→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第3巻

   084.充電

 昼間溢歌と交わった感触を思い返しながら気持ち良く眠りについていると、夜遅くに突然の電話で叩き起こされた。
「もしもし?」
「おー、元気?眠そうな声してるけど、もしかして寝てた?」
 やけに馴れ馴れしい男の人の声で、誰だろうと思い携帯のディスプレイを確認する。
「ああ……みょーさん?」
「あいかわらず礼儀正しーね、せーちゃんは」
 受話器の向こうで声を立て笑う。突然の電話と眠気で頭の回らない僕は呆然と電話を握り締めていた。前に電話をしたのって、何時だったろう?
「ごめんごめん、寝てる途中だったら明日かけ直すけど」
「あ、大丈夫。ちょっと目薬挿すから……」
 部屋の電気をつけ、机の上に置いてある目薬を引っ手繰るとすかさず挿す。心地良い刺激が程良い眠気覚ましになった。大きく伸びをし、受話器に向かう。
「で、何でしょう?」
 前回のライヴでみょーさんが遊びに来た時は、黄昏のアンコールボイコットもあったおかげでじっくり話す機会が無かった。
「えっと、そっちに郵便来てない?」
「郵便?」
「そ、うちの大学から」
 何故?
 頭の上に巨大な?マークが浮かぶ。一瞬春先に大学へ無断で入ったのを警告しに来たのかなと思ったけれど、半年も経ってからわざわざそんな馬鹿な真似をするはずも無い。
「ちょっと待って、今確認するよ」
 普段家のポストはなかなか確認しないから、ハガキや封筒にも気を留めない。中を覗いても入っているのはほとんど広告だもの。
 玄関まで行きポストの中を見ると、それらしき封筒が入っていた。
「あー、ありましたありました」
 それを手にし、明かりのある部屋まで戻り宛先を確認する。
「実行委員会から届いてるっしょ?」
 言葉通り、封筒の下には桜花美術大学学園祭実行委員会、と書かれてあった。
「あの、これって」
「そーそー、『days』の学園祭出演のお願い」
 思わず眉間に皺寄せて悩んでしまった。バンドが再びこじれ始めた時に、これとは。
「でも、どうしてみょーさんが?」
 素朴な疑問が浮かぶ。絵一筋のみょーさんが委員会の執行部に入っているとは思えない。
「ほら、オレ言ってたっしょ?よかったらウチの学祭でライヴやってくれって」
「……言いましたっけ?そんな事」
 記憶にあるような、無いような。眠気のせいもあってか記憶が曖昧になっている。
「言ったじゃんそっちも。秋の学園祭にはうちのバンドの出演是非お願いしますって」
「そこまでは言ってません、絶対」
 話が相手の流れになって来ているので強い口調で突っ跳ねる。放っておいたら有る事無い事全て既成事実にされてしまいそう。
「ま、それはおいといて。せーちゃん達、ウチの学祭出てみない?」
「出てみない?と今言われても……こっちにもスケジュールがあるし……」
 壁掛けのカレンダーを2,3ヶ月分めくってみると、これからの活動がほとんど書き込まれてある。12月以降は曖昧でも、11月半ばに推薦入試のある千夜の事を考え、前後のスケジュールは変更できないように組んでいた。
「そう言われてもなー、もう入ってんだよ、『days』の名前」
「え?」
「いやだから――封筒の中身、見た?」
 物凄く嫌な予感を胸に抱き、言われるがままに封筒の口を破り中身を確認する。
 次の瞬間、布団の上で力無く両膝をつき肩を落としてしまった。
「おーい、生きてるか、おーい」
 受話器からみょーさんの声が虚しく響く。封筒の中にあった一枚のチラシには、学園祭のライヴの日時と出演者が書かれていた。その中に、予想通り『days』の名前が。
「勝手に決めるなああああああああっ」
 これを叫ばずにいられますか。チラシの他にも、学園祭のパンフレット、そして出演依頼の手紙が入ってある――僕達が出演する事前提に。
「わりーわりー」
「頭痛くなってきた……」
 昼間の疲れが襲って来て、そのまま不貞寝してしまいたくなる。脳天気なみょーさんの声が余計に気分を重くさせた。
「ちょっと、勝手に決められても困るよ」
「それがさ、委員会の奴らと話したらトントン拍子に――って、おまえら、うるさい」
 話を止め、みょーさんが受話器を離し注意する。後に人がいるのか、何やら騒がしい。
「人が電話してんだから、きゃーきゃー騒ぐなって……あ〜、ごめんごめん。ウチのバカ妹が友達連れてきちゃってよー、やかましいのなんのって」
「誰がバカ妹よー!」
「わっ、こら、やめっ」
 愁ちゃんの声が聞こえたかと思うと、枕で人を叩いているような音と女性の笑い声がする。目を閉じれば受話器の向こうの光景が容易に想像できた。
「あ〜も〜、リビング追い出されちまった」
 みょーさんの愚痴と廊下を歩く足音が聞こえる。賑やかな家族としみじみ思った。
「んじゃ、改めて……。せーちゃん、ウチの学園祭出てくれない?」
「無理です」
 きっぱりと断った。学園祭の前の土曜には対バンとは言え、ライヴが入っている。連続で入れれば千夜は辛いだろうし、僕らのバンドとしても困る。
「って言われても、もう決まっちまったみてーなんだよな……あのクソ執行部、相手に連絡取らずに勝手にチラシ作りやがって……ポスター描かされたオレの身にもなれってんだ。おかげでオレの株下がりまくりよ?」
「そんな事言われても僕は知らないよ」
 知らない所で自分達のスケジュールが決められたらたまったものではない。
「第一他のバンドも出てくれる訳無いじゃない。向こうの事も考えずにさ」
「それを無理矢理通すのが奴らなんだよな〜。今も強硬手段で他の出演者に了解取ってるみたいよ。ああ、一応ギャラは出るってさ」
「そう言う問題じゃないんだけど……」
 他人事と思い簡単に言ってくれる。
「とにかく、どう言う事?一から説明してくれないかな」
「……しなきゃダメ?」
「駄目」
 どうやら、こう言う事らしい。
 みょーさんの所の桜花美大、学園祭の実行委員会を仕切っている人はかなりのわがままで、昨年はプロのミュージシャンを呼んだ時にトラブルがあり、今年の秋はインディーズで活動している、最近地元水海界隈で人気と勢いのあるバンドを集めステージを行う予定でいたらしい。そんな折、僕が春先、みょーさんにバンドのデモテープを作る時にジャケットの絵をお願いした事を知り合いの委員会の人と会話している時に話題が上がり、
「それなら『days』にも頼んでみれば?何ならオレが口利いてもいいし」
と話した事がきっかけに、紆余曲折の末いつの間にか僕達が学園祭のライヴに出てもいい、と言う事になっていた。……約束もしていないのに。
「第一あいつ、実行力ありすぎなんだよなー。それ自体悪りーコトじゃねーけど、去年それで痛い目見てんのにあいつときたら……プロじゃないからって下に見るなっての」
 愚痴を言いたいのは僕の方です明星さん。
「別にみょーさんを責めるつもりはないけど……やっぱり無理だよ。僕一人で決めていい問題じゃないし、どうしてもスケジュールを変えられない理由があるんだ」
「んー、そーは言ってもなぁ……。封筒の中の連絡書、読んだ?」
 言われるままに誓約書らしい物を取り出し、読んで見る。
 ……開いた口が塞がらなかった。
「これって物凄く一方的なような気がするんですけど」
「あー、直接会って話してもその文面通りのコト言われるぜ、鬼の形相で」
 一から視線を文面に移してみる。要約すると、こう言う事。
「そっちで勝手に決めておいてキャンセルしたらその分の解約料を取るってどういう事?物凄く腑に落ちないよ」
「言わんとしてるコトはわかる。地雷を踏んだと思ってちょーだい」
 鼻息荒く言葉を荒げる僕に、みょーさんがひたすら平謝りする。
 一応学園祭でもステージだから、出演料は出る。しかし6バンドが出演するイベントだからか、金額は安め。おそらく『days』が水海ラバーズで対バンし、フロアを埋めるくらいチケットを売った分よりも低い。足下を見られている気がしてならなかった。
「こんな紙切れ、意味ないよね?」
 念の為訊いておく。これがまかり通れば何やっても構わないとさえ言える。サインなんてしていないし、まるでどこかの詐欺業者みたい。
「ないない。モチロンない。でもさ、ウチの学校で『days』が出演してくれるのを楽しみにしてるヤツも結構いんのね。普段からライヴ観に行ってるウチの周りのヤツらとか」
 みょーさんが漏らした言葉に少し心が揺らいだ。流されないよう慌てて気を引き締める。
「まー、他のバンドも人気のあるヤツばっかみたいだけど、オレはよく知らないし。でも、やっこさんは今年そのメンツで客呼ぼうと思ってるみたいよ?」
 出演バンドを確認してみると、僕と対バンをよくするバンドの名前も2,3ある。
「他はどうするか訊いてないかな?」
「どーだろなぁ。今のせーちゃんみたく怒ってるヤツらがほとんどだと思うぜ。ただウチの学園祭って毎年かなりの人で賑わうし、ここで出演しとけば結構名が売れるみてーよ?かつて出演したミュージシャンはみんな後々プロになってるとかどーとか」
「その信憑性の無さそうなジンクスは何ですか」
 とは言うものの、確かに大学の学園祭で演奏する事は、知名度UPに繋がる。これからの事を考えれば、出ておくのが得策なのは何となく解っていた。
 だけど……これは僕一人で決められない問題。
「ちょっとみんなに訊いてみないと分からないなあ……。もし断る場合は委員会執行部に連絡をすればいいの?」
「いいけど……覚悟しといたほうがいいぜ」
 声のトーンを低くし脅して来るみょーさん。どこまで本気なのかは分からないけれど、断るにしても受けるにしても手紙だけ、と言う訳にもいくまい。
「ちょうど次のライヴで対バンする相手がこのリストにも入ってるから、そっちにも訊いてみる事にするよ。でも、いい返事は期待しないでね」
「悪いね、ホントに」
 向こうは何度も平謝りする。今回の事はある意味僕の身から出た錆なのかも知れない。口約束を安請け合いしたせいかどうかは置いておいて……。
 でも、学園祭のイベントに呼ばれると言う事で、僕達も随分知名度が上がっていたんだな、と実感できたのは非常に嬉しい。チケットの捌ける数で徐々に僕達の音楽が聴かれるようになっているのは解っていても、所詮ライヴハウスの中だけ、井の中の蛙と疑心暗鬼になっていた所もあったので。
「ただ、頭痛いよね……また問題が一つ増えちゃった」
「何々?たそが何かしたりした?練習抜け出したとか」
 僕が溜め息混じりに漏らした事にみょーさんが食いついて来る。どうしてまたこの人も一々鋭いのか。でもどうやら黄昏と気が合っているみたいだから、相手の性格とか大体解るんだろう。
「そう言えば、黄昏と会ってたんですね」
「んあ?あー、そーね。ちょっとばかし殴り合ってね」
 なるほど、ライヴ当日のあの絆創膏はそのせいか。頭の中で繋がった。
「だけどよく、黄昏が許してくれましたね」
 殴られた自分の傷をさすりながら、皮肉っぽく言ってみる自分が嫌。
「相手に懐をさらけ出してたかんね。おかげでこっちもボロボロにやられたけど、なーに、一種のコミュニケーションってやつ?」
 僕の皮肉にも気付かず楽しそうに答える。自分もみょーさんみたいにオープンな性格なら、黄昏に殴られる事も無かったと思うと悔しさと憧れが入り混じった気持ちになる。
「こっちもさ、せーちゃんのやってるバンドにたそがいるなんて思ってもなかったしさ。驚いたんだぜ。『days』ってバンド名だったんだなー」
 てっきり絵を頼む時に前もって言っていたつもりでいた。そう言えばバンドのメンバーの事は関心が無いと思い、こちらから何一つ口にしなかったんだっけ。
「それにさ、たそがうちの妹とつき合ってんだろ?いきなり真夜中にウチに連れてきた時はどーしよーかと思ったぜ。せーちゃん、そーゆーコトは先に言ってくれよ〜」
「と言われても、そこまで僕が干渉する事じゃないと思いまして……」
 泣き言を言われても、僕は黄昏が愁ちゃんと付き合う事に関しては黙認していると言うか、何一つ口を出していないし、本人達の好きにすればいいと思っている。
「けどな、知り合いに愁を取られるのはめっちゃ悔しい」
 これが兄の心と言うものなんだろう。一人っ子の僕には全く理解できない気持ちだけど、その悔しさだけは受話器の向こうから伝わって来た。
「そう言えば、二人の間はどうなっているんです?」
「…………」
 気になって訊いてみると、しばらく沈黙が続いた。気まずい空気が流れる。普段なら僕も口を突っ込まないのに、溢歌との関係が気になっていたからどうしても訊かざるを得なかった。もし黄昏が二股をかけているようなら、僕は素直に怒る。
「仲はいいみて〜よ。先週なんて全然家で顔見なかったし。和美の話だと夕方たまに帰ってきて、毎日あっちの家に入り浸っていたみてーだけど」
 頭から湯気を噴き出しながら怒った口調でみょーさんが喋る。話の内容によると、二人は深い関係になっているんだなとさすがの僕でも理解できた。
 ――なら、一体溢歌と黄昏はどこで出会っていたんだろう?
 心の中で疑問が生まれる。僕より随分前に会っていたのかな?ライヴ前に愁ちゃんと黄昏は喧嘩していたはずなのに、その後に仲良くなっていると言う事は、打ち上げの時に電話で呼び出された相手――それが愁ちゃんなんだろう。
 その後に二人が仲良くなったとするなら、出会ったのはそれより前になる。そういやライヴ前にバイクでどこかへ行ったけれど、もしあれが溢歌に会いに行ったものとしたら?
 知らず知らずの内に黄昏の周辺に探りを入れている自分に気付き、暗い気分になった。変な推測ばかり立てずに、今からでも電話を入れ直接訊いてみればいいのに。
 でも、それができない意気地無しの自分がいた。本当に、情けない……。
「――ねえ、せーちゃん聴いてる?」 
「あ、ごめん。ちょっと考え事をしてて……」
 色々聞かされた愚痴が全て頭を素通りしていて、みょーさんに軽く怒られた。向こうも溜まった鬱憤を吐き出す機会が欲しかったんだろう。他人の愚痴を聞くのはいい加減慣れているとは言え、それほど自分は聞き上手とも思えない。
「学園祭の件に関しては、みょーさんにも折り返し電話を入れるよ。黄昏にも、お付き合いは程々にと言っておきます」
 このまま続けば長電話になるのが見えていたので、適当に話を切り上げた。
「あー、ぜひそーして。とりあえず、和美を心配させないようにしてくれって」
 和美さんよりみょーさんの方が心配してるはずなのに。こみ上げる笑いを堪え相槌を打つ。
「そんなトコかな……ああ、何かそのバカ妹達が台所で騒いでるみたいだからちょっと見てくるわ。寝てるトコ起こしてゴメンよ」
「いえいえ。ご連絡どうも」
「もし断るんならこっちからも言ってみるようにするわ。……でも、ま、アンタらのライヴが観たいってゆーのが本音だけどね。んじゃ、オヤスミ」
 僕の心を温かくするような事を言ってくれ、みょーさんは電話を切った。さりげない一言が僕の支えになる。胸の中で今の言葉を反芻しながら、電話を充電器に置いた。
 一息つくと同時に、眠気が襲って来る。全身の疲れがまだ抜け切っていない。帰って来た時に軽くシャワーを浴び汗は落としていたけれど、改めて風呂を沸かす。
 今日は遅いので、明日にでもキュウに連絡を入れ今後の事を考えよう。しかし今日はやけに一日が長く感じた。また明日からバイトが入っているのに、この休みの間に随分体力気力を消耗してしまった。風呂が沸くまで布団の上に寝転がり、封筒の中身にじっくりと目を通す。眠気で半分文章が理解できないでいても、構わない。
 みんなにこの件を話したら、絶対に怒られるんだろうなあ。真っ先に千夜の怒鳴る顔とそれをたしなめるキュウの姿が浮かんで来て、苦笑してしまった。
 風呂に入り、疲れを取る。湯船に浸かりながら明日も溢歌と会う事を考えると、それだけで興奮して来てしまいのぼせそうになる。根が正直過ぎて、笑えてしまう。
 溢歌に女の子のからだを色々教わってからは、千夜やキュウで妄想しなくなった。心の奥に背徳感を抱えていた以前よりも、今の方が割り切って見ていられる。とは言え、まともな状態で接していないので、前の打ち上げみたいな場面に遭遇した時にどうなるかは自分でも分からない。なるべく、そうした状況を作らないように心がけよう。
 湯船の中で寝てしまう前に外に出て、体を拭く。どうもこの家には溢歌の残像がちらついていて、その場所を目にすると身体を重ね合った場面を一々想像してしまう。
 部屋に戻ると椅子の上に座り、机の上に置いてある鏡を覗いてみる。
 そこにいるのは勿論僕で、見慣れた顔がある。この三日間で随分大人っぽくなったように見えるのは気のせいだろうか。男らしさは未だ全然出ていないとは言え……。
 ドライヤーで風呂上がりの濡れた髪を丹念に乾かす。キュウに以前髪の傷みを指摘されてから、以前より身だしなみにも気をつかうようになった。色々と美容について教えて貰ったり、シャンプーやクリームを用意して貰ったり。おそらく本人が自分好みに仕上げたいだけと思っても、ステージでの見栄えが良くなるならアドバイスを聞くの構わない。その割には服装はお金の関係上、あまりこれまでと大差無い……。しかし今は名前も知らないお客よりも、溢歌一人に喜んで貰いたかった。
 寝間着に身を包むと、すかさず寝る準備をする。頭の中に浮かぶのは、溢歌の事ばかり。バンドの事なんて、すぐさま横に追いやる。何だかもう、すっかり恋愛馬鹿と化している。
 とりあえず今は、明日の事も考え体力を回復しよう。気付けば僕の思考回路は、いつの間にか溢歌を中心に回っていた。
 膝枕をされている夢を観ながら、明日に向け充電。眠るのがこんなにも楽しいなんて、溢歌と出会う前までの僕はすっかり忘れていた。


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