→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第3巻

   063.ボトムズ

 この日の千夜さんはいつになく調子が悪かった。
 演奏していた『ブルーベリー』が終わると、ステージ上でイッコーと僕は顔を見合わせる。お客の前なので不安な顔を見せまいと互いに笑っていても、目線の奥は同じ気持ちを抱いている。僕達の顔を見なくても、今日の出来が今一つなのは客席にも一目瞭然だろう。
 その中で、黄昏だけはいつもと変わり無く唄い続けていた。『平然』と言う言葉は当てはまらないけれど、千夜さんの調子なんて全く意に介していない様子で振り返りもしない。今日に限った事じゃなく、それは毎回誰の調子が悪くても同じではある。
 今回のライヴもフロアは人で埋め尽くされている。狭いライヴハウスと言う事もあり、明らかにここ3、4回で集客数も伴う歓声も目に見え増えて来ていた。これまでは対バンしていた相手の方が主役だったのに、いつの間にやら立場が逆転してしまっている。
 僕達目当てに来ている人が多いのは明らかで、これまでよりもプレッシャーがかかる。それでも僕達の曲に触れてくれる人が増えた喜びの方が大きく、今日まではずっと上り調子で行けた。現に僕もイッコーも以前より呼吸が合うようになり今日も絶好調だし、黄昏も慣れないギターを肩からぶら下げ一所懸命弾いてくれている。
 周りの3人の出来がいいからこそ、千夜さんの不出来具合が余計に目立った。
 フィル・インがもたれたり、急に前のめりになったり反応が遅れたり……。時には一小節分間違えたまま気付かなかったりもして、挽回できずに曲を終えたりした。最後の循環コードの部分だったから良かったものの、いつもの千夜さんなら絶対にやらかさないミス。
 記憶力が凄く良く練習でも本番でも絶対に譜面を間違わないはずなのに、あろう事か今日は初歩的なミスを連発している。客席に混じってフロアの先頭からステージを見ているキュウも、いつもならただの一ファンになって曲に乗っているのに今回は心配顔。
 それでも弱音を吐かず、気丈に振舞うしかない。
 以前の僕ならつられて一緒に演奏が崩れて行ったと思う。けれど数多くの実践経験を重ねてきたおかげで、惑わされず自分の演奏を保つ事ができるようになった。焦る気持ちは同じでも、最適とまでは行かなくてもどう対処すればいいのか見えて来る。
 ドラムから入る曲もイッコーが最初にベースでリズムを取って入り易くしたり、ドラムソロのパートにギターを被せたり。手助けする度に千夜さんから強烈な視線を返されるけれど、その甲斐あってか何とか破綻しないラインで踏み止まっている。
 そのくらい今日の調子は酷く、普段は冷静な顔を努めている千夜さんも眉間に皺を寄せ難しい顔で叩き続けていた。歯の食い縛る音がこちらまで聞こえて来そう。
「今日はあの日かー?」
 ぎこちなくなったフロアの空気を変えようと曲と曲の合間にイッコーが茶化すと、本気で頭に来たのか千夜さんは椅子を立つと相手の顔面にスティックを投げつけた。
 そこで当たれば爆笑が起こりフロアも湧いたに違いない。でも当たれば確実に怪我するぐらいの早さだったのでイッコーは咄嗟に避け、投げたスティックは後ろのアンプの網目に当たり床に転がった。乾いた笑いと気まずい空気がフロアを包む。
 イッコーがスティックを拾い放り返すと、千夜さんは礼も言わずにドラムを叩いた。内心怒っているに違いないのに白い歯を振り撒くイッコーは本当に偉いと思う。
 今日は平日と言う事もあり、リハに千夜さんは参加していない。楽屋に入って来た時からいつもと様子が違ったのかも知れない。あいにく前回の大チョンボのせいで、僕の方から距離を取っていたから分からなかった。まさかそれが原因?とは多分言わないだろう。
 心配になってつい千夜さんの方ばかり顔を向けてしまうので、あえてギターに集中した。散漫になって僕まで崩れてしまうより、引っ張るくらいの勢いで弦を掻き毟った方がいい。
 こうした逆境には弱いはずなのに、誰かの為になら頑張れるのは自分でも驚く。イッコーも千夜さんが駄目な分、いつに無く強く輪郭のあるビートを刻んで曲を奏でようとする。
 知らない間にこんなチームワークができるようになっていたなんて。黄昏だけはマイペースだけど、元々他を喰ってしまうほどの歌声を出すおかげで十分サポートになっていた。
 こうした悪い状況の時に限って今日は3バンドだったりするから持ち時間が長い。曲間を長めに取る方法もあったけれど、普段MCが少ないのに緊急時だけやってしまうと周りに自分達が不調なのを言っているのと同じ。余計な不安は煽りたくない。
 客席のリアクションは少なくとも、余所見をしていられる状況でもない。一曲一曲気合を込めて綱渡りしていく。その成果もあり、徐々に千夜さんも持ち直して来た。
 これが30分なら最後まで持ち堪えられただろう。でも、慣れない事態に僕の集中力も限界に近づいていた。
 千夜さんが調子を上げて来たから、ここらで少し息を抜こうかと思った、その時。
 スティックの床に転がる音が、僕の鼓膜に届いた。
 ギターを弾く手を動かすのも忘れて振り返ると、千夜さんが茫然自失の顔になっていた。ずっと歌に集中していた黄昏も、間奏の部分で気になって振り向く。すぐに復帰できると思ってかイッコーは構わずベースを鳴らしていたけれど、よほどショックを受けたのか千夜さんは少しも動けず固まっていた。
 客席が徐々にざわめいてくる。このままだと頭から曲をやり直す他に無い。
「千夜!!」
 辛抱堪え切れなくなったイッコーが険しい顔で怒鳴った。千夜さんは大きく体を震わせ、目に光が戻る――
 と思うと、突然席を立ち、勢い良く一目散にステージを降りて行ってしまった。
「おい千夜!!」
 イッコーが演奏を止め更に怒鳴っても、戻って来る気配は無い。ステージを放り出し追いかけるかこのまま演奏を続けるか、何度も行き来する素振りを見せ苛立つイッコー。
「どうする?」
 逆に大して慌てた様子も無い黄昏が、僕達二人に訊いて来た。まるでこう言う状況が起こり得る事を前々から知っていたように見えるのは、初めから信用していなかったからなのかも知れない。
「どうするったってな……」
 参った顔でフロアを見渡しイッコーが呟く。完全に演奏は止まってしまった。突然の事にフロアからは野次も飛んで来て、スタッフもステージ裏から不安な目を向けている。
「続けよう」
 考える間も置かず、僕の口からそう突いて出た。
 ギターを構え直し、フロアに向き直るとストロークを一つ。ざわめきの収まらない観客を他所に、演奏していた曲の頭からギターを弾き直した。
 二人に目線で合図を送ると、イッコーも戸惑い顔のまま遅れてベースを鳴らし、黄昏も小さく溜息をつくとマイクの前に立つ。ドラムが無いのも構わずに、僕は威風堂々とギターを鳴らし続ける。少しずつざわめきも収まり、やがて客席も静かになった。
 勿論ドラムが在ると無しじゃ曲の感じは大きく違う。ステージ上でドラム抜きで演奏するなんて初めてで、負担も格段に大きい。今までどれだけ千夜さんに頼っていた部分があったのかを現在進行形で思い知らされる。
 それでも『演奏を続ける』を選んだ以上、引く事は許されない。
 千夜さんがいない、3人でスタジオに入っている光景を思い浮かべる。昔はドラムパートの入ったテープやドラムンベースでよく代用していたから、今の状況は思う以上に特別な事じゃない。何度も何度も練習しているから、曲のリズムと展開は十分理解している。
 しかしドラムが後ろに流れていると仮定してそのまま弾くと音の抜けがありありと分かってしまうから、家で弾き語りする時のようにコードストロークを多用する。黄昏はギターを持っていても自分の曲は演奏できないので、目配せして歌に集中させた。
 時間的に演奏できるのは4曲。その内2曲が盛り上がれるイッコーの曲の予定だったけれど、中途半端にフロアを熱くするよりは黄昏の声を聴かせた方がいいと判断して変更した。黄昏もまだ臨機応変にギターを弾くのは無理だから。
 ひたすらアンプから出る音に集中し演奏を続ける。
 失敗は絶対にしまいと甘い気持ちを脳裏からかき消す。
 千夜さんがいたら、なんて弱音を胸の内に閉じ込める。
 フロアは見ない。観客の表情を見て心が揺らぐのは嫌だから。
 どうしてこんなに必死になっているんだろう?
 ネックの上を自在に滑る自分の指を眺めながらそんな疑問が浮かんで来る。
 千夜さんがステージを降りた時点で、中止にしても、後を追っても良かったはず。
 なのに僕は、ライヴを投げ出さなかった。
 多分、今僕は千夜さんに対し怒っている。
 どんな事があってもお金を出してまで観に来てくれた人達を裏切る行為は絶対にしちゃいけない。この日のライヴを楽しみに待っていてくれた人もいるはず。
 だからこそ、目に見えた明らかな裏切りは許せない。
 それに、あそこで僕まで降りてしまったら、自分自身を裏切ってしまう気がした。
 僕はギターを武器にステージに上がっている。そこで放棄し負けを認めてしまう事は、ギターを握って来た途方も無い時間と培って来た技量と経験と僕自身の心を否定しまう事になる。そうしたら僕は二度と立ち上がれないかも知れない。
 苦難の道を選択した事は分かっている。でもどんなに駄目な結果になろうと、最後までみんなの視線を浴びている中でギターを鳴らし続けていたい。
 それに――いい機会だ。
 僕がどれだけできる人間なのかを知る為の。
 不安はこれまで感じた事が無いくらい大きいけれど、それ以上に僕は自分の力量を知りたかった。3人の後ろで依存し切ってファイティングポーズを取っているだけじゃ、技量は上がってもいつまで経っても弱い心のままでしかない。
 2年近く続けて来て、そろそろ目に見える結論が欲しかった。
 才能があるのかどうかじゃない。僕が、僕を続けていけるのかどうか。
 徳永 青空と言う一人の人間を僕が肯定できるのかどうか。
 ずっと蓋をして答えを出さず終いで今日まで来たけれど、知りたい。
 僕はこのギターで、何ができる?
 弾く、弾く、弾く、弾く。
 僕の中にあるもの全てをピックを通してギターに伝える。
 音に、音になるんだ。
 だんだんと、周囲の音が消えて行く。黄昏の声もイッコーのベースも、直接体に溶け込んで行く。聴こえているのは血液のように流れる、僕が奏でるエレキギターの音だけ。
 目の中には、照明を受けまばゆく光る蒼い海色のギターしか映らない。
 初めてなのに、何故か記憶の中にある感覚。
 音に包み込まれ、一体化するような感覚。
 一つ弦を鳴らす度、泡みたいに浮かんでは消える青い円。
 それが満開の花が咲くように無数に生まれ視界を埋め尽くすと、ぱん、と膨らんだ風船が割れるみたいに心地良い音を立ててはじけた。
 急速に視界が現実に戻って行く。まだ僕はギターを握っていて、黄昏は隣で僕の方を横目で何度も見ながら唄っている。イッコーも光る汗を飛び散らせ、僕や黄昏の顔を見ながら懸命にベースを弾いていた。
 今演奏しているのは最後の曲『ciggerate』。モデルになった千夜さんがこの場にいないのは何だか皮肉。でもその分、一層より力が入った。
 指が動く、動く。何かが乗り移ったかのようにギターが命を持って唸る。弾いているのは自分なのに、まるで別人のプレイを見ているみたい。そのくらい、今の僕は突き抜けていた。
 胸がワクワクする。心の底から喜びが湧き上がって来る。
 ――僕が見たかったのは、これだったのか。
 ここでハッピーエンドで人生を終幕していいくらい、僕の心は絶頂の極みにいた。
 最後のインストの部分、黄昏がドラムの代わりに両手を口に手を当てパーカッションの真似をする。フロアに目を移すと、先程までの静まり返りは嘘みたいに盛り上がっていた。ちょっとあっちの世界へ行っていたからびっくりしてしまう。
 3人一斉に最後を締め括ると、歓声に混じっていつも以上に拍手が沸き起こる。よくやったと僕達を称える声が聴こえてくるようで、思わず目が潤んでしまった。
「すいませんでした。ありがとうございました、『days』でした」
 全てが終わった後、マイクの前に立つと僕はこう言った。この二つの言葉に僕の想いが詰まっている。深々と一礼をし、ステージをトリのバンドに譲った。
「あ〜〜〜〜〜、疲れたぁ……。」
 ステージ裏に引っ込み段差を降りた所で、僕は腰から砕けその場に腰を下ろした。いつにない集中力を発揮したせいで、後の虚脱感も洒落になっていない。
「疲れた、本気で疲れた。もうこれ以上ないくらい、疲れた……」
 三角座りで体を投げ出す。もうここで寝てしまいたいくらい眠気が襲って来る。汚れても構わないから、床に寝添べり転がりたくなる。
「すっげーじゃねーかおい!!」
 ここに座っていると迷惑になると思って腰を上げようとした所に、上からイッコーが抱きついて来た。勢いで息が止まりそうになる。
「す、凄いって?」
「なーに謙遜してんだこのー!」
 呆然としている僕の頭を掴みイッコーが髪を掻き毟った。一回りも巨体なイッコーに鷲掴みにされ、パチンコ玉みたいに頭が弾ける。
「やりゃーできんじゃねーか、何で今までやんなかったんだっつーの」
 と言われても、何が何やらで僕の頭上に疑問符がいくつも浮かぶ。
「俺もびっくりした」
「黄昏」
 目を丸くしている僕の横へ黄昏がやって来て、肩を竦めた。
「今日は青空のギターが凄くてまともに歌えなかったもんな。もう唄うのやめて、そばでずっと聴いていたかった」
 これまで黄昏に、ギターで褒められた事ってあったっけ。
 そう考えると、つい涙腺が緩んできてしまう。
 勝ったんだ。
 大きな壁を突き抜けた感じがして、今の僕は途方もない充足感に満たされていた。
「や……そんな、僕はみんなの横でギターを弾いてただけ……」
 くすぐったっくて控え目になってみるけれど、演奏後に僕の名前が客席からいつも以上に呼ばれていたのを振り返ると、余計に照れてしまう。
「見えたんだよ」
 喜びを唇の裏で噛み締め、二人の目を見ながら言った。
「見えたんだ、僕の『ギター』が」
 今ならはっきりと見える。僕がどんな音を奏でるのかを。
 ずっと模索し続けていた『我』を、ようやく手に入れる事ができた気がした。
「よかった……これで肩の荷が下りたよ」
 心の底から大きく息を吐くと、これまで僕を縛り付けていた鎖が外れて行く。これまで何度もステージの上で最高の瞬間を感じていたけれど、こんなに解放感を味わったのは初めてと言ってもいい。それぐらいやり遂げた感覚が強かった。
「そりゃーめでたい、んじゃこの後ガンガン飲むぜ!!ってとこなんだがなー、たく千夜のやつ……青空が奮起してくれたからいーものの、何勝手に一人で逃げ帰ってんだ」
 そうだ!何満足げにガッツポーズしているんだ僕は。そんな場合じゃないだろう。
「俺はいつか絶対、やると思ってたけど」
「そんな薄情な事言ってる場合じゃないでしょ、黄昏!」
「あ、コラ、おいっ」
 淡々と呟く黄昏の手を取り、急いで楽屋へ駆けて行く。ステージ後の体に上り階段を一気で上がるのは相当厳しかったけれど、一息ついている暇なんてない!!
「千夜さん!」
 勢い良く楽屋を開けると、そこには僕達の前にステージに立っていたスカバンドのメンバーが何人か残り、テーブルを囲んで談笑していた。楽屋の中を見回しても、目当ての人の姿はどこにも見えない。
「あ……うちのドラム、見ませんでした?」
 照れ隠しに笑って訊いてみると、メンバーは丸い目で顔を見合わせる。
「千夜?あいつなら少し前に物凄い剣幕で入ってきて、自分の荷物ひったくるとそのまま出て行ったけど?あれ、今までライヴやってたの?」
 どうやら一足先に戻って来ただけと思っていたらしく、僕ははにかんで適当にはぐらかした。千夜さんはやっぱり一直線に帰ってしまったみたい。
 後から追いついたイッコーに首を横に振り、まずは電波の入る場所へ移動して携帯で連絡を入れてみる。こちらからかけて来る事は予想済みなのか、案の定電源を切っている。
「あの……今日の千夜って、ライヴ前から何か変わった様子があった?」
 一旦楽屋横の廊下のベンチに移動し、二人に訊いてみる。黄昏は首を傾げ期待が外れたけれど、イッコーが少し考える素振りを見せた。
「いっつも同じ顔してるよーにしか見えねーけど、今日は特に機嫌悪かったみてーなん。楽屋でずっとタバコ吸ってたし。ステージの上じゃチャカしてみたけどあいつ、生理痛とかん時は前もってちゃんと言っとくかんな。そのへんはキュウにでも……お、来た」
 ちょうどいいタイミングでキュウと愁ちゃんがフロアから上がって来た。
 学校があったから今日は二人共制服姿。キュウの家は水海にあって近いらしいけれど、愁ちゃんが離れているからあえて着替えずに来たと言っていた。それはともかく。
「ねえねえ、おねーさまいる!?」
「いたらこんなとこで緊急会議開いたりしねーっての」
 血相を変え詰め寄るキュウにイッコーが参った顔で呟く。愁ちゃんも不安そうに横で僕達の顔を見ていた。
「何度電話しても通じないのよ〜っ」
 本気で泣きそうになっているキュウを見ていると、ようやく事の重大さを実感し始める。
 もしかすると、このままバンドからいなくなってしまう可能性だってあるんだから。
「キュウ、千夜がステージを降りてから、すぐ追いかけた?」
 僕が質問すると、何度も強く頷いてみせる。
「でも、フロアの前の方にいたから人混み掻き分けるのにも時間かかって……。店の階段の方から上がっていったから、出会い頭にもならなくって」
「ご、ごめんねキュウ。あたし後ろにいたのに、そこまで気が回らなくて……」
 扉の近くで見ていた愁ちゃんが今にも泣きそうな顔で謝る。胸が締め付けられて、痛い。
「いや、愁ちゃんは悪くないよ。しかし困ったなあ……」
 時間にして30分は経っているから追い付こうにも無理がある。こうした事態は全く予想していなかったから、僕もどうしていいのやら分からない。
 つい数分前の絶頂の喜びとはうって変わり、心臓が早鐘のように脈打っている。一つ深呼吸してから、愁ちゃんを黄昏と一緒にベンチに座らせ円陣を組んだ。
 何か思い当たる節が無いか女の子二人に訊いてみる。本当はリーダーである僕が一番見ておかなくちゃいけないはずなのに、誤爆事件が尾を引きずったせいで千夜さんに対し冷静でいられなかった。情けない気持ちを歯に込め噛み締める。
「おねーさまが着いたのはリハのちょうど後だから……。ちょうど音合わせ終わって引き上げて来た時にはもう楽屋の中にいたじゃない」
 キュウに言われてみんなと顔を見合わせる。僕もいたからそれはちゃんと覚えている。
「確かにピリピリしてて近寄りがたかったけど……アタシも一回も抱きつけなかったもの。でも機嫌の悪い時はいつもそうだから、今日が特別ってふうには見えなかったわ」
「スティックの手入れが終わると、ステージが始まる前までずっと文庫本読んでたよね」
「だからずっと他のみんなと話してたじゃない、ジャマしちゃ悪いと思って」
「そうだっけ?」
「それを言うならせーちゃんの方がよっぽどおかしかったわよ。本番前までずっと楽屋にいなかったじゃない」
「え?あ、それは……ちょっと、対バンの演奏が見たくて」
 突然こちらに矛先が向けられたのではぐらかしておいた。まさか千夜さんと同じ個室にいるのが恥ずかしいから、フロアに行ったりマスターと話したり外を散歩したりで時間を潰していたなんて言えない。
「リハに来なかったかんな、あいつ。本番でいきなりあんなボロボロの演奏されたらこっちのほうがびびるって」
「前回の練習、みんなちゃんとできてたよね?ちょっと間があいたけど」
 愁ちゃんの言う通り、2,3日前に集まって練習する時間は取れず、最後に会った時から丸一週間経っている。だから途端に調子が崩れた――なんて訳は無い。僕じゃあるまいしそんな短期間合わせないだけで千夜さんの勘は鈍らない。
「キュウ、千夜が何か言ってた?」
 訊いてみても難しい顔で首を横に振る。マネージャー役のキュウならそれまでに連絡を取って話をしていると思ったのに、当てが外れた。
 みんなで考え込む。その中で黄昏だけはぼんやり眠気まなこで悩む僕達を見ていた。
「今日の所は打ち上げも無しにして、みんな早く引き上げよう」
 結論も出ないし、ここで話し合った所で推憶の域を出ない。どう足掻いてもこれからの対処法なんてすぐ思い浮かぶはずもないから、今日は解散する事に決めた。
「僕はこの件の後始末やチケットの売上に関して話をしておかなくちゃいけないから、先に帰ってくれてていいよ。千夜には後で僕から連絡を入れておく。あ、でも僕相手だと出ないかも知れないから、キュウも電話お願い。そう言えば住所知ってるっけ?」
「ダメ、知らない。何べん訊いても教えてくれないし、前にバンド組んでた連中に訊いてもみんな知らないって言ってたわよ」
 知っていれば楽に行動できると思ったのに、そうは問屋が卸さない。
「おねーさまってば、自分のコト絶対に話したがらないのよねー。何でなのかしら」
「単に喋りたくない、からだと……思うけど」
 愚痴で呟いたキュウの一言が、妙に心に引っ掛かった。
 これまで一緒にバンドを組んだメンバーなんて軽く50人は超えるはずなのに、誰一人として千夜さんの素性を知らないなんて。年齢と高校生と言う事を除けば、どこに住んでいるのかも、どこの学校に通っているのかも知らない。路線が僕と同じと言う事だけか。
 取り繕った男言葉と黒ずくめの姿格好のせいもあり、普段の生活も全く見えない。
 そう言えば、僕が偶然私服姿の千夜さんと出会った時、驚くくらい狼狽していた。
 もしかして、そこまでしてひた隠しするのには何か理由がある?
 でもそれを推理した所で、わざわざ後をつけてまで探りに行くなんて真似はしたくもないし、探偵みたいに情報を集め回るつもりも無い。
 そんな今回の出来事と関係している訳でもないんだから、今は横に置いておこう。
「でも実際、これはきついぜー?」
 そばの自販機で買ったばかりのコーラを手の平で転がしながらイッコーが言った。
「こーゆーパターンって、そのまま抜けちまうってことがよくあるかんな」
 ずしり、と重みのある言葉が音を立てて僕の肩に圧し掛かる。
「え?でもそんな、何か理由があってのコトかも知れないじゃない。一回くらいこんなコトがあったくらいで、おねーさまがへこたれるワケないわよ」
「おねーさまはどーかしんねーけど、おれ達がへこたれるの」
 反論するキュウをイッコーが語尾を強めて厳しく諌める。
「またこんなことがあってでもしてみろ、今まで少しずつ築き上げてきたもんがぜーんぶパーだぜ。そんなまともに演奏もできねーやつのライヴなんて金払って観に来るか?千夜だけじゃなくてうちにゃもう一個爆弾抱えてるってーのに」
「ん?俺か?」
 視線を向けられ、自分の事を言われているのに気付いた黄昏。
「大丈夫。俺ならこんな真似はしない」
「じゃあどんなマネするってんだ」
「それは、だな……」
「考えちゃだめーっ!」
 言葉を返されて真剣に考え込もうとする黄昏の後頭部を、愁ちゃんが勢い良くはたいてみせた。心地良い音が廊下に響く。グッジョブ。
「とにかく、あいつが向こうから頭下げて謝ってくるのを待つしかないだろ。わざわざこっちから出向いて『また叩いて下さい』って頼みこむのもバカな話だし」
 痛みの残る頭をさすりながら黄昏が面倒臭そうに言った。その言葉ももっともで、悪いのは千夜さん一人なんだから僕達が頭を下げる義理は無い。素直に謝ってくれれば話は簡単だけど、あの性格からして難航するのは目に見えている。
 もし相手が戻って来るつもりがないなら、諦めて別の人間を探すしかない。今の段階でそこまで飛躍して考える必要も無いと思っていても、何しろ千夜さんだから。
 どうしてこう黄昏といい千夜さんといい、偏屈な人間が揃っているかな、このバンドは。
「千夜のことは、みんなに任せる。俺はあんまりあいつと関わりたくない」
 うんざりした顔で黄昏は言うと、白いYシャツをはだけ背もたれに体を預けた。
「あーっ、そんな言い方ってないんじゃない?」
 余程頭に来たのか、僕の隣でキュウが頬を膨らませている。酷い言い草とは言え、黄昏の気持ちも解るので何も言えなかった。イッコーも僕と同じ事を考えているみたい。
「俺だってあいつがいた方が『days』にとっていいってことぐらいわかってる。でもそれとあいつとの仲は別問題だ。おまえだって横でケンカしてるとこ何回も見てるじゃないか」
 解ってるならこれ以上話し掛けないでくれ、と黄昏がしかめ顔で言っている。
「あのねえ。何そんな子供みたいなコトぬかしてんのよ!」
 黄昏を指差し大きく啖呵を切るキュウ。廊下に響くほどの声で怒鳴られた黄昏は背を起こすと、頭を掻きながらキュウの顔を見た。
「バンドやる奴なんてみんな子供じゃないのか?」
「そんなヘンクツ言ってるワケじゃないのア タ シ は」
 目を血走らせ震える声で睨み返す。今の黄昏の発言には同意でも、ここは余計な茶々を入れず見守る事にした。まさか千夜さん相手みたいに取っ組み合いにはなるまい。
「どーしてそんなに平然とした顔でいられるのよっ」
「そう言われてもな……」
 困った顔で隣の愁ちゃんと顔を見合わせている。しかし黄昏と千夜さんの仲が悪いのは周知の事実な訳で、僕達みたいに焦る素振りを見せないのは仕方無い。
「だってずっと一緒にやってきた仲なんでしょ。非常事態だってコトわからないワケ!?」
「それはわかるけどな……」
「おねーさまが調子悪くても途中で投げ出すなんて、練習でライヴでも一度もやったコトないんじゃないの?あんなに辛そうな顔して叩いてる姿見たの、初めてよ」
 半ばヒステリックに喋るキュウの姿を見て、変わらず戸惑った顔を見せている黄昏。これ以上騒いでも無駄と思ったのか、キュウは溜め息をついてから矛先をイッコーに変えた。
「どーしてすぐ引き止めてくれなかったの」
「あ?そんなの、青空がやるって言ったからに決まってんじゃねーか。まあ、おれもできるならやったほうがいいと思ってたし、それでうまく乗り切ったからいーんじゃね?」
「何ヘラヘラ笑ってんのよ!連れ戻したほうがいいに決まってるじゃない!」
 空気を和ませようと白い歯を見せ笑うのも、キュウにはかえって逆効果となった。
「せーちゃんもリーダーなんだから、真っ先におねーさまを連れ戻すべきでしょ!」
 今度は僕が怒鳴られた。でも僕は唸ったまま、中々次の言葉が出て来なかった。
 マネージャーとは言えバンドのメンバーじゃないキュウには、僕達の考えは説明してもきっと解ってくれないだろう。音楽よりも仲間の方が大事と思っているに違いない。
「嫌がる千夜さんを連れ戻して出来の悪い演奏を見せるより、3人でステージを乗り切る方があの時はリスクが少なかったのかも知れない」
 口にしながら、自分でも酷い事を言っているなと痛感する。
「だからって、引き止めるべきでしょ、リーダーなら!!」
 多分、キュウの言う通りなんだと思う。バンドの事を、千夜さんの事を本当に想うなら僕が選んだ選択肢は間違いだったんだろう。
「うるさい」
 金切り声に耐えられなくなった黄昏が、冷めた目でキュウを睨みつけた。その眼差しに体を震わせ動きを止める。
 口をつぐんで廊下が静かになったのを確認すると、黄昏は大きな溜め息をついた。
「青空は間違ってない。棒を落としたくらいで逃げ出す千夜が悪いんだ」
 キュウの目から視線を離さずに、強くはっきりとした口調で言い切った。
 その言葉でいつもなら、僕の心は救われるんだろう。でも今の僕の胸の中は、タールがこびりついたように黒く湿ったまま少しも晴れなかった。
 一瞬たじろいだキュウの目に涙が浮かんだ。でもそこで引いたら負けてしまうと想ったのか、身を乗り出し怒鳴り返す。
「それでもっ、それでも後を追うのが仲間なんじゃないの!?」
 隣で聴いている僕の胸にその言葉が、鈍い音を立て突き刺さった。
 僕はからっぽの心で、目の前の光景を眺めている。
 キュウは相手の目を見据えたまま、泣き出しそうな顔で言葉を待っている。
 イッコーはいつもだと見せないような真剣な顔付きで、黄昏を黙って見ている。
 愁ちゃんは黄昏の隣でその手の平を上からそっと握り締め、潤んだ瞳で答えを待つ。
 しばらくの沈黙の後、やがて、黄昏はぶっきらぼうに口を開いた。
「そんなこと言われても俺、あの時一つも追いかけるつもりなかったから」
 パシィン。
 容赦無い平手打ちが黄昏の左頬に飛んだ。
「アンタってば、サイっテー!!」
 体中の怒りを搾り出すように言い放つと、キュウは一目散に廊下を駆け、下り階段へ消えて行った。僕達はただ呆然と、その後姿を見送るしかできなかった。
 真っ赤に腫れた頬をさすりながら、黄昏は自虐気味に呟いた。
「最低呼ばわりされちまった、俺」


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