→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第3巻

   069.親愛なる君の夢

 咳が出た。
「大丈夫ですか?」
「うん、夏風邪気味だけど治りかけだから」
 隣で心配そうに僕の顔を見る柊さんに笑ってみせる。調子を確かめる為に口を閉じ喉を鳴らしてみると、突っかえていた違和感はすぐに消えた。
 今日はやけに蝉が多い。この前柊さんと一緒に行った公園でギターを弾いていると、周りの木々から聞こえる蝉の大合唱にかき消されてしまいそうで参ってしまった。負けじとこちらも喉を張り上げるものだから、余計に喉に負担がかかってしまう。
 柊さんに前もって断りを入れ、携帯していたフルーツ喉飴を舐めた。一昨日のライヴで汗を吸った服を帰宅するまで着ていたせいか、体が冷えてしまい少し熱が出た。そのせいか昨日のバイトはあまり身が入らなかったっけ。
「ああもうすっかり夏だね。太陽の下を歩いてるだけでへばりそうになるよ」
 お彼岸も近いせいか見上げた空が底抜けに青い。7月と違い太陽が眩し過ぎ目が眩む事はなく、高い位置からはっきりとした輪郭で街中を照らしている。
「昨年会った時は、結構寒かったのになあ」
 そう言って僕は隣を歩く柊さんの姿を上から下まで眺めた。フリルシャツの上に羽織ったスモックシャツから脛までの長さのスカートまで、前回の晩秋の時と同じ白系統で統一していて、上品な印象は変わらない。元々流行物を着こなす若者が集う水海では浮いているように見えていたので、田舎の水が合うのかも。
「向こうだともう少し着ていないと寒く感じるんですけどね」
 すれ違う二人組の女性の開放的な姿を眺めながら呟く柊さんの横顔を見つめる。
 久し振りに会った柊さんはさほど変わっていなかった。僕より一回り低い背丈も、卵型な幼さ残る顔立ちも、目にかかるかかからないかの所で前を切り揃え背中まで伸びている艶のある黒髪も、横顔も笑顔も丁寧な喋り方も変わらない。田舎に引っ越したせいか話していてちょっと訛りが入る事もあるとは言え。
 目に見えて変わった所があるとすれば、表情が明るくなった点か。前の時は父親を亡くして沈んでいた所もあったと思うけれど、背後に見え隠れした暗さが払拭されている。向こうで友達もできる等、新生活が始まり前向きになれたのだと思う。
「あ、そそ、そうですそうです」
 考え事をしながら横顔を眺め続けていた僕の視線に気付いた柊さんが、顔を赤らめ慌てて話題を作ろうとする。すぐ言葉に詰まる所なんて少しも変わっていない。
「ど、どこで食べます?おいしい店なら私はどこでもいいですけど」
「難しい質問だね……」
 相手が女の子なら余計に難問になる、その問いは。
 柊さんと再会したのが前に別れた場所で、朝の10時半。そこからキャンディーパークに向かい、さっそくベンチに座り柊さんの為に弾き語り。太陽が真上に昇った所で何か食べようと一旦切り上げ、今は二人で駅前へ向かっている。
「あんまり美味しい店を探す努力ってしてないんだよね、忙しいから……」
「だめですよ、ファーストフードばかり食べてたら。女の子にいい目で見られませんよ?」
 脳内で『女の子に』の部分を『柊さん』に勝手に変換され、やや鬱になる。
「美味しい店……ある事はあるんだけど……」
 歩いて行ける距離ですぐ思い浮かぶのがラバーズのレストランと、『龍風』しかない。
「あ、そうだ。ラバーズのレストランにしませんか?前に青空さんと食べたあそこ、おいしかったから。久しぶりに行ってみたいです」
「えー、まあ、そうだね……そうしましょうか」
 その提案はあまりOKしたくない気もあるけれど……どうしよう。
「歯切れ悪いですね……乗り気じゃないのなら、私は別のところでも構いませんよ」
 難しい顔を浮かべていたのか、柊さんが上目遣いに僕を見て少し残念そうに言った。
 ここで女の子に嫌な気分をさせたら男がすたる。
「いや、そう言う訳じゃなくって……うん、そこにしよう。行こう行こう」
「え、あ、ちょっと……」
 戸惑う柊さんの手首を掴み、僕は足早にラバーズの方向へ歩き出した。地面を踏み鳴らす度、左手のアコギのハードケースに括りついてある黒猫のマスコット、イーラが音を立てて揺れる。普段は家に飾ってある柊さんに貰ったこのマスコットも、再会を祝い彼も連れて来た。見せてあげると大変喜んでくれたのが印象深い。
 てっきり時と共に柊さんとの仲も途切れるものかと思っていたので、こうしてまた会えるのは夢みたいに思える。僕の遅れがちな手紙にも柊さんは必ず返信をくれていた。
 直接会うのはたったの3回目なのに、それ以上の距離が近づいている気がする。深い付き合いでも無いので相手の心の奥までは分からないけれど、何と言うか、馬が合う。
「あの……青空さん……」
「何?」
 柊さんの声に振り返ると、俯いたまま顔を赤くしている。
「あの、手……」
 その視線の先を見ると、僕の右手は柊さんの右手首を掴んだままでいた。声にもならないほど慌てて手を離すと何度も何度も平謝りする。素肌の部分でもないので黄昏を連れて行く時のように腕を取ってしまった。
 それでも相当刺激が強かったのか、目的地に到着するまで柊さんはずっと頬が赤かった。
 途中、ショーウインドウの並ぶ通りに出た時、
「食事の後、ショッピングに付き合ってくれませんか?こちらで買い物したいんですよ」
と誘われたので、二つ返事で引き受ける。この前は外から眺めていただけなので、いい想い出をもっと作ってやりたい。早速夏物の展示物や洋服に目移りしている柊さんを見て、朗らかな気分の中そう思った。
 もしかしてこれが『デート』と言う奴かと考えはしたけれど、追及しない事にする。
 お盆前なのもあってかレストランの中も休日並みに混んでいる。周囲にイッコーやキュウの目が無いか確認してから、前と同じ席が空いていたのでそこに座る事にした。
「よう、青空。こんなカワイコちゃん連れてきて、デートか?」
 どうしてマスターが注文取りに来るんですか。
 弁明するのも時間が勿体無いので、すぐ注文を済ませ邪魔なマスターを追い払った。ここの店に来ると顔見知りがたくさんいるからちっとも落ち着けない。手元のグラスに入った水を口につけ、目の前に座る柊さんを見る。相当恥ずかしいのか、僕の方をまともに見れずに膝に手を置いたまま視線を店内に泳がせていた。
「夕方まで大丈夫なの?」
「え?あ、はい、今日一日は自由時間で、みんな好き勝手に動き回ろうって。私の提案じゃないんですけどね」
 公園でも訊いた質問を改めてすると、柊さんは僕の顔を見て丁寧に答えてくれた。
 地元の友達の女の子5人と昨日から水海に遊びに来ているらしく、3日間友達の一人の別荘(?)で寝泊りしているらしい。せっかくなら僕の家に、とか言う凄まじい妄想が脳裏をよぎるも、まだ会話を重ねる時間も短い相手にそれはないだろう。そもそも女の人と話せるようになって来たとは言え、未だに照れは残るので誘う勇気も根性も無い。
「ライヴの日を合わせられればよかったんだけどね。事前に予約してあるから動かしようがなくって……。バンドの練習も明日だから」
「それはしょうがないですよ。残念ですけど、またの機会にします」
 今日の為にわざわざ練習の日時をずらしたのが裏目に出た。今、柊さんがさりげなく次を予感させる事を言ったけれど、期待していいのかな?
「ちょっとバンドも大変な時期だからね、今。解散の危機とかそう言う事は無いけれど、黄昏を抜いた3人でやり繰りしているから」
 公園でギターを聴かせている時の合間に、柊さんには現状を伝えておいた。本当なら4人の演奏を見せてあげるのが一番なのに今回は実現できそうにない。
「録音できる曲も少しずつ増えて来たけど、黄昏待ちだね」
 笑って言ってみせるとグラスの水を飲み干した。さすがに今日は酒の力に頼らず正面を向いて柊さんと付き合っていきたい。
「あまり繰り返し聴くとテープが伸びちゃうから、もらった音源はMDに移し変えているんですよ、私。今もこの携帯の中に入っているんですけどね」
 音源の話題になり、嬉々として柊さんが僕にそのMDを見せてくれた。僕達はお金が無くアナログの機材を利用しているので、デジタル録音には憧れる。その事を口にしたら今持っているMDをくれようとしたけれど、肌身離さず持ち歩いている物を貰うのはさすがに気が引けるので遠慮しておいた。マスターテープは持っているし。
 現在の『days』の音楽について話題を交わしていると、やがて食事が運ばれて来た。僕はハンバーグステーキランチ、柊さんはスープパスタとサラダ。引きずっている多少の疲れのおかげで大食らいにならずに済み、少し安心。
 食事を始めながら店内を見回し、時間の流れを肌で感じる。前回から一年近く経ったと言うのに柊さんと会ったのがまるで昨日の事のように思えてしまう。ここ2年間のバンド活動で時間に対する概念が崩壊してしまったせいか。だっていつも忙しいもの。
 相手のペースに合わしつつ、自分もハンバーグを口に運ぶ。味や量がどうのこうのと言うより、今は柊さんの顔を見ていられるだけでお腹が一杯になった。
 てっきりもう二度と会えないだろうと思っていただけに……。
「あ、あんまり見つめないでください……」
 食べている姿を見られて恥ずかしいのか、赤い顔で口に手を当てる柊さん。視線を無視し黙々と食べる千夜さんや他人の食事に箸を伸ばして来るキュウとは大きく違う。
 普通にフォークを口に運んでいるだけなのに、何気にいやらしく見えるのは僕の脳味噌が壊れているせいなのだろうか。千夜さんの時にもそう言う目で見ていたっけ。
 ……何だか自分、天然で女たらしのような気もした。
「青空さんって、このままバンドを続けてプロを目指すんですか?」
 半分ほど食事も終わった所で、水でお口直しをした柊さんが問い掛けて来た。
「そう、なるのかな?いや本当はそうなんだろうけど、あまりその辺に関しては深く考えてないかな。諦めたとかそう言う訳じゃなく、今はバンドの現状を改善していくので精一杯と言うかね。バンドのお金を取り扱うくらいな時だよ、商売なんだなって感じるのは。確かに最近集客率の伸びも良くて、一応プロなのかなって錯覚する時もあるけどね」
 包み隠さず今の心境を素直に答える。キュウのおかげで金銭面に関しては深くタッチしなくても進めていけるとは言え、自分達の音楽を客観的に評価できる目線も無い。
「あ、でもどこかの音楽事務所の人から名刺は貰ったっけ。イッコーに取り上げられてそのままうやむやになっちゃったけど、別にライヴを観に来てた訳じゃないしね、その人。怪我して歩けない所に通りがかって助けたらたまたまだったと言うだけで」
 久し振りに泊さんの事を思い出した。あの後何の連絡も無いと言う事はイッコーも別に話を取り次いだ訳でもないんだろう。少し残念な気持ちはあるけれど、僕達がいい音楽を発信し続けていればまた誰かが目の前に現れてくれるはずだよ。
「青空さんって、純粋に音楽が好きなんですね」
 真正面から柊さんに言われ、しどろもどろしてしまった。
「なのかな?自分でもよくわからない所はあるよね。でも最近ようやくギターを弾くのも、曲を創るのも自分の思い通りになって来た気がして、楽しくなって来た気はするよ」
 黄昏に追い付く為に無理矢理始めた最初は何もできず、ひたすら苦痛でしか無かった。できる事が増えると楽しみも増すと知ったのは、しばらく経ってからの事。
「続けている内に疲れて投げ出したくなる時もたくさんあるけど、自分で選んだ事だから。他人も巻き込んで続けている訳だし、中途半端に責任を投げ出そうとは思わないかも」
 好きとか気分で物事と付き合っていたらかえって疲れてしまう。それなら責任や誇りを建前に、自分の手で逃げ道を塞いでしまった方が楽に続けられる。
「毎日が楽しくてやる事成す事何もかも上手く行く、って絶対にないから。そこで簡単に投げ出してしまうのが普通の人なのかも知れないけど、そうはなりたくない、と言うか、その為に続けている所もあるよ。一種の脅迫観念に近いかも……聞かなかった事にして」
 普通に話しているつもりが、包み隠さず曝け出してしまったせいで愚痴になってしまった。何も僕達のファンでいてくれる子の前で暗い部分を見せる必要なんて無い。
「ただ、続けられている事に幸せを感じるから。それだけで十分と思えるんだ、僕はね」
 言葉を付け足し、変に心配をかけないようはにかんでみせた。何をしても嫌な事は付き纏って来る。ならその負の感情を如何に許しどう受け入れ、正方向に転じるようにするかはその人自身が見つけ出さないと。
 今の所、僕はその辺の感情と思考のコントロールが上手く行っていた。
「話する前にさ、先に食べちゃおうよ。冷めたら美味しくないしね」
 食事中にする話でもないと思ったので、適当な所で切り上げ皿の上の食事に手をつける。柊さんも小さく微笑み、パスタをフォークに絡め口に持って行った。
 こうした楽しい日に僕の深い部分をあまり前に出さないでおこう。
「でもやっぱり、好きで続けていられるって大変な事ですよ。そう思います」
 空になったテーブルのお皿が下げられ、一息ついた所で柊さんが僕に言った。
「そう言えば、柊さんは今何かやってるの?前に手紙で少し書いていたけど」
「えっ?あ、あれですか!?あ、でも、今は受験に力を入れているので……」
 『夢』と言う単語を口に出すのは気恥ずかしいので遠回しに質問してみると、柊さんは慌てて手を振り話を逸らそうとした。すぐに顔が赤くなるよね、この娘は。
「……一応、文系の大学には行こうと思うんです。後々のためになるかなって思って」
 一つ咳をついてから、僕に笑顔を作ってみせる。
「そうなんだ。何をやるにしても大学には行っておいた方がいいと僕も思うよ。若い内から急いでやらなくても、いい勉強になると思うし。……ちょっと年寄り臭い発言だなあ」
 自分で言ってて悲しくなって来た。まだ20歳なのに。
「それで、何をしようとしてるの?」
「え?い、言うんですか?」
 これでこの話は終わりと思っていたのか、僕の追及に素頓狂な声を上げ目を丸くする。
「無理にとは言わないよ。でも勿体ぶらせてるような書き方だったからね」
 本当に秘密にしたいなら何も手紙にああした文章は書かない。多分まだ技量が伴わないとか、口を大にして言えないとかの理由で恥ずかしかったりするからだろう。
 目線を逸らし逃げようとする柊さんを正面から見据え捕まえる。しばらく困った顔で何度も僕に許してと目で訴えていたけれど意地悪く視線を逸らさずにいると、やがて観念したように口を割った。
「……小説」
「え?」
「小説です。中学の頃から、好きな作品の見よう見真似で続けていたんですけど……」
 本気で恥ずかしいのか、頭から湯気が出そうなほど真っ赤になっている。
「柊さん、小説家になりたいんだ」
「ええ、特にそこまで考えてやっていたわけじゃなくて、趣味程度でしたけど、青空さんの送ってもらった小説を読んで、私も本格的にやってみようかなと……」
 なるほど、僕に影響されて始めようと思ったから話そうとしなかったのか。
 しかし、面と向かってそう言われても実感が湧かない。喜びや嬉しさよりも、本当にきっかけが僕なんかでいいのかと申し訳無い気持ちになる。でも、僕に影響を受け夢に向かい行動を起こしてくれる人がいると言うだけで、ほんの少し自分の生きて来た道を肯定できた。過去の作品とは言え『mine』を書いた事は決して無駄にならなかったから。
「だから、文系の大学で語学を勉強しようと思うんです。プロなんてそんな、まだまだ気の遠い話ですけど、読んでくれた人が前向きになるような、そんな話を書いてみたいです」
 そう話す柊さんの顔は今までの中で一番活き活きとしていた。その言葉を聞き僕も嬉しくなり、胸がほんのり熱くなる。こうして人と人が繋がっていくんだって実感する。
 有難過ぎて、頭を下げてまでお礼を言いたくなる。
「応援してるよ。でも僕は素人だからアドバイスなんでできないけどね」
 そう言えば僕も今年の春頃から曲に還元する為の短い小説もどきの文章を書いているとは言え、ここ最近はバンドの作業でとても忙しく停滞している。話した所でかえって自分に重石が圧し掛かりそうなので、完成するまで黙っておく事にした。
「いくつか出来上がってる作品もあるんだ?」
「え?と言っても短いものばかりで、素人に毛が生えた程度の物で……他人に見せられるレベルじゃ全然ないですよ。青空さんが読みたいと言っても、ダメです」
「ジャンルとかは?小説と言ってもいろいろあるでしょ?」
「えと、あの、特に決めていなくて……時間のかからないショートショートを、少し」
「フィクション?」
「そう、ですね……おとぎ話みたいなものとか、ファンタジーが入ったものとか。あまり読み手が偏らないような物を創っていきたいなあって思います」
 一服がてらに柊さんと小説の話をいろいろと交わす。僕が書いている物とは違い女の子らしくどこかメルヘンチックで、絵本のような印象を話の端々から受ける。彼女の才能や創った物が僕の肌に合うかは分からないけれど、応援して行きたい。
 切りのいい所で席を立ちレジへ向かうと、にやついたマスターがそこに立っていた。冷やかしを受けつつ二人分の勘定を済ませ、他の人間に言わないようにきつく口止めしておく。……無駄なのは分かっているとは言え、とほほ。
「ま、時間のある限り目一杯二人で遊んで来いや!」
 店を出る間際に後からマスターに背中を思い切り叩かれ、跡が残るほど痛かった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、マスターの愛情表現だから。いつもされてるしね」
 柊さんに心配をかけまいと気丈に振る舞ってみるものの、しばらく痛みで背中を丸めたまま歩く羽目になってしまった。でもイッコーよりはマシなのかも。
 北口から地下街を通り抜け線路を越え、観覧車のあるショッピングモールへ向かいながら途中の店を二人で物色する。自分一人じゃ絶対に入らないような女性専門の洋服屋に足を踏み入れると、さすがに恥ずかしくて緊張しっ放し。柊さんが話を振ってきても全部耳を素通りし、合槌を打つので精一杯で、買い物をしようにも僕の欲しい物はあるはずも無いし、とは言え柊さんにプレゼントするほどの仲でも無いし、もうどうしていいものやら。
「青空さんも、自分の物を見ていきます?つき合いますよ」
「あー、じゃあ柊さんの買い物が終わったら、楽器屋にでも行きたいかな」
 僕が無理しているのが判ったのか、途中で柊さんがこちらの顔を見て訊いて来たのでそう答えておいた。洋服よりも楽器やCDにお金を使いたいと思うのはある種の職業病かも。後でCDショップにでも寄り、僕のオススメを柊さんに薦めてみよう。
 あまり地下街で時間を潰すのも勿体無いので、適当に切り上げ地上へ。街路樹から蝉の鳴き声が響き渡り、外の明るさに目が眩んでしまう。信号を待つ人混みに飲まれはぐれないよう気をつけながら、影の部分を選びショッピングモールへ向かう。
「そうそう、千夜さんは元気でやってるよ」
「千夜さん?……あ、波止場さんの事ですか」
 柊さんは僕の言葉に一瞬怪訝な顔を見せ、すぐ誰の事か理解し合槌を打った。
「やっぱり波止場さんだったんですね。ドラム叩いているのって」
「あの後樫之木女学院に通っているって聞いたからね。知り合いなの?」
「いいえ、私は目立たない方でしたんで、向こうは覚えてないと思いますよ。でもステージを観た時は本当に驚いたんですから。すっかり変身していましたけど、普段の厳しい顔はそのままでしたもん。おそらく他の知っている人は誰も本人と判らないと思います。私、内気な性格のせいか昔から他人の顔を観察するのが得意なんですよ」
 さりげなく僕の心に冷や汗をかかせるような事を言う。それはともかく、高校の名前を思い出せずにいたので以前の柊さんの話と千夜さんが結び付くまで少し時間がかかった。本人に苗字を直接訊いていないけれど、そうそういる名前でもないし間違い無い。
「千夜さんって、学校だとどういう人?」
 他の子の話を女の子にするのは面目無いと思いつつ、これからのバンドが上手く潤滑するヒントがそこにあるかも知れないので無礼を承知で訊いてみる。
「そうですね……私と同じで、一人でいる事が多かったです。あ、私の場合は引っ込み思案なところがあるせいなんですけど……波止場さんは普段から人を寄せ付けないような雰囲気がありましたよ。早退も多かったですし、いつも放課後になるとすぐ帰ってました」
「学校の友達がいないとか?」
「そこまで一人というわけでもなくて……。他の人達と薄く浅くみたいな感じで。休みがちな割に成績も常に上位だったので、結構頼られていましたよ。運動も学問も、何やらせてもできるスーパーマンみたいなところがあって、人気ありましたね。でも部活にも入らず、学級委員でクラスのみんなをまとめるわけでもなく……何でだろうとずっと思ってましたけど、バンドをやっているのを観てやっと理由がわかりました」
「中学からの知り合いとかいなかったのかな?」
「どうでしょう?誰も昔の波止場さんを知らなかったみたいですし、本人もどこの中学出身か一度も口にしてなかったみたいですから……。そうした謎めいた部分もあって、同姓の子からも人気がありましたよ。一年生の時、バレンタインの日に下駄箱前で額を押さえている姿を見た事あります。去年は引っ越してしまったのでわからないですけどね」
 柊さんは嫌な顔一つせず僕の質問に滑舌良く答えてくれる。昔住んでいた場所に来て多少饒舌になっている所もあるのかも。
 二人に申し訳無いと思いつつも、詳しい話で普段の千夜さんの姿が容易に想像できた。
「柊さんも憧れてたの?」
「特にそう言う気持ちはなかったですけど、遠目からよく眺めてました。……楽しそうに笑う所、ほとんど見た事ないんですよ。あの頃の自分も学校が楽しいと思えなかったから、波止場さんも私と同類なんだって、勝手に仲間みたいに思いこんでました」
「ふーん……でも、今の柊さんは違うでしょ?、」
「そう、ですね。公園デビューもとい、転校デビューで生まれ変わりました♪」
 あまり長々とこの話題を続けていても何だし、目的地も近づいて来たので一旦この話は止めにした。話を聴く限り、千夜さんは裏と表の顔を使い分けているようには思えない。容赦無く拳に頼る真似はしていないだろうけれど、学園生活を満喫しているとは言い難い。
 ――だから、音楽に必要以上に執着し続けているのかも。練習の後で帰るのが遅くなった所で自宅に連絡の電話一つを入れる訳でもなし、平日でも夕方から顔を出すのを見ていると、おそらく学校が終わると同時に直接集合場所に向かっているんだろう。
 千夜さんを見ていると、他の人とは異質なドラムへの執着心を感じる。重たい演奏が得意なのも負の感情が叩く音に篭められているからだろうか。もう一人のリズム隊のイッコーが正の感情で楽器を弾いているから『days』ではいいバランスが保てていても。
 いけない、考え込むとつい無口になってしまう。なるべく今日は千夜さんの事は頭の隅に追いやり、笑顔で振る舞おう。
 すぐにショッピングモール下の石畳の広場が見えて来る。するとそこに見知った顔を見つけ、僕は急いで踵を返し柊さんの袖を引っ張った。
「向こうから入ろっか」
「え?え?入口こっちじゃないんですか?」
「こっちから行った方がお店たくさん並んでるから」
 戸惑う柊さんに適当な受け答えをし、モールの裏口まで足早に遠回りする。
 まさかキュウがいるとは思わなかった。
 普段からそこの広場を根城にしているからいてもおかしくなかったのに、完全に失念していた。危ない危ない、見つかったらどうなる事か。念の為、今は携帯の電源を切っておこう。
 この建物の周りはよく通っても、中に入り買い物をする事はあまり無い。男性用のファッション専門店も充実してはいても、お客の比率も8:2くらいで女性が多い。和洋幅広く取り扱う水海最大のレコードショップが5Fにあるので時々通っても、地下街を東に抜けた所にある別の専門店の方に愛着があるのでそちらへ足を運ぶ事が多い。
 1Fに並ぶ店は高級ブランドばかりなので、見向きもしないでエスカレーターに向かう。
「先にこういうの見たら、お手軽な値段の物が買えなくなっちゃうじゃないですか」
と柊さんの弁。確かに贅沢物だし、一つ買えば他に手が回らなくなる危険がある。
「きゃっ」
 エスカレーターに乗る所で、動く足場に足を取られた柊さんが短い悲鳴を上げた。
 咄嗟に腕を伸ばし後で支える。無事なのを確認すると二人で顔を見合わせ大きく息を吐き、こちらに視線を向ける周囲の人達に苦笑してみせた。何とも恥ずかしい。
「すいません、ツッカケだと滑りやすくって」
 手すりに手をかけた柊さんが小さく謝ってくる。女性は履物の問題で男性より転ぶ危険が多いから仕方無い。第一運動神経も良さそうに見えないし(失礼)。
 でも、柊さんのお尻、大きかったなあ……。
 不可抗力とは言え相手のお尻で支えてしまった。片手にやっと収まり切るほどの大きさで、細身の外見からすると意外に思える。
 いけないいけない。変な顔を見せないように妄想は家に帰るまで閉じ込めておこう。
「おーい、きーずなーっ」
 2Fを見終わった後中央吹き抜けのエスカレーターで3Fのホールに上がった所で、元気のいい女の子の声が横から飛んで来た。柊さんの名前?と思い隣を見ると、すかさず声と反対側の方向へツッカケを鳴らし走り出していた。
「あっ、青空さん、私しばらく隠れますっ」
「え?あ、ちょっと……」
 まずい相手に会ったのか、一言残すと直線の通路を一目散に逃げて行く。呆然としていると僕の横を見知らぬ女の子二人が横切り、柊さんの後を追いかけて行った。
 しばらくして。
「ほうらつーかまえたー」
「ちょっとやめっ……わかった、わかりましたから離してってばっ」
 捕獲された柊さんが女の子二人に背中から抱きかかえられ僕の所へ戻って来た。どうやら一緒に水海にやって来た友達らしい。ちょうど偶然居合わせたのか。
「二人とも、どうしてここにいるの?」
「どうしてって、買い物に決まってるじゃん。かなえとねねは別行動。おいしいもの探しに行ってるんじゃないの?そーいうきずなはウチらに隠れて男とねんごろかー?」
 茶髪に染めた吊り目の子に詰め寄られ、柊さんは思い切り動転した。
「ちちち違う違う違うからっ!!この人はこっちに住んでいる時にお世話になったバンドの人。ほら、前に話してた『days』って言う名前のリーダーさん」
「ああー。なるほどねえ、それがこの人なんだ……」
 まるで品定めするように目の前で眺め回され、どうしていいものか困ってしまう。
 こちらの子は都会かぶれなのか、ボトムパンツにラインの出る長袖シャツとボーイッシュなファッションで周りに溶け込んでいる。隣でえくぼを浮かべている片割れの子は前髪を後でまとめ、どこか垢抜けていない修学旅行生みたいな印象を受ける。
「知り合いに会うって言っていたからてっきりおばさんか誰かだと思ってたら、なかなかのイケメンじゃない。やーっぱ都会の男は違うね〜」
 イケメンなのかどうかはともかく、間近で褒められると相当照れ臭い。体に振り撒いている香水の匂いまで漂って来て、今の僕は耳の先まで真っ赤になっているだろう。
「で、彼氏なの、あんた?きずなの」
「え?いや、柊さんはファン第一号と言うか、そんな感じで……」
 正面から見据えられつい怖気づいてしまう。目の前の子が視線を柊さんに向けると顔を赤くして俯いてしまい、それを横でえくぼの子が可笑しそうに笑いを堪え見ていた。
「ふーん、なんか似た者同士ってかんじ。きずなが惚れるのもよくわかるわー」
「だから青空さんはそんなんじゃないんだってば!違うのーっ」
「ああ言ってるけどウチらとバンドの話をする時、すっごいうれしそうな顔するの。遠距離恋愛は大変だろうけど、きずなをよろしくね。結構クラスで狙ってるやつ多いのよ」
「ああもう違うのにー。ごめんなさい、本当にごめんなさい。ほら三琴、放してってば」
 女の子達のパワーに圧倒され、僕は呆然と突っ立っているしかできなかった。
 でも、この明るさが柊さんをいい方向に変えたと思う。いい友達に恵まれ楽しそうに見えた。僕達の音楽だけじゃここまで前向きになれなかったろう。
 人の絆を目の前で見る事ができ、胸が温かくなる。でも、遠距離恋愛でも何でもないのでその辺は誤解無きよう。
「そうだ。みんなでここの観覧車に乗りませんか?ずっと乗りたかったんですよー」
「えっ、僕も?」
 三琴さん?に突然誘われ、思わず自分を指差してしまう。
「もちろん♪だって祈砂一人なら絶対に言い出さないじゃないですか、一緒に乗ろうって。4人なら問題ないでしょ?人数もぴったりだし」
「そ、そんな、私は別に……!」
「あーはいはい。言わなくたってきずなの考えはよーくわかるわよー?」
「嬉しいくせして文句言わないの。ちゃんと隣に座らせてあげるから、そこの彼氏」
「すっ、すみませんね青空さんっ!?紗那と三琴、勘違いしちゃってて」
 結局押し切られる形で決定してしまい、4人で観覧車に乗り込む事になった。僕も一度も乗った事はなかったのでいい機会だったけれど、僕一人で全員分のお金を払わなければならないとは思ってもみなかった。まさか最初からそれが目当て……?
 その後もクレープを奢らされたり、友達二人の買い物に付き合わされたりと大変な目に遭った。でも僕達に気を遣ってくれたのか間に割って入る事もあまりせず、会話の幅を広げるのに一役買ってくれたのは大変有難かった。
 何だか僕の方こそ最高の想い出を作って貰った気がして申し訳無いと同時に、嬉しい。
「地上からだと判らなかったですけど、同じようで変わっているんですね、この街の景色」
 観覧車の中、柊さんが街を見下ろしながら呟いた言葉が忘れられない。
 ここの赤い観覧車を見上げる度に、僕は今日の日の事を振り返るだろう。20歳の、熱い夏の日の甘酸っぱい想い出を。


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