→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第3巻

   059.桜の中に囲まれて

 眼前に聳え立つ、歴史を感じさせる大きな淡クリーム色の校舎。
「ここ――だよね」
 愁ちゃんに渡されたルーズリーフをちぎったメモと、目の前にある学校の通用門横の表札と何度も見比べながら、行き交う人に訊くともなく僕は小声で呟いた。
 『桜花美術大学』と楷書で書かれた表札を見ているだけで思わず唾を飲み込む。受験で合格した訳でも無いのに、用事で大学に入る事になろうとは全然想像もしていなかった。
 今の時間帯はまだ午前。ここは家と同じ路線沿いにある大学で、昼間からバイトに入る前に電車一本で見知らぬ土地に降りた。まだ春休み期間のはずだけど、新入生を迎える準備やら何やらあるのか意外と学生の姿を見かける。渡されたメモに書かれた地図だけだと心許なかったけれど、それらしき人達の後をついていけば迷わずに大学前まで来れた。
 通用門の隣には守衛室が見え、門前には、
『当大学に関係の無い者の無断立ち入りを禁ずる』
と偉そうな文体で書かれた立看板が備えられている。
 入っちゃ駄目なのかな。
 でもそれだと用事を済ませないままトンボ返りになってしまう。多分無断で入った所で全然ばれやしないと思っても、初めてのケースなのでどうしたらいいものやら。
 後ろめたい気持ちが背中にずっと張り付いていて、中々足が前に進まない。こんな事なら黄昏でも誘うべきだったと考えた所で、どうせ来やしないし。
 よし。
 これ以上ここで小心者で立っていたら逆に不審がられるだけなので、腹を括り早足で通用門を駆け抜けた。案の定誰にも咎められる事無く、いとも簡単に校内に入れた。どこの大学もこんな感じなのかな?
 とは言えいつ職員に呼び止められるか分からないので、メモを頼りに脇目も振らず目的の場所を目指し急いだ。
 今日は風が強く、校内の庭に生え揃う新緑が大きくざわめいている。この風が春一番なのかどうかは知らないけれど、また新しい季節が訪れると思うと心が弾む。
 ドラマ等から自分の中で勝手に想像していた大学のイメージと違い、桜花美大はかなり自然が多かった。山沿いに立地されているからか、自然が先にありきと言った感じ。思った以上に敷地も広く、端から端まで往復する為には優に一時間はかかる気さえした。
 ゆっくり風景を眺めのんびり行きたかったけれど、そうもいかない。立ち並ぶ校舎の脇をすり抜け、部室の集まる小さな校舎へ向かった。
 全ては、キュウが言っていた『みょーちん』という人に会う為。勿論本名では、ない。
「すいませーん」
 目的の部室に到着したら扉が開いていたので中を覗いて声をかけてみたら、何の反応も無かった。もう一度声をかけてみるけれど、同じ。メモと現在の居場所を確認してみても、間違いはない。ただ表札が掛かっていないので何部なのかは判らなかった。
 もしかしたら中で待っていた方がいいのかもと思い、足を踏み入れる。窓は閉め切られ消灯しているので、中は真っ暗。入口横のスイッチを入れ明かりをつけてみても誰かが寝ている様子もなく、人の気配すら漂っていなかった。
 どうやら今、訪ね人はここにいないみたい。
 今は春休み中だから授業はないはず。とりあえずテーブル横の折り畳み椅子が開いていたので、そこに腰掛け誰かが来るのを待った。何だか妙にそわそわする。
 落ち着かない気分で部屋の中を見回してみると、片隅にたくさんのキャンバスが立てかけられていて、様々な絵が描かれてあった。さすが美大、と感心する傍ら、冷蔵庫やらテレビやら布団までもあり、ただの部室とは思えない。
 何より目立つのが、壁や天井や床に描かれた絵。学校の物に描いていいものなのかどうか分からないけれど、こう言うものがある所が普通と違う。
 やっぱり常にアンテナを張っているような人達が集まっているからだろうか(←偏見)。
 このまま時間を潰しているのは勿体無いので、鞄の中から昨日買ったばかりの音楽雑誌を取り出し読者コーナーでも読む事にした。
 学校に通っていた頃から使っていた黒の手提げ鞄はついこの前持つ部分が千切れてしまい、今日使っているのは新しい茶色の鞄。いろいろな音楽道具を入れておけるように、ポケットが多くサイズの大きな物を選んだ。中々にいい感じ。
 浮わついた気分で5分位雑誌を読んでいた所でふとトイレに行きたくなったので、一旦雑誌を閉じ鞄の中に入れ直した。トイレに行くだけだから置いて行っても構わないけれど、気分の問題。
 椅子を立った所でふと右手側の机の上に目をやると、一枚の紙切れが見えた。
『ちょっとばかし桜の真ん中でのんびりしてくるわ みょー』
 盛大にずっこけた。む、無駄な時間を潰してしまった……。
 でも、これだけでは相手の居場所が全然掴めない。おそらく構内にいるとは言え。
 ――鞄を手に、構内の案内図を頼りに歩き続ける事10分。
「ひゃあ……!」
 まるで絵に描いたような桜の木々が並ぶ場所に踊り出た。
 道の両側に桜が満開に咲いていて、並木の向こうの庭にもまだ桜が植えられている。これを学生が独り占めにするのは勿体無いと思えるくらい、優雅に咲き誇っている。
 これで人一人いなかったらもっと最高なんだろうけれど、あちこちで学生達がシートを敷いて花見を始めていた。こんなに早い時間からすっかり宴会モードに入っている輩もちらほら。行きは気付かなかったけれど思った以上に女性の姿が多いのは、ここの特徴?
 と、そこで大変な事態に気付いた。
 この人の多い中で果たして目当ての人を見つけ出せるのかな?
 考えただけで気が滅入ってしまい、嘆いていても仕方無い。前もって愁ちゃんに聞いていた人物像に当て嵌まる人間を探してみよう。時間が無くなれば今日は諦める。
 手当たり次第に訊く前に、まずは一通り付近一帯を回ってみよう。案内板によると構内に密集して桜の咲いている場所はここしかないらしいから。
 道沿いは場所を陣取って花見している学生だらけなので、庭の中に入ってみた。
 ここの桜は街中で見かけるものと種類が違うのか、背が高い。大きく枝を広げているものばかりだから、まるで桜並木のアーケードと言った感じに空がピンクで埋まっている。
 思わず人探しを忘れ桜を魅入っていたくなるのを堪えしばらく進むと、たくさんのゴザが敷かれた場所に出た。大きなサークルの会合か、桜見物の中でも一際目立っている。
 そこから少し離れた所で、一人の男の人が絵を描いていた。
 どこを見回しても賑やかで騒がしい桜の下の中、彼の半径1mだけは空気の色が全然違って見えた。まさに絵を切り取ったような光景。
 伸ばした栗髪を作業の邪魔にならないように頭の後ろでまとめ、木の丸椅子に座り目の前に立て掛けたキャンバスに一心不乱に筆を落としていた。
 離れていても気迫を感じるほどに集中していて、キャンバスと頭上の桜しか見ていない。それを遠目で眺めていると、何故かふと黄昏の姿と重なって見えた。
「あの……藍染さんですよね?藍染 明星(あいぞめ あきら)さん」
 気付くと自分でも知らない間に、その人に声をかけていた。集中を切らす真似をしたのではと言い終えてから気付き、後の祭り。
「んっ?」
 すると相手は僕に気付いて筆を止めると、座ったまま向き直った。
「あ、すいません。邪魔しちゃって」
 僕が謝ると気合付けに首を鳴らし、左肩に筆の尻を差し込みマッサージを始めた。
「んー?そーでもないよ、そろそろ腹減ってきてた頃だったし」
 声をかける前の気迫を出していたのとは同一人物と思えないくらいのんびりした顔で眠そうにあくびをすると髪留めを外し、椅子の上で柔軟体操を始めた。
 ――何だか、変な人。
 そんな第一印象でストレッチする姿を眺め続けていると、向こうが僕に訊いてきた。
「で、何でしょ。確かにオレは藍染 明星だけど、用事でも?」
「あ、っと、そうです。妹さんの愁ちゃんに紹介されて――訊いてませんか?」
「んー?そーいや昨日なんかメシ時に言ってたような気が……」
 眉間に皺を寄せ深く考え込む仕草を見せる明星さん。染めている髪の色合いや髪質は愁ちゃんと似通ってる部分はあるけれど、顔つきや背丈は全然違う。汚れないようにするためか絵の具のついたゆとりのある白衣を着ているせいで体格は判らない。
 愁ちゃんの話が無かったら、多分きっと会えず終いだったに違いない。
『四六時中絵ばかり描いてるような人だよ、うちのお兄ちゃん』
 そう聞いていたから何の迷いもなく声をかけられたんだろう。
 最初愁ちゃんにお兄さんがいると聞いた時にはさすがに驚いた。何故か僕の周りには一人っ子だらけだからてっきり愁ちゃんもそうだとばかり。
 でも妹の方はテレビに出てもいいくらい相当に可愛い女の子なので、兄の方もてっきりアイドルグループにいそうなほど美形なのかと思っていたら案外普通の顔で肩透かし(失礼)。
 しかし全然姿格好も違うのに、どうして最初観た時に黄昏の姿が重なって見えたのかは自分でもよく分からなかった。
「あー、思い出した。たしかバンドのジャケットの絵を頼みたいとか何とか」
「そうそう、それです」
 本当は愁ちゃんに任せ切りにできたけれど、人に物を頼む時にはちゃんとこちらから出向かないと。だから今日はこうしてわざわざ遠い所まで足を運んで来た。
「んー、その話はとりあえず部室に戻ってからで。途中弁当でも買ってくか。あーでもアイツオレの分まで買ってるかな――ま、いいか。よし、行こうぜ」
 何やら独り言を呟いた後、明星さんは僕の肩を軽く叩いた。早速画材道具をしまい始める。一体どんな絵を描いていたのかと思い、興味半分でキャンバスを覗いてみた。
 絶句。
「あーそれ?なかなかいいカンジでしょ?」
「え?ああ、そうですね……」
 僕は苦笑いを浮かべ答えるのがやっと。
 だってその白い紙の上には、桜なんてどこにも描かれていなかったから。
「え、でも、これ……上見ながら描いてたんじゃ……」
 気になって仕方無い僕に振り返り、明星さんはジェスチャー付きで答えた。
「ああ、イメージだかんね。こう、満開の桜見て、ブワーッってインスピレーションを得て、それで頭ん中に広がったイメージを形にしてみてるから、今回。素直に模写でもいーんだけどなー、それなら写真撮った方が手っ取り早いし」
「は、はあ……」
 すいません。常人の僕にはちょっと想像がつきません。
 当の絵の中では、現実に有り得ない空想の花が大きく空を埋め尽くしていた。
「あれ、置いて行くんですか?絵」
「まだ途中よ、乾いてないし。誰かが酔ってぶっ壊さなけりゃ大丈夫でしょ」
 その寛容なのかずぼらなのか、自分の作品を突き放し答えられる所が凄い。音楽とはまた違った作品の接し方があるんだなと少し感心した。
 一足先に歩いて行ってしまうので、慌てて後をついて行く。両手が塞がっていて重たそうなので片方持とうかと訊いてみると、汚れるので止めておいた方がいいと断られた。
 水入れに入ったどどめ色の水を校舎横の水飲み場で捨てる。筆も一緒に軽く洗い水を切ると、そのまま水飲み場の手すりに置きっ放しにして先に行った。
「ちょ、ちょっと、いいんですか?」
「ここじゃ盗むヤツなんていないって。濡れたの持ったままじゃコンビニ入りにくいし」
 その汚れた白衣は着たままで大丈夫なのかと突っ込んでしまいたくなる。
「えっと、アンタがバンドのリーダーなの?」
「え、まあ、一応……」
「はー、音楽できるってヤツって凄いよなー。どーやってあんな指動かせるんだろ」
「それを言ったら絵を描ける人の方が僕は凄いと思いますけど」
「あー、そんなモンだろーね。他人の土地が欲しくなるモンなのよ、人間って。そーいやアンタの名前ってまだ訊いてなかったっけ」
「徳永 青空です。どっちで呼んでも構いませんよ」
「じゃあ、青空で。で、青空クンはいくつなのかな?」
「え、二十歳ですけど。もし大学に行ってたら今年で3回生になるのかな?」
「何だ、オレより年上じゃん!何でそんなにかしこまってんの?」
「え、いや、年下でも初めて会う人にはこんな感じですけど……」
「はー、やっぱ社会にもまれると変わってくるのかねぇー。いいよ、いつもの口調で。オレのコト、みょーって呼んでくれていいからさ。いつもそう呼ばれてんだ」
 話を向こうから振ってくれるので、道行く間も余計な気苦労をしなくて済む。まさか目的地のコンビニが学校の中にあるとは予想もしてなかったけれど。
 ちょっと遅くなりそうなので、みょーさんがコンビニで買い物している間にバイト先に一時間遅れで入る事を携帯で伝えておいた。ギリギリになるよりはゆとりのある方がいい。
 部室に戻るとまだ誰も帰って来ていないのか、出た時と同じく暗かった。電気をつけ部屋を眺めると、テーブルの上を見た明星さんが参った顔をしておでこを押さえた。
「あちゃ〜。やっぱ和美(なごみ)が弁当買ってきてた。ん〜、しょ〜がないか。ねえ青空クン、オレの買ってきたおにぎり、食う?腹減ってなかったらいいけど」
「あ、じゃあいただきます。朝から何も食べてないし」
「ちゃんと朝飯は摂った方がいいよ〜?じゃないと身が入らないからね」
 初めて会った人からいきなりご馳走になるなんて初めてだから戸惑ってしまう。わざわざ冷蔵庫から麦茶まで出してくれる接待ぶりで、すっかりペースを握られている。
 食べ始めてしばらくした所で、口にご飯を頬張ったまま向こうが尋ねて来た。
「で、オレがホントにアンタんトコのバンドのジャケットを描いていいわけ?」
「え、まあ、愁ちゃんとキュウがそう言ってたんで……絶対大丈夫だって」
 ちょっとあの奇想天外な花の絵を見ると心配は多少ある。
「ジャンルは?ロック?」
「一応……依頼するその6曲入りのテープはここに」
 僕はおにぎりを食べる手を止め、鞄の中から渡す分を取り出しテーブルの上に置いた。
「あ、じゃあもらっとく。くれるんだよね?」
 念を押して来たので頷くと、嬉しそうにテープを掴んで白衣のポケットにしまう。
「あ、あれ?聴かなくていいんですか?」
 みょーさんの予想外の行動にちょっと慌てた。ラジカセでもあればその場で聴いて判断して貰おうと思っていたのに。
「こーゆーのって一人でじっくり聴くのがいいもんだろ?安心しなって。描くから」
 そ、そんなに簡単に決めていいのかな?だんだん不安になって来る僕をよそに、みょーさんは喉に詰まったご飯を流し込もうと胸を叩き、そばの麦茶を掻っ込んだ。
「注文ある?描いて欲しいモノがあるなら何でも描くけど」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 すぐすぐ話が進んで行くから一旦こちらから話をストップさせる。一呼吸つき、相手の顔を見据えながら僕の考えを口にした。
「愁ちゃんには話を聞いただけで、どんな絵をみょーさんが描くのかってまだ僕は」
「ああ、そーゆーコト。えっと確か、あっちの方に……」
 言おうとした事を理解したのか、箸を置き席を立つと部屋の片隅にまとめて置かれた絵画スタンドの中から一つのキャンバスを引っ張って来た。
「あいにくここで描いてるのは簡単なモノばっかだけど。気合入れて描く時は家で部屋に篭って描くからさ。ま、こんな感じだって思ってくれれば。あ、あとスケッチもあったか」
 座っていた椅子に僕が見えるように絵を立て掛け、他にも壁際の机からスケッチブックやらコピー紙をいくつか持って来た。
 白いキャンバスに描かれているのは、後ろを振り返った長い黒髪の若い女性。モデルがいるのか写実的で、とても柔らかく鉛筆で描かれたタッチが優しい印象を受ける。
 筆で塗られているのは黒髪と洋服と、おでこの上にかけた色模様のカチューシャ。ちらりと見える首筋のうなじがとても色っぽく、見ているだけで胸が高鳴ってくる。
 絵心の無い僕が評価なんてできる訳ないけれど、とにかく上手い。
「見返り美人、ってヤツを描きたくてさ。モデルは今どっかに行ってるみたいだけど」
 どうやらこの絵の人物はここの部活の人らしい。しかし本当にこの絵通りの外見ならファッションモデル級の美貌の持ち主なんだろうけれど、さっきみたいに想像を膨らませているだけなのかもと変な期待はしないでおく。
「あ、こんな美人いるわけないと思ってるだろ」
 自然と疑いの目を向けていたのか、少し怒った顔で僕を睨んで来た。
「いるんだってこれが。てゆーかオレの彼女だし」
「はぁ……」
 鼻高々に答えられても、実物が目の前にいないから適当な相槌になってしまう。
「あー、信じてないな!!愁にも訊いてみろよ、ちゃんと和美、いるんだから」
「何大声で話してるの?あきら」
 視界が顔一杯になるくらい詰め寄られ困っていると、耳に柔らかい女性の声が飛んで来た。
「あ、和美」
 声の方へ僕も振り向くと、そこにはまごう事無くキャンバスの中の女性が姿形そっくりそのままに立っていた。仰天し目が丸くなってしまう。
 体のラインが出る衣服を着ているせいか、見事なまでのボディラインがきっちりと浮き上がっている。女性にしては背が高く、黄昏よりも大きいかも知れない。
「よかった、ちゃんとご飯食べてくれていて」
 ややおっとりした表情が、端正のとれた顔立ちに温かみを与えていた。
「なー和美聞いてくれよ。コイツ和美が本当にいないと思ってたんだぜ。オレがあまりにキレイに描き過ぎたせいで」
 愚痴を聞かされ当の本人は突然の事に困った様子ではにかんでいる。こちらと目が合うと、軽く会釈をされたので丁寧にお辞儀した。どうやら性格もいいらしい。
「ごめんなさい、さっき来た時忘れ物をしちゃって……またすぐ出かけなきゃいけないの。あきら、お弁当はあれでよかった?」
「カンペキ。さっすがオレの好物を分かってらっしゃる」
 みょーさんが親指を突き出すと、優しく微笑み返す。
「2時くらいにまた戻って来れると思うから。じゃ、絵の方頑張って」
 それだけ言い残すと、忘れ物を抱えた和美さんは風のように部屋から去って行った。僕の方を振り返ってみょーさんが鼻を天狗にさせる。何だか悔しい。
「ちょっち話がそれたけど……そんな感じの絵を描いてるわけ」
 スケッチの方も覗いてみると、アニメ絵やら絵画やら人体デッサンやら全ページが絵で埋め尽くされていて、引き出しの多い人だなと思った。絵の技量も文句無しで、逆に頼むのが気が引けてしまうほど。
「オレでいいんだよね?」
「ええ、全然」
 もう一度訊いて来たので、相手の目を見て頷いてみせた。
 これだけの絵が描ける人なら絶対にいいものを仕上げてくれる。スケッチブックをめくっていく度にそれは確信めいた予感に変わって行った。
 いろんな描き方をしていて様々な絵が並んでいる中に、通低音が流れている。絶対的な本人の色と言えばいいのか、確固たる自分自身を持っているからこそ様々なジャンルの絵に手を伸ばせている、そんな風に僕には見えた。
 正直愁ちゃんに薦められた時には半信半疑でいたけれど、知り合いの兄とかそう言うのを無視し、とても素晴らしい絵を描く人だなと思った。
 どの絵にも、心が入っているような気がしたんだ。
「全部、おまかせしていいですか?」
 予想外の言葉だったのか、ご飯を口に含んでいたみょーさんがむせた。
「おまかせ、って言ったってなあ……どうすりゃいいものやら」
 手に持っていた弁当を置き、困った顔でゆっくりと息をつく。
「テープを聴いて、感じた事をそのまま絵にしてくれれば。創った僕があれこれ言うより、その方が曲のイメージを固定しなくていいかなって。僕が口を出した所であんまり上手く行かない気もするんで。自分一人でやっても、どうにもまとまらなかったから」
「なるほどなー。確かに面白い考えではあるよな」
 他にも何か言いたそうな神妙な顔で頷き、麦茶を飲む。気になったけれど、続けた。
「それと、期限は決まってないんですけど、なるべく早い方がいいかな、と。音源の方は完成していて、後はパッケージさえできればみんなに配る予定なので」
「ん、売り物じゃないの、これ?」
 意外な顔でテープを入れたポケットに目をやる。
「今はまだ……後々、CDにしたりするかも知れないですけど」
「何にしたって、責任は重大って事かぁ」
 参った口調で笑っているけれど、目は凄く生き生きとしている。その目の輝きを見ただけで、僕はこの人を信じていいと思った。
「絵のサイズはテープのケースの比率なら、何でも。後で縮小すればいけるので。それと」
「結局注文は多いなー」
 話の腰を折る突っ込みについ苦笑しながら、言葉を続ける。
「あまりに奇天烈な絵だけは勘弁して下さい」
 描いた本人にしか判らないような絵を出されても困ってしまうから。
「ああ、わかった。りょーかい。好きなんだけどなそーゆーのも。……悪い悪い」
 真剣な顔で見つめ返すと、みょーさんは苦笑し謝った。
 本人の態度を見ていると少し不安になるけれど、どうやらそれがこの人の地みたいなので多分大丈夫だろう。紹介してくれた愁ちゃんを信じるしかない。
「よし、腹も満タンになったし行くか」
 みょーさんは弁当の中身を平らげると、休憩も取らずすぐさま席を立った。部屋にかかった鶏の壁時計を見ると、そろそろ僕も引き上げないとバイトに間に合わない時間。
「じゃ、なるべく早く仕上げるようにするから。できたらこっちから連絡する。愁に電話の番号後で聞いとくから」
「あ、他に聞く事は――?バンドの事とか」
 よくよく考えれば、自分達の事って全然話していない。慌てて訊いたら、
「あー、そーゆーんはオレとは関係ないから。じゃ、また今度」
突き放した答えが返って来た。僕が呆気に取られている間に、みょーさんは腕を上げ切れの良い挨拶をするとそそくさと部屋を出て行ってしまう。
 部外者の僕一人、ぽつんと取り残されてしまった。防犯大丈夫なのかしら。
「あー」
 それはそうと、バンドの名前すら訊いて来なかったじゃないか、あの人。
「大丈夫かな、本当に……」
 今になってだんだん不安になって来て、僕はロダンの考える人になってしまった。


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