→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第3巻

   061.走り出す鼓動

「くあ〜あ〜あ〜あ〜あ」
 体の底から長いあくびが出たので、口を目一杯に開いて眠気を全部吐き出すつもりで途切れさせずに続ける。いい加減出なくなって口を閉じたら、更に眠くなってしまった。
「何やってんだオマエ」
 ラバーズのマスターがカウンターの向こうで目を丸くしている。店内の視線が一斉に僕に集まっていても、恥ずかしがる事さえ面倒なほど眠気が付き纏っていた。
「春の陽気のせいかなあ……」
 手元の空になっているグラスの氷を眠気覚ましに口に含むと、幾分頭も冴えて来る。それでも体全体に纏わり付いたのっぺりとしただるさは取れてくれない。
 バイトの連休の内、今日一日は完全休日にすると決めたので、久々に朝から水海に繰り出しのんびりと公園を散策したり楽器屋で買い物したり自由を満喫していた。昼時にちょうどお腹が空き始めたので、客足が少なくなる頃合まで時間を潰しラバーズに足を運んだ。
 平日でも今は普段の時間帯と比べ珍しく人が少ない。テーブル席の方を振り返ると、初めて柊さんと話をした壁際の二人席は空いていて、あの時と変わらない顔を見せている。
 まだこの前出した手紙の返事は来ていない。まだ新学期が始まったばかりだから忙しいんだろう。確実に返事が来るとは思っていないけれど、気長に待とう。
 普段は思い出さない柊さんの顔も、ふとした瞬間に頭をよぎる。もう一度会って話をしたいと思うけれど、今のこの僕の体たらくぶりを見たらどう思うだろう?
「次のライヴの日時も決まったんだろ?もうちょっとシャキっとしろ、シャキっと」
 眠たくなりカウンターに突っ伏していたら、頭ごなしにマスターに怒られた。
「そんな事言っても、次にここでライヴできるのは6月後半になるって……」
「空いてるだけでもまだマシと思いな。んな事言ってたらウチの夏休みのスケジュールなんて今の時点でほとんど埋まっちまってるぜ」
「本当!?あーっ、まだ4月の頭だよ?どうしてみんなそんなに先の事考えられるの……」
「音楽でメシ食ってるヤツが多いからな、みんな仕事で曲聴かせてやってるのさ」
「プロの人も大変だなあ……」
 今みたいな話を聞くと、ますます滅入って来る。
 3月のライヴ後のスケジュールを一切入れられなかった僕が悪いと言っても、解散の危機だったんだから仕方無い。そんな6月まで長々と休んでもいられないので、水海近辺のここより小さなライヴハウスでも回るしかない。
 これまでに5、6ヶ所のライヴハウスで演奏して来た中で、水海ラバーズが一番自分の肌に合っていた。ただ広くて設備がいいだけじゃなく、TVで映るような海外のライヴハウスみたいな匂いがしている所が大のお気に入り。
 イッコーなんかは殺風景のコンクリートの壁剥き出しみたいな所が好きみたい。パンク精神を感じられるからとか言っていたけれど、一番好きなのは野外らしい。勿論知名度も無い『days』が野外なんてできるはずもなく、フェスで他人のを客席から見るだけ。
 しかしそれを思えば、一番小さなステージとは言えこの国でも3本の指に入るロックフェスで叩いた事のある千夜さんが、僕達のバンドに正式加入したなんて驚き過ぎる。
 重く感じて来た責任逃れからここしばらく何もしていないのかも知れない、僕は。
 腕を休める意味でギターを弾くのをここ一週間位控えていたら、あっと言う間に心身共に鈍ってしまった。普段から弾き過ぎで半ば持病みたいに手首が痛かったので、極力負担になる作業は控えていたのが裏目に出たか。
 バンドや音楽での重圧がずっとあったのも大きかったから、全然詞も書いていないし曲創りもしていない。本当なら一週間丸まる休みでも取り、親の田舎にでも帰って久し振りにおばあちゃんにでも会って来ようかと思ったけれど、春休み中は学生でスタジオも賑わいを見せるのでバイトを休んでいる暇が無かった。
 子供の頃は毎年夏休みになれば帰省していたから、できれば今年こそ帰省し夏の自然でも満喫したいとは思っていても、ロックフェスはあるしバンドも(順調なら)忙しくなるだろうし、行けるかどうか不安。
 大人になり、いろんな手枷足枷がつき動くのさえままならなくなって来た気はする。何も考えずに好き勝手な事ができる日々はもう過ぎたんだなと思うと、何だか悲しい。
 と言っても、就職もせずにバンドばかり続けていられる時点でもう十分自由の身、か。
「そろそろやらなきゃなあ……」
 このままだらけていたらそれこそ一生だらけたままでいそうなので、帰ったら曲創りでも再開しよう。後で黄昏の家に寄るのもいいけれど、行ったら絶対まったりしながら夜を明かすに決まっている。自分を戒める意味でも、背筋を伸ばし張り切ってみよう。
 そう決めていざ背筋を伸ばし目を見開いてみても、案の定3秒で終わってしまう。
「マスター、もうちょっとここでのんびりしてていい?」
「別に構わねえけど、何か頼めよ」
「あ、じゃあフライドポテトを一つ……それとお水下さい」
「ヤレヤレ。ライヴの収入で儲かってんだろ?もっと豪勢に頼めよ」
「そんな事言われても、さっき定食食べたばかりじゃないですか」
 反論すると、マスターは飽きれ顔で中の店員に注文を伝えた。ファーストフード店と比べると良心的な値段とは言えここのレストランは割高なので、昼時に用事か何かで来た場合はいつも一番安い日替わり定食を頼むようにしている。今しがた食べ終わったばかりだけれど、昨日の夜は食べずにそのまま布団に入ってしまったから小腹が空いていた。
 でも、随分ここのマスターともくだけて話ができるようになったと自分でも思う。
 最初の頃はそのいかつい鷲鼻の顔にまともに相手の目を見て話をする事ができなかったのに、ここの常連になったおかげで人見知りの僕もかなり気心が知れた。
 実際は僕よりも黄昏の方が仲良くなっているみたい。
「っと。そういやこの前渡してもらったテープだけどな」
 何の前触れもなく話を振られ、心臓が喉から飛び出そうになる。
「ど、どうでした?」
 思わず訊き返す声が裏返ってしまう。前にライヴの予約を入れに来たついでに完成したジャケット付きのテープをマスターに渡したけれど、今日は反応を聴くのが恐く自分からその話題は振らないようにしていたのに。
「あー、あれだけどなー……」
 駄目出しされるのが恐く身構えていた僕の顔が恐かったのか、マスターは目を丸くして言葉を詰まらせた。咳払い一つしてから、頭から言い直す。
「あー、あれだけどな、俺は不満だったけどな」
「…………。そう、ですか」
 今まで数え切れないほどのバンドを見て来たマスターだから、他の人とは違いそう簡単にウンと頷いてくれるとは思っていなかった。とは言え、面と向かい否定されるとしょんぼりしてしまう。
 眠気も覚め打ちひしがれていると、突然マスターが店内の壁を揺らすほどの大声で笑い始めた。何の事か解らず呆然としている僕の顔を見て、マスターは口の端を歪める。
「そういう意味じゃねえよ。たったの6曲しかねえってのが不満なんだ」
「え?」
「そんな初めてテープ作ったような奴等がいきなり何年もステージに立ってる奴の音源のレベルで録れるわけねえだろ。クオリティがどうのこうのって言うより、どれだけそいつ等の味が出てるかが大事なんだよ。さすがにレコーディング慣れしてねえみたいだけどな」
「は、はぁ……」
 褒められているのかけなされているのかよく判らずに、引きつった笑いしかできない。
「ライヴでいっつもやってる曲ん中で入ってねえモンもいくつかあるだろ?一発録りするんだったら、他の曲も全部録って、そっから選べばよかったじゃねえか。どーせ売りモンじゃねえんだろ?」
 あまりに的を得ている意見で、僕は言い返す言葉さえ浮かんで来なかった。
「ま、俺もインディーズレーベルの事務所持ってるから、言いたい事は山ほどあるけどな。それにしちゃ結構録音の出来もいいし、今のレベルでも十分金取れるラインだとは思うぜ。ジャケットも気合入れて作ってんだから、自分達のライヴで売ればいーじゃねーか。バンドの財源にも貢献して、一石二鳥だろ?」
「あ、いや、まだそこまでは……もうちょっとバンドが固まってから」
 矢継ぎ早にアドバイスが飛んで来て、僕は慌てて両手を振った。一発録りにしては音がいいのは全て手伝ってくれたスタジオの叔父さんのおかげだし。
「まだ千夜さんが入ったばかりだもの、もう少し時間を置いてから、CDは作りたいと思うけど……それよりまずは、次のライヴが先決」
「ん、青空の言う通りだな。これを身内だけに聴かすってのはちともったいねえ気もするけど――ちゃんと曲溜めてフルアルバム出すってんなら勘弁してやるぜ」
「そうして下さい……」
 後々ちゃんとした『days』のCDを出す事を約束し、この場は許して貰った。
 ジャケットの出来上がったテープはこの前身内を含め知り合いに全部配り終え、ようやく肩の荷が下りた所。直接テープを渡した相手には概ねジャケットの絵が好評で、それはもう我が物のように喜んだ。それくらい、みょーさんの絵はばっちりはまっていたから。
 何より、両親に「こんな音楽をやっている」と胸を張ってテープを渡す事ができたのが、僕にとって一番大きかった。受験勉強をほったらかして音楽に打ち込むようになってから、どれだけ親が応援してくれていても後ろめたい気持ちはいつまで経っても拭えなかった。
 だからこそ、自分の生きている証を親に見せられると言う事は、何よりも自信にも、誇りにもなった。お母さんは涙で目を潤ませていたように思う、テープを渡した時は。
 ようやく肩の荷が降りたここでもう一踏ん張りしなきゃ、とは思うけれど、今はやり切った感じが強くどうにもこうにも……。
「あ、マスター。個人的には、どうだったですか?」
 出来たてホクホクのフライドポテトを持って来てくれたマスターに改めて訊いてみると、少し考える素振りを見せてから答えてくれた。
「今はまだ他とどんぐりの背比べかもしれねえが、化ける可能性はかなりあるぜ。凄くなるにしろダメになるにしろ、てめえ達の心がけ次第だとは思うけどな」
 その言葉だけで、僕には十分過ぎるほど力になった。
 やる気を全身に漲らせながら、ここに来る前に書店で買って来たばかりの本をテーブルの上に開き、右指でフライドポテトを摘みつつ読み始めた。
 買って来たのはロック雑誌に取り上げられていた、『BIG・O』と言うタイトルの絵本。邦題では『ぼくを探しに』と言う大層な名前が付けられている。
 この年になって絵本は無いだろうと思いつつ、半信半疑な気持ちで本を手に取った。真っ白な下地に、一筆で書いた丸に目がつき、1/6ピース程欠けた口みたくなっているキャラクターが同じく線だけの地面を転がっているだけのシンプルな表紙。
 普段の漫画とは逆側からページをめくると、見開きで物語が展開していく。絵本だから2ページを読むのに10秒もかからず、あっと言う間に読み終えてしまいそう。
 自分の半身を無くしたBIG・Oが、旅を始め自分に嵌まる欠片を探しに行く。大好きな歌を唄いながら旅を続ける途中いろいろな欠片を見つけるけれど、自分のサイズに合わない物ばかり。
 やがて彼は無くした自分の欠片を見つけ、本来の姿に戻る。しかしその代わり、満たされてしまった彼は大好きな歌が唄えなくなって――と言う内容。
 様々な視点から読み解ける物語で、作中の説明が書かれた最後のあとがきを読んで本を閉じる頃には、いろいろな考えが頭を渦巻いていた。
 何だか、自分や黄昏の事が描かれているみたい。
 それなら一体今の僕は、この物語のどの付近にいるんだろう?
 黄昏がこの主人公とするなら、いつか歌を唄わなくなる時が来るのかな?
 そうした事件は去年の秋に一度あったけれど、あの時は乗り越えられた。でもまた次同じような事が起きないとは限らない。ただ大好きで歌を唄い続けているのとは違うから、黄昏の行動原理は。とは言え、僕も似たようなもの。
 だから今僕が一番欲しがっているもの――一概に言えず、大雑把なものだったりするけれど――バンドを組み始めたのも、自分に何ができ、何を遺していけるのかを知りたくて、形のあるものとないもの両方を手に入れたくてここまで続けて来た。
 今の状況でも十分過ぎるほど成果は上げられた訳で、なら一体いつになれば満たされて終われるのか――なんて考えても、多分その前に自分の才能の無さに嘆き諦める方が早い。
 働いてお金を稼いで自分の力で生活して。今は音楽をやる為にそれを続けていられるからいいけれど、いつの日か自分を生かすだけで精一杯で後先が分からなくなったりするんだろうか?そうやって大人になっていく自分をその時僕は許せるのか?
 黄昏だったらきっと何のためらいも無く自分を終わらせる事ができるんだろうな。
 死ねる時期を見逃してしまった僕は、ひたすら苦しみ続けながら朽ち果てるまで自分を続けて行くしかない。そんな事をここ2年で強く思うようになった。
 何か人生四六時中修行みたいな感じがして、結構疲れる。
 子供の頃みたいに何も考えずに底抜けに笑えるなんて事、多分年老いて余生を過ごす時にならないとできないんじゃないかな?
 心の底から嬉しくなる瞬間がバンドを始めてから何回かあっても、それって努力が実ったとか、今までの鬱憤が解放されてと言う感じで、普段から常に抑圧されているから嬉しい瞬間があった時に涙腺が緩み易くなっているような気がする。
 人生の99%はいろいろな悲しみで包まれているんじゃないかとさえ、思う時もある。だからこそ残りの1%に出会えた瞬間は心の底から喜ぼうと。
 本当はもうちょっと楽な生き方を人間はできるはずとは思っていても、あいにくいつの間にやら僕のスタイルはすっかりそんな風になってしまった。もしまた次に生まれ変われた時は、劣等感に苛まれる事なく周りのみんなみたいに天才な環境で育ちたい。
「おーい青空」
 なんて夢じみた事をぼんやりと考えていると、マスターが僕の名前を呼んでくる。
「もう少ししたら黄昏がやって来るから、しばらく待っとけよ」
 黄昏が進んで自分の足でこの店に足を運ぶなんて思ってもみなかったので驚いた。出不精な性格だから、よっぽどの事でない限り自分から動かないとばかり。
 もしかするとよっぽどの事情があるかも知れないので、訊いてみた。
「あーっと、それはだな……お、言ってるそばから来た来た」
 マスターが話し出そうとした時にちょうどいいタイミングで、白いYシャツを着た黄昏が店のドアを開け入って来た。後ろには私服姿のキュウと愁ちゃんもいる。僕がいるとは思っていなかったのか、黄昏は目を丸くしてこちらを見ていた。
「あれ、青空。来てたのか」
「うん、買い物ついでにね。それより後ろの二人、今日は学校じゃないの?」
 昔より曜日の概念がなくなりつつあるけれど、確か今日はまだ平日だった……はず。
「創立記念日よ、創立記念日。ウチの学校、一学期始まって早々にあるのよ。たくもー、おかげさまでありがたみが全然ないじゃない」
「しょうがないよ、そこで怒っても。学校側が決めてるんだから」
「あーもー創立記念日確認してから受験するべきだったわ、もー」
「そんな創立記念日で学校選ぶ人なんて聞いたことないよ」
「くー、アタシが学長だったら一ヶ月に一回休日作ってやるのに〜」
「そりゃいくら何でも無茶だろ。てゆーか学長だったら休み意味ねえだろ」
 地団駄を踏むキュウに、珍しくマスターが突っ込みを返した。
「で、どーする?今すぐ見ていくか?まだ忙しくねえから時間取れるぜ」
「どーしよ?あたしはお腹空いてるけど、たそ、まだ起きたばかりでしょ?」
「俺はどっちでも。店の売り上げに貢献する気があるんなら」
「アタシも朝食べてないからココで食べてこっかなー」
 話し合った結果、3人は食べる事に決め中央の4人席へと向かった。あの3人が一緒に歩いているだけで何だか物凄く華やかに見える。両手に華と言う奴かな。
 3人の方を眺めていたら、キュウにこっちに来るように呼ばれた。あまり気乗りしなかったけれど、特に急いでいる訳でもないので同席する事にした。
 みんなが日替わり定食やスープスパやらラザニアを頼む横で、僕はひたすら水を飲む。
「あれ、せーちゃんダイエット中?」
「食べたばかりでお腹一杯だもの、これ以上は無理だってば」
 それはそうと、このテーブルで自分だけやけに浮いている気がする。ギターを持っていない状態でみんなと集まるなんて0に近かったので、何だか無性に落ち着かない。
「ああ、ダメだ、俺眠い」
「寝ちゃだめだってば。用事済ませて家に帰ったらいくらでも寝かせてあげるから」
 椅子にもたれ目を閉じる黄昏の肩を、隣に座る愁ちゃんが揺すって起こそうとする。
 半月近く会わないだけで、随分二人の仲が接近しているように見えた。完成したテープもキュウの提案で僕じゃなく、愁ちゃんがわざわざ黄昏の家まで直接手渡しに行った効果もあったのかも。
 みょーさんの警告がふと脳裏をよぎるけれど、僕じゃないから別にいいか。
 またごねて唄いたくなくなった時に僕の言う事を聞かなくても、愁ちゃんがいれば引っ張って来てくれそうだもの。ただ、二人の仲がもっと接近したら僕も中々黄昏の家に足を運べなくなりそう。そう思うと少し寂しいけれど、黄昏の保護者の僕としては嬉しい。
「なにニヤニヤしてるの、二人のほう見て」
 そう言うつもりはないんだけど、キュウが横から肘で突付いて来た。
「いや、微笑ましいなあと思って。黄昏のこんな姿見られるなんて思ってなかったから」
「ほっとけ」
 冷めた目で僕を見る黄昏の隣で、愁ちゃんが赤い顔で俯いている。いつでも面倒臭そうな態度を取るのは相変わらず変わっていないみたい。
「それはそうと、3人共何の用事?ライヴの予約なら前に済ませてあるけど」
 僕が尋ねると、キュウが少しうんざりした表情を見せ答えた。
「あら、今日はバンドは関係ないわよ?アタシは二人の付きそいで来ただけだけどね」
「あたしだってたそのつきそいで来たんだってば」
 誤解されると恥ずかしいのか慌てて愁ちゃんが言い返す。
「ま、そんなワケでアタシ達はたそのバイクを一緒に観に来たってワケ」
「バイク?」
 聞き慣れない言葉が飛び出して来て訊き返すと、黄昏の代わりに愁ちゃんが頷いた。
「バイクって……黄昏、バイクの免許持ってたっけ?」
 そんな話、今まで一度も聞いた事がない。
「一応普通二輪は持ってる事は持ってる」
 黄昏の口から出た言葉に、僕はあんぐりと口を開け呆然とするしかなかった。
「高校辞めてから、すぐかな。うさ晴らしのつもりで取ったけど、結局バイクも買ってないし、それからずっと乗ってない」
「ああ……」
 おそらく歌を唄い始める前の事だろう。自棄になってバイクでも乗り回そうと思ったけれど、それさえできなくなるくらい落ち込んでいたに違いない。黄昏の気持ちを思うと、あえてそれ以上は訊かないように口をつぐんだ。
「心配しなくても、バイクにはバンドで稼いだ分のを回す」
 僕がお金の事を心配していたのかと思ったのか、黄昏が弁解して来る。チケットの売り上げ代を分配した分だけでまかなえるほど安くないでしょ、詳しく値段知らないけれど。
「あー、まあ、いいけど……僕としては自分のギターを買って欲しかったなあ……」
 バイクよりはもっと有意義な方にお金を使って欲しかったと思うけれど、そこまで口を出すのはおせっかいが過ぎるか。溜め息混じりに呟くと、黄昏は難しい顔を浮かべた。
「……悪い、すっかり忘れてた」
 思わず左隣のつい立てに頭をぶつけてしまった。
「ああしまった……ギターがあったんだったか……!」
 どうやら本当に忘れていたらしく、頭を抱え悩み出した。うろたえる愁ちゃんが慌てて黄昏を慰める。
「だ、だいじょうぶだってば。マスターにバイク安く譲ってもらえるんでしょ?そんなにお金もかからないよ。多分……」
「……マスターに後で値切ってみよう」
 二人を見ていると、僕も交渉の場にいた方がよさそうかも。
 しばらくすると料理が運ばれて来て、ぎこちない空気のまま食事が始まった。先に食べてしまって何も頼んでいない僕は、横で料理の匂いを嗅いでいるだけでもうお腹一杯。
 僕が食べていたら横からキュウが食べかけ目当てに手を伸ばして来ただろうけれど、今日は大人しくスープスパを食べている。さすがに黄昏のは取ろうとしない、愁ちゃんに絶対怒られるから。
「でもどうして、バイクなんか?」
「マスターが譲ってくれるって言うから。俺はどっちでもよかったんだ。けど、こいつらに話したら『絶対もらったほうがいい』って。後ろに乗りたいだけだと思うんだけどな」
「いーじゃない、アタシは風になりたいのよ〜♪」
「あたしは二人乗りはあんまり……危ないもん。それより家の中にばかり閉じこもってるのも体に悪いし、気分転換にもなると思うから、バイクがあってもいいと思うな」
「こけて指骨折したら許さないわよ。ギター弾けなくなるんだから」
「あ、でもあたしを一番最初に後ろに乗せて欲しいかも」
「おまえらなー……」
 言いたい放題言う二人に困惑している黄昏。この女の子二人が来てくれてから、黄昏に対する僕の負担が随分減ったのを感じる。
「黄昏の事だから歌をほったらかしにしてバイクに夢中になる事はないと思うけど……怪我だけは本当に気をつけてね。ギターが弾けなくなる以前の問題だから」
「む……わかった」
 久し振りに保護者らしい事を言うと、渋々と黄昏は頷いた。何だか嬉しい。
「ホント、せーちゃんって黄昏のお母さんみたいだよね〜」
 今のやり取りを見ていたキュウが横から茶々を入れて来て、思わずむせた。
「あの、僕男なんだけど……」
「でも、黄昏の部屋とか行くたびにいっつも片づけてるんでしょ?愁が言ってたわよ、『いっつもぐーたらなたその部屋なのに思ってた以上にキレイだった』って」
「あー!そーゆーこと言っちゃやだよ〜!!」
「すっかりラヴラヴでございますなぁ。どーですかせーちゃん、保護者の意見としては」
「いい加減にしてくれ……」
 二人にペースを握られっ放しでどうしようもない。黄昏が頭を押さえ呟いたその言葉が、僕の気持ちを代弁していた。
 あまり喋らないようにいつも持参しているロック雑誌でも読んで、みんなの食事を早く終わらせる。キュウが一々どのアーティストがオススメだの訊いて来たけれど、手短に答え話題が膨らまないように抑えておいた。その話は、また機会があればゆっくり。
 でも、音楽と関係無い所でみんなと会うのも悪くない。バンドを始めてからでも、黄昏と一対一で会う時は昔と変わらないようなとりとめもない事を延々語り合っていたから。先程見せたキュウの嫌そうな顔もそのせいだろう。
 もうちょっと、友達感覚で付き合えればいいのかなとも思う。でもイッコーも千夜さんもそれを許さない。
 イッコーは気さくだけど、それは僕の事を認めているからと言うのが言葉の節々に感じられるし、千夜さんに至っては論外。試しに友達付き合いしている絵図を想像してみた所で、何も浮かばなかった。
 例えばもし、僕に才能が無くなったとして、その時おそらくイッコーや千夜さんは僕のそばから離れて行くだろう。そう言う関係の上に成り立っているから、僕達は。
 そんなのは勿論嫌に決まってる。イッコーは僕より年下でも一人の人間として尊敬しているし、千夜さんは一人の凄腕のドラマーとして尊敬している。
 千夜さんを一人の人間として尊敬できるかと言うと、正直な所どうかなと思うけれど……。でも音楽抜きの部分でもいい関係でいたいと思う気持ちはある。
 それが恋なのかと言うと違う気がするし……例えばキュウや愁ちゃん、柊さんと仲良くいたい理由を挙げろを言われれば、僕はきちんと言葉にして説明できる。
 でも千夜さんはどうかと言うと、何も言葉が浮かんで来ない。けれど一緒にいたいと思う、自分でも良く分からない不思議な関係。
 きっと僕は、彼女を守りたいと思っているんだろうな。
「んっ?」
 今何か答えが見えそうな気がしたけれど、深く考えると千夜さんとの距離のバランスが崩れる気がしたのでやめておいた。キュウが何事かと僕の顔を見て来たのを、誤魔化す。
 20分後位にようやく3人の食事が終わった。イッコーと食べるとあっと言う間に終わったりするけれど、女の子はそうも行かない。横で他人の食事を眺めているものほど退屈なものはないなと今しがた思った。
「おー、食い終わったか。おまえ等が飯食ってる間にバイク出しておいたぜ」
 食器を片付けにマスターが顔を出して来る。男二人はすぐにバイクの停めてあると言う駐車場へ向かおうとするのと対照的に、女性二人はのんびりと談笑していた。この辺が男女の差なのかも。黄昏は早く行きたくて仕方無い様子だったけれど、我慢して二人の気の済むまで話をさせておいた。そんな所を見ると、黄昏もほんの少し大人になったのかなと思う。
 マスターに連れられ店の駐車場に行く頃には、太陽の位置もすっかり傾いていた。暖かい日が続くとは言え、日照時間は徐々にしか増えて行かない。まだこの時期だと月が昇るのも早く、夜の時間も長い。
 4人の後ろをゆっくりとついて行く間、多分このまま3人に連れられ時間を潰す事になりそうな気がして、気が滅入った。その日の脳内設計はいとも簡単に崩れ去る、なんて毎日痛感しているはずなのに、全身の力が抜けたみたいにくたびれる。
 ここで気合を入れ短時間で思い描いていた未来を実行すればベストなんだろうけれど、あいにく僕の体はそんな風にできていない。
 こうしてまた一つ、自分の中に重い布が降りかかる。嗚呼、曲作らなきゃいけないのに。ギター弾きたいのに。そんな思いが降り積もり、心の枷になる。
 ……でもみんなが喜んでくれるなら、いいか。
 帰ろうと鞄を持ったらキュウや愁ちゃんに呼び止められたので、最後まで付き合う事にした。こう言う時、いつもは見えるはずの黄昏の心が見えなくなるのが困り物。
 駐車場に着くと、銀のワイヤーフレームをきらめかせたバイクが置かれていた。車種とか排気量とか僕にはさっぱり判らない。年代物なのか古めかしい感じを受け、外国の物っぽく排気ガスをたくさん撒き散らしそうな感じ。
「俺がまだ若い頃に向こうで乗ってたバイクだ。見た目は古いが、手入れしてあるから今でもバリバリ動くぜ。ま、俺ぁ全然乗ってねえんだがな」
 得意気にマスターが笑い飛ばすその気持ちも解る。ワックスで磨かれたそのバイクは他人が乗っていたとは思えないほど見事に手入れされていた。
「あっちゃ〜。ちょっとコレ、予想以上だわよ愁」
「そ、そうだね……」
 女子二人もバイクの放つ輝きに気圧されたのか、遠目に近づけないでいる。
「これ、400cc?」
「おう、俺が今のハーレーに乗るまで使ってた奴だ。つってももう随分昔になるがな。金のねえ頃はこれで全国走り回ってたもんよ」
「へえ……凄いな」
 黄昏は食い入るように間近でバイクのフレームを見つめている。バイクの事を知らない僕も乗ってみたくなるほど、人を惹き付ける魅力がある。
「でも、ダイジョーブなの?走ってる最中にバラバラになったりしないでしょーね」
 疑り深い目でキュウが訊くと、マスターは豪快に笑い飛ばした。
「それは心配ねえぜ。こないだ吹かしたら、ちょっとばかし黒い排気ガスがバカスカ出てきたけどな。走ってるウチに調子よくなっていくから、安心して乗り回せよ」
 少し引っかかりの残る忠告だけれど、黄昏はあまり気にしていないみたい。マスターが用意してくれたシルバーの装飾の無いシンプルなヘルメットを被ると、早速バイクに跨ってエンジンを吹かしてみた。気持ちのいい音を奏でバイクが唸る。
「凄い迫力だね、キュウ」
「後ろに乗ってると、腰いわしそうよね」
 女の子には轟音過ぎるのか、眉をひそめ大声で感想を言い合っている。いつもアンプの横で自分達の大音量の演奏を聴いているせいか、僕にはさほど問題無かった。
 しばらくエンジンを吹かし続ける黄昏。そのままバイクを走らせる――かと思ったら、一向にスロットルを握ったまま走り出そうとしない。みんな首を傾げていると、黄昏はエンジンを一旦止め僕達の方を見た。
「どうやって運転するんだっけ」
 その場にいた全員よろめいた。そう言えば免許は取っただけって言ってたっけ。
 不安になる僕達3人に見守られながら、黄昏はマスターのレクチャーを熱心に聞いていた。ギターの時と一緒で飲み込みが早く、5分もしない内に駐車場で円を描き走り回れるようになる。世の中には何をやらせてもすぐに身になる人っているものだね。
「じゃ、ちょっとこの辺り一回りしてくる」
 僕達に手を上げると、黄昏を乗せたバイクは気持ち良いエンジン音を鳴らしながら道路へ走り出して行った。戻って来る間に、二人乗りできるようにマスターが愁ちゃんと店までもう一つのメットを取りに行く。駐車場には僕とキュウの二人が残された。
 ぼんやりと、何をするでもなくその場に突っ立ったまま帰りを待つ。すぐ目の前に高速道路が走っているせいで、今の時間帯は陽の光が駐車場に差し込んで来ない。日向ぼっこもできず、とてもやる事がない。
「もうちょっと、肩の荷降ろしたらどう?」
「え?」
 膝を揃えて腰を下ろしているキュウが、そわそわしている僕を見て声をかけた。
「こーしたムダな時間もたまには堪能してみるものよ〜。抜く時は抜いて、スイッチ入れる時は入れる。リラックスするコトを覚えなくちゃね、せーちゃんは」
 こちらの心境を見透かしたような言葉に、頭が下がる。つい今しがた、こんな所で無駄に時間を潰すなら一人先に帰って曲でも創りたいと思っていた所だったから。
「動かなきゃって気持ちもわかるけどね、気合入れ過ぎるとすぐテンパっちゃうわよ」
 本当にもう、この子には僕の考えている事なんてすっかりお見通しみたい。
「……そうだね。黄昏、早く帰って来ないかなあ。僕も後ろに乗ってみたいな」
 道路の方を眺め呟く僕を見て、可笑しそうにキュウが声を立て笑う。
 影になった駐車場の中で、二人の距離が近づくのを感じた。


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