065.NOW
「はあ、苦労すんだねバンドってのも」
鉛筆をスケッチブックに走らせながら、みょーさんは僕に素直な感想を返した。
「一人でも欠けると上手く回転しないものだから」
「おっと、顔は下向けたまま」
視線を向けようとしたら注意され、慌てて膝上のアコースティックギターに目線を落とす。絵のモデルなんて今まで一度も経験した事が無いから、動かずに同じ姿勢を保ち続けるのがこれほど疲れるとは思いもしなかった。
みょーさんに絵のモデルを頼まれたのは3日前。何の前触れも無しに突然電話がかかって来たので驚いた。楽器を持った人物を描きたくなったそうで、ギターを弾いている僕に白羽の矢が立ったと言う訳。
幸か不幸か練習に入ろうとしていた休日は千夜さん不在で予定が潰れてしまい、気分転換も兼ね、みょーさんの大学にこうして顔を出した。午前の朝早くからスケッチを始めているので、あくびを噛み殺すのも辛い。今の生活だと一時限目が始まる時間はまだ布団の中で包まっている事を考えると、つくづく自分が学生でないのを実感する。
相変わらず様々な物がひしめき合っている部室には、みょーさんと僕の2人。今日は平日で今は授業中のはずなのに、みょーさんは呑気にいろいろ僕に指示を出しては紙の上に鉛筆を走らせて行く。僕は大学に通ってないので単位や授業の選択のしくみが解らない。特にこの後用事があるとも言っていないし、おそらく今日は暇なんだろう。
「ちょっと形状がわかんねえなー……青空ちゃん、ちょっとそのギター貸して」
頭を悩ませたみょーさんが筆を止めると僕の元に近寄って来て、抱えていたギターを取り上げると席に戻って行く。見よう見真似でギターを何度か鳴らすと、僕に一言断ってから机の上にギターを置きスケッチを始めた。
「楽器ってあんま直で観た事ねーんだよなー。他の部活で持ってるヤツとかいるけど全部安物でちゃっちいモンだし。やっぱモノホンは違うわー」
僕のアコギを食い入るように見つめながら感想を口にする。叔父さんからの大切な貰い物なので、褒められるといつもより嬉しい。しばらく眺めているとそっちのけでギターのスケッチに集中し出したので、僕はもう一本の藍色のエレキギターを手元に持って来た。
家には他にもイッコーから借りている安物のベースや黄昏が使っているテレキャスターもあるけれど、車がある訳でも無しそんなに一度には持って来れない。他に用意したのはリズム感を養う為に使っているドラムスティックくらい。
「そーだ、ハーモニカとかってある?西部劇みたいな外人が弾いてるよーなヤツ」
思い出したように、みょーさんがこちらに顔だけ向け訊いて来た。
「ブルースハープの事?あいにくあれは、僕も使った事が……」
「なんだ、残念」
小声でそう漏らすと、アコギに向き直りスケッチを続ける。
弾き語りをしたくてギターを始めた訳でもないので、ブルースハープは吹いた事が無い。興味が無いと言えば嘘になるけれど、ギターと違い一本につき一つのコードなので、違う音階が欲しい時は新たに揃えないといけない。
そんなお金があるのなら僕はエフェクターに回すし、今の『days』には必要無いと思っているので保留してある。代わりに黄昏が鼻歌でも唄えば十分済む問題だから。
でももし一人でやって行くのなら、後で必要になるのかも。
なんて考えが脳裏をよぎったので、慌てて首を振った。このままだと近い将来そんな日が訪れそうで、嫌な未来に引きずられないように浮かんだイメージを捨て去る。
一度席を立って大きく背伸びをする。開けっ放しの窓と扉から春風が吹き抜け、頭の中にも花が咲く。今日は比較的涼しく、4月に逆戻りしたような気候。けれどあと半月もすれば蚊との死闘の日々が始まると思うと、少しうんざりした。
眠気を抜こうとあくびをすると、余計に眠くなる。みょーさんの方もしばらく時間がかかりそうなので、その間少し離れた所でエレキを爪弾きメロディを膨らませる事にした。
面白い事に、僕が弦を鳴らしてもみょーさんは一度もこちらの方を見ない。一度自分の世界に入ると外界の物事は全て遮断されるみたい。最初は気にかけ遠慮がちに弾いていたのも、反応が無いのが分かると僕も普段と同じようにギターに向かい合った。
違った環境で曲創りをすると、出てくるメロディもまた変わる。壁や床に描かれた様々な絵画や、窓の外に見える緑や柔らかい風、その他五感で感じる事のできる事柄に浮かび上がるメロディが引っ張られて行くのを感じる。
このメロディもいつかステージの上で演奏できたらと思いながら、僕の中から少しずつ生まれて来る音達を手持ちのノートに書き留めていった。
遠くでチャイムが鳴り響く。ここの部室は校舎から離れた一階建ての縦長い建物の中にあり、スピーカーが無い。周囲も緑に囲まれていて、風情がある……部屋に描かれた奇天烈な壁画を除けば。
慣れ親しんだギターを弾いていると、どこか落ち着かなかった気持ちも消えて行く。このまま外に足を運び芝生の上で寝転がり昼寝でもしたくなってくる。
「ちわーす」
眠気と戦いながら次の音色を探していると廊下の方から賑やかな声が聞こえ、眠たい感じの男性の声が飛んで来た。振り返るとボサボサ頭の細長い痩身の人が買い物袋を手に立っていて、その後から目の大きな栗髪の女の人が突っ立っている男の人をどかし部室に入って来た。後にみょーさんの彼女の和美さんの姿も見える。
「おいこら、返事くらいしろっつーの」
3人が入って来た事に気付かず熱心に絵を描き続けているみょーさんの後ろから、横跳ねの栗髪の人がそばのテーブルにあった雑誌を丸め思い切り引っ叩いた。
「いってーな、なにすんだよ!」
「首の骨が折れなかっただけ幸いと思いなさい?」
物騒な物言いをすると、怒るみょーさんを無視して椅子に座る。恨みの篭もった目で睨み返すみょーさんを、和美さんが困った顔でなだめていた。
いきなり部室に人が増え、部外者の僕は物凄く気が引けてくる。どうすればいいものかと目を泳がせていると、気の強い栗髪の人が僕の顔を勢い良く指差して来た。
「ところで、この人誰?」
「え?あ、いや……」
「絵のモデル。バンドやってるから楽器持ってきてもらってんの」
舌の廻らない僕の代わりにみょーさんが説明してくれる。
「ふーん、全然そんな風に見えないけどねー?」
彼女は席を立ち僕の横で品定めするように眺め回すと、壁際の冷蔵庫へ向かい冷えたお茶を手にテーブルに戻った。
「こいつのモデルやるんならほどほどになー。ぶっ倒れるまで相手させられるよ」
椅子に背中を預け、みょーさんの方を見ながら僕に忠告する。隣に座っている痩せ身の男の人も眠気まなこで僕に何度も頷いていた。
「うっせー。そーゆークリこそ月曜は全部入ってるんだろ、さぼんなよ」
「次の授業は休講―。暇んなったから休憩がてら来ただけ。したらあんたいるし」
「いちゃ悪いのかよ。相変わらず朝来たら鍵もかけてなかったぜ、不用心だろ?」
「そーゆーあんただって鍵閉め忘れて帰るだろーが、人の事言えるか」
みょーさんとクリさんが言い合っているのを、毎度の事なのか他の2人も止めようとしない。度合は違うけれど黄昏と千夜さんを見ているようで、微笑ましい。
「和美は……そっか、性悪女と同じ授業か」
「誰が性悪女だこの野郎」
「いででで、ギブギブギブ」
問答無用に笑顔でみょーさんの顔面にスリーパーをかけるクリさん。何と言うか、男らしい出で立ちで女性の魅力が溢れ出る千夜さんとは違い、姿格好も口調も女性だけど立ち振る舞いが男らしい。
「どうぞ」
「あ、どうも」
その光景を面白おかしく眺めていると、和美さんが僕の分の冷茶を差し出してくれた。顔合わせ程度の面識だけど、そこでプロレス技をかけている女性とは対極の、清楚でおしとやかな人みたい。こちらに会釈し、グラスに一口つけた。
さて、どうしたものか。
居心地が悪くなり落ち着かない僕を見て、クリさんが薄ら笑いで目を光らせる。
「ねえ、一曲弾いてみせてよ」
嫌な予感が的中した。
「そういや青空ちゃんがまともに弾いてるトコ、一度も見たコトないわオレも」
スケッチブックを横に置き、みょーさんが僕に向き直る。
ステージで何度も演奏しているとは言え相変わらず人前で一人弾き語りするのは苦手で、ましてや見知らぬ他人の前でなんて恥ずかしながらこれまで一度も無い。
他の2人も僕の方を期待に満ちた目で見ているような気がする。
「じゃ、一曲だけ……」
仕方無く僕は腰を上げ、エレキを置いてアコギを取りに行った。
「んじゃ、何リクエストしよっかなー」
「あ、最近の曲全然知らないからごめんなさい」
意気揚々と声を上げたクリさんが椅子からずり落ちる。
昔はいろいろ好きな曲のスコアブックを集めたりしたけれど、楽譜通りに演奏するのは至難の業で読む事自体大変だと分かってから全然読まなくなった。イッコーと違い耳コピーも間違う事が多いので、勝手にアレンジしてしまう。何より、今は他人の曲に本腰入れて練習しようとあまり思わない。
「その代わりオリジナルはたくさんあるから、そっちで」
頬杖をつき不服そうな顔をしているクリさんに謝ると、僕は席につきチューニングを確かめた。適当に1フレーズをアルペジオで弾いてみると、部屋の空気の色が変わる。まるで景色に魔法がかかるようなこの瞬間が、昔からたまらなく心地良い。
みんなの顔に視線を順に移した後、僕はボディを叩きカウントを取り始めた。
薄暗い夜明けに迎えに来たんだ 星に願いばかりかける君を
時計のネジを止めて 裸足で出かけるのさ
遠く聴こえる汽笛の音が痛く重く響く胸に
頬濡らす朝露の中 パジャマで逃げ出してきた
何もかも捨てて ほんとの世界を見に行く
終わらない地平線を目指して
喪われたものは知ってたはずなんだって誰が言った
岩清水は谷間を流れる 車窓には過去ばかり映る
星降る夜オーロラの下 帰りたくなかった
また明日も見知らぬ場所へ探しに行くのさ
ありもしない答えだとか欲しがって
昼と夜の間に転がってるはずだって勝手に信じた
モノクロの夢は願いのまま消えもしない
止まるはずはないさ 君が望むのなら
覚めるはずはないさ 君が願うのなら
何も変わらないさ
弾いたのはまだ誰にも聴かせていない新曲で、『days』とは全く関係無しに作った。
僕はいつも作詞する時は自分の事だけじゃなく、常に黄昏の事を考えて書くようにしていた。黄昏が唄うんだから、本人が考えている事や僕と通ずる気持ちを第一に持って来ないといけない。2人の意思疎通にぶれが無いと思っているから書ける訳で、それはこの先いつまでも変わらないと信じている。
だからこそ余計な事を考えず、ただ自分の書きたい物を書く。そしてそれが黄昏にとっても大切な歌に成り得るのか?絆を確かめたくて、試しに一人で創ってみた。
ただ、それを本人に聴かせる勇気はまださすがに……ない。
そんな臆病者が作った曲、まだ全然歌詞もアレンジも固めていないけれど、千夜さんやイッコーの手を借りずに組み上げたメロディが赤の他人にはどう映るのか?痛いのを我慢して、あえて胸を張って臆病な気持ちを閉じ込め、人前で声を張り上げ唄ってみた。
昔の自分と比べると、前に出る気持ちが徐々に増えて来た気がする。あまりにヘコむ事が多過ぎて痛いのにすっかり慣れてしまったんだろうか?参ったな……。
最後のコードを一弦ずつ上からストロークし、僕は苦笑いを浮かべてみせた。
「――と、こんな感じです。ステージの上じゃもっと激しい曲とかやるんですけれど」
相手の反応が恐く、弾いている最中はまともにみんなの顔を見れなかった。曲創りに関しては攻めの姿勢とは言え、臆病者なのは変わらない。
「いいねーいいねー」
冷や汗を垂らしていると、真っ先にクリさんが拍手し、笑顔を見せてくれた。続いて他の3人も僕に拍手を送ってくれる。安心すると思わず大きな溜め息が出た。
「路上で自分の曲弾き語りする奴とかに偏見持ってたけどさ、思ったよりいいじゃない、やるねー。メロディがすごいいいよね」
「ど、どういたしまして。ヴォーカルは別にいるんですけどね、歌担当じゃないんで」
この人に見られていると、生き生きした目のせいかどうも品定めされている気がしてならない。言い訳がましくお礼の言葉を言うと、テーブルの自分のお茶を一気に飲み干した。
「やっているのって、ロックバンドなんですか?」
「ええ、一応……そんな大したものじゃないですけど」
和美さんに訊かれ、謙遜気味に答えておいた。
「私の従姉弟の子もバンドやっているんですよ。プロデビュー前まで行って、解散しちゃったらしいんですけど」
「へぇー初耳だね、それ」
「オレも初めて聞いたぞ、そんな話」
「だってあきらって、自分で興味持ったものにしか関心を示さないじゃない」
「まーこいつは筋金入りの絵描き虫だからねー」
「オメ−後でコブラツイストかけてやるから覚悟しとけよ」
僕を置いて3人で盛り上がっている横で、眠たそうな男の人はのんびりと眺めていた。ほとんど口を開いていないので、そう言うキャラなのかも知れない。あと、和美さんの話題はどこかで似たような話を聞いた気がした。
「しかしホントにギター弾けんだな。こんな至近距離で演奏してるの見るの初めてだからちょっとオレ今、カルチャーショック受けてるんだけど」
みょーさんが身を乗り出し興奮気味に僕とギターを食い入るように見ている。その曇りの無い眼の輝きが、僕の一番良く知っている人間と似ている。
「そんな、僕なんてまだまだ。もっと凄い人なんていくらでもいますってば」
「いや、それにしても凄くねー?なあ」
「ごめんわたしよく分かんない、音楽聴かないし」
「クリ、オメーなあ、もーちょっと感激しろよ」
「山崎なら分かるんだろうけど、あいつライヴハウスで盗撮するの趣味だから。あいにく今いないけど。あの子も神出鬼没だからねえ」
「これ、先日日帰りで温泉行ってきた時のおみやげ」
何の前触れも無く、話を割るように今まで黙っていた男の人が買い物袋から土産物の八つ橋を出しテーブルの上に広げた。早速他の人達も美味しく頂き始める。
――どうやらこの部活の人達は、随分個性があるみたい。
「でもこれだけ上手かったらさ、秋の学園祭呼べるんじゃないの?」
「そうだな、話つけとく?オレ、実行委員会に知り合いいるぜ」
「いやいやいや、そんな、大分先の事を今言われても。その時バンドが上手く順調に行っているかなんて分からないんで」
「そん時は青空ちゃんのソロリサイタルとか」
「いやいやいやいやいやいや、それだけはお断りしておきます」
「けど、青空さん達がステージに出て来れれば盛り上がると思いますよ、秋の学園祭も」
「その時バンドが調子づいていたなら、引き受けてもいいかなとは思いますけどね」
みんなで八つ橋を突付きながら学園祭の話で盛り上がる。部外者なのに、疎外感をそれほど感じさせないのがこの部活の、みょーさん達の味なのかなと思った。
「まだ時間あるから、他にも聴かせてもらおっかな……と」
クリさんのその言葉に思わず身構えると、後の方から携帯の着メロが流れて来た。クリさんが急いで取りに行き、電話の相手と手短に受け答えする。
「悪い、わたしちょっと外出なきゃならなくなった。えーっとそこの、何だっけ、名前」
「え?青空、徳永 青空ですけど」
「徳永くん、また今度ギター聴かせて、学園祭の時でもいいから。じゃ、和美、わたし先教室行ってるから、そこの寄生虫ほっといてちゃんと来いよー」
「人をサナダムシみたいにゆーなっ」
サナダムシって寄生虫だったっけ?クリさんは鞄を肩にかけると僕達に笑顔を振り撒き部室を後にした。最後にみょーさんに狂犬みたいな顔を向けていたけれど。
「ったく、部長だからっていい気になんなよなー」
すっかりみょーさんはふて腐れ、八つ橋を何個も口に運んでいる。
「じゃ、ぼくは寝ますんで、おやすみなさい」
グラスの中身を空にした名前の分からない男の人が一礼すると、席を立ち机の固まっている部屋の隅に行き、靴を脱いで物陰に隠れた。どうやら布団が敷かれてあるらしい。
「ここって部室と言うより、何だか家みたい」
「ああ、寝泊りとか平気でするしなー。なんてーの、別荘みたいな感じ?」
感心している僕にみょーさんが笑ってみせる。他の部活も同じ感じなのかな?それにしてもここは一体何部なのか、相変わらずさっぱり分からなかったりする。
「上下関係とか全然ねーし、ここにいたら気が楽だしなー。まったりできるし」
「あきらったら何日も帰って来ないでここで寝泊りしている時もあるんですよ」
「愁のうるさい小言聞かなくてすむからなー」
テーブルに寝そべっているみょーさんが幸せな顔で目を瞑っている。日常のしがらみから解き放たれる場所、なら別荘と言う言葉は凄く当てはまる気がする。
「うちのバンドだとこんなのんびりとした時間全然ないですよー……」
何だか僕も幸せな気分になってみょーさんと同じように体をテーブルに投げ出す。大学に行けなかった事は後悔していないけれど、こうした環境は一度味わってみたかった。
「そーいえばゴタゴタしてるってさっき言ってたよなー」
「ええもう、一つ解決すればまた一つぴょこんと出てはの繰り返しでー」
「ドラムがやめるかどうかの瀬戸際なんだっけー」
「まだまともに話ができてないので何とも言えませんけどー」
「二人共、その姿勢のままじゃ疲れない?」
頬をテーブルにつけた格好で話していたら、見かねた和美さんが声をかけて来た。それもそうと二人背を起こし、体を捻ったりストレッチをする。
「そんなに青空さんのバンドって今大変なんですか?」
「ええまあ……前回のライヴ中に演奏の出来が悪かったドラムの人が途中で投げて帰っちゃって……次の練習には顔を出してくれたけれど、そこでもその……ゴダゴダがあり……」
怒った僕が殴ったせいで帰っちゃった、なんてさすがに言えない。
「悩んでんならドラム替えれば?」
「それができないから困っている訳で……」
部外者からすると今のみょーさんの意見が当然なんだろう。
「その、別に音楽性がどうのとかで対立しているとか、そう言うのは全くないので。それ以前に、人間性の問題と言うか……他のメンバーとの関係だったり……」
説明していて鬱になりそう(泣)。と言うかそこまで責任を持って管理しなきゃいけないなんて全然思っていなかった、バンドのリーダーって。
「バンドって大変なんですね」
「それを言えばどこの世界も大変だとは思うけど……まあ、大変です、凄く」
趣味でやっているのならこれほど苦しまずに済むはずだろう。かと言って今更受験勉強をし直す訳にもいかず、将来の展望は全く見えず、想像もできず、希望はちょこっと。
「今はそのせいで活動が止まっちゃって。こちらからは連絡つかないので、しばらく時間を置いて待つしかないかな、と」
「そんな待たなくても、相手んトコ乗りこんでいきゃいいのに」
「いやその、相手の家もどこにあるかわからないので……それ以前に、僕達の知らない部分が多い、色々と問題のある人だったりする訳で……」
「よくそんなヤツと一緒にやる気になったねー」
「みょーさんの言う通りだけど、やっぱり僕達の音楽に必要不可欠なんで」
そこだけは今でも揺るぎ無い。ただ、それ以上に千夜さんと離れたくない、と思っている自分もいるのも否定しない。
「それと……」
「それと?」
「嫌いになれないんですよね。一緒にいたくなる人って言うか」
千夜さんだけじゃない。黄昏やイッコーも、音楽以外の所でもずっと付き合っていきたくなるような魅力を持っている。でもあれだけ嫌われたらこちらも嫌っていいはずなのに、不思議と千夜さん相手にはそんな考えも起こらない。憧れとか好意とか自分でも解らないくらいの色々な感情が入り混じり、上手く形容し難い想いが心の中にある。
「そう言うのって、二人はあります?」
僕一人喋っているのも何なので話題を振ってみる。答え難いのか二人は顔を見合わせ、困ったような恥ずかしいような表情を見せた。
「オレは……愁かなぁやっぱ。てゆーか家族ってみんなそーなんじゃね?」
みょーさんの言葉に僕も素直に頷く。どれだけ厄介に感じていても、やっぱり自分の妹は可愛いんだろう。僕も両親に対し似たような想いを常に持っている。
「私、私の場合は……」
和美さんは少し考え込む仕草を見せると、みょーさんに横目を向けた。
「おい、オレかよ!?」
予想外だったのか、自分を指差し身を乗り出す勢いで驚いている。
「だって、絵を描いている時は私が隣にいても全然構ってくれないもの」
「だから周りの音が聞こえないほど夢中になってるんだって。筆握ってる最中は話しかけてくんなって前々から何度も言ってるだろー?」
「それでもこっちを向いて欲しい時もあるものなの。なのに呼んだら絶対怒るんですもの」
「そりゃ耳元で大声出されたり絵の前遮ったりジャマされりゃ文句も出るっつーの」
「そうでもしないと止まらないじゃない。部屋に鍵をかけて半日篭る時もあるし」
「その分終わったらサービスしてやってんじゃねーか、たくよー」
いやはや、何とも仲睦まじい。横で二人の会話を聴いているだけで楽し過ぎる。最初は恋人だなんて信じられなかったけれど、こうして見るととてもお似合いのカップルと思う。
「なワケで今の話、コイツも追加しといて。……どしたの」
頬を緩みっぱなしの僕を見て、みょーさんが目を丸くしている。
「あー、何だか凄くすっきりしたぁ〜……。こう言う事話せる相手って中々いないんで」
おかげ様で随分気が楽になった。僕は元々知り合いも少ないし、知人関係の半径も狭いので迂闊に相談もできない。全く関係の無い人にこそ何でも言えてしまう、それは結構貴重な事に思えた。
「んま、焦るコトないって。物事、なるようになるもんさ。コレ、オレの持論」
みょーさんは得意気に歯を見せると、残りの八つ橋をまとめて口に含んだ。彼を見ている和美さんの目がまるで母親が自分の子供を見る目に映るのがとても印象深い。
「それに、向こうも青空さんと同じ気持ちでいるかも知れませんよ」
「えっ?」
突然降って来た和美さんの一言に、後から頭を殴られたような衝撃を受けた。
向こうも、僕と、同じ、気持ち?
戸惑いつつ視線を返すと、和美さんは優しく微笑みかけた。
「そう……ですよね。そうだといいですね」
そうであって欲しい。千夜さんの胸に、バンドを続ける気持ちが残っていて欲しい。僕達と一緒にやりたいと思う気持ちが。
「和美に笑顔向けられていい気になってんじゃねえぞ〜」
「痛い痛い痛い痛い」
心の中で反芻していると、みょーさんが後から僕のこめかみに両拳を押し付け思い切り回転させて来た。いつの間に。
その後しばらく3人で談笑した後、次の授業のある和美さんを見送るとモデルを再開した。そのまま昼休みまでスケッチを続け、午前の授業を終えた和美さん達が戻って来てから部の人達の昼食に僕もお邪魔させて貰う事になった。
「ここの学校って洒落たレストランみたいなもんだから、期待していいよ」
先頭を歩くクリさんが僕に気を遣って教えてくれた。笑顔が眩しい、この人は。
緑の多い校庭の道を集団の一番後で歩いていると、突然僕の携帯が鳴った。手で合図して部の人達に先に行って貰い、急いで通話ボタンを押すと耳にあてる。
「もしもし?」
声をかけてみても反応が無い。ディスプレイで相手を確認しようとすると、通話口の向こうから今一番会いたい人の声が聴こえて来た。
「青……空?」
「千夜さん?」
声を張り上げたい気持ちを堪え相手の名前を呼び掛ける。通話口の向こうから声が返って来るまで、僕は足を止め喉から飛び出そうになる言葉を飲み込み待ち続けた。
強い風が頭上の緑を揺らした後、どこか強い意志の篭った千夜さんの声が聴こえた。
「明日の昼……会って欲しい」