→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第2巻

   055.小さな恋のメロディ

「それじゃね、バ〜イ♪食べられないようにね〜」
「どあほう」
 茶化すキュウちゃんに冷徹な罵声を浴びせ、黄昏は部屋を出て行った。困った顔の愁ちゃんがこちらを見て、小さく頭を下げる。扉が締まると、何故か安堵の息が出た。
「いいの?一緒に帰らせて」
「いーのいーの。あの子の考えてるコトだいたいお見通しだから。用事があって練習終わったらすぐ帰るのはホントみたいだけど」
 心配症な僕にキュウちゃんが笑って返した。おとなしめの愁ちゃんとは対照的で、笑う時に口を大きく開けるのがこの子の性格を表している。
「まー言ってやんねーとぜってーこーしねーから、たそのやつ」
 言い出しっぺのイッコーが肩にかけたベースを下ろし白い歯を見せた。確かに黄昏の性格なら、女の子の帰り道を送るなんてまずしない。
 今日はライヴ前の音合わせで、練習が終わると恒例になったその後のミーティングも無し。体を休めるように前もって言っていたので、時間が来るとすかさず黄昏は帰ろうとした。それを見て愁ちゃんがオロオロした態度を見せていたのでイッコーが助言してみた訳。
「思い切りうざったがってたけどね。本気で」
「あいつホントに女に興味ねーんだなー。敵見るみてーな目してんもんな」
「でもあー見えても愁も結構突き進むタイプだからねー。ナカナカ面白いんじゃない?」
 壁際の椅子に足を組んで座るキュウちゃんがいやらしい笑みを浮かべながら、二人の出て行った扉に視線を向けた。何度も会っている内に愁ちゃんも固さが取れ普通に会話出来るようになって来たから、ひょっとするとひょっとするかも知れない。
 その時には今までみたいに黄昏の家には遊びに行き難くなるかな。
「っと、おれものんびりしてる場合じゃねーや。とっとと帰ってウチ手伝わねーと」
 てきぱきとベースをソフトケースにしまい、イッコーが帰り支度を整える。
「頑張ってね。もう学生気分じゃいられないよ?」
「あーもー人が無職になったからってすっかり店ん頭数に数えられてっかんなー。まー前から休みん時にゃずっとコキ使われてっから慣れてっけど」
 参った顔で根元からオレンジ色に染め直した頭を掻く。これまで学校がある度に黒に戻していたけれど、おそらくもう黒髪の姿は見られない。
「あれ、イッコーって卒業できたの?てっきり留年したと思ってたわ」
「あほ」
 驚いた顔を見せるキュウちゃんに冷静な一言。
「ちゃんと今年商業高校卒業したっての。まー単位はギリギリだけどな」
 鼻高々に胸を反らし自慢するイッコーを見て、後の千夜さんが呆れた溜め息をついた。
 今月で晴れてイッコーも僕と同じ、フリーの人に。仲間が出来ると思うと嬉しいやら、先にドロップアウトした自分が情けなくなるやら。
「たくマジでとっととCDでも出さねーとなー。金稼がなきゃなんねーわマジ」
 疲れた顔で肩を落とすイッコー。これからは気苦労も多くなるだろう、小さい頃から両親に期待されている分だけ特に。また居候の身だと肩身が狭いんですこれが。
「何かあれば相談に乗るよ。同じ高卒の身として」
「おー、一緒にがんばろーなセンパイ」
「おー」
 泣き顔でスクラムを組む僕達への千夜さんの冷めた視線が痛い。
「ねーねーCD作るの?ウレシー♪待ったかいがあったわー♪」
「まだ無理」
 千夜さんが断罪すると、はしゃぐキュウちゃんが途端にしぼんだ。
「新しい物が形になり始めて来たばかりで、売り物なんて夢もいい所」
「うーっ……おねーさまのイジワル……」
 指を咥え潤んだ目を向けると、あっさり無視された。最初は対応にかなり戸惑っていた千夜さんも、今はあしらい方を覚えてきたみたい。
「ま、時間はかかんだろーなー。それまで解散してなきゃいーけど」
「洒落になってないよ……」
 今は女の子二人がいるから解散の危機は脱したように見えるだけで、僕の中ではまだまだ引きずっている。いつ何が引き金となってしまうか分かったものじゃない。
 別に『解散しない』と言葉にした訳でもないし、多分3人の中にもくすぶっているものはまだあると思う。僕達は混迷の時期を抜ける引き換えに、いつ爆発するか判らない時限爆弾を抱えてしまった。
「――でも、その分張り詰めた緊張感があっていいけどね」
「そう言ってられんのも今のうちかもしんねーぞー」
 せっかく気を紛らそうと冗談を言ってみたのに、イッコーに冗談で返されてしまった。浮かれていられないってことか。
「まー、スタジオが賑やかになったのは嬉しーけどな。んじゃおれ、帰るわ。ちゃんと次のライヴ黄昏連れてこいよ」
「心配しないで、大丈夫だから……と思うよ」
 言い切れる自信が無く、変に語尾を付け足してしまう。イッコーは僕に笑いながら部屋を出て行った。いよいよ新しい『days』を見せる時がやって来ると思うと、身震いする。
「あーあみんな帰っちゃった。どーしよっかなー。今日はオヤジ引っかける服じゃないし」
 キュウちゃんが足を組み直し、部屋に残った僕と千夜さんに視線を送る。もう学校も春休みなので、今日は正午から『N.O』に2時間入った。ここに来る前にキュウちゃんは愁ちゃんと買い物を済ませたらしく、足元にブランド物の紙袋が置かれている。
「ぼ、僕は、素直に、家に帰るよ。最後の詰めとか、しなくちゃ、いけないから」
 じっと見つめられてしまったので、唾を飲み込み言葉が途切れ途切れになった。この子と一緒にいたら、理性が抑えられなくなってしまいそうで恐い。
「――私もこれから行く所があるから」
 キュウちゃんがその言葉に反応し首を向けて来たので、千夜さんが訊かれる前に視線を振り払うよう強めに言った。
「ドコドコ?教えて教えて!おねーさまが行くトコロってしりたーい」
 興味津々に土足で相手の心に踏み込むその無防備さが昔の僕を見ているようで、ハラハラする。千夜さんも同じことを考えていたのか、横目で僕を一瞥した。
「人に訊かれるのって嫌いだから」
「えー、そんなー、おねーさまひどーい」
 完全に突っ撥ねられているのに、ちっともダメージを受けた様子が無い。
「少しくらいいーじゃない。ね、お願い、おねーさま♪一生のお願い♪」
「来るな来るな、近づいて来るな!」
 猫みたいに背筋を丸め近寄って来るのを見て危険を察知した千夜さんは、片付けの手を止め慌てて逃げ出した。勿論キュウちゃんもすかさず後を追いかける。
 神経が図太いのか、それとも今時の女子高生は強いのか、僕が弱いだけなのか。
 部屋の中を追い駆けっこする二人を眺めながら、千夜さんのこんな慌てふためく姿を見るのは初めてなのに気付き、微笑ましくなる。
「そこ、ヘラヘラするな!!」
 ドラムセットの片端で逃げ惑う千夜さんに思い切り怒鳴られてしまった。すいません。
「ケチ―っ。教えてくれたっていいのにー」
 しばらくすると頑なに逃げられて諦めがついたのか、キュウちゃんが追いかけるのを止めた。千夜さんは心底胸を撫で下ろし、大きく溜め息をついている。
「でもそこがおねーさまの魅力なのよねー。妄想のしがいがあるわ♪」
「……病院」
 観念した千夜さんが小声で呟いた。あの千夜さんを手玉に取るなんて凄い。
「ビョーイン?」
「っ」
 オウム返しにキュウちゃんが訊き返すと、少し動揺した素振りを見せた。
「……友達の見舞い。学校の同級生」
「へえー。サッスガおねーさま。やさしーんだー♪」
 照れ臭いのか赤い顔で困っている。まさか千夜さんが病気持ちなんて訳無いし、そんな所も一つも見せないし見たことも無い。素直にその言葉を信じていいだろう。
「アタシも行っていいー?見てみたいなー、同級生」
「来るな。尾行もするな」
「おねーさまってば、ドコのガッコー通ってるの?教えて教えてよー」
「前にも訊くなって言った!!これ以上近寄ると女だからって容赦しないから」
「う〜っ。イジワル……」
 そこまで言われるとキュウちゃんも引き下がるしか無かった。1年以上同じバンドの僕にさえ教えてくれないんだからそう簡単に牙城は崩せないよ。
「あ、そうだ千夜さん。少し時間あるかな?」
「無い」
 即答され泣きそうになる僕。
「べ、別にどこかで話そうとかじゃなくって、今ここで聴いて欲しいものがあるんだ。10分……5分だけでいいから。そこの受付のロビーで」
 引き止めようとしながら壁時計に目をやると、残り時間は5分を切っていた。
「――分かった」
 しばらく無言で睨まれ、それでも視線を外さずにいたら向こうが折れてくれた。
「やったー!!って思ってるでしょ、今。エロいんだからぁ〜」
「ちっ違う、そんなつもりじゃないよ」
 いつの間にか横にいたキュウちゃんに内心を見透かされ、慌てて否定した。これからは千夜さんを視線で追うのはなるべく控えよう。変な誤解をされてしまいそうで怖い。
 片付けを済ませ、ロビーに移動する。適度な狭さと微妙に暗い照明が大人の雰囲気を醸し出しているようで変な気分。スナックってこんな感じなんだろうか。
「ほれ」
「あ、ありがとうございます……」
 ソファに座ると何も頼んでいないのにおやっさんがやって来て、僕達にコーラの瓶を差し出してくれた。相変わらず気前が良い。この切符の良さと価格の安さがこの店を支えているんだと思う。知る人ぞ知る店だけど常連客は多く、今や僕もその一人になっている。
「グラスくらい用意してくれればいいのにねー」
 キュウちゃんが図々しく受付に聞こえるように大声で言ったら、おやっさんが無言でグラスを3つ乗せたお盆をテーブルの上に置いて行った。さすがにばつが悪いと思ったのか、キュウちゃんが済まない顔を見せる。後で僕から謝っておこう。
「――で?聴かせたい物は?」
 グラスに自分の分を注ぎながら千夜さんが訊いて来る。その態度に何故か男気を感じた。
「うん、毎度のことテープを持って来たんだけど……自分一人だけで一曲まとめてみたんだ。どうかなって思って。せっかくだからキュウちゃんにも聴いて貰おうかな」
「やったー♪残っててよかった〜」
 浮かれ気分で千夜さんの隣ではしゃぐキュウちゃん。少しうざったがられている。
「おやっさん、ラジカセ」
 千夜さんがカウンターに声をかけると、無言で持って来てくれた。僕達には決して見せてくれない笑顔をおやっさんに浮かべてみせる。ラバーズのマスターといい、バンド以外の目上の人に対しては千夜さんはとても当たりが柔らかになる。そんな一面を見ると、普段の日常は結構おしとやかなんじゃないかと僕は思ったりしている。
「毎度のごとくフレーズの断片ばかり入れてるんだけど……」
 説明しながら僕はラジカセの早送りボタンに手をかける。千夜さんに練習後に新曲の為のテープを渡すのは、すっかり恒例となっていた。以前に僕のフレーズをまとめて渡してくれた分からも次のライヴで演奏する新曲も3曲作れ、ようやく実になり始めている。
 でも千夜さんばかりに頼ると自分の成長も無いと思ったので、この前から自分の力だけで曲をまとめるようにし始めた。今の所何の手応えも無いけれど……。
「っと……これかな」
 行き過ぎたので、少し巻き戻して前の曲のラストから再生する。誰も口を利かずに待っていると、やがて僕の聴かせたかった新曲がロビーに流れ始めた。
 千夜さんは最初普通に両腕を組み耳を傾けていて、サビにかかる所でいつになく険しい顔を見せた。キュウちゃんも言葉が出ないのか、眉をひそめている。
 そのまま曲が終わるまで二人とも一言も発しなかったので、内心焦りまくった。
「ど……どうかな?」
 思わず声が裏返ってしまう。いつもなら途中で口を挟んで来るので余計に気になる。駄目なら駄目と言ってくれた方が潔かった。
 空回りするテープを千夜さんが止め、ソファに体をもたれかける。それを真似てキュウちゃんも溜め息をつき大袈裟に後に倒れ込んだ。上げた生足が眩しい。
「スタジオ開いている?」
 突然千夜さんが席を立つと、受付に声をかけた。カウンターの向こうから何事かとおやっさんが顔を上げる。
「……ああ、キャンセル出てっからおめえさん達が今入ってた部屋がちょうど2時間な」
「貸して。一時間でいいから」
 確認だけすると、了承も取らずにスティックケースを手に先程のスタジオに入って行った。あまりに突然の行動に、目を丸くしてキュウちゃんと顔を見合わせる。
「あ……いけますか?」
「いけるよ」
 念の為僕が確認するとOKが出たので、狐につままれた顔で後を追った。突然の展開に戸惑う僕達をよそに、千夜さんはてきぱきと準備を始めドラムの前に腰掛ける。
「どうしたのいきなり?見舞いに行くんじゃなかったの?」
「後回し。時間が無い。早くしろ」
「う、うん……」
 いいのかなと思いつつ、いつになく凄みのある顔に負け、素直に従うことにした。僕も準備にとりかかり、急いでシールドをギターに突き刺す。
「ア、アタシは?どうすればいいのかな〜?」
「そこにいて。必要だから」
「お、おっけー」
 キュウちゃんも僕と同じく戸惑っているけれど、必要と言われ嬉しいみたい。いつもの場所に椅子を用意して、膝の上に握り拳を置いて座った。
「テープ無しで頭から通して弾ける?」
「あ……ちょ、ちょっと待って」
 自信が無かったので、急いでロビーに戻りテープを回収して来た。
「うる覚えだから……クリック代わりにするね」
 ヘッドホンを用意し、それほど大きくない音量で流すことにする。突然の変わり身を見せた千夜さんの視線が纏わりつき、緊張する。
 と言っても別に未完成の曲なんだから、落ち着いてやればいいと開き直れた。
 丸椅子の上で膝を組み、弾き語りの体勢を取る。テープの録音はアコギで取っていて音色は再現出来ないけれど、雰囲気が出るようにエフェクターを取り替えた。
 特に自信がある訳でもなかった。ただ何ヶ月もかけてようやく一つ、自分の力で曲を形にしたから。作っては没にして、できる限りの力でバラードを一つ仕上げた。
 この曲を創り終えた時、最初に曲を創り始めた時の気持ちと喜びを思い出した。ルーチンワークじゃなく、ただがむしゃらに一つの物に取り組む。良し悪しを考えず、ひたすらに自分の心を込める。感情を、気持ちを音に変換するんだ。
 2番に入ると、僕のギターに合わせるように千夜さんが即興で叩き始めた。多少おぼつかない調子で手探りで後を追いかけて来る。一度テープで聴いていたおかげか、Cメロの部分もサビのリフレイン後のメロにもしっかりとついて来ていた。
 その辺の素軽さと記憶力は本当に大したものと思う。僕には真似出来ない。
「……こんな感じかな?」
 ヘッドホンを外しキュウちゃんに視線を送る。すると突然席を立ち、僕の元に駆け寄って来て僕の右手を取ると何度も大きく上下に振った。
「凄いじゃないっ!!いったいドコにこんなの隠し持ってたのよっ!?」
「隠し持ってた訳じゃないけど……」
 一早く聴かせたくて、わざわざ呼び止めたくらいだから。
「青空が創ったの?」
 背中からキュウちゃんに抱きしめられて困っていると、千夜さんが尋ねて来た。
「う、うん……一応。9割位かな」
 僕は正直に答えた。本当の所、自分一人だけの力でできたと言う訳ではない。
「ナニナニ?パクったの?」
 手厳しい言葉を後から投げかけられ、胸に突き刺さる。
「と言うか、何と言うか……拝借したんだよね、メロを。あ、でも丸々使ってる訳じゃないよ。自分のリフにアレンジして取り入れただけだから」
 突っ込まれるより先に前もって言い訳をしておく。それでも二人の視線が痛かったので、誤解を解こうと言葉を続けた。
「前にオルゴール、河川敷で拾ったんだ。そこに流れていたメロディをいくつか散りばめてみたの。サンプリングみたいな感じで――いければいいかなって。コード進行は自分で考えたものだし……インスピレーションを受けた、って言うと正しいのかな……駄目?」
 言い逃れをしているみたいで、だんだん自信が無くなって来た。結局はパクったと言うことになるんだろう。綺麗事を言った所でその事実が変わる訳でも無い。
「それって古い曲なの?」
「それが……分からないんだ。持って来れば良かったかな?外国の曲みたいにも聞こえるけど……いろいろ訊いてみたけど誰も知らないって言うから、オリジナルなのかも」
 拾ったオルゴールには何も書かれていなかった。叔父さんに相談して修理に出し無事直ったけれど、手がかりが全く無いから調べようにも調べられない。
 著作権についてもネット等で調べてみても、引っ掛かる物なのかどうかが判断出来ない以上どうにもならない。例えばヒップホップだとその性質上誰かのトラックに載せてラップを刻む、と言う物があったりして、それがこうした物にも当てはまるのか?
「その箇所は?」
「え?えっと、4箇所……リフの。間奏の部分」
 千夜さんに尋ねられたので慌てて説明を返した。
「そこ、自分の力で考え直して。後はそのままで構わない」
「あ、うん。やっぱりそうだよね。じゃあ、そうする……」
 素直に従おうと思った所でふと、他の部分は何も言われなかったことに気付き驚いた。
 これまでずっと没ばかり出されていたのに、今日は何のお咎めも無かったから。
「あっ、あの、千夜さん?」
 問い質そうと思うとつい丁寧に呼んでしまい、厳しい目で睨み返された。
「いいの?それ以外?駄目な部分とか……無いの?」
 唾を飲み込み恐る恐る訊いてみる。何かの間違いと思ったから。
「――キュウに訊いてみれば」
 千夜さんは顎でしゃくると、いろいろ曲に似合うフレーズを試し始めた。釈然としない答えに戸惑いを覚えつつも、隣にいるキュウちゃんに顔を向けてみる。
「ア、アタシ?アタシはサイコーだと思うわよ?今までに全然ないタイプの曲じゃない?」
「そうかな?『貝殻』とか『雪の空』でもバラードっぽいのはやってるけど……」
 テンポも曲調も違うけれど、聴かせる為の曲はこれまでに何曲か創っているのに。
 首を傾げている僕に、キュウちゃんが顔を近づけて来る。
「ホラ、ホントに相手に届ける為の曲っていうかさ。そんなのってなかったでしょ?」
「あ……」
 言われて初めて気がついた。
 これまで僕は、そう言う曲を創ったことがないってことに。
 そう言えば、今まで僕は曲を届けるのは全て黄昏に任せていた気がする。
 内に向けて唄ってばかりいた黄昏が前を向き、目の前の人に唄を届ける構えを見せ始めた時、僕はとても嬉しかった。これでみんなとコミュニケーションが取れるって。
 昔は自分もただ、曲の持つ詞世界をステージの上に産み出せればいいものとばかり考えていた節がある。でもそれは柊さんと出会い大きく変わった。曲を届けるように、相手と向き合うことで生まれて来るものもあるんだって、教えてくれた。
 でもそれは演奏する時の姿勢だけで、曲にまで考えはずっと及ばなかった。
「そうか……そうだよね」
 だから煮詰ってしまったんだ。曲と自分とのずれを今の今まで感じていなかったから。
 でもきっと、知らず知らずの内に僕が曲をそうした方向に引っ張ったんだと思う。その気持ちが、メロディに、この曲に込められているんだ。
「ありがとう。今ようやく理解出来たよ、キュウちゃんのおかげで」
「え?あ、あ……」
 飛び跳ねたくなるほど嬉しい気持ちを、握ったその手にひしと伝えた。向こうは何のことか戸惑っているけれど、僕が嬉しいからいいんだ。恥ずかしくも無く熱い視線を送り続けていると、キュウちゃんは頭の芯まで真っ赤になっていた。
「よし、やるぞーっ!」
 大切なことに気付いた今なら、借り物で無くても自分の力で今の物より凄いのを創り出せそうな気がする。帰ったら早速始めよう。
「次に会う時まででいいんだよね?今日はドラムパートをつけるだけで」
「馬鹿か。今に決まっている」
 千夜さんに顔を向けると容赦無い言葉を浴びせられ、体が固まった。
「え、でも、そんなに急がなくても――」
「次のライヴで使う。前日にもう一度集まるから、自分のパート完璧にして」
「ちょ、ちょっと……」
 あまりに急な展開でついていけない。そもそも千夜さんからそんなことを進んで言ってくるなんて考えもしなかった。この曲に何か手応えでも掴んだんだろうか?
「僕、その日バイト入ってるんだけど――」
「仕事後でいい。『STUDIO A』で合わせる。どうせあの二人も暇に決まっている」
 断定されてしまった。
「後で連絡入れておこっか?」
「うん……キュウちゃん、お願い」
 唐突過ぎて集まるかどうかは判らないけれど、任せることにした。キュウちゃんにはメンバー全員の連絡先を既に教えてある。何だか本当にマネージャーみたい。
「リフ出来たら知らせて。後で通しで弾いて貰う」
 僕の前まで千夜さんがやって来て、ヘッドホンを引っ手繰って行った。テープの前にキュウちゃんを行かせ、反復練習できるように対処させる。
 時計を見ると、残り45分。できるかどうか判らないけれど、やるしかない。
 早速ギターに向き合い、一つ目のリフから探り始めた。 
「ムズカシーもんねー、音楽って。マネしちゃいけないってさー。似たよーな曲ってそのヘンにゴマンとあるじゃない、ねえ?」
「いいよ。そのオルゴールの雰囲気だけでも持って来たかったんだよ。拾ったのも何かの縁だと思ったから。次の練習の時持って来て、みんなに聴かせるよ」
「あ、オネガーイ。何ならアタシがせーちゃんの家に行ってもいいけど」
「え?あ、いや、それは……」
「喋っている暇があるなら手を動かして」
 ヘッドホンの上からでも聞こえるなんて、本当に地獄耳。千夜さんの横槍が飛んで来ながらも、僕は少しずつ手元の紙にリフの押さえ方を記入して行く。
「青空」
 3つ目のリフに取りかかった所で、突然千夜さんが手を止め声をかけて来た。
「まっ、まだ全部出来てないよ。ちょっと待って」
「この曲のタイトル」
「え?まだ……考えてない、けど」
 曲をまとめるのに全神経を使っていたから、そこまで気が回らなかった。 
「次までに考えて来て。それと歌詞も。今みたいに宇宙語で行く訳にはいかないから」


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