054.I'm sorry
「おい、ちょっと待ておい!……って、切れやがった」
イッコーが手に持った自分の携帯を忌々しげに見つめている。
「……誰?」
普段なら他人の電話の用件を訊くなんて野暮な真似はしないけれど、ずっと電話の相手と言い争っていたので、気になった。
「キュウのやつ。今からおれんち来るから迎えに来てだとさ」
「――え?」
少しばかり、思考回路が繋がらなかった。僕が呆けている間にイッコーは面倒臭そうに腰を上げ外に出る支度を始める。
「って、今、だって――」
僕が指差す壁時計の針は、2:20を回っていた。と言っても昼間じゃない。オレンジのカーテンの向こうには真っ暗に静まった夜の街が広がっている。
深夜。一部屋に、男二人と女の子一人。
「しょーがねーだろー。電話の向こうでダダこねてやがんだから。あのままほっといたらぜってー朝まで外にいるぜ。したら後でグチたれるに決まってんだ。しゃーねーって」
2度仕方無いを繰り返し、イッコーは外に出るには寒そうな格好で部屋を出て行く。目の前の状況を呑み込めずにベッドの上に腰掛けていると、僕に向かい一瞥くれた。
「ほら、何やってんだ。おめーも来るんだっつーの」
「あ、う、うん……」
言われるままに僕もギターを置くと仕度を始める。一足先にイッコーは階下に降りた。
「――本当に、来るの?」
声に出して訊いてみても、勿論誰も答えてくれる訳が無かった。
今日はイッコーの家で曲の打ち合わせを泊まり込みで行っていた所で、このまま寝ずに順調に作業が進むと思っていた矢先にまさかの呼び出しを食らってしまった。集中力が途切れてしまい、軽い眠気が襲って来る。あくびを噛み締め僕も後に続き、部屋を出た。
暗く静まり返った1階を通り抜け、裏口から外へ出る。イッコーが路地の先で待っていたので鍵をかけるように扉を指差すと、どうせすぐ近くだからと首を横に振られた。
狭い裏道を抜け、表の商店街の通りに出る。この時間だと人通りが全く無く不気味に感じる。それでもショッピングモールじゃない分足音が響かないので、まだマシかも。
「でもどこにいるの?一人なんでしょ?」
「東通り商店街とその向かいの商店街の間。ほれ、高速道路が上走ってるとこ」
「あ、そこまで出てるんだ。近いじゃない」
「ま、遊んでたんだろーなー。あのへんそーゆーのいっぱいあっから」
…………。
頭の配線が繋がらない僕をその場に残し、イッコーは先を行く。
「おい、なにやってんだ。早く回収して引き上げよーぜ。思ってたよりさみーわ」
「あ、ごめん……」
なるようになれと、半ば開き直り後を追いかけた。
『龍風』から水海の東通り商店街までは1km程しか離れていない。1km以上の長さを誇っている巨大なショッピングモールで、いわゆるそっち系が密集している歓楽街。僕は呼び込みされるのが大嫌いなので、普段からなるべく近づかないようにしていた。
しかし夜も更けているからか、店の明かりはあっても人の姿も無く、気味悪いほど静か。夕方や祝日には歩けないほどの人混みな分、そのギャップに違和感があった。
「あー、来た来たー♪」
10分程歩き静まり返った商店街を抜けると、地下街の入口にキュウちゃんの姿が見えた。こちらに気付いて大きく手を振ると、手提げバッグを揺らし駆け寄って来る。
標的は、僕。
「たっ」
飛び込んで来ると思って身構えると、厚底のブーツを履いていたせいかキュウちゃんの足がもつれて躓いた。バランスを崩して向かって来るので、避けるに避けられない。
「わわわっ」
動けずに体を抱き止めると、僕も迷いの分踏ん張れなかった。
そのまま後ろに倒れる――と思ったら、何故か倒れない。
「おめー危ねーっつーの。そんなブーツで走んな」
「あ、ありがと……」
咄嗟に僕の体を後ろでイッコーが支えてくれていたおかげで、幸い怪我をせずに済んだ。
「キュウちゃん、大丈――」
一息ついて訊こうと思ったら、そこで言葉が詰まった。
鼻をつく香水のようないい匂い。全身から濡れたような、火照っているような雰囲気を漂わせていて、艶っぽい。フェイクファーのコートを着ておめかししているせいなのか。
「あーよかったー。知ってる人に会えてー……」
僕の顔を間近で見上げると、顔を胸に摺り寄せて来る。戸惑いながらも僕は惜しつけられる顔の感触から、違和感の原因に気付いた。
眼鏡をかけていない。
やけに大人びて見えたのもそのせいだろう。素顔になるだけで随分と印象が違っていた。
「それはそうと……恥ずかしいんですけど」
「……いーじゃない、キモチイーんだからー」
「『だからー』じゃねー。わざわざこんな夜中に呼び出しやがって、何考えてんだ」
「あ〜ん」
僕にしがみついて来たキュウちゃんをイッコーが無理矢理引っぺがす。恥ずかしかったけれど僕も気持ち良かったので、ちょっと寂しい。
「そういえばどーしてせーちゃんがいるの?」
「ウチで曲の打ち合わせしてたんだっつーの。明日練習っしょ?おめー忘れてたんか?」
「あーなるほどー。えらいえらーい」
手で相槌を打つと、背を伸ばし僕の頭を満面の笑顔で撫でて来る。童顔だからからかわれているんだろうか?イッコーに視線を送るとさりげなく無視された。涙。
とにかくここで話込んでも仕方無いので、キュウちゃんを連れ3人で道を引き返した。
「イッコーの家ってわかんなくってさー。だから携帯入れたのよね〜」
「あのなー、なしておれなん?他に遊び友達くれーいるっしょ。それもこんなクソ夜中に」
「だって、みんな寝てるもの。他の誰かと遊んでるかさ。当然じゃない?」
「そのみんなの中におれ達は入ってなかったんか?」
「あー。そーねー。考えもしなかったわ。ゴメンゴメン」
「ったくなー……ほれ、青空も何か言ってやれ」
「何かって……げ、元気?」
「元気元気―っ♪もう毎晩夜遊びするくらい元気よーっ♪」
「だめだこいつら……」
そんな他愛も無い話を繰り広げながら帰路を辿る。キュウちゃんがハイテンションで叫んでいたので近所迷惑も甚だしい。周りのみなさんごめんなさい。
「ったく……今日だけだかんな、泊めてやんの。オヤジ達寝てっから、静かにしてろな。大声出したら押し倒すかんな」
「えーなになにー!?押し倒してくれるのー!?」
「……もーいい。おめー、黙れ。とにかく黙れ」
付き合い切れなくなったのか諦めた表情で、イッコーは家の裏口の扉を開けた。小さく一声かけ、僕もお邪魔する。キュウちゃんも僕に倣い、後に続いた。
なるべく階段を軋ませないように抜き足で店奥の木製の階段を上がる。1階は『龍風』の店舗とイッコーの両親の寝床があり、階段を上がった左手にイッコーの部屋がある。
「はーっ。男クサい部屋ねー」
部屋の中を見たキュウちゃんが開口一番、呆れた口調で言った。
黄昏の部屋と同じ8畳だけどこちらは和室で、物が目一杯に置かれているおかげで足の踏み場はあまり無い。本棚は一つしか無く漫画もそれほど並んでいる訳では無いけれど、棚に入り切らない音楽雑誌が床に平積みされていたりする。
僕の部屋と比べてみても、その乱雑さは一目瞭然。
「なーに?洗濯物?取りこみなさいよこれぐらい」
天井から吊るした乾き物がそのまま干されていて、その分余計に狭く感じる。僕が来た時にも言ったのに本人が面倒臭がり、そのまま放置されていた。
「いーだろーが別に。女呼ぶためにしてるわけじゃねーんだかんよー」
うざったそうに言うと、飲み物でも持ってくるのかイッコーは下に降りて行った。多分おばさんにも口うるさく言われているに違いない。
「あーもー疲れた疲れた。こんなに気苦労したの久しぶりよ」
キュウちゃんが手提げ鞄を置き、適当な空いているハンガーを探しコートをかけると、勢い良くベッドの上に腰を下ろした。音を立てスプリングが跳ねる。
どうしてキュウちゃんは男の人の部屋に入るのに抵抗が無いんだろう?と考えたのも束の間、すぐに答えが思い浮かび僕は思わず顔を覆った。
「何?ギター弾いてたの?ホントにやってたんだ」
「え?あ、うん……」
ベッドの上に置きっ放しにしていた僕のギターの弦をマニキュアの塗った指で、つまらなさそうに爪弾いている。何かあったのか、どうやら機嫌が悪いみたい。
「あーあアタシも最初っからこっちに来とけばよかった。しくじったわー」
部屋の中を見回しながらしみじみと呟いた。壁際にはイッコーの好きなバンドのTシャツやピンナップが所狭しと貼られていて、天井までポスターで覆い尽されている。楽器やら録音機材やらで部屋の半分は埋め尽くされていた。机はあっても、こたつすら無い。
「どう?女の子ってこう言う男の人の部屋を見て」
ふと女性の心理が知りたくなったので、訊いてみた。
「そーねぇ……。アタシは好きだけどな、こーゆー匂いの染みついてる部屋。オトコ丸だしってカンジでよくない?ん、どーしたのせーちゃん?」
「いえ……何でもありません……」
直球過ぎてもう何とも言い難い。と言うか、素でいやらし過ぎです……。
直視出来ないので、横目でキュウちゃんの姿を確かめる。ピンク一色のジャケットとお揃いの色をした膝上までのワンピース。明かりの下に出ると素足のラインがくっきり見える。いつもの赤眼鏡で抑えていたであろう色気が今日は全身から噴き出ていた。
と、そこで重大な事実に気付き僕はあたふたしてしまった。
「今度せーちゃんとかたその部屋も見てみたいなー。どんなカンジかな?楽しみねー」
早く、早く来てくださいイッコーさん。僕もう、耐えられません。
「そーかそーか今日だったら二人がかりかー。あんな奴より何億倍もよかったかも」
訊かないで下さい……。
「ねーねーせーちゃん。これから――」
「おれのいない間にいたいけな純情青年を口説いてるんじゃねーぞ、このつまみぐい女」
限界近くになった所で、お盆を抱えたイッコーがようやく戻って来てくれた。本当に良かった。これほどまでにイッコーのことが神様に思えた日は無いかも知れない。
「つまみぐい言わないでよ。今日はもー大変だったんだから!」
「へいへい。グチは聞くけど静かにしてくれな」
ご立腹のキュウちゃんを簡単にあしらい、りんごジュースを乗せたお盆を畳の上に置くと早速用意したグラスに注ぐ。この図太さと言うか精神力、見習いたい。
「もーホンット頭くるわ!!あんのオヤジ〜〜!カラダ中ベトベトにツバつけてくんのよ!?」
「それは……大変だね……」
グラスを口につける前で良かったと、心底思う。
「一人目が早く終わったから――11時くらい?二人目探して。渋そうなアタシ好みのオヤジGETしたと思ったら、もーソイツとんでもないヘンタイでさー。シャワーも浴びさせてくんないのよ!?金出すからって。そのまま2時間くらいひたすらヤリっぱなし。錠剤使っちゃってさ。もたないっての、アタシの腰」
やっぱり……事後……。
「ユルユルになったらどーしてくれんのって、ねえ!?」
「おれに振んじゃねーっての。そんなナマナマしー話すんな」
「いくらコンドームつけてたってアレだけやられたら妊娠しちゃうじゃないの、ねえ!?」
「おーい、だいじょーぶか青空―っ」
「……なんとか……」
貴方はよく大丈夫ですねイッコーさん。
「でさー、全然放してくんないのよコレが。朝までって約束だったけど『このままじゃヤバい!』って思ったから、男が気抜いて寝静まった隙に料金分アイツの財布から抜き取ってそのまま逃げ出してきたの」
凄まじい……。
「んじゃおめー、ベトベトってわけ?」
「あーそーだ!!シャワー、シャワー貸して!!忘れてた、キャーッ!!」
「黙れ黙れ黙れ黙れ。貸さねーぞ」
「黙ります……」
何だか二人のやり取りを見ているとコントを連想してしまう。
「もートイレでハンカチ水濡らして拭いてきたの。あと、香水体に思いっきり振りかけて」
抱き着かれた時に漂って来た匂いはそれなんだ。でも、それって……。
「しゃーねーなー、ついてきな。タオルとか貸してやっから。服どーすっか?」
「あー、ジャケットだけ洗って。こっちはインナー着てるからダイジョブダイジョブ」
そう言ってキュウちゃんは羽織っていた上を脱いだ。中のワンピースは袖が無く、二の腕が丸々見える。華奢では無いけれど、余分な肉もついていないすべすべした腕。
男の舌があの肌を這いずり回ったと思うと、全身に悪寒が走ってしまった。
「洗濯機回せねーから明日になっけどそれでいーか?」
「あーもー何でもいい!体洗わせてー。ひーん」
泣き顔で地団駄を踏むキュウちゃん。下腹部に目が行ってしまうのはどうしようもない。
二人が下に降りて行くと、ようやく部屋も僕の心も静かになった。
――何も無いって、幸せ。
大きな穴の開いた心でリンゴジュースの味を堪能していると、イッコーが戻って来た。
「ったく、何だありゃ……生きてるか、青空?」
「新しい世界を知ってしまって、ちょっと気が動転してると言うか、おかしくなったかも」
「まーおれはダチとかからエンコーの生態聞いてっからなー、そんなに驚きゃしねーけど」
よっこらしょと年寄り臭く畳にあぐらを掻き、ジュースを注ぐイッコー。
「でも――恥ずかしくないの?部屋、入れるのとか」
「そーでもねーなー。昔に慣れちまったし。あとおれな、興味のねー女にゃ性欲ちっともわかねーんだわ。その辺メリハリついてるってゆーか」
……何だか、単に僕が節操の無い人間に思えてきた。
「まーでも結構かわいい部類よ?顔立ちいーし。最後の楽園なんかと比べもんになんねー」
「人類未踏の地、かあ……」
想像できるけれどしたくないような。
「好みではないんだ?」
「だなー。理想の女性、ってのがおれはちゃんとイメージできてるかんね」
鼻高々に僕の問いに答え、手のジェスチャーで人のラインを形作ってみせる。
「ま、それより今はこっちだわ。キュウのせいですっかり脱線しちまったわったく」
一息でグラスの中身を飲み干すと、イッコーはそばに置いてあった紙を手繰り寄せた。
イッコーが創っている新曲。先程までずっとこれについて語り合っていた。今回もバイト後に来たので多少疲れはあったけれど、キュウちゃんのおかげですっかり目が冴えた。
「ここまで固めちまうと、おれが唄ったほーがいーよなこの曲」
手に取って叩くその紙には、まだ名前の無い新曲の歌詞とコード進行が書かれていた。
僕と違いイッコーは曲の大部分を頭で覚えていて、紙にはリズムが変則的になる部分等の注意書きしか余分な物は書いていない。録音機材もあるので、まとまった物を直接テープに残しておいてそちらを普段は使用している。
黄昏のノートもそうだけど、人によってやり易い自分の手法があるんだなと実感する。僕は結構紙に細部まで書き込んでしまうタイプで、しかしその通りに弾かないことも多い。
「いいと思うよ。黄昏が唄うには辛いだろうからね。ただ……」
今まで気になっていても口に出さなかったけれど、はっきり言うことにした。
「『days』の新曲って言うよりも、『staygold』の新曲だよね、これ」
イッコーの以前所属していたバンド『staygold』の音源は僕も貰って聴いているので分かる。
「前向きなのは同じなんだけど、アッパー過ぎると言うのかな……」
テイストとしては解放的なパンクの部類に聞こえる。確かに、まだデモテープにもなっていない段階なので簡単に比べるのは早計と思う。千夜さんのドラムはいろいろ掛け持っていてもロック色が強いので、4人で合わせればまた違って響く気はしても……。
「でも音は『days』の音っしょ?前のベースの雰囲気に合わせてっけど」
「そう、なんだけどね……」
音色も奏法も、確かに以前のベースに戻っている。これまでいろいろ思考錯誤していたけれど、結局元の鞘に落ち着いた。実際、僕達はその方がやり易い。ただ――
「――けどさ、イッコーってホントはもっと違う音楽やりたいんじゃない?」
以前、ずっと遠慮してベースを弾いていたって言っていた。その時以来自分の色を出して行こうといろいろ手探りしていたけれど、結局『days』の色に染まらないまま終わってしまった。それって妥協したってことじゃないのかな?
「何だろ……迎合してると言うのかな、無理に合わせてるんじゃないかって、思うんだ」
臆する気持ちを抑えみ、僕はイッコーの目を見た。向こうも上目遣いに僕の目を無言で覗き込んでいると、やがて黒色の頭を掻き姿勢を崩し、狭い畳の床に寝転んだ。
「別に諦めたわけじゃねーよ。よけーなことしなくてもいーんだわ、『days』は」
「で、でも、昔っからずっと僕達に合わせてレベルを落としてくれてたんでしょ?」
慌てて問い尋ねると、イッコーは落ち着いた様子でお盆のグラスを手に取った。
「あのな、たその声に合わせてベース弾くってのはマジで気持ちいーんだわ。もーそれだけでベースプレイヤー冥利に尽きるっちゅーくれーな」
「それは前にも言ってたけど――」
「たそがすげー歌聴かせてくれたら引っ張ってくれんだわ。それでいいんだわ」
僕の言葉を遮って言い切ると、飲み難い体勢のままりんごジュースを口に含んだ。
「サポートってわけじゃねーけど。何もおれ達が前へ前へ無理に出なくても、たそがまん中いたら自然と周りもサイコーの音が出せんのよ。おめー見てたらわかるっしょ」
「僕?」
指差され、首を傾げてしまう。
「おめーって、他んバンドじゃぜってーギター合わせられねーんだわ。わかっか?」
「ううん、全然……」
また厳しい言葉が胸に突き刺さり、悔しくなる気持ちを堪えて答える。
「おめーのギターって、たその横で弾くためにできてんだわ。言ってみりゃ『days』で鳴らすためだけのギターっつえばいーんかな」
「『days』の……為だけ?」
そんなの、ちっとも考えたことが無かった。
「一心同体なん、たその声とおめーのギター。もーそこに上手い下手のレベルなんて飛び越えたもんがあるんだわ。そーだな……絶対無敵のグルーヴってやつ」
「――言われて初めて、気づいたよ」
確かに僕は常日頃からどうやって黄昏の唄声を絡ませるかを考えて曲創りしているし、ヴォーカルが最大限に聞こえるようにギターのリフも展開も考えている。続けている内にそれを自然と思っていたから、自分のギターが特化されているなんて解らなかった。
「だからな、おれもその中に横から参加するんじゃなしに、ミックスジュースみてーに混ざれるよーになるのが一番だと思ったんだわ。それがバンドにとっても、おれんとっても」
そこでようやく、イッコーの考えが理解出来た。
何も妥協した訳じゃない。きちんと考えて実感した上での結論なんだ。
「でも、それがイッコーの一番やりたいことと繋がってるかと言えば、」
「繋がってねーなー」
僕の問いが終わる前に、先にイッコーが答えを出した。
「だからいーんじゃねー?その分おれも曲作って、自分で唄えばいーだけだかんな。こっちで好きなよーにやらせてもらうし。何も一方向に偏ってなくたって、バンドに二面性があってもいーじゃねーか。同じメンバーだから、丸っきり別モンにはなんねーって」
「うん……」
言っていることは正論でも、どこか素直に納得出来ないのは僕がひねくれているから?
「たそがギター弾いてっから今までの曲も全然変わったっしょ?だから一から新しくバンド始めるんと同じだわ。リニューアルっつーの?新装開店ってやつだわ」
そう言ってイッコーが自分のギャグに笑う。でも僕には今までやって来たにも未練があるから、イッコーみたいにすぐ吹っ切れないんだろう。自分の性格が恨めしい。
「ま、一度ライヴでやんねーことには始まんねーなー。これもさっさと仕上げねーとな」
手元のグラスを空にすると、姿勢を直してイッコーは自分のベースを用意する。僕も無言で頷くと、ベッドの上に移動してヘッドホンとギターの準備をした。
今は深夜だからアンプから音を出し、一緒に合わせられない。なので各々ヘッドホンをアンプに通し何度も弾いてみてはいいフレーズが出てくれば相手に聴かせ、少しずつ曲を構築して行く。イッコーの曲なので、僕がサポートに回ってギターを組み立てて行くのは自分で創る時とはまた違った新鮮味があり、良い刺激になる。
そうして曲創りに夢中になっていた午前三時半。
「ねーねー、着るモノない?寝巻きとかさー」
突然部屋の扉がスライドしかと思うと、髪を拭きながらキュウちゃんが戻って来た。
バスタオル一枚で。
「あ、う、あう……」
何の前触れも無い強烈な刺激に頭の頂上まで血が上り、鼻血が出そうになる。
「おめーなー、恥じらいとかねーんか」
呆れた調子でイッコーが言う横で、僕は顔を真上に向け懸命に血液を静まらせた。
「もーそんなモノとっくに捨てたわよ。何なら見てみる?隅から隅まで」
「あーもーいーから扉閉めて待ってろ。夏祭り用の浴衣あっから」
そんな物まであるなんてさすがイッコーの家。
キュウちゃんが扉を閉めてくれたので、ようやく顔を下ろせた。少し目の前が眩む。
「す、凄いね、今時の女の子って」
「何ジジくせーこと言ってんだ。アイツが変なだけっしょ。無視決めこめばいーん」
僕一人ならとっくに理性が飛んでいるかも知れません。
イッコーが押入れの中を探し大きなサイズの紺の浴衣を引っ張り出して来ると、扉の隙間からぶっきらぼうに放った。扉の向こうから内容の聞き取れない文句が聞こえて来る。
「これでっかすぎるわよ〜」
着替え終わったキュウちゃんが、タオルを肩にかけ中に入って来た。
「何つーんだ?大人の服着せられたガキみてー」
感想を漏らしたイッコーががむしゃらに叩かれている。
「我慢しろって。他にねーんだから。おかんの着るわけにゃいかねーだろ?」
「フンだ。今回は勘弁あげるわ。次はないわよ」
「何様のつもりだっての……」
口を尖らしイッコーは拗ねていても、僕にはちょっとばかり、眩し過ぎる。
大きくてだぶついている分、はだけない為肌に密着させるように帯が巻かれている。風呂場から出て来たばかりだからか全身がほのかに赤く、いい感じに茹で上がっている。
黄昏の風呂上がりはよく見ているとは言え、やっぱり男性と女性は全く別物。
「あースッキリしたー。中まで全部キレイさっぱり洗い流したわよ」
とんでもないことを言ってのけ、キュウちゃんは僕に近寄って来る。微動だにできない僕の隣に腰掛けると、後ろに倒れベッドに横になった。足も上に乗せようとしたので、作業していた僕が畳の上に追いやられる形になる。
「おめーおれのベッドで寝る気かよ!?」
「いーじゃない別に。毛布借りるね。あーキモチイー♪ヌクヌクーっ」
怒るイッコーを無視し赤色のウールの毛布で体を包め、幸せ一杯の顔で頬をなすりつけている。それを見て、イッコーも怒るに怒れなかった。
凄まじく可愛い。
それにベッドも毛布も布団も、全部イッコーの物だから余計に……。
「……あいつ無視して、続けよーぜ。相手してたらこっちがおかしくなっちまう」
同感。成る丈迷惑にならないように、自分達の作業を続けよう。
「ねーねー何してんのー?アタシもまぜてよー」
意気込んだ矢先に出鼻を挫かれる。
「おめーはいーから黙ってじっとしてろ。でもって始発出たらとっとと帰れ」
「エー、何で?練習昼からでしょ。ならここにいていーじゃん、ねー?」
「青空に同意求めんなっつーの。女泊めたんバレたらコッチがメンドーなん」
「いいじゃん別に。何なら既成事実作っちゃおっか?二人セットで」
すいません、僕、もう、駄目……。
「あほ。おめーが変なことばっかゆーから使いもんにならなくなったじゃねーか、青空」
全身がくだけ、正座したまま畳の上に顔から突っ伏している僕。
「なーんだ、つまんないの。アタシなら全然準備万端いつでもオッケーなのに」
「だからはだけて誘惑すんなっつーの。誰がおめーとなんかやるか、このエンコー女王」
もう、見れません。
「ひどーい!冗談なのに真に受けるなんて……クスン」
「いーから嘘泣きやめろ。おめーは手伝いに来たんか、ジャマしに来たんかどっちなん」
苛立った調子で訊かれると、キュウちゃんは素の口調で答えた。
「何だ、手伝って欲しいなら最初から言えばいいじゃない」
「……あのな」
もう怒りを通り越して呆れているのか、イッコーは言葉も出なかった。
僕が回復するのを待ってから、ひとまず今まとめている曲を聴かせてみる。
「いーんじゃない?アタシは全然イケると思うわよ」
敷布団にうつ伏せで毛布に包まっているキュウちゃんが僕達を見て言った。
「イッコーが唄うの?ならたそのコーラスはいらないわねー。たそが唄う時イッコーがコーラス入れるのはいいけど、逆でやるとたそが強すぎて前後が入れ替わっちゃうから。あ、でも曲によって使い分けてみるのもいいかも」
毎度、この子は的確な判断を下してくれる。音楽知識も無く自分の拠り好みで喋っているだけのはずなのに、それが間違って聞こえない所が不思議でならない。
「んじゃ、たそにはギターだけ任せりゃOKか」
「ホントはイッコーが唄う時だけでいいと思ってたんだけど……。意外と唄いながら弾けてるじゃない?ストロークだけだけど。唄に負担がかからないならバンバンギター弾かせてもイケると思うのよね〜。やかましくならないくらいで、明日イロイロ試してみれば?」
シャワーを浴びすっかり上機嫌なのか、笑顔で受け答えするキュウちゃん。何だかプロデューサーみたいだけど、少しも嫌味を感じないのでこちらもやり易い。
なので僕が今抱えている大きな疑問をぶつけてみた。
本当にイッコーの曲を『days』の中で使うのか?それで上手く合うのか?
「ははー。せーちゃんの悩みもよーくわかるわ」
「おれは大丈夫だっつってんのにさっきからずーっと心配してやがんだわ。ほれ、キュウも何か言ってやれ」
イッコーが僕の背中を強く叩いて来るので、少し息が詰まる。
「何言ってんの。うまくいくかどーかはやってみないとわかんないわよ、そんなの」
盛大に床に突っ伏した。
「お、おめー自信があって言ってたんじゃねーんか!?」
大声は駄目と自分で言っていたのに、すっかり忘れてしまっているイッコー。
「ぼ、僕もてっきり全部分かって言ってるものだとばかり……」
「アハハ、言ってなかったっけ?」
今更笑って誤魔化されても困る。もう僕達は軌道修正を始めているんだから。
僕達に心配な顔で見つめられ、キュウちゃんは体を起こすとすう、と息を吸った。
「アタシはただ、こーすればいーなー、あーすればいいだろーなー、って感じてるのを言ってるだけだから。イッコーが唄って欲しいと思うのは、『staygold』の影を追ってるファンもいるからっていうのもあるし、単にアタシも見てみたいワケなの」
しっかりと僕達の目を見ながら答える。その目はとても真っ直ぐで、部屋の明かりを受けて黒い瞳がきらめいていた。
「――でもね、絶対イケる!!って思ってるの。このバンドは物凄い力を秘めてるんじゃないかって。初めて見た時思ったの。だから『days』なら何をやったって全部力に変えて突き進んでいける、そうアタシは信じてるの」
僕の心の奥に、その言葉が吸い込まれて行く。
「アタシはそれが見たいだけ。」
今目の前にいる女の子がまるで別人に見えた。それくらい誠実で、僕達を信じている目。
期待している。だからこそ僕達のそばで、前へ動き出す姿を見ていたいんだ。
誰も言葉が発せないでいると、キュウちゃんが我に返り顔を真っ赤に染めた。
「あーあー。喋ってたらもーすっかり眠くなっちゃったわよ。アタシ寝るから、オヤスミ!!」
「お、おい」
イッコーが止めても問答無用で毛布に包まる。僕達は顔を見合わせ、困り果てた。ここで寝られると楽器が弾けない。かと言って下の店舗で練習しても迷惑になる。
「……下で寝袋しいて寝るか」
「……そうだね」
その意見に賛成し、今日の所は作業を中断して楽器を片付けた。キュウちゃんからは全く反応が無い。毛布一枚だと冷えてしまうので上布団を被せようとすると、包まった毛布の隙間からキュウちゃんの寝顔が見えた。
起きている時のはしゃぎっぷりとは裏腹に、天使みたいに安らかな顔。普段は眼鏡をかけていて目立たない左目の泣きボクロがあどけなさを出していた。
彼女がそこまで『days』に入れ込むのには、何か理由でもあるんだろうか?少し考えてみたけれど、僕がそこまで深く首を突っ込んでも仕方無いことに気付いた。
好きになるのに一々理由なんていらないだろう。
下からイッコーがキュウちゃんの着ていた服を持って来る。下着が混じっているのを知り、今浴衣の下に何も着ていないことに気付いてしまい頭が混乱した。
始発で帰れるように目覚ましをかけ、下に降りる。誰もいない店舗の床で寝袋に包まって眠るのはとても奇妙な感じがした。でも僕も疲れていたので、すぐ夢の中へ。
翌朝。
「あ、二人とも起きたんだ?イッコー、オバさんの手料理ホンットおいしーねー♪」
イッコーが両親に大目玉を食らったのは言うまでもない。