086.自爆
練習の日の前日、溢歌を家に誘おうと思っていたのに、手の中をすり抜けて行った。
「帰らなくちゃいけないの。待っている人がいるから」
その言葉を残し夕方も別れた。一体溢歌はどこへ行っているんだろう?キュウの話によると黄昏と愁ちゃんはとても仲良くしているみたいで、わざわざその間に溢歌を入れ、場を掻き回す事はしないだろう。
「家に帰ってるの?無理しなくてもいいんだよ」
自分のその言葉に、ずっと溢歌にそばに居て欲しいと言う独り善がりの欲望が含まれている事は薄々気付いていた。
「今はね、こうした方がいいと思うの。みんなの事を考えるとね」
その『みんな』が誰の事を差しているのかは知らない。ただ、今は僕とずっと一緒にいる事よりも大切な事があるらしい。嫉妬心を覚えるけれど、反論するつもりも無かった。
何なら僕が溢歌の家に行こうか、と行為の合間に何度か呟いてみるものの、溢歌はその度に悲しい顔で首を横に振った。家族がいるから?戻りたくないから?一人暮らしなのかさえも溢歌は言ってくれない。僕を信頼していないから、では無いだろう。
朝、久し振りにできた一人だけの時間にギターを握ってみた。孤独なんて慣れているものと思っていたのに、鳴らすギターの音色は乾いていて余計に寂しさが募る。
今日、練習が入っている事を言いそびれてしまった。しかし、先週みたいにまた溢歌一人を家に残す可能性があったと考えれば、結果的に良かったのかも知れない。
そして空の色がオレンジ色に変わり始める前に今日も溢歌と岩場で会い、冷えた洞窟の中で火照るまで絡み合う。ギターは先にスタジオに置いて来ていた。
練習時間は夜で、普段の休憩時間よりも一緒にいられる時間がある。けれど溢歌は何も不審に思った顔をせずに、僕の身体に腕を回していた。しかし、太陽が沈み日の光が入らなくなった洞窟が暗くなり始めると、溢歌が先に断りを入れる。
「もう一回で、終わりにしましょう?」
毎日毎日、繋いだ手を放すのが辛い。でも、仕方無いと無理矢理心の中で割り切る。そして、両手に指を絡ませ後ろから溢歌の身体を突き上げた。
この少女の事を知る為には、もっと長い時間をかける必要がありそう。互いの身体の事なんて知らない所が無いほど貪り合っているのに、一番大切な部分には触れられない。そのもどかしさが、僕の性欲の炎を盛んに燃やさせる。
「今日は――一緒に、いていい?」
断られるのが判っているとは言え、自分にこの後用事が入っているとは言え、訊かずにはいられない。いっそ二人でどこか遠い所へ逃げ出せたら、とさえ思うのは、激情の余韻がまだ胸の中に残っているせいか。
「ダーメ。サボるのはよくないわよ」
後ろから抱き締める僕の手を振り解き、意地悪そうに言った。腰の上で結んでいたワンピースの裾を解き、岩の上に脱いであるジャケットを羽織る。そこで現実に引き戻される。
似合わないズボンとYシャツで来ていたのはあの日だけで、他は黒のワンピースを着ている。汚れるから全て脱いでおいた方がいいと忠告しても、二人の汗がいい具合に染み込むからと言い、最中も着たままでいる。そこがとても、いやらしい。
「じゃあ、一つ頼んでいいかな?」
「何?」
つっかけを履く手を止め、溢歌が僕の顔を見た。
「一曲唄ってくれない?ここだと気持ち良く響きそうな気がするんだ」
「嫌。」
コンマ1秒も無い返答に面食らう。
「だって、ここしばらく溢歌の歌を聴いてないもの」
子供みたいに駄々をこねてみせる。今から練習に行くのに少しうんざりした気分でいるのも、溢歌の唄声を聴けばやる気が漲って来ると思うから。
「胸の中にある歌なんて、海に投げ捨ててしまえばいいの」
突っかけを履きながらそれだけ呟くと、肩にかかる後髪を両手で払い、僕に背を向け出口の向こうに広がる藍色の海を眺めた。少しずつ、日の落ちる時間が早くなっている。
その言葉の中に込められた意味は、僕にはよく分からない。それ以上何も言わず、岩場に腰を下ろしたまま、溢歌のどこか寂しげな背中をただ見つめていた。
「何か、私の歌を聴きたい理由でもあるの?」
背を向けたまま、僕に質問して来る。
「――理由が無いと、駄目かな?」
今は理由があっても、それ以外の時でも溢歌の唄声を聴いていたい。そう思っているから、ぶしつけに質問を返した。するとこちらを振り返り、口元を大きく緩め笑ってみせる。
「私の歌は特別製なの。弾数も少ないから、そう簡単に無駄遣いできないわ」
「今日が特別な日なら?」
すかさず僕が訊き返すと、待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「何か特別な事でもあるの?」
「それは……」
言葉に詰まってしまう。喉元まで出かかっていた台詞を、喉を鳴らし呑み込んだ。
ここで練習の話をすれば、またややこしくなるだけ。この後溢歌が帰ると言っているとは言え、前に交わした溢歌との約束を裏切りたくない。二度も同じ目に遭わせるなんて、口だけの最低男だから。
けれど、その為に本当の事を溢歌に話せないのは心苦しくて堪らなかった。
「私を悲しませないようにしているのね。ありがと」
目を伏せ何を言っていいのか分からないでいると、溢歌がそばに近寄って来て優しく頭を抱き締めてくれた。顔にかかる溢歌の髪からいい匂いがして、とても心地良い。胸に抱えている不安や痛みが和らいでいくのを感じる。
おそらく溢歌は僕が嘘をついている事も何もかも解っていて、許してくれている。
そして溢歌も僕が何もかも解っているのに一言も口にしないから、許してくれているのかも知れない。例えそうでも、服の下から伝わる温もりがとても有難かった。
「泣いたり鼻かんだりしちゃ駄目よ」
「しないしない」
笑って溢歌の腕の中を抜ける。別に感極まっていた訳でもないのに、溢歌にそう言われると目が潤んで来てしまう自分は何て涙もろいんだろう。
そして今日もいつものように港で溢歌の後姿を見送ると、完全に太陽が沈むまで余韻を味わいつつ秋の海ときらめき始めた星空を眺めていた。
吹き付ける潮風で体の匂いを消す。本当ならずっと溢歌のいい匂いを身体に染み付けていたいけれど、仕事場や練習の時にまで持ち込むのは良くない。恋に狂い始めているとは言え、まだ冷静な判断ができる位置に僕はいた。
「よしっ」
一人大きく気合いを入れてみる。この後待ち構えている難題も、溢歌のおかげで何とか乗り越えられそう。そう思っていても簡単には行かないのが現実だけどね。
防波堤の階段を昇ると、勿論溢歌の姿は見えなかった。なのに道路の上につい、その姿を探し求めてしまう。いけないいけない、気持ちを切り替えよう。
そう思った所に、パーカーの内ポケットに入れてある携帯電話が鳴った。
「もーっ!せーちゃん始まってるわよ、練習!!」
こちらがもしもしと言う前にキュウが受話器の向こうで怒鳴る。時刻を確認すると、既に練習時間に入っていた。少しのんびりし過ぎたか。
早足でスタジオへの道を急ぐ。明かりの漏れたスタジオの前には腕を組んだキュウが怒った顔で待ち構えていた。隣に愁ちゃんの顔も見える。
「電源切られると連絡取れないんだから!」
「ごめんごめん、人と会ってたんで携帯切ってたんだよ」
急かすキュウに謝りながら、仕事場に置いていた自分のギターを手に2階のスタジオへ階段を駆け上がると、キュウが階段の下から訊いて来た。
「せーちゃん、たそのギターは?」
「あ、ごめん……忘れちゃった」
「わ……忘れちゃったじゃないでしょー!!」
そんなに大声を出すとスタジオのみんなに怒られるよ。
後ろで色々文句を言って来るキュウを無視し、2階のスタジオへ。実際は忘れたと言うより、あえて持って来なかった。おそらく黄昏へのちょっぴりの反抗心だろう。十分取りに帰る時間はあったけれど、あえて無視した。
ブースの扉の前に立つと、自然に足が止まる。先週殴られた時の映像が脳裏に浮かび、一気に恐怖心が甦って来る。随分引いている頬の殴られた痛みも、心なしかまた強くなって来た。つくづく臆病な自分を情けないと思いつつ、逃げちゃいけないと腹を括る。
大きく深呼吸し扉を開けると、中には3人の姿が揃っていた。先に3人で練習していたんだろう、一息つくのもつかの間、黄昏の視線が気になり僕は目線を伏せた。
「ごめん、遅れちゃった」
小さく謝り、急いで自分の立ち位置へ移動する。また黄昏が近づいて来て殴って来るかと覚悟していたものの、その様子は無く淡々とイッコーと会話していた。
「俺のギターは?」
突然の黄昏の言葉に心臓が喉から飛び出そうになる。横目で見るとどうやらキュウに訊いているみたい。心の中で胸を撫で下ろす。
「忘れちゃったんだって。取りに帰ってると時間がもったいないから、今日は黄昏の曲中
心とゆーコトでいきましょー」
威勢のいい声でキュウが答える。4人だけなら険悪になりそうなムードでも、場の空気を変えてくれるのはとても有り難い。
椅子に腰掛け準備を始める横で、キュウが自分の手提げ鞄の中から学園祭のチラシを取り出してみんなに配ろうとすると、イッコーが近寄り声をかける。
「えっとなキュウ、受付まで行っておれの名前でギター借りて来てくんねえ?多分タダで
貸してくれるし。別に種類はエレキなら何でもいいわ」
「ん、おっけーい。んじゃこれ、みんなに配ってて愁」
隣にいた愁ちゃんにプリントを渡し、ブースを出て行く。叔父さんに言えば借りられると言うのを、今気付いた。イッコーは昔からここのスタジオの常連で、口も利くんだろう。
「えーっと、なになに……げ!」
「桜花美術大学、学祭ライヴ……」
「桜花美大って、あたしの兄貴の学校だよ!?」
チラシを手にした4人が様々な表情を見せる。黄昏だけ、冷静な顔でチラシに視線を落としていた。内容よりもそこに描かれているみょーさんの絵が気になっているのかも。
「桜花美大、桜花美大、桜花――あ!!」
突然大声でイッコーが叫んだので飛び跳ねそうになった。駄目、今日の練習は一々心臓に悪い。早く終わらないかなと始まったばかりなのに心の底から願う。千夜に不審がられるイッコーが、笑って誤魔化していた。何を誤魔化しているのかは知らない。
「いきなりブッキングされても困る」
ドラムセットの向こうにいる千夜が、みんなの言葉を代弁した。
「ごめん、僕が言うのをすっかり忘れてたんだ。てっきり冗談だと思ってたから」
リーダーの自分がブースに響き渡る様に声を張り、説明を始める。ちょうどキュウが戻って来て、手にしていた銀のフライングVを黄昏に手渡した。叔父さんの趣味とは言え、あまりに黄昏に似合わないギターにイッコーが指差して爆笑している。やはりちゃんと持って来るべきだったか、少し黄昏に同情した。
「んでもって、みんなプリント読んでくれた?」
「読んだ事は読んだけれど、こっちの都合も考えないでいきなり入れられても困る」
笑顔でみんなに訊くキュウを、すかさず千夜が一喝する。
「うう、おねーさまなら喜んでくれると思ったのにい〜」
怯えた仕草で目を潤ませても、当然と言えば当然。身代わりになってくれて、ごめん。
疲れた顔で首を鳴らし、千夜が口を開く。
「この日、私の学校で文化祭があるの。時間的にも厳しいから、出れないと思う」
いきなり新しい問題が生まれてしまった。
「コスプレ喫茶のウエイトレスでもやるん?」
笑って言葉を返すイッコーの顔面に、スティック2本が突き刺さる。見慣れた光景とは言え、思わず吹き出してしまう。おかげで緊張していた心がほぐれた。
「うーん、困ったねせーちゃん」
僕の顔を見て困った顔をするキュウ。千夜の文化祭は予想外の出来事だけど、とりあえずひとまず今回の件について全員に簡潔に説明する事にした。話の内容は、キュウに話した時と大差無い。途中の質問を遮り、まずは僕が全て話す。
「あんのバカ兄貴〜」
一通り説明し終わった後で、愁ちゃんが恨めしそうな顔で爪を噛んだ。みょーさんはただのきっかけに過ぎず、別に悪い訳じゃなくても、矛先を向ける気持ちは解る。
「僕は別によかったんだけど、キュウちゃんに相談してみることにしたら」
「素直に受けるなんてヤだから、一つ条件出しちゃった」
「条件?」
人差し指を立てるキュウに千夜が怪訝そうに尋ねる。
「そーですおねーさま。その内容はあらとても簡単、『4人揃ってライヴができる見通しが
立たない場合は、1週間前までならキャンセルできる』だったはずなんだけど……ねーさまー、その場合はキャンセル料を取るんだって〜、ひ〜ん」
キュウが泣き顔で嫌がる千夜にしがみついた。案の定、イッコーが疑問の声を上げる。
「おいおいなんなんだそれ。向こうが勝手に決めておいて、キャンセルしたら金取るだあ?
ふざけんのもたいがいにしてくれよ」
「企画してるのも学生だからね、こっちの都合なんて考えてくれないみたいなんだ」
弁明してはみるものの、憤慨やるかたないと言った感じで怒りが収まりそうにない。
あの後何とかキャンセルできないものかと主催者側に取り合ってみたものの、キュウが今言った所までしか妥協してくれなかった。黄昏がいない3人編成で演奏するのも無理で、特に千夜がいない事には成り立たないのが辛い。
「別に払う必要も無いけど、見ての通りもうチラシには僕達の名前入ってるしね。ここでキャンセルすると変な噂立てられて客足に影響しそうな気がしなくもないし」
「あー、やりそーだよなー。だから大学のやつらっていけすかねーんだわ」
唇を尖らせオレンジ頭を音を立て掻くイッコー。
「でも、出ればお金ももらえるんでしょ?たそが戻ってきてるし、千夜さんさえなんとか
なればだいじょうぶだよ。あたしだって観たいし」
愁ちゃんがそう言うけれど、その千夜が一番問題なんです。黄昏はまだ、僕と仲直りさえできればすぐにでもステージに立つ事ができるだろう。
「あのな愁ちゃん、ここは演りましたからハイ終わりじゃ済まねーの。こっちにだってプ
ライドはあるんだから、簡単に引き下がって相手の要求を飲むなんて真似はムリムリ」
イッコーが眉をハの字にして、大袈裟に手を振ってみせる。その言葉には僕も同感だけれど、今はプライドとか気にしている状態では無いようにも思える。
「でも、演りたいんだろう?」
「そりゃそうだけど、それとこれとは話が別なん」
訊いてくる黄昏に犬のように噛み付くイッコー。元々ライヴ大好き人間だし、一つでも多い方が嬉しいんだろう。
「ここで断ったところでバンドの名前に傷がつくだけだし、かと言って犬になるのは真っ
平ゴメンだぜ。だから大学側がおれたちを呼んで後悔したようなライヴをやってやる」
「それしかないだろうね。でも……」
イッコーの昂ぶる気持ちを抑える訳じゃないけれど、僕は横槍を入れた。
「再来週のライヴは出ないで、そちらに回す事にするよ」
「え〜っ、何でよ!?」
両手を広げイッコーが反論する。つくづくリアクションが大きいな、と思う。
「……今の状態だと、ね……」
千夜や黄昏の事とか、色々引っくるめて今の言葉に託した。それでイッコーも判ってくれたのか、掲げた両手を下げてくれる。他の二人からも異論が出なかったので、OKと解釈していいだろう。
「対バンを予定していた他のバンドもみんなこっちに力を入れるって。その前に入れていたこの日には何人か集まってまた別の企画をしているみたいだけど――イッコー、何とかできないかな」
「……うーん、ちょっと考えてみるわ。確かに今で連チャンはキビしーかもな」
僕の頼みにオレンジ色の頭を掻きながら頷いてくれた。千夜の受験の事は知らなくても、イッコーは再び瓦解しそうなバンドの状態を憂慮している。
「何かできる事があれば僕も協力するつもりでいるよ……とにかく今は、気持ちを切り替えよう。千夜には本当、悪いけれど……」
「おねーさまー」
「わかったわかった、だからひっついてくるなっ」
僕の言葉を無視し二人はコントを続けていた。目を潤ませているキュウの千夜に対する気持ちは、多分本当なんだけどね。
キュウの体を張ったお願いに千夜も折れたのか、頭を掻き毟り溜め息をついた。
「文化祭はなるべく早めに抜け出すようにする。ただ、このプログラム通りの時間だと少
し遅れるかもしれないから、それまで3人で適当に演っておいて」
これで何とか目処は立った。問題が一つ解決し、心の底から安堵の息をつく。
「その辺の話は、練習の後にしよう。時間が勿体無いからね」
「んじゃ、この辺にしてそろそろ始めますか。まともに揃って演んのも久しぶりだわ」
待ってましたとばかりにイッコーが肩を回し、自分の立ち位置に戻る。小難しい話よりただ単純に音楽に打ち込めるその姿勢が、今の僕にはとても眩しく見えた。
僕も黄昏の横を通り、ギターアンプの前に移動する。こちらの内心脅えているのを余所に、向こうは手を出して来なかった。こちらを凝視していたようにも思うけれど、視界の一部を頭の中で完全に遮断し、見ないようにしていた。
「そんじゃま、おれの曲から一通りやっていきましょーか。それでウォーミングアップが
終わったら、たその曲を演歌歌手のメドレーみたく」
「ヒットパレードか」
イッコーにツッコミを入れ、黄昏がマイクの前に立つ。冗談も言えるほどの余裕はあるみたい。僕との間には大きな厚い壁ができていても、黄昏の笑顔を見れるのは嬉しかった。
自分の腕の中にある海色のギターがブースの照明を受け、その藍色のボディの中できらめいている。その姿を見る度に、岩場から眺める海を僕は思い浮かべる。
今日は――大丈夫。
心の中で念仏のように唱え、自分に言い聞かせる。前回は最悪のコンディションでいたからどうしようも無い部分はあった。でも今日は溢歌のおかげで何とかいけそう。
そう思いイッコーの曲を一曲演奏したものの、出来はお世辞にも良いとは言えなかった。
いや、僕が悪い訳じゃない。弦の鳴りも良く、前回とは比べ物にならないほど上手く行っている。千夜も突然のライヴの変更に怒りがあるのか多少ドラムが先走る所があるとは言え、練習不足も感じさせない良い出来で、イッコーもいつでも水準を維持している。
黄昏が……。
慣れないギターとは言え、余りに出来が酷い。声量もいつに無く出ていない。気が抜けているのか、例えコーラスでも全然心を揺さぶらない。
3曲ほど連続で演奏してみるものの、黄昏のやる気の無さが目に付いた。いや、本人はいつもと同じ、真剣な顔でマイクに向かっている。ギターも鳴らしている。なのに心と身体がバラバラになっているのか、まるで先週の僕を見ているみたいに出来が酷い。
「んー、いまいち」
インターバルを取ると真っ先にイッコーが全員の心を代弁して呟く。先週よりはマシとは言え、他のみんなもいい顔はしていなかった。
「ま、本番でピークに持ってけりゃいいんよ。焦ることなし、全然、全然」
楽観的にイッコーが笑い、場の空気をほぐそうとする。
休憩中でもフレーズの確認をする千夜、笑ってキュウの作ってくれたハチミツレモンのドリンクを美味しそうに飲むイッコー、肩を落とし暗い顔で愁ちゃんの話を訊いている黄昏、そしてぼんやりとそれを眺めている僕。四者四様の姿がある。
みんなを励ます声すらもかけられず、呆然と椅子に座り休憩している自分の姿を顧みると、つくづくリーダーの器でも無いのが身に染みる。ここまで問題のあるバンドもそうそう無いような気さえした。よく、2年以上も続いたなと思う。
――いけないいけない。何弱気になっているんだ。
両手で頬を叩き、自分に喝を入れる。まだ終わっていない。終わらせちゃいけない。溢歌がどうとか関係無い。僕はまだ、『days』を続けて行きたいんだ。
「ハイ、休憩終わりっ。次はたその曲ねー」
手を叩き、キュウが僕達を促す。元気のいいその顔を見ていると、普段から不安や心配なんて何一つしていないんじゃないかとさえ思えてしまう。溢歌と同じで、キュウもその仮面の下に深いものを抱えているのかな?ふと、そんな事を思った。
愁ちゃんに励まされ、黄昏もマイクの前に出て来る。その顔色は前髪が瞼にかかっているとは言え、明らかに悪かった。僕の目線にさえ気付かないのか、目の前のマイクを凝視している。今にでも嘔吐してしまいそうにも見える。
「あの……」
声にもならないほどのか細い声しか、僕の喉からは出なかった。かけようと思った言葉を呑み込み、ギターを握り直す。大切なトモダチが苦しんでいても何もできない自分が悔しい。もう黄昏は、僕の事をトモダチと思っていないかと考えるだけで心苦しい。
ええい、何も考えるな!!自分のギターにだけ集中しろ!!
と心の中で唱えても、黄昏の事が気になって仕方無い自分が情けなく、愛おしい。例え調子が悪くても、無事に最後まで唄い切ってくれれば今日の僕は何も文句を言うつもりは無かった。ただ、そこにいてくれるだけでいい。
黄昏の事を一番大切に想う僕からの、ささやかな願い。
千夜のカウントが始まり、僕は思いのたけを全てピックに篭め、ギターを鳴らした。その想いが通じたのか、出だしから調子良くブースの中に唄声が響く。
これなら大丈夫。そう胸を撫で下ろしたのも束の間。
黄昏が、倒れた。
→to be Rolling Stone.