058.季節はまた巡り
「んー、やっぱり何度聴いてもいい曲よね〜」
「あ、あんまり誉められるとこっちが恥ずかしくなってくるんだけど……」
ご満悦の表情を浮かべるキュウを隣で見ているだけでこの場にいられないほど背中がむず痒くなり、思わず立ち上がりたくなる膝を上から押さえつける。
「アラ、アタシはいいモノは素直にいいって言ってるだけよ。恥ずかしがるコトないじゃない、そんな背中向けなくても〜」
「そ、そうやってにじり寄られると余計に恥ずかしいんですけど……」
横のソファに座っていたキュウが、姿勢をそのままにお尻を擦らせ肩が密着するぐらい傍まで寄って来る。今日はまた一段と開放的な格好をしていて、季節を一つ間違えているんじゃないかとさえ思えてしまうほどに肌を露出させている。
「ダメだよキュウ、困ってるじゃない。ほら、こっちこっち」
膝を閉じ、おしとやかに腰を下ろしている真向かいの愁ちゃんが、キュウに強い口調で注意して隣の席を手の平で叩く。キュウは潤ませた目を愁ちゃんに返すものの、鋭い目線で睨まれ続けたので渋々僕の横から離れた。
今日は全員集まりマスターアップしたばかりのテープを聴いて批評し合う会――を開く予定のはずが、イッコーも千夜さんも用事の為に無理になった。なので叔父さんのスタジオでの個人練習の合間に、バンドを陰から支えてくれている二人にわざわざ来て貰い、こうしてラジカセで完成版を聴いて貰っている。
仕上げ自体はイッコーの家で二人三脚で行ったから、彼だけは一足先に完成したバージョンを聴いている。千夜さんには後程キュウ経由でテープを渡す予定。
「ねえねえ、イッコーは何て言ってた?」
「『こんなもんだろ』って。きちんとしたレコーディングじゃなかったから前のバンドの音源と比べるのは酷と思うけど、まんざらでもない顔はしてたよ。形はどうあれ『days』のちゃんとした音源ができた事に満足してたみたいだけどね」
「んもー、素直に喜びなさいよね、アイツったら」
腕を組んで頬を膨らませるキュウを、愁ちゃんが眉をハの字にしてなだめている。毎度の光景とは言え気苦労が多そうだよね、一緒にいると。
「バンドが潤ってきたらね、ちゃんとしたレコーディングもできるだろうし、もっとクオリティの高い物を作れるとは思うけど――今の僕達にはこれが精一杯だよ」
二人に喋りながら、本当にこのまま順調に動員を重ねCDがプレスできるくらいまで支持を得られるのか?と不安がよぎるけれど、深く考えない事にした。
「でも、その精一杯の中で極限までできる限りの事はやってるから。胸を張れるよ」
それよりも今、しっかりと形ある物を遺せたと言う部分で、僕の中ではもう死んでもいいと思えるくらいの充足感に満たされていた。ここで終わっちゃいけないけれどね。
昔、一本の私小説を書き終えた時と同じ感覚。自分自身を表現した物と言う意味では『days』の音楽も私小説。自分が生きた証が現実にまた一つ残るんだと思うと、誇らしさと安らぎで胸が一杯になる。
でも、あの時と違うものもある。
「本当に、できるなんて自分でも思えなかったもんなあ……」
あまりに感慨深くなってしまいつい口調が変わってしまうほど、口をついて出た言葉は素直で正直な気持ち。
「まーたまた、そんな老けた顔しちゃってー」
「いやあ、でも老けて当然だと思うよ。ギターすら弾けるなんて思ってなかったもの……」
キュウには分からないだろうけれど、ここに来るまで挫折と敗北を何度味わったか。
振り返り防音ガラスの向こうのスタジオに立てかけたままの、僕の蒼いギターを眺める。今でも全然自分がギターを弾く人間とは思っていない。それでも必死に喰らいつき、一つの物を仕上げられた、それだけで十分過ぎるほど僕の大切な財産になっている。
「きっと、僕一人じゃここまでやって来れなかったよ」
目の前の二人を眺めているだけで、苦楽を共にして来た3人のメンバーの顔を思い浮かべるだけで、恥ずかしげもなく僕の気持ちが素直に言葉になる。
一人でワープロの画面に向き合っている時と違い、歩んで来た道の合間で出会って来た数多くの人達が僕を支えてくれている。勿論いい事ばかりでも無いけれど、心が揺れ動くほど感動する瞬間がたくさんあるんだ。
それはお金と引き換えに与えられるものじゃなく、自分の手で勝ち得たもの。
その喜びを知りたくて、諦めずにずっと続けていたのかも知れない。
僕が空想の中で描いていた未来が、現実(ほんとう)にあるって信じたかったから――
「ま、今はまだ落ち着いてられるでしょーけど、これからもっとタイヘンになってくわよ?きっと。ね、愁?」
「え?……うん、そうだといいね」
ちょっとしんみりし過ぎたか、場の空気を二人が笑顔で変えてくれた。いけないいけない、どんな場所でもつい自分の空気を作ってしまうのが僕の悪い癖。
気持ちを切り替えようと背筋を伸ばし、ソファにもたれかけ窓の外を見る。2階から広がる街道に、あいにく春を感じさせる花は咲いていない。
「そっか、もう新学期なんだね、二人共」
「どーしたのよいきなり」
何の前触れも無く僕に振られたせいか、キュウちゃんは目を丸くした。
「いや、もうすっかり音楽漬けになってるなって、自分。もうすっかり学生気分も浪人気分も消えちゃったし。受験勉強してた頃が嘘みたいだよ」
昨年はまだバンドを始めてからそれほど経っていなかったし、受験生に戻れる立場にあったから振り返る日々が多かった、今はもう自分が学校に通っていた事さえ遠い昔の記憶になってしまっていて、音楽の波に呑まれる毎日が当然になっている。
「そう言う意味じゃ、レールを踏み外したドロップアウト組なんだけどね、僕も一応」
「いーじゃない、そんな卑下しなくたって。今の時代エリートでも安定してないもの、何もお金稼ぐだけがイコール成功ってコトないでしょ?」
「ん、まあね。もしこれが職業になるんだったらそれに越した事はないんだろうけど……始めてからほんの少ししか進んでないような気もするしね。もっと長い目で見ていられればって思うけど、中々……」
ライヴのスケジュール等で数ヶ月先の自分を想像できるようにはなってきたとは言え、明日さえ見えなかった頃を体が覚えているようで、楽観的に考えられるまでには至らない。
「このバンドだから、って事もあるけどね」
つい一月程前だって解散の危機でてんやわんやだったもの、無理な話なのも当然だろう。
それを乗り越えたからこそ音源を作れたと言っても過言で無いけれど、まだまだ予断を許さない。自分も含めてわがままな人間ばかりが集まっているから。
黄昏、イッコー、千夜さん、そして僕。あの3人と出会いバンドをやっている事自体奇跡みたいと思える瞬間が、みんなと楽器を鳴らしている時に確かにある。
だからこそ末永く、この奇跡が続けばいい。そう願っているけれど……。
「ホント、せーちゃんは心配症よね〜。もっと気楽に構えればいいのに」
飽きれ顔でキュウちゃんが僕の方を見ている。これが地になっているから仕方が無い。
「そう言うキュウちゃんの方が気楽過ぎるんだよ、きっと」
僕の言葉に愁ちゃんがしっかり頷いている。つられて苦笑していると、少し膨れた顔を見せたキュウちゃんが僕に向け人差し指を大きく立てた。
「1ペナ」
「あ」
言われてから気が付き、自然と財布の入った左後のポケットに手を当てていた。
「ペナルティ?」
「そ。こないだからアタシのコト呼ぶ時に『ちゃん』付けしたらジュース一本分おごりなの。前回は5ペナだったからチョコパフェおごってもらった♪」
隣で嬉々と話す姿を見て、愁ちゃんは大きく溜め息をついた。
「愁ちゃんと並ぶとついつい流れで呼んじゃうってば」
「だーかーらー。前にも言わなかった?普段からココロの中でも呼び捨てでいればいいのよ。そーすれば自然に染みつくもの。愁は違うけど、アタシは男のヒトに『キュウちゃん』って呼ばれたら対等に扱われてる気がしないのよ」
胸を反らせてエレガントに振る舞うキュウちゃん。
「努力はしてるんだけど……ごめん、そっちで覚えといて。後でおごるから」
「安心して。数はごまかさないわ」
そんなに目を輝かせ答えられても困る。
けれど向こうの言い分も解るので、僕もなるべく努力はするようにしている。女性相手だとつい丁寧になってしまうのはやっぱり経験の無さから来ているんだろう。千夜さんにも呼び捨てでいいと言われてはいるものの、まだちょっと抵抗がある。
女性と接する時は、男の人の時と勝手が違い相手との距離を意識してしまいがち。だから呼び捨てにしてしまうと余計に気になって頭が混乱してしまう。
かと言ってキュウちゃんが恋人、と言うのは……
「おや、今日は女性二人だけかい?」
しどろもどろしていると、階段を昇って来た叔父さんが開いた扉の向こうから顔を出した。、隣の倉庫へ荷物を運んでいる所か、機材の入ったダンボールを抱えている。
「個人練習の料金しか払ってなかったでしょ?書いてなかったっけ」
「あ、すまん。見てない」
店長の叔父さんはスタジオのやりくりで忙しいから、それも当然だろう。つい自分の概念で話を振ってしまい、内心少し後悔した。気をつけないと。
こうした些細な失敗は、学生の頃よりも自分で意識できる様になってきた。年の功でもあるだろうし、大切な相手との付き合いも多くなって来た事もあるから。
その分毎日心の疲労は激しいけれど、今は一々削れる自分をあえて見つめないようにしている。多分とうに削られまくって骨さえ残っていないと思うし、人間関係に押し潰されてしまったら次立ち直れるのかどうかさえ判らないから。
でも、失敗は忘れず記憶していきたい。それが思春期に入った頃から思い描いている『人間性のレベルアップ』に繋がれば。実際の所、今はまだレベル2にもなっていないと思う。
「しっかしニクいね。カワイコちゃん二人だなんて。小さい頃から結構モテるんじゃないかって思ってたけど」
足を止め、叔父さんが僕達に意味有り気な目線を向けて来た。
「ちょ、そんなんじゃな」
「ハーイ!青空クン借りちゃってまーす♪」
弁解する僕を遮るように、はしゃぐキュウが低いテーブル越しに僕の手を取り見せつける。困った顔で手を振り返すと、たじろぐように叔父さんは会釈して行ってしまった。
「一緒にいるこっちが恥ずかしいんだから」
そっぽを向いた愁ちゃんが口の中で小さく呟いた。僕も同じくらい恥ずかしい。
これがキュウの性格なんだって分かっていても、何回抱き着かれた所で慣れるものでも無い。ふくよかな肌が触れると勿論気持ち良いけれど、それ以上に照れてしまう。
「なに、愁?今横に抱きつく相手がいないから拗ねてるんだ?」
「ちっ、がう、ってばあ!!」
僕から離れたキュウがからかうと、愁ちゃんは顔を真っ赤にして反論した。痛い所を突かれたせいかいつもより顔を赤くしている。肩を強張らせ唇を真一文字に膨れているのを横目で見ながら、キュウは腰を下ろし手元のオレンジジュースに口をつけた。
……どうもまだしっくり来ないな、呼び捨てにするの。
「で、その当人は家で寝てるのよね」
「うん。慣れないレコーディングで、すっかり燃え尽きちゃったみたいだよ」
普段から集まりには積極的に顔を出そうとしない黄昏は、どこかしら自分の歌を形として遺せたのが満足なのか、収録を全て終えた後は解脱したような顔になっていた。
「本人はあまり自分の声は気に入ってないみたいだけどね」
バンドを始めた頃に、一度自分の声がどう言う感じに他人には聴こえるかを知って貰う為に歌をテープに撮って黄昏に聴かせた事があり、物凄く拒絶を示したそれ以降、ほとんど聴かないようになっている。あの時見せた黄昏の複雑な顔は、今思い出しても笑いが漏れるくらい可笑しかった。
「ふーん、カラオケとか誘ってもいかないもんね、たそってば」
「出不精な性格って事もあるけどね。それ以前にバンドの事でみんな一杯一杯なんだよ」
全員集まって練習しても終わればすぐに千夜さんと黄昏は帰ってしまうし、バンド以外の所でわざわざ集まる事もない。キュウは一度でいいからそうした機会が欲しいみたいだけれど、実現するとはちょっと思えない。
そう考えるとみんな、『days』の音楽で繋がっているんだなあって、強く思う。
「もうちょっと余裕を持って構えられるようになるまで時間がかかるんじゃないかな。合宿とかできたら面白いとは思うけど――できるのかなあ?」
喋りながら自分に突っ込み。
「やるの!?合宿?」
流れで口を突いて出た言葉にそんな勢い良く反応されても。
「やらないよ。全員揃わないと思うし――千夜も、キュウも女の子だから……」
目の前の子達が参加するのを前提に言ってみる。第一、男に(と言うか僕!?)触られただけで鬼のような形相に変貌してしまう千夜さんが来るなんてありえない。愁ちゃんが入ったって、比率としても男の方が多いと言うのはさすがに……。
「ダイジョーブだって♪不純異性行為なんて起こりゃしないわよ」
『げふんげふんげふん』
愁ちゃんと同時に大きく咳をついてしまった。
「おねーさまだって、『days』専属で叩いてくれるって言ったじゃない」
「ん……それは、そうなんだけど――」
口を紡ぎながら、僕はその時の事を思い出す。
「私、これからこのバンド以外叩かないから」
収録が全て終わった後、千夜さんはそう言ってくれた。帰り際に一言だったから聞き間違いかもと思い、後で確認の電話を入れてみるとうんざりした声で改めて言ってくれた。
理由を訊こうとしたらすぐに切られてしまったのでどんな意識の転換があったのかは知る由も無いけれど、今まで叩いていた他のバンドのヘルプも全て辞め、『days』一本に絞るつもりみたい。つまりは正式なメンバーになってくれると言う事。
勿論凄く嬉しい半面、手放しで喜べないのはどうしてだろう?自分でも良く分からない。
その分僕に対する責任が増し、重圧がかかるのもあるからかも。
メンバー中で一番相手との距離を気にかけているのは、千夜さん。触り所が難しい性格で異性と言う事もあり、一年以上経った今でも接するのが大変。同じ女性でもキュウや愁ちゃんはとても接し易いのに、勝手が全然違うから余計に気疲れしてしまう。
ただ、一人の女性と言うより一人の大切な仲間だと僕は思っているから。だからこれを機にもう少し心を開いてくれると嬉しいけれど、はてさて。
「でも、それとこれとは別だよ。千夜も学生だし僕だってバイトがあるし、まとまった時間を取って練習に打ち込む機会って言うのは今の所、無理じゃないかな」
「あー、そうよね……残念」
こちらの言い分に素直に納得し、キュウは渋々引き下がった。
「今はそれより、こうやって音源もできた訳だし、新曲のアンサンブルをもっと固めて行って、一応第一目標でライヴの動員を増やしてCDを出せるまで行く――って所かな。とりあえず、お世話になってる人達にテープは配ろうと思ってるよ」
音源ができたとは言え、これでお金を貰おうなんてこれっぽっちも思っていない。普段耳にしているお気に入りのアーティスト達と比べるとやっぱり雲泥の差があるし、まだバンド全体の力量がそのレベルまで到達していないように客観的に見て思えるから。
「じゃあ、このテープをおねーさまに渡しておけばいいワケね」
何気にキュウがテープをラジカセから取り出し、軽く摘み上げる。
「あ、ちょっと待って、まだ渡すのは」
「え?何か問題でもあるの?」
丸い目を向けられ、僕は一つ小さく咳をついて説明した。
「せっかくだから、ちゃんとパッケージを作って配りたいんだよ。手作業だから見栄えは悪いだろうけど、ただ生テープで渡すって味気無い気がするから」
「なーるほど。それもそうね」
素直に納得したキュウが、もう一度テープをラジカセの中に戻した。
「でも、青空くんって絵、描けるんですか?」
「う。」
横から愁ちゃんに質問され、体が強張ってしまう。
「描け――るのかな?」
歯切れの悪い答えと乾いた笑いしか出て来ない。不安そうに二人が顔を見合わせいるので、家で描いてきたいくつかの表紙案のラフを鞄から取り出し、机の上に並べてみた。
しばしの間、紙とにらめっこを続ける二人。
「微妙よね」
「うん……」
写真を見ながら描いたりした絵や、デフォルメを利かせた4人のメンバーの絵やら。
「せーちゃん、素直に写真の方がよくない?」
「絵で描いた方が温かみが出ると思って……」
「えっと、これがたそで……このツンツン頭がイッコーさん?」
「のつもりなんだけど……」
子供の頃落描き程度に模写していたくらいで、大して美術の成績が良かった訳でもないから当然と言えば当然のリアクション、とも言える。
「だから、何か他にいいアイデアがないかなと思って。自分一人じゃこれで精一杯だし、二人に協力して貰った方が」
「なるほど。こんなの簡単よ、ね、愁?」
「えっ?」
キュウがきょとんとする愁ちゃんの目の前で、笑顔で人差し指を左右に振ってみせる。
「ほら、こーゆー時こそ、みょーちんの出番じゃないの」
「みょーちん?」