→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第4巻

   091.ふたり

 今朝は雲が少なく、この季節にしては太陽の光が眩しい。左右に並ぶ街路樹が葉音を奏で、酸素の濃い匂いを漂わせている。遠くに見える校舎の向こうに見える山々の緑は夏の頃の青さとは姿を変え、所々赤や黄色がその中に咲き始めていた。
「いいところね」
 隣で僕と同じように遠くの山を薄目で眺めながら、溢歌が呟く。ボリュームのある豊かな髪は周囲の景色の中でよく映える。着替えが無いので昨日と同じワンピースなのが少し残念。一応昨夜帰ってすぐに洗濯し、近所のコインランドリーへ乾燥機を使いに行っているものの。もっと自然と溶け込む服を着せて、写真に保存しておきたかった。
 桜花美術大学の学園祭。なるべく早く出かけ、人が多くならない内に二人で色々回っておこうと思った。真っ先に委員会の場所へ行くのは止め、目の保養になる場所を適当にぶらつく。大学生が屋台やテナントの準備をぽつぽつと始めていたり、資材を抱えた部活の人達がてんやわんやと駆けて行く。お祭りの雰囲気が構内全体に漂っていて、その空気を感じているだけで妙に浮かれ気分になる。
 春に桜がたくさん咲いていた広い庭はすっかり様相を変えていて、一目見ただけでは何の代わり映えもしない緑の木々が等間隔で並んでいた。
「来年の春、もう一度来ようか」
「そうね」
 どこか曖昧な気持ちを胸に抱えたまま、上辺だけの約束を交わす。どちらも断定できないのは、たったの半年先の事さえ読み取れない僕達の未来を暗示しているからか。
 今この場所で二人でいる事が、僕にとっての世界の全てに思えた。
 溢歌は文句一つ言わず、肩を並べて歩いてくれている。今朝目を覚ました時からライヴの件に関してはどちらも一切口にしていない。決して上機嫌には見えないけれど、昨晩愛したおかげで多少溜飲も下がっているのか。
「一つだけ、寄りたい所があるんだけどいい?」
 一時間程散策した後近くの噴水で休憩している時に、溢歌に尋ねた。
「私が嫌だって思わないところなら、いいわ」
 なかなか手厳しい返しをされる。そう簡単に一線は超えさせてくれない。
「ちょっと話をしたい人がいるのと、絵を観に行きたいんだ。時間はかからないよ」
 僕の言葉に警戒心を緩めてくれたのか、上目遣いに頷いた。歩き疲れた足をマッサージでほぐしてから、僕達はみょーさん達の部室へと移動した。
「あ、みょーさん」
 校舎の渡り廊下を横切る所で、ちょうどみょーさんが左手の校舎から姿を現した。
「おー、せーちゃーん。よーく来てくれたー。心配してたんだぜー」
 眠そうな半眼で間延びした返事をすると、僕に駆け寄り熱い抱擁をして来た。背中を何度も両手の平で叩かれ、思わず息が詰まる。
「受けちゃったものは仕方無いから……今からそっちの部室に行く所だったんですよ」
「そーかそーか。ウチは昨日のうちにもう準備終わって、鑑賞できるようになってるぜ」
「それは楽しみだなあ。前に貰ったジャケットの絵、今も家に飾ってて。あっと、そうだ……って、あれ?」
 話し込んでいた隙に、そばにいたはずの溢歌の姿が見えなくなっている。
「どしたの?」
「いやちょっと、一緒に連れて来た子がいて……」
 周囲を見回すも、忍者のように消えてしまった。怖い想像が脳裏を過ぎり、慌てて捜す。
「はぐれちゃった?オレは一足先に部室戻ってんね。見つけてからおいでよ」
 僕に手を振ると、みょーさんは校舎の谷間を渡り部室の方へと立ち去って行った。その後姿を見送る間も無く、急いで溢歌の姿を捜す。
「……何やってるの」
 その場を全方向へ行き来していると、渡り廊下の柱の影に張り付いている溢歌を見つけた。嫌な汗を掻いてしまい、全身からぐったりと力が抜け落ちる。
「何となくよ」
 全くもって説得力が無い。どう見ても訳有りとしか思えない。
「今の人と、顔を会わせたくなかった?」
「――そんなことないわ」
 いくら百面相の溢歌でも、さすがに嘘はつけない。小さく唇を噛み締め僕から目を背け、動揺しているのがありありと分かる。もしかして、知り合いなのかな?
「じゃあ、行こうか」
「青空クン一人で観て来て。私はここで待っているから」
 先程までと180度態度が変わってしまった。かなりおかんむりな模様。
「でも僕は、溢歌と一緒に見たいんだけど……」
「わっ、ちょっ、離しなさいよっ」
 溢歌の腕を掴み引っ張ると、慌てて僕の手を振り解いた。
「そんなの人をラブホテルに連れこもうとするのと同じじゃない」
 耳まで赤くして怒ってはいるものの、どうにも言葉の選び方がずれている。
「じゃあ、ここで一回してみる?」
 僕の真顔で発した言葉に、溢歌はとても驚いた様子で目を丸くした。まさか僕の口からそんな言葉が出てくると思わなかったからだろう。自分でも勢いに任せて言った所があるので、口にした後に恥ずかしさを顔に出さないようにするので必死。
「……随分女の子をたらしこめる言葉が上手くなったものね。私が教えてあげたのに」
 少し引きつった笑みを浮かべ僕を睨め付けつけると、つまらなさそうに肩にかかった髪を大きく振り払った。こんな台詞を僕が言えるようになったのも、全て溢歌のせい。
「いいわ。部室の前までついて行ってあげる。でも、中には入らないわ」
 腰に手を当て挑発的に言う。
「都合が悪くなるとすぐに怒る癖があるよね」
「ほっといてっ!」
 図星だったのか、顔を真っ赤にして叫んだ。うろたえる姿が妙に可愛い。
「そんなによかったなら、待ちぼうけの間に一人で観に行くわよ」
 そう吐き捨てると、肩を怒らせ先に行ってしまった。校舎の角を左手に向かう。
「そっちじゃなくて、反対方向だよ」
「うるさいわねっ」
 意外とおっちょこちょいな所が頬笑ましい。横槍を入れ怒られるのは千夜で慣れているせいか、ついつい相手を怒らせ、楽しませる悪い癖がついてしまっているかも。
 しかし、みょーさんと溢歌が一体どう言う接点があるのか皆目見当もつかなかった。
「じゃあちょっと観て来るね。その間に溢歌も好きな所へ行ってみるといいよ」
「そうするわ。適当に散策しますよーだ」
 部室の前へ辿り着き、溢歌は唇を尖らせると廊下を小走りに駆けて行った。後姿を見送りやれやれと溜め息を一つつく。何だか動物と飼い主の関係のような、お互いの間に見えない糸があるのか、携帯で連絡を取れなくても最後には自分の元に戻って来る感覚がある。
 みょーさんの部室に足を踏み入れる。前に来た時と違い黒い布で飾り付けがしてあり、展覧会と言う雰囲気が感じられる。入口に看板も何も置かれていないのが気にはなった。単に忘れているだけなのか。
「こんにちはー」
 挨拶をして周囲を見回すと、カーテンで仕切られた通路の角から和美さんが姿を現した。
「あ、いらっしゃい。ええと……」
 そこで言葉が途切れた。どうやら僕の名前を思い出せずにいるらしい。
「おー、せーちゃん。ちょっとションベン行ってたんよ」
 ちょうどそこでみょーさんが後の入口から入って来た。
「そうそう、せーちゃんさんですよね」
「何ですかそれは」
 その笑顔を見ていると素にしか見えない。どこかふわふわとしていて、天然なのかな。
「あれ、連れの子は?」
「後で見に来るって言って、他の所へ行っちゃった」
「そう。ま、ゆっくりしてってよ。委員会には顔出した?」
「ううん、これから。電話で何度か話をしてるけど、直接会うのは初めてなんだよね。キュウを連れて行くけど、ちゃんと話になるかどうかは……」
「そっか、あいつそっちのバンドのマネージャーだったっけ」
 受付の椅子に座ったみょーさんとしばらく言葉を交わす。キュウとは現地で待ち合わせしていて、朝電話を入れた時にはまだ寝ているのか留守録になっていた。
 室内に即席で作られた通路には部活の人達が描いたと思われる絵がいくつも展示されている。展示物を閲覧する前に、壁際に寄せられた机へ移動し3人で談笑を始めた。和美さんが用意してくれた缶コーヒーを口につける。銘柄が昨晩溢歌と一緒に飲んだものと偶然同じで、つい苦笑した。
「冷蔵庫とか布団とかなくなってますね」
「そうでもないぜ。カーテンの裏に隠れてるだけ。いつもいらないものが大量に置いてあるから、ジャマなのは倉庫に押しこんでるけど」
「他の人達は?」
「家で寝てたり、遊びに行ってたり。オレも代わりのヤツが来たら和美とそのへんブラブラするつもり。せーちゃんのライヴのチケットはもう手に入れてるから」
「青空さんがリーダーなんですよね?雑誌で見ましたよ」
 和美さんに言われ、ぎこちない笑いを浮かべてしまう。これまでに何度かインタビューとも言えないくらいの短いコメントをインディーズ系の音楽雑誌に求められた事はあるものの、いざ僕達の記事が載った雑誌を読んだ所で嬉しいと言うより、正直実感が湧かなかった。
「今日のライヴもそこそこ期待しておいて下さい。そんなに自信持って言えないですけど」
 千夜も間に合うかどうか判らないし、いつもと違うライヴ構成なので胸を張れないのが悲しい所。客席が引かない程度に盛り上げられれば御の字と考えている。望み通り、そんなに毎回毎回最高のライヴができる訳ではない。
「そーだ和美、あいつは?昨日帰ってきた?」
「いいえ。愁ちゃんが大丈夫って言っているから、心配ないと思うわ」
「いーのかよそれで。しばらく家がやかましかったから、これで静かになるかな」
「あら、まんざらでもなかったようだけど?」
「うるへー」
 僕には解らない話を二人がしている。ペットか何かかな?
「じゃあ、ちょっと色々見せて貰いますね」
 あまりくつろいでいると溢歌に悪いので、ギターを置き絵を見る事にした。荷物になるので黄昏の使うギターは前日の内にキュウに渡してある。いつもは僕が持って行くけれど、黄昏との仲がおかしくなっている今は別の人に任せておいた方がいいと思った。イッコーはドラムマシン等、別の機材を用意するので少し心配しつつもキュウを選んだ。
 正直、僕も調子が良いとは言えない。溢歌と出会い、音楽に対する姿勢が変化し始めた時に黄昏に殴られ、バランスが狂ってしまった。それ以来初めてのライヴなので、結構不安はある。実際他人の心配をしている場合でもない。しかしひたすら自分を顧みるより、別の部分へ視点を向けていた方が気は紛れた。
 そんな事を考えながら、床に描かれた矢印の方向から一つずつ絵を閲覧して行く。普段から美術館や博物館へ行く機会も無いので、しばらく眺め、うんうんと知識人ぶって済ます。どこが良くどこが悪いのか、筆のタッチとかを見ればいいのかとかさっぱり分からないのに。単に上手い下手でしか判断できない自分の眼力の無さに呆れる。
 その中でも何点か素直に心惹かれる絵もあった。和美さんが描いた、みょーさんがキャンパスに向かって筆を走らせる油絵もあり、卓越した技量に素直に感心させられた。やはり美大に入るくらいだから、どれもこれもセンスと技術がある。大学に入れる才能があるのは、一度は入学を目指していた自分にとって羨ましい。最近はあの頃の事を思い返すのは少なくなってきたけれど、胸の中に痛みのようなものが今も残っている。
「これ……」
 先に進むと、馴染みのある鎖に繋がれた岩の絵が飾られてあった。みょーさんの描いた絵だと一発で分かる。以前僕が描いて貰った絵と違い、今回新たに描き下ろしたものか。
「どう?」
 いつの間にか後ろにいたみょーさんが肩から首を伸ばして来る。描いた当人がそばにいると落ち着いて観られない……。
「何て言ったらいいんだろう……不思議な感じがする」
 最初に受けた印象をまず語り、それから喰い入るように飾られたキャンパスを見つめる。
 背景の無い空間に、8つの同じ真っ白な鎖が絡み付いた、全ての絵の具をぶちまけたような色模様の岩が浮かんでいた。ジャケットで使った絵は黄土色一色の岩に色違いの鎖で、対照的に見える。
 色付いた鎖は、人間達の様々な思いが交錯し合う現実を描いているようにさえ思えた。
「この鎖は?」
 一番目についたのが、岩の回りを囲んでいる一本の形の違う鎖。檻のようにも見えるし、岩を現実の世界とするなら、さしずめ神様か時間と言った所か。
「ん〜、ぶっちゃけあんまり考えてないんだよなー」
 本音過ぎる発言に思わず前のめりになった。
「いやいや、別に考えてねーワケじゃねーんよ?ただ、感覚的に何つったらいいのか……でも、観る人によって意味合いが違っていーんじゃね?はっきり決めてねーし」
 突き放した言い方をするみょーさんを見て、自分と似ていると思った。ジャンルは違えど物を産み出す人間は、それを通じ自分と他者との関係を計る。完全に個人的で他人に全く見せるつもりもない自己満足(いいか悪いかは別として)もあるだろうし、プロを目指し妥協点を見つけようと寄せては引く波のように考えを巡らせる人もいるだろう。
 似たような姿勢で絵に取り組むみょーさんに好感が持てた。
 しかし、この絵を前にしていると意識が引き込まれて行く感覚がある。先に行きたいはずの足を止め、その場に立ち尽くす。
 まるで自分の心の底を見つめているような……。
「世界に見える」
「世界?」
 呟いた僕の独り言にみょーさんが反応する。
「あ、いや。世界とか、現実とか……人の感情とか、心とか。みょーさんの言う通り、いくらでも解釈の仕方ができるなって……何でもありとでも言うのかな」
 慌てて手を振り、言い直す。色のついた岩を心、白い鎖を感情と捉える事もできるし、岩が自分、鎖が自分に影響を与えるものと観る事もできる。それぞれの鎖が人、岩が現実、それを取り囲む一本の鎖が時間、そしてこの絵自体が僕達の生きる世界とも。
「そこまで大ゲサに考えてないって」
 鼻をさすり苦笑するみょーさんが、絵の下の名札を指差す。
「ほら、タイトルなんてシャレでつけてるんだから」
 そこには『→Rock'n Roll→』と書かれていた。
「岩が転がるから?」
「そ。」
 唇の端を伸ばし、笑うみょーさんを見ると難しく考えていた自分が間抜けに思え、溜め息が出た。でも、とてもしっくり来るいいタイトルだと思う。
「……もしかして、僕達のバンドとかけてたりする?」
「あ、分かった?」
 何となく尋ねてみると、正解だったらしく笑って舌を出した。
「この前のライヴを観て触発されたかんね。今日も期待してんのよ」
 ――その言葉が、不意に僕の胸を打ち抜いた。
「あ、や、それは、嬉しいなあ」
 無性に照れてしまい、嬉し恥ずかし。
 ライヴをやっていると自分達の演奏に観客が拍手や歓声でリアクションを取ってくれる。とても直接的なコミュニケーションは僕の心を容易く震わせてくれる。素晴らしい事。
 しかし今目の前にある絵のように、形のある物として間接的にコミュニケーションを取れた事は初めてで、とても衝撃的で……自分達のやっている事が間違っていないんだなって確信する事ができた。これまでに無い感動に、思わず身震いしてしまう。
 全く知らない他人では無いけれど、僕、徳永青空が他人に強い影響を与えられる人間になったのかと、ようやくそのレベルまで到達できたのかと思えた。
 誰かの記憶に残るのが長い人生の中でほんの一時だとしても、この絵のように想いが具現化されたものは、その形を喪うまでいつまでもこの世界に存在する。現実の世界に足跡を遺そうと努力を続けて来た結果の一つが、自分と違う人の力によって刻まれる。
 僕の力で築き上げた、他者にとっての存在意義。誰かに認められるのがこんなにも誇らしい気持ちになれるなんて、今まで知らなかった。
 この絵は是非溢歌に観て貰いたい。心の中で願い、その場を離れ残りを閲覧して行った。ちゃんと他の展示物も鑑賞しているように見せかけ、適度な時間をかけて。名前の付けようがない造形物や黒のカーテンに短いフィルムを映写しているものもあった。
 一週し終わった所で席に戻ると、和美さんが無言の微笑みを投げかけて来た。良かったですよ、と同じく微笑みで返す。事細かくコメントするのも変な感じだし、かと言って他愛も無い感想を述べるだけだとかえって失礼な気がする。
 和美さんが差し出してくれたブロック状のチョコレートアイスを頬張る。みょーさんと和美さんは僕の前で屈託の無い表情で会話している。恋人同士とは、こうした関係の事を言うのだろう。僕と溢歌の間柄を照らし合わせてみると、余計な疲れが出た。
「この後のコト考えると胃が痛い?薬ならあるけど」
「あ、いや、おかまいなく」
 ライヴの事よりも、溢歌の事の方が気になっているのが実際の所。どうせ溢歌は僕のライヴを観てくれる訳無いだろう。目の前の二人みたいに仲睦まじくなるには試練が多い。
 少し溢歌の事をみょーさんに話してみようかと考えるも、止めた。
「二人は……出会ってからどれくらいになるの?」
 代わりに出した突然の質問にみょーさんが目を丸くした。顔を見合わせた和美さんが答える。
「この大学に入学した時からですから、一年半ぐらいですね」
「学部と学科がおんなじなの。んで部活もおんなじだから、自然とそーなったワケ。今じゃ構内公認のカップルよ?」
「もう!そんな……どこにでもいるようなごく普通の恋人同士です」
 腕を伸ばし肩を抱き寄せたみょーさんを押し退け、赤い顔で体裁を取り繕う。自分が溢歌に同じ事をしたら張り手を食らわされ、丸一日口を聞いてくれなさそう。
「どこまで仲良いんですか?」
『どこまでって……』
 僕の素朴な疑問に二人が揃って同じリアクションをする。自分も質問してから余りにも直球過ぎる事に気付いた。ここで苦い顔をすると空気が悪くなるので、ポーカーフェイス。
「一応、同棲してるくらいには」
「もうっ!一つ屋根の下って言って」
 躊躇無く答えるみょーさんに真っ赤な顔で食らい付く和美さん。
「すいません青空さん。ええと、あきらの一軒家に住まわせて貰っているんです。元はあきらのお爺さんの家で、今は私とあきらと、妹の愁ちゃんの3人で」
「そうだったんですか」
「でも寝るベッドは同じよー」
「だからっ!で、でも、ちゃんと空き部屋を使わせて貰っているんですよ」
 横から茶々が入り、しどろもどろに言い訳する和美さんがとても可笑しい。大学生の恋愛事情はこう言う感じなのだろうか。一月程前なら聞いているこちらが真っ赤になっていたと思う。妙に冷静でいられるのは溢歌との逢瀬の日々があるからだろう。
「みょーさんの両親は?」
 家族の事が少し気にかかったので尋ねてみた。
「ん、普通に生きてるよ。近所に住んでる。空き家になったから、わざわざアパート借りるよりソッチの方がいいってコトで。愁も高校に入ってから、コッチに移り住んだ」
「一軒家ですけど、感覚としてはアパートに近いのかもしれませんね。まだ空き部屋がありますから、青空さんもどうですか?」
「え、僕?僕は、あの、その……」
 満面の笑顔が全く冗談に見えない。困った顔をしていると、助け船がやって来た。
「ジョーダン言うなよ、せーちゃん困ってんだろ?」
「あら、人が多いほど楽しいじゃない。今だって一人増えているんだもの」
「ウチは賃貸住宅じゃねえっての」
 参った顔で頭を抱え、チョコアイスを口に放り込むみょーさん。和美さんは理知的で聡明に見えるけれど……天然に見えない天然なのか。部室の天井や床に描かれた絵を見ると、この部活に入っている和美さんもやっぱりどこかずれている人なのかも。
「せーちゃんは?恋人連れてきてたとか言ってたけど」
「そ、そこまで言ってないですよっ」
 突然振ってきたみょーさんの言葉に、反射的に全身で否定する。
「友達と言うか……その、よく分からない間柄で……」
 千夜やキュウ、柊さんのように明確に定義できないので、余計に返答に困る。体をどれだけ重ね合っていても、自分の胸にある感情が恋心なのかどうかさえ判断がつかない。
「ふーん。その子、カワイイ?」
「あきらっ」
 興味津々で訊いて来るみょーさんに和美さんがすかさず釘を刺す。
「いや、カワイイんだったら結構進んでるのかなって思ってさ」
「ご、ご想像におまかせします……」
 いざ踏み込んだ話になると動揺してしまうのは、今も昔も変わらないみたい。
「で、そのコとはどれくらいになるわけ?」
「え?あ、その……まだ、一月と少し……」
 素直に答えていいものかどうか、ここで溢歌と柊さんとすり替えようかとも画策するも、正直に言う事にした。
「へー、どう?うまくいってる?」
「振り回されてばっかりです……難しいですね、他人とつき合うのは」
 恋愛と友情は別物なんだとつくづく思い知らされる。肩を落とす僕をみょーさんが肩肘ついて面白そうに眺めていた。
「最初のほうなんか鍔ぜり合いの連続よ?腹の内の探り合いってね」
「結構けんかもします。あきらってばいつもわがままばかり言うんだもの」
「言ってねーって。コッチも毎日甘えさせてるじゃねーか」
「いつも私が聞いているんだから、私のわがままも聞いて貰わないと」
 なるほど、二人は場面によって押したり引いたりする術を心得ているみたい。僕みたいにいついかなる時でも構えている訳じゃない。こうした大人のつき合い方もあるんだなと、目の前で見せられ素直に感心した。
「そう言えば、みょーさんは卒業したらどうするつもり?」
 またこちらに振られると恥ずかしい部分を見せるだけな気がしたので、展示物を閲覧している時にふと気になった事を訊いてみた。
「何いきなり。気の長い話だねー」
「いや、みんなこれだけの物が創れるんだから、大学出たらそちら方面へ行くのかなって」
 バンド活動と違い就職先があるものだろうけれど、クリエイティブな面は同じだから。
「ん〜、まだ2年だしな、ボチボチ考えるさ」
 苦い顔をして答えるみょーさん。やはり絵で食べて行くのは大変なのかな。
「ひとえに絵と言っても、デザインとか美術とかイラストとか、いろいろありますもの。音楽にジャンルがあるように。だから卒業しても何とかなりますよ」
「美大卒業してんのに土方とかやるのはさすがになー。別にバカにしてるワケじゃねーけど。でも、普通の大学だったら自分の望んでる会社に就職なんてなかなかできねーじゃん?このご時世だしさ。だからスキルのあるオレ達は恵まれてるほーよ」
 二人の話を聞いていると、大学を目指さなかったのは正解なのかと思えて来る。
「けどせーちゃん達も大変だねー。音楽一本って決めてんでしょ?」
「ええ、まあ……」
 気軽な言葉が計り知れないプレッシャー。まだ若いからいいものの、ここで脱落してしまうとフリーターの道まっしぐら、お先真っ暗になりかねない。そう考えると身震いした。
「けど、その方が退路無い分真剣になれると言うか……そんな親ばかり迷惑かけてもと思うし。大学行くのもタダじゃないから優柔不断でいるよりは、姿勢だけでも固めておいた方がいいかなって。幸い、うちの叔父さんが音楽スタジオを経営しているから、今はそこでお手伝いしていろいろ学んでいる所だよね」
 あくまで前向きに考えていないと、足場が崩れてしまいそうで怖い。一度転落してしまうと後は底の無い闇へ真っ逆さまに落ちていきそうに感じる。
「だからもっと頑張らないと。バンドでお金を稼げる所まで行けたら親も安心してくれると思うよ。勿論自信にもなるし。でも、それで何十年も続けていられるかと思うとまた別の話で……今のバンドもいつまで続けていられるのか分からないもの、一応リーダーだけど、もう僕一人のものじゃないしね。もうちょっと技術が身につけば、いろいろ選択肢も広がってくるんだろうけど……今はそこまで考えてる余裕は無いよ。バンドの事で精一杯」
 久々に自分の想いを言葉にでき、胸がすっきりした。2年程続けて来て、ようやくバンドの活動が身になり始めているのを実感している時。ここを乗り越えれば、また次のステップに行ける。今日のライヴもその為の一つ。
「頑張っていらっしゃるんですね。青空さんのその姿勢、素敵だと思いますよ」
 和美さんが胸に両手を当て、羨望の眼差しで僕に微笑んでいる。その瞳の輝きに何やらただならぬものを感じ、思わず椅子ごとずり下がった。
「ダーメっ。和美はオレのもん」
 その視線に気付いたみょーさんがすかさず和美さんのそばへ駆け寄り後ろから抱き締める。突然の事に驚く和美さんに、有無を言わせず熱い口づけを交わした。みょーさんの後頭部で隠れているものの、相当凄い事になっているのは力が抜け、垂れ落ちた和美さんの手を見れば分かる。
「そ、それじゃ、長居してる時間も無いのでこの辺で……。お邪魔しましたっ」
 置いていたギターを片手に取ると、僕は返事を聞くともなく一目散に部室を後にした。


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