鳴らした。アンプから飛び出した重低音の大きさに二人が肩を震わせる。
このスタジオは反響が良く、音が全身で感じられる。調子に乗って1フレーズ分弾いている横で、二人は目を瞑り縮こまっていた。
終わると同時に白い歯を向けるイッコーに、キュウちゃんが凄い剣幕で詰め寄る。
「ちょっとびっくりするじゃないもう!心臓飛び出るかと思ったわよ」
「だから気をつけろって言っただろ」
マイクの横に置いた椅子に腰掛けた黄昏が呟くと鋭い目を向けられるけれど、あっさり無視し呆然としている隣の愁ちゃんの方を向いた。
「大丈夫か?」
「え、あ、はい……凄いですけど、なんとか」
声をかけられて我に戻り、頬に手を当てる。こんなに至近距離で楽器の音を聴いたことが無いんだろう。僕も最初はとても驚いた記憶がある。
「ねーねー、耳栓とかないの?」
「おめー何しにスタジオ来てんだ」
催促して来るキュウちゃんにイッコーが手痛い突っ込み。
「ここにゃねーけど、他んスタジオなら外からヘッドホンで聴けたりすんだけどな。まーライヴよかマシだろ?アンプもそんなにでっかくねーし」
横に備え付けられているアンプまで歩いて小突いてみせる。でもイッコーのベースは他のバンドの人よりも前に出ているので、その分音量も大きい。僕達は慣れているけれど……。
何を言っても無駄と思ったのか、キュウちゃんは溜め息一つつくと壁際に戻った。
「わかったわよ、いればいーんでしょ。愁、こーなったら断固ここを動かないからね」
「あたしを巻きこまないでよ……」
迷惑そうな顔を浮かべる愁ちゃん。多分こんな感じでいつも引っ張られているんだろう。渋々ついて来ているその姿が僕と黄昏を見ているようで、何だか微笑ましかった。
ゆったりとした気持ちでスタジオにいるのは本当に久し振り。部屋を彩るぬいぐるみみたいに、二人が『days』のマスコットになってくれていた。
柊さんも含め、いいファンが付いていて幸せに思う。
「んじゃ、まずは一発合わせますか」
と、浸っている場合じゃない。イッコーが右腕を回しストレッチを始めると、黄昏もだるそうな顔でマイクの前に立った。ファンの子が横にいても普段の態度は変わっていない。
全員定位置で構えると、部屋の中に緊張感が走った。二人も空気の色が変わったのを察知し、息を呑む。いつも以上に緊張しながら、始まりのギターを鳴らした。
4人で合わせる『貝殻』。この曲はいつも何かの節目に鳴らしている気がする。創った曲一つ一つに様々な想い入れがある中で、これはとても特別に思えた。
間奏の間に彼女達を横目で見ると、両目を閉じて曲に聴き惚れていた。
「何か……違和感あるな。何でだろ」
終わると黄昏が開口一番、首を傾げる。でも僕も同じ感触があった。
刺々しさが各々あるような、無いような。今までは音にも現れていたぶつかり合っていたものが、その凸凹が幾分無くなったような、でもまだ残っているような。
これまでに感じたことの無いグルーヴができ上がっている。
いろんなものを乗り越えて来た分、成長したと言うことなのかな?
「でもまだやり易い。ベースの音が戻ったおかげで」
考え込んでいると、黄昏が首を鳴らしながら含みのある言葉を向けた。
「ま、今はこれでいーんじゃね?やっぱ気持ちよくねーとだめだわな、それが最初だわ」
イッコーが肩を竦め白い歯を見せる。突っ掛かる真似はしないので、少し安心した。
ベースの音色についていろいろ口論や衝突もあったけれど、ひとまず決着はついた。
ずっと自分の音を追究し始めていたけれど、それよりもバンドの音を大切にする方が重要と先のライヴで気付いたのか、あの後すっかり和解し以前の関係に戻った。
黄昏の唄う横でベースを弾くのが一番気持ち良いんだって、言ってくれたんだ。
「それよりどーよ?間近で観る感想ってのは?」
鼻高々にイッコーが二人に振る。相手のできないことを自分がやってみせると言うのは、それだけで優越感があるものなんだなと最近思うようになってきた。ステージの上に立っていると気付かなくても、こうして目の前でギターを弾いてみせると実感する。
「え、あ……ただただ、凄いなと……」
音にあてられた顔で愁ちゃんがぼんやりと答えた。いい悪い以前に、楽器と唄を合わせ演奏するのを間近で見て何も考えられなくなっているみたい。
「う〜んやっぱりアタシが見こんだだけのコトはあるわ」
「プロデューサーかおめーは」
腕を組み眼鏡を光らせるキュウちゃんにすかさずイッコーが突っ込む。
「まあまあ。次は構成を変えた曲を合わせてみようよ」
このまま二人のやり取りを眺めていたいけれど、そうもいかない。知らず知らずの内に話し込んでしまいそうなので、練習中はちゃんと意識を切り替えていよう。
「ほれ、たそ」
イッコーが自分の荷物置き場からギターを取り出し、ピックとセットで黄昏に渡した。
「おれんギターだわ。ぶっ壊しでもしたら承知しねーかんな」
「へー、コレが前のバンドで使ってたヤツ?」
キュウちゃんが近寄って来て、受け取ったギターをしげしげと眺める。赤色を基調とした派手な外観に、珍しいオレンジのピックガード。ディガーと同モデルのテレキャスターだけど、カラーリングがイッコーの性格を表しているように、いろいろ独自で改造されている。
僕もこのギターを見るのはこれで数回目。普段は持ち歩かないし、家で弾く時くらいしかイッコーも今は使っていないみたい。
「どーせたその弾くのはコードだろ?だったらテレキャスで十分だわ」
イッコーは質問に答えず簡潔にまとめた。二人は揃って眉をハの字にしている。
「でも……ホントに上手く行くのか?」
期待2不安8くらいの割合の表情で肩にかけたギターを見つめる黄昏。
「だーいじょーぶだって!どーんと任せて、どーんと!」
「それが不安なんだ……」
キュウちゃんが横で背筋を伸ばし自分の胸を叩いてみせると、黄昏はますます沈んだ。
黄昏にもギターを持たせ演奏に参加させる。
それがキュウちゃんの出した新しい提案の一つ。
楽器を増やした方がただ構成を変えるだけよりは何倍もいいと思ったので、僕達はその意見に乗った。そしてこの2週間、黄昏にみっちりギターを教えてきたけど……。
「前にも試しで合わせたでしょ?それよりもどっちつかずにならないようにね」
「できたかったら……諦めてくれ」
その言葉通り、まともに弾けるレベルには至っていない。
とりあえず今はコード進行だけを同じリズムでストロークさせる。その分同じ楽器の僕の負担もかなり解消されるし、よりアグレッシブに演奏出来る。
――と言うのが先方の見方だけど、果たしてどうなることやら。
一曲目は『へヴィ=レス』。ここしばらくはやっていなかった曲で、今の今までずっと練り直していた。構成とフレーズを変えているので、手触りが以前と大きく異なる。
でも間隔を開けたおかげで以前までの手癖がすっかり抜け、やり易い。新曲と思って演れば何の問題も無かった。と言うか、もう完全に別の曲――いや、その言葉も違う。
バンド自体が丸々変わってしまったような印象を受ける。
ギターが一本増えるだけでこうも違うんだと驚いてしまうほど、全く新しいグルーヴが生まれていた。
黄昏はやり辛そうに手元に何度も視線を下ろしながら猫背気味に唄う。何箇所も間違えたり唄に夢中になるせいでストロークを忘れたりと課題は無数にあるけれど、いい。
何より、間奏が全然違った。
僕が単音のリフを弾いてもバックにコードストロークがあるおかげで響きが別物になる。
それと情緒性や曲の深みを増す為に長くした小節部分もカットし、曲として耳に残り易さを重視した。その分フレーズや曲の展開を巧みにしてカバーする。
今の僕達はそれができる位の力を長いトンネルの間に身に付けていた。
「すごーいすごーい!予想以上!」
曲を締めると同時にキュウちゃんが立ち上がり、頭上で手を打ち合わせ大喜びしていた。そこまではしゃがれるとかえって照れてしまう。
「か?いっぱいいっぱいで全然何やってるかわからないけどな、俺。何か唄いにくいし」
黄昏が疲弊し切った顔で僕を見て来る。無理もない。
「いいと思うよ。響きが今までとまるで違うもの」
でも手応えは相当あった。4人で一斉に鳴らすのは最初だけど、これならと言う確信に近いものを感じる。希望の光が見えて来て、僕は込み上げて来る嬉しさを噛み締めていた。
イッコーもガッツポーズを取り、嬉しさの余りベースを打ち鳴らす。黄昏が苦笑いを浮かべると、視線の先の愁ちゃんが口を開けまま目を輝かせ頷いてくれた。
「今日は珍しく千夜のカミナリが飛んでこねーなー。どーした?生理か?」
冗談を言うイッコーの笑顔に千夜さんの投げつけたスティックが突き刺さった。
「まだ見えない部分が多過ぎて評価できないだけ」
溜め息を一つつき、淡々と横に置いていたケースから予備のスティックを取り出す。床に膝をついて呻くイッコーにキュウちゃんが容赦無い罵声を浴びせ続けていた。自業自得。
「千夜さん的にはどう?いいと思う?」
告げ口が来なかったからと言って楽観していられないので尋ねてみる。おそらくメンバーの中で一番判断出来る力を持っているのは千夜さんだから。
スティックの調子を確かめてから、僕の問いに答える。
「しばらくまとまるまで固めてみないと……何とも言えない。ただ、一つ言えるのは、」
そこで一旦言葉を区切り、視線を黄昏に向けた。
「黄昏のギターはまるで聴き物になっていない」
「――それは仕方無いよね……」
音の厚みは出ていても、まとまっているかと言うとそうでもない。僕達3人の音が合っているから余計に黄昏のギターは目立つし、雰囲気で誤魔化している部分もある。
けれどそれを差し引いても、この新体制はいけると思った。
「らしいから頑張んなさいよ、たそ」
「うるさい。人の身にもなれってんだ」
励ましの声をかけるキュウちゃんに黄昏がいじけてみせる。横で愁ちゃんが微笑んでいた。
どうやらこの子達は本当に僕達の救世主なのかも。
「この調子で新曲も合わせてみるのか?」
「お、そーだわ」
ぶっきらぼうな黄昏の言葉に思い出したのか、鼻を赤くしたイッコーが腰を上げると予想もしていない台詞が飛び出た。
「おれ、自分で作った新曲持ってきたんだわ」
「ホントー!?スゴイスゴーイ!!」
キュウちゃんが目を輝かせている中、僕も驚いていた。
これもキュウちゃんの提案の一つ。しかし本当に創って来てくれるとは悪いけれど思っていなかった。心のどこかでまだイッコーを信じ切れていない自分がいて、情けなくなる。
「あーうるせー。とりあえず家でデモ録ってきたのあるから、それ流してみるわ」
やかましいキュウちゃんを黙らせ、壁にかけた自分のジャケットからテープを取って来るとカセットデッキに差し込む。どんなものか想像がつかなくて、心臓が早く脈打つ。
とりあえず訊いてみた。
「何曲録って来たの?」
「10曲か?」
「ぶ」
そっけない答えに黄昏が吹き出す。さすがに全部はすぐ覚えられない。
全曲使うかどうかはともかく、それだけ持って来てくれたのは凄い。もしかすると今まで溜めておいた曲も『days』用に回してくれているのかも。
歓喜の目を向けていると、千夜さんが飽きれたように溜め息を大きくついた。
「練習の時間を無くすつもり?」
「あとでテープ渡すっちゅーの。まー一曲試しに聴いてみんしゃいな。出来いーんを最初に持ってきてっから。まんま使えると思うぜ?」
歯を立てて笑顔を返すと、イッコーはデッキの再生ボタンを押した。やや間を置き、ドラムマシンの規則的なリズムがスピーカーから流れ出す。
そしてイッコーのシャウトが入ると、全ての楽器が一斉に奏で始めた。不意のシャウトに身を固くした彼女達を見て、イッコーが悪戯っ子のように白い歯を立て笑った。
ヴォーカルは勿論イッコーが取っている。その体格と外見とは似つかわない伸びのある高音の声質だけど、わざと崩してがなっているので唄い方は黄昏とは別の意味で独特。
でもさすがに前のバンドでヴォーカルを取っていたこともあり、やはり上手い。
「……なあ、ホントに俺が唄うのか、それ?」
一番が終わった所で、黄昏はげんなりとした顔をイッコーに向けた。僕も同感。
「あんまおめーに合わせて創ってもどーかと思ったんだわ」
曲調も歌詞も、完全にイッコーのものだったから。
歌詞もイッコーの創る分は全部本人に任せているから、僕が創って黄昏が唄う従来の曲とはかなり感じが違う。正直な所、『days』の曲にはあまり合わないような気がした。
何だか、イッコーのソロみたいな感じがして。
でもキュウちゃんは違うのか、ノリノリで最後まで曲を聴いていた。
「ウン、いいんじゃないのー?でもその前に、唄う前に照れをなくすトレーニングをしないとね。ギターの練習と一緒にやればOKなんじゃない?」
「……おまえな」
他人事と思ってるだろ、と黄昏が無言で冷めた目線を向ける。どちらが唄うのか、使うのかどうかは、僕一人で判断するより周りの意見を聞いた方がいい。
「面白い、けど……。千夜さんはどう思う?」
話を振ってみると、きっぱりと返して来た。
「やり易い」
「……それだけ?」
「曲の良し悪しを私に訊くな」
それじゃ黄昏と一緒じゃないですか。
「ただ――それほど違和感は無い」
「マジかよ?本気で言ってるのか、それ?」
慌てて黄昏が反論する。僕も黄昏と同意見だけど、それは僕が『days』に自分の世界観を当てはめ過ぎているからなのかも知れない。想い入れもあるし、なるべくなら壊したくないと思っている節が無意識の内にあるに違いない。
それが足枷になっている面も確かにあるとは思うし、でも……と言う気持ちもあるから、これはもうみんなに任せよう。首を傾げることが結果的に良い方向に繋がることもあるはず。
「ま、おれが唄うかおめーが唄うかはやってみてから決めりゃーいいんじゃねー?でもおれが唄うんなら、ちゃんとギター弾かなきゃなんねーけどな、たそは」
「どうして俺だけこんなにやらなきゃいけない事が多過ぎるんだ」
頭と愚痴を垂れているけれど、僕達も何も任せているだけじゃない。黄昏が今まで歌を唄っているだけで他に何もしていなかっただけで、注意するまでもないだろう。
言ってもきっと解らないし、必要と思ったら自分から動く人間だから、黄昏は。
「――第一おまえ、一体俺達に何やらすつもりなんだ?」
「へ?アタシ?」
しかし思う所があったのか、顔を上げてキュウちゃんに猜疑心のある目を向けた。
「マネージャーって言っていろいろ俺達に押しつけてるけど。どうせただの一ファンだろ?それなら俺達のやる事横で見てるだけで十分なんじゃないのか」
乱暴な言葉にキュウちゃんは何のことやらと目を丸くしていたけれど、スタジオの空気が張り詰めるのを感じ、身構えた。隣の愁ちゃんが不安な目で二人を見ている。
「いきなりしゃしゃり出てきた部外者に口出しされると腹立つんだ。こんな事やったってホントによくなると分かって言ってんのか?おまえの趣味嗜好を満足させるために駒みたいに使われるのはまっぴらごめんなんだよ。おまえ等だってそうだろ?」
『…………』
顔を向けられ、僕達はお互いを見合わせた。一様に揃って肩を竦めている。
黄昏の言うことももっともと思う。でも僕は藁でもすがる思いで二人を呼んだ訳だし、イッコーも千夜さんも思う所があったからマネージャーにしたかったはず。
それとやっぱり僕は、自分に良くしてくれる人間を相変わらず簡単に信じてしまうんだ。
言われ放題でしばらく無言でいたキュウちゃんが、眼鏡をかけ直し僕の顔を見た。
「――せーちゃん、『days』のイイトコロって知ってる?」
「え?」
突然尋ねられても、答えなんて――
なんて……あれ?
「千夜おねーさま、『days』の長所と短所、はっきりと一字一句全部言える?」
「そ、それは……」
珍しく千夜さんがどもっている。悪い部分はすぐ出てくるのに――。
「ねえイッコー、『days』の持ってる魅力って何だと思う?演奏の上手さとか抜きにして」
「ん、んーとだな……。ん〜?」
僕と同じでイッコーも答えられない。
多分、誰も分かってないんだ。『days』のいい部分って。
3人の力量の凄さは自他共に認めている。僕自身が持っている感性や世界観も誰にも無い唯一無二のものと思っているし、それに対しての揺らぎは無い。と言うか、揺らいでしまうと自分自身を信じれなくなるので『=負け』に繋がってしまう。それはいけない。
「で、たそだって自分も他人もどれだけのモノを持ってるのかってわかってないでしょ?」
「それは――まあ、そんなの考えもしなかったからな……」
一人一人の良さは言葉に出来ても、バンド全体の、『days』の良さと言われるとほとんど考えたことが無かった。技量が足りなくて思い通りの表現が出来なかったり、人間関係が悪くなって演奏が噛み合わなかったりでマイナスな部分はいくらでも出て来る。
じゃあこのバンドの素晴らしさって何だろう?
何も答えられない僕達を見て、キュウちゃんは腰に手を当て胸を張ってみせた。
「ホラみんな、なーんにもわかってないじゃない。これまでガムシャラにやってきていい結果残せてるけど、そのまま突き進んでくなんてムリよ。だってそのメカニズムがわかってないんだもの、やってる本人たちが」
「む……」
黄昏は口をへの字に曲げたまま、何も言い返せなかった。勿論、僕達も。
この4人が集まったことで生まれる良さ、それが見えていない。
「どーせ自分のできる範囲の部分だけカバーしてればいいとでも思ってたんでしょ?イイ曲作ってイイ演奏して――口にするのは簡単だけど、じゃあそれをどーすればいいのか!?」
僕達4人を見回し、キュウちゃんは肩を竦めた。
「――そこで苦労してるんじゃない?ってアタシは思うワケさね」
もう見事に当たり過ぎて、拍手してしまいたい。それほどキュウちゃんの視線は的確で、おそらく僕達以上にバンドのことを分かっているだろう。
ただの一ファンじゃない、この子。
「んなこと言ってっけど、バンドのこととか音楽のこととかおめーにわかんのか?」
泊さんみたいに何か裏があると思い身構えていると、癪に障ったイッコーが鼻で訊き返した。五人の視線がキュウちゃんに集まる。部屋に沈黙が走り、僕は唾を飲み込んだ。
「わかるワケないじゃない、バッカねー」
全員ずっこけた。
腰砕けしている僕達を見て、キュウちゃんは楽しそうに笑っている。だ、だまされた。
「おめーなー!!んじゃあそれなら……」
「――あーでも、こーしたら絶対よくなるなー、っていうのは見えるわよ、はっきりとね」
すかさず怒鳴り返そうとするイッコーの言葉を止め、得意気に言い切ってみせる。
「何が足りないなー、ここをこうしたらいいのになー、なんてのはいくらでも見えるワケ、ファンの心理からしたらね。何も『days』の曲を満点と思って聴いてるワケじゃないから」
その堂々とした態度に、横で愁ちゃんが感心した顔で見上げていた。
柊さんみたいに僕達のやっていることを丸々受け止めている人もいれば、キュウちゃんみたいな人もいる。自分がリスナーに立てば簡単に分かることも、当事者の位置に立てば見えないこともたくさんある。
「でもさ、それなら満点の曲、聴きたくなるじゃない?」
そう言って歯を立てて笑う。とても心地の良い笑顔で。
――この子がいれば、大丈夫。
僕はそう確信した。キュウちゃんはいろんなことを僕達に気付かせてくれる。
何だか、新しい5人目のメンバーを見つけた気がして嬉しくなった。
「アタシはねー、ステージ下から観てる『days』が大好きだから、もっともっと大きくなってもらいたいだけなの。打算とかそんなのなーんにもないわ」
キュウちゃんが話しながらスタジオの中を歩き回る。
「お金にもなりゃしない、時間だってもったいない。援交やってるほうがよっぽど実入りイイ、イイ男ひっつかまえて遊んでるほうが気が楽でイイわよ」
黄昏のマイクを掴み、丸い部分をピンクのマニキュアを塗った細い指で弄ってみせる。愛撫を連想させるその仕草に、思わず顔が赤くなる。
つまらなさそうにマイクを離すと、笑顔で頭の上で腕を組んでみせた。
「でもね、この4人と、『days』といっしょにつきあってくほうがずっとずっと楽しいと思うのよ。だから引き受けたワケ。みんなみんな、もっと凄くなれるんだから」
僕は何も言えなかった。彼女の口上に、ちょっと感極まって。
「ほら、アタシでも力になれるでしょ?横から口出しするだけだけど、ね」
元の場所に駆け足で戻ると僕達の方を向き、赤い舌を出しウインクをした。その仕草にキュウちゃんの気持ちをたくさん感じ、胸が一杯になる。黄昏の顔を見ると文句の一つも出て来ないみたいで、やれやれと肩を竦めていた。イッコーは白い歯を見せ、千夜さんも溜め息一つ付くとドラムを軽く鳴らす。それだけで気持ちは通じた。
みんな、異存は無い。
「さーそーと決まれば練習練習!ライヴまであんまり時間ないんだからね!!」
「なーんかすっかり主導権握られてんよなー……」
キュウちゃんが手を叩き指揮を取ると、イッコーが腑に落ちない顔で立ち位置に戻った。すっかり頭が上がらなくなっている。でも練習が終わると、さっきみたいにからかったりするんだろうな。そう思うとおかしく、つい笑みが零れてしまった。
愁ちゃんがはにかんで僕達を見守っている。彼女の存在も、場に心地良い空気をもたらしていた。キュウちゃんと二人で1セットなんだなあとつくづく思う。
これなら、上手くやっていけそう。
僕達はまだまだ、歩いていける。
「せーちゃんが持ってきた新曲あるんでしょ?次はそれ合わせようよ!」
「お、おい。勝手に決めんなっつーの」
「構わない、それで。まずはできる物を一通り合わせてから」
調子に乗って意見するキュウちゃんに慌ててイッコーが返すのを、千夜さんのフォローであっさりと却下されてしまった。甘い視線をキュウちゃんが向けると、千夜さん無視。
「だって。どうする、黄昏?」
「〜〜〜〜〜、もういい。おまえ等の好き勝手にやってくれ」
もうどうでも良くなったのか、笑顔の僕の問いに投げ遣りに答えた。
「言う通りにするから。それで満足なんだろ?おまえ達も、そこの女の子二人も」
うんざりした顔で僕達を見る。これ以上の抵抗は諦めたみたい。
「――分かってるじゃない」
「ふん」
僕が含み笑いを見せると、黄昏はつまらなさそうにそっぽを向いた。