076.新しいDOOR
場内でかかっている『discover』のSEが終わると、照明が落ち歓声が上がった。僕から順に暗がりの中ステージに上がる。全員定位置についた所で、ステージの明かりが灯り、一際歓声が大きくなった。ステージの中心には、これまでと違い黄昏がいる。
4人が揃うステージはたったの数ヶ月振りなのに、物凄く久し振りな気分。そしてステージの上でこの4人で演奏できる事が嬉し過ぎ、足が地に着かないみたい。
いつものように肩の力を抜き、眠そうな顔で準備が終わるのを黄昏が待っている。投げかけられるフロアからの歓声を目を閉じ、気持ち良さそうな顔で味わっていた。
ギターの調子を確かめていると、向かいのイッコーと目が合い、白い歯を大きく見せ楽しそうに笑った。3人でライヴしていた時にも出なかったほどの眩しい笑顔。
『days』は、やっぱりこの4人でやる事に意義がある。
不思議と、これからのステージに対する不安は胸の内に少しも無かった。余計な事をつい想像してしまい怖れるのが馬鹿らしく思えるくらいに。
ドラムの方を振り返らなくても、千夜がどんな顔をしているかよく分かる。フロアの前列でキュウの姿を探すと、人の数が多く前に出て来られないのか見当たらない。
気付けばいつの間にか、こんなにも支持してくれる人がいる。不意に感極まり、慌てて胸を落ち着かせた。そう言う涙はまだまだ後でいい。
黄昏は目を見開き、暗いフロアを凝視していた。その目は照明を受けているせいか、光輝いているように見える。何か、思う所があるんだろう。
イッコーがベースを2,3弾いた後、僕達に目配せして来た。小さく頷くと、千夜がスティックでカウントを、心臓の鼓動のようにゆっくり打ち鳴らす。僕がギターを弾き始めると同時に、ステージはオレンジ色の照明で包まれた。
最初の曲『貝殻』を伸び伸びと唄う黄昏。リハーサルで改めて黄昏の凄さを確認しているので、本番で聴き惚れギターを弾く手が止まる事はない。
ただただ、いい唄声だと思う。横で弾いているのがとても気持ち良く、観客なんてどうでもいいとさえ思えてしまうほど、くつろいだ気分で弦を弾く事ができる。
新曲の際はいつも客席の表情が気になるものなのに、今は不安も無い。特別自信がある訳でもなく、普段練習する時のような――それよりももっと自然な、家で気ままにギターをかき鳴らしている時みたいな感覚でステージに立てている。
一曲終わるとカラー照明が消え、ステージに明かりが戻った。普段より多めの拍手の中、黄昏はほっと一息つくと僕に小さく笑ってみせた。その向こうで早速イッコーが次の曲のイントロを弾き始めている。休むのも勿体無いと思うくらいやる気が漲っているみたい。
MCで色々喋ろうかと思ったけれど、それは歌い手が交代する時でいいと後回しにして、次の曲に入った。最初に静かな曲を持って来たので、3曲連続で激しいのを演奏する。
最初の方はステージの一番前に出て歌っていた黄昏も、酸素が足りずに苦しくなったのかすぐに定位置に戻り、動かないまま熱唱した。声はこれまでと同じように出ているものの、体が鈍っているせいか間奏の間に大きく肩で息をしている。
4曲目が終わった時点で短いインターバルを入れ、黄昏を休ませた。
「あーっ、疲れる」
ミネラルウォーターで喉を潤す黄昏が視線で交代して欲しいと訴えかけてくる。しかしイッコーにそのままバトンタッチすると激しい曲が立て続けになるので、笑顔で断った。
「頑張ってね」
一瞬間抜けな表情を見せると、一回大きくうなだれてから勢い良く背筋を伸ばし、マイクの前へ戻った。こうした場面で文句を言わないのが黄昏らしい。
今日のライヴは、いつも以上に楽しいと思える。これまでよりも安定感が増し、失敗もすぐに挽回できるようになったおかげか。それとも久し振りに黄昏を迎えてのライヴが行えたからか。理由は色々あるけれど、無駄に気負わなくなったのが大きい。
いつもなら音楽以外のものもステージの上へ一緒に持って来てしまうのに、今日に限ってはただ単にギターを弾く事、周りのみんなに合わせる事、客席を盛り上げる事だけを考えられた。悩みや不安が大きいほど、僕のギターの音色も湿る。
その湿りがちなギターが僕の演奏の特徴で、周りから褒められる事はあっても自分で自分のそれを好きにはなれなかった。元々アッパーなものよりもダウナーな感じの曲の方が聴くのは好みでも、自分でやるとその度に自分自身を顧みるから結構辛い。
理想としては暗い曲の時には暗い気分で、明るい曲の時には明るい気分で弾けたらと思う。しかしそんな上手く行くはずもないし、他にいい表現の仕方があるのかどうか今も模索している最中でいる。
黄昏なんかは無意識の内にそれができているみたいだけど……。
そうした中、今までとは違った気分でギターを弾けているので、何か新しいきっかけのようなものを掴んだ気がする。言葉にし辛い、自分にしか分からない些細な感覚。
これまでよりも素直に曲と向き合えたような、そんな感じ。ただ、背負っている全てのものを降ろしてしまうと曲の表現も薄くなってしまう気もして――難しい。
いつもの自問自答は置いておいて、今はこの時間を心から楽しむ事にしよう。
様々な色の光に照らされているステージの上からだと、前列の観客の顔は表情もはっきりと判る。あ、キュウがいた。後方は薄暗く、さすがによく判らない。
自分で選んだ道とは言え、他人に直視されるのは2年程経った今でも気恥ずかしい。目が合うとつい反射的に反らしてしまいがち。ただいつもは観客の目よりも間違えずに演奏する方にばかり気を遣っているので、恥ずかしさも紛らわす事ができる。
普段から前髪が目にかかるのは嫌いとは言え、視線対策の為に伸ばしていたりする。ライヴ中に額に汗でへばりつく事も多いけれど、どうせ全身汗だくなんだから構わない。
しかしこうしてライヴをやる度に、自分達のステージは下からだとどう映るのかは気になってしまう。今も演奏して、フロアでは様々な人が僕達の音楽を聴き、体を揺らしている。キュウは毎回フロアからステージを観てくれていて、終わるとどんな風だったかをかい摘んで説明してくれても、贔屓目も入っているので丸々鵜呑みにはできない。
そんなどこかのTV番組がライヴを撮りに来るなんて事もあるはずも無く、少し悩む部分ではある。成功したと思ったライヴも、端から見ればただの自己満足になってはいないか。どれだけ自信を持って演奏していたとしても、他人にはどう伝わっているのか――ライヴと言う手段で音楽を伝えている人間だから、他人の目は常に気にするようになった。
昔、小説を書いていた時は他人に読んで欲しいと常々思っていた。でもそれは自分の中で作り出した『他人』と言う一つの大まかな偶像で、本当の他人じゃない。
直の他人ほど厳しく、そして温かいものは無い。人と接すると言う事は何て大変なんだと、音楽をやるようになってから思い知らされた。
勿論僕達のバンドに対するアンチの声も聞く。同じライヴハウスでやっている別の常連バンドからそうした声を耳にした時には、さすがに丸1日落ち込んだ。バンドの人気が上がる度に、妬みの声も増えて来たように思える。
それに押し潰されないようにする為にライヴを多く組み、バンドを支持してくれる声援を直に感じ気力を上げた部分もあった。
これが最後になるかも。と言う意識が心の中に常に潜んでいるからこそ、自分を後押ししてくれるものにすがりたくなる。どうしようもなく弱い自分でも強くなれるかも、と願って始めたはずなのに、ステージから降りる時には毎回自分の弱さを再確認させられる。
そして、自分を助けてくれる人達の存在を強く思う。
無条件で支えてくれる、とまではいかない。自分と同じ、いやそれ以上の速度で歩いている人達が手助けしてくれる所にいる、それだけで自分の力になると言う事を知った。
言い換えれば、それは自分も周りに対し何らかの役に立っている(かも)と言う事。自分がそこにいる事で、誰かを手助けする役目を果たせる。
たった一人でいる時よりも、自分がこの現実にいてもいいんだと思える。それだけでも音楽を始めた意義はあったのかも知れない。ステージの上にいる3人の仲間と、フロアを埋めるお客一人一人の顔を見ていると、そう思う。
僕にとってステージは、自分の存在を確かめられる場所。黄昏や千夜、イッコーにもそれぞれの意義があるんだろう。何となく黄昏は、僕と似たような意識でマイクの前に立って唄っているような気がした。何となく。
半分まで行った所で二度目のインターバルに入った。一息つき、喉を潤す。黄昏は一度ステージの袖に引っ込み、酸素スプレーで呼吸を落ち着かせてから戻って来た。体力が半分になっているのか、もうワンマンを一度終わらせたくらいの疲れた顔を見せている。
「何か、今日はハコがやけにでかい」
「目の横が腫れてるから視界が歪んでるんじゃねーの?」
ギターを抱えた黄昏の不意の呟きにイッコーの突っ込みが飛び、場内が小さく湧いた。同じ事を僕も考えていたので、自然に頬が緩む。3人でやっていた時よりも、場内がコンサートホール並に大きく感じた。
短いMCが終わった所で、次はイッコーの曲を固めて演奏する。前回は合間合間に入れていたけれど、まとめて区切った方がメリハリがついていいと思ったから。一曲分、落ち着いた曲調の物だけは最後の方に回す事にしていた。
元々今日は3人の予定でライヴを組んでいたから、待っていましたとばかりにイッコーのファンが大盛り上がりを見せる。少し申し訳ないと思いつつ、ギターを掻き鳴らす。いつも以上にやる気の漲っているイッコーは歌っている最中ずっと右往左往し、近くを通られると黄昏が眉をハの字にするのがおかしかった。
「わわわ」
あまりにヒートアップし過ぎベースを弾く手を止め、僕の肩にも腕を回し熱唱したりする。今は様々な体勢でもギターを弾けるようになったから多少の事では動じなくても、黄昏はまだまだ初心者で弾くのが精一杯だからイッコーも手を出さなかった。その分こっちが色々弄られてしまう。
二人の曲を同じライヴで久々に弾いてみて、思う。
黄昏が唄い、千夜がドラムを叩き、イッコーがベースを刻み、僕がギターを鳴らす。
それだけで『days』の音楽になるんだなと改めて感じさせられた。
バンドの重大な起点となる節目のライヴは、必ずと言っていいほど4人の息が合う。それだけ各人がバンドに対し強い思い入れがある事を証明しているように。
今回も例外では無かった。むしろ、危機感を痛切に感じるくらいでいる方が皮肉にも上手く行くような感じさえする。
大きな波が押し寄せて来ては、その度に何とか乗り切る。いつか転覆しそうな気はするんだけど、幸いにしてこれまで一度も失敗していない。一度ひっくり返るとそこで試合終了なので、何が何でも物にするしかないんだ。
そう考えているのは、僕だけかも知れないけれど。
「どうして簡単に乗り切れるのか/横で見てるだけじゃ解らなかった/伸ばした手が空を切るのを何度だって観てた/そう まるで他人事みたく/心を切り離して」
自分の中から生まれた分身が黄昏の腹から言霊となって飛び出す。普段なら気恥ずかしくて面と言えない事も、『days』の演奏に乗せると揺るぎないものと化す。その瞬間がたまらなく気持ちいい。この現実に立ち向かえる最強の武器を手に入れたような感じがして、嬉しいんだ。
3人でやっていた時には絶えず大きな不安を抱えていた。先の希望を信じていなければ、呆気無く力尽きてしまっただろう。でも、ずっと頼ってばかりじゃいけない。
ここからまた始まるんだ。いつの日か自分の両足で立てるようになるまで、このかけがえのない仲間達と共にやって行こう。
「何きょろきょろしてるの?」
今日三度目のインターバルに入った時、水分補給をしている黄昏に近づいて声をかけた。
「ん、ああ」
どこか上の空な返事。今日は珍しく、唄う時に視線を動かしたり首を左右に向ける事が多い。フロアにいるお客の顔をなるべく見たいのかなと思っていたら、それにしては妙にそわそわしている。そう言えば、曲の合間には必ずフロアの方を向いていた。
「誰か探してるの?さっきからずっと客席の方ばかり見てるけど」
「久々だから、隅々までみんなの顔を目に焼き付けようと思ってるだけ」
「黄昏らしいね」
人に向けて歌う、と言う事が今の黄昏にとっていかに大事なのかがよく分かる答え。それにしては視線を動かし過ぎに思えるけれど、愁ちゃんの姿でも探しているのかも。
ともかく、久し振りにステージ上で見た前向きな姿勢に満足しつつ、ペットボトルで喉を潤すと自分の立ち位置に戻った。最後まで僕も気を抜かないで行こう。
その後、イッコーの『revive』を演奏し、黄昏のさっき合わせたばかりの新曲達を並べる。立て続けに3曲演ると言った時は不安混じりのどよめきがフロアから起こった。
でも、僕達4人は臆する事なく胸を張り、曲を奏でる。何故なら自信を持ってみんなに届けられる曲達だから。一人一人の胸に届けとばかりにステージの一番前で歌う黄昏の姿を見ていると、不安な気持ちは全く湧き上がって来なかった。
本編最後の『yourself』が終わると、場内は大歓声に包まれた。その瞬間肩の力がどっと抜け、思わず寄れてそばのアンプにもたれかかる。拍手と声援に応えるイッコーやその場に立ち尽くす黄昏の背中を見ながら、心地良い達成感を味わっていた。
「楽しかったよ」
この後もアンコールがあるので気丈な所を見せ、僕はマイクに喋ると手に持っていた藍色のギターピックを客席に放り込んだ。同時にフロアが一瞬湧く。そんな気取っている訳でもなく、僕の正直な感謝の気持ち。いつも使っているピックは自分のギターと同じく、海を連想させるラメ入りの藍色。数少ない僕のこだわりでもある。
歓声に全身を委ね、一足先に姿を消した千夜に続き僕も笑顔でステージを引き上げようとしたら、ステージの中央で黄昏が目を見開き固まっていた。
「……どうしたの、黄昏?」
「ちょっとみんな悪いっ!」
僕が問いかけるより早く、場内に黄昏の叫びが響き渡ると何を思ったか密集した観客の中へ体ごと飛び込んだ。呆気に取られている僕とイッコーを置き、もみくちゃにされながらモッシュの時のように観客の上を転がって行く。湧き上がるフロアの向こうに黄昏の姿が消えても、しばらく熱狂は収まらなかった。
しばらくそのまま立ち尽くしてみても、黄昏が戻って来る気配はない。この後アンコールもあるのに、今日の主役が役割を放り出しどこかへ行ってしまった。
「……どーすんの、これ」
今の置かれている状況を見回し、僕とイッコーは苦い顔を見合わせ、ステージ上で途方に暮れていた。